TINAMIX REVIEW
TINAMIX

青少年のための少女マンガ入門(15)岡崎京子

■あらすじ

『へルター・スケルター』の筋立て自体は、そんなに複雑ではない。一言でいって、整形美女の栄枯盛衰物語である。

ヘルター・スケルター
『ヘルター・スケルター』 第一話から、見開き表紙。 「フィール★ヤング」1995年7月号より
(c)岡崎京子

主人公吉川りりこは、美人でスタイル抜群。モデル、歌、女優をこなし女子高生の憧れである。しかし実際の彼女は、情緒不安定で付き人に当り散らす嫌な女。そして、彼女の美貌も姿形も、作中の言葉を借りれば、

「このこはねぇ もとのままのもんは骨と目ん玉と爪と髪と耳とアソコぐらいなもんでね あとは全部つくりもんなのさ」

つまり、外見すべてが最新の整形技術で造られた存在なのである。

もともとデブでブサイクな女の子だったりりこは、芸能プロダクションの社長(通称 ママ)にその骨格の良さをかわれて、整形手術を施された、しかし、りりこのつぎはぎの体は無理にたえられず頻繁に整形の後遺症としてアザが浮き上がり、そのたびに手術を受けなおさねばならない。また、これも手術の後遺症かりりこの情緒不安定は加速する一方。それをドラッグで抑える毎日である。

りりこは、南部デパートの御曹司、岡田史夫との玉の輿を狙っていたが、彼には遊ばれただけで別の女と婚約されてしまう。このことで、彼女の譲著不安定はさらに進行。仕事をすっぽかすことも増えて、だんだん芸能界からほされていく。ついには自分の手下を使って、その婚約者を殺そうとする。

そんなりりこに愛想をつかしたママは、新しくプロダクションに入った吉川こずえをプッシュ。ちなみに吉川こずえは、『リバーズ・エッジ』にも登場しているキャラクター。天然の美人でスタッフ受けする性格の吉川こずえに仕事をすっかり奪われてしまう。

こういうりりこの破滅への破滅への道と平行して描かれているのが、作中で「運命の人」的キャラクターを演じている麻田検事。麻田は、多発する臓器販売事件の裏に、違法な整形手術組織があると睨む。そして、その手がかりをつかむため、少しずつりりこに近づいていく。登場時から、りりこの整形を見抜いていた麻田は、りりこの最大の理解者であると同時に最大の敵たる存在なのだ。

以上、大雑把なあらすじである。

この後も、りりこの破滅への道が描かれていく。

■『ヘルター・スケルター』と『pink』、『リバーズ・エッジ』

さて、先に『へルター・スケルター』を『pink』や『リバーズ・エッジ』と並ぶ傑作と評したが、実際はこの二作品と決定的に違う点がある。

『pink』は、売春を繰り返しながら自宅に飼っているワニを可愛がるOLユミちゃんが主人公。『リバーズ・エッジ』は学校の近くに放置されている死体を見て安心する少年少女が主人公。両作品とも、心の拠り所をワニや死体といった外部に置いている。

それに対して、『ヘルター・スケルター』で主人公りりこが心の拠り所とする大切なもののは、整形で得た美貌。これは身体化されているという点で、ワニや死体と比べ本人との一体感が強い。しかし、その美貌は他人から与えられたものであり、しかもアザができたり髪が抜けたりと少しずつ失われていくものだ。

『pink』では、ワニは継母の手によっていきなりハンドバックにされてしまった。『リバーズ・エッジ』では、他人の目にさらされないように、死体は地中深くに埋められてしまう。前者では、他者の悪意により大切なものを不意に失ってしまう。後者は、自分の意思で大切なものに別れを告げる。

そして、『へルター・スケルター』では、大切なものが徐々に失われていくという恐怖感こそが物語を動かしている。少しずつ崩れていく美貌、麻田検事の追及の手、内からも外からも彼女の大切な美貌を奪われていくのだ。正直いって、こういったスリルは、それまでの岡崎作品にはなかったものであり、月並みな表現であるがホントに読んでてグイグイ引き込まれていく。

基本的に岡崎京子の漫画は、心の欠損を何かで埋める少女の話が多い。つまり一般的な少女漫画と同じである。ただし大きな違いは、一般的な少女漫画では運命的な出会いをしたあの人、または一生の仕事、しまいには愛の結晶たる子供といったものが、心の埋めモノとして機能している点である。

岡崎京子の漫画だって、彼氏・仕事・赤ちゃんといったものは当然出てくる。しかし、それらは埋めモノには決してならない。ワニや死体といった他人からみたら「何でそんなもんに執着するの?」というものが、埋めモノになっているのだ。『へルター・スケルター』では美貌という比較的、読者が了解しやすいものが使われている。しかし、いったん読んでみると、「何で、そこまでして美しくなりたいの?」と言いたくなってしまう。でも、それは例えば『pink』を読んで、「何でワニ飼うために売春してんの?」というのと同じことだ。どっちも愚問でしかない。

岡崎京子が描いていたものは、愛とか仕事とかいった最大公約数的な「大切なもの」に安住できない人たちの姿である。または、そういうものをどうしても見つけられない人たちの姿である。それを漫画で描いたことこそ、彼女の最大の功績だと思う。

さてしかし、実は『へルター・スケルター』と『pink』、『リバーズ・エッジ』との最大の違いは、実はラストにある。次章ではそれを書くが、当然ネタばれしてしまう。なので、自分の目でラストを確認したいという方は、どうぞここで読むのを辞めてください。 >>次頁

page 2/3
==========
ホームに戻る
インデックスに戻る
*
前ページへ
次ページへ