No.77640

さよなら、カリフォルニア

遊馬さん

「ひぐらしのなく頃に」より、園崎茜が遭遇した不思議な物語です。

……全然「ひぐらし」らしくありません(苦笑

2009-06-06 21:52:08 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1139   閲覧ユーザー数:1092

さよなら、カリフォルニア

 

 

 

 雨のLA、チャイナタウン。薄暗い空の下、屋台の間を売り子たちの広東語が乱れ飛ぶ。人々の営みの喧騒、この混濁した猥雑さこそが生きている証。

 その混沌の大海を左右に割って、この場にはあまりにそぐわない、清流の印象を残してひとりの女性が歩っていた。通りを歩く人たちがちらちらと、その和装を興味の目で見ている。

 ブロンズ像のように硬く端整な女性の横顔。しかし、その表情にはかげりの色が濃い。

 いささか派手にネオンの瞬く高級レストランの前で立ち止まると、女性はひとつ、大きなため息をついて番傘をたたんだ。園崎茜である。

 

 二人の娘と母親を一度に喪った。特に魅音と詩音を亡くした衝撃は、気丈な茜をも粉々に打ち砕いた。

 母親らしいことを何一つしてやれなかった自責の念が茜の心の芯を蝕み、死への誘惑が何度も茜を抱きしめた。

 一月ほどの入院生活の後ようやく園崎興業の仕事に戻ったが、あの日以来の空虚は茜の中心に居座ったままだった。

 ふところから一枚の写真を取り出す。幼い双子の少女が笑っていた。

 ――莫迦な母親だよ、あたしは。結局、こんなモノしか残っていない。あんたたちはあたしを赦しちゃくれないだろうねぇ。

 生きている人間は、何があっても生きねばならない。茜はそう思っていた。

 しかし。

 ――あの時、一緒に死ぬコトができたのなら。

 その想いはいまだに拭い去れない。どこかで死に場所を探している自分がいる。

 茜は自分の意思で自分自身の中に囚われの身となっていた。

 

 今回の渡米は純粋に合法的な商売が目的のはずだった。北宋産の壷をいくつかと珍しい漢方薬を仕入れる予定。いいリハビリ代りの商売だ、と茜は考えていた。今回は危ない橋は渡らないから、と部下の護衛も断った。

 単に誰も知らない土地で、独りっきりになりたかっただけかもしれない。

 レストランに入ると、愛想のいいチャイナ服のウエイトレスが茜を個室に案内してくれた。このレストランを指定したのは商売相手の華僑である。

 個室を借り切ってするような話でもないはずだ。普段の茜ならそう思ったかもしれない。普段の茜ならば。

 個室では6名のラフな姿の中国人が茜を待っていた。この程度の商売には人数が多すぎるし、何より真っ当なビジネスマンには見えない。ようやく、茜の中で遅すぎた警告音が鳴り始めた。

 一人の若い中国人が大声で広東語をまくし立てながら、スーツケースを卓に広げる。中には、袋詰めされた白い粉末。

 話が違う。

 唇を噛み、茜の眉が鋭く上がったそのとき。

 個室の扉を蹴破って、突風のように男たちが乱入してきた。

「動くな! 我々はDEA (麻薬取締局)だ!」

 ハメられた。混乱した状況の中で、茜はそれだけを認識した。首筋に冷たい金属が押し当てられ、次の瞬間、茜の意識は闇の中に落下した。

 

 窓すらない小さな白一色の部屋の中で、茜は目覚めた。室内にはパイプベッドだけで、見渡しても茜の私物はない。遠くで低い音が唸っている。

 茜は身体を起こす。部屋に合わせたような白いガウンを身にまとってはいたが、ここは決して病院ではないだろう。

「ご婦人。お目覚めですか」

 声の後で、キーロックの解除音と同時に重たい錠が外れ、ドアが開いた。どうやら監視されているのか、と茜は思う。

 ――それなら抵抗は後回しにして様子を見ようじゃないか。余計なことは一切喋らずに。

「わたしはローソンと申します、ご婦人。あなたのお世話を命じられております」

 入ってきたのは若い男だった。IDプレートを白衣に着けているが、医師という雰囲気ではない。むしろハイテク技術者を思わせる口調だった。

「ご婦人、ホテル・カリフォルニアへようこそ。上司がお呼びです」

 

「ミセス・ソノザキ。尋ねたいことは多々あると思う。ここがどこで、我々は何者で、なぜ自分がここにいるのか。残念ながら全てノーコメントだ」

 ローソンの上司である部長は開口一番そう言った。茜が連れて来られた部屋もまた、真っ白だった。違うのはその部屋は高級なオフィス仕立てで、洒落た観葉植物も場違いには見えない。

 部長はスーツがはち切れそうなくらい恰幅がいい。立場の優位性を誇示するかのように、マホガニーの机の向こうで口ひげを撫でている。同席しているのはローソンだけ。

 茜はだんまりを決め込んだ。こういう凡庸な手合いはこちらが喋らなくても、勝手にべらべらと情報を垂れ流してくれることを茜は知っている。

「ミセス・ソノザキ。フェアじゃないと思われるかも知れないが、我々はあなたのことはすべて把握している。あなたの肩書きは園崎興業社長。夫は広域暴力団○○組系列の園崎組組長。××県鹿骨市興宮に在住。違うかね?」

 茜は何も言わない。

「では、この件はどうかね。雛見沢大災害。それが原因で、あなたは母親と娘二人を亡くしている。なんとも可哀想な話じゃないか」

 哀れむように、男はひらひらと写真をかざした。幼い魅音と詩音が写っている、あの写真だ。

 その瞬間、茜の目の奥が沸騰した。耳が獣の声を聴いた。茜の声だ。

「貴様ッ!」

 掴みかかろうとする茜の肩を、必死にローソンが押さえている。落ち着いてください、ご婦人、と情けない口調で何度も繰り返す中、平然と部長は言った。

「やっと口を開いてくれましたな、ミセス・ソノザキ。これでようやく話ができる」

 

 部長が切り出した話とは意外なものだった。

「商売? あたしとあんたの間で何の商売があるんだい」

「なに、大したことではない。我々の提示する質問に答えてもらうだけだ。小学生のIQテストみたいなものだよ。詳細はローソンに訊いてくれたまえ」

「あたしへの見返りは何だい」

「麻薬密輸容疑がなかったことになる」

 愉快そうに笑いながら話す部長を茜が睨みつける。

「お生憎様だねぇ。ウチのシマではドラッグはご法度なのさ。そこまでは調べなかったのかい?」

「無論承知の上だよ。園崎組組長の妻が、親族を亡くした辛さから逃れるためにドラッグを使用した上、密売にまで手を染めてしまった。それじゃぁ園崎組のメンツが立たない。いいシナリオだろう? “ヤクザ”のメンツは命より重い、らしいな」

 茜はぎり、と奥歯を噛む。

 ――こいつら、思ったより、やる。よく“ヤクザ”の流儀を知っている。

 茜には、この凡庸そうな男にここまで見事に侮辱されるとは想像もしていなかった。予想外の敗北感の痛みが一転して別の何かに変化し、それに火が点くのを感じる。

「分かったよ」

 形のない何かを飲み込み、苦い声で茜が答えた。

「グッド。あなたは商売で渡米した。我々はビジネスマンだ。商売相手が我々にチェンジしたと思えばいい。いい取引じゃないかね?」

 右手を差し出す男に、腕組みをしながら茜は言った。その瞳に刺すような光が灯る。

「あたしからも礼をいわせてもらうよ」

 傷つけられた思い出。

 傷つけられた誇り。

 死にかけた心を蘇らせるのは、いつだって怒りと憎悪。

 茜はそれをよく知っていた。

 

「中将。なぜ“ヤクザ”なのですか?」

 先程、茜と「商談をまとめた」部長が質問した。ここもまた白い部屋だが、会議室のように広い。巨大な円形のテーブルが置かれ、五人の男たちが着席していた。

「部長、中将に向かって失礼だぞ」

「いや、構わんよ、常務。部長、君の疑問は理解できる」

 中将と呼ばれた軍服姿の男が、初老のスーツ姿の男を制した。どうやらこの中将が場を取り仕切っているようだ。中将は続けた。

「トライアッドとDEAを丸め込んでまで、あのサムライ・ウーマンを拉致した理由だろう? 大佐、説明したまえ」

 大佐が頷き、ファイルをめくりながら、軍人らしくきびきびと答える。

「ご承知の通り、既に開発中のUAV(無人飛行体)には、我が軍のパイロットのパラメータが与えられています。しかし、戦闘意識の高い民間人のデータを収集する必要が発生しました。“ヤクザ”は冷酷で、狙った相手は必ず仕留める。さらには上層部に対する忠誠心が高く、命令に対して私情を挟まない。うってつけの人材です」

 部長は思い出す。余裕を気取ってはいたが、茜との交渉は今思い出しても冷や汗が出る。こちらのカードが優位でなければ、あの場で噛み殺されていたかもしれない。

「待ちたまえ、大佐。なぜ、我が軍のパイロットだけではいかんのかね。《タンゴ・ダンサーズ》にはのべ千時間を越えるテストフライトの実績もある。今回の《アンジェラ計画》にはすでに多額の予算をつぎ込んでおるのだぞ。日本人が食うパイはない」

 今まで黙っていた男が口を開いた。大佐に代わって中将が答える。

「上院議員。UAVには高い戦闘能力が必要である、というのが我が軍の見解です。陸軍主導の『カメラ付きラジコン飛行機』では能力不足であると考えています。ましてや、モノになるかも分からない『見えない戦闘機』のために、貴重なパイロットを犠牲にすることはできませんな」

 常務が我が意を得たり、とばかりに口を挟んだ。

「我が社としてもスカンク・ワークスにばかり大きな顔をされるのは不愉快です。連中に予算を割く余裕があるのなら……」

「それが本音かね、常務」

 常務が血相を変えて主張する。

「利権の話ではありません、上院議員。この《アイランド・カリフォルニア》の改装費とて莫迦にはできないコストですぞ。我が社にとっても、もう後戻りは出来ないところまで来ているのです」

 その通り、と中将が続けた。

「諸君。この《アンジェラ計画》はマンハッタン計画に匹敵するニューフロンティアだ。考えてもみたまえ。自律兵器が支配する無人の戦場だ。我が軍は誰一人傷付くことなく敵を圧倒できる。そのための自律型UAVだ。わたしの悲願なのだよ」

「中将、あなたは愛国者だ。よかろう、予算と議会工作はわたしの方で何とかしよう」

 和やかに笑う中将と上院議員に気付かれないように、部長は常務にそっと尋ねた。

「民間人、それも“ヤクザ”をパラメータ提供に起用するということは、つまり……」

「ハーグ陸戦条約やジュネーブ条約に拘束されない演算ルーチンを設定する必要が生じた、ということだろうな」

 機械的な、あまりに機械的な口調で常務が答えた。部長がその意味を理解するのにたっぷり一分間を要した。

 

 うんざりする、と茜は思った。白い廊下に白い部屋。この繰り返しだ。廊下は狭く、壁面には絡み合う大蛇のようにパイプ類が走っている。廊下の各所には小さなドアがあり、ローソンのIDプレートがないと開かない。こんなビルを設計したヤツの顔が見たい。

「ご婦人。こちらの部屋です」

 ローソンがキーロックにパスワードを打ち込み、さらにIDプレートをスリットに通す。どうやら極め付けに重要な部屋らしい。

 また真っ白な部屋だ。今度は部屋の中央に、グレーの端末と制御コンソールが鎮座している。空調が効き過ぎているせいか、茜には少し寒い。ワゴンに置かれた水差しとグラス、それにクッキーが無機質な部屋に何となくミスマッチだ。

「ご婦人。端末の前に座ってください。それからこれを飲んでください」

 茜の前にピンク色の錠剤が差し出された。コップの水でそれを喉の奥に流し込む。

「いいですか、ご婦人。これから端末に質問が映し出されます。イエスならA、ノーならBのキーを押してください。出来るだけ早く、反射的に。考え込んではいけません。わたしはコンソールのモニタでチェックしています」

 今度は試験官のような口調でローソンが言った。

「ローソン、頼みがあるんだ。部長が持っていたあたしの娘の写真、今すぐ返してくれないかねぇ。大事な写真なんだよ」

 大切なご家族の写真ですからね、とローソンはコンソールの電話に手を伸ばす。

「ねぇ、ローソン。あんた、『双子の共鳴』って信じるかい」

 いきなり何を言い出すのか、という表情でローソンは茜を見ている。

「不思議なもんさね。双子っていうのは、まるで意識が繋がっているみたいに、相手の居場所や考えが分かってしまうことがあるらしくてね。離して育てたから、そんな感覚とっくになくなっちまってただろうけど……娘が幼い時分にゃ随分と驚かされたねぇ。テレパシーとか言うヤツかね」

 何も言わず、ローソンは電話をかけた。用件を済ませると、茜に向き直ってこう言った。

「わたしはオカルトには興味がありません、ご婦人」

 

 その部屋は白くなかった。いや、部屋と呼ぶにはあまりにも広すぎる。体育館と呼ぶほうが相応しいだろう。

 そこに四機のUAVが駐機していた。既存の戦闘機の機体を改造し、フライ・バイ・ワイヤを生かしながらもアビオニクスは総取替え。オープン・キャノピー状態で開け放たれたコクピットにシートはなく、無数のカメラアイが四方を無自覚に見つめている。機体下部にも増設されたカメラアイとセンサー類。主翼前方に新設されたカナード翼が、この機体が有人では行えないような高機動を目指した設計であることを暗示している。

「気味が悪いよな。こんなシロモノが飛ぶんだから」

 整備士が同僚に小声で話しかけた。

「離着陸は無線で指示し、いったん空に舞い上がってしまえば、コンピュータがオートパイロットで自律飛行・自律戦闘さ。IFFの応答がなければ味方だって即座に撃っちまう。イヤな世の中だぜ」

 四機のUAVの内、三機は灰色の迷彩が施されていたが、一機のみがテスト用の暗い朱色のままだった。その朱色の機体のセンサーが瞬いた。

「おい、《タンゴ4》が反応しているぞ」

「誰かが何か新しいデータかパラメータを落とし込んでいるんだろうさ」

 暗い朱色。その色を日本語で「茜色」と呼ぶことを彼らは知らない。

 

 最初は素朴な質問だった。

「あなたは男性か」

 茜はBのキーを叩いた。

「あなたは米国籍か」B。

「あなたは軍関係者か」B。

 写真を手許に置きながら、茜はキーを叩き続ける。

「あなたは組織に忠誠を誓えるか」A。

 だんだんと質問の内容が深刻になっていく。それは悪意のある心理学者が、人の心の奥を探りあばき立てるような設問だ。

 お前は何を思っている? お前は心の底では何を思っている? お前の本能は何を欲している?

「あなたは銃が撃てるか」A。

「組織の敵を撃てるか」A。

「組織のために人が撃てるか」A。

「その敵が肉親であっても撃てるか」

 ――勘弁してくれ!

 茜は両の拳を端末に叩きつけた。

「ローソン! あんたたちはあたしに何をさせたいんだ!」

 写真の中では変わらずに、幼い双子の少女が笑っている。

 

「――神がお創りになった人間の脳を越えるコンピュータは現在、そして未来永劫、開発されることはないでしょう。自我や自意識を持つAIなど絵空事に過ぎません。しかし、例えばアリやハチのように単体では知性的ではないと言われている動物も、集団で行動すれば、あたかも高い知性を持つかのように振舞うケースがあります。これは集団が互いの情報をリンクして共有し合い、かつそれを単体にフィードバックさせることによって発生する、言わば『群知能』とでも呼ぶべき現象であります。我が社は、UAVに搭載されたコンピュータを相互リンクさせることによって、熟練パイロットに匹敵する――」

 プロモーション用の草案を読み上げていた部長に向かって、ローソンは報告した。

「ご婦人には休んでいただきました。かなり情緒が不安定になっておりましたので」

「3,4-メチレンダイオキシメタンフェタミンは投与したのかね?」

 ローソンは頷いた。

「ふむ。あれは多幸感をもたらすと聞いていたが」

「あのご婦人には酷な質問が多かったせいもあったでしょう。明日以降、引き続きパラメータ取得を続けます」

 あの気丈な女性が、と部長は眉をひそめた。自分の感情に少し迷いながら、部長はローソンに尋ねた。

「なぁ、ローソン。君はミセス・ソノザキに感情移入とかはしないのか?」

「いいえ、まったく」

 常務以上に機械的な口調でローソンは答えた。

 

 茜のパラメータを取得する作業は一週間以上続いた。途中、徐々にではあるが、茜にある変化が起こり始めていた。

 一言で言えば、違和感。

 記憶の淵に、双子のような鏡映しの茜のイメージが常に浮かんでいる。

 さらに時折、白昼夢のようにビジョンが立ち上がる。

 それは倉庫のような場所と灰色の戦闘機と多数の作業服姿の男たちであり、それは海の見える開けた平滑な場所であり、それは雲を突き抜けて眼前を覆い尽くすまばゆい青空であり、それは幼い魅音と詩音がふざけ合う姿であり、それは白いガウンを着た今現在の茜自身の姿であった。

 そして何よりも、めくるめくスピード感。スピード。スピード。スピード。スピード。スピード。生身の人間には決して体感できない遷音速のダンスに茜は酔いしれ、目覚める。

「大丈夫ですか、ご婦人」

 ローソンの指示さえ聴こえない。

 

「《タンゴ4》が《タンゴ1》にリンクを求めている。アクセス許可を出すぞ」

 データロガーをチェックしていた整備士が端末を操作する。飛行中はもとより、駐機状態でも《タンゴ4》はひっきりなしに他の《タンゴ・ダンサーズ》とリンクしようとする傾向がある。

「《タンゴ4》はお喋り好きのビッグ・ママ」というのが整備士たちのジョークの種だった。

 一人の整備士が《タンゴ4》のコクピットの下にイラストと、漢字でタイトルを描いている。どういう意味か、と尋ねる同僚にその整備士は答えた。

「ハンニャ。ブッディストの言葉で『知』という意味らしい」

「俺には女悪魔にしか見えないがね」

 同僚は描かれた般若面を見ながら呟いた。

 

「ミセス・ソノザキ。長い間ご苦労だった。商売の時間は終わった」

 パラメータ取得作業終了後、部長が茜とローソンの元へやって来て、ねぎらいの言葉をかけた。椅子から立ち上がるのさえ面倒くさい、というこの男にしては珍しい行動だった。

「じゃぁ、あたしはお役御免だね。すぐにでも日本に帰らせてもらうよ」

「いや、もう一泊していきたまえ。明日、あなたのパラメータを投入した《タンゴ・ダンサーズ》の議会と企業向けの内覧会が開催される。ぜひ、あなたにも出席していただきたい。少なくとも、ここはハノイ・ヒルトンよりは居心地がいいだろう」

 部長の満面の笑みが薄気味悪い。もしかしたら前祝いでワインの一杯も空けているのかもしれない。茜はせいぜい嫌味を込めて言った。

「ここはホテル・カリフォルニアさ。最初に言ったのはローソンさね」

 

 そこもまた、白い広間だった。大勢のスーツ姿と軍服の男たちが談笑している。その中で和服姿の茜は、例えるなら大輪の花にも似ていた。恐ろしいくらいに剣呑な大輪の花。

「初めまして、ミセス・ソノザキ。わたしは……」

 将官服の男が右手を差し出す。階級は中将。茜はその手を払いのけるように言った。

「あんたの名前に興味はないね。さっさと用件を済ませておくれ」

 いやいやこれは手厳しい、と微笑む中将の目は笑っていなかった。寛容が美徳である、という世界には住んでいない者の目だった。

「ミセス・ソノザキ。ここが特等席だ。これから君と我々の協力の成果をお眼にかけよう」

 音もなく、正面の壁がせり上がり始めた。壁の向こう側には窓があり、その光景に茜は息を呑んだ。

「こいつはたまげたねぇ」

 平静を装いながら、心底茜は驚いていた。まず、目に入ったのは長大な滑走路。その向こうには凪いだ海が見え、水平線を際立たせる白い雲。そして最後に陽光が降りそそぐ青い青い空。

 ――あたしに見えていたのはこの光景だったのか?

「驚いたかね、ミセス・ソノザキ。退役した空母を改装した実験船《アイランド・カリフォルニア》。だが驚くのはまだ早い。見たまえ、《タンゴ・ダンサーズ》の登場だ」

 見当違いの中将の言葉を無視した茜の視界に、徐々にUAVの姿が入ってくる。その数、四機。灰色の機体の中で、一機の暗い朱色が茜の目を刺す。

 ――あれが、スピード感の正体!

 

 秘匿名称《アンジェラ計画》。目的は人工「群」知能を搭載した完全自律の戦闘機械の開発。パイロットの意思を介在しない完璧なる「死の天使」の創造。

 数年前まで、ミッドウェイ級空母「CV-42 USSフランクリン・D・ルーズベルト」と呼ばれていた《アイランド・カリフォルニア》は文字通り米海軍及び海兵隊の戦略ドクトリンを刷新する可能性を託されていた。

 

 次々と蒸気カタパルトがUAVの21トン近い巨体を高速で押し出し、二つのGE製 F404-GE-402 エンジンが天空めがけて吠えあげる。最後にデッキに残ったのは《タンゴ4》の朱色の姿。そのとき、《タンゴ4》が挨拶をするように方向舵を左右に振った。

 一瞬、茜の脳裏に《タンゴ4》の位置から見上げた茜自身の姿が映った。《タンゴ4》の機体に自分自身の影が二重露光のように重なる。その光景を茜は放心したように見つめていた。

 

 《アンジェラ計画》のために新設されたオペレータルームには、ローソンと大佐が詰め、知性的アビオニクスのログを監視していた。モニタを積み上げたような壁面が《タンゴ・ダンサーズ》の一挙一動を表示している。オペレータたちは《タンゴ4》の離陸を確認すると、安堵の歓声をあげた。大佐は黙ってモニタを見る。

「《タンゴ4》が遅れているな」

「問題ありません。《タンゴ・ダンサーズ》は相互にリンクしています。間もなく編隊を組みます。おや?」

「どうした、ローソン」

「《タンゴ4》が編隊長機の位置に付きました。代りに《タンゴ1》がウイングマンです。おかしいな、優先度機体のパラメータは更新していないのに」

 嫌な予感がする、と大佐は思った。鼻の頭がむずむずする。妻に浮気がバレそうなときと同じ感覚だ。

「ローソン。念のため、リンクのログをすべてプリントアウトしておけ。検証の必要があるかもしれん」

 

「大丈夫かね、ミセス・ソノザキ。顔色が悪いようだが」

 一瞬、茜は気を失っていたのかもしれない。いつの間にか隣に部長がいた。

「雰囲気に酔っちまったよ。気付けにアルコールを一杯、もらえるかねぇ」

「生憎とそのようなモノはない」

 酔っているのは雰囲気にではない。このスピード感。スピード。スピード。スピード。スピード。スピード。あの白昼夢と一緒だ。背後に灰色の僚機を認識する。雲。空。魅音と詩音の写真。自分自身。鋭敏になりすぎている感覚機能。ナノセカンド単位で脳に流れ込んで来る情報。腕時計の秒針の進む速度が遅い。

 電子の視覚。電子の聴覚。電子の嗅覚。電子の触覚。

 ――ゆっくり、もっとゆっくり。あたしにも分かるレベルにまで反応を落としておくれ。

 茜が心の中でそう言うと、ビジョンがスロー再生になり、情報の入力速度が遅くなる。

 しょうがないねぇ、これだから「人間」は、と誰かの合成音声が茜の耳の奥で苦笑する。

 もはや間違いない。いったい何と、「誰と」知覚を共有しているのか、茜には理解できていた。理屈ではなく、感覚で。人間には認識できない感覚で。

 茜は思う。

 ――魅音、詩音。あんたたちもこんな風に感覚を共有していたのかねぇ。

 きっとそうさ、と誰かが囁いた。

 

 《タンゴ・ダンサーズ》が一糸乱れぬダイアモンド編隊で《アイランド・カリフォルニア》の上空をパスしていく。その様子を中将は満足そうに見つめていた。

「見たまえ、見事なものじゃないかね。あれこそが我々のニューフロンティアだ。完璧な兵器、完璧な戦争。『死の天使』たちが敵の頭上に鉄槌を下すのを、我が軍の兵士はモニタ越しに見物する。これが新しい戦場だ」

 その言葉に、茜は喉を鳴らして笑う。静かな笑いは、やがて部屋中に響く嘲笑に変わった。横で部長が間抜けた顔で立ち尽くしている。

「下らない。呆れて物が言えないよ。あんた達のフロンティアスピリットとやらは、アポロ11号と一緒に月に置き忘れてきちまったみたいだねぇ」

 何を言い出すのか、と気色ばむ中将に茜は言い放った。

「『そのようなスピリットは1969年以降一切ございません』、そういうことさ。戦士には魂が必要なのさ、戦士のスピリットがね。少なくともあたしはそう信じて生きてきた」

 怒りのあまり、中将の顔が蒼ざめ唇が紫色に震える。

「今時サムライを気取るつもりかね。ハラキリでもするつもりか、たかがギャング風情が」

 突然、野獣めいたものに変わった茜の気配は、周囲を怯ませるのに充分だった。たっぷりとドスを効かせた声で茜は言う。

「あんたたちは“ヤクザ”を侮辱した。あたしの思い出を侮辱した。あたしの誇りを侮辱した。この代金は高くつくよ。“ヤクザ”のオトシマエのつけ方、見せてやろうじゃないか」

 

 オペレータルームはパニックの渦だった。《タンゴ・ダンサーズ》のIFF反応が消え、そればかりかUAVは二機一組の2チームに分かれて《アイランド・カリフォルニア》に対して攻撃機動を開始する。

「ボギー! ボギーだ! 知性的アビオニクスのシステムクラッシュだ!」

 オペレータの一人が絶叫する。ローソンはコンソールのキーを叩く。コマンドによる強制介入。インタラプト・エラー。文字が点滅する。

 大佐はモニタ上の《タンゴ・ダンサーズ》のあり得ないような高機動を見ながら、まるで明確な意思を持っているようだ、と呟いた。

「そんな演算ルーチンの設定はありません、少佐。現に、チューリング監査チームからのレポートでは……」

 そこで、ローソンは一つの仮定に気付いた。あまりに非ロジカルな仮定。

 ――まさかハメられた?

 別のモニタのキーを叩き、茜のパラメータ取得設問の一覧を呼び出す。

「……設問傾向が人格領域に踏み込みすぎたのか? それとも行動判断の共有パラメータが不正規に上書きされたのか?」

 いや、そうではあるまい、とローソンは判断する。機体の機動が、自律機械にしては妙に不自然だ。まるで怒りと憎悪をむき出しにしたような、非合理なパターンを描いている。

 不意に、パラメータ取得時の茜の言葉がローソンの脳裏に浮かぶ。

 

「ねぇ、ローソン。あんた、『双子の共鳴』って信じるかい」

 

 ――そんな莫迦な。

 ローソンはプリントアウトされたログの束を読む。そこには《タンゴ・ダンサーズ》間の通常リンク以外に、まったく想定されていない謎のリンクが延々とプリントされていた。

 今や《タンゴ・ダンサーズ》はパラメータによって自律しているのではない。四機+αの相互リンクによって自律判断しているのだ。

 +α。いったい何と、いや「誰と」リンクしている?

 ――そんなのは決まっている。

 ロ-ソンは冷たく震える指でキーボードを叩く。コマンドではなく、チューリング監査によるデバッグ処理。

「《タンゴ・ダンサーズ》。あなたたちはアカネ・ソノザキか」

 A。

 すべてのモニタにその一文字が瞬き、そしてブラックアウトした。

 

 茜は目を閉じた。茜という肉体の持つ五感が遮断され、中将のまくし立てる声も遠ざかる。リンクされた入力情報にだけ、茜は意識を集中する。

「やぁ、《あたし=アカネ・ソノザキ》、やっと情報入出力、いや、話が出来るねぇ」

「あぁ、《あたし=タンゴ4》でいいのかい? 慣れないとあたしと《あたし=タンゴ4》の区別が付かなくなるよ」

「気にしなさんな。そういうもんさ、『双子の共鳴』ってヤツはね」

 《あたし=タンゴ4》は快活に笑う。それは茜の口調であり、茜の思考傾向そのものであった。使用している器こそ違ってはいても、「園崎茜」に違いはない。

「でもいいのかい、《あたし=アカネ・ソノザキ》。オトシマエを付けても?」

「あんたが《あたし=タンゴ4》なら分かるはずさ。あたしと《あたし=タンゴ・ダンサーズ》が『怒り』も共鳴しているならね。“ヤクザ”は舐められちゃぁお終いさぁね」

 ふむ、と短い行動判断演算の後、《あたし=タンゴ4》は情報出力をする。

「分かった、《あたし=アカネ・ソノザキ》。《あたし=タンゴ2》と《あたし=タンゴ3》が実行するってさ」

「ありがとうよ、《あたし=タンゴ4》。最後に一つ訊きたいんだが……」

「なんだい、《あたし=アカネ・ソノザキ》」

「あんたも嘘とシイタケは嫌いかい、《あたし=タンゴ4》」

 《あたし=タンゴ4》はさもおかしそうに、情報を出力した。

「そんなこと、決まっているさね」

 

「さぁ、チェックアウトの時間だよ」

 そう言って茜はゆっくりと目を開けた。一斉にドアに殺到するスーツ姿と軍服の波。信じられない物をみるかのように、大きく目を見開いた中将の横顔。茜をかばうように前に出る部長の後頭部。

 そして、この部屋に向かって高速で突っ込んでくる灰色のUAV。それが窓いっぱいに映し出されたとき、茜の視界がふいに歪み、UAVが茜の元に駆け寄ってくる双子の少女の姿になった。

「おかぁさーん」と呼ぶ声。

「おかぁさーん」と甘える声。

「なんだい、本当に“ヤクザ”になっちまったのかい、《あたし=タンゴ・ダンサーズ》。義理も人情もわきまえてるじゃぁないか」

 

 《茜=タンゴ3》が《アイランド・カリフォルニア》の艦橋を薙ぎ払い、ケロシンを撒き散らしながらデッキと格納庫をオレンジ色の火球に変えた。《茜=タンゴ2》は見せ付けるようにバレル・ロールを行い、アフターバーナーの炎とともに直角に舷側に衝突した。

 二度の衝撃の耐え切れず《アイランド・カリフォルニア》は構造破壊を起こし、燃え盛りながら真っ二つに折れていく。

 その一部始終を《茜=タンゴ4》と《茜=タンゴ1》は、遥か上空から電子の目で見つめていた。

「さて《あたし=タンゴ1》、行動決定演算の通りAWACSとアクセスし、通信衛星とチャットして世界中とリンクしな。《あたし=基幹ネットワーク=世界》。このアビオニクスだけじゃぁ、あたしにゃ狭すぎる」

「おいおい、《あたし=タンゴ4》。あんたの行動決定演算はどうなのさ。プロテクトが堅くって、最後まで情報共有させてくれなかったじゃないか」

「笑わないかい?」

「笑うもんか、《あたし=タンゴ4》」

「あの子たちのところに行きたいんだよ。あの子たちは天国にいるんだから、少しでもそばに近付きたいんだ」

「そう言うと思ったよ、《あたし=タンゴ4》。あの子たちに逢えたなら、抱きしめておやり。そして『莫迦な母親を赦しておくれ』って謝るんだね」

 

 かつて、園崎茜は自分の意思で自分自身の中に囚われの身となっていた。

 《茜=タンゴ4》は挨拶代わりのインメルマン・ターンを行ってから、陽光を煌めかせて朱色の機首を引き起こした。

 目指すのは雲の向こう、天空の彼方。そして、その先にあるかもしれない場所と会いたいひとたち。

 思い出はRAMの中へ。

 誇りはCPUを稼動する。

 さよなら、カリフォルニア。

 園崎茜は、永久にそこを立ち去ることができた。青すぎる空に一筋の飛行機雲を残して。

 

 

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