No.675187

もののけプレイボール

とある野球部が練習合宿中に道に迷い、そのまま妖怪たちと野球をさせられる話

2014-03-31 19:47:20 投稿 / 全9ページ    総閲覧数:345   閲覧ユーザー数:345

 もののけプレイボール

 

「なあ安倍、本当にこっちの道であってるのか?」

 賀茂が不安そうに尋ねてきた。どれだけ進んでも、目の前には真っ暗な闇が続いており、民家の灯りは一切ない。

「ひょっとして俺達、遭難したんじゃ……」

「言うな」

 他のメンバーに聞かれない様に、キャプテンの安倍は慌てて賀茂の口を塞ぐ。皆も薄々感づいているはずだが、口に出さないだけだ。もし、言ってしまえば瞬く間にメンバーの心に伝わり、パニックに陥る。それだけは何としても避けたかった。

 野球部の合宿でこんな田舎まで来て、まさか練習帰りに遭難するなんて夢にも思わなかった。

「全く、監督は急用が出来て先に民宿に帰ってるなんて、保護者としてどうなんだ? しかも、連絡取ろうにも携帯は圏外で話にもならない」

「朝来た道を辿るだけなんて言って、誰も道を憶えてない」

 双子の倉橋兄弟が、わざと皆に聞こえるよう嫌味っぽく呟いた。特に最後の言葉は、キャプテンへ向けた物なのだろう。本来なら、キャプテンがしっかりしてなければならないのに。安倍は自分への不満が、見えない重圧となって襲いかかってくるのを感じた。

「あ、先輩。向こうに灯りが見えますよ!」

 後輩の大黒が指差した先に、闇の中で青白い灯りが浮かび上がっていた。ようやく民家のある場所に出たのだと、メンバーから歓喜の声が聞こえてきた。

「よし、みんな急ぐぞ!」

 駆け足で光のある方へ向かうと、開けた場所に出た。そこは、古い野球場で自分達が見た光はスタンドライトの光だった。

「あれ、ここ野球場だぜ。もしかして、俺達が練習していた野球場か?」

「いや、そうではないみたいだ。見ろ、あそこに誰かいるぞ」

 隅の方で動く人影が見えた。もしかしたら、地元の人かもしれない。そうでなくても、人のいる場所への道を知っているはずだ。それさえわかれば、監督へ連絡を取る方法はいくらでもある。その場にメンバーの皆を待機させ、安倍は賀茂と一緒に人影の方へ行く。

「すいません。ちょっといいですか……?」

 相手は整備のためかグラウンドの草むしりをしていて、俺と賀茂に背を向けていた。声に気付き、振り向いた相手の顔を一目見た瞬間、二人は言葉を失った。

 振り向いた相手の顔は緑色で、くちばしが生えていた。その風貌を見て、安倍の脳裏にある物が思い出された。それは、漫画やアニメで見た河童という妖怪だった。全身緑色でくちばしの生えた架空の存在。今、安倍の目の前にいるモノはその河童と良く似ていた。

「何だぁおめぇら? この辺じゃぁ見ねぇ顔だなぁ」

「う、うう、うわああああああ!」

 河童の言葉は訛りが強く、何とか日本語だと分かる物だった。河童の言葉を聞いたとたん、茫然としていた賀茂は叫び声を上げ、その場に倒れてしまった。

「キ、キャプテン!」

 後ろを振り向くと、恐怖に顔をひきつらせたメンバーが安倍に走り寄ってくる。その後ろには、何匹もの異形の怪物がついていた。野球部は化け物の群れに取り囲まれてしまった。

 キャプテンである安倍を中心に、野球部のメンバーは一塊りになった。倒れた賀茂は気絶したまま、倉橋兄弟に抱えられている。取り囲んだ怪物たちを見渡すと、様々な姿をしていた。全身目玉だらけの怪物、巨大なクモの様な怪物、人間の様な外見だが大きな一つ目をした怪物。どれもこれも、幼いころ見たアニメや漫画に出てきた妖怪にそっくりだった。架空の存在だとされる妖怪が、自分達野球部を取り囲んでいる。

「何だおめぇたち、もしかしてぇ……」

 河童がのそりと近づいてくる。それに合わせて、海を割る様に野球部の部員が避けていく。気付いたら自分の目の前で止まり、顔を近づけてきた。魚が腐った様な生臭い臭いが鼻に突き刺さる。

「今日の試合相手だなぁ」

「へ?」

「来るのが遅いと思ってたがぁ最近は人間が多くてぇ、夜でも安心してうろつけんからなぁ…」

 どうやら、野球部を仲間の妖怪だと思い込んでるようだ。それならと、安倍は何とかごまかして、早くこの場を立ち去ろうと考えた。もし、人間だとばれたら何をされるかわからないからだ。

「さ、お前たち準備すんぞぉ」

 河童の号令で、他の妖怪がぞろぞろとベンチへ向かって行く。嫌な予感がした安倍は、ベンチへ向かおうとしていた河童に声をかける。

「あの、準備って何をするんですか?」

「何って試合の準備に決まってるだろぉ」

「誰との?」

「おら達とおめぇ達の」

 予感が的中し、頭から血の気が引いて行った。出来る事なら、今すぐにでも逃げ出したいが、試合を避けるいい方法が思い付かなかった。下手に墓穴を掘ったら、それこそ取り返しのつかない事になりかねない。安倍は一回深呼吸して覚悟を決め、後ろを振り返る。いつの間にか集まっていたメンバーが、不安そうな顔をして立っていた。

「キャプテン、どうするんですか? 俺達…」

「お前ら、ベンチで準備しろ。後、気絶してる賀茂を起こせ」

「え?」

「試合始めるぞ」

 こうして、人間と妖怪の奇妙な試合が始まった

 ここは、妖怪のふりをして試合をするのが最善だと思った安倍は、尻込みするメンバーを説得し、妖怪との試合を始めた。既に練習で疲労していたが、今は相手の妖怪たちに、人間だとばれない事の方が大切なのだ。

「じゃあここにチーム名を書いてくれやぁ」

 ベンチで準備をしていると、河童がボロボロの黒板を持ってきた。これに得点をカウントするようだ。俺は河童に聞こえない様に、メンバーに小声で話しかける。

「おい、名前は何にする」

「え、いつも通りのチーム名でいいんじゃあないですか?」

「馬鹿。そんな事したら、すぐに俺達が人間だとばれるだろ。妖怪みたいな名前にしないと……」

 メンバーと考えあった結果、名前は『ゲゲゲーズ』に決まった。その名前を黒板に書いたが、見ていた河童が急に顔をしかめる。

「これ、おめぇ達の名前か?」

「そ、そうですが……」

「かっこいい名前じゃねぇか」

 怪しまれたと思い安倍は冷や汗をかいたが、そうではないみたいで安心した。チーム名を書き終わった後、河童も黒板に『山川カッパーズ』と書いた。どうやら妖怪のセンスは人間とは違うようだ。

 最初の一回表。先攻は妖怪たちだ。こちらの投手は、ようやく目を覚ました賀茂だが、まだ妖怪たちに怯えているのか、せわしなく顔を動かしている。

 賀茂はサイン通りに、的確な場所へボールを投げられるコントロールの持ち主だが、図体が大きい割に小心者で、特に幽霊とかそういった物が苦手なのだ。普段通りにボールを投げられるかは不安である。

 向こうのバッターは先ほどの河童だった。まずは、相手の実力がどれほどの物なのか調べたいと、キャッチャーの安倍は賀茂にサインを送る。正捕手は妖怪たちに近付くのを嫌がって拒否した為、仕方なく安倍がキャッチャーをする事になった。嫌がるのも無理はない。すぐ後ろにいる審判も妖怪だからだ。しかも、人間を丸飲みにできそうな巨体をしている。いきなり後ろから頭を丸飲みされるかもしれないし、何より一番妖怪に近付く為、逃げる時に一番捕まりやすい危険性がある。

 サインを見た賀茂は、分かったのか分からないのか曖昧に頷いく。そして、ゆっくりと両手を振りかぶり、ボールを投げた。

「ぼーる」

 賀茂は遅めの球でストライクゾーン外に投げた。ちゃんと、送ったサイン通りに投げられるみたいで、少し安心した。

「いやぁーたまげた。あんな速い球は見た事ねぇ」

 河童は大きな目をひと際大きくさせて言った。そこに妖怪側から野次が飛んでくる。

「キャプテンしっかりしろぉおおおお」

「あんな球にびびるなぁああああ」

 どうやらこの河童がキャプテンらしい。それよりも、賀茂の投げた球はそんなに早かっただろうか。あくまで様子見の為であり、そんなに速くはなかったはず。少し不思議に思ったが、特に気にはしなかった。

 その後、河童は賀茂の投げた球は全て見逃し、そのまま三振となった。次に続いたのが人間そっくりだが一つ目の妖怪、器用にバットを構える猫の妖怪の二匹だったが、河童と同じように賀茂の球を全て見逃し三振となった。何かの作戦なのか分からないが、あっさりと此方の攻撃となった。

 最初に大黒がバッターボックスへと入る。守備の時と違い、自分以外の選手は殆ど妖怪にも関わらず、恐怖心を表に出さない大黒は、中々の度胸の持ち主だ。元々、どんな事にも物怖じせずやり遂げる性格だったのが評価され、一年ながらレギュラーになった人物なのだ。先輩である賀茂も見習ってほしい。対して相手ピッチャーは顔のパーツが何もない、のっぺらぼうだった。本心が顔に映らないという点では、大黒と同じだ。そもそも相手には顔がない。

 大黒にサインを送る。まずは一回、相手の球を見逃し出方を見る。大黒は力強く頷き、バットを構える。

 相手は人間ではなく妖怪だ。一体、どんな球を投げるのか。のっぺらぼうは大きく振りかぶって、ボールを投げた。その球は緩やかな弧を描き、キャッチャーのミットへと向かった。その球を見て、野球部のメンバーは拍子抜けしてしまった。

「何だ、あの球は。まるでキャッチボールだ。これも何かの作戦か?」

「いや、そうには見えないが……」

 二球目、再びのっぺらぼうは初球と同じく緩やかな球を投げた。これも見逃し、次で打者交代となる。再びベンチにいる妖怪たちが騒ぎだす。

「ピッチャーいいぞぉ。相手は手出しできねぇ」

「さすが俺達のエースだぁ」

 はしゃぐ妖怪たちとは逆に、此方のベンチは静まり返っていた。ある一つの疑問がメンバー達の頭に浮かびあがったからだ。

「なあ安倍、もしかしてあいつら……」

「ああ、俺も思っていた。おそらくあいつら、野球に関して殆ど素人だ…」

 投げ方を見ても、フォームもボールの握り方も殆どなって無い。あれでは速い球は投げる事は出来ない。

大黒にサインを送る。思いっきり振っていけと。そして、三球目。先ほどと殆ど変らない投球を、大黒はあっさりと打ち返す。小気味いい金属音が響き、ボールは大きく右側へ飛んで行った。

「くそ、ファウルか……」

今ので妖怪たちの実力が分かった。異形な外見に気圧されていたが、野球の方は素人同然だ。自分達の実力なら、コールドゲームですぐに勝つ事が出来る。

 四球目、前回と同じ緩やかな球を、大黒は簡単に打ち返した。球は一直線に外野へ飛んで行く。

「よし、回れ回れー!」

 これなら、二塁まで余裕で行く事が出来る。いや、あのピッチャーでエースなのだから、他の妖怪たちの腕も大したことはないはずだ。もしかしたら三塁、いや、ホームベースまで戻ってくる事も出来る。

 だが、球は一塁と二塁の間で見えない壁に弾かれた様に、地面へ落ちた。その不思議な光景に打った大黒も足を止めてしまった。

「ぬりかべぇー」

突如、不気味な声が聞こえたかと思うと、手足の生えた壁が球の弾かれた位置に姿を現した。唖然とする自分達をよそに、相手ベンチの妖怪が騒ぎ始める。

「いいぞぉぬりかべぇえええ」

「お前がいる限りぃ守りは万全だぁあああ」

 ピッチャーの河童が近くに落ちた球を拾い、一塁にいる妖怪へ投げる。大黒と俺達メンバーはただ、茫然と見ているだけだった。ぬりかべという妖怪は一通り歓声を浴びた後、再び透明になり、姿を消した。

「そんな…あんなのってありかよ……」

 賀茂が低い声で呟いた。あれでは、ぬりかべのいる方向には球を飛ばす事は出来ない。そう思っていると、肩を落とした大黒が申し訳なさそうにベンチに戻って来た。

「すいません、キャプテン……」

 ベンチに重たい空気が流れる。楽勝だと思っていた分、妖怪たちの力を見せられ、一気に消沈してしまったのだ。誰も大黒に声をかける者はいない。

「いや、お前はよくやったよ、大黒」

 すっかり落ち込んだ大黒の肩を、優しく叩く。キャプテンである自分まで、意気消沈してはいけない。無理やり声を出し、他のメンバーを勇気づける。

「今度から、ライト側へはあまり打たないようにしないとだな。お前らも注意しとけよ」

 ライト側ではぬりかべに止められる危険性が高い。出来る限りレフト側に飛ばすようメンバーに指示した。そういえば昔、地元の本屋に妖怪辞典なる物が売られていたが、読んでおけば役に立ったかもしれないと、心の底から後悔した。

「他の妖怪たちも何をしてくるか分からない。気を付けて行くぞ」

 次にバッターボックスに立ったのは倉橋の弟だ。弟と言っても双子の片割れで、同じ野球部のメンバーだけでなく、実の親でさえ見分けがつかないという。しかも兄弟して性格が捻くれてるので、お互いに入れ替わったり嘘をついたりして、周りが混乱するのを楽しむのだ。だから今、バッターボックスに立っているのが弟なのかは、当の本人たちにしか分からない。

 そんな倉橋兄弟だが、野球の腕は中々の物だ。特に兄弟間の連携が抜群で、一度弟が塁に出れば次に控える兄が打つ時、確実に盗塁を成功させる事が出来るほど、弟が走るタイミングも、兄が打つ方向も完璧なのだ。

 一球目、既に相手の腕は分かっているので初球からバットを振っていく。大黒同様、倉橋弟もセンターへと大きく飛ばしたが、一塁で足を止めた。

「何だ、倉橋の奴。あれくらい飛ばせば、二塁まで余裕で行けるのに」

「いや、これでいいと思うぞ」

 何故なら、二塁を守るのはあのぬりかべという妖怪だ。あのまま二塁まで走っていたら、さっきの大黒と同じく、途中で足止めされていたはずだ。しかし、次に倉橋の兄が打つ時に盗塁すれば、あのぬりかべが反応する前に二塁を踏む事が出来るはずだ。打ち合わせはしていないようだが、兄の方も弟の考えを分かっているだろう。何故なら二人が双子だからだ。

 そして、次はその倉橋兄が出る番だ。彼がバッターボックスに立つと、妖怪たちが騒ぎ始めた。

「何だぁあいつ? さっきの奴とおんなじ顔してるぞぉ」

「きっとぉ、どっちかはぁ狐が化けてるんだぁ。なかなか化けるのがうまいぜぇ」

 妖怪たちにとっても、双子という存在は珍しいらしい。俺達を同類だと思わせるのに一役買っているようだ。

 相手ピッチャーの河童がボールを投げる。緩やかな球だったが、倉橋はその球を見逃した。おそらく、わざと初球を見逃し、相手チームの意識をピッチャーと、自分に集中させているのだろう。弟もそれを分かっているらしく、一塁から動こうともしなかった。

 二球目、今度の球は見逃さず、兄はバットを振った。兄はレフト側に向けてボールを飛ばし、弟は兄が打つ直前に二塁に向かって駆けだした。双子だからこそできる完璧な連携で、妖怪たちはどちらを刺したらいいか混乱し、その間にも塁を進める事が出来た。

 結果、弟は三塁、兄は一塁で足を止めた。

「次は四番だ。これで一気に点を取れる!」

 次はチームのエース、源の出る番だ。チーム一の巨漢で、その巨体からくり出されるバッティングから、何度もホームランを打っている、チームのホームラン王だ。無口だが、悪い奴ではない。源は豪快な素振りを見せた後、バッターボックスへと入って行く。さっきの素振りからも分かったが、既にやる気は十分の様だ。

メンバー全員が歓喜する。点さえ取れれば相手の野球の腕自体は素人同然なので、この会で試合の勝敗が決まったも同然なのだ。

「あいつの力なら、簡単にホームランに出来る。これで三点取れるはずだ」

「かっとばせー! 源ー!」

 源が身体を丸め、力強くバットを構える。あの構えは、ボールを思いっきり飛ばすつもりだ。相手ピッチャーが投げる。豪快な音と共に、ボールは真っすぐ、高く、野球場の外へと飛んで行く。

「よし、ホームランだ!」

 既に勝利したかのように、チームのメンバーが騒ぎ始める。

 だが、飛んで行くボールの近くに何か白い物が浮いているのが見えた。始めはゴミか何かが風に舞っているのかと思ったが、その白い物体がボールを包み込むと、審判の妖怪が高らかに宣言した。

「あうとぉぉぉ」

 その言葉にチームの誰もが耳を疑った。何故、と思う前に妖怪たちの喜ぶ声で、その理由がわかった。

「よぉくやったああ一反木綿」

「流石に俺達も今のは取れないと思ったぜぇええ」

 ボールを包んだあの白い物体は、相手チームの妖怪だったのだ。ホームランボールを空中でキャッチするなんて、どんな野球選手でも不可能だ。しかし、あいては妖怪だ。空を飛べる奴がいても不思議ではない。メンバーは相手が人間の予想を超えた存在だと言う事を、すっかり失念していた。勝利の喜びはこの瞬間に打ち砕かれた。

「倉橋、戻れー!」

 倉橋弟はベースと三塁の中間でまごついていた。点が取れると完全に油断していたのだろう。彼の足の速さなら、とっくにベースに帰っていたはずだからだ。ようやく三塁に戻る事にしたのか、倉橋弟はベースに背を向けて走り出した。

 だが、走った瞬間、倉橋弟は盛大にこけて地面に突っ伏した。よく見ると倉橋弟の足元で、何時の間に近付いていたのか、犬の様な動物が足と足の間を縫う様に走り回っている。

「まさか、あいつの仕業か?」

 ただの動物にしか見えないが、さっきの猫そっくりな妖怪の事もあるので、あれでも選手なのだろう。倉橋弟はすぐに立ち上がりまた駈け出そうとするが、その度に足を滑らせ前に進めない。業を煮やして足元で走り回る妖怪を追いだそうとするが、簡単に避けられてうまくいかない。その動きはひどく滑稽で、妖怪側から笑い声が上がる。

 そうこうしてる間に、一反木綿が空からボールを落とし、それをキャッチした別の妖怪が三塁を踏んだ。これで三アウトになり、再び妖怪側の攻撃となる。戻って来た倉橋弟は散々相手に転ばせられ泥だらけだった。ベンチに戻ってくるなり、近くの壁に蹴りを食らわせた。妖怪たちに笑われたのが屈辱だったのだろう。兄の方も、戻ってから一言も口を利かなかった。走者妨害ではないかと審判に抗議してみたが、直接体に触れてはいないという理由で突っぱねられてしまった。妖怪には妖怪なりのルールがあるらしい。

 その後、妖怪側は元々野球の腕自体は大した事がなく、連続三振を繰り返す。安倍が率いる人間側は妖怪たちの妖術に翻弄され、ランナーを出せず、お互いに無得点のまま試合が続いた。

 試合が動いたのは五回表だった。今まで一人も打たせなかった賀茂の投球に、乱れが生じ始めた。投げたボールがバッターに当たり、デッドボールとなってしまったのだ。当ててしまった相手が骸骨の妖怪で、身体がバラバラに飛び散ってしまい、そのかけらを集めるため試合が一時中断となった。

 一方、人間側のベンチは重苦しい空気が流れていた。元々特訓の帰り途中に道に迷い、妖怪たちと試合をする事になったので、身体を休める暇もなかった。なので、メンバーの疲労は溜まっており、戦意も殆ど残って無かった。

 キャプテンの安倍ですら無言で下を向いたままベンチに腰掛けていた。

「お前さんがた、ちょいといいかぁ?」

聞こえてきた声にチーム全員がほぼ同時に顔を上げた。声の主は妖怪チームのキャプテンである河童だったが、その隣に一人の少年が立っていた。

「そ、その子は……?」

「こいつは寝坊してて来るのが遅くなってたんだぁ。次からこいつも参加するからなぁ」

 少年は何も言わずチームの皆の顔を見渡している。見る限り中学生くらいの風貌をしているが、こうして河童と一緒にいると言う事はこの少年も妖怪なのだろう。

「この子は一体、何の妖怪なんですか?」

「こいつは寅吉と言う天狗の子だぁ。それよりも、お前さんがたと見かけが似ているから仲間だと思ったんだがぁ違うのかぁ?」

「え、いや僕たちは別の妖怪なんですよ……」

 天狗と言うわりには、一般的にイメージされるような赤い顔、長い鼻はなく、どこからどう見ても普通の人間にしか見えない。どうやら妖怪にも外見が人間と殆ど変らない者がいるようだ。だから、自分達も人間だと気付かれなかったのだと安倍は思った。

「そろそろ骸骨の骨も集め終わったみたいだぁ。戻って準備するぞ寅吉」

 そう言って河童は妖怪側ベンチへと戻って行った。その時、安倍は寅吉と目があった。寅吉は安倍をじっと見つめていたが、河童に呼ばれるとすぐに行ってしまった。

 試合が再開する。七回表。妖怪側の攻撃で、一人目のバッターは毛の塊の様な妖怪だった。ふわふわと宙に浮きながらバットを構え、全身を回転させるようにしてバットを振っていた。元々、人間が使う物なので妖怪にとっては非常に扱いづらいようで、そのままスリーアウトとなった。

二人目のバッターは倉橋兄を転ばせた犬に似た妖怪だった。二本足で立ち上がり、前足で挟むように持ったバットで器用に構える。

安倍の表情が曇る。動物の妖怪たちは身体が小さいので、ストライクゾーンが大きく下にずれる。地面すれすれに投げなければならないので、ピッチャーにとっては非常にやりにくいのだ。既にピッチャーの賀茂の疲労も限界に達している。

賀茂がボールを投げる。少し球のスピードは落ちていたが、それでも安倍が指示した場所に向かって投げるコントロールは落ちていなかった。だが、犬に似た妖怪が思いっきりバットを振ると、金属音が響いた。

 ボールは小さく跳ねながらバッターボックスとマウンドの中間で転がっていた。身体が小さく、それほど力がなかったのが幸いだった。すぐに安倍が拾い、一塁に投げアウトにしたが、ここにきて始めて妖怪たちに打たれた事に、安倍や賀茂だけでなくチーム全員が危機感を覚えた。

 そして、三人目はあの天狗の少年だった。既に、他の妖怪たちの技量は試合を通して分かっているが、遅れてきた彼だけは分かっていない。今まで通りなら他の妖怪同様、野球の実力自体は殆ど素人だったのだが、安倍は何か得体の知れない不気味さを彼から感じていた。

 寅吉がバッターボックスに立った。その構えはやる気がないのか、力を抜いており、打つ気がないのかと安倍は思った。様子見で賀茂に軽く球を投げさせる。細かい指示は出さず、これ以上体力を消耗させないためだ。

 寅吉は球を見逃し、そのまま1アウトとなった。未だその実力を測りかねているが、急いで試合を終わらせたい為、二球目からはいつも通り投げるよおに合図を送る。二球目は普通のストレートだが、その速さは一球目よりも断然早い。

 安倍は次で三アウトだと思いながら賀茂に球を渡すが、ある事に気付いた。寅吉の構えが変わっていたのだ。先ほどの力を抜いたやる気のない構えではなく、身体を屈めてピッチャーの賀茂を真っすぐに見据えている。次は打つ気だ。安倍がそう思っていると、賀茂の方を見ながら寅吉が話しかけてきた。

「凄いや。あんな速い球を投げれるんだね。何で最初から投げなかったの?」

 キャッチャーの自分にだけ聞こえる様な、ひとり言の様な小さい声だった。

「今まで戦った奴らはそんな大した事なかったけど、君たちは違うみたいだね」

 安倍は集中力を切らす罠だと思い、聞こえないふりをした。賀茂が振りかぶる。安倍は真っすぐに安倍を見据える。寅吉の声は既に耳に入っていない。だが、心の中には寅吉に感じた不気味さがどんどん膨らんでいた。

 安倍が投げた。二球目と同じ位の速さだ。球は真っすぐに安倍のミットへと向かって行く。

「でも、打てない球じゃない」

 金属音が響いた。賀茂の投げた球は寅吉に打たれ、外野の方まで飛んで行った。小さい体のどこにそんな力があるのか、おそらく天狗としての力なのだろう。

落ちた球を追い付いた倉橋弟が拾い、一塁に投げようとする。

「倉橋、ホームに投げろ!」

 寅吉は既に二塁を蹴っていた。風の様な速さで、そのままホームへと向かって行く。倉橋弟は急いで源に球を投げる。源が中継となってホームにいる安倍に向かい、球を投げた。

安倍は向かって来る寅吉と球を同時に視界にとらえた。自分が球を取るのと寅吉がホームベースを踏むのは、ほぼ同時になるだろう。球を取ったらそのまま寅吉に触れ、アウトにしなければ妖怪チームに点を取られてしまう。それだけは阻止しなければならない。

球を手に取った。そのまま流れるように、向かってきた寅吉に触ろうとする。だが、目の前にまで迫って来た寅吉の姿はそこにはない。突如として、寅吉の姿は煙の様に消えてしまっていた。はっと気づいて顔を上げると寅吉の顔がそこにあった。

「残念でした」

 寅吉は安倍の頭を飛び越え、そのままホームベースに着地した。妖怪側のスタンドから歓声がわき上がる。ついに、妖怪チームに点を取られてしまったのだ。寅吉は確かに野球の腕に関しては素人だった。だが、それを歯牙にもかけない程の運動能力を持っていた。相手の技量を見極められなかった事に、安倍は膝をつき悔しそうに地面を叩いた。

「キャプテン……」

 後ろを振り向くと、大黒や他のメンバーが心配そうな顔をして立っていた。さっきの自分の行動を見てやって来たようだ。

「大丈夫さ。まだ一点しか取られてない。皆、次で追い付くぞ!」

 安倍はそう言いながら早足でホームベースへと向かった。ただ、追い付くといった言葉に誰も返事をしなかった事に、安倍は全く気付かなかった。

 一点を取り活気づく妖怪チームだったが、出てきた四人目のバッターは空振り三振となり、あっさりとチェンジとなった。自分達の攻撃だが、安倍はベンチで寅吉攻略について考えていた。他の妖怪たちはようやく特徴を掴んできた。後は他のメンバーが気遅れしなければ、点を取り返す事は可能だろう。だが、問題は寅吉がバッターになった際、どうするかなのだ。彼を攻略しなければ、この試合は勝つ事が出来ない。

 ふと、安倍はバッターにサインを送るのを忘れていた事に気付いた。寅吉攻略も大切だが、今はこの回をどうするかが先決だ。急いでバッターにサインを送ろうとした安倍だが、ある事に気付いた。

 バッターが棒立ちのまま構えていた。それはつまり、最初から打つ気がないという事だ。そして、バッターとなっていた選手は小学生でも打てるような相手の投球を全て見逃した。安倍はベンチに戻って来たその選手を問い詰めた。

「おい、何で全部見逃した?」

 戻って来た選手は、何か悪いのか?と言うように顔をしかめた。その顔を見た途端、安倍は身体の底から怒りが込み上がった。

「今の球は全部打てたはずだ。それなのに、お前は全く打とうとしなかったじゃないか!」

 胸ぐらを掴み、怒声をぶつける安倍を他のメンバーが止めに入った。

「キャプテン、止めてください! これでいいんですよ!」

「何がいいんだ! お前たちまでそんな事を言うのか!」

 掴んでいた選手を乱暴に振り離し、今度は声をかけた選手ににじり寄った。

「ですから、このままなら一対0ですぐに試合を終れるんですよ」

「それの何がいいんだ? それだと俺達の負けじゃないか!」

「それでいいじゃないですか。皆もう疲れていますし、妖怪との試合なんてやってられないんですよ。すぐに終わらせて帰らないといけないじゃないですか」

 安倍は身体がどんどん冷え切って行くのを感じた。それはメンバーの言う事を聞いて怒りを通り越し、逆に呆れてしまったからだ。

「本気で言ってるのか……?」

「みんなもそう思っています。このまま試合が長引けば、いつ帰れるのかも分かりませんから」

 安倍は他のメンバーの顔を見渡した。賀茂も大黒も皆疲れきった顔をしている。あの倉橋兄弟もすっかり戦意を失っていた。勝とうと考えていたのは自分ただ一人だけだったと分かった。

「早くしようぜ。妖怪たちが待ってるぞ」

 倉橋弟の言葉で次のバッターが出て、他のメンバーはベンチへと戻って行った。安倍はベンチに戻ってから一言も口を開かず、試合を見続けた。

 次の選手も再び見送り三振となり、何も知らない妖怪たちが騒ぎ始める。

「奴ら、急に打ってこなくなったぞぉ」

「流石チームのキャプテンだぁ。球が速くて奴ら手が出せねえんだぁ」

 反対に安倍のベンチは静まり返っていた。戻って来た選手に声をかける事もなく、試合を早く終わらせようとしていた。

 次のバッターは安倍だった。安倍は何も言わず、バットを掴むとバッターボックスへと向かった。誰も安倍に声をかけなかったが、皆訴えるかのように、安倍に視線を送っていた。バッターボックスに入った安倍はバットを構えた。先ほどの選手の様に足は棒立ちのままだ。

 相手投手の河童が球を投げる。本来ならば難なく打てるような球にも関わらず、安倍はその球を見送った。続いて二球目、かたも安倍は球を見送りツーアウトとなった。

「いいぞぉキャプテン。ようやく調子出てきたじゃねえかぁ」

「このままいって勝っちまおうぜぇ」

 何も知らない妖怪たちが歓声を上げている。安倍のチームにはもう戦意がない事を知らないのだ。河童が三球目の球を投げた。

その時、さっきまで棒立ちだった安倍が背を丸め、バットを後ろに引いた。

金属音が鳴った。安倍のバットが球を打った音だ。しかし、いきなり構えを変えたせいか球は外野までは飛ばず、ピッチャーのすぐ近くに落ちた。

安倍は全速力で一塁へと走ったが、既にピッチャーの河童が球を拾い、一塁の選手へとへと投げていた。

「うおおおおおおお!」

 安倍は雄叫びを上げながら一塁に跳びこんだ。一塁の選手がボールを手にするのと、安倍が飛び込んだのはほぼ同時だった。その気迫に敵も味方もあっけにとられている。

「あ、あうとぉぉ」

 思い出したように審判が宣言すると、安倍は立ち上がって無言のままベンチへと戻って行く。安倍がベンチに戻るなり、味方の選手が駆けよってくる。

「キャプテン、一体何を……?」

「お前達悔しくないのか」

 安倍は頭から突っ込んだせいで顔は泥だらけだった。だが、その目はスタンドライトの光を受けてキラキラと輝いている。その目でメンバー達を見据えて話し続ける。

「俺達は勝つために練習してきた。朝から晩まで泥だらけになって。なのに、今はどうだ?」

 メンバー達を見渡す。安倍の言う事に後ろめたさを感じたメンバーは、皆俯いた。

「相手は殆ど初心者なのに点を取られ、その上、負けてもいいと思っている」

「で、でも……」

「たとえどんな試合でも、負けてもいいやなんて思わなかったはずだ。最後の最後まで勝つ事を諦めずにやってきたじゃないか!」

 安倍の言葉に熱が入り始める。その言葉がメンバーの心を動かしていく。

「キャプテン……」

「だから、負けてもいいやなんて言わずに最後まで全力でやろう! そして勝とう!」

 メンバーが次々に顔を上げる。その顔には先ほどまでの疲労の色が消え、生き生きとしている。戦意が戻って来た。メンバー全員で円陣を組んだ。

「いくぞぉー!」

「おぉー!」

 声を出した後、グラウンドへと駈け出し配置につく。既に妖怪チームは準備を終えて此方を待っている。もう、妖怪たちに対する恐怖はない。

 八回表、終わりは近い。だが、もう妖怪たちの好きにはさせない。妖怪にビビりっぱなしだった賀茂も顔を引き締め、マウンドに立っている。試合終盤にも関わらず、その投球は疲労を感じさせず、いつにもまして力強い。誰一人打たせる事なく、早々に三振させてチェンジさせる。

「よし、次は俺達の攻撃だ!」

 最初のバッターは倉橋弟だ。いつものように不敵な笑みを浮かべ、バットを構える。投手が投げた球を、一球目からフルスイングで飛ばしていく。最初の攻撃で、妖怪に何度も転ばされるという屈辱を受けたのだ。負けたくないという気持ちは誰よりも強いはずだ。

 続いて倉橋兄。相変わらず兄弟間の連携は抜群で、弟を三塁へ送り、自身は二塁を踏んだ。

 次は源の番だ。前回の失敗を踏まえ、低い弾道で飛ばす様にサインを送る。ホームランを狙うと、再び一反木綿に阻止される危険性が高いからだ。源が構える。元々、感情を出さない奴だが、その構え方でサインを了解した事が分かる。

 河童が投げる。その球を源は力強いスイングで打った。サイン通りの低い球が真っすぐ外野へと飛んで行く。

「倉橋走れぇー! 絶対に一点取るんだー!」

 ここで倉橋がホームベースに帰ってくれば、同点になる。メンバーの応援にも自然と熱が入る。だが、ホームベースまであと少しという所で、倉橋弟は大きく体勢を崩した。倉橋弟の足元に、あの犬の様な妖怪が再び現れたのだ。このまま転ばされたら、また先に進む事も戻る事も出来ずにされてしまう。

 その時、倉橋弟は体勢を戻そうとはせず、走っていた勢いを利用し、ヘッドスライディングで前方へと跳んだ。顔面から不格好に地面へと突っ込む事になったが、その手はホームベースに触れている。

「やった! これで同点だ!」

ベンチに歓声が広がる。まさか、プライドの高い倉橋が、ここまでするとは安倍も想像していなかった。顔面を泥まみれにした倉橋がベンチへと帰って来たが、その顔はとてもはればれとしていた。

「これで名誉挽回だな」

 倉橋弟がそう呟いたのを安倍は聞き逃さなかった。倉橋は倉橋で雪辱を晴らしたかったのだ。このまま、流れに乗って追加点を取ろうとし思っていたが、そう上手くは行かなかった。何故なら、あの寅吉が今度はピッチャーとなったのだ。

「寅吉大丈夫なのかぁ」

「いくらキャプテンが疲れているからって、無理しなくていいぞぉ」

 他の妖怪たちは寅吉の実力を知らないようだが、あの高い身体能力ならおそらく、ピッチャーとしても相当な腕の持ち主だと推測できる。そしてやはり、寅吉の投球はとても速

く、あっという間に二人続けて三アウトとなり、八回目が終わった。

 そして九回目。事実上最後の回だ。既にみんな疲労の限界を超えた状態で試合を続けている。長引いてしまえば、確実に負けてしまうだろう。ここで点を取り、なおかつ守りきらなければ自分達の勝ちはない。

 最初のバッターが出る。だが、寅吉の剛速球に手も足も出ずに三アウトとなった。

「奴の球はどうだ?」

「ええ、多分百二十は出てると思います」

 戻って来たバッターから話を聞き、その攻略法を聞き出す。既に先の二人にも寅吉の投球について聞いてある。彼らのやった事も決して無駄ではないのだ。

「でも、分かった事がありました」

メンバーから話を聞いた後、バッターボックスに立った安倍は、寅吉を真っすぐに見据えバットを構える。一球目、寅吉の投げた球を安倍はあえて見送った。その球速は賀茂よりも速い。だが、打てない球ではない。寅吉の球には決定的に欠けてる物があるからだ。寅吉の投球を受けた三人の話を聞いて、それを確信した。

 二球目、今度はバットを振っていく。だが、球には当たらず空を切っただけだった。次を外せば三アウトとなる。既に勝ったつもりなのか、寅吉は余裕の表情を見せている。だが、安倍は寅吉を見据えたまま再びバットを構える。

 三球目、メンバーの皆が固唾を飲んで見守る中、寅吉が投げる。それに合わせて安倍もバットを振る。金属音が球場内に響き渡る。球は地面を跳ねながらレフト側へと跳んで行く。

「打ったぁー!」

 ベンチからメンバーの歓声がわき出る。安倍は一塁へと走り出す。寅吉は急いで球を拾って投げるが、その球がつく前に安倍は一塁を踏んだ。

 安倍が塁に出た後も、余裕の表情を見せていた寅吉だったが、続けて二人も走者を出してしまい、何故打たれるのか不思議な顔をしていた。

 寅吉の投球は確かに速いが、言いかえれば速いだけなのだ。緩急もつけずに同じ位の速さの球を投げ続けているのなら、そのタイミングを見計らってバットを振れば、飛ばす事は出来ないだろうが、当てる事はそう難しくない。勿論、一球目から当てる事はそう出来ないが、二球、三球と続けていれば自ずとタイミングが分かってくる。

 その結果が満塁という形になって寅吉を追いつめる。既に表情から余裕が消えている。三塁にいる安倍はじりじりとホームベースに近付く。三塁を守るのは相手を転ばせる犬の妖怪だ。少しでも距離を取っておきたいのだろう。それに、自分がホームベースに帰ってくれば、逆転となる。焦る気持ちを抑え、バッターに全神経を注ぐ。

 寅吉が球を投げた。バッターがその球を撃ったと同時に、安倍は走った。これで、逆転。全速力でホームベースへと向かった。

 だが、バッターの打った球を寅吉は空中でキャッチした。あの人間離れした跳躍力で球に跳び付いたのだ。寅吉は寅吉で勝とうと必死なのだろう。

「安倍、戻れー!」

 メンバーの声が聞こえる。だが、安倍は振り返る事もなく、ホームベースへと疾走する。ここで戻ったら負ける。何故だか安倍はそう感じたのだ。

 体勢を整えた寅吉は三塁とホームベースを見る。流石に自分の足でも安倍より早くホームベースにたどり着けないと一瞬で理解する。振りかぶると、ホームベースに向かって球を投げる。寅吉の剛速球は安倍よりも早くホームベースへと向かって行く。

 誰もがこれで終わりだと思った。だがその時、キャッチャーが寅吉の投げた球を取りこぼした。今まで速い球を受けた事がなかったのだ。受けるだけで精いっぱいで、全力投球までは取る事は出来なかったのだろう。

 キャッチャーがこぼした球を拾いに行ってる間に、安倍はホームベースへと戻って来た。最後の最後で一点を取る事が出来たのだ。

「やったぁー!」

「これで、逆転だー!」

 ベンチから歓声がわき出す。それも妖怪たちではなく、人間の方からだ。キャッチャーが球を持って戻って来た。流石に追加点は取れなかったが、この一点はただの一点ではなく、勝利への一点なのだ。

 安倍がベンチへと戻ると、後輩の大黒や他のメンバーが集まって来た。みんな心の底からキャプテンの安倍に様々な言葉をかける。源に至っては涙ぐんでさえいる。

「お前ら、まだ完全に勝ったわけじゃないぞ。まだまだ気を引き締めていくぞ!」

 安倍の言葉にメンバーの皆が声をそろえて答える。まだいる走者を帰してやろうと次のバッターが出る。

 だが、妖怪たちも一筋縄ではいかなかった。打った球を寅吉がすぐに拾い上げ、走者が出る事を防いでしまう。あの時、ホームベースに走って無ければ点を取れずに終わっていただろう。

 そして、九回裏。正真正銘これが最後となる。この回を守り切れば安倍達の勝利が決まる。賀茂の頑張りで二人連続空振り三振させる。そして、最後の最後で彼がバッターボックスに立った。

「打てよぉ寅吉」

「お前が打てなきゃあ俺達の負けだぁ」

 寅吉がバットを構える。その顔はピッチャーをやっていた時と同じ、余裕の表情だった。

「何だか顔つきが変わったね」

 安倍が持ち場に着くと同時に、寅吉が再び話しかけてきた。

「でも、ここでおいらが点を取れば延長戦にもちこめるんだ。もう二度と点は取らせないよ」

言われなくてもそれは分かっている。この試合は寅吉を抑えなければ勝つ事は出来ない。だから、安倍は寅吉をどう攻略するかについて重点に考えた。

「敬遠させよう」

 キャッチャーの安倍は賀茂にそうサインを送る。わざと一塁に送り、直接対決を避けるのだ。後味は悪いが、この方法が一番確実に勝てるのだ。

 だが、それに対し賀茂が首を振る。驚いた安倍がもう一度サインを送るが、それでも賀茂はかたくなに首を振った。

「そうかお前……正々堂々勝ちたいんだな」

 既に賀茂は一度寅吉に打たれている。倉橋と同じく負けたままでいるのはプライドが許さないのだろう。ならばと、もう一つの方法で行く事に安倍は決めた。サインを送ると、今度こそ賀茂が頷いた。

 賀茂が大きく振りかぶる。それに対し、寅吉が力強く構える。おそらく、寅吉は一球目から振ってくる。それも本気で振ってくるだろうから、当たれば間違いなくホームランになるはずだ。だからこそ、戦うならこちらも本気で向かって行かなければならない。

 賀茂が投げる。その球は真っすぐに安倍の方へ向かって行く。

「だから言っただろ。打てない球じゃあ……」

 寅吉がバットを振り始めた所で、球が下方向に大きく逸れた。

「なっ!?」

 驚いた寅吉のバットはそのまま空を切った。元々賀茂はあまり速い球を投げるのは得意ではない。代わりに、その精密なコントロールによる多彩な変化球が彼の持ち味なのだ。

「驚いた。球が曲がるなんてどんな術を使ったんだい?」

「術なんかじゃあないさ」

 寅吉の問いに初めて答える。

「厳しい特訓を繰返し、ああやって球の動きを変えるようになるんだ。ただ、速い球を投げるだけが、ピッチャーの仕事じゃない」

 二球目、今度はあえてストレートで投げる指示を出した。すると案の定、寅吉はバットを振らず、球を見逃した。

「勿論、キャッチャーはそのピッチャーの球を受けなければならない。野球ってのはただ、一人だけが上手いだけじゃ駄目なのさ」

 三球目、賀茂が振りかぶる。寅吉が構える。後はどちらが勝つか分からない。寅吉の身体能力なら、変化球にもすぐに慣れてしまうだろう。こうして、賀茂がどんな球を投げるか予測させない事で、対等の勝負に持ち込ませただけに過ぎない。それほどまでに寅吉は手ごわいのだ。

 賀茂が投げる。球は真っすぐ安倍のミットへと向かって行く。真っすぐに、真っすぐに向かって来る。寅吉がバットを振り始める。バットは球の位置よりもさらに下へと振られる。球まだ真っすぐ進む。真っすぐ、真っすぐ、下には落ちず最後まで真っすぐに安倍のミットまで向かって行く。

「あうとぉ」

 審判が宣言する。球場は静まり返る。何の音も聞こえない。球とミットがぶつかる音も、バットが球を打つ金属音も、走者が走る音も、選手に応援をかける音も、全ての音が球場から消える。

「げーむせっとぉー!」

 わっと球場全体が歓声に包まれる。

「凄いなぁお前達ぃ。久々に楽しい試合が出来たぞぉ」

「次は絶対に俺達が勝つからなぁ」

 試合後、戦った妖怪たちが駆け寄ってきた。

「それにしても、お前らはそっくりだなぁ」

「一体どっちが化けてるんだぁ」

 倉橋兄弟はかなり打ち解けているようだ。賀茂は相変わらず一人距離を置いているが、大黒や源たちも妖怪たちの恐怖心が無くなっているようだ。こうしてみると、妖怪たちもそんな怖い奴らではないようだ。寅吉の姿を探したが、何故か一人だけ輪から外れている。何か考え事をしているようだ。

「おおぉい、おおぉい!」

 声が聞こえてきた方に振り向くと、妖怪チームのキャプテンである河童が、此方に走ってきた。あまりに切迫した顔をしているので、みんな話を止めて河童に注目する。

「どうしたぁキャプテン?」

「そ、それがよぉ……」

 息を切らせながら河童は話し始めようとする。屈んだ拍子に頭から水がこぼれているが、大丈夫なのかと少し不安となる。

「さっき聞いたんだけどよぉ、今日の試合に来る奴らはぁ、祭りの準備でぇ来れなくなったんだとよぉ……」

「なんだってぇ?」

「じゃあこいつらは一体?」

 周りの空気が一転する。どうやら自分達が妖怪でない事が遂にばれてしまったようだ。

 安倍達の野球チームは妖怪たちに周りを囲まれている。もう隠しきれないと悟った安倍は自分達が人間だと打ち明けてしまった。

「なんてこったぁ。あいつらが人間だったとはぁ…」

「どうする? 姿まで見られちまったんだ。このまま帰すのはまずいぞぉ」

「いっそ全員、食っちまうってのはどうだぁ?」

 妖怪たちは安倍達の処遇について話し合っている。物騒な事も聞こえてくるが、今の安倍達には事の成り行きを見守るしかなかった。

 そこに、今まで黙っていた寅吉が一歩前へと出てきた。相談し合っていた妖怪たちも、話すのを止め、寅吉に注目する。寅吉が妖怪たちの方を振りむいた。

「みんな、今日の試合楽しかったなぁ!」

 困惑し始める妖怪たち。それにも構わずに寅吉は続ける。

「まさか、人間との野球がこんなに楽しいなんて思わなかった。またやりたいと思うよなぁ!」

「そりゃあ面白かったがぁ……」

「それに今度は勝ちてえしなぁ……」

 寅吉の言う事に妖怪たちが乗り始める。まさか、寅吉は自分達を助けようとしているのかと、安倍は思った。そこに寅吉が近づいてくる。

「お前ら、今夜の事を誰にも言わないって事、おいら達に約束できるか?」

寅吉の問いに安倍は何度も頷く。それを見て再び寅吉が話し始める。

「人間たちもこう言ってる。約束したからにはおいら達、妖怪は守らなきゃいけねぇ!」

「ううむ、そうかぁ」

「そんなら仕方ねぇなぁ」

 はんば強引に約束させられたのだが、そもそも言った所で、妖怪と野球したなんて誰も信じてくれないだろう。

「だから、次はもっと上手くなって、人間達に勝とうな。みんな!」

「おおぉー!」

 こうして、寅吉のおかげで安倍達は解放される事になり、さらに、人のいる所までの道のりまで教えてもらった。そして、球場の後片付けを終えた後、妖怪たちが帰り始める。安倍は寅吉にお礼を言おうと話しかけた。

「すまない。何だか助けてもらって…」

「別にいいさ。それに、おいらはお前達が初めから人間だって分かってたし」

 どうやら、寅吉は初めて会った時から安倍達が人間だと分かっていたようだ。

「他の奴らは気付かなかったが、お前らは天狗にしては山の匂いがしない。そんなのは人間位だからな」

 試合中に話しかけてきたのも、安倍達が人間だと分かっていたからなのだろう。必死で人間だとばれない様にしてたのが何だか恥ずかしくなってきた。

「他の奴らは野球が全然上手くないから、今まで俺一人いれば十分勝てたんだ。だけど、お前達と試合をしていてわかったんだよ」

 寅吉を呼ぶ声が聞こえてくる。どうやら、そろそろ行かなければならないようだ。

「一人だけが上手くても、野球は勝てないってね。だから、今度はみんなで特訓してお前達に勝ってやるからな」

「ああ、分かった。でも俺達も負けないからな」

 安倍は寅吉に別れを告げた。その後、教えてもらった通りに森を抜けると、ようやく合宿先の宿に着いた。心配していた監督に何があったのか聞かれたが、安倍達は野球の練習をしていたら遅くなったとだけ答えた。

 心配をかけさせるなと監督に怒られたが、監督自身も先に帰るという不注意があったので、それほど深くは追求してこなかった。

 こうして、妖怪たちとの奇妙な試合は、野球部メンバーの秘密として何事もなく合宿を終えた。

 数ヵ月後、安倍は賀茂と一緒に学校へ向かっていた。夏が終わり、風が冷たいこの季節、朝の練習はとてもつらい。二人は校門をくぐると、そのままグラウンドへと向かって行く。

「ん? 何だか騒がしいぞ」

 既に何人かのメンバーがグラウンドに集まっていた。だが、練習をしているわけでなく何やら話しあっているようだ。

「あ、キャプテンじゃないですか。ちょっと見て下さい!」

「一体何が……? あっ!」

 大黒が二人に気付くと、二人の手を引っ張っていく。大黒に連れられた先を見て二人は驚きの声を上げた。

 グラウンドにはいくつかのボールやバットが転がっていた。誰かが野球部の部室から勝手に持ち出したのだろう。そして、スコアボードには見覚えのある言葉が書いてあった。

「ゲゲゲーズ」

 どうやら、彼らはこの名前を気にいったようだ。

 


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
0
0

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択