No.627488

Noche Fria

えらんどさん

グラナド・エスパダのNoche Fria聞きながら書いた奴

2013-10-12 21:33:22 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:929   閲覧ユーザー数:929

お久しぶりです。お元気ですか。私はそれなりにやっています。

この間はありがとうございました。お陰で無事に着くことができました。

私の腕はやはり珍しがられるようですが、それも一役買ってか、今のところなんとかなっています。

今までは西に歩いてきたので、今度は南に行ってみる予定です。

また寄るようなことがありましたら、その際は先日の礼も兼ねて伺わせて頂きたいです。

あ、もちろんそのようなことになれば事前に連絡を入れます。

短いですが、これにて。

あなたが健康に過ごされますよう、旅をしながら祈っています。

それでは。

PS.あの件は上手くいきましたか?

 

 

朝、目を覚ましてみると何か違和感があった。

なにがどうという具体的なことはいえない。どう言い表せばいいのか分からない。

だから、何か体がおかしい、としか思えなかった。

 

どうしたんだろう。

 

少し考えて、きっと変な夢を見たからだと思い至る。

そう、変な夢だった。今はぼんやりとしか思い出せないが、誰かがあたしに『望め』と言った気がする。

望めと言った割りにやけに指定が多くて、夢なのに自分の思い通りにならないんだなぁと思っていたような気がする。

 

とりあえず起きよう。

 

着替えてから鏡を見て髪を整えて、朝ごはんを食べに1階へ降りよう。

変な気持ちを紛らわせるために今日はお気に入りの服を着よう、と服を引っ張り出す。

そうだ先に鏡を見て笑顔でもしてみればすこしはスッキリだろうか。

そう思い立ち、服を持ったまま鏡を見た。

 

「……ん?」

 

そこには自分がいた。

自分、のハズである。

いつもの自分は黒の長髪をした黒目の少女。

そうであるはずだった。

だがその鏡に映っているのは、その、なんというか。

猫耳を生やし黄緑色の長髪で深い緑の目をしていて、おまけにどうなっているのか尻から茶色い尻尾が生えている人物だった。

 

「…ん?…んえ?」

 

鏡を触れ、自分を触れる。

 

どうしてしまったのだろう。

これもまだ、夢の中なのだろうか?

 

頭に生えている猫耳を触る。ふにふにとやわらかいそれは、本物のようだった。

しかし人としての耳もちゃんとあった。

 

…み、耳が四つある…。

 

そんなことを考えながら今度は尻尾を触る。ふさふさとしたそれは、またもや本物だった。

今度は自分の頬を叩いてみた。

 

いたい。

 

「ほ、本当に…?」

 

くるんと回ってみても、目を瞑りもう一度開けてみても、鏡に映っている自分はさきほどと同じだった。

 

「まっ、まぱ!」

 

混乱しながらも両親に相談すべく服も寝巻きのまま慌てて1階に降りた。

まだ朝ごはんを食べているであろう時間なのでリビングへ突撃するように入った。

 

「ママ!パパ!」

 

慌てすぎたせいで息切れし、肩で息をしていた。

「どうしたんだい、そんなに慌てて…」

パパの声が聞こえる。ああ、いつも通り優しい声だ。

ほっ、と安心して顔を上げるもつかの間、その顔は引きつった。

「おや!お前もそんな姿なのか、やっぱりこれは世界現象なんだなあ」

しみじみといった風に喋るパパの顔は、サイだった。

だが両腕が熊という、なんとも不釣合いな組み合わせだった。

 

「ぱ、パパなの…?」

 

恐る恐る訊ねると、パパは少し驚いた顔をしてから笑った。

「サイの顔だものな、驚くよな。そう、お前の父親のグノーだよ。ママ、ママ。やっぱり皆なってるんだよ」

キッチンの方を向いてパパが安心したようにやんわりと話しかける。

コーヒーの匂いが漂うキッチンには、ママがいた。ただ、やはりいつものママではなかった。

「や、やっぱりって…あたしこんな姿イヤよぉ…」

泣き声を出しながらコーヒーを運んでくるママの顔は豹だった。泣き言を漏らす豹の顔はとても怖かった。

ママにも尻尾が生えていた。だがその尻尾は豹ではなく、シマウマのようなものだった。

 

「パパも…ママも…、も、もしかして皆が…?…これは一体どういうことなの…っ?」

 

自分だけではなかった、という安心感もあったがやはり不安感のほうが大きかった。

パパは冷静になりなさいね、とぽんぽん肩を叩いてから言った。

「昨日、不思議な夢をみただろう?」

 

 

結局あの夢が原因なのか。父親の話を聞いたあの時はそう思った。

全世界の人間が見たという不思議な夢。

自分の体の部位を他のモノに変えてやろう望め、と夢に言われ、夢だし冗談だろうと言ってみたことが現実に起こってしまった。

部位どころか、全身がそのまま動物になってしまった人や、動物ではなく部位が虫の人、魚の人、様々な人がいた。

 

ただ不思議だったのが、外見がまったく変化していない人もいたということ。

大半が夢の中で変化を望まなかったらしい人だが、望んだ人の中にも、たまにそういう人がいた。

そして部位が変化した人にも、変化した部位が多ければ多いほど生活するうえで役に立つ変化であり、

その逆であれば生活するうえでなんの役にも立たない変化を遂げている人が多かった。

あたしは猫耳と何か動物の尻尾。

あと、あの時は気づかなかったが腿が兎のようなそれになっていて、目は猫のそれになっていた。

人の変化している部位の平均が4、5箇所。

多ければ全身なんて人もいたのだから、最大いくつ、なんてことは分からない。

あたしの部位変化は平均くらいだけど、普通に生活するのには少し面倒な体になってしまった。

尻尾は特に役に立たないし、腿なんてもってのほか。まあ、目のほうは夜よく見えるので少し重宝だ。

猫耳のほうも耳が良くなったはいいが聞こえたくないものも聞こえるようになってしまった。

遠くの音はもちろんだったが、近くにいる他人の心というか、そういうノイズが聞こえるようになった。

それに気づいたのが変化してからすぐ、自分の父親と母親の考えていることがざあざあと聞こえてしまったからだ。

2人とも基本的に穏やかな人だったので特に聞こえの悪い物は入ってこなかったが、外は酷かった。

それを聞くのが辛くて、そこから離れるために両親に無理を言って今はとある山の小屋に1人で住んでいる。

人もほとんど来ないし、たまに来るのは食料を持ってきてくれる両親か道に迷った旅人。気楽なものだった。

猫耳になってよかったと思うことがあるのなら、野生の動物たちといろんな意味で理解しあい、触れ合う機会が増えたことくらいか。

 

全世界のほとんどの人が人間ではなくなってからもう3年経つ。

 

山での暮らしには慣れ、それなりに過ごしている。

街の人たちも自分達のからだの変化を受け入れ、最初こそパニック状態であったが今はやはりそれなり、らしい。

だが、このまま山で暮らすか、大好きな両親たちと暮らすかの答えを近いうちに出さなければならない。

父親が仕事の都合で引っ越すことになったのだ。

 

「どうしよう」

本当に悩んでいた。両親たちとは一緒にいたい。だけど、ここは静かで居心地がいい。

イヤな音は聞こえてこないし、動物たちともそれなりに仲良くなれた。

「…どうしよう」

ずっとそのことを小屋で考えることに嫌気が差し、外に出ることにした。

 

迷うことなくお気に入りの場所へ向かう。落ちるか落ちないか、という瀬戸際のあの場所が大好きだった。

そこでもうちょっとよく考えよう。そうしよう。

小屋の扉を閉め、歩き出した。足取りは少し重かった。

家から出て数分歩いたところに、そのお気に入りの場所がある。

そこでいろいろ考えることが好きだ。近くにある滝の音は大きかったが、それでも集中することができた。

滝近くの崖―ここがあたしのお気に入りの場所だ。

崖の先端に腰を下ろし、足をぶらぶらさせる。

このままもしかしたら落ちるのではないか、という緊張感がまた好きだった。

ふと、耳をすませた。猫耳の方だ。

山の中…といってもまだ森のようだ。その中から音が聞こえてきた。

 

 

どこで道を間違えてしまったのだろう、と青年は考えた。

道なりに進んできたはずなのにいつのまにか道が消えてしまっていた。

「どうしよう」

困ったように左手で頬を掻いた。周りを見渡すが、どこがどう続いているのか検討もつかない。

同じように見える木々、同じように聞こえる小鳥のさえずり。

「参った、困った」

ここを通れば街への近道になるが、迷いやすいから案内しようか。

と申し出てくれたのに、ちゃんとした道はあるなら大丈夫だと自信たっぷりに言ったのにこの体たらく。

街への用事は急いでいるわけではないが、ここで遭難するのは困る。

「……本当かなあ」

近道になると教えてくれた人物は同時に1人で行くなら、と迷ったときの対処法も教えてくれていた。

ただそれが少し信用ならない。ただバカをみるだけなのではないか、とその方法を聞いたときは苦笑したくらいだ。

だがあまり迷っている暇はない。

日はどんどん傾いてきているみたいだし、例えここで遭難するとしても食料はそんなに持っているわけではない。

この森を軽くみていた自分が悪い。青年はそう結論付けた。

今までいろんなところを歩いてきた自分だから、このような森で迷うとは思ってもいなかったのだ。

その己の過信でこんなことになってしまったのだから、ここは大人しく教えてもらった対処法を試すしかないのだろう。

青年はきょろきょろと辺りを見渡してから息を吸った。ちょっとだけ戸惑うように息を止める。

そして顔を空へ向け大声を出す。

「すみません、森と山の主よ。道に迷いました。助けてください!」

 

まただ、と少女はため息をついた。

誰かが森で迷っている。

この山の裾に広がっている森は迷うことで地元ではそれなりに有名なのに、どうしてこんなにも迷子が続出するのだろう。

「はいはい、っと」

しかしその迷子がこの森で死なれても困る。山と森の所有権の半分は自分にあるのだから、そういう責任も生まれてくる。

少女は足早にお気に入りの場所から離れる。

迷子を捜しだす前に、一度小屋へ戻ってある装備をしてから、迷子探しに出た。

「どうしてこんな土地を持っているのかしら…」

この山と森の元々の所有者は父親のグノーだ。

どういう経緯でここを所有しているのかは知らないが、山小屋を建て自立した生活を送り出したときから少女にも所有権を与えられていた。

少女は頑なに拒んだがまあまあと父親に流され、今に至る。

父親の所有範囲にいる場合ならば小屋から警察に連絡をいれて迷子をどうにかしてもらう。

だが、聞こえてきた方向は明らかに自分の領域だった。その場合は少女がなんとかしなければならない。

半分、といってもとても小さいものだと思っていたから承諾したのに。

「こんなに迷い人が出てくるなんて」

そしてこんなにも範囲は広い。

少女の耳が良いおかげでなんとかなっているが、いつか本当に迷い人が亡くなったりするのではないかとひやひやする。

声がする方へと走りつつ、少女は今度は誰が迷ったのかなあなどと考えていた。

 

「うーん…本当にこれでよかったのか」

青年は慎重に腕を組みつつそう呟く。

このまま誰も現れなければ自分はここで死んでしまうのだろうか。

ちょっとイヤだなあ、そう思った。

そもそもやっぱりあんな方法で主とやらが来るはずないのでは、青年が首をひねっていた時、

「見つけた」

木々の間からそう声が聞こえた。

んん?と辺りを見渡すが声の主は見つからない。

「見つかりました。どこですか?」

青年は両手を上げつつキョロキョロと声の主を探した。

「25人目」

はっと気づいたときには、目の前に少女が立っていた。

黄緑色の長髪、深い緑の目、茶色い尻尾…と、白く大きなバルーン帽。

髪色に合わせたような色のワンピースを着た少女は青年を睨みつけた。

「あなたで25人目です。町の人の説明を聞かなかったのですか?どうして案内人をつけなかったんです」

ぼーっと少女を見ていた青年はハッとしてから慌てて、

「話を聞いて、いけるかなぁ、なんて思ったものですから…。まさか迷うなんて」

思ってもみなかったのです、と青年は頭を下げた。

少女はふん、とその様子を見て笑った。

「13人目です。その理由。顔を上げてください、出口まで案内しますから」

青年は苦笑いしながら顔を上げた。

 

すたすたと器用に歩く少女の後ろを、一生懸命青年は歩いた。なにせ慣れない森の中である。

庭のようなものです、と言ってのけた少女は流石に慣れているらしい。

「ところで」

少女は振り返らずに青年に尋ねる。

「どうしてこの森と山…ルグレーに入ってきたのですか?あと、その右腕の大きなグローブ…ですか?気になります」

青年は自身の右腕を見た。肩から手の先まですっぽりと覆っているそれは、流石に目立つ。

「ええと…向こうの街に用事がありまして。一応、その、旅芸人みたいなことをしている身分ですので、それで」

ふうん、と少女は呟きつつ草を掻き分け進む。本当に聞いているのだろうかと青年は少し心配になった。

「あと、このグローブというか包帯というかはですね。あの~、変化した部位なんです」

「見れば分かります。そんな巨大なもの、人間の腕には不必要でしょう」

なんだちゃんと聞いていたのかと青年はぼんやり考えた。ええと、と改めて考えてから、

「この森や山で出しておくのは、ちょっとイヤなもので。街についてからでもいいかなあと」

「どうしてイヤなんですか?この森は迷うし鬱蒼としているしあたしが無愛想だから、自身の部位は晒したくないのですか」

少女は振り返ってそう尋ねた。少し嫌悪感を表した顔をして。

青年はそれに気づき、

「ああ、いや、この森が嫌いなわけではないですよ。あなたもね。ただ少し、この右腕は物騒なもので。変に木を傷つけてはいけないと思いまして」

困ったように笑いながら肩をすくめた。

「…それならば良いです」

少女はまた前を向いて、黙々と歩く作業に取り掛かった。

この少女とどう接すればいいのか分からず、青年はただその後ろを黙って歩いていた。

暫く2人して黙っていたがやがてまた、

「その左肩からかけているものは何ですか」

少女の方から話しかけてきた。沈黙はあまり好みではない青年は嬉しそうに答える。

「これがその、大道芸人みたいなことをするときに使うものなんです」

「ふうん…。何が入っているのですか?」

それは、と青年が少し間を空ける。何事かと振り返った少女に、

「今度、お見せします」

微笑みながら答える。少女が少し拗ねた。青年は慌てる。

「いや、いや…。今ここでは見せられないのです、本当に。申し訳ないです」

あわあわと言う青年を見て少女はちらりと笑った。

「困らせてしまってすみません。ああ、ほら…見えてきましたよ」

少女が指で示す。一歩引いてもらって見せてもらった景色は―

「あれ、町…ですか?」

森に入ってくる前にいた町だった。ええ、と少女は頷く。

「あの位置から山越えするよりかは、こちらに戻ってくる方が早かったので。今日はこの町でお休みください」

「え…あ、はあ。あの、えと」

青年が何か言おうとすると少女はピンと来たのか、

「ああ、宿ですか。私が話しておきますよ」

すたすたと町唯一の宿屋へと歩き出す。青年は慌てて後を追った。

宿屋の主人に話をつけてもらったおかげで、青年はその宿屋で安く泊まれることになった。少女と主人に礼を言う。

少女が帰るということで、青年は見送ることにした。

「もう辺りは暗いですし、危なくはないですか」

いいと言われたのに無理やり森まで見送りに来た青年は心配そうに尋ねる。

少女は首を横に振り、

「大丈夫です。夜道も慣れてますから。それよりも、」

一度言葉を切って青年を少し睨みつけながらこう言った。

「また迷わないよう、お願いしますよ」

青年は苦笑してはい、と答えた。

それではと少女は頭を下げ森の中へと消えていった。青年は手を振るのをやめ下ろす。

「不思議な子だったなぁ…」

そう呟いて、薄暗い電灯を頼りに宿屋へと帰っていった。

 

少女は青年から見えない位置まで歩き、そして振り返る。

胸に手を当て息を吐いた。

「はぁっあー……どきどきした!」

久しぶりに人と会話をした。普通の声で。

青年の前では緊張して無愛想になってしまったが、いやな子だとは思われなかっただろうか。

「変だと思われなかったかな…ちゃんと話せてたかな…」

もう青年の姿は見えない。宿屋へ戻ったのだろう。

少女も自分の家へと歩き出しながら、青年との会話を思い出していた。

「不思議な腕してたな~…どんな腕になったんだろ。それにしても、パッと見はその腕のみ…だったよね」

ここでは出すのがイヤだという腕。少し興味があった。

色々考え事をしながら歩いていると、小屋の明かりがうっすらと見えてきた。猫の目の賜物だ。

「あの人の雰囲気はまあ…まずまずかしら。でも、優しそうに見えてもやっぱり……」

自分の猫耳を見せる勇気はない。

山小屋に住んでいるため人と話す機会がなく、いろんなことを聞き、話したいという欲求は在る。隠し事なしで。

だが、帽子の中身はなんだと問われ素直にこの猫耳を晒すようなことは出来ない。怖い。

小屋の前まで行くと、勝手に留守番をしてくれていたのか、はたまた晩御飯をねだりにかキツネが2匹ほど座っていた。

少女が帰ってきたのが分かると嬉しそうにぐるぐると回る。

「ただいま、どうもありがとう。ちょっと待ってて」

2匹のキツネは尾を一度ぱたりと振って応える。少女が小屋に消えて暫くした後、鶏肉を手に出てきた。

「子供たちによろしくね」

鶏肉を1匹に放ってやり、それを見事口でキャッチしたキツネはもう1匹と共に満足そうに森へと帰っていく。

その様子を見送ってから少女は小屋に入り鍵を閉めた。

帽子をその辺に投げ、猫耳をあらわにする。他人のノイズを聞こえなくするためとはいえ、やはり帽子をするのは窮屈だった。

適当に手を洗いうがいをして、冷蔵庫の中身を物色する。

昨日作ったシチューが残っていたのでそれを暖めて食べることにした。

「…どうしようかなぁ…」

昼間考えていたことを思い出し、少女はため息をつく。

ここの生活をとるか、両親たちとの生活をとるか…。

「両方選べたらいいのに…」

シチューをスプーンでぐるぐるとかき混ぜながら、少女はうな垂れた。

 

 

翌日、少女はいつものように早朝に起き、いつものように朝の体操をした。

1時間ほどかけて見回りと称した、自分の領域内の山と森の散歩をゆっくりとする。

途中美味しそうな木の実があれば適当に採って帰った。

採ってきた木の実と両親から送られてくるパンを朝食にし、今日の予定を考えた。

生活をどうするか、も考えなければいけないがまだそれはまとまりそうにない。

しかしそのことを考えないのであれば、今日は特にすることがない。

昨日みたく迷った人が出ないのであれば。

少女は少しどんよりとした気持ちを変えるために、というか日課のように、お気に入りの場所に出かけることにした。

滝の音を聞けばきっと落ち着くだろう。多分。

 

崖はいつものように滝の音でうるさかった。

だが少女はこの音が好きだった。案の定、ぐるぐるしていたこころが落ち着いてきた。

今日は崖の先端に座るのはやめて、立っていた。

見下ろすと近くの滝から勢いよく流れ落ちる水がよく見える。

ぼうっと眺めていると誤って落ちてしまいそうだったが、その吸い込まれそうな感覚になんとなく心躍った。

少女は一息ついて、すうっと息を吸い込み歌いだした。

ただの気分転換。考えなければならないが考えたくないことを少しでも遠くに追いやるための手段、いわゆる現実逃避だ。

歌詞や音は全くのでたらめ、作詞作曲、少女。

適当に、思いつくままに、歌っている。はずだったのだが。

いつのまにかちゃんとした歌詞を、ちゃんとしたメロディで歌っていた。

あれ、とは思っていたが嫌いな曲ではないなと思いそのまま歌っていた。

そして暫くしてその原因が分かった。森からその曲の旋律が聞こえていたのだ。

なんの楽器だろう、と不思議に思いつつもそのまま歌った。知っている曲のような気がした。

滝に向かって歌うのはやめ、旋律が聞こえてくる森の方を見て歌う。

森からの音はどんどん大きくなってきている。微妙な音の変化を猫耳が感じ取っていた。

やがてがさがさという音と共にその正体が現れた。

少女は咄嗟に歌うのを止める。少しして、その曲を弾き終わったのか森からの音も止んだ。

「…貴方は」

思わず一歩下がりたくなったが、崖だというのを思い出して踏みとどまる。

こんな姿あんまり見られたくないのに…と少女は呟いた。

「おはようございます。昨日は、どうもありがとうございました」

そう言って森の陰から礼をするのは、昨日助けた青年だった。

 

「どうしてまた…」

ぼそぼそと少女が声をかけるが、青年には届かなかったらしく首を傾げられた。

「すみません、滝の音でよく聞こえません」

すたすたと青年がこちらへやってくる。

少女はぎょっとした。

1つはこちらに近寄られたら聞きたくない音も聞いてしまうから。もう1つは。

「…腕…」

少女の視線に青年が足を止め、ああ、と呟く。

「すみません、森の中で外してしまって。でもその、いい歌が聞こえてきたものですから」

照れたように青年は左手で頭を掻いた。少女はその様子に見向きもせずに訊ねる。

「1つだけ…ですか?」

「はい?」

またもや聞き取れなかったのだろう、青年が聞き返す。少女はぐっと腹に力を込めてもう一度訊ねた。

「1つだけなんですか?…変化した、部位は」

沈黙が暫く続き、滝の音だけが聞こえていた。

やがて青年はゆっくりと首を横に振る。

「1つではありませんよ」

「そう…ですか」

またもや沈黙が流れ、少女は思わず俯いた。

なんてことを聞いているんだろうと思った。他人の部位を尋ねることは、プライバシーの侵害だ。

どうして聞いたのか自分でも不思議だった。いつもは気にならないのに。

「あのう」

はっと気がつくと青年が目の前にいた。

またもや少女は後ろに下がりそうになる。が、今度は青年が腕を掴んで止めてくれた。

「危ないですよ。それより、ここを離れませんか。大声でずっと話すのは少し苦手です」

困ったように話す青年を驚いたような顔で見てから、今度は少女がおもむろに青年の手を取り引っ張る。

「こ、こちらへどうぞ」

引っ張られるがまま、青年は少女に連れられて滝から離れた森の中へと入っていった。

暫く歩き、木々が風に揺れる音や小鳥たちのさえずりしか聞こえなくなったところまで来て、少女は青年の手を離す。

青年を振り返った少女は少し驚いた。楽器がない。

それに気づいた青年が笑った。

「歩いている間に片付けてしまいました。器用でしょう」

ふふんと自慢げに右手を動かす。少女はその右手をじっと見た。

視線を感じた青年は慌てて右手をグローブのような包帯のようなもので隠した。

「すみません、つい」

青年の言葉に少女は首を横に振る。

「い、いえ。こちらこそ…。で、あの…今日は何しにいらっしゃったんですか。貴方は向こうへ…行きたかったのでは」

街へ行くのだと言っていた。大道芸人のような真似ごとをしているから、と。

今では、その真似事というのは多分あの楽器で路上演奏でもするのだろうと想像がつく。

はいと青年が頷く。ただ、と言葉を濁らせ、

「ちゃんと礼をしてから行ったほうがいいかな、と…」

にこにこと微笑む。少女は首を横に振った。

「いいですよ、そんなの。今ちゃんとお礼を言ってもらいましたし」

そう言い人当たりのよさそうな笑顔を見せた。だが青年は諦めない。

「いやいや!それではこちらの気がすみません。是非ともお礼をさせてください」

意外としつこいな、と少女は顔をしかめる。

「結構です。早く街へ行かないと、またこの森や山から出られなくなりますよ」

「そうなっても!是非!」

「な…、なんなの…?」

少女は戸惑った。こんな人間には出会ったことがなかった。それゆえに少女がとった行動は、

「結構です!」

「あ!」

走って逃げることだった。

脚力には自信があったし、何よりここは自分の領域。青年がついてこれる訳がなかった。

暫くがむしゃらに走りまわり、何も気配を感じなくなったのを確認して木にもたれかかる。少し疲れた。

「な、何だったの…」

なんて無駄な強引さだろう。礼をするためだけにまた迷ってもいいだなんて、おかしい。おかしすぎる。

そんなことを考えつつ息を整えながら、少女はあることに気づいた。

「…聞こえてなかった」

変に慌てていたからかもしれないが、少女は青年のノイズが聞こえなかった。

これはとても珍しいことだった。本来なら喜ぶべきなのだろうが、少女は少し怖くなった。

いつもなら声が聞こえてきて嫌な思いをするのに、今は聞こえてこない声に恐怖した。

「…何も言われなかった」

自分の姿について、何も聞かれず何も言われなかった。そういえば昨日だって聞いたり言ったりしてこなかった。

「あたしは、聞いたのに…」

少女は青年の右腕について尋ね、青年はそれに答えてくれた。だが青年が少女の姿について尋ねることはなかった。

「不思議な人……いや、変……かな」

それが昨日と今日とで青年を見て感じ取った、感想だった。

さて、と少女は木から離れる。大分時間はたったし、流石に青年も諦めただろう。少女は一旦小屋に帰ることにした。

森から山にさしかかり、自分の小屋も見えてきた。

ほっとしたのもつかの間、

「うげ…」

呟いて立ち止まった。

その呟きが届くことはなかっただろうが、小屋の壁にもたれかかっていた青年は少女を見つけるなり大きく手を振った。

「これは、ダメだわ…」

諦めた少女は手を小さく振り替えした。

 

 

「いやぁー、小屋を見つけられて良かったですよ!」

2人は小屋の外にいた。向こうは客なので茶の1つでも出せばいいのだろうが、少女はなんだかそんな気も失くしていた。

にこにこと話しかけてくる青年に、

「どうしてまだここにいるんですか…」

少女は力なく尋ねる。

「礼をするまでは街へは行きません、決めましたから」

当然、といった様子で青年はキッパリとそう告げた。

しばしの沈黙の間、さあ、と涼しげに風が青年の髪を撫でた。

少女は諦めた。もう逃げても、ここに居座られるのなら意味がない。

「はぁ…、で、その、礼って何ですか?」

「演奏です」

ぱぱっと手早く青年は楽器を取り出す。先ほどはあまり見ていなかったが今回はまじまじと見ることが出来た。

「バイオリン…ですか」

少し古い感じがするバイオリンだった。それを見せながら、

「ええ。あなたへの礼に、演奏させていただこうかと」

「それなら先ほど聞いたじゃありませんか」

少女は首を傾げる。いやいや、と青年はにやりと笑った。

「あれとは、別に。お願いします、聞いてください!」

礼をしたいがためにわざわざ小屋までやってきた青年。

もう楽器まで準備しているのに、ここで追い返すのは流石に酷だろう。

頭を下げる青年に少女は少々ため息をつきつつ頷く。

「顔を上げてください、その…演奏、聴きますから」

青年はがばっと顔を上げる。きらきらと瞳が輝いていた。その輝きに少女は思わず一歩退く。

そんな少女のことはおかまいなしに、青年は片手で少女の手をとりぶんぶんと上下させる。

「ありがとうございます、ありがとうございます!」

こんなに礼を言われるなんて…これは追い返さなくて良かったー、ぶんぶんされながら少女はそんなことを考えるのだった。

 

場所は移動せずに、小屋の前。

小屋の前には、穏やかな表情でバイオリンを構える青年と、小屋から出してきたイスに座っている少女と、その少女の周りに集まってきた動物達がいる。

ちまちまと集まりだした動物達を見て、動物達にも聴いてもらえるなんて感動です!と先ほどまで騒いでいた青年は今や演奏者の顔つきへと変わっている。

皆が青年を注目する。森の陰からも、いくらかの視線があった。

そんな中怖気もせずに青年は演奏を始めた。

バイオリンを見つめていた少女は驚いた。やはり、あの右手で演奏している。

絃が切れてしまうのではないかとハラハラしたがそんな心配は無用のようだった。とても器用に美しく奏でている。

少女が心配したその青年の右手は、蟷螂だった。緑色の鋭利な刃物のようなそれで、バイオリンを奏でている。

その曲を少女は聞いたことがなかった。

だがまるでこころが踊りだすような、そんな不思議と明るい曲だった。

動物達も尻尾を振るなり、耳を動かすなりしてちゃんと聴いている。

少女は目を瞑り、もう1つの耳で曲を聴いてみた。もやもやとしていた、少女の暗いこころの中に響き渡る明るい音色。

青年の想いがバイオリンの音と絡まって少女に届く。

聴いて欲しい、ありがとう、楽しい、そんな明るく前向きな想いが少女のこころを満たした。

目を開けると青年と目が合った。青年は嬉しそうに微笑んだ。少女もつられて微笑んだ。

とても充実した時間が過ぎていった。

演奏が終わり、青年が優雅に一礼する。

少女は立ち上がって拍手をした。動物達も歓声を上げる。

青年は照れくさそうに笑った。

 

「とっても良かったです、ありがとうございました」

動物達が森へ帰り、イスを小屋に入れつつ青年を小屋に招いた。

やっと何かを振舞う気持ちになった少女は青年をイスに座らせ紅茶を出し、そう礼をした。

青年はいえいえ、と首を横に振る。

「こちらこそ、聞いてくださってどうもありがとうございました。珍しいお客もいて楽しかったですよ」

微笑んで紅茶を飲む。彼が言う珍しい客とは、動物達のことだろう。

自分も席に座り紅茶を飲んでいたが、少女は訊ねてみることにした。

「質問を…いくつかいいですか?」

「いいですよ」

あっさりと言われ少女は思わず少し笑ってしまった。なんとなく、この人らしいなと思った。

「えっと…変化した部位を、よろしかったら教えてもらえませんか」

少女の問いを青年は紅茶をゆっくりと飲みながら聞いていた。

青年はカップを置いて、左手で右腕を示した。

「まずはここ、右腕です。蟷螂のような腕になりました。あとはええと…すごく分かりづらいのですが、足だけ虎になっています」

その2つなのかな、と少女は考えた。一見してカマは日常生活にはあまり役に立ちそうにないし、足だけ虎だなんてそれこそだ。

肉球はすこし見てみたい気もした。

少女が礼を言おうとした時それをさえぎって青年は続けた。

「一番大きな変化は、心臓ですかね」

「心臓…」

青年の言葉を繰り返してから、少女は驚いて声を上げた。

「し、心臓ですか…!?」

少女の声に驚いた青年は目をぱちくりさせながらも頷いた。

「これがまた、何の動物の心臓なのか、もしくは別の心臓なのかがイマイチ分からないのですが…」

そう言って青年は笑った。少女はなんだかめまいがしてきた。

心臓が…もとい内蔵が変わった人なんて初めて聞いた。てっきり外見ばかりが変わるものなのだと思っていた。

「どうして…」

「はい?」

「どうして心臓を変えたいと…望んだのですか?」

「…ええと」

望まなければ体の部位は変化しない。心臓が変わった、というのはつまり青年がそれを望んだということなのだ。

しかしそれは曖昧な夢の中で望んだことであり、変化した理由をハッキリと理由を覚えている人間は少ない。

少女だってどうしてこのような姿になったのかは曖昧にしか覚えていない。

青年は困ったように笑った。やはり、と少女は顔を曇らせたが少女の考えとは逆に青年はまあいいか、と呟いてから、

「実は、変化する前は心臓に病気を持っていまして」

左手を胸に当て説明してくれた。

当時言われていた余命では半年ももたなかったこと。

毎日病室で暮らしていたが、部位が変化したことによってまだ生きていること。

そのおかげでこうして世界をまわることができること。

「長いこと病室暮らしだったので、外が今どういう風になっているかを見てみたくて。それでいろんなところを歩いているんです」

「…へええ……」

そんな風にいろんなところを歩ける、というのは少し羨ましかった。

いいなあと思ったところで、あれ、と少女は首を傾げる。

「バイオリンは…いつ習っていたんですか?」

「ああ、あれはですね、」

と青年は当時を思い出すように目を瞑る。

「病室で暇をしているときによく弾きに来てくれる方がいらっしゃいまして」

「はあ」

「その方の曲をいろいろ聴き、覚えて、そしてこの体になったあと会得したんですよ。あ、でもずっと昔にちょっとだけやってたかも…」

「…つまりは、ほとんど見様見真似で…?」

そうなりますねと青年は頷く。少女は呆気にとられた。同時にすごいと思った。

見様見真似だけでバイオリン奏者になる変人がいるだなんて。

そういえば昔知り合いが何かの楽器をやってたような、と思いつつ。

楽器のことはあまり知らない少女だったが、あの子のことを考えると、やはりこの青年は只者ではないと思わざるを得なかった。

「すごい…ですね…」

「いえいえ」

そう言いながらも照れながら笑う青年。褒められるとそれなりに嬉しいようだった。少女は少し複雑だったが。

その後もちょこちょこと会話をした。

ふと、青年が少女の頭をみた。

少女は今更のようにハッとして耳を伏せた。

「あっ、すみません」

青年が慌てて謝る。少女は無表情に首を振った。

「いえその、猫耳っていうのは可愛らしくて、いいなあと思いまして…猫がすきなんですよ、私。ああ、じろじろと見てすみませんでした」

そう頭を下げる青年に対して少女は目を見開いた。とても珍しい言葉を聞いたような気がする。

「か、可愛らしい…?」

可愛らしい、の部分だけを明確に聞きとった少女は顔を赤くした。

自問自答のような言葉に首をかしげながらも青年は頷く。

「はい。いいんじゃないですか?よく似合ってると思いますよ」

「は、はぁ…ええとー…ありがとう、ございます…」

「いえいえ」

急に動きがぎこちなくなった少女を気にしつつ、青年は紅茶を飲む。

少女は猫耳を伏せるのをやめ、意を決したように手を組んだ。

「こ、こちらばかりが聞いているのも公平じゃないので…あ、あたしの部位変化でも言いましょうか」

「うーん…言いたくないのなら、いいですよ」

気遣ってくれているのが分かった。しかし、そう話している今でも青年のノイズは聞こえてはこない。

それが何故なのかが気になっている。知りたい。少女はごく、と喉を鳴らした。

「いえ…あたしも気になることがあるので。聞いてくれますか?」

「なら、分かりました。どうぞ」

青年に促され少女は頷く。そして自分の変化した部位のこと、猫耳のこと、青年のノイズが聞こえないことを話した。

猫耳の部分に関してはやはり驚かれた。初めて見る種類だったのかもしれない。

ノイズが聞こえないことに関しては、青年は首を傾げるだけだった。

「私だってこう見えて人ですし、やはり色々と考えてはいますけど…」

なんででしょうね、と肩を竦めた。少女も思わずつられた。

そして本音を言う。

「声が聞こえないのはちょっと怖かったですけど…、久しぶりにこうして普通に話せてあたしは、楽しいです」

「それはこちらもです。お茶までご馳走してもらって、どうもすみませんでした」

「いえ…演奏のお礼…というか、報酬というか。そういうものですよ」

「ありがとうございます」

2人は笑いあった。

それがきっかけになったのか、それから2人は色々な話をした。

青年が今まで行ってきた街のことや、その街で見かけた色んな人のこと。

とある国では銃刀法違反だとかで追われたこともあるということ。

少女は自分の家族のことや、この森や山のこと。

そして、今大事な選択を迫られているということ。

「家族と暮らすか、ここで暮らすか、ですか。それは迷いますね…」

青年は自分のことのように顔を顰めた。

紅茶をちびちび飲んでいた少女は、こくんと一つ頷く。

「あたしは、家族が大好きです…でも、ここも好き。貴方のような迷い人がたまにでますが」

おかわりを注いでいた青年は苦笑いした。

「どうしたらいいんでしょうね」

ふうとため息をつく。

何か閃いたのか、青年はぱっと顔を輝かせた。

「両方すればいいんですよ!」

少女がげんなりと返す。

「そんなの、出来ませんよ」

いやいや、と青年は力説する。

「人間やろうと思えばできますよ。あなたは家族と暮らしたい、でもここも好きだ。ならば……んん?」

途中で青年は首を傾げる。そしてそのままの格好で少女に尋ねた。

「どこへ引越しをなさるんです?」

「……え」

「どこか遠く、それこそ他の国に行くようなら私の提案は無理なんですけど…どうなんです?」

どうなんだっけ。少女は眉をひそめた。そして思い出した。

「…わかりません」

「…」

青年がゆっくりと顔を戻し少女へ視線を向けた。

少女は顔を赤くした。

「ひ、引っ越すという単語だけが頭に残ってしまって…どこに引っ越すかはまるで…聞いていませんでした…」

身を縮める少女に、まあまあと青年が宥める。

「それならばまだチャンスはあるのではないですか?」

「そう…ですね」

「そうですよ!きっと大丈夫です」

「…ありがとうございます」

少女は笑みを青年に向けた。青年も嬉しそうに微笑んだ。

暫しの沈黙の後、少女が立ち上がった。

「ありがとうございました、何かスッキリしました。さあ、もうお時間です」

「いえいえこちらこそ…って、時間、とは?」

つられて立ち上がった青年は不思議そうに少女を見る。

時計を指差しながら、

「これ以上ここにいたら街に行けなくなるってことですよ。ここには泊める場所もないので…」

申し訳なさそうに言う少女に、青年はやっと自分の目的を思い出した。

「ああ!そうでした」

いそいそと手荷物をまとめる青年。その間に少女はカップを片付けた。

それらが済んだ後、小屋の外に出て青年は少女に礼をした。

「演奏を聴いていただいただけでなく、紅茶まで。ありがとうございました」

「こ、こちらこそ。色々と変なこと聞いてしまったりしてすみませんでした。演奏、がんばってください」

少女は謝罪をしてから青年を応援した。

ありがとうございます、と青年は微笑む。

「あ、そうだ。もしまたここに寄るようなことがあったら、また演奏を聴いていただけますか?」

そう訊ねられた少女は顔を曇らせた。

「わかりません。例の件、数日後なんです」

ああ、と青年は頷く。それならば仕方が無い。

「なら、こちらにいるようでしたらお願いします。いない場合は、またどこかでお会いするでしょう、多分。きっと」

そうだといいですね、と少女が少し笑って、

「でも、こちらに来るようでしたら、次は迷わないでくださいね」

少し睨みながら青年に告げた。睨まれた方は、

「なかなか、それはちょっとどうですかね」

と苦笑いした。少女が、はっと思い出したような顔で言う。

「迷わない方法をお教えします。そういえば、ここで迷った方にはいつも教えてるの忘れてました」

すみませんと謝ってから、少女はこの山と森での迷わない秘策を教え、青年はなるほどと感心した。

「これなら大丈夫でしょう。ありがとうございます。では、またお会いできるといいですね。……ええと」

「あ」

今更ながら、2人は互いに名乗っていないことを思い出した。顔を見合わせ少し笑ってから互いに名乗る。

「あたしはノーチェと言います」

「私はフリーア。それではノーチェさん、貴方にとってよい結果になることを祈っています」

左手を差し出すフリーアに応え、ノーチェはしっかりと握手した。

「フリーアさんも。よい旅を」

フリーアが頷いたその瞬間、声が響いた。

お元気で。

ノーチェのことを気遣うその優しげな声は、間違いなくフリーアのそれだった。

だが彼は喋ってはいない。

手を離し、ゆっくりと離れていくフリーアの姿を見ながらノーチェは確信した。

どうして今までフリーアのこころの声が聞こえなかったのか。

どうして今まで皆のこころの声が聞こえていたのか。

「名前だったんだ…」

その呟きが聞こえたのか、フリーアは振り返って手を振ってきた。ノーチェも手を振る。

やがて森の奥にフリーアの姿が消え、ノーチェは手を下ろした。

「…」

暫く森を見つめた後、何かを決意した顔で小屋へと戻っていった。

 

 

2日後、ノーチェの父グノーが山小屋へやってきた。

いつものイスへと座ったグノーは、何か真剣な表情をしている娘を小首を傾げながら見つめていた。

それに気づいたのか、ノーチェはさっと視線を下に向けた。緊張している。とても。

でも、言わなければ。

「パパ…引越しの件だけど」

「うん?」

ぐっとこぶしを握ってノーチェは父を見上げる。

「あたし、パパ達と暮らしたい!だけど、ここでも暮らしていたい!両方したいの!」

娘の突然の大声を聞いてグノーは思わずそのサイの顔を顰めた。

娘の方はというと、ぜえぜえと息を切らしている。

グノーは慌てて娘の背中をさすった。

「だ、大丈夫か?ノーチェ。それで、まあ、引越しの件だけどね、」

ノーチェは背中をさすってくれる父を、なんだか笑いを堪えている父を、見た。

「引っ越すのは市内だから、別に大丈夫だよ」

「……」

「ただ、ノーチェの荷物があるから、どれが必要でどれが不必要なのかを聞いておこうと思って」

「………フリーアさん大当たり…」

ぼそりと呟いたノーチェに、父は首を傾げるだけだった。

「前にも一応そう言っただろう」

「…引っ越すって言葉しか、頭になくて…」

息切れがおさまったのに苦しそうな顔をしている娘に、

「ノーチェは昔っからそそっかしいからなあ。まあ、そんなとこかなーとは思ってたよ」

父は笑って言いながら、ノーチェの頭を撫でた。

「…それじゃあ、荷物をまとめたらまたここへ戻ってきてもいいの?」

「もちろんだよ。もうここは、お前の2つ目の家だろうしね」

「……1つ目の家にも、たまに行っていい?」

その言葉にグノーは目を丸くした。

以前なら絶対に帰りたくないと言っていたであろう娘が、こんなことを言うとは。

「…もちろんだよ。お前の実家だからね」

何があったかは分からないが、娘が家に帰ってきてくれるのは大歓迎だ。

本当なら、ずっと一緒に暮らしていたいが…。

「ありがとう、パパ」

「いえいえ」

笑顔でそう言ってくれる娘に、今はこれ以上のことを望むまい。

 

 

引越しの荷物もまとめおわり、ノーチェは再び小屋へ帰ってきた。

久しぶりの第2の我が家を見て目を細めていたが、ふと、郵便受けに何か入っていることに気づいた。

手紙だった。

宛名にはもちろん自分の名前が。差出人は―

その名前を見たとき、ノーチェは自然と微笑んでいた。

自分を前に進ませてくれた人物の名前が、そこには書かれていた。

ノーチェは急ぎお気に入りの場所へ行き、その手紙を読むことにした。

封を慎重に破いて便箋を丁寧に取り出す。

その便箋を広げ、ノーチェは読み始めた。

「親愛なるノーチェさんへ。お久しぶりです。お元気ですか。私は――」


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