No.618910

すみません、こいつの兄です。74

妄想劇場73話目。いい区切れ目が見つからなくて、長くなりましたがお付き合いください。ラブ特化。

最初から読まれる場合は、こちらから↓
(第一話) http://www.tinami.com/view/402411
メインは、創作漫画を描いています。コミティアで頒布してます。大体、毎回50ページ前後。コミティアにも遊びに来て、漫画のほうも読んでいただけると嬉しいです。(ステマ)

2013-09-12 23:02:37 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:1697   閲覧ユーザー数:1594

 あらゆる娯楽を部屋から追放するというのは、思いのほか受験勉強に貢献した。

 成績の伸びは、夏の美沙ちゃん水着ブレインバーストによるチートに比べれば落ちたが、中間テストや模試でもじわじわと偏差値を上げている。なにせ、家に帰り母親がパートから帰ってくる夕方になると、居間は無言の「受験生なんだから勉強しなさい」空気で窒息しそうになるのだ。自室に戻ると、部屋には参考書と教科書とノートしかない。修行僧もびっくりのストイックさだ。

 たまに、妹がわざわざ俺の部屋から移動させた漫画を持って俺の部屋にやってきて、床で転がって読み始めたりするが、踏みつけ四発目で追い出せることに気がついてからは、それも問題にならなくなった。

 今の俺は、まさに鬼だ。

 受験の鬼なのだ。

 すげー。俺、このまま勉強したら東大とか行けちゃうんじゃね?美沙ちゃんの苗字って、成瀬川じゃなかったっけ?ちがうな。市瀬だったな。惜しい。カメとか飛んでないし。

 そんな成績爆アゲな二学期。進学クラスの俺には時折、進路指導というイベントがある。ゾッド宮本とふたりっきりで進路指導室に篭るという、中世のドルイド僧がやっていたんじゃないかなって思うような苦行だ。

 今日もその苦行の日だ。

「お兄さん。今日は、進路指導でしたっけ?」

「うん」

可愛らしい美沙ちゃんの微笑みに、多少重苦しい胃が軽くなる。

「じゃあ、お姉ちゃんと真菜は先に帰ってますね」

「うん?」

「美沙っち、さらりとスルーさせないっすよ」

「お姉ちゃんと真菜は、先に帰ってます。私は進路指導室の前で待ってますから一緒に帰りましょう」

「…私も…一緒に帰る」

ジャージとバー○パパ状態に戻った真奈美さんが言う。

「うん。お姉ちゃんは真菜と一緒に、先に帰ってて!」

「じゃあ、私もにーくん待つっす」

「いいよ。真菜。お姉ちゃんと先に帰ってて」

生徒の行きかう進路指導室前の廊下で、微妙に周りの視線が気になる。主に二年生の視線が気になる。

「あれが二宮のお兄さん?」

「そんなにかっこいいか?」

「もてそうには見えない」

「なぜ市瀬さんがあんなのに?」

「あれが二宮さんに『お兄ちゃん』とか呼ばれてるのか?」

「爆ぜろ二宮兄。弾けろ二宮兄のシナプス」

「俺、アレをパニッシュメント(罰・制裁・仕置き)していいかな」

不穏な言葉は聞こえてこない。聞こえてこない。なんで、このバカ妹がいる上で、さらにパニッシュメント(受刑)しなくてはいけないのか。間違ってるよ、ジス・ワールド。あと、うちの妹は「お兄ちゃん」などと言わない。「にーくん」と言う。お兄ちゃんとか言われても、困る。

「二宮。乳繰り合っているな。進路指導始めるぞ。市瀬姉妹と妹も、とっとと帰れ!」

ゾッド宮本に襟元をつまみ上げられて進路指導室に引きずりこまれる。美沙ちゃんのDカップを乳繰り合えるのなら、死んでもいいんだが。

 

「宮本先生」

「なんだ」

「先ほどのことで一つ質問が」

「ん?」

ゾッドが変な顔をさらに変にする。

「乳繰り合うって『合う』じゃないですか。すなわち両方が『乳繰り』なわけですもんね。百合じゃないと成立しない表現じゃないでしょうか?」

「……」

ゾッドが顔をしかめる。

「やはり、これは現国の先生に聞いたほうがいいでしょうか?」

「佐々木先生にソレを聞くのか?二宮」

「聞きません。忘れてください。何でもありません」

俺は、つばめちゃんが夏コミにまさに百合で乳繰り合ってるどころか○○繰り合ってる漫画まで描いて出していることを知っているが、それをここで言うわけにもいかない。というか、間違った話題を出してしまったことを反省した。

 世の中には、話題をもちだしてもいけない流れというものが存在する。

「進路だが」

「はい」

「二宮。お前、やはりやれば出来るな」

姦ればデキるか…。そういえば、最近も妹の部屋から夜な夜な『だめぇ。お兄ちゃぁあん。お兄ちゃんの赤ちゃん出来ちゃうぅう』ってサウンドが漏れてくるな。アレは大丈夫なのか。俺が妹になんかしてる声だとか思われてないだろうな。隣近所に…。まぁ、パソコンの配置上、俺の部屋であの音量なら他は大丈夫だと思うけどな…。

 つーか。あいつ、日に日に頭おかしくなってる。

「はぁ」

俺は脳の七割で別のことを考えつつ一割で生返事を返す。早く四十五分経て。

「お前、このペースだと首都圏の国公立もいいところ狙えるぞ」

「はぁ。でも、地元がいいです」

「首都圏の大学のほうが、就職のときも面接なんかがだな…」

「でも、地元がいいです」

「お前、なんのために大学行くんだ?」

「時間稼ぎ」

「バカたれ!」

わっ。いきなりの大音声にびっくりした。しまった。一割の脳で生返事してたから、ごまかすの忘れてた。

 そこからは進路相談から、もう一歩踏み込んだ進路説教になった。

 

 ゾッド宮本に、若いくせになんて後ろ向きでヤル気のないヤツなんだと言われた。

 そう言われても、仕方がない。本当にそう思うのだから…。

 

 進路指導室から進路説教室と化した部屋を出ると、陽が傾いていた。ゾッド宮本がんばりすぎである。美沙ちゃんも妹も、もう帰ってしまったのだろう。

 久しぶりに、一人で校門を出る。

 一人、駅に向かいながらゾッドにしかられたことを思い起こす。

 大学は行きたい。だって楽しそうだからだ。世の中の本を読んでも、たいていの楽しいことは、中学生か高校生か大学生の十三年間で発生している。俺が読んでいる本がラノベばかりだからかもしれない。でも、社会人が主人公の小説になると、なんだかとたんに色あせて、つまらなくなって、ギスギスどろどろし始めるのも事実だと思うのだ。倍返ししたって、ラノベの主人公の日常の一割も輝いていない。

 小説はフィクションだけど、そこにある空気はそれなりに現実を反映していると思う。たぶん、大学を卒業したらギスギスどろどろし始めるのだろう。

 日本語の中にも、ヒントは散らばっている。休日のことを『余暇』という。余った暇だ。

 平日、父親は俺と妹が起きる前に家を出て、夜十時ごろに帰ってくる。

 メシを食って、寝る。それだけだ。

 その上で週二日の休みは『余暇』だ。仕事をしていない人生は、親父にとって余り分の暇なのか。しかも、暇にすらなっていない。翌週の平日を生き抜くために休む時間だ。

 それでも、親父は『終身雇用』と言われる制度を保っている会社に勤められていて、世間ではラッキーな部類に入るのだという。信じられない。アレが『終身』まで続いてラッキーなのか?

 それでも、親父は辞めるわけにいかない。止めるわけにいかない。終身で稼ぐ分をもう使ってしまっているからだ。家のローンだ。

 終わったときには、もう老人で老後だ。

 残暑の駅のホームで俺は身を震わせる。俺はあと四年。大学を卒業したら、ラッキーを拾っても次は六十歳の老人になるまで、会社に収監されるのか…。

 恐ろしい予測に、吐き気を催す。

「なおくん?どうしたの?大丈夫?」

肩を叩かれて、顔を上げるとつばめちゃんが心配そうに覗き込んでいた。

「あ?あれ?つばめちゃん?」

「…大丈夫?体調悪いの?」

「あ、いえ。大丈夫です。ちょっと嫌な想像しちゃっただけで…」

「そう?」

「それより、つばめちゃん。こっちだったっけ?」

そう言うと、まだ少し心配そうに俺の顔を覗き込みながら、つばめちゃんと小さく微笑む。

「反対側のホームだけど、なおくん見つけて具合悪そうだったから、心配になったのよ」

「ああ。ありがとうございます。大丈夫です」

「うそはいけません。お姉ちゃん、だまされません」

「…つばめちゃん」

お姉ちゃんか…。いつもは、バカ妹と真奈美さんのお兄ちゃんをやっている俺には、なんだか甘えたくなる響きだ。

「…いや。大丈夫です」

でも、なんとなく気恥ずかしくて意地を張る。反対側のホームから、俺を気にかけて心配してやって来てくれる人がいる。それに安心して、意地を張る気力が出る。

「大丈夫です。ありがとうございます」

もう一度、意地を張る。

「そう。なにかあったら、なんでも言うのよ。隠さないでね」

つばめちゃんがかがみこんで、うつむいた俺の顔を覗き込み。両の手が俺の二の腕を軽くさすってくれる。ホームにアナウンスが流れて、電車が入ってくることをしらせる。つばめちゃんはだまって俺の隣に立つ。俺よりも少し背の低い国語教師。漫画好きで、こっそりエロ漫画を描いている二十九歳と二十四ヶ月。

「つばめちゃん」

「なぁに?」

「漫画描くのって楽しい?」

「超、楽しいわよ」

「そっか」

電車がホームに入ってくる。圧搾空気の音と共に扉が開く。俺だけが乗り込む。いつもよりも遅く、早く帰れるサラリーマンたちの率が少し増した車内。つばめちゃんがホームから、小さく手を振って笑顔も投げてくれる。

 ドアが閉まって、電車が動き出す。

 ドアに身体を寄りかからせて、暗くなった窓に映る自分の顔をなんとなく見ながら、小さくつぶやく。

「そっか。つばめちゃんは漫画を超楽しく描いているのか…」

親父は、漫画を描いていないな。

 

 数日後。

 宅配便が届いた。丸い筒だ。差出人は「佐々木つばめ」。開けてみると、案の定カッティングシートにプリントされたアニメの絵だった。いつか同人作家つばめちゃんにお願いした真奈美さんの自転車のチェーンガードの絵だ。四角のシートだから、貼りこんだ後にカットしたりする必要があるだろう。

 真奈美さんに電話…と思って、真奈美さんが携帯電話を持っていないことを思い出す。仕方なく、市瀬家の固定電話に電話する。

『はい。もしもし、市瀬です』

硬い声が電話に出る。緊張する。

「あ。あの…。二宮ですけど…」

『あら。直人くん?真奈美?』

声がやわらかくなり、由利子お母様の声になる。

「は、はい。おねがいします」

『ちょっと待ってねー』

「はい」

電話の向こう側が静かになる。

 しばし、待つ。

 待つ。

 待つ。

 真奈美さん、出ないな。

『(真奈美ー。電話はしゃべらないとだめよー)』

『あ…。あ…』

いた。

「真奈美さん?」

『う…う…』

「あのさ。真奈美さんの自転車なんだけどさ」

『う…あ…ん…』

「部品、新しいのもそろえてたじゃん?」

『あ…む…あ…う…』

「あれって、どこで買ったの?」

『ん…あ…ひ…』

真奈美さんには、電話は難しかったみたいだ。

「ちょっと、真奈美さんの家に行くね」

そう言って電話を切ると、靴を履いて外に出る。ついでにつばめちゃんから届いた筒も持つ。電車で一駅。市瀬家は、定期の範囲外なんだが、毎日真奈美さんを迎えに行っていたころのスイカは残量がまだある。

 すっかり通いなれた駅で降りる。市瀬家までは、歩いて十分少々。これも通いなれた道。わりと一年前までは、ぜんぜん知らなかった道とは思えぬなじみっぷりだ。

 呼び鈴を鳴らすとほぼ同時にドアが開く。

 中から、前髪を胸までたらしたジャージ姿の真奈美さん。

「…ま、待ってた…の」

電話してから、ここまで三十分くらいかかっているはずなのだが、玄関で待っていてくれたのか。真奈美さんのことだから不思議ではない。

「うん。ありがとう、それでさ…真奈美さんの自転車」

「うん。自転車」

真奈美さんが一階廊下の突き当りまで、ノコノコと先導してくれる。突き当たりの扉を開けると、中は納戸のような部屋になっていた。市瀬家は、うちよりも建物自体も若干広そうだ。

 ところせましと道具や荷物の入った納戸の入り口付近から、プラスティックのコンテナをいくつか真奈美さんが引き出す。いつか庭で磨いていた自転車の部品たちだ。その中から、ひときわ大きいパーツであるチェーンガードをそっと取り出す。ヘタに取り出すと崩れ落ちそうなくらいに錆付いている。正直、これをもう一度組みつけようとしても、ネジを留める部分が錆付いていて、きっちり組み立てられるかどうかあやしい。

「つばめちゃんが描き直してくれたんだ」

そう言って、持参した筒のふたを外し、中から大きなカッティングシートを広げる。

「あ…」

前髪の間の鳶色の瞳が大きく開き、きらきらと光る。

 チェーンガードにプリント済みのカッティングシートをあわせてみると、微妙にサイズは違うが、十分な再現度であることが分かる。つばめちゃんがアニメキャラの絵をなぞりながら錆びて失われた部分を修復するのは、厳密に言えば著作権法違反なのかもしれないが、真奈美さん一人が使うものだし、そもそもが修理の一環なのだから許してほしいところだ。

「ほら。これを貼れば、同じサイズの部品なら同じになるよ。真奈美さん、ほかの新しい部品を注文したところに言って、同じサイズの部品買えないかな?」

「うん…。お、お父さんに言ってみる…」

そうだよな。真奈美さんが、自分で注文したわけがないよな。お父様か。

 真奈美さんは、真新しい絵の描かれたカッティングシートを広げて飽きずに眺めている。この少女アニメがよほど好きなのだろうか。それとも、懐かしい自分の自転車が戻ってくることを喜んでいるんだろうか。その表情は、胸まである前髪で隠れていて見えないが、ぺたりと廊下に女の子座りをして、両手を伸ばして絵に見入っている姿は、真奈美さんが俺に見せてくれた中でも、とびきり嬉しそうに見える。こっちも、ついついほっこりとしてしまう。何度も繰り返して思うが、これは妹を見る兄の気持ちだ。うちのデスでメタルな妹は、一歳しか違わないからこんな気持ちになったことはない。まぁ、真奈美さんも実際には、俺よりもほんの少し年上なくらいなのだが、気分は三歳か四歳くらい年下の妹だ。

 ついつい、真奈美ちゃんよかったねー、と頭を撫でてやりたくなるが、やってはいけない。同い年の高校三年生であり、なんとこれは十八歳なのである。同時に、この真奈美さんの様子を見たら、つばめちゃんもさぞかし喜ぶだろうなとも思う。コミケで本が売れたときのつばめちゃんの笑顔を思い出す。二十九歳と二十四ヶ月でも、あんなに子供みたいな笑い方をするんだよなと思う。

「じゃあ。その部品…絵はついていなくて大丈夫だから、新しい部品にしよう」

チェーンガードまで部品交換をしてしまうと、正直、残るのはサドルと籠くらいのものだなと思う。それでも元の形にかなり近いものが出来るだろう。十年の時を超えて、川の底から引き上げた自転車が復活しそうだ。すごいぞ。

 宝物をしまうように、カッティングシートを筒に戻す真奈美さんを見る。その真奈美さんに軽く声をかけて、辞去することにする。

「それじゃあ、俺、今日のところはこれで帰るから、またね」

このあと、部品が来たらカッティングシートを貼って、いよいよ自転車組み立てだ。

 その時間を取っておくために、受験生の俺は少し勉強の貯金をしておかなくてはいけないのだ。

「あら?直人お兄ちゃんは、帰っちゃうの?夕食までいればいいのに」

居間から首を出した、由利子お母様が声をかけてくる。

「お兄ちゃんって…あの。やっぱり、俺、お兄ちゃんポジションですか?」

「そうね。真奈美、お兄ちゃん大好きよね」

なんと、お母様から見ても俺は真奈美さんのお兄ちゃんポジションだったのだ。むぅ。そんなにお兄ちゃんなのだろうか。

「うん。すき」

むぎゅ。

 背中に真奈美さんの圧力を感じる。固めの弾力だが、絶妙な圧力はどうみても着けていないソレだ。むぅ。美沙ちゃんのDカップに比べたら、ずいぶん小振りだけど妹の平地と比べるとちゃんと女の子な圧力で、俺の身体の中央部がむずむずする。真奈美さんなのにな…。真奈美さんと言えば、一緒にお風呂に入ったり、部屋のドアを開けたら下着姿で床に突っ伏してるところを目撃したりして、すっかり女の子カテゴリーから外れていたのにな。

 むぅ。

 真奈美ってば、いつのまにこんなに立派に成長しちゃったんだ。

 ちがう。真奈美さんは体型も身長も胸のサイズも変わっていない。俺の認識がズレ始めているんだ。

「おにーちゃん。すきー」

むぎゅー。ぷゆん。ぷゆん。

 背中に抱きついたまま、真奈美さんが頬を擦り付けてくる。ついでに身体も擦りつけて来る。弾力がグッド過ぎて俺の背中の神経がどうにかなりそうな感触だ。というか、正面に由利子お母様がいるのに、これ以上されると俺の中央部がけしからんことになってしまう。極めてまずい。『おにーちゃん、すきー』でけしからん状態になったら、リアル妹のいる男子高校生としては、本当に本当に危険である。

「ただいまっすー」

「ただいまー」

そのとき、玄関が開いてリアル妹と、美沙ちゃんが戻ってきた。というか、うちの妹はなぜ市瀬家に「ただいま」と言って入ってくるんだ。あの馬鹿。

「あ。にーくん来てたっすかー」

妹が廊下をつかつかと歩いてくる。

「真奈美っちばっかりずるいっす。くくく」

前半は棒読みだ。こいつ。ヤンデレ美少女の美沙ちゃんがいるのを知っていて、俺を陥れるつもりだ。

 俺の正面から妹が抱きついてくる。

「やめろ!この馬鹿!本当にやめろ!」

妹に押された圧力で、背後に感じる真奈美さんの弾力にひときわ強く押し付けられる。けしからん弾力。

「ちょっと真菜!私のお兄さんになにするの!?」

玄関で脱ぎ散らかした妹の靴と、自分の靴を行儀良くそろえていた美沙ちゃんが、ビームの出そうな視線でこちらを睨む。

 つかつかつかつか。

 無言の美沙ちゃんの目にはハイライトがない。

 こわい。

 美沙ちゃんが俺の右手をつかむ。

 むぎゅ。

 そのまま、自分の胸に押し当てた。

 うおおっ!?み、美沙ちゃんの感触!

「ちょ…ちょっと美沙ちゃん!?だめだよ!もっとやって!」

「はい。どーぞ」

もにゅっ。もにゅっ。

「違う。間違った。今のは俺の言語野が本能に負けただけだ。だめだよ!そんなことしたら」

お母様も見てるのに、そのミラクルなDカップの感触に天国見えちゃうよ。なによりもっと危険な事態になる。具体的には、俺の正面についているとあるパーツが危険物体になる。さっきからの真奈美さんの背中に感じる弾力と、今の美沙ちゃんの感触でじわじわと危険度を増している。このまま俺のパンツの中の危険なナメクジ(比喩表現)が鋼鉄物体(比喩表現)になったりしたら、リアル妹に鋼鉄物体(比喩表現)を押し付けることになる。

 アウトすぎる。すべての意味において死ぬ。

 し、しかし、この右手の感触…。

 これをふりほどくには、いかなる鉄の意志が必要なのだろうか…。エデンを追放されるアダムの悲嘆を感じながら、俺は右手をふりほどく。そして、正面のバカタレをその右手で突き飛ばす。

「美沙ちゃん。ごめん。真菜、てめぇ離れろ。馬鹿たれ!」

後ろは…。まぁ、いいか。

「直人くん、美沙のおっぱい気持ちよかった?」

由利子お母様も、おやめください。

「お母さん!やめてよっ!」

美沙ちゃんが顔を真っ赤にして怒る。自分でやったんじゃないかと思う。美沙ちゃんは、こんなところも女子力が高い。女子力のカタマリだ。

 それにしても、右手の手のひらに残る感触が、永久保存モノの楽園だ。つい、右手を何度かぐっぱぐっぱと握ってしまう。

「真奈美。お兄ちゃんが揉み足りないって」

「お母さん!本当にやめてよっ!」

美沙ちゃんが、俺の背中から真奈美さんを引き剥がす。

「お兄さんも、今日は帰ってください!もう!もうっ!もぉーっ!」

もーもーもーもーもーもーもーもーもーもー。

 世界で一番可愛い牛と化した美沙ちゃんに両手に背中をぐいぐい押されながら、玄関まで押し出される。まぁ、追い出されなくても帰るところだったんだけどさ。

 

 

 市瀬家からの帰り道。

 

 右手をぐっぱぐっぱとしたり、においを嗅いでみたり、感触を思い出したりしながら住宅街を駅に向かって一人で歩く。自然と顔に笑みが浮かぶ。今の俺は最高にキモチワルイ。発作的に死にたくならないように、ショーウィンドウのガラスは見ないように注意する。

「二宮?」

「三島…」

とても悪いタイミングで、思わぬ人物と遭遇する。百メートルを十一秒台で駆け抜ける肉食恐竜ラプトル三島由香里だ。

「ぐ、偶然ね」

「ああ。奇遇だな。じゃーな」

嫌なところを見られた。気まずい。とっととやり過ごそう。ひらひらと手を振ってすれ違う。

「ちょ、ちょっと待ちなさい!」

ぐえっ。

 Tシャツの襟を後ろから掴んで強く引かれると、見事に咽喉がキマる。

「なんだよ!」

「せ、せっかく会ったんだし、ちょっとお茶でもとか思わないの?」

思わない。こっちは用事があるんだ。具体的にはこの右手の感触が残っているうちに、自室に帰ってとある行為をしたい。

「まったく思わない」

「私は思うんだけど」

「そうか。残念だ。気が合わないな」

こっちは急いでいるんだよ。意味不明な三島に背中を向ける。数歩歩いて異常を感じる。おかしい、三島に不用意に背中を向けたのに攻撃がやってこない。どういうことだ?背後から攻撃されるのが三島と俺の日常のはずで、攻撃されないのは異常だ。異常が通常になると、正常が異常なる。

 そうっと後ろを振り返る。

「おわぁっ!み、三島?」

あわてて駆け寄る。三島が駅前でしゃがみこんで泣いていた。なんだこれは。

 周りをさっと見渡すと、好奇の視線が俺に集中している。

 (あらやだ。修羅場よ)

 (冴えない男子が女子を泣かしてるわ)

 (きっと、前後不覚にしてレ○プしたあと、知らねーなとか言ったのよ)

 そんな視線だ。やばい。

「三島。ど、どうした?」

俺も屈みこんで、しゃがんだ三島に視線の高さを合わせてみるが、アスファルトを見つめた三島の瞳の奥は見えない。雨も降っていないアスファルトにぽとぽとと黒い染みが落ちる。本格的になんかまずい。

 俺の思い出しスケベ笑顔が泣くほど気持ち悪かったのだろうか…。

「み、三島。とにかくこっち来い」

三島の手を掴んで、引き上げるように立たせる。そのまま引っ張って、駅前の古い喫茶店に入る。例の巨大パフェの店だ。

 いつか拍手してくれたウェイトレスさんが、俺と三島を店の奥のシートに案内してくれる。

「(修羅場?)」

「(彼女さん泣いてたわよ)」

「(奥の席を選ぶなんて、ぐっじょぶ)」

「(そりゃーねー)」

カウンターの向こうに引っ込んだウェイトレスさんたちがかしましい。だまれ。そーじゃねー。

 と言うより、目の前のこの事態だ。

 三島が何で泣くんだ。元々情緒不安定気味なやつなんだが、こいつが流すのは涙じゃないはずだ。こいつが流すのはいつだって、俺の血液じゃないか。

「み、三島?あ、あのさ…」

向かいに座った三島に、そぉっと声をかける。三島はまだうつむいて肩を震わせている。

「…めん…ね」

うん?三島がなにか言ったが、涙声なのと、声が小さいので聞き取れない。

「なに?どうしたの?」

聞き返す言葉も、三島に向けたものとは思えぬ優しさを帯びてしまうのは、しかたない。理不尽極まりなくても相手が三島でも女の子が泣いてしまったら、そうなってしまう。

「ごめ…ん…って言ったの」

「あ、いや。こっちこそ、ごめんなのかな?俺、なんか悪いことした?」

思い出しスケベ笑顔が気持ち悪すぎて泣いたとか言われたら、俺の心はどのくらいのダメージを受けるだろうと心配になりつつ、おそるおそるたずねる。

 ふるふると三島が首を振る。束ねていない長い髪が揺れる。

「ご注文はお決まりでしょうかー」

ここで白々しいヤジウマ・ウェイトレスさんの登場だ。

「ホットコーヒー二つ。以上」

「かしこまりましたー」

追い返す。場所代はコーヒー二杯分で勘弁して欲しい。ここのコーヒーっていくらだっけ?いつもモンスターサイズのパフェばかり注文しているから、コーヒーの値段が分からない。メニューを見ないで注文すると言う金持ちみたいなことをしてしまった。

 でも、今はそれどころじゃない。

 なにせ、女の子が目の前で泣いちゃっているのだ。三島だ。

「してない…に、二宮は…い、いつも悪くない…よね」

その割には、いつも三島に成敗されたり駆除されたりしているのは、どういうことだろう。

「そうか?」

「…うん。い、いつも、わ、私が勝手に…」

おかしい。三島は、たしかにいつも勝手だが、反省するわけがない。わかった。こいつ、ニセモノだ。

「さては、ニセモノだな?」

「はい?」

三島(偽)が泣き顔に大きなクエッションマークを浮かべて、初めて上を向く。よかった。

「俺の知ってる三島が、そんなことを言うわけがない。俺を殴ったり、蹴ったりはするが、そんな殊勝なことを言うわけがない。白状しろ。お前、どこのニセモノだ。三島にはお姉さんのほかに妹とかいたのか?だいたい、今日は会ってから三十分経っているのに、まだ暴力を振るわれてない。お前が三島由香里なわけがない」

「二宮?」

「なんだ。白状する気になったか?」

「あんた、ばか?」

「バカどころか、この鋭い推理は灰色の脳細胞と言っていいレベル」

「あきれた」

「少し本物に似てきたが、本物ならパンチも一緒に飛んで来てるぞ。もしくは、蹴りでパンチラも一緒に飛んで来ているところで、もし、そっちならご馳走様だ。三島は縞パンをよく履いているんだが、そこもちゃんと合わせて来てるか?ニセモノめ」

涙のあとの残る三島(偽)の顔に朱が差す。

「今日は、水色の縞よ。ってか、あんた、よくそんなのいちいち覚えてるわね。ってか、蹴られるたびに私のパンツなんて見てたの?バカじゃない?ってか、忘れて…あっ…ううん。忘れないでいいわ」

「本物なら、記憶がなくなるまで蹴りラッシュなんだが」

「蹴ったりしないわ。殴ったりもしないわ」

「白状したな。ニセモノ」

「ニセモノじゃないわよ」

「証拠を見せてみろ」

「…証拠?」

「三島は、太ももの内側、かなりパンツに近い位置にほくろがあるんだ」

「…え?」

何度も蹴られた俺だからわかる。三島のヴェロキラプトルみたいな引き締まった腿の内側には、ほくろがある。

「…ちょっと、待ってて」

三島(偽)が立ち上がって、トイレに向かう。

 そこに、ウェイトレスさんがコーヒーを持ってやってくる。

「お待たせしましたー」

コーヒーが置かれる。

「あの…お客様?」

「はい?」

「修羅場ですか?二股でもバレました?」

店長を呼べ。言いたいことがある。

「二股じゃないし、修羅場じゃないし、アレとなにかあったわけでもありません」

「あ、そうなんですか?失礼しましたー」

失礼なウェイトレスが去っていき、入れ違いに三島(偽)が戻ってくる。

「あったわ」

「なにが?」

「ほくろ…あ、あんなところのほくろ見てたの?蹴られる瞬間に?どういう動態視力なの?ばかじゃない?」

「ニセモノめ。自分で見るまで信じないぞ。見せてみろ」

「あんなところのほくろ見せられるわけないでしょ」

「ないから見せられないんだな」

「見たら…」

「ああ」

「責任とって、私を彼女にしてくれる?」

論理が飛躍したように思う。確認しよう。

 ほくろの存在を確認→三島(偽)から三島(本物)になる→三島(本物)→俺と付き合う。

 うむ。確実に飛躍してる。

「なんで、三島(本物)だと付き合うことになっちゃってんだ?」

「私は…二宮の…か、彼女になりたいわ」

三島(偽)が顔を真っ赤に染める。泣いたり、照れたり忙しいやつだ。というか、こいつさらっと大変な発言をしなかったか?

「…べつにずっとじゃなくてもいいのよ。付き合ってみて、その…やっぱり…き、気が合わないって思ったら、振ってくれていいわ。な、なるべくあわせるけど、どうしてもダメだったら振ってくれてもいいから…」

真っ赤に染まった顔をうつむかせて、上目遣いにちらりちらりと俺の様子をうかがいながら、細い手をワンピースの胸の辺りに押し付けて、搾り出すように言葉をつむぐ三島。

 そんな三島を見ながら、俺は思った。

 こいつ。なに言ってんだ?

「三島?」

「…はい」

「あのさ」

「た、試しにでいいの!お試しで!お試しで、つきあってみてくれれば、それでいいから…そ、卒業まででも…かまわないから…どうか、おねがいです」

三島がテーブルに頭を打ち付ける勢いで下げる。

 本当に、なんなんだ。これは。

 なぜ俺が三島に告白されているんだ。

 どうして、こうなった。

 伏線とかあったか?思いつきで物語を進めるにもほどがあるだろう。この世界のシナリオを書いている神様がいたとしたら、たぶんサイコロ振ってシナリオを書いている。一つ目のサイコロに「三島」って出て、二つ目のサイコロに「告白」って出たんだ。

 神よ。

 俺をナメるな。

 俺は、こう見えても美沙ちゃんの告白を断った男なのだ。この俺のチタニウムの意志を見せてやる。今さっき、美沙ちゃんの胸から手のひらを引き剥がすというカーボンファイバーの超意志力も披露したばかりだしな。

「三島…すまん。それは、できないよ」

「……」

ぐげぇ。黙らないでくれぇ。みぞおちの辺りがキリキリする。おかしい。俺は、天使美沙ちゃんの告白を断ったほどの男。言わば、天使の誘惑すら退ける鋼鉄のハードボイルドなのに、なぜヴェロキラプトル三島由香里がうつむいて黙ったくらいで、これほどの胃痛を感じるのだ。ぽとぽととテーブルの上に出来る染みがいけないのか。

「本当にごめん」

「試してみたら、意外と楽しいかもしれないわよ。私と付き合うの…」

それは意外ではない。三島は一緒に遊んだら、楽しいやつだと思う。TPOを考えずに俺を撲殺することを除けばマナーのいいやつだし、バランスの取れた立ち姿と重力を感じさせない軽やかな歩き方は遠くから見て、はっとすることがあるくらいだ。図書委員だけあって、本をたくさん読んでいるからか、話題も豊富だし、かといって知識をひけらかすようなこともない。

 二人で色んなところに遊びに行ったら、三島は間違いなく楽しいやつだろう。

 でも、そういうことではないのだ。

「楽しいとは思うけど、だめだ」

「どうして?楽しいとは思うのに?」

三島らしからぬ食い下がりっぷりだ。

「ん…なんとなく、だけど…だめ」

この俺のなんというフヌケっぷりよ。男らしさの欠片もないな。我ながらがっかりする。

「…そう。わかった。じゃあ…」

「すまない」

胃が痛い。情緒の揺らぐ自分に、緩やかな自傷行為でバランスを取る。ブラックコーヒーを痛む胃に流し込む。

「じゃあ、一度だけ思い出をくれない?」

ぶばっ。

 むせた。

「い、一度だけ、おおおお、思い出?」

それはアレなのか。『お願い。あなたの思い出を私のナカに頂戴』っていうアレなのか。エロゲで見たことがあるぞ。

「なに考えているの?殴るわよ」

三島の鋭いジャブが俺のテンプルをしたたかに打ち据えた。さすが三島だ。『殴るわよ』が脅しでも慣用句でも、襲撃予告ですらなく、宣言だ。三島が『殴る』と言ったときには、もうすでに殴り終わっている。かっこいい。犠牲者が俺でなければ、もっといい。

「二宮が考えたみたいなことじゃないから!」

「貴様もニュータイプか?」

「意味わかんないわ。違うわよ」

いつもの三島が帰ってきた気がする。ほっとする。

「じゃあ…。なにをすればいいんだ?負い目もあるし、たいがいのことならするぞ」

三島が目をすがめる。飛んでくるのは右か、左か、フックか、ジャブか、ストレートか…。スウェーバックでかわすか、ガードで受けるか。無数の選択肢が脳内を走る。

「…負い目ってなによ。わ、私が勝手に…勝手に二宮を好きになって…勝手に告白して、勝手に振られて、それでなんで負い目なの」

「いや。まぁ。ほら。なんか…」

そう言われてみれば、三島の言うことの方が正論だ。

「でも、そういうところ二宮よね」

理路整然としていないところが、俺っぽいと言いたいのだろうか。これでも、美沙ちゃんの超時空論理に比べれば、ずいぶんと筋道が立っているほうだと思っていたんだが、比較対象が間違っているだろうか?

「…まぁ、そうか?」

「うん…。でも、甘えさせてもらうことにするわ」

三島が甘えるとか気持ち悪い。三島は甘くない。いつだって、ハバネロ並みの激辛だ。最高にスパイシーでガツンと脳天に突き抜ける刺激的な女の子だ。ちなみに脳天に突き抜けるのはアッパーカットやハイキックだ。

「なんだ?」

「一日だけ…その…思いっきり甘やかしてデートしなさい。わ、私と」

「は?」

無茶言うな。三島を甘やかすとか、どうやったらいいんだ。そんなやり方は教わってないぞ。

「一日だけ、ラブラブで甘々で私にメロメロな彼氏になってよ」

「それって…」

「半日でもいいわ。十二時間でいいわ」

時間の問題じゃない。一分だってやり方のわかんないことは出来ない。

「八時間でもいい」

「時間が問題じゃなくて…やり方がわからない」

俺がそう言うと、三島が唇をかむ。吊り目気味の眉根を寄せて、鼻と眉間にしわを寄せる。

 あ。まずい。

 なぜか、幼稚園のころに砂場で泣き出した女の子の泣き出す予兆を思い出す。

「…も、もし、い、市瀬さんと一緒に出かけたらしたいようなことを、わ、私に…すればいいのよ。ろ、六時間でいいわ。昼前から、夕方まででいいから。それだけだから…お願い」

予想通り。ぽたぽたとまたテーブルにしみを作り始めた。今日の三島は、本当に困る。もう、俺、どうしたらいいの?

 モテ期といえばモテてる気もするが、このモテ期は困る一方でちっともうれしくない。

 もう少し、いろいろがオッケーなタイミングでモテてほしい。人生に三度あると言われるシューティングゲームのボンバー的なモテ期をここで使っているんだとしたら、無駄遣いすぎる。

 とは言え、胃が限界だ。正直、ちょっと吐きそうだ。胃の痛みに耐えかねて、俺はヘタれた。

「分かった。…来週の、週末でいいか?」

「…はい。おねがいします」

三島が両手をひざの上にそろえて頭を下げる。

 超、落ち着かない。

 お願いだから、やめてくれ。

 

 眠れない。

 明かりの消えた蛍光灯を見上げる。少しだけ開けた窓からの風が涼しくなってきて、心地いい。秋だ。明日も、いい天気だろう。きっと来週の週末には、昼間でも涼しくなっているだろう。

 来週の週末。

 俺は、三島とデートするのか。

 そういえば、デートをしようと言って、デートをするのは初めてだ。美沙ちゃんや、真奈美さんと出かけたり、妹と美沙ちゃんに誘われて美沙ちゃんの水着を選ぶなどという素敵イベントが発生したことはあったが、最初から『デートをしよう』と言って、デートをするのは初めてだ。

 初めてのデートが三島だとは…。

 初めて、告白されたのは三島じゃなかったけれど。

 そこまで考えて、ふと美沙ちゃんの姿が脳裏に浮かぶ。脳内HDDに記録した無数の美沙ちゃん再生。制服の美沙ちゃん。水着の美沙ちゃん。すらりと長く伸びた手足。緩やかにくびれたウェストと、夏みかん大のDカップ。

 ……。

 右手に感触がよみがえってくる。美沙ちゃん。

 もぞもぞ。

 もぞもぞ。

 ますます眠れない。

 美沙ちゃんを脳内再生すると、胸がほわっと温かくなって、心臓が過剰な血液を全身に送る。中心部にも送られてしまうのが、男子高校生のサガでもある。カルマでもある。

 そうじゃない。

 三島だ。今、考えたいのは、三島のことだ。

 三島…。泣いてたな。

 俺が泣かしたのかな。こっちは何度も三島に蹴られて、血を流すハメになることが多かったのだが、血液と三島の流した涙は天秤にかけられない気がする。そういえば、三島は以前にも卒業して俺に忘れられてしまうのが嫌だと言っていた。そういえば、修学旅行でやたらと俺の隣に居たがっていたな。

 三島か。

 三島って、どんな顔をしていたっけ?俺の脳内HDDにあまり三島の映像は録画されていない。美沙ちゃんばっかりだ。

 目を閉じる。三島の輪郭は、玉子をひっくり返したような面長な顔だ。つるんとした輪郭。顎の先端は尖っている。ラプトルっぽい。鼻は高くて、やや鷲鼻気味だ。そこもラプトルっぽい。どちらかと言うとツリ目。二重の瞼。メイクをしているわけでもないのに眉は細く、これもつりあがったイメージ。

 意外と、整った顔をしているんだよな。

 首も細くて長い。美沙ちゃんの絶妙な女性らしい柔らかさとスリムさの共存するスタイルとは違うが、引き締まった陸上選手のような鍛えられた体つきをしている。何度も蹴られて、否応なく見ることになった太もものカーブは絵に描いたような脚線美だったな。

 綺麗と言えば、綺麗なんだよな。三島由香里は。

 なのに、なんで今まで彼氏も作らずにいたんだろう。

 まさか、本当に俺のことが好きだったからなのか…。

 それで、告白して、振られて、泣きながら思い出のためにデートしてと言ったのか。

 胸が苦しくなる。

 俺、美沙ちゃんのことも泣かしたんだよな。

 俺のモテ期、間違ったところで発動しすぎだ。これが、もっと早いか、遅いか、俺がもっとシンプルな世界に住んでいたら、美沙ちゃんとラブラブで宇宙で一番幸せになっていたはずだ。美沙ちゃんのために、楽勝で死ねる俺が出来上がっていたはずだ。たとえ、美沙ちゃんにフラれていたとしても、三島とつきあって、ラブラブではないかもしれないが、楽しくデートをして殴られたりしても、町内で一番くらいには幸せになっていただろう。

 俺は幸せになれないどころか、天使を泣かして地獄の扉一歩手前まで(マジで)行った。

 きっと、次に死にかけるか、死ぬかしてワルキューレお姉さんに案内されて閻魔大王に会ったら、三島のことも罪状リストに加わっているだろう。

 俺は鈍感さで三島に苦しい思いをさせて、あんなふうに街中で泣き出すほど追い詰めていたのだ。

 ごめん。三島。

 デートは、三島を楽しませよう。全部、おごってあげられるといいな。財布にいくら残っていたっけ…。

 みしま…。

 いつしか、後悔と罪におぼれるように眠りに落ちる。

 

 罪には罰。

 罪と罰。

 

 目を覚ますと、インシュロックで両手両脚がベッドの枠にくくりつけられていた。口にはタオルで作った猿轡。

「んぐーっ!?」

くぐもった声しか出ない。

「静かにしてください。真菜が起きちゃいますよ」

ささやく天使の声。

「ん、んむはん?(み、美沙ちゃん?)」

「んふふふ。びっくりしました?」

俺に馬乗りになった美沙ちゃんが、懐中電灯を点ける。可愛らしい顔をLEDの白い光が下から照らす。

「来ちゃった♪」

むぅ…。最高に可愛い台詞のはずだが、なにかが違う。天使の声。天使の笑顔。ただし、殺戮の天使。

「お兄さん…」

ワンピース姿の美沙ちゃんが、屈みこんで花のような顔を寄せてくる。超かわいい。

「…三島先輩とデートするんですか?」

どきんっ。心臓が跳ねる。恋かな?

「バレていないとでも思いました?」

俺は、美沙ちゃんに恋をしてるのかなぁ。さっきから脈がすごい早いよ。どきどきどきどき。

「お兄さんが家を出た後、後をつけて、三島先輩と喫茶店に入ったから」

どきどきどきどき。

「喫茶店の裏に回って、壁に耳を押し当てて全部聞いていました」

美沙ちゃんの手が俺の頬を撫でる。すっごいドキドキするよ!心臓破裂しそう。もう、超、恋してるよ。イッツ・オートマティック!

「三島先輩のことをフっていてくれてよかったです」

美沙ちゃんが、暗闇の中からトートバックを取り出す。懐中電灯の光が踊る。きらりと反射するのは、ハサミだ。

 そばに居るだけで、体中に鳥肌が立つよ。恋ってすごいなぁ。

「でも私とは、デートしてくれませんよね。私も告白して、フラれたのに」

罪には罰。美の神の最高傑作、美沙ちゃんの透明な悲しみ。その罪に罰。

 ハサミ。

 俺の首にハサミが触れる。

 じゃきり。

「なんで、三島先輩とはデートをするんですか?」

じゃき。

「私とはデートしないのに」

じゃき。

「なんで?」

じゃき。

 え?なんでだろう。

 美沙ちゃんの疑問が、俺にしみこむ。

 じゃき。

 そうだ。三島とはデートをする。それを三島が望むなら、俺が傷つけてしまった三島への罪を購えるなら、望むとおりにしよう。そう思う。

 じゃき。じゃき。

「なんで。私とはデートをしないのに?私とはデートをしたくないの?」

美沙ちゃんとデート…。それは夢みたいなことだろう。したい。美沙ちゃんとデートしたい。手をつないで、遊びに行きたい。

 だけど、美沙ちゃんとはデートできない。しちゃいけない気がする。美沙ちゃんがそれを望んでも…。デートしちゃいけない気がする。

 じゃきんっ。

「三島先輩なんかに渡しません」

ばりっ。

 ハサミで切り裂いた俺のパジャマを左右にはだける。

「お姉ちゃんにも渡しません」

やばいっ。全身の筋肉を使って、脱出を試みる。しかし手足を留めているインシュロックは肉に食い込むだけで、切れる気配もない。むしろベッドのパイプがギシギシと悲鳴を上げる。

「暴れても無駄です。それって、アメリカじゃ手錠代わりにも使うんですよ。知らないんですか?」

そういえば、昔、テレビドラマで見たことがある。リアルにこんなに丈夫なものだったのか、こんなプラスティックの紐が!?

 懐中電灯の光が俺の身体の上を舐めていく。

「明かりつけちゃうと、真菜に気づかれちゃうかな…。お兄さんの身体って、こんなだったんですね。意外と、筋肉質…かな?」

美沙ちゃんの指が俺の胸をするりとなでていく。滑らかな感触にぞくぞくする。腹筋を撫でる。

「割れては…ないですね」

腹筋、割れるって相当鍛えないとああはならないぞ。っていうかヤバい。ヤバい。

「…渡しませんから…」

ヘルプ!

「お姉ちゃんにも、三島先輩にも、真菜にも」

美沙ちゃん、それはおかしい。真奈美さんに恋心とかない。三島はフッた。あと、真菜は実妹だ。

「お兄さん、ちゃらんぽらんに見えて責任感強いですよね。お姉ちゃんを社会復帰させてってお願いしたら…必要ないくらい面倒見てるし」

美沙ちゃんの手が俺の額を撫でる。前髪をいじる。

「本当に…だれが、あんなに優しくしろって言いました?お姉ちゃんに…」

白い両手が俺の頭を包む。

「…お姉ちゃんにじゃなくて、私にだけ優しくしてくれていればいいの」

がっ!

 ほっそりとした指がこめかみに突き刺さる。俺の頭蓋をわしづかみにする。

「わかります?お兄さんは、これからは私にだけ優しいんですよ。私のことしか考えないんです」

美沙ちゃんの表情の消えた顔が、二センチの距離まで近づく。光を消した鳶色の瞳が俺の瞳を覗き込む。両手に掴んだ脳の奥を覗き込んでくる。

「ふふ…責任感の強いお兄さんは、明日から嫌でも私のことしか考えなくなりますよ」

突然、柔らかな笑みを浮かべて美沙ちゃんの顔が離れて行く。

 もう一度、全身の筋肉を動員して脱出を試みる。美沙ちゃんを乗せたまま胴体をねじり、ひねって、暴れる。

「体力は残しておいたほうがいいですよ。そのほうが楽しめますし」

そう言いながら、美沙ちゃんの指が小さく震えて、何度か失敗しながらワンピースのボタンを外していく。

「これから…」

下までボタンの外れたワンピースの隙間から、白い肌と水玉の下着がちらちらと見える。心臓の高鳴りは、もうなんの所為だか分からない。

「…お兄さんのこと、レイプします」

美沙ちゃんの震える声が告げる。そして震える美沙ちゃんの手が、俺のパンツの上に降りる。

「…硬くなったら、これで…私の処女奪わせますからね」

やばいっ。ゴ○ウはやく来てくれーっ!真菜はなにしてる。寝てる場合じゃないぞ、起きて、助けに来てくれ。このままじゃ美沙ちゃんが危ない。

 するりとワンピースが白い肌を滑り落ちる。

 うわぁ…。

 美沙ちゃんの下着姿。暗闇なのが惜しまれる。

 非常に危険な事態だ。これで硬くするなという方が無理だ。

「ぜったいに責任取らせますから…。赤ちゃん出来るくらい、たくさんもらいますから、覚悟決めて楽しんだほうがマシですよ。逃がしません」

美沙ちゃんが意を決したまなざしで俺を見つめる。そういう覚悟は決めないでくれ。

「お兄さんだって、本当は私が欲しいんですよね。私にしてほしいんでしょ。ほら」

美沙ちゃんの手が、俺の意志を無視する俺の身体に触れる。それは、ただの本能だ。だから指で確かめないでくれ。パンツ越しの感触だけで爆発しちゃいそうだ。

 真菜ーっ。早く、乱入して止めてくれぇっ!全力でテレパシーを隣の部屋に向けて放射する。バトル漫画なら、確実に超能力に目覚める場面だ。目覚めろ!俺の精神感応力!兄妹の間にはある種のテレパシーがあるという研究も聞いたことがある!目覚めろーっ。

「…よかった。硬くなっていますよ」

うわぁあ。ごめんなさいっ!神さま!ごめんなさい。

「ここまでして、反応もしてくれなかったらハサミで切り取るところでした」

たまひゅんする。縮んじゃいそう。

 美沙ちゃんの手が、俺のパンツから離れる。

 そして、背中にまわる。

 ひらりと美沙ちゃんのDカップを覆う下着が緩む。落ちそうになるソレを美沙ちゃんの手がかろうじて抑える。

「お兄さんって、会ったときから私の胸ばっかり見てましたよね」

見てたけど、だめだ。ストップ!美沙ちゃん。ストーップ。

「触りたいですか?」

美沙ちゃんの身体が俺に向かって倒れこんでくる。俺の胸に柔らかな圧力がかかる。すりすりと美沙ちゃんの頬が俺の顔を撫でる。

 恐怖と、理性と、本能で頭がおかしくなりそうだ。

 いっそ気絶したい。

 がつんっ。

 頭に強い衝撃を感じて、目の前に星が飛ぶ。ついに、脳内出血を起こしたのかもしれない。

 がっがっがっがっ!

 強い衝撃が連打される。いよいよ脳内出血で死ぬのか。美沙ちゃんの下着姿から、ブラホック外しまで来て、俺の脳の毛細血管の許容範囲を超えたに違いない。

 身体にかかる美沙ちゃんの圧力がふと消える。

「んっ!きゃっ!」

なんだ?

「きゃーっ!んぐっ」

美沙ちゃんの悲鳴。

 続いて、どさどさという重い音がして、静かになる。

 明かりが点く。

 仁王立ちになっているのは、パジャマ姿の妹だ。横にはシーツでぐるぐる巻きにされた美沙ちゃんが縛られて、口にアノマロカリスのぬいぐるみを突っ込まれている。

 妹の手には、金属バットが握られている。さっきの頭への衝撃はそれか。

「美沙っちとにーくん、どっちを折檻すべきっすか?」

俺は寝てただけのはずだが。

「とりあえずにーくんが先っす」

妹がバットを振りかぶる。うわ。頭はやめてくれ!

 ぎゃーっ!

 妹の金属バットが、俺の金属バット(比喩表現)にヒットする。しかも連打だ。妹打線が火を吹く。やめろ!猛打賞やめろ!壊れる!満塁ホームラン!打者一巡の猛攻の後に、からんと乾いた音を立てて金属バットが床に転がる。

「つぎに美沙っちっす」

妹がシーツで縛られたままの美沙ちゃんをズルズルと俺の部屋から引きずり出して行く。そして、ドアが閉まる。

 

 俺の拘束を解いていってくれないか?

 

(つづく)


 
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