No.600420

森の産婆

妊娠したファリスと産婆のやりとり。

2013-07-22 18:47:58 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:942   閲覧ユーザー数:941

 イザベラへ

 

 達者か?こっちは相変わらずだ。

 

 手短に書く。ファリス――この手紙を持って行く娘――を診てやってほしい。たぶん、身ごもっている。

 おまえも知っているだろうが、俺のところの(かしら)だった娘だ。長いこと男として生きてきたせいか、普通の女が知っているはずの体のこともほとんど知らない。ひと通り教えはしたが知りたがらなかった、と言った方が正しいがな。

 

 連れ合いの男(ファリスはこいつと、まあ、うまくやっているようだ)は生き物や子供が好きで、ファリスより子供ができたことを喜ぶだろう。その分ファリスは、子供のことでも悩むはずだ。手間だろうが、力を貸してやってくれ。

 

*********

 

 あまり広くはない診察室は、こざっぱりとしており、薄暗いがやさしい光で照らされていた。書き物机や出窓に置かれたいくつもの鉢花。やや渋い色合いの木材でできた壁や天井。部屋の隅に置かれた少し大きめのベッド。香でも焚いているのか、気持ちが落ち着く香りがする。そして出窓の鉢花の隣に鎮座する、耳の垂れた茶色いぶち模様の犬のぬいぐるみ。のんびりしているような、少し甘えたような表情がどことなくバッツに似ている。青い目の周りに、目じりが下がったようなぶちがあるせいかもしれない。

 

 白髪混じりの髪を後ろできっちり束ねたばあさんは、小柄で色白で、まるで小鷺のようだった。不安と緊張で頭がいっぱいだったファリスは、思わず小さく笑った。仏頂面だったばあさんも、心なしか満足げな笑みを浮かべた。

 

 ファリスが手紙を差し出すと、ばあさんは黙ってそれを開封した。わずかに眉根を寄せて文面を追ったばあさんは、「了解した」とでも言うように、鼻からひとつ息を吐いてから読み終えた手紙を机の上に放り出すように置いた。

 

「ファリスさん、だったね」

 ばあさんは真っ直ぐにファリスの目を見て、ふっとほどけるように微笑んだ。

「ちょっと診察させてくれるかい。そこのベッドに寝とくれ」

 

「あ、あの」

 ファリスは上ずった声を出した。

「なんだい?」

「その……。下着……、脱ぐんだ、よな……」

 真っ赤な顔で口ごもるファリスに、ばあさんはにやりと笑って見せた。

 

「脱ぎたきゃ脱いでもいいけど」

「え?あの……股、広げて……」

「そういう病気のときはそうしてもらうけどね。身ごもってるかどうか診るだけのときはそのままでいいよ」

「身ごもって……?」

 やっぱりおれ、そうなのかな。呟くファリスに「それを診るんだよ。早く寝な」とばあさんはそっけなく言った。

 

「いるね」

 横たわるファリスの下腹に軽く手のひらを置いて、ばあさんはあっさりと言った。

「いる?」

「そうさ。赤ん坊が、ここにね」

 言いながら、ファリスの右手を取って下腹に触れさせる。

 

「……なんにも、わかんないけど」

「そりゃそうさ。赤ん坊の大きさ、今はこれくらいだから」

 言いながら、ばあさんは小さな姫りんごの実を上着のポケットから取り出して見せた。

 

「こんなに小さいのか……」

「半年後には、これくらいだけどね」

 ばあさんがベッドの下から、スイカほどの大きさのボールを取り出してた。タオル地でできていて、赤と黄と青の三つの色が使われている。ファリスが手に取ると、ふわふわと柔らかく、甘ったるい匂いがした。

「赤ん坊のおもちゃみたいだな」

「そうさ。ここには赤ん坊も来るからね」

 ファリスはボールをまじまじと見つめていたが、ふいに引きつった声をあげた。

 

「!……これが、その、あそこから出てくるのか?」

「そうだよ」

「……裂けたりしないのか?」

「するね、赤ん坊が大きかったりすると。そういうときは切るけどね」

「き、切るって……」

「鋏で切るんだよ。ちょっとだけだけど」

「こええ……」

 ファリスが心底怯えた声で言った。

 

「あんた、こんな風に丸まったまんま出てくると思ったかい?」

 ばあさんはからから笑った。

「腹ん中では丸まってるけど、出てくるときは体のばすんだよ。ちょっとこれ見てみな」

 体を起こしたファリスに、ばあさんは小さな本を一冊、広げて手渡した。そこには出産の様子が図解してあった。

 

「こんな風に体の向きを変えて、頭から出てくるんだよ。赤ん坊の骨はやわらかいから、けっこううまいこと出てくる。あんたのここの骨も開くしね」

 図の妊婦の股の辺りを指さすばあさんに、ファリスは恐怖を隠しきれない視線を送った。

「ひらく?ほねが?」

「そう。かなり痛いよ」

「……そうか」

 ため息をついてファリスは目を閉じた。

 

「赤ん坊産むのは痛いって聞いたけど、けっこうすごいもんなんだな」

「痛いのは嫌いかい?」

「そりゃ嫌いさ」

「あんまり痛みがひどいようなら痛み止めを使うけどね。でも、私は基本的に我慢させるよ。いやなら、城の医者に頼むんだね」

 

「……おれのこと、知ってたのか」

 気の抜けたようにファリスが呟く。

「あのじいさんとこのおかしらってったら、有名だからね。けどあんた、見事にお姫さまには見えないねえ」

「だろ?」

 少し嬉しそうに瞳を輝かせたファリスに、ばあさんは意地悪そうに笑った。

「お産のことなんにも知らないってのは、お姫さまっぽいけどね」

「……なんだよそれ」

 不服そうなファリスに、ばあさんは机の抽斗から小さな冊子を何冊か取り出し、手縫いらしい白い布の袋に入れて手渡した。

 

「これからちょっとずつ覚えていけばいいさ。あんたと、この子の父親と一緒にね」

 

「おかえり」

 微笑むバッツにファリスは「おう、ただいま」と軽く手を挙げて見せる。

「大きくなったって言われたか?」

 やっと目立ち始めたファリスのおなかを、床に膝を着いてなでながらバッツが言う。

「順調だってさ」

「そうか……。良かった」

 

 そう言えば、とファリスにミントティーを出しながらバッツが言った。

「向かいのおかみさんがさ。ファリスさん、おなか大きくなってからあそこまで通うの、しんどいんじゃないかって心配してくれてた」

「大丈夫だよ、あれくらい。おれが体力自慢なの、あのおかみさんも知ってるだろ?」

「そうだけどさ。村にも産婆がいるのに、わざわざ離れたところに行かなくてもってのもあるんじゃないかな」

「……あのばあさんのところの方が通いやすいんだよ」

「わかってるよ」

 笑いながらバッツもファリスの向かいに腰掛けてお茶をすすった。

 

「でも、マーシさんも腕はいいらしいから、もしものときは頼んでみてもいいかもな」

「……ばあさんにもそう言われた」

「へーえ。ばあさんが?」

「無理にうちに通わなくてもいいって。でも、マーシさんの産院に行くのって、いかにも“ちゃんとした女”って妊婦ばっかりだろ。けっこう恥ずかしいんだよな」

「まあ、この辺の若奥さんばっかりだもんな」

「あのばあさんは、なんていうか、わけありの女を専門に診てるらしいんだよ」

「わけあり?」

「おれみたいのは初めてだって言ってたけど……。普段は、まだ子供なのによく知らずに男と寝た、とか、無理矢理犯されて孕んだ、とか、子供堕ろすのがいやで逃げてきた娼婦とか……。そういう女が来るからさ、言葉は変だけど、待合室にいても落ち着くんだよ」

 

「……俺だったら、気分が暗くなりそうだけどな」

 苦笑するバッツに、ファリスはひとつうなずいて見せた。

「普通ならそうだろうけど、おれはずっと、わけありの奴らをたくさん見てきたからさ。真っ当な女に囲まれてるよりずっと居心地がいいんだ。……それに、ばあさんが赤ん坊のこととか、体のこととかちゃんと教えてくれるからかな。みんな初めは荒んだ顔してても、腹がでかくなってくると落ち着いた目つきになってる」

「心構えがしっかりできてくるのかな」

「だと思う」

「おまえも、ずいぶん余裕出てきたもんな」

「そうか?」

 うつむき加減に微笑むファリスの後ろに回ると、バッツは背中からファリスを抱きしめて言った。

「いいお袋になるよ。おまえなら、必ず」

 

 

*********

 

 ジョヴァンニへ

 

 ご無沙汰だね。そっちは相変わらずだろうかね。こっちもまあ、ぼちぼちやってるよ。

 

 今日、あんたのところのおかしらが坊やを連れて来たよ。あんたも知ってるだろうけど、父さんにそっくりの顔した、泣き虫だけど賢そうな子だ。

 

 ファリスさんが初めて身ごもったときにあんたがよこした手紙、覚えてるだろ?あんたが書いたことは確かに当たっていたけど、私はそれほど心配しなかった。初めて会ったときから、いい母親になると思っていた、ってのは前にも書いた通りさ。

 

 私が想像した以上に、あの娘はいい母親になってる。そういう人間に育てたあんたらの功績なんだけどね。ファリスさんと連れ合いの子供(もうすぐ「子供たち」になるね。ファリスさん、二人目を身ごもってたよ)が、どんな大人になるのか、見届けてから死にたいものだよ……。

 


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