No.599892

三匹が逝く?(仮)~邂逅編・sideティカ~

この作品は、TINAMIで作家をしておられる
YTA(http://www.tinami.com/creator/profile/15149
峠崎丈二(http://www.tinami.com/creator/profile/12343
赤糸(http://www.tinami.com/profile/93163
上記の方々の協力の下で行われるリレー型小説です。

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2013-07-21 06:06:40 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:1715   閲覧ユーザー数:1594

~Et draco tigris pulsu Phase~

 

 

龍虎相打つ

 

 其は不幸にして幸運なひとつの出会い

 

 

 

 

 

 それはまさに、断罪の鞭が振るわれる、その瞬間だった。

 

 元来、玄室とは内側から開けられるような構造ではない。

 何かを収め封じ、安置するのが玄室の役割であるからだ。

 故に、それを可能にしていたのは正しく魔術によるものであり、それを知らぬものが安易に開閉ができるような、そのようなものではありえない。

 裏を返せば、それを正しく知るものであれば一言で開閉は可能となる。

 

 公爵が身の危険を察し、合言葉を呟くと同時に扉が音もなく開く。

 

 ただ、彼は扉が開く速度が異様に早い事には気づくことはなかった。

 そのような事に気を払う余裕などなかったのだから、それは当然とも言えるだろう。

 

 故に彼は驚愕を顕にする。

 

 彼が即時飛び出すべき玄室の外側、その扉の向こうに“いるはずのない人物”がいるという事実に。

 

 扉の外側にいたのは、どう表現しても人ではありえなかった。

 ただし、これはあくまで公爵の感性においてである。

 

 公爵は確かに武人ではない。

 それ故に鍛え上げられた騎士のような肉体を持っている訳ではないが、貴族の嗜みとして自身が肥太る事を自身に許してはいない。

 選良にはそれに相応しい佇まいというものがある。

 そう信じる公爵は、確かに一線級の騎士達と比べれば薄い体をしているが、その年齢を考えれば十分に整えられた肉体を保持している。

 それに加え、長身と呼ぶに問題のない均整のとれた身体と、王家の血脈に類する甘く彫りの深い端正な顔立ち、見事な金髪に整えられた髭に深みのある声、健康的な白い肌。

 どれも凡人には持ち得ないものを天より授けられている。

 

 有り体に言えば、種族的人間として、凡そ羨望されるべき要素を多分に持ち合わせている男なのだ。

 

 そのような美観を有し、それが当然と考える公爵にとって、その男は人間とはとても呼べない。

 

 アルビノを彷彿とさせる真っ白な髪に真っ赤な瞳。なのにその肌は日焼けとは異なる下品ともいえる黒さを持つ。

 その体躯は自分が見上げる程であり、全身を鎧う筋肉は見事を通り越して吐き気すら感じるほどの質量を感じさせる。

 手足に添えられた甲ですら、一切の美意識もない、ただただ無骨なもの。

 

 こんなものを人間と認めるような感性は、公爵には存在してはいない。

 

 故に公爵は、必然としてこのような言葉を“それ”に叩きつける。

 

「ええい、退けい! 貴様のような下劣なものが屋敷にいるだけで不快であるというのに、どうして勝手にこの場に近づいたか! 俺の視界には入らぬように申し付けておいたであろうが!!」

 

 公爵は、そういう意味では奴隷売買に携わる末端の輩に対しては、実のところ全く価値を認めていない。

 認めてはいないが、貴族には貴族の責務があり、同様に汚物はそれに相応しい身分のものが扱い処理すべきという、当たり前の観点から消極的容認をしているだけなのだ。

 

 無能有能とは別の意味で、このような輩を認めることはない。

 これが公爵が持つ度し難いともいえる宿痾だと言える。

 そして、程度の差こそあれど、公爵に与する“人間達”が持つ宿痾なのだ。

 

 そんな暴言に曝されている褐色の巨人はといえば、公爵に対し、憎悪と嫌悪という毒を煮詰めて殺意で飾り付けたとしか表現しようがない、壮絶な視線を向けながらも、必死で歯を食いしばっている。

 その拳は煙でも吹き出しそうな程に音を立てて握り締められ、全身の筋肉が服や防具の上からでも判る程に膨れ上がっていた。

 

「こ、こんな奴を俺は守らなきゃならんのか……っ!!」

 

 褐色の巨人は食いしばった歯の内側でそう呟く。

 見れば、その歯茎からは血が滲み、口元からはガリゴリという異音が漏れ出している。

 吐息は焔を吹き出しそうな程に熱い。

 

 ただ、褐色の巨人の瞳にはしっかりとした理性の彩がある。

 

 ここで口を開けば声にならない罵声しか飛び出さない事も、そのままの勢いで公爵を叩き潰してしまいかねない事も、十分に理解しているのだ。

 

 褐色の巨人は、恐らくは非常な努力と忍耐とを以て、それでも公爵を庇うように通路を空ける。

 

「行け………。貴様の断罪は後だ。必ず貴様の罪は償わせてやる。だが今は……」

 

 憎悪の焔と共に漏れ出る呟きに一瞬顔色を朱に染めた公爵ではあったが、その言葉の内容を察する事ができない程我を忘れていた訳ではなかった。

 

 公爵は一瞬で状況を計算する。

 

 召喚したゴミめが動かないのは、不愉快ではあるがこの亜人(と、公爵は信じて疑っていない)がいるからであり、今はこの亜人の不敬を詰るよりも、安全の確保が先である、と。

 

 故に公爵は不快げに鼻をひとつ鳴らすだけで、それが当然と言わんばかりにさっさと玄室を後にする。

 

 そして、公爵に続き安全を確保した魔道士に向かい、小声で耳打ちをした。

 

「……解っておるな?」

 

「無論でございます。私もあのような亜人奴隷がいたとは知りませんでしたが、これはむしろ好都合。なれば…」

 

「うむ、機を見てあの不愉快な亜人共を、纏めて殺してしまえ。そのための時間は勝手にゴミ共が稼いでくれおるわ」

 

 玄室の入口から十分な距離をとり、彼らにとっての不愉快な事実を破棄するために、公爵と魔道士は準備をはじめる。

 

 その、彼らにとっては当然とも言える行動は、結果として彼らの命運を決定づけるものであったのだが、彼らがそれを悔いる事はなかった。

 エルフィティカは、それらの行動をただ冷ややかに見詰めていた。

 

 別に手を出せなかったとか、そういう訳ではない。

 

 ティカの感性では、別に急いで彼らを殺す必然性がなかった、ただそれだけの事だった。

 

 むしろ、この場を血で汚す必要がなくなり、壊す必要もなくなった事に安堵していたのである。

 

 当然、ティカはこの玄室が召喚魔法陣として、地脈やこの地に住まう精霊のちからを捻じ曲げ、悪質な呪いを組み込まれた上で恒常的に魔術師100人分にも匹敵する魔力を吸い上げ維持するために“歪められた聖地”であるという事を知りはしない。

 ただし、この地がなんらかの理由で聖別された場所であり、それが歪められているという事実だけは“祈祷師”として理解している。

 

 ティカにしてみれば、このような場所は種族の繁栄を願い寿ぐ為の場所として得難いものであり、このようにして“汚す”事が全く理解できない。

 それもまあ、腐った泥や飲めない水を自分から造り出して喜んでいるような連中なのだから、仕方がないかな、とも思っている。

 

(そうだよなあ…。自然信仰と共に生きる人達からしてみたら、現代人なんて自殺してるようなもんだもんな…)

 

 ティカの中の知識と感性が、そう結論づける。

 

 どうせ逃がすつもりもないのだし、地の果てまで追い詰めて、せめて殺して埋めてやろう。

 そう自己解決して、入口に視線を向ける。

 

 その瞬間、ティカは全身の産毛が毛羽立つのを感じた。

 

(なんだあれは……)

 

 入口に轟然と立つ褐色の巨人…。

 そう、身長でいうなら185はあろうかというエルフィティカにして、巨人と称するに足る巨躯を誇る男が、そこには居た。

 しかし、ティカが驚いたのは、その異形ともいえる見た目や体躯に対してではない。

 その“魂のにおい”とでもいうべき、独特のそれに対してである。

 

 ティカは“祈祷師”として、有形無形凡ゆる存在に対する“魂”とでも称すべき何かを“におい”で判別する事ができる。

 もちろん、その基準はあくまでティカが持つそれであり、その美醜は誰もが共有できるものではない。

 

 だが、その“におい”のあまりの異質さに、ティカの本能が警鐘を鳴らしはじめたのだ。

 

(なんだよこいつ……。おいらはこんな“におい”は嗅いだことがないぞ? 人間? 獣? 魚? 虫? 鳥? わかんねえ…。わかんねえけど気持ち悪い。気持ち悪いぞこいつ!)

 

 例えるなら、それは複数の香水や芳香剤を一緒くたにしたようなものだった。

 ひとつひとつは芳しいのかも知れないし、臭いのかも知れない。

 ただ、それらが全部ひとつになったら?

 言うまでもない、誰が嗅いだところで、そんなものは“臭い”に決まっている。

 

 そして、その“気持ち悪いなにか”は、自分の意志や好みはどうあれ、ティカの邪魔をする気満々ときている。

 ほら、それが証拠に…。

 

「なあ…。言葉が通じるかは解らんが、ここは黙って引いちゃくれねえか? 俺達にも事情があってな…。あのクソ野郎は、まだ殺す訳にはいかねえんだよ。すまんが頼む…」

 

 ティカにとって、言葉が通じる事そのものは不思議でもなんでもない。

 祖霊と共に万物の言葉を聴く事ができるティカには、意思があるものの言葉を聴くことは難しことではないからだ。

 

 ただ、この場合は双方運が悪かった、というべきだろう。

 

 褐色の男は、彼が抱える様々な事情から、それを譲る訳にはいかなかった。

 尚運の悪いことに、こうして“召喚されたもの”が状況の急変等により暴走とも呼べる破壊衝動にその身を委ねる事が少なくないという事実を“知識として”知っていた、というのもある。

 召喚が禁呪とされ国家で管理される理由のひとつに、喚び出したものを元の世界に還す事がほぼ不可能だという事実がある事が、召喚者とのファーストコンタクトにおいて非常な不利益となる事も知っていたのだ。

 結論として、最悪の場合は一度力で捩じ伏せた上で保護するしかない。

 そして、それが“できる”と知るが故に自分がここにいる。

 その外見にそぐわない理智を以て、褐色の男はこの場に立っている。

 

 振り返ってティカであるが、ティカの流儀ではこの男の言葉に“合わせてやる”理由が全くない。

 そもそもが、こんな汚れた聖地で、それを行っていたような汚泥の塊を庇うような者の言葉だ。

 しかも、ティカの判断ではこの男、明らかに“人間”ではない。

 こんな存在がこの場にいる理由をティカなりに考えた場合、この男は“聖地の守護者”でなければおかしいのだ。

 この大地を世界を寿ぐはずの“もの”が歪み汚れるのをただ見詰めていた守護者。

 いや、むしろこんなに気持ち悪くなっているのだから、こいつがそれを後押ししたのかも知れない。

 

 だったら、こいつの言葉に、なんの価値がある?

 

 汚泥の塊と一緒に殺して埋めてやり、こいつは自分の裡に取り込んでやって浄化して、歪みを糺してやればいいじゃないか。

 

 本能と理性の両方で察している事だが、もうエルフィティカは還れない。

 

 還れないけど、氏族の復興は不可能じゃない。

 

 本来自分が生きるべき母なる大地で怨嗟と憎悪を糧に氏族を立て直すくらいなら、この新たに与えられた大地で再び祖霊と共に生き、子を成して高らかに謳おう。

 

 だからティカは、本来己が相手に払うべき礼儀すらも無視して、ぽつりと呟くように告げる。

 

「汚れきって臭いだけの連中にも、気持ち悪いだけのお前にも、合わせてやる理由はおいらにゃないよ。だから死ね。お前はまだ気持ち悪いけどましだから、食らって讃えてやるからさ。そして清くなってまた還ってくるといい」

 

 “気持ち悪い”と言われた褐色の男は、一瞬だけその瞳に泣きそうな、あまりにも悲痛な彩を浮かべる。

 しかし、男はその想いを振り払うように瞑目し、ゆっくりと息を吐き出す。

 

「………仕方ねぇ。だったら俺は、お前を止めるまでだ。表に出な。ここじゃやりづれえからな…」

 

 確かに、ただでさえ歪みに悶えるこの地の“もの”を、これ以上苦しめる趣味はティカにはない。

 

 褐色の男に付き従うように玄室を出たティカは、男の背後に本来先に殺すべき汚泥の塊が居る事に気付く。

 

 まあ、ティカにとっては既に優先順位などなく、どれもこれも殺して埋めて清めてやるしかない汚物でしかない訳だが。

 

 そして、何の前触れもないままに、唐突に二人は激突する。

 先手をとったのは、褐色の巨人・ジム=エルグランドだった。

 

 元々ジムは、その性分として守勢を好んではいない。

 出来うるなら全力で先制し、その一撃でもって相手を叩き潰し沈黙させる。

 

 彼が持ち合わせるもうひとつの性分がそれを許さない場合が多いため、その頑強さや圧倒的なパワーのみが目に付くが、ジムが持つ本質はまさに“先手必勝”“一撃必殺”という言葉に代表される強者のそれである。

 

 また、その圧倒的な身体能力は、彼に小細工を用いる事を由とはしない。

 

 ジムにとっての“戦闘技術”とは(本人にとっては誠に不本意ではあるが)相手に対する慈悲とも言える“手加減”の産物なのである。

 

 故に、今自分の眼前に立つ、全身を幾何学的でありながら生物的な、矛盾する要素を兼ね備えた魔術刻印(と、ジムは判断している)で全身を鎧う男に対する最善手として、彼は先制の一撃による無力化を選んだのである。

 

「悪いな! こいつはてめぇのムカつく言葉に対する八つ当たりも含めた、俺からのプレゼントだ!!」

 

 殺す気はないが、無傷で終わらせてやる気も全くない、無造作ともいえる拳の一撃が唸りをあげる。

 その一撃は神速にして重厚、まさに鉄球が目にも止まらぬ速さで打ちつけられるという表現がぴたっと当てはまる。

 その威力は、恐らく金属鎧に身を固め大盾を万全の体制で構えた騎士であっても、その盾ごと相手の腕を粉砕するに十分な威力を持っていた。

 

 狙うは肩口。

 

 腕ごと肩をブチ砕いてしまえば、満足に身動きできる人間など居はしない。

 それを知るが故の、絶対の自信をもって放たれた一撃だった。

 

 が、次の瞬間、ジムは自分の認識の甘さを知った。

 

 元々が“キュマイラ”の称号を得る理由でもある、特殊な魔法と体質を有するが故に、五感に至るまでが常人とは一線を画すジムだったが、その彼にして致命的な過ちを犯した。

 

 その理由は、一言でいうなら相性である。

 

 ティカはその成り立ちからくる特質として、本来“野生動物”に対する対応力が非常に高い。

 その本質は人間を相手に戦うようにできていないのだ。

 ただし、その血を濁らせずにいるためにではあるが、嗜みとして対人戦を弁えてもいる。

 この点に関しては後日詳しく語る機会もあるだろう。

 

 つまり、何が言いたいのかというと、ジムが持つ特有の“勘”や“感”に、ティカは敵として認識されなかったのだ。

 

 これは多分にジムが“慣れ”てしまったが故に発生したミスである。

 

 その結果、手加減したとはいえども十分な破壊力を以て放たれたジムの右拳は、あっさりとティカの左掌によって阻まれた。

 そしてティカは嘆息する。

 この気持ち悪い聖地の守護者に、戦士としての僅かな期待を持っていたが故に。

 

「おめえ、馬鹿だな…。じゃあな……」

 

 対するティカには遠慮は全くない。

 どこから取り出したのか、骨を削り出して造り上げたかのような大振りの鉈を右手に、全力でそれをジムの腹に叩きつけたのだ。

 普通ならその背骨ごと胴体を叩き切ってもおかしくない、壮絶な勢いで。

 

 しかし、その一撃はジムの胴体を裂くどころか、その皮膚に傷をつける事すらできなかった。

 なぜなら、当然服の下からは見えるものではなかったが、その脇腹は蛇とも蜥蜴ともつかない頑強にして柔軟な鱗に覆われていたからだ。

 そして、ジムの持つ見事な筋肉は、緩衝材としてその衝撃をも受け止めている。

 

 両者の顔に驚愕が浮かび、そして仕切り直すかのようにティカが飛び退く。

 

 その理由は、ジムがそのまま大蛇の腹としか表現できない、その太い左腕をまさに“巻きつける”かのようにティカの首に伸ばしてきたからである。

 

 この刹那の攻防を躱されたジムは、きつい舌打ちをする。

 同様に、驚愕をその顔に履いたティカもまた、首を傾げて困惑を顕にした。

 

「……くそっ! こいつは甘く見すぎたか!!」

「………手加減していないのに、無傷…?」

 

 そしてティカは、相手のスイッチが切り替わった事を空気で察して、内心で舌打ちをする。

 そもそも、狩りの相手とは基本的に罠で仕留めるか飛道具で仕留めるのが普通だ。

 どこぞの馬鹿ではあるまいに、誰が好きこのんでわざわざ獲物を手負いにし、その反撃に我が身を晒したいものか。

 

 ほら、その獲物はといえば、真紅の双眸に戦意を滾らせ爛々と輝かせて、ゆったりと舌舐りをしているじゃないか。

 

「く…くっくっくっくっくっ……こいつはすげえ、すげえよ…」

 

 そう、ティカにとっては苦もなく狩れるはずだった獲物は、左脇腹をゆっくりと摩りながら、その巨体を小刻みに震わせている。

 錯覚だろうか、その唇から漏れる喜悦の声と共に、その体が、ゆっくりと一回り、大きくなっていく。

 

「……こいつは本当なのか? 現実なのか? 俺は夢を見てるんじゃねえよな?」

 

 普通なら、こんな隙を見せる獲物を前に躊躇はしない。

 だが、ティカの全てが叫ぶ。

 今、こいつに手を出してはいけない、と。

 

「ああ、こいつはすげえ…。信じられねえよ……。もしかしたら、俺は今“喜んでいる”のか…? もしかして、俺は“全力”で戦っても、いいのか……?」

 

 歓喜に打ち震える猛獣を前に、ティカは嫌でも察する。

 自分は、一撃を損なった事で“狩り”に失敗したのだと。

 

 見れば、相手の口元は、舌は赤黒く血に濡れている。

 やはり自分の一撃は“普通なら”致命的な一撃だったのだ。

 どうやって鉈の一撃を凌いだかは判らないが、それは内腑に届くだけの一撃だったのだ。

 

「やべえ……。もうどうしようもねえ。嬉しくてうれしくて仕方がねえ。こんな腐れた仕事で、我慢に我慢を重ねて、歯を食いしばってたらよ…。こんな嬉しい事があるなんて、思ってもみなかった!」

 

 そしてティカは、魔獣の咆哮を聞く。

 理不尽という鎖に縛られ、現実という檻に閉じ込められ、無理解という枷を食い破り引きちぎって、歓喜に咽び泣く“キュマイラ”の咆哮を。

 

 自らが架した枷を外した魔獣は、無造作にその拳を“その場”で震う。

 その震動は空気を震わせ、物理的な威力を伴ってティカに叩きつけられた。

 

 それを防ぐため、両手で顔を庇ったティカだが、それは悪手としか言えない行動だった。

 

 何故なら、次の瞬間、その顔を暴力的なまでの歓喜に染めたジムが、その隙を縫うように突撃してきたからだ。

 

「くははははははは! おいこら! 俺が満足するまで死ぬんじゃねえぞおっ!!」

 

 全身の防具を弾き飛ばし、その腕を脚を身体を異形のものへと変化させ、今、一匹の獣が解き放たれた。

(これは夢だ、悪夢だ、そうに違いない!)

 

 アレクシス=エマニュエル・ル・ロワイエ公爵は、その光景をそう断じていた。

 

 それはそうだ。

 誰がこの光景を“現実”だなどと思うものか!

 

 褐色の亜人は、目の前で地獄の魔獣としか表現できない、名状するのも烏滸がましい醜い姿となって、歓喜に喉を震わせながら暴れ狂っている。

 

 それだけならまだいい。

 

 対するもう一匹の亜人はどうだ。

 全身をこれまた吐き気を催すような魔術刻印で覆い、その化物と対等に渡り合っているではないか!

 

「こ…、こんなものが現実だとっ!?」

 

 公爵は自分の喉が引き攣り、声がおかしな割れ方をしている事にも気づかないでいる。

 

「うおらああああああああああああっ!!」

 

 魔獣が雄叫びをあげる度に、空気が砲弾となって壁を、天井を、床を打ち砕く。

 

「Viiiiii…」

 

 亜人が喉から奇怪な音を漏らす度に、空気が潰れ、石が溶け、世界が悲鳴をあげる。

 

 公爵本人は気づいてはいないが、彼がへたりこんでいる床は異臭を放ち、その下半身はしとどに濡れている。

 

 地獄の再現。

 

 彼はそう認識し、こんなものを見せられる理由は自分にはない、と、現実逃避をはじめていた。

 

 実のところ、こうして公爵が“生きている”のは、全く偶然の産物である。

 

 ある種の歓喜に打ち震えながらも、ジムは正気を手放していた訳ではない。

 ジムは公爵と魔術師がいる先に、自分が保護すべき“犠牲者達”がいる事を忘れてはおらず、結果、手加減とは全く別の意味でその暴力的なとしか表現できない攻撃性を抑圧されていた。

 

 対するティカもまた、ジムの行動からそれを察していたのだが、獣の巣を荒らす事と同義ともいえる事実を察し、その方向には攻撃を流さないように気を使っている。

 

 その結果、両者の戦いは理不尽なまでの消耗戦の様相を呈していた。

 

 ティカはその身に宿す“祖の紋章”の恩恵により、鉄のような頑強さに鞣革のような靭性を有した肌を盾とし、単細胞生物もかくやという異常な回復力をもって戦っている。

 

 対するジムもまた、状況に合わせ、その腕を脚を皮膚を、躰の全てを異形へと変えながら、これまたトロルも裸足で逃げ出すような回復力を以て戦っているのだ。

 

 両雄並び立たず、あるいは矛盾。

 

 そう称される状況が、正しくそこに在る。

 

「くそっ! いくら召喚者とはいえ、てめえ本当に人間かよ! いい加減くたばりやがれえっ!!」

 

「そいつはおいらの台詞だ! 気持ち悪いにも程があらあっ!!」

 

 お互いを罵りながらも、戦いは止まらない。

 

 一言で言えば、お互いに本当に運がない。

 

 なまじ頑丈に造られていた場所なだけに、この場所が両者の攻撃による余波に耐えている事だけが唯一の救いだろうか。

 それもそろそろ限界が近いようだが…。

 

 ちなみに、この状況で意識を保っていられる公爵は、やはり人間としては十分に傑物と言えるだろう。

 魔道士に至っては、とうの昔に正気を手放し、あっさりと意識を空の彼方へと放り出している。

 

 そして、そんな地獄の悪鬼が相打つような戦いが変化を見せたのは、その公爵にしてもいよいよ正気を手放しそうになった、その時だった。

 

「ここは“歪んだ聖地”みたいだからおいらも遠慮してたけど、このままじゃ埒があかない…」

 

 ティカのその呟きに、腕を蟷螂のそれに変化させ竜巻のように振るっていたジムが応える。

 

「この期に及んで手加減してたってのか! ふざけんな!!」

 

 まさに雄獅子のようにその容貌を変化させて吠えるジム。

 恐怖しか呼ばないその容貌と竜巻のように振るわれる鎌を肋骨のようなモノで捌きながら、ティカは厳かに告げる。

 

「手加減なんかしてない。ただ、ひとつだけ訂正してやる。お前は確かにおいらにとっては気持ち悪いけど、歪んでない。お前は“戦士”だ、認めてやる」

 

「ありがとよ、とでも言うべきかね! おらあっ!!」

 

 あまりにも上から目線な言葉に、流石に怒りを覚えるジム。

 だが、その本能はそれがはったりでもなんでもない、と警鐘を鳴らしている。

 このままやりあえば勝つのは自分だ、だから余計な暇を与えるな、と。

 

 自分の中のギアを更にあげて責め立ててくるジムに対し、ティカは尊崇の眼差しを送る。

 

「おいらは、ここが“異世界”だと知ってる。だから遠慮してた部分はあるんだ。だけどもういいや…」

 

 瞬間、ジムの背筋を“ぞわり”とした感覚が駆け抜ける。

 

(こいつはやばい、何かがやばい、こいつに何かをやらせちゃだめだ!!)

 

 そう考えつつも、その本能でジムは一気に飛び退き、その全身を竜鱗と気泡で鎧う。

 

 まさに“キュマイラ”としての本能が、そして“ジム=エルグランド”としての理性が、それを彼に選択させた。

 

 その様を見て、エルフィティカは“にんまり”と嗤う。

 

「うん、いい選択だ。頑張って耐えろよ? まあ、おいらはもう遠慮はしないけどな…」

 

 その歪みきった顔を見て、ジムの脳裏に焦燥が奔る。

 

(くっ……! もうこの際、ロワイエなんざどうでもいい! 頼む! せめてガキ共は、あいつらだけでも!!)

 

 そして…。

 

 “それ”はむしろ厳かとも言える、絶望的な“現象”として降り注ぐ。

 

 神が齎した言葉のような、清冽な音と共に。

 

「じゃあな、気持ち悪いけど素晴らしかった戦士」

 

 

 

 

…………“怒りと嘆きと共に奮え、地神の掌”…………

 

 

 

 

「くそったれえええええええええええええええええっ!!」

 

 

 

 瞬間、全てを焼き尽くさんばかりの膨大な熱と、大地震を思わせる莫大な衝撃が、その場を支配した。

 

 

後書きとなりますが。

 

まずは参加してくださいました赤糸さん、ありがとー!

 

で、今作最初のバトルシーンですが、違和感あったりしたらなんかごめんorz

 

まあ、本来はジムの心理描写とか、ねっちりと入らないといけないんでしょうなあ、とは思うのですが、表層的になっちゃったのでこうなりました、と言い訳をしつつ…

 

 

嗚呼! 石投げないでっ!!

 

 

ともかくも、これで邂逅編も折り返しかな、と思います。

 

皆様に楽しんでいただけてれば幸いです。

 

 

 

 

 

一番楽しんでるのは間違いなく私ですけどね(ぼそり


 
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