No.599025

すみません。こいつの兄です。70

妄想劇場70話目。三度目のコミケの話。つばめちゃん回。架空の同人作家さんを出しているのですが、同じペンネームの人がこの世に存在しないといいなと祈りながら書きました。万が一「さわりかいな」さんという名前の作家さんがいらしたら、大変お手数ですがお知らせください。すぐ変更しますです。偶然です。
最初から読まれる場合は、こちらから↓
(第一話) http://www.tinami.com/view/402411
メインは、創作漫画を描いています。コミティアで頒布してます。大体、毎回50ページ前後。コミティアにも遊びに来て、漫画のほうも読んでいただけると嬉しいです。(ステマ)

2013-07-18 22:37:34 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:1079   閲覧ユーザー数:1010

 七月の後半、美沙ちゃんの応援があってから学力が上がっている実感がある。実際、七月末に予備校で受けた模試では、第二志望の私立はあっさり合格圏内に入っていた。けっきょく、あの日は美沙ちゃんの水着姿は見れなかったわけだが、それでもエサをぶら下げられた俺の脳はブーストして、一時的にだが国立大学すら合格ラインを超えた。偶然でも、一度自力で解いてしまうと、二度目からは不思議と前回に解いた方法を思い出すことができた。まさに、美沙ちゃんは女神である。

「直人、カンニングじゃないでしょうね?」

居間で、母親が息子を信頼していない。

「ちがうよ!」

「ただのがんばりで、こんなに一気に成績があがるものかしらねぇ?」

居間で、成績表が母親の思い込みを覆せないでいる。そんなにも俺はバカであるべきだろうか。

「まぁ、ちょっと頭が明晰になることはしたかな」

美沙ちゃんの水着姿を餌にぶら下げられて、脳がハイパーモードに入ったんだが、母親にはちょっと言いづらい理由だ。

「直人!クスリはやっちゃだめでしょ!」

「やってないよ」

なんで、こんなに信頼がないのだろう。

「じゃあ、白状しなさい。なんで、こんなに急に成績がよくなってるの!」

成績がよくなって叱られている。その理不尽が行われている現場に妹が二階から降りてくる。

「にーくんは私のスク水で、興奮して脳みそぶっ壊れたら成績上がったっすよ」

「直人?あんた実の妹でナニしてるの?」

「なんにもしてないし、こいつの水着姿とか意味ないから」

胸がBカップを超えてから出直して来い。

 美沙ちゃんだよ。俺の脳を一回分解して組みなおしたのは、美沙ちゃんだ。しかも、結局一枚も脱がずにだぞ。美沙ちゃんの女子力は攻撃を繰り出す前に、未熟な冒険者が死ぬレベルだ。女神だ。

「ただの水着じゃないっす。スク水っす」

「スク水が水着よりえらいって発想はどこから来たんだ」

「『無人島で遭難し…』」

「わかった!ストップ!シャラーップ!」

なんのタイトルを母親の前で言うつもりだ、このバカ。

「真菜…。お兄ちゃんも、思春期の男の子なんだから気をつけるのよ。変なことされる前に、お母さんに相談するのよ」

相談されたら、母さんは俺をどうしちゃうつもりなのかな?

 

 この仕打ちの元が、模試の結果が良かったからなのだから、世の中理不尽極まりない。

 世の中の仕打ちは、努力とも結果ともあまり関係がない。ひどい目にあうときには、シンプルにひどい目にあう。

 受験勉強とは別のことを、俺は学んでいた。

 それでも、成績が上がったのでなんとか、取り上げられていた携帯電話を返却してもらった。パソコンはまだ妹に与えられたままだ。毎晩、妹が俺のパソコンに自分でインストールした妹ものエロゲをやっている声が壁越しに聞こえてくる。さっき妹が言及しそうになったデンジャラスタイトル「無人島で遭難して、スク水妹と青姦三昧~お兄ちゃん、妹の膣に膣内射精しすぎ!~」もインストールされている。このままでは、パソコンが戻ってきた途端に俺が『妹モノのエロゲをHDDパンパンになるまでインストールしている実妹と同居の兄』になってしまう。両親は、うちの妹に俺のパソコンを与えるということの危険さを分かっていないんだ!大人はいつも分かってくれない!分かっても困るけど!

 まぁ、それはそれとして、携帯電話を取り上げられていた二週間の間の着信履歴とメールをチェックする。ちびちび着信してるくらいでは、バッテリーは二週間くらいびくともしない。ガラケー素敵過ぎる。妹のスマホなんて、毎日充電しているのにな。

 案の定、最初の一日は、美沙ちゃんからのメールと着信が多い。多いというのは、控えめな表現だ。実際には、だんだんメールの感覚が短くなって、十秒に一度の割合で《戻りました?》《まだ帰ってないんですか?》《もしかして怒ってます?》《ごめんなさい。謝ります》《ゆるしてください》《返事くらいください》《水着の写真添付しました》《これから行ってもいいですか?》などの刺激的なタイトルのメールがならんでいる。たしか、このあたりで妹の電話に電話があって、妹が俺の携帯とパソコンの状態を説明したはずだ。

 もちろん、その間に着信履歴もきっちり入っている。美沙ちゃん=プリンセス・オブ・ダークネスの闇の力が放出されているな…。

「ん?」

いくつかの予想してなかった着信履歴に気づく。

「佐々木先生?…かな?つばめちゃんか…」

佐々木つばめ先生は、うちの学校の先生でもあるんだが、同時に俺をコミケに連れ出して自作のエロ漫画を売るのを手伝わせる『つばめちゃん』でもある。着信があると、どっちの顔で電話しているのか分からないのは少し困る。でも、俺は理系クラスで、佐々木先生は国語教師だから、つばめちゃんだと思うのが妥当だろう。

 着信履歴を見ると、三日くらい前と、昨日の二回、わりと夜遅い時間だ。着信時間は三秒と、二秒。ワンギリじゃないか…最近、珍しい言葉になったよな。ワンギリ。

「とりあえず、電話しとくか…」

携帯電話を手にとって電話をかける。

『はい?なに、なおくん』

つばめちゃんの死んだ声が出る。俺の呼び方もいつのまにか、なおくんになっている。完全につばめちゃんだ。佐々木先生は一ミリも残っていないモードだ。

「あ、着信履歴あったから電話したんだけど」

『あっ。ち、ちがうの。それ。その…ま、間違いなの…』

そういわれて、ふと思い出す。そういえば、八月だ。夏のコミケの季節だ。

「つばめちゃん、今年は手伝わなくていいの?」

『……』

無言が返ってくる。

「あ、こ、コミケのことなんだけど…」

『…手伝って欲しい…』

「うん。何日?」

『…でも、だ…だめ…』

最初から死んでいたつばめちゃんの声が、気のせいか若干涙ぐんでいるようにも思える。

「あれ?ひょっとして、抽選落ちしたとか、原稿間に合わないとか?」

『間に合うわ!ぜったい!あと十三時間あるもの!間に合う!』

わぁっ。びっくりした。

 そうか。つばめちゃん、漫画を描いていて徹夜続きだったのか。それで、こんな死んだ声なんだ。なっとく。

「じゃあ…手伝いに行くよ」

『…うっ…だ、だめ…。だめだからっ!じゅ、受験生は、べ、勉強してなさい!い、一年だけじゃない!勉強してなさい!…で、電話切るわ。い、忙しいから電話しないで…』

よほど切羽詰った状況らしい。若干…どころでなくパニックっぽい声音のつばめちゃんに申し訳なくなってきた。

「う、うん。じゃあ頑張って。陰ながら応援してるから…またね」

『…う、うん。なおくん…なおくん、またね。ぐずっ』

ぐず?

 締め切りと徹夜続きで情緒不安定になっているつばめちゃんをそうっとしておくべく、電話を切った。少なくともあと二十四時間くらいは、そうっとしておこう。原稿間に合うといいな。

 

 がんばれ。つばめちゃん。締め切りは逃げないぞ。迫ってくるだけだ。なぐさめになってない。

 俺の受験もだ。

 俺も、がんばろう。一日十六時間くらい勉強するぞ。

 

 八月に入ってから、二週間が過ぎた。模試の結果が予想外によかったにもかかわらず、俺は真面目に勉強しまくっていた。アピールのために、部屋にあった漫画やラノベも妹に与え、携帯電話も居間に置く周到さだった。部屋にいる間は勉強以外できない環境だ。三日に一度、美沙ちゃんがやってきた。妹が美沙ちゃんを見張っていた。見張っていなければ、エンジェル勉強タイムになったはずだ。エンジェル勉強タイムの詳細は割愛する。とてもエンジェリックでヘブンリーな提案を美沙ちゃんがしてきて、理性回路がオーバーロードした俺が落ちそうになったのを、妹が止めていたとだけ言っておく。

 妹を恨むべきか、感謝すべきかの答えは出ていない。

 とにかく、俺は七月下旬の予備校の模試で、美沙ちゃん水着ブレインブーストを使い脅威の成績アップを果たし、真面目に一日十六時間机に向かい、しかもそれを両親にアピールすることも忘れなかった。

 そして、八月十二日午前四時、携帯電話のバイヴレーションで目を覚ました俺は、ソリッドでスネークなあの人もいいセンスだと誉めてくれるくらいの隠密行動で家を抜け出した。今日一日部屋にいなくても、あれだけ勉強したんだ。許されるはずだ。

 ぱらぱらと降る雨の中、傘をさして駅に向かう。だれもいないホームで、空っぽに近い電車に乗る。駅を降りる。歩く。

 そして、オートロックのエントランスの前で待つ。午前五時十三分。

 まだ出てないといいな…。

 エレベーターの扉が開き、中からトートバッグを提げた水色のワンピースのその人が降りてくる。ガラスの自動ドアが開く。

「え?なおと…くん?」

「つばめちゃん、おはよ。荷物少ないね」

「え…う、うん」

どっきり成功である。水色のワンピースを着たつばめちゃんが、目をぱちくりさせて、口をぱくぱくさせている。こんなに驚くとは思わなかった。

「荷物運ぶの手伝おうと思ったんだけど…」

「え…あ。い、いいの!こ、今回は宅配便で送ったし、新刊も直接搬入だから!」

そっか。宅配便か。去年の夏も冬も人力で運んでいたから、そんな手があることに思い至らなかった。

「あ。そうなんだ…。一緒に行ってもいい?コミケ」

「…なおとくん、受験勉強は?」

「今日一日くらいは、大丈夫なくらい貯金しておいた」

「じゃあ、いいか…な。いいよね」

つばめちゃんのどっきり顔に、ようやく笑顔が戻る。俺も、少しほっとする。エントランスでフリーズしてた時間が動き出して、並んで歩き始める。

 駅から、電車に乗る。

 過去二回は台車を引いての電車だったが、今回は身軽だ。ベンチシートの片側をつばめちゃんと二人で占有する。こんなに楽なら、毎回宅配便使えばいいのに…あ、そうか。まさか宅配便より俺が安いのかな。あの重さのダンボールって、送料いくらなんだろう。

 いつもは、コミケのときには饒舌になるつばめちゃんだが、今回は無口だ。受験生なのに、遊びにでてきたりして、佐々木先生として怒ってないかな。大丈夫かな…。余計な心配をしてしまう。

「…なおとくん」

「はい?」

怒られる?怒られるかな?

「私…ちょっとやばいかも…」

「え?どうしたの?体調不良?大丈夫?」

そういえば、ぎりぎりまで徹夜していたような記憶がある。

「あ。ううん。そうじゃなくて。あの…その…」

つばめちゃんの日焼けしていない頬がほんのりと桜色に染まっている。あれ?ホントに熱があるんじゃないのか。

「つばめちゃん、顔、赤いよ。熱でもあるんじゃない?」

熱を測ってみようと、前髪をアップにした額に手を伸ばす。

「…ひゃっ!な、なにするのっ!」

つばめちゃんがサイドステップですっとんだ。

「ね、熱はかってみようと…」

なんで、そんなに驚かれちゃうのだ。

「ね、熱は、だ、大丈夫。た、体調も問題ないわ。そ、その…な、直人くんが朝から驚かすからいけないの!」

「そんなに驚くようなことしたかなぁ…」

たしかに予告なく来たけど、そんなに驚かなくてもいいと思うんだ。

「お、驚きました。ちょーびっくりしました。っていうか、なおくんは、ラノベの無自覚難聴鈍感主人公ですか。銀髪の邪神になんかされますよ。現実であんまりそういうのは、もうなんか、いろいろ二十九歳と二十四ヶ月の女子的にヤバいので、たまにやって下さい。お願いします」

コミケの日のつばめちゃんは、やっぱり饒舌だった。ちっとも無口じゃない。

 でも、意味はつかめない。国語教師として、これはどうなのだろう。綺麗な日本語を是とする佐々木先生らしからぬ日本語の乱れっぷりだ。二十九歳は女子なのか微妙だし、二十九歳と二十四ヶ月ってようするに三十一歳だし、最後はけっきょく手伝って欲しいんじゃないか。

「ようするに、手伝ったほうがいいんでしょ」

「ぐっ…そ、そういうこと…で、でも、さすがにじゅ、十二月の冬コミだけは我慢するから、じゅ、受験もが、頑張りなさいね…」

つばめちゃん、顔に汗かいてる。今日は朝から、暑いからな…。

 

 新橋で、乗り換え。

 

 おいこら、ちょっと待て、なんだこの新交通ゆりかもめは…。

 朝六時なのに、ゆりかもめの新橋駅が通勤ラッシュだ。眼光鋭い猫背の男達でごった返している。これを無人で運行されるゆりかもめに詰め込んで運ぶとは、なかなかに自動運転の安全性と信頼性が試されていると思う。とはいえ、今回は荷物がないのでタクシーを使う理由もあまりない。スイカで改札を通過して、つばめちゃんと二人で整然と蒸れる車内に乗り込む。

「…さ、さすがに混んでるわよねー」

俺の胸の三センチ先で、つばめちゃんが棒読み気味に言う。

「そ、そうだねー」

俺も棒読みだ。なぜなら、さっきからつばめちゃんの胸がつんつん俺の胸に当っているからだ。

 むぎゅっと押し付けられているわけではないが、むしろその寸止めっぷりがとてもけしからんので、俺の男子高校生なところがけしからんことになりそうであり、三十一歳のおっぱい相手にけしからんことになったりしたら、佐々木先生でもあるつばめちゃんの生徒としては、とてもけしからんと思うので、脳内で般若心境を唱えたり母親の顔を思い浮かべたりするのに忙しくて棒読みな相槌になってしまうのは仕方がないのである。

 われながら意味が分からない。そのくらい混乱しているのだ。

 ただ一つ言えるのは、ゆりかもめがまどろっこしく、船の科学館の方をぐるっと遠回りするのも今日に限っては許せると言うことだ。

 国際展示場正門で降りる。

「ごめんなさいね。タクシー使えばよかったわね」

「いや、荷物もなかったし、べつに…」

圧倒的に、満員電車のほうが今日に限っては素敵だったのだが秘密である。今度こそ、間違いなく恥ずかしさでつばめちゃんの頬が染まっている。

 

 スペースに到着する。両隣はまだ来ていない。つばめちゃんが机の下に届いているダンボールを開封する。

「あ。よかったぁ。オレンジ色、きれいに出てる」

つばめちゃんが嬉しそうに表紙をなでなでしている。オレンジ色のサイケデリックな髪の色をしたおっぱいの大きなお姉ちゃんの絵が表紙だ。ぱらぱらと中をめくって、仕上がってきた印刷に心奪われているつばめちゃんをそのままにして、過去の二回ですっかり慣れたチラシの片づけからブースの設置を開始する。

 今回で、十七種類目の本だ。

 机の上に乗りきるわけがない。今回の新刊だけ、少し贔屓してミニイーゼルに乗せて、他の十六種類は重ねて乗せる。机の上がみっちりしすぎていて、少しひくくらいだ。これは、今日も売れないなと確信する。でも、つばめちゃんが楽しそうだからいいか。

 ブースの設置が終わり、つばめちゃんがトートバッグで持ってきたお茶で一息入れる。開場まで、まだ少し時間がある。

「なおくん」

つばめちゃんが、ワンピースのボタンを一つ外しながら言う。ボタンを三つ目まで外すと、下着が見えそうで見えなくて、見えないとつけてないんじゃないかと思って困る。

「つばめちゃん…なに?その呼び方」

「いけない?」

「いけなくないけど…」

ちょっと照れる。

「じゃあ、いいじゃない。なおくんっ」

なんだこれ。いつのまに、俺に姉が出来たんだろう。

「なにかなー。つばめ姉ちゃん」

「ん?あ、ああ。そうかも…それでもいいかも」

つばめちゃんが、凍った水のペットボトルを両手でごろごろさせながら、そうやって笑う。そこで、場内に落ち着いた女性の開場を告げるアナウンスが流れる。歓声ではなくて拍手が、ざぁーっとビッグサイトを包み込む。三回目にして、拍手の一体感を感じる。この中のどこかで、冬に会った触手神さんも拍手をしているんだろうか。

「で、なに?」

開場の拍手が終わったところで、つばめちゃんに話を戻す。

「ん。お誕生日、おめでとう」

俺の誕生日は五月三十日だ。もう二ヶ月も前だ。

「だれかと間違えてない?」

「間違えていないわよ。五月三十日でしょ」

「覚えていたんだ」

「指折り数えてたわ」

「そ、そう?」

「なおくんに、私のエロ同人を読んでもらえる日を指折り数えていたわ!今日、帰りに全巻セットきっちりプレゼントするし!」

きっちりプレゼントさせるんだ。十七冊も…。

「お盆に実家に帰って、私が高校生のころに作ったエロコピー誌も持ってきて、ちゃんとプレゼントするし!」

知らなかった…。エロ漫画って、十八歳未満に売っちゃいけないけど、十八歳未満が作るのはいいんだ。女子高校生だったつばめちゃんって、エロ漫画を描いていたのか…。どういう女子高生だったんだろう。

「つばめちゃん、女子高生の頃からエロ漫画描いてたの?」

「最初にエロ漫画を描いたのは、中学生の頃よ。さすがに、そのときはエロ漫画のほうは同人誌にしなかったけどね」

「ちゅ、中学生の描くエロ漫画って、どんなの?」

「ローパーっていう怪物に女の子が襲われる漫画」

「ローパー?」

「知らない?えっとね…」

そう言って、つばめちゃんがスケッチブックを開く。シャーペンを取り出すと、するすると絵を描き始める。円筒形に触手の生えたみたいな怪物を描く。上手い。こんな単純な形と線なのに、影も使わずにちゃんと立体感がある。描き慣れっぷりが半端じゃない。これが、生まれてから、三十歳を超えるまで、一度も漫画を描くのをやめなかった人の実力か。

「これが、ローパー」

つばめちゃんが、ドヤ顔でスケッチブックを見せてくる。円筒形に触手が生えている。

「中学生の頃に、これに女の子が襲われる漫画を描いたんだ…」

「うん。テレビゲームでこれが出てきてて、なんか妙にやわらかく動いていて、エッチに感じちゃったのよねー」

最初から触手というのはサラブレッドすぎだ。さすがだ。

「それ、見たいな」

「そう。じゃあ、実家に帰ったときに探してみるね」

断られると思ったのに、なんの照れもなくそう言われた。女性って、怖いな。俺だったら、中学生のときにしたエロ妄想の記録とか、絶対に見せられない。

 しばし、会話が途切れる。

 つばめちゃんの新刊が、一冊売れて行く。

「ありがとうございましたー。また、おねがいしまぁーす」

つばめちゃん、嬉しそうだ。

「読んでいい?」

俺も暇なので、つばめちゃんの本でも読むことにする。

「いいわよー」

ずらっと並んでいる十七種類の本の中から、一冊抜き出して読み始める。

 あ。

 まずい…。

 本をたたんで、そっと元に戻す。

「つまんない?」

不安そうな視線で覗き込んでくる。

「いや、そうじゃなくて…もらってから、部屋で読む…」

「そう?」

覗き込む顔が微笑む。むぅ…。ばれたな。

 

 つばめちゃんの描いたエロ漫画で、下半身が反応しそうになった。

 そして、それがバレたっぽい。

 

 ぎゃああーっ、って叫んで逃げ出したいのをぐっと抑える。

 つばめちゃんの後姿と、ショートスリーブのワンピースから伸びる二の腕の白さにも落ち着かない。

「つばめちゃん。ちょっと、その辺まわってくるね」

「どーぞー」

パイプ椅子を立って、すみませんすみません。あ、ちょっと通ります。と声をかけながら島の内側を抜けて、通路に出る。人の波に逆らわないように、ゆっくりと歩きながらずらりと並べられた同人誌の表紙だけざーっと眺めて歩く。

 あ。

「あ…。冬のときは、どうもー」

挨拶をされる前に、絵柄で気づく。触手神さんだ。

「今回は、仏さまなんですね」

「前回のがウケたので、悪乗りしました」

触手神さんの今回の本は、『触手の仏さま』だ。前回の冬のときは『触手の神さま』という本を売っていた。

「すっかり、触手なんですね」

「触手大好きですから」

触手よりも、俺は触手神さんの描く女の子の絵が気になる。

「なんか、すごい可愛い絵ですよね」

「ははは。ありがとうございます」

女の子の丸さと、華奢さが交じり合っていて、女性の艶かしさと少女の純粋さが交じり合っている絶妙のバランスだ。欲しいぞ。

「一冊ください…あっ。五月三十日に十八歳になっています!」

言い訳してからポケットから、千円札を取り出す。

「あ。いいですよ。差し上げますよ」

「いや。そういうわけにも…俺、自分で描いているわけでもないから交換するものもないし…」

「そうですか?それじゃあ…」

五百円のおつりと本を受け取る。

「あの…」

「はい」

「冬のときの本って、全部売れちゃいました?」

冬のときは、まだ十七歳だったから買えなかったのだ。

「あー。そっか…。少しだけ持ってきてますよ」

そう言って、触手神さんが、机の下のバッグから『触手の神さま』を出してくる。

「そ、それも売ってもらっていいですか?」

「だめです」

売約済みだったか…。

「こっちは、あげますよ」

「え?」

「同人誌って、印刷を頼むと予備で少し多く来るんですよ。箱の中の一番上とか一番下とかは、表紙が擦れたりもするしね。これも、ちょっと表紙に擦れがあるやつだからいいよ。あげるよ」

「あ、ありがとうございます」

「いえいえ。感想聞かせてね」

思わぬプレゼントをもらってしまった。触手神さんは、あいかわらずいい人だ。見た目も優しそうなイケメンだしな。

 軽く挨拶をして、また人の流れに乗る。

 歩いても歩いても、机と机の上に乗った同人誌が続く。つばめちゃんの締め切り前の修羅場っぷりを思い出す。ここに並んでいる本が、全部あんな状態を経て描かれたものだとは、にわかには信じられないけど、本が並んでいるということは、つまりそういうことなのだろう。

 すごいな。

 つばめちゃんが漫画を描いているところを見て、触手神さんがスケッチブックにすらすらと可愛い女の子を描くのを見て、ようやく気づいた。

 本というのは、誰かが書いているのだ。

 手に持った二冊の触手神さんの本を無意識のうちになでる。

 本というのは、一冊一冊全部ちがうのだ。あっちの本が手に入らなかったから、こっちの本でいいということはない。代わりのない、すべてが一品ものなのだ。パソコンにしようかタブレットにしようかというようなものではない。『触手の仏さま』を買っても『触手の神さま』の代わりにはならないし、その逆にもならない。

 そんな風に思うと、ここにある本を片っ端から買いたくなる。

 無理だけど。さっきの五百円で、すでに俺の財布の中は千円札を二枚残すところまで減っている。

 人波に乗って、広いホールの端まで行き、ホールとホールの間の広い通路に出て、戻り、反対側からまた人波に乗る。ようやくつばめちゃんのところに戻る。

「おかえりなさい。あら?なにか買ったの?」

俺のいない間に、つばめちゃんが髪を二本の三つ編みにしていた。いつもよりも、もっと子供っぽく見えて女学生みたいだ。

「一冊だけね。一冊は、もらっちゃった」

「あら。さわりさんの本?」

「だれの?」

「さわりさんのでしょ。それ」

言われて、初めて手に持った同人誌の最終ページを見る。確かに、著者として『さわりかいな』と書いてある。そっか、触手神さんのペンネームは、さわりかいな、さんだったのか。

「さわりさん、触手好きよね。さすがペンネームにするだけあるわ」

「ペンネームは、さわりかいなさんでしょ」

「漢字にしてみなさい。腕って字は『かいな』とも読むのよ」

「なるほど!」

迷いないな。さわりさん!

「私も、ちょっと挨拶してこよ。店番、おねがいしちゃっていい?」

「いいよ。場所分かる?」

「チェックはしてあるわ」

鈍器みたいなカタログを振りかざして、新刊を何冊か手に取ると三つ編みおさげを揺らしてつばめちゃんが島の向こうに消えて行った。

 やがて、拍手とともにコミケが終わった。ずらりと並んだ宅配便の列に、ダンボールを抱えて並ぶ。俺とつばめちゃんと、触手神ことさわりさん。

 つばめちゃんの荷物は、来るときと帰るときで、ほとんど重さが変わらない。来るときはいいけど、これ、俺が手伝いに来なかったら、ひとりでどうするつもりだったんだ。結局、かいなさんにも手伝わせちゃっているし…。

「あ。つばめさんも、やっぱりイシュタルの復活が原体験でした?」

「でしたー」

かいなさんとつばめちゃんが、俺の知らないゲームの話で盛り上がっている。

「あれのローパーやばいですよねー」

「あの柔らかそうな動きがやばいですよねー」

「また、主人公がミニスカートの女の子じゃないですかー」

「毒々しいローパーが、触手うねうねさせて追いかけてくるのが劣情回路を点火させますよね」

「点火させられちゃいましたねー」

触手の話でもりあがっている。

 ものすごい、楽しそうだ。

 

 コミケは異空間である。

 

(つづく)


 
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