No.560201

フェイタルルーラー 第五話・妄執の誕生

創作神話を元にした、ダークファンタジー小説です。一部死体と流血描写あり。11862字。

あらすじ・ある夜レニレウスの王城が襲撃され、王器が奪われる事件が起きた。
その頃ネリアでは、リザルがセレス捜索のためにダルダン潜入の決心をする。
第四話http://www.tinami.com/view/557313

続きを表示

2013-03-28 20:50:35 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:361   閲覧ユーザー数:361

一 ・ 妄執の誕生

 

 夜も更けた城内に、衛兵の怒声が響き渡った。

 

 敵襲を知らせる早鐘が激しく打たれ、廊下には慌しい足音が木霊する。

 レニレウス王が異変に気付き、玉座の間まで足を運んだ時には、すでに全ての衛兵が終結していた。

 

 城内の警備指揮を担当していた衛兵長が敬礼をしたまま固まり、王へと委細を告げる。

 衛兵長のか細い声は話すに従って蚊の鳴くような声にまでかすれ、終いには口を開けたまま言葉すら出せなくなっていた。

 

「……もう一度言ってみろ」

 

 穏やかに聞こえるが、その声色には威圧的な怒気が含まれている。

 王の灰色の瞳は、研ぎ澄まされた刃のようにぎらぎらと光を放った。

 

「は……。申し上げます。王器の銀盤が、何者かに……奪われました」

 

 衛兵長はようやく声を搾り出し禍事を伝えたが、周囲にはざわめきすら起きなかった。

 それは王器を奪われた驚きよりも、王の激しい怒りを恐れたからだ。

 

「侵入経路は特定出来たのか」

「……賊は裏門を破り、そのまま宝物庫へ直行したものと思われます。警備兵が十数人殺されましたが、生き残った者の話では、老人が巨大な人形に乗り操っていたとの事」

「人形……。東アドナの召喚符術か。急ぎ港を封鎖し、全ての船舶を臨検しろ。ダルダンに悟られぬよう、国境はまだ封鎖しなくてよい。その代わり警備を倍にしておけ」

 

 冷静に指示を下しているように見えるが、王の形相は怒りに燃えていた。

 無理もあるまい。レニレウスの王器はその経済活動、果てには諜報活動全般に用いられて来た名器だ。

 王の才覚に加え王器の能力があればこそ、大陸でも一、二を争う覇権国家として君臨出来た。

 

 王器がなければダルダンと同格、むしろそれ以下だろう。

 これが明らかになれば、レニレウスの命運は文字通り風前の灯となる。

 

「賊に関する情報はそれだけか」

「それが当直の話では、庭内の守護神像を打ち壊した上に、自分が王器の正当な所有者であるとわめき散らしていたそうです」

 

 衛兵長の言葉にレニレウス王はじっと考え込んだ。

 王が黙り込むのは非常に珍しく、衛兵たちはただ顔を見合わせる。

 

「この件は他言無用。外部に一切漏らすな。他言した者は一族郎党処分が下るものと思え」

 

 冷たい視線をよこす王に、衛兵長は呆然と立ち尽くす以外なかった。

 王の合図に、横にいた護衛兵二人が衛兵長を促し、敬礼をすると玉座の間を後にした。

 

 護衛兵たちが全て退出したのを見届けると、入れ替わりに入室した侍従がレニレウス王に耳打ちをした。

 その報告に眉ひとつ動かさず、王は侍従に告げる。

 

「やはり黒森は教団の巣窟だったか。諜報小隊のノア・ノエル准尉に伝令を出せ。『小鳥を追え』とな」

 

 王の言葉を受け、侍従は影のように音も無く退出した。

 

 

 

 クルゴスの失踪はネリア国内のみならず、フラスニエルに対して大きな衝撃を与えた。

 ネリアが国境を接しているのはアレリアの他レニレウスとダルダンだが、レニレウス側は特に厳戒態勢を敷いてあるためか、ダルダン側から密かに国境を越えたようだった。

 

 一体何があったのか判らず、フラスニエルは途方に暮れた。

 防衛の準備で多忙な彼は、国政の全てをクルゴスに任せ切りだったのだ。

 

 今から新たに大臣を据える時間も無く、フラスニエルは頭を抱えた。

 幸いにも税収や支出などの帳簿は把握出来たものの、クルゴスの抱えていた庶務内容が放り出されてしまっていた。

 

「どうされました?」

 

 思い悩むフラスニエルに声をかけたのはシェイローエだった。

 切られた髪を切り揃え、幾分短くなってしまっているが、その姿は女神と見紛うほどに美しい。

 彼女は図書室で書物の整理に携わり、王とネリアのために働いていた。

 

 フラスニエルは悩み事があると、足繁く図書室へと通うようになった。

 それは他の臣下に対して、悩んでいる様子を見せる訳にはいかなかったのもあったが、シェイローエの姿を見ると安らぎを覚えるからだった。

 

「お恥ずかしい話ですが、内政を任せていた大臣が失踪したのです。書置きも無く、理由すら判りません。私が王として至らなかったせいでしょうが、かなり老いていたもので心配なのです」

 

 シェイローエは王の言葉を、口も挟まずただ聞いていた。

 フラスニエルが自らの心の内を全て話し終えると、ようやく彼女は口を開いた。

 

「お許しが頂けるなら、大臣殿の執務室を整理したいのですがよろしいでしょうか。何か手掛かりがあるかも知れませんし、このままでは業務も滞ってしまいます」

 

 この意見に王は一も二もなく賛成した。

 実問題として今はどうしても人手が足りず、雑務に回せる人材も無かった。シェイローエの申し出はフラスニエルにとってこの上なく有難かった。

 

「どうかお願いします。何かあれば何でも申し出て下さい」

「……ではひとつだけ」

 

 真剣な目をするシェイローエに、フラスニエルは向き直る。

 

「有志で構いませんので、大臣殿の捜索をされる方がよろしいと思います。そうでなければ王のお心が休まらないでしょう」

 

 思ってもみなかったシェイローエの提案にフラスニエルは驚き、微かに笑みを見せた。

 彼女の心遣いが嬉しく、フラスニエルは自らの中に暖かく、小さな灯火が息づいたのを感じた。

二 ・ 剣姫

 

 ネリアの王都ガレリオンは、城を中心として放射状に区画整理された比較的質素な都市だ。

 中央には城を護るように貴族たちの屋敷が構えられ、それが迷路のように幾重にも折り重なっている。

 

 その曲がりくねった路地を一人歩く男がいた。セレスの父リザルだ。

 まだ午前だというのに路地の石壁は強く日光を反射し、通りがかる者を熱く焼き付ける。

 

 そんな中リザルは汗ひとつかく事なく、ふらふらと石畳を進んだ。

 息子がネリアを飛び出して行ってから一週間以上経つ。職務がある以上捜しに行く事も出来ず、ようやく帰国出来たと思えば国境封鎖となった。

 

 悪い事は続くもので、防衛配備の混乱の中、今度は大臣クルゴスが失踪した。

 理由すら判らない失踪に王は心を痛め、息子を捜索したいなどという個人的な要望を、とても通せる状態ではなくなった。

 ただひとつ救いだったのは、息子が独りでは無いという事だけだ。

 

 ふらふらと歩くリザルの足が向かったのは、懐かしい実家の屋敷だった。

 導かれるように門をくぐり呼び鈴を鳴らすと、屋敷内から現れたのは彼の妹ローゼルだ。

 長く滑らかな黒髪にスミレ色の瞳。細く絞られたその身は、年頃の娘には似つかわしくない重厚な軍服を纏っている。それはいつ召集があっても即時対応しなければならない緊張状態を表していた。

 

「リザルお兄様……どうしたの」

 

 かねてより実家には寄り付きもしなかった兄の訪問に、ローゼルは驚いた。

 リザルは幼少期から父親との折り合いが悪く、十六歳で家を飛び出してからはほとんど戻る事が無かった。

 唯一彼が実家へ戻ったのは母親が亡くなった時だけで、それ以外はまるで交流を持とうとはしなかったのだ。

 

「セレスがいなくなって、お父様は倒れそうな程心配しているのよ。どうしてすぐ戻って来てくれなかったの」

 

 妹の咎める口調の中に強い不安を見出し、リザルは小さくすまないと口にした。

 懐かしい屋敷は彼が住んでいた頃とまるで変わらず、子供の頃の幸せだったひと時を想起させる。

 

「お父様はしばらくお城から戻らないから入って。今お城では大臣殿の件で大騒ぎなのよ」

 

 ローゼルに促され、リザルは屋敷へと足を踏み入れた。

 廊下から応接室に至るまでふんだんに花が飾られ、窓越しに見える中庭にはよく手入れされたゼラニウムの赤い花が咲き誇っている。

 応接間に入りソファに腰を下ろすと、間もなく給仕が茶器を携え現れた。

 

「何かあったのお兄様。すごく顔色が悪いようだけど」

 

 押し黙ったままのリザルに、ローゼルは声を掛けた。

 青ざめた顔を上げて妹を見ると、彼はぼそぼそと話し始める。

 

「フラスニエルが、クルゴスの捜索隊を有志で募っているらしい。オレはそれに志願しようと思っている」

 

 兄の決意をローゼルはただ黙って聞いていた。

 

「正直もうクルゴスは戻って来ない気がしている。あの性格では、戻るよう言われても頑として聞き入れないだろう。捜しても見つからないようであれば、ダルダンを経由してレニレウスへ入ろうと思う」

 

 その言葉にローゼルは驚いて兄を見た。

 顔色が悪い理由はその決意に違いなかった。

 

「一人でセレスを捜しに行くつもりなのね」

 

 リザルはその問いには答えなかった。だが答えずともローゼルには分かっていた。

 

「もう何も失いたくないんだ。だから一人で行く。誰にも迷惑はかけない」

「バカ言わないでよ! 一人で何が出来るって言うの? 私も一緒に行くわ。言っておくけど、勝手に一人で行ったら追いかけて行くからね」

 

 妹の剣幕にリザルはたじろいだ。十歳近くも離れているというのに、何者も恐れない彼女に教わる事は多かった。

 その強さはどこから来るのだろうか。若さ故なのか。こんなにも力強く生きられる妹が、彼は羨ましくて仕方なかった。妹と息子を護れるなら、命など惜しくは無い。

 

「分かった……。お前は言い出したらきかないからな。セレスを見つけたらすぐネリアに戻るんだぞ」

「勿論よ。そういえばフラスニエル様から聞いたのだけど、セレスと一緒にいる子が並外れた使い手らしいわね。興味あるわ」

「フラスニエルはそんな事までお前に言ったのか。確かに面白い奴だとは思ったが」

 

 ため息をつきながらリザルは呟いた。

 

「仮にもお前はネリアの王族なんだぞ。アレリアの大公殿下からも是非にと望まれてるくらいだ。女は剣など持たず、結婚して幸せになる方がいいんだ」

「嫌よ。私は強い男が好きなの。大公殿下は素敵な方だけど、試合で私に負けてるようではダメね」

「お前は大公殿下にまで試合を迫ったのか。仕方の無い奴だな……」

 

 呆れる兄を見てローゼルは微笑む。

 その笑顔は美姫と形容出来るが故に、惹かれた男たちは次々と試合で負かされる運命になるのだ。

 

「この件は私からお父様に言っておくわ。セレスを捜しに行くという理由なら、お父様でも止められないし」

 

 嬉しそうにはしゃぐローゼルに、リザルはもう何も言わなかった。

 この笑顔を護りたいと、リザルはただそれだけを願った。

三 ・ 無垢なる者

 

 日が昇り、朝を迎えた森でセレスは目を覚ました。

 

 疲れていたのか完全に眠り込んでしまい、夜中に一度も起きなかった事に彼は驚いた。

 目をこすりながら辺りを見回すと、清々しい朝露の匂いと共に、生臭さがセレスの鼻をつく。

 見ると焚火があった周囲には、赤黒い血溜りがそこかしこに出来ている。

 

 セレスは驚いてエレナスの姿を捜した。

 眠っている間に、一体何が起こったのか。血溜りから続く引きずられた跡を追って、セレスは木々の間へ分け入った。

 

 潅木の間からうめき声が聞こえた気がして、セレスは恐々とそちらに目を向けた。

 鬱蒼とした茂みの中からは、並べられた多数の死体が見える。

 

 セレスは恐怖のあまり後ずさった。

 見れば黒ずんだ死体の中で、微かに苦悶の声を上げる者もおり、一様に死んでいる訳ではない。

 死体の傍にはエレナスが座り込んでおり、一心に何かをしているように見える。

 

「何してるの……?」

 

 恐る恐る訊ねるセレスに気付き、エレナスは顔を上げた。

 エレナスの手と服は血に染まり赤黒くなっている。彼の横には水を張った木桶とぼろ布が転がり、手当てをしていたのだろうとセレスにも理解出来た。

 

「ゆうべこいつらが俺たちを襲って来たんだ。加勢してくれた人が斬り倒したけど、あまりに深手だから止血だけでもしようと思って」

「この人たち、ぼくらを殺そうとしたんでしょ。放っておかれても仕方ないよ」

 

 その言葉にエレナスは一瞬手を止めた。

 

「本当はそれが普通なのかもしれない。俺の両親は医者だったから、助けられるものなら助けたいと思う気持ちが今でもあるんだ。……でももう、ダメだな」

 

 最後の男が息を引き取ったのを見てエレナスは呟いた。

 

「急所ははずれていたけど、出血がひどくて誰も助からなかった。こいつらを率いていた爺さんは、けしかけておいて一人で勝手に逃げたんだ。俺はあいつを絶対に許さない」

 

 道具が無いために墓すら作ってやれず、二人は亡骸を草と葉で覆った。

 血で汚れてしまったエレナスの衣服は焼き捨て、持っていた別の長衣に着替える。

 

 そうしているうちに日は高くなり、暗い森にも柔らかく日差しが落ちた。

 陽光の筋は辺りを照らし出し、彼らを導く光の道となる。

 

「これなら森から出られそうだ」

 

 自分の荷物を拾い上げようとし、エレナスは不意に神器の鈴を思い出した。

 あの老人が逃げ去る際に落としていった物だが、ここに置いて行く訳にもいかない。

 慎重に鈴をつまみ上げると、エレナスはそれをセレスへと手渡した。

 

「何これ」

 

 何も知らないセレスは鈴上部にある柄を持つと、がんがんと振り回した。

 その途端エレナスの耳に轟音が鳴り響き、思わず耳を塞いでしゃがみ込む。

 

「あれ、どうしたの? ぼくには何も聞こえなかったけど」

 

 なおも鳴らそうとするセレスを制止し、耳を塞いだままエレナスは叫んだ。

 

「鳴らすの禁止! その鈴は人間の耳には届かないけど、俺たち亜人種にはとんでもなく響くんだ。触りたくも無いから、鳴らないように仕舞っておいてくれ」

「しょうがないなあ、もう」

 

 口を尖らせ文句を言いながら、セレスは鈴に布を詰め込み鳴らないよう固定した。その上で無造作に荷物へ放り込むと不意に太陽を見上げ、呟いた。

 

「早く行かなきゃ。三日以内にお姉さん見つけて、銀貨の奴らを捕まえないと」

 

 セレスの言葉に頷き、エレナスは立ち上がる。

 二人が通り過ぎた道は徐々に輝きを失い、彼らが森を出る頃には再び暗闇へと戻っていった。

 

 

 

 エレナスとセレスが再び王都エレンディアに到着したのは、その日の夕刻だった。

 城塞の門が閉じられる直前に滑り込み事なきを得たが、銀貨を持つ者をどうやって捜し出すかが事のほか面倒ではあった。

 

「そういえばさ……お姉さんってどうやって捜すの?」

 

 石畳が敷かれた暗い裏通りを歩きながら、セレスは訊ねた。

 種族や性別を隠している相手を、当ても無く捜し出すのは不可能に近い。

 

「大丈夫。はぐれた時は姉さんと俺にしか分からない符丁を使うんだ。二人でいろんな場所を旅して来たから、はぐれる事は何度もあったよ」

「いいなあ。どんな所に行ったの?」

「四王国以外の自治領や、地方都市かな。四王国ならアレリアと、君の故郷ネリアだね」

 

 目を輝かせて話をせがむセレスに、エレナスは微笑んだ。

 人とはこんなにも純粋なものなのか。では邪まな心を抱く者は、いつからそうなってしまったのだろう。

 むしろ純粋であるが故に、傷つく事を恐れて闇へ染まっていくのかもしれないとエレナスは思った。

 

 雑談をしながら石畳を進むと、突き当たりに宿が数軒見えて来た。エレナスが看板をひとつひとつ確認するのを見て、セレスは不思議そうに付いて回った。

 

「姉さんとの符丁として、看板に目印をつける決まりなんだ。……ダメだな。どれにも目印が無い」

 

 彼ら精霊人の目印がどんなものかセレスには分からなかったが、確かにどの看板もさして変わった様子は無い。

 

「姉さんはまだ来ていないのかもしれない」

 

 エレナスは数ある中から、一番目立つ宿へと入った。空き部屋があると知ると表へ戻り、鳥の形に折った術符を取り出して、看板に向かってふわりと飛ばす。

 古代語の詠唱で鳥に姿を変えた術符は軽やかに宙へ浮かび、看板の上へゆっくり舞い降りた。

 

「すごい。紙の鳥が本物になったよ。あれが目印なの?」

「ああ。今はまだ目に見えるけど、術が完了すれば精霊人にしか見えなくなる。人間が多い街では便利なんだ」

 

 そのまま見入っていると、鳥の姿はやがて虹色に変わり、霧散するように夜の大気へと溶けていった。

 

「さあ、中に入ろう。明日は朝から銀貨の捜索をしなくては」

 

 名残惜しそうに看板の上を見つめるセレスを促し、二人は宿へと入った。

四 ・ 銀貨の行方

 

 早朝、けたたましく鳴り響く鈴の音でエレナスは飛び起きた。

 驚いて音のする方向を見ると、そこには鈴をがんがん鳴らすセレスがいる。

 

「すごい威力だなあ、この鈴」

 

 無邪気に笑うセレスを睨み、エレナスは頭を抱えながら寝床を出る。

 

「禁止って言ったのに……。それはこの世の物じゃないから、あまり触ったらダメだ」

「この世の物じゃないってどういう意味? 暗闇で見ると青く光ってたから、不思議だなって思ってたけど」

「神代の昔、神が自らのために創ったと言われる装具。それが神器と呼ばれる物なんだ。白装束たちは、それを集めていると言っていた」

 

 出かける準備をしながら、エレナスは襲撃者の話をした。彼らの術で気を失わされていたセレスは何も覚えていなかったからだ。

 エレナスが神器の剣を持っている事を知られたからには、いずれ追っ手がかかるだろう。

 その前に何かしらの対策を練る必要があった。

 

「恐らく俺の剣を狙って来るに違いない。君は人間だから、最初に標的になる可能性はかなり低いはずだ。だからその鈴を隠し持っていて欲しい」

「あいつらお兄ちゃんを狙ってるの? 何でそんな事してるんだろ」

「……人間以外の種族を浄化して回ってるようだ。もしかしたら故郷を襲ったのも、あいつらなのかもしれない」

 

 懐かしい故郷を思い出し、エレナスは言葉を切った。

 

 あの襲撃の日から、生き残った亜人種たちは一人二人と街を去っていった。親を失った亜人種の子は、奴隷商人に攫われる事さえあった。

 このまま殺戮を続けられれば、いずれ亜人種たちは全て滅び去るだろう。

 

 殺戮による浄化を目指す教義など、誰にも救いをもたらさない。

 甘い毒のような幻想を抱かせて偽りの灯火に導き、地獄の業火へと投げ入れる悪魔の所業だとすら言える。

 

「あいつらを止めなくては。銀貨を追えば、きっと道が拓ける」

 

 靴を履き、麻の外套を羽織ると、エレナスは荷物を取って部屋を出た。

 後にはセレスが続き、部屋の中はひっそりと静まり返った。

 

 

 

 宿の食堂で簡単な朝食を摂った後、エレナスとセレスは市街へと出た。

 初夏にも関わらずフードを目深に被るエレナスの姿は、人々の目に異質に映っただろう。

 

 精霊人の最たる特徴である耳を隠すには、フードを被るか頭部に布を巻くしかない。逆に言うと耳さえ隠してしまえば、人間の中に紛れ込むのもたやすいという事になる。

 人口の少ない地方都市では難しいが、四王国の王都など往来が多い都市ならいくらでも身を隠せるのだ。

 そしてそれはエレナスのような精霊人に限った話ではない。

 

 事実密猟者を追う彼らも、その巧妙な潜伏手口に悩まされた。

 ノアによって捕らえられてしまったために二日以上のずれが生じ、密売品を辿る方法は使えなくなった。

 

「符丁、か……」

 

 銀貨に関する情報は、符丁に使われているという話だけだ。

 今はそれを辿るほか無い。

 

「なあセレス。ネリアの王都には古銭を売る店があるのか?」

「うん、あったよ。でも買う人がそんなにいないから、お店自体が一、二軒しかなかったけど」

「そうか。ならこの王都にもありそうだな」

 

 エレナスは辺りを見回し、案内標識を探した。

 路傍にひっそりと立つ木製の標識は、朽ちないようにワニスで塗装されている。

 

 古ぼけた案内標識から文字を読み取り、エレナスは標識の指し示す方向へ歩き出した。緩やかな坂を降り、がたついた石畳を過ぎると、そこは小さな店が軒を連ねる商店街だ。

 暗く雑多とした店構えは、裏通りのいかがわしさに溢れている。

 

 路地に人影は無い。うらぶれた旧市街には娼婦やごろつきがいてもおかしくはないが、何故か全くと言っていいほど見当たらなかった。

 だがそれがかえって不気味さを増し、二人は用心深く路地を進んだ。

 

「暗くてじめじめした所だね……。ここに何かあるの?」

 

 しがみつくように後に続くセレスに、エレナスは小さく答える。

 

「案内板によれば、この辺りに雑貨を売る店がいくつかあるようだ。密猟をするような者たちが、蒐集家が通うような店で硬貨を手に入れるとは思えないからな」

 

 程なく彼らの前に、寂れた一軒の店が見えて来た。

 窓から中を覗くと店主と見られる老婆が一人、揺り椅子の上でまどろんでいる。周囲の飾り棚には安物にしか見えない様々な硬貨が据えられており、とても商売として成立しているとは思えない。

 

「ここで待っていてくれ。密猟団を装って様子を見て来る」

 

 店の外にセレスを残し、エレナスは一人で店内へ足を踏み入れた。

 埃っぽい店内はまだ午前だというのに薄暗く、フードを被っていなかったとしても姿の判別がつきにくい程だ。

 店主の横には申し訳程度に小さなランプが灯され、ガラスの飾り棚をぼんやりと照らし出している。

 

「いらっしゃい」

 

 扉が開く音に気付き、店主は居眠りから目を覚ました。

 眠そうに小さくあくびをするが、その目つきは寝ぼけた老婆のものではない。

 

「これと同じものを探している。焼け焦げてしまって使い物にならない」

 

 エレナスは懐から黒ずんだ銀貨を取り出した。

 それを見た店主の目が一瞬鋭く輝いた。

 

「お客さん珍しい物持ってるね。でももうここに在庫は無いよ。全部売り払ってしまったからね」

 

 眼鏡の奥から探るように視線を投げかける店主に、エレナスも怯まず言葉を返した。

 

「そんなはずは無い。仲間から聞いたんだ。失くしても新しいのを渡してくれる店があると」

「……確かにそういう店はあるよ。だけど再発行するにはそれなりの証がないとね。お役所と同じさ」

 

 老獪に光る店主の視線をエレナスは睨み返した。だがこれは同時に好機でもある。

 証があれば銀貨を渡せる。店主はそう言っているのだ。

 

 エレナスは心を決めた。

 

 腰から下げている剣を鞘ごとはずし、目の前にあるカウンターへと置いた。

 店主は鞘を取り、ゆっくりと剣を引き抜いた。薄暗い店内で、仄明るい輝きが辺りを染める。

 青白い光が老婆の瞳に映り込み、それと同時に彼女の口からため息が漏れた。

 

「……神器か。これだけの業物を貸与されるとは、よほど司教様に気に入られたと見える」

 

 老婆は剣を鞘へ収めると、それをエレナスへ戻した。

 エレナスは無言でそれを受け取り、ベルトの金具へ繋ぎ直す。

 

「悪いねえ。最近は衛兵たちの監視が厳しくて、こうでもしないと敵味方の区別がつかないのさ」

「監視?」

「ああ。教団の本部が黒森にあるのはまだ知られていないが、王都に支部があるのはバレちまっている。この店も監視の対象になってるんだよ」

 

 店主はカウンターの下から小さな木箱を取り出した。慎重に留め金をはずすと、中からひとつの銀貨をつまみ出す。

 

「ほら持って行くがいい。今度は大事にしておくれよ」

 

 白く反射する銀貨を受け取り、エレナスは老婆に訊ねた。

 

「途中ではぐれて連絡をもらえなかったんだが、他の仲間は今どこへ向かったか知らないか」

「神器持ちの司祭たちは、理想郷建設のためにダルダンへと向かったそうだ。ネリアとの国境が封鎖されたらしいから、修道士たちも司祭に追従しているんじゃないかね」

 

 老婆の口調から、白装束の教団は司教を頂点として、司祭と修道士で構成されているようだった。

 それに当てはめると、鈴を持っていた老人は司祭であり、何も持っていなかった密猟者たちはその手駒となる修道士だと推測出来る。

 

「そうか。礼を言う。このままダルダンへ向かう事にするよ」

 

 店を後にするエレナスの背中を見送り、老婆は意味ありげな微笑みを誰にとも無く見せた。

 その目はぎらぎらと輝き、喜びに打ち震えていた。

五 ・ 肖像

 

 銀貨の情報を仕入れた後、エレナスとセレスは宿へと戻った。

 

 姉が尋ねて来ている様子も無く、エレナスはひどく落胆した。三日の期限は明日で終わる。

 明日中にはレニレウスを発ってダルダンへ向かわなければならない。

 

 出発までに姉が現れなければ、そのまま旅立つほかないだろう。

 老婆の話ではネリアの国境は封鎖されており、戻る事は叶わない。

 

 セレスが言うには、ダルダンからネリアへ入る国境があり、ネリアへ帰るならその道を行くしかないようだ。

 これだけ待っても姉が来ないのであれば、ネリアで足止めされている可能性もある。

 それぞれの国境をすんなり通れるかどうかが分からなかったが、進む以外に道は無かった。

 

 三日目の朝、エレナスは看板上の目印をはずした。

 王都からは各方面を行き来する乗り合い馬車があるらしく、二人はそれに乗ってダルダン国境へと向かう事にした。

 馬車であれば半日で到着出来る算段だ。

 

 手早く荷物をまとめると、二人は競争するように停留場まで走った。

 早朝の空気はみずみずしく、胸いっぱいに吸い込みながら走るのは何より気分がよかった。

 

 停留場に到着すると思ったよりも馬車はがら空きで、彼らはめいめい好きな場所へ座る事が出来た。

 程なく馬車は走り出し、舗装された街道をのんびりと進む。

 馬車といっても荷台に幌を掛けただけの簡単なもので、潮の匂いを含んだ初夏の風が、幌の間を縫うように吹き渡る。

 

 ゆらゆらと揺られていくうちに乗客は一人二人と降りていき、最後にはエレナスとセレスだけが残った。

 終点は国境近くの村で、そこから国境までは徒歩でも半刻とかからない。

 先日の黒森での出来事が、まるで夢だったかのような気楽な旅だ。

 

 二人は宿の女将が持たせてくれた燻製肉入りのパンを食べ、のんびりと過ごした。

 途中何度も休憩を挟みながら、乗り合い馬車は終点の村へと入った。

 

 その頃には日も暮れかかり、二人は急いで降りると国境へ向かった。

 辺りはすっかり闇に包まれ宵の明星が現れたが、ダルダンとの国境は小隊でも駐屯しているかのような警備体制だった。

 

「すごい人数だね。二十人以上いる。来た時はこんなにいなかったのに」

 

 セレスが驚くのも無理はないだろう。

 四王国の国境は元々それほど警備を厳重にしていない。むしろ経済活動を活発にしたかったレニレウス側が、法手続きを簡略化したがったくらいだ。

 それが倍以上に警備兵を増員しているのは、どう考えても不自然だった。

 

「出さないようにしているのかな。……それとも、入れないようにしてる?」

 

 警備が厳重になった意図はさっぱり分からなかったが、いずれにせよ彼らはダルダンへ向かわなければならない。

 教団の修道士だと思われる密猟者たちを、捜し出さなくてはならない。

 

 検問所は断崖に架けられた巨大な石橋の上に建っており、その下は何も見えない空間になっている。暗い谷底からは川の音だけが轟々とうねり、ともすれば足がすくんでしまうだろう。

 ダルダンとレニレウスはこの峡谷で分かたれ、地続きとなっているのはゴズ鉱山と呼ばれる銅山だけだ。

 巨大な峡谷のおかげで大規模な武力衝突は無いが、鉱山を巡る争いはいつの時代もあった。資源と呼べるものは海洋資源しか持たないレニレウスにとって、鉱山は喉から手が出るほど欲しいものなのだ。

 

 警備兵がずらりと居並ぶ中、エレナスとセレスは緊張しながら検問所を通った。

 果たして通れるのかどうか不安はあったが、警備兵はちらりと二人を見ただけで何も言わず、すぐに門は開いた。

 

「不問で通過出来るなんて、逆に気味が悪いな。何か仕組まれているんじゃないかと思えるくらいだ」

「そうだね。実を言うとぼくらを拉致した貴族がさ、どこかで見た事があるような気がするんだ」

 

 他には聞こえないよう、二人はぼそぼそと話した。

 

「まさか知り合いだったとか? それなら顔を隠していたのも頷ける」

「でも思い出せないんだよね。どこで見たのかな」

 

 石橋を渡り切り二人がダルダン王国へと入った時、セレスは思い出したようにポケットへと手を入れた。

 そこに握られていたのは、現レニレウス王の肖像が刻まれた記念銀貨だ。

 

 ようやく現れた月光の中、二人は肖像を覗き込み、そして互いに顔を見合わせた。


 
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