No.547505

フェイタルルーラー 第二話・水の女王

創作神話を元にした、ダークファンタジー小説です。13527字。
あらすじ・力を得るためシェイルードは孤独な女王に付け入り、王冠を取り戻そうとする。
一方、姉を捜すエレナスは森で驚くべき痕跡を発見した。
第一話http://www.tinami.com/view/543058
第三話http://www.tinami.com/view/551992

2013-02-22 21:02:11 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:388   閲覧ユーザー数:388

一 ・ 水の女王

 

 中庭で月を見上げながら、女王エリエルは物思いにふけっていた。

 

 西アドナ大陸、最西に位置するアレリア王国。

 北は山脈、東と南は森林に覆われ、建国より五百余年もの間、一切の外敵や侵攻を受ける事無く天然要塞とまで謳われた国だ。

 

 恵まれた地理的条件に加え、初代アレリア王が下賜された王器『銀の王冠』は、対峙する者の思考をあますところなく伝える能力があった。

 どんなに小さな秘密ですら暴く王冠の能力を、人々は畏怖した。国家として磐石の盾を有する代償として、王たちが得たものは一生の孤独だったのだ。

 

 女王エリエルも王冠の呪縛に絡め取られた一人だった。彼女は誰よりも王冠の能力を憎み、嫌悪していた。

 彼女が戴く銀の王冠は知りたくない秘密まで暴き出し、つぶさに伝える。

 

 即位してからというもの、親しかった者たちは彼女を遠巻きに眺め、許婚のフラスニエルですら、本心では愛していない事を気付かされた。

 何も知らなかった子供の頃を思い出し、女王は涙を流した。

 

 アレリアにおいて王がその人生を犠牲にする代わりに、国の繁栄と民の幸福とが約束される。代々のアレリア王はそうやって生きてきたのだろう。

 女王として即位した以上、彼女はその責務を果たす他ない。愛があろうとなかろうと、フラスニエルとの結婚を執り行うしかないのだ。

 

 東の守りを強固にする事で、虎視眈々と資源を狙い続けるレニレウス王国からの侵攻を防げるだろう。

 アレリア湖とその支流に及ぶ水資源を欲しがっているのは、どの国も同じなのだ。

 

 不意に人の気配を感じ、女王は振り向いた。

 揺れる銀髪の向こうには何も見えない。

 夜の城、しかも中庭は彼女だけの安息の場だ。常に人払いをし、近付く者など誰もいないはずだ。

 

「王冠が憎いか?」

 

 唐突に中庭の片隅から男の声が響く。衛兵を呼ぼうとした瞬間、どろりとした黒い影が女王の前へと現れた。

 影と同じ色の長衣を引きずりながら現れたのは、長身の若い男だった。長い黒髪の間から垣間見える赤い目は、焔のように絶えず明滅している。

 

 男の異相に女王は言葉を失った。

 衛兵を呼ぶ事すら忘れ、その場に呆然と立ち尽くす。心臓が逃げろと早鐘を打つが、体はぴくりとも動かなかった。

 

「恐れずともよい。ヒトの女王よ」

 

 女王の様子に興が乗ったのか、男は喉の奥で笑った。女王と同じくらいの年齢に見えるが、その目は永い時を刻んできた時計のようだ。

 男の眼力に射すくめられ、女王は身じろぎひとつ出来ずにいた。相手の思考を読もうと試みても、彼女の王冠は沈黙したまま何ひとつ伝えてはくれなかった。

 

「私の思考を読み取ろうとしているのか。面白い女だ」

 

 じわじわとにじり寄りながら、男は楽しげに呟く。

 

「その王冠は『死』の代行者によって授けられた物。あなたは真の所有者では無い。故に返還を求めるため伺った次第」

「……あ、あなたが所有者だと言うのですか? このアレリアの守護神は女神。あなたなどではないわ」

 

 女王の言葉に男は声を上げて笑った。

 

「そうだろう。建国される際に王器を授けた女神とやらはすでに消滅している。この国はとうにいない者を神として祀り、安寧を図って来たのだ。分かるか? この意味が」

 

 冷たく微笑む男に、女王は青ざめた。守護神がすでに存在しないなら、自分たちは一体何に対して祈りを捧げていたのか。

 

「神無き今、あなたは独りでこの国を支え続けなくてはならない。誰もあなたを理解せず、愛してさえくれない。何も無い孤独な人生の中、国の礎となる覚悟はあるのかね」

 

 男の囁きに女王は呆然と涙をこぼした。彼女は何かにすがりたかったのかもしれない。例えそれが悪魔であったとしても。

 震える手で王冠をはずすと、女王はそれを男に渡した。男の掌中で王冠は輝きを増し、真の所有者が誰であるかを身を持って示した。

 

「よろしい。では最後にひとつだけ褒美をやろう。王冠を奪われた罪を、あなた一人が背負わなくてもよいようにな」

 

 王冠を仕舞い込むと、男は未だ立ち尽くす女王を抱き寄せその夜着を裂いた。柔らかい薄絹の下からは形のよい乳房が現れる。

 目を見開いたまま涙を流す女王を抱きすくめ、男は何かを耳元で囁いた。

 

 次の瞬間、女王の体はゆっくりと草の上へ崩れ落ちた。彼女の左胸には円を基調とした禍々しい紋様が刻み込まれ、どす黒い瘴気を放った。

 

「さらばだ。アレリア最後の女王よ」

 

 男の高笑いに気付いた衛兵が女王を発見するまで、魂を奪われたかのように彼女は昏々と眠り続けた。

 

 

 

 けたたましくさえずる小鳥の声で、エレナスは悪夢から醒めて飛び起きた。

 すでに小屋の窓からは朝陽が差し込み、夜明けから少し経っていると推察出来た。

 

 セレスの姿は小屋には無く、一人起き出して森へ行ったのかもしれないとエレナスは考えた。

 近くの小川で顔を洗うと剣を携えてエレナスも森へと入り、セレスの姿を捜した。

 

 早朝の日差しは初夏でも肌寒く、エレナスは姉が気がかりでならなかった。

 昨日来た道を辿り落とし穴まで戻ると、そこにはセレスが何かを探して這いつくばっている。

 

「あ、おはよう」

 

 難しい顔をしてセレスが挨拶をした。その手には何かが握られている。

 

「おはよう。どうしたんだ、そんな顔をして」

 

 その言葉にセレスは黙って穴の中を指差した。恐る恐る覗いてみると、そこには何も無い。

 

「……逃げたのか」

 

 エレナスの呟きにセレスはただこくりと頷いた。

 見れば穴の傍には即席の縄梯子が落ちている。

 

「大方残っていた連中が引き上げたんだろう。抜け目のない奴らだ」

 

 セレスの落ち込んだ様子に、狩られた獲物もろとも持って行かれたのだろうと予想がついた。

 

「どうする? 奴らを追うのか」

 

 そう訊くとセレスは更に表情を硬直させた。黙ったまま握り締めた手を差し出し、エレナスの掌にそれを置いた。

 セレスがずっと握り締めていた物を受け取ると、エレナスの表情がさっと青ざめた。

 

「この硬貨……。どうして君が持っている?」

 

 エレナスは懐を探り、同じ硬貨をつまみ出した。エレナスの硬貨は黒ずんでいるものの、二つは全く同じものだ。

 

「ここに落ちていたんだ。それ、レニレウス王国の記念銀貨だよね。十二年前、現在の王が即位された時に造られたんだ。ほら、ここに大陸暦と王国暦が彫られてる」

 

 言われて裏を見てみると、二枚とも全く同じ数字が彫り込まれている。

 

「あいつらが落として行ったのかと思ったけど、お兄ちゃんの落とし物?」

「いや……。俺が持っているのはこの一枚だけだ。拾った方は奴らの物で間違いない」

 

 青ざめた表情のままエレナスは硬貨をセレスへ返した。

 

「そっか……。もしかすると密猟者はレニレウス王国の出身なのかもしれない。この硬貨は即位年の一年間だけ造られて、今はもう出回ってないはずなんだ」

「レニレウス王国の通貨は、他国の者では手に入れにくいものなのか?」

「そうでもないよ。四王国にはそれぞれの通貨交換比率があるからね。ただ記念硬貨だけは別だよ。国民か硬貨蒐集家じゃないと持っていないと思う」

 

 セレスの言葉にエレナスはじっと耳を傾けた。

 

「お兄ちゃんはどうやってその硬貨を手に入れたの? とても大切にしているようだけど」

 

 素朴な問いにエレナスはセレスを見た。スミレ色の瞳は純粋な輝きを湛えてそこにある。

 今まで誰にも、姉にさえ言った事のない話をエレナスはふと口にした。

 

「この硬貨は……。俺の両親を殺した人間を追う手がかりなんだ」

 

 硬貨を強く握り締め、静かにエレナスはそのいきさつを語り始めた。

二 ・ 楽園の最期

 

 エレナスの両親は医者を営んでいた。

 

 古き楽園の名を冠した自治都市シオンは、四王国の王都や主要都市には属さない地方都市のひとつだった。

 シオンでは市民が議員を選出し、彼らが市民の代表として執政を担っていた。

 

 市民はその種族や身分に関係なく公平に義務を果たし、権利を享受出来た。

 医師の少ない地方都市であるが故に、毎日多数の住民がエレナスの家を訪れ、診察を受けて薬を買って帰る。金の無い者は、何かしらの品物を置いて行くのが通例となっていた。

 

 ある日いつものように患者が置いていった品を整理していると、その中に一振りの古びた剣が混じっていた。

 蝋燭の灯りの下で抜き身を確かめてみると、それは青白く発光しているように見えた。

 

 値打ち物だと思った両親はそのまま手許に残しておいた。或いは患者の誰かが忘れて行ったのかもしれないと思ったのだ。

 

 だがその晩武装集団が都市を襲い、彼らの平和は一瞬にして崩れ去った。市民は略奪を受け殺され、野盗が放った火に巻かれた街は文字通り灰となった。

 

 

 

 今でも夢に見る惨状を、エレナスはただ淡々と語った。

 

 あの夜カギを壊してまで侵入して来た野盗は、問答無用で両親を打ち殺した。

 何もしゃべらず黙々と家捜しをする男たちからエレナスは逃げ、納屋に隠れるしかなかった。

 野盗が街中に火を放った事を知ったのは、明け方近くになってからだった。

 

 一通り話し終わるとエレナスは硬貨を懐へと仕舞い込んだ。セレスは何も言わなかったが、訊こうとしている内容を察するのは容易だった。

 

「この硬貨は焼け跡で見つけたんだ。家にはこんなものは無かった。もし奴らが落として行ったものなら、手がかりになる」

 

 剣の柄を握り締めながらエレナスは呟いた。

 

「殺されたのは稼業や身分に関係無く、人間以外の種族だった。いわゆる俺のような精霊人や獣人族、有角族だ。野盗の目的が何だったのかは今でも分からない。でも奴らは何かを探していたんだ」

 

 エレナスの話を、セレスはただ黙って聞いていた。

 その様子に話すべきではなかったとエレナスは思い、立ち上がろうとした。その時静かにセレスが口を開く。

 

「人はね、鏡なんだって」

 

 思いがけないセレスの言葉に、エレナスは立ち止まった。

 

「おじい様が言ってた。向かい合った相手は自分の鏡になるんだって。自分が憎めば相手も憎む。自分が心を開けば相手も開く。ぼくはお兄ちゃんを信じた。だからぼくを信じてその話をしてくれたんだよね」

 

 セレスも立ち上がり、森の奥に続く道へと進んだ。そしてゆっくりと振り返りエレナスへ微笑む。

 

「行こう。あいつらを追おう。でもその前に来て欲しい所があるんだ」

 

 

 

 セレスの案内に、エレナスは無言で従った。

 早朝の森はひんやりとした空気で満たされ、朝露が木々を濡らしていく。

 

 しばらく進むと唐突に開けた場所へと出た。自然に造成されたものではない。明らかに何者かが手を加えたものだ。

 なぎ倒された木々、割れた岩石。それがいたる所に転がり遺棄されている。

 まるで嵐でも発生したような有様に、エレナスは心当たりがあった。

 

「まさか」

 

 辺りを見回しエレナスは何かを探し始めた。

 草と泥を掻き分け、倒木の下を覗き込む。しばらくして立ち上がった彼の手には、千切れた紙片と細身の短剣が握られていた。

 

「姉さんのだ……」

 

 周囲の状況から、姉が何者かと交戦したのは容易に推察出来た。大切にしていた短剣を棄ててまで身を隠したとなれば、無事でいる可能性もある。

 だがもし追っ手に捕らえられたのであれば――その先をエレナスは想像したくなかった。

 

「お姉さんここで誰かと戦ったのかな。これだけの威力を出せる術師は、四王国合わせても数人だろうね」

 

 セレスの言葉にエレナスはかぶりを振った。そうだ。姉が負けるはずがない。

 二人を追って来た仮面の男が何者なのかは知らない。だが相手が男だろうと、遅れを取るような姉ではないからだ。

 短剣を固く握り締めるエレナスの心は決まった。

 

「レニレウス王国へ行こう。姉さんとの約束がある。銀貨や密猟者の情報も得られるかもしれない」

 

 エレナスの言葉にセレスは頷いた。

 密猟者を取り逃がし叱責を受ける以上に、森が荒らされる行為に耐えられなかったのだ。

 

 いずれは王に狩られる運命の獣たちを、セレスは愛情を持って保護して来た。

 それを横から掠め取られるのは、踏みにじられる以上の屈辱を感じていたのだ。

 

「あいつらを絶対に許さない。捕まえて王の前に引きずり出してやる」

「君は持ち場を離れても問題無いのか?」

 

 ふと森の管理が気になり、エレナスは訊いた。

 

「他にも数人森番がいるんだ。理由を話して管理をお願いしてくる。お兄ちゃんは一度小屋へ戻って準備してて。すぐ戻るから」

 

 言うより早く、セレスは弾かれたように駆け出して行く。

 その後姿を見送りながら、エレナスも元来た道を戻って行った。

三 ・ アレリアの使者

 

 狩猟場の一件で、フラスニエルは眠れず夜通し机に向かっていた。

 仮面の男が放った『王冠』の一言が、脳裏に焼きついて離れようとしなかったからだった。

 

 王冠はアレリア王国が所有する王器だ。それを奪おうとする者がいようとは誰も思うまい。

 執務机で思いを巡らせながら、アレリアに使者を送るつもりでフラスニエルは筆を取った。

 

 蝋燭の灯りだけでは心もとなく、昇りつつある朝陽を取り込もうと窓へと寄った。

 カーテンを開け外を見ると、森に続く街道から一頭の早馬が駆けて来るのが見えた。

 城門まで辿り着き馬から降りた男は、声を上げながら門を叩き続けた。ただ事ではないと思い、フラスニエルはすぐさま衛兵を呼んだ。

 

「どうか、どうか、ネリア王にお目通り願います!」

 

 早馬の騎手の声が、フラスニエルの向かった謁見の間まで聞こえて来る。

 衛兵に支えられ、息も絶え絶えに転がり出た使者の男は、震える手で書状を引っ張り出しフラスニエルへと差し出した。

 封印に使用されている蝋の紋章は、紛れも無くアレリア王家のものだ。

 

 フラスニエルが書簡を受けとっている間、アレリアの使者は震えながら這いつくばっていた。アレリアの王都からネリア城までは、馬でも優に半日はかかる。

 使者の様子から察するに、何頭も馬を潰しながら早駆けで来たのだろう。

 

「ご苦労だった。馬はこちらで休ませておく。そなたも休まれるがよい」

 

 フラスニエルの言葉に使者は身じろぎもせず、どうぞ書状にお目通し下さいと唱えるばかりだった。

 署名は女王自身ではなく、弟に当たる大公の名が記されている。

 

 嫌な予感がしてフラスニエルは封を解いた。

 開いて読み進めるうちに、彼の手が震え始める。

 

「どうか我がアレリアと女王をお救い下さい。これが知れたらアレリアは……」

「……顔を上げよ」

 

 ひたすら這いつくばる使者を、フラスニエルは立たせた。

 

「すぐに対応措置を取る。重臣を招集して会議を開く故、別室にて待機願いたい」

 

 衛兵に命じ使者を退出させると、すぐさま会議のために召集をかけた。

 早朝にも関わらず、十二人の重臣たちは半刻も経たずに全員会議室へ合流した。

 全員の顔をぐるりと見回し、フラスニエルは口を開く。

 

「こんな早朝に集まってもらったのは他でもない。……アレリア王国から王器が強奪された」

 

 王の言葉に重臣たちは驚きの声を上げ、ざわめいた。

 王器は四王国にそれぞれ据えられた王権の証だ。それを奪われるという事は王権の放棄、または喪失を意味する。

 

「皆も知っての通り、アレリアでは女王が王器の力を頼って執政していた。恐らく常に手許に置いていたのを狙われたのだろうと思う」

 

 フラスニエルの脳裏を黒衣の男がかすめたが、確証も無く信じがたい話であったために、彼は話題に出すのを控えた。

 

「賊は三王国、いずれかの手の者という可能性があるのでしょうか」

「それはまだ分からぬ。気骨あるダルダン王はそのような真似はすまい。……レニレウス王ならやりかねないとは言わないが」

 

 そこで言葉を切り、王は一同を見回した。

 

「皆の意見を聞かせてくれ。賊が誰だか分からないが、レニレウス王の手先でなければ、王器の不在を知られるのは非常に危険だ」

 

 東の海を支配するレニレウス王が、常々アレリアの水源を狙っているのは誰もが知る事実だった。

 建国から五百年間、レニレウス王国が侵略に踏み切れなかったのは、ひとえに北の峡谷と南東に広がる森林地帯によるものだ。

 

 特にダルダン王国との領土問題で両国が衝突し互いに力を殺いできたのは、小国であるネリアとアレリアには願っても無い状況ではあった。

 間者による情報戦を得意とするレニレウス王国に知られれば内側から撹乱され、滅亡に追い込まれてもおかしくはない。

 

「畏れながら我が君に申し上げまする」

 

 一人の臣下が声を上げた。見れば痩せぎすな老人だ。ゆったりとした長衣を纏ってはいるが、頭から指の先まで骸骨のように骨ばっており、不健康な印象が付きまとう。

 

「クルゴス。申してみよ」

 

 年老いた臣下に王は優しく微笑んだ。クルゴスは王に感謝の言葉と共に意見を述べた。

 

「わたくしめの案で恐縮でございますが、王冠を贋造し女王に何事も無く振舞って頂くのは如何でしょう」

「なるほど。模造で凌ぐか……。他の者は意見など無いか」

「畏れながらフラスニエル様。その場凌ぎの偽物など、埒が明きますまい。いっそネリアの名のもとに、アレリアを管理下に置きましょうぞ」

 

 武官最高位であるセトラ将軍が静かに言い放つ。

 老いてなお頑健な将軍は、三十年以上にわたってネリアを守護して来た武人だ。その見識と実力は四王国の中でも指折りだろう。

 

 その後も大臣クルゴスに同意する者、セトラ将軍に加勢する者で場は割れた。

 あまりにも意見がまとまらず、表決は午後へと持ち越される事となった。

 

 

 

 会議の紛糾に、フラスニエルは深くため息をついた。

 頭を抱えたまま会議室を後にし廊下を歩いていると、中庭にリザルの姿が見える。何をしているのか眺めていると、どうやら隅に植わっている薬草を選別しているようだ。

 声をかけようと近付くと、リザルの方から気付いたのか顔を上げて挨拶を交わした。

 

「どうやら面倒な事になったようだな、フラスニエル」

 

 薬草を手に笑う従兄を見て、フラスニエルもつられて微笑んだ。

 

「また親父が無茶な事言ったんだろう。いい歳して熱くなると見境が無くなるからなあ」

「いいえ、セトラ将軍はご自分に可能な方策を進言して下さったのです。ひとつの方向性として大切な事です」

 

 カゴ一杯に摘まれた薬草に、フラスニエルはふと呟いた。

 

「それにしても薬草をこんなに、一体何に使うのです」

「ああ。昨日森で助けた女がいただろう。思ったより傷は浅かったんだが、熱が下がらないんだ」

「一晩中看ていてくれたのですか。従兄上には頭が上がりませんね」

 

 薬草を摘む手を止めて振り向くと、リザルは笑って言った。

 

「一国の王がそんな事言うもんじゃないぞ。オレにはこれしか出来ないだけなのさ。軍人の家に生まれながら薬師なんぞしていれば、放逐もされるよな」

 

 二人以外誰もいない中庭に一陣の風が吹いた。

 無心で作業を続けるリザルに、フラスニエルは誰にも言わなかった事実を告げた。

 

「……エリエル女王が倒れたようなのです」

 

 フラスニエルの言葉に、リザルは一瞬手を止めた。

 

「従兄上。午後の会議で方針が決定次第、私はアレリアへ向かおうと思っています。よろしければ同行して頂けませんか」

「……女王のお加減が思わしくないのか」

「分かりません。書状には目覚めながらも意識の無い状態、とだけありました。例え力になれなくとも、彼女の傍に行かなくては」

 

 女王を案ずるフラスニエルの心中を察し、リザルは了承した。

 

「分かった。念のため予備の薬草を小屋から取ってくる。それほど時間はかからないから、患者の様子を看ていてくれないか」

 

 そう言うとカゴを抱え、リザルは足早に中庭を後にした。

 独り残されたフラスニエルは不安な気持ちを抱えながら、女が看護を受けている病室へと向かった。

四 ・ 従属の印

 

 フラスニエルが病室を訪れると、女は眠っているところだった。

 

 髪を切られ深手を負うなど、彼女は一体なぜこのような目に遭ったのだろうか。

 男のなりをしてまで事を成さなければならない理由があるのかもしれない。

 

 他人の事情など千差万別だ。フラスニエルが王族に生まれ、王として生きるように、彼女には彼女の生きる道があるのだ。

 

 そう思いふと女に目を移すと、うなされているのか彼女は苦しそうにうわ言を発した。

 額に手を当ててみれば体温とは思えないほどの熱が伝わってくる。

 

 早馬で使者が到着した影響なのか、医者も看護する者もその場には誰もいない。

 苦しむ女を放っておけず、フラスニエルは手ずから冷水に漬けた布で額をぬぐった。

 

 彼はこの時初めて精霊人というものを間近に見た。自分よりも年下にしか見えないこの娘は、その実百年近く生きていると思われた。

 時間をかけゆっくりと成長し老いていく彼らは、知性と知識の結晶と言えよう。

 

 しばらく額を冷やし続け、熱が下がり始めると女の目がうっすらと開いた。

 女はゆっくりと辺りを見回し、フラスニエルを見止めるとかすれた声で誰何した。

 

 磨かれた宝石を思わせる女の瞳に、彼は目を見張った。

 緑柱石よりも深い緑の目は蜂蜜色の髪に映え、切られる以前の美しさを偲ばせる。泥の汚れもすでに落とされ、そこには息を呑むほどの美貌があった。

 

「……ここは何処ですか」

 

 女の問いにフラスニエルは我に返った。ここがネリアの王城で自分が王である事、王国直轄地の狩猟場に立ち入った嫌疑で城へ移送された旨を伝える。

 その言葉を彼女は黙りこくって聞いていた。女はシェイローエと名乗りこれまでの経緯をぽつりと語り始めた。

 

 

 

 シェイローエの生家はネリア王国の南、人は誰も寄り付かない草原が連なる森のはずれにあった。

 そこには傲慢な人間を嫌悪した精霊人が集まり、小さな集落を形成していた。

 

 ある夜、その集落に一組の双子が生まれた。姉となる女の子が取り上げられた後、おぞましい姿で生まれた男の子に両親は戦慄した。

 褐色の肌に黒い髪。何よりも両親が気味悪く思ったのは、血のような色をした目だった。

 

 そのような姿で生まれる者を、精霊人の間では『異形種』と呼んだ。神話の時代、創世神が最後に産み落とした末神と同じ姿をしていると言われ、その多くは成人するまでに命を落とした。

 

 本来であれば長老に申し出て、男の子を引き渡せばそれで済む話だった。だが異形種を出した家は穢れているとされ、以降の婚姻や出産を咎められる。

 父親はここで誤った決断を下した。男の子が生まれた事を隠し、屋敷の地下に監禁したのだ。

 

 男の子は外界を知らずに成長し、ある夜知らずに迷い込んだ姉に出会った。

 姉を通じて外の世界を知った少年は、日に一度の食事を運んで来た父親を殺し外へと出た。異変に気付いた母親さえ手にかけ、彼は自由の身となったのだ。

 

 失踪後、成人してから彼は戻って来た。

 ヒトではない代行者となって。

 

 

 

 シェイローエの話に、フラスニエルは驚きを隠せなかった。褐色の肌に黒髪。そして赤い目と言えば、森に現れたあの仮面の男しかいない。

 

「そうです。あれはわたしの双子の弟。新月の夜に両親を殺して逃げた弟は、人外の力を得て戻って来た。この世界を破滅させるために」

「まさかそんな。そんなマネが出来るわけがない」

「いいえ。あの男は神器と王器を手に入れようとしている。末の弟と二人でここまで逃れて来たけど、もうあまり時間がありません」

 

 破滅などという言葉を聞いてもフラスニエルにはにわかに信じがたかった。あの男が新たなる神であったとしても、たった一人で何が出来るというのか。

 その疑問を口にする前に、シェイローエはうわ言のように呟きを繰り返す。

 

「早く止めなければ……。あの男が王器を、トケイソウの王冠を手にしてしまえば勝算が無い。王冠を戴いた者は全ての思考を読む。そうなってからでは遅いのです」

 

 シェイローエの言葉に、フラスニエルはアレリアの使者を思い出した。

 誰だか分からない者。アレリア女王の王冠を奪ったのは、やはりあの男なのかもしれない。

 

「王冠とは、アレリア王国に伝わる王器の事ですか? 昨夜何者かに強奪されたとの知らせを受けましたが」

 

 フラスニエルの言葉に、シェイローエは血相を変え跳ね起きた。傷の痛みをこらえながら彼女は委細を尋ねる。

 国家の存亡に関わる機密に、フラスニエルは言いよどんだ。だがシェイローエの必死な表情に折れ、王冠強奪の詳細を話さざるを得なかった。

 

「賊があの男だったとして、どうやって強奪したのかまでは分かりません。正統な所有者以外は触れる事すら出来ないはず」

「……譲渡であれば可能でしょう。術などを使い、女王手ずから譲渡させれば奪える。そのような報告はありませんでしたか」

 

 その言葉にフラスニエルは思い当たる節があった。女王が倒れた際、胸に奇妙な紋様があったと書簡にあったからだ。

 

「女王の左胸に、見た事も無い奇妙な紋様が現れたそうです。それ以降女王は魂が抜けてしまったようになったと」

「……従属の印か」

 

 シェイローエは唇を噛み締めた。

 

「従属の印とは、何かの術なのですか?」

「遥か古代に生み出された、人を自在に操るための禁術です……。今や術の存在を知る者も少ないのですが、あの男は好んでそういった術を使用する」

 

 王冠が奪われた真相を知り、フラスニエルは呆然とした。術で操られ王冠を渡してしまったのなら、女王が全ての責めを負う可能性も低くなる。

 

「その術を解く事は可能ですか? こんな事をお願いするのは心苦しいのですが、どうか女王を助けて下さい!」

「勿論そのつもりです。わたしの弟がしでかした事……。本来であればわたしが王へお願いすべき話です」

 

 その言葉にフラスニエルは光明を見出した。女王が意識を取り戻せば、状況を立て直す事も出来る。

 

「会議が終わり次第迎えに上がります。では後ほど」

 

 シェイローエを残し、フラスニエルは足早に病室を後にした。

 足音が遠ざかる中シェイローエは胸元を探ったが、短剣を失った事に彼女はようやく気が付いた。

五 ・ 因果

 

 王から追従の要請を受け、リザルは薬草を保管している小屋へと向かった。

 城の敷地内にある保管庫への往復ならさして時間はかからない。

 

 古びた錠前にカギを差し込みゆっくり回すと、がちりと重い音が響いて扉が開いた。

 医師と薬師以外出入りのない小屋には、薬草特有のしなびた青臭さが立ち込めている。

 

 薄暗い中をカンテラで探りながらリザルは薬草を集めて回った。途中いくつか見つからないものがあったが、持ち出し履歴を見るとしばらく補充されていないようだった。

 

「参ったな……」

 

 補充しようと思えば出来る。だがそれには、狩猟場の脇にある森番の小屋まで行かなくてはならない。

 王が出立するのは午後の会議が終わった直後だ。今から馬を飛ばせば、往復出来ない事はない。

 

 少し迷ったが、リザルは森番の小屋へ出向く事にした。

 王の要望に沿うにはそれしか手がなかったからだ。

 

 支度をして厩舎まで出向くと、馬番に自分の馬を引き出させた。馬具を着け飛び乗るとすぐさま駆け出す。

 すでに太陽は天頂近く、リザルは脇目も振らず馬を走らせた。

 

 南の城門を抜け王都の石塁を越えると、そこからは森へ続く一本道だ。

 急げば出立には間に合うだろう。

 栗毛の駿馬は主人の意を酌み、土埃を上げて森を駆け抜けた。交易のために整備されている道はごく一部で、多くの街道は舗装されていない。

 

 草原の多いネリアでは放牧が盛んであり、蹄鉄を必要としなかった。

 狭い小屋で管理される馬とは違い、健脚で蹄も頑丈なのだ。

 

 太陽が天頂へ届く頃、リザルは森番の小屋へと到着出来た。

 近くの潅木へと馬を繋ぎ、小屋の扉を叩く。

 返事は無い。だがそれはよくある事だ。

 

 薬師であるにも関わらず病床の妻を救えなかったリザルは、その日からひたすら後悔に生きた。残された幼い息子の前では必死に笑顔を作っても、彼の心にあるのは深く暗い底なし沼だった。

 何にも心を動かされず、今ある生はただ死に向かって歩き続けている。喜怒哀楽を失い抜け殻になった父親に、彼の息子はいつしか近付かなくなっていた。

 

 邸宅に戻らず、進んで森番をしているのもそんな父親を見たくないからなのだろう。

 そう思うとやはり合わせる顔が無く、扉を開ける事すらためらわれた。

 

 その時、誰もいないはずの内部から扉に近付く足音が聞こえてきた。

 驚いて立ちすくんでいると扉が開き、中から一人の少年が姿を現した。

 

「君は……誰だ?」

 

 現れたのは息子ではなく、見知らぬ少年だ。尖った耳に白金の髪で、一目で精霊人と分かる。

 少年は軍服姿のリザルに驚いたのか数歩下がり、腰の剣に手を掛けた。

 

「あんたこそ何者だ」

 

 今にも飛び掛かりそうな少年に、リザルも身構えた。

 十三、四歳程度の子供にしか見えないが、精霊人であればリザルの倍以上は生きているだろう。

 技量が不明な相手に対して隙を見せるのは死を意味する。外見で判断するのは実に危険なのだ。

 

 リザルが軍刀を抜くのと同時に、少年が斬り掛かって来た。

 薄暗い小屋の中で青白く光を放つ刃は、太陽の下ではありふれた白刃へ姿を変える。

 その優美さに気を取られ、リザルは一瞬遅れながら少年の斬撃を弾いた。

 

「見たところ軍人のようだがどこの所属だ? あいつらの仲間なら俺の邪魔はさせない」

「あいつらとは誰の事だ。オレはネリア王に仕える者。王に仇なす輩なら容赦しない」

 

 二人は睨み合い、間合いを測った。次の瞬間には同時に地を蹴り相手へと襲い掛かる。

 少年の突きを間際でいなし、リザルは薙ぎを放った。それを少年に避けられると返す刃で斜めに斬り付ける。

 

 息もつかせぬ二人の攻防は白日夢のように過ぎ去り、時間を忘れさせた。

 未だ決着が見えない戦いにも関わらず、互いの精神力は途切れる気配も無い。

 

 これほど互角な相手にリザルは出会った事がなかった。その身に流れる軍人の血が、彼を戦いへと駆り立てる。

 楽しんではいけない。喜んでもいけない。大切なものを亡くした五年前、そう戒めて生きてきたはずなのに、いつしかリザルはこの勝負に心躍らせている自分に気が付いた。

 

 不意に背後から気配がした。

 

 集中力が途切れ、リザルは振り向いた。

 命の遣り取りをしている最中に気をそらすなど、生を放棄したに等しい。だが相手の少年もその気配に驚き、動きが止まっていた。

 気配は森の茂みから姿を現し、二人の傍へと歩み寄った。

 

「……何してるの? 二人とも」

 

 二人の勝負を中断させたのは他でもない、リザルの息子セレスだった。

 急いで駆けて来たのか、その額には汗が浮き、息を切らせている。

 

「セレス……?」

 

 二人同時に声を上げ、そして顔を見合わせた。

 その様子にセレスが笑いながら空を見上げる。

 

「お父様がこんな時間に城を抜け出して来るなんて珍しいね。何かあったの?」

 

 その言葉にリザルは我に返った。見れば太陽は天頂をとうに過ぎている。

 

「小屋にある薬草を取りに来ただけなんだが、知らない奴がいきなり斬り掛かって来て……」

「先に抜いたのはそっちだろう!」

「……物盗りが構えてきたら抜くだろ普通」

「俺は物盗りじゃない!」

 

 睨み合う二人の言い分に、セレスはただ唖然とした。

 

「その人は泥棒じゃないよ。密猟者に出くわした時、偶然一緒になったんだ」

「密猟者がいたのか? どこにいた? 怪我してないか?」

 

 矢継ぎ早に質問を重ねてくるリザルを鬱陶しそうに見ながら、セレスは答えた。

 

「大丈夫、平気だよ……。これから逃げた奴を追うからフラスニエル様に伝えといて。すぐ戻るから」

 

 それだけ言うとエレナスの袖を引っ張り、セレスは走り出した。その様子を呆然と見ていたリザルは二人を呼び止めようとし、時間が無い事を思い出した。

 慌てて小屋へ駆け込むとありったけの薬草を持ち出し、馬へと飛び乗る。

 

 楽しげに走り去るセレスを見ながら、リザルは自分と正反対の生き方を選択した息子を、ふと羨ましく思った。

 王の許へ戻るために馬首を返し、遠く樹海にそびえる城を見やると、よどんだ黒雲が一面に垂れ込めていた。


 
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