No.22081

魔理沙と借本

らいあんさん

主の友人であるパチュリー・ノーレッジの依頼を受け、「借りた」本を返してもらいに霧雨邸に訪れる、十六夜咲夜。そこで彼女が見た光景とは・・・

2008-07-28 02:05:58 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1196   閲覧ユーザー数:1075

鬱蒼とする魔法の森の中に小さな原がひらけた場所がある。

 昼間にさえ地面に光が届かないほどの木々と瘴気の覆うこの森にとって、わずかではあるが陽光の注ぐその場所はさながら天の御使いが降り立つ様を思わせた。

 それを独り占めするかのように角のある影・・・人為的に作られた・・・が差し、思わず顔をあげると視線には細い小道が続いており、その先には蔦の張り付く二階建ての洋館があった。

 ゆっくりと入口の扉に手をかける。

 鍵はかかっていない。

 中に入るとあたり一面にマジックアイテムの山、魔道書の摩天楼。

 そこに埋もれるように、やもすれば溶け込んでしまうくらいに一体化した机が佇んでいる。

 いつもであればこの家の主が琥珀色で満たしたビーカーを片手に、あくび混じりでやって来たり、意気揚々とした表情をしながらパンパンに膨らんだ唐草文様の風呂敷を背負って来るところなのだろうが、今のこの場所からは微塵と想像することができなかった。

 そんな鬱然が支配するこの場の隣…家主の寝室辺り…からふと、小さく笑う二つの声が聞こえてきた。

 耳をすませばそれは、家主である霧雨魔理沙ともう一人、博麗神社の巫女である博麗霊夢のものだ。

 

 寝室では顔面を蒼白にした、いつもの小憎らしい表情からは考えられないほど力ない双眸を漂わせる魔理沙がベッドの上に横たわっていた。

 霊夢はベッドの傍らに寄り添い、急須から湯呑へと茶を注いでいる。               

 その表情はいつもと変わらない気もしたが、仮にここが神社だとしたら今の彼女の元には誰も訪ねては来まい、そんな雰囲気があった。

「…はい、お茶よ」

 霊夢が湯呑を魔理沙に差し出す。

 魔理沙は口元を緩めると小さく首をコクリと下げたが、その湯呑に手を伸ばすことはなかった。霊夢は少し視線を伏せる仕草を見せたが、やがて湯呑をベッドの近くにあった台の上へと置く。

「そういえば、お茶の葉もだいぶ少なくなってたわ。

 …新茶の季節まで持つかしらね?」

 手に持った湯呑を口に運びながら、霊夢は茶筒とベッドに臥す少女を交互に見ると親指と人差し指で小さな輪っかを作り、人差し指の勢いをつけて茶筒をはじく。

 茶筒はカラン、と軽い音を立てて左右にぶれ、やがてコトン、と横に倒れた。

「春」

 突然、魔理沙の口が動いた。

「春…が、どうかしたの?」

 なんのことかわからず、霊夢が小さく首を傾げた。

 すると魔理沙はその顔面に比例して病的に白くなった腕を上げると、その手の指先を宙に漂わせる。

 

 さくらやさくら

 霞が雲から舞いおりて

 春眠貪るは誰ゆえか

 宴に集うは君がため

 さくらやさくら

 精と化生の入れる郷の春

 かえしおもうぞおもしろや

 

 魔理沙の人差し指が桜の花びらを形作って止まると、霊夢はその指先から視線を外して小さく息を吐き、薄暗い部屋にわずかな光をもたらす窓へと瞳を向けた。

 

 チリン。

 

 ふと、この季節に不釣合いな澄んだ音が響く。

 魔理沙の体がピクリと反応すると、わずかにその半身を上げる。

「風鈴…か?

 そういえばかたづけるの…すっかり忘れてたな」

「…しかたがないわね」

 そういいながら風鈴に手を伸ばす霊夢の背にすまねぇな、という魔理沙の声がかかった。

 霊夢が背中越しに片手をひらひらと振ると、魔理沙は脱力してベッドの中へと沈む。

「夏」

「…え?」

 ちょうど風鈴を窓から外した霊夢が振り返った。

 チリン、と音がする。

 

 風鈴の鳴く声は

 暑き化生を打ち払い

 風の調べを運ぶもの

 遠くへ響く風鈴の音

 息づく虫のかさなれば

 空へとあがる大輪の華

 咲いて散りし郷の夏

 かえしおもうぞおもしろや

 

 霊夢が手に持ってた風鈴を目の高さまでもっていく。そして小さく手を揺らす。

 チリン、と音がした。

「…これ、かたづけちゃうわよ」

 

 風鈴の音が止むと辺りは再び静寂に包まれる。

 霊夢が風鈴を入れる空箱を見つけて手をかけると、どこかのバランスが崩れたのか、高く積んであった本の一冊が床の上に落ち、その拍子にパラリと中身が捲れた。

「…あら」

 視線を移した霊夢が空箱を片手に声をあげる。

 本の中身には暗号のような…おそらく魔術言語の類か何かなのだろう…文字列が並んでいたが、霊夢の反応は本の中身のことでも、本を落としてしまったことでもなかっただろう。

 開かれたページには今の持ち主に似合わず、丁寧に押し葉にされた紅葉が挟まっていたからだ。

「紅葉をしおりに、か。

 魔理沙、あんたいつものやることの割に意外と風流なことするわね」

 霊夢はしおりを親指と人差し指で摘み上げると左右に揺らしながら魔理沙の方へと視線を向ける。

「あ」

 魔理沙は首を少し浮かせた状態で小さく声をあげたが、早々に観念したのかポスン、と首が枕に戻る音を立てる。

 その様子に霊夢は口元を緩めて笑みを浮かべると、視線を紅葉のしおりへと戻した。

「秋」

「…秋。紅葉、ときたら秋よねぇ」

 霊夢は紅葉を持つ反対側の手で床に佇む本を拾い上げた。

 一枚、もう一枚と本が捲れる。

 

 木々より零れる唐紅

 風の流れに揺らめいて

 落ちる様ぞいとおしき

 夜長の月に照らされて

 薄夜のまにまに紅ぞ映ゆ

 杯かたむけ郷の秋

 かえしおもうぞおもしろや

 

 ひらり、ひらりと紅葉が、しおりが揺れる。

「次の秋には…私にもこのしおりを作ってくれたら。

 …茶菓子くらい付けてあげるわ」

 揺れがひとしきりおさまると霊夢は元のページに紅葉を挟みこみ、パタンと本を閉じた。

 

 窓の外を見ると、パラパラと黒い影が下へ下へと落ちていくのが見えた。

「…雪よ、魔理沙。あんたの嫌いな、寒さのもと」

 体を窓に向けたまま、霊夢は魔理沙に向かって声を掛けると、床の上の彼女の体が一瞬、小さく震えたような気がした。

「そんな嫌な冬かもしれないけど。…魔理沙は冬と聞いて何を思い浮かべる?」

 霊夢は魔理沙の方へ視線を移し、小さく首を傾げる。

 しかし白いシーツに身を包んだ金髪の人形は白くした表情を動かすことなく、その口はいくら待てども開かれる気配はなかった。

 霊夢は僅かに身を震わせながらその人形の頬に片手を沿える。

「私が思い浮かべるのはね。

 …あんたが死んだってことよ。たぶん。

 でも、魔理沙もあれね。わざわざ自分の嫌いなこの季節に死ぬなんて。今の姿を自身で見たらなんていうかしら?『冬に死ぬなんて、老人みたいだぜ』…なんて言うのかしら?」

 ゆっくりと沿わせた片手が小さい顔の輪郭をなぞり、顎の先端に達すると、霊夢の肩が小刻みに震え出す。

「ふ…ゆ」

 そして、そのまま。

 震えた口先が開かれて吐息のような言葉を紡ぎ出す。

 

 ときはすでに春の刻

 白の粉舞う冬景色

 そこに出でる影二つ

 向かうは幽冥、姫たもと

 となりの友に顔を向け

 互いに笑うぞ頼もしき

 無何有を越えて郷の冬

 かえしおもうぞおもしろや

 

「咲夜。…いるんでしょ?」

 不意に自分の名前を呼ばれ、反射的にビクリと体が動いた。

「…まったく、覗き見なんて、良い趣味じゃあないわよ。

 どこぞの家政婦じゃないんだから」

「…麗しき友情で結ばれた二人の別れを邪魔したら馬に蹴られてしまうでしょ?

 それとも、事務的にお宅訪問をして『そこで死んでる人間が持っていった館の本をいただきに参りましたのですが』と頭を下げて出てきた方がよかった?」

 買い言葉を口にしながら、わたしはうやうやしく一礼して寝室の敷居を跨ぐ。

 部屋の中は今までいた廊下と比べて随分と暖かかったが、さきほどからこちらを振り向こうともしない霊夢との温度差に、とてもではないが息をつく気分は湧かなかった。

「…で、本は持っていくのかしら?」

「ええ、そのつもり。…とさっきまでは思っていたところだけれど、いくらなんでも無粋よね。

 ひとまず、本の主であるパチュリー様に伺ってから考えることにするわ」

「…そう。あんたが粋のある…あ、瀟洒、だったっけ?そんな人間でよかったわ」

「面と向かって言われると、頭を抱えて落ち込みたくなるような言葉ね。瀟洒って。だから次からは止めて頂戴。…それじゃ」

 最後までこちらに顔を向けなかった霊夢に向かって売り言葉の一つでも吐いてみたが、彼女は結局何の反応も見せなかった。

 わたしは再びうやうやしく頭を下げると扉を開く。

「…霧雨魔理沙。

 嫌なやつではあったけれど、嫌いではなかったわ。

 

 …彼女と会えたことに、感謝を」

 寝室を後にしようとしたとき、ふと、口からそんな言葉が零れていた。

 そのとき、はじめて。

 背中の霊夢に反応があったような気がした。

 

 あとに残った霊夢は魔理沙の頬に宛がっていた手を離して自分の膝の上にもっていき、そっと視線を窓の方へと向ける。

 その先には咲夜が紅魔館の方向へと飛んでいく姿が映った。

 やがてその姿が完全に見えなくなると、霊夢は視線をベッドの上の少女へと戻し、口を開いた。

 

 

 

「『犬』は追っ払ったわよ。魔理沙」

 

「…おお、やっと行ったか」

 

 霊夢のため息混じりの小さな声とは対照的に嬉々とした大きな声が部屋に響くと、先ほどまで固く閉ざされていた床の上の少女の瞳がぱっちりと開き、いつもの意地の悪い笑みを浮かべながら両腕を上へと高くあげ、大きく伸びをする。

「しかし、今回は結構粘ったな。あやうく眠っちまいそうになったぜ」

「はぁ…あんたは死んだふりをしてるだけのお気楽で良かったわよねぇ。

 死にかけの人間を看取る役なんて大変だったわよ。

 途中で笑いそうになるわ、微妙に悲しまなけりゃならないわ。

 おまけに咲夜には言われようのない嫌味を言われてむかつくわ…」

「…くく、そうみたいだったな。だがそのおかげで助かったぜ霊夢。代わりに例のものははずんでおくからな」

 そういうと魔理沙はベッドのスプリングを反動にして勢いよく起き上がると、机の方へと歩いていき、そこから一つの箱を手にして霊夢へと渡した。

「…まいど。確かに受け取りました」

 箱を開けて中身を確認した霊夢は、満足そうな笑みを浮かべると腰かけていた椅子を後ろへと引いて立ち上がる。

「…じゃあ、私はこれで。

 時間をだいぶ食っちゃったから神社での仕事とか全然してなかったし」

「どうせいつも暇つぶしに形だけしかやってないことだろ?

 また遊びに行くから、そんときはよろしくな」

 魔理沙は手をひらひらと振りながら霊夢の見送りを決めると霊夢は、暇つぶしなんかじゃないんだから、とつぶやきながら苦笑を浮かべ、扉に手を掛ける。

「あ、そうそう」

 扉を開き、体の半分ほどが廊下へ出たとき、霊夢が魔理沙の方を振り向く。

 そして、品物を受け取ったときと同じ笑みを向けた。

 

 

 

 

 

「これ、はじめから気づいてたことだけれど。

 魔理沙って、確か死んだら本を返すことになってたわよね?」


 
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