No.1107061

堅城攻略戦 第二章 仙人峠 8

野良さん

「堅城攻略戦」でタグを付けていきますので、今後シリーズの過去作に関してはタグにて辿って下さい。

2022-11-17 22:41:46 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:449   閲覧ユーザー数:433

 捕えた獲物を値踏みする目を眼下に向ける。

 今や絶望的な状況を悟ったか、あの威勢のよさもどこへやら、うつむき、命綱に縋るように彼女の舌を掴む敗残者の姿がそこに有る。

 出来ればこの式姫は崖下に落とすよりはその場で殺し、その大いなる力宿る体を喰らいたい。

 式姫の体は単なる肉と骨の塊では無い、その身に絶大な霊力を宿したそれは、仙果に等しい。

 喰らえばその身に大いなる力と更なる寿命をもたらす。

 もしあの力を得れば、あの城にふんぞり返る連中を蹴落とし、君臨する事すら適うやも……。

 そう思い、引き戻そうと舌に力を籠める。

 だが、その手に返って来たのは、明確な抵抗の意思。

(エェ、往生際の悪イ)

 ならば最後まで掴んでいるが良い。

 彼女の舌と、それを支える体は岩塊や寺の梵鐘をすら吊り下げ、鋼の刃とすら打ち合う事も叶う強靭さと力を秘めている、彼女をあの岩場から引き離してしまえば、後はこちらの思うがまま。

 その体を我が舌で引きずり回し、岩壁に叩き付け、襤褸屑のようにして、その無力をあざ笑いながら喰らってやる。

 だが、流石に式姫と言うべきか、手にしていた斧を手放して空いた右手で岩を掴んでその体を支え、頑強にこちらの退く力に抵抗を続けている。

 その抵抗をねじ伏せようと、蝦蟇が舌に更なる力を籠める。

 ぴしり。

 その時、小さな音が響いた。

(?)

 何の音、と蝦蟇が訝しみ、周囲に視線を巡らす。

「山で産まれた妖怪の癖に、山の事を大して知りやがらねぇんだな、テメェは」

 知ってりゃ、そんな間抜けな位置取りはすまいに。

 そう小さく呟いた紅葉が立ち上がり、それまで岩を掴んで彼女を支えていた右手を蝦蟇の舌に添えて、持てる力の全てを込めて、それを引いた。

 浅黒い彼女の両腕の筋肉が力強く隆と膨れ上がる。

 掛けられた激甚な力に耐えかねたか、紅葉の両足の傷から血が滴り地面を濡らす。

 蝦蟇の舌にこれまでにない凄まじい力が掛かる。

(最後の抵抗カア……だガネぇ、その程度の力デ)

 確かに凄まじい力だが、蝦蟇が負ける程では無い、岩盤に張り付く四肢に更なる力を籠めて引き返す。

 びしり、びしり。

 その、二人が込めた力に呼応するように、断続的な亀裂音が辺りに木霊す。

「うおおおお!」

 その亀裂音をかき消すように、紅葉御前が、身内の力の全てを絞り出すために上げた鬼神の咆哮が山を揺らす。  これまでにない力、だが蝦蟇とてこの山の守護を委ねられた強大な妖である、負けじとその強靭な舌を縮め、相手を引き寄せようと力を籠め……。

 ぱきん。

 呆気ない程に軽い音が虚空に響いた。

 蝦蟇がそれまで掛けていた力、その手応えが急に失われた。

(な、何ガァ!?)

 唐突な浮遊感、青空、谷底、山肌、自分は地に足を付いている筈なのに視界に映る景色が目まぐるしく変化し、何処にいるのか判らなくなる。

 一体、何が?!

 

 蝦蟇の体は張り付いていた岩さら、宙に放り出されていた。

 巨大な文机ででもあるかのように、平らに薄く、紅葉御前が岩壁に打ちこんだ大戦斧の所から岩が綺麗に剥がれ、その上に張り付いた蝦蟇さら、崖から切り離された。

 片岩。

 いかなる霊妙な大地の力の所産か、岩や石と一口で言っても、それは、実に様々な性質を持っている。

 槌を以ても容易に砕けぬ花崗岩もあれば、容易く砕け、砂になる物もある。

 そして、これのように、強固だが、上手に割れる方向に亀裂さえ入れてやれば、薄く剥がれ落ちる岩も存在する。

 山の民は、これを皿などの生活道具とし、色美しく景色の良いそれは硯に加工して文人墨客に供して銭に替え、時に薄く鋭利に削ったそれは投擲する武器とも為してきた。

 この山を形作る岩石の剥がれやすい性質を見抜いた紅葉とおつのが、主に崖は登らず道を行くように警告した所以。

 置かれた状況は掴み切れなかったが、危険を察知した蝦蟇の本能が岩から足を離し山に跳んで逃げようとする。

 だが、目まぐるしく動く視界が、彼女の足を止めた。

 いつ跳べば良いのだ、下手をしたら、自分は虚空に身を投げる間抜けに……。

 その、ほんの刹那の逡巡が勝敗を分けた。

「どおおおおりゃあああああああ!」

 蝦蟇の体が、張り付いた岩さら大きく振り回される。

 脳が、眼球が、内腑が、急激に振り回された事で生じた力で押され歪み、彼女の動きを阻む。

 蝦蟇を岩さら引き剥がした紅葉が、その剛力の余勢を駆って、舌を掴んだまま、その体を半回転させる。

 めしゃり。

 岩壁に柔らかい物が叩き付けられる奇怪な音が刹那に響く。

 次いで、轟音と共に蝦蟇が足下にしていた岩が、彼女の体を岩壁の間に押しつぶした。

 さしも強靭な妖の体も、紅葉御前の剛力によって大きく振り回されて岩壁に叩き付けられた衝撃で五体が砕ける。

(バぁ……カァなァ)

 こんな……こんな事が。

 彼女の手足が張り付いたままの岩に引かれて、潰された体が山肌から引き剥がされ、血を引きながら急な斜面を滑落していく。

 強靭な妖の肉体が再生を開始するが、それも間に合わない。 四肢が言う事を聞かず、落下が止められない。

 そして皮肉にも、彼女の体を切り立った崖の上で自在に動かしていた指先の強力極まる吸盤は、これだけの衝撃にも関わらず岩に張り付いたまま、彼女の体を遥か下の大地に向かって引き摺っていく。

 敗北を悟った蝦蟇の口から、音を為さない呪詛が漏れる。

 おのれ、おのれ式姫、だがただでは死なぬ、せめて貴様だけでも道連れに。

 式姫の腕には、まだ自分の舌が絡んでいる、それに自身の持てる最後の力をありったけ籠める。

 さしも剛力の式姫であれ、あの怪我を負った足では、この勢いで落下する岩の重さと、彼女の最後の力で引かれては耐えられまい。

 ギシギシと、紅葉御前の手甲が蝦蟇の舌に締めあげられ、軋みを上げる。

 それに対抗する紅葉の腕の間で、数枚重ねた鉄の薄板が飴細工かのように曲がる、込められた力の凄まじさを見て、紅葉御前は蝦蟇の意図を正確に見抜いた。

「肚ぁ括ってあたしを道連れに、ってのは良い覚悟だ、けどよ」

 その行動は予測していた、軽く顔をしかめて、足元に右手を伸ばす。

「佳い男なら兎も角、化け蛙と心中するほど酔狂な趣味はしてねぇんだよ」

 上げた手の中で、彼女の足を掬い、危機に陥れてくれた、小さな蝦蟇蛙がじたばたしていた。

「潰しやしないよ、ただ、ちょいと借りを返して貰うよ」

 暴れていたその体を握る手に軽く力を籠めると、蝦蟇は我が身を守らんとして、ぬたりとした油をありったけ総身から滴らせ始めた。

 それを、紅葉は左腕に絡み付く蝦蟇の舌に垂らす。

 鋭利な刀槍の斬撃すら、ぬめり滑らせその身を護る、そう伝説に謳われた妖の身から滴る蝦蟇の油が、手甲とそこに絡み付く鞭の如き舌の間に浸潤していく。

「道連れが欲しい気持ちは判らんでも無いけどね、命って奴ぁ、一人で生まれ、一人で死ぬもんさ」

 神であれ、妖であれ、人であれ、鳥獣草木何れも逃れ得ぬ世界の理……だから。

「かくりよには、一人で行きな」

 ずるん。

 ぬめる油により引っかかりを喪った舌が、呆気なく紅葉の腕から剥がれ、込められていた力を示すように、目にもとまらぬ速さで主の元に戻っていく。

 舌が戻って来た事で、蝦蟇の口から迸っていた呪詛と絶叫が音になる。

「山であたしと喧嘩して勝とうなんぞ、百年早いんだよ」

 次第に遠ざかるそれを聞きながら、紅葉は小さく肩を竦めてそう呟きながら、手にした蛙を地面に戻した。

「悪ぃ女に引っかかってお互い災難だったね、お前さん達が妖怪になる時は、もう少し平和な奴になっとくれよ」

 慌ててぴょんぴょんと跳ねて何処かに去っていくその小さな背を見送りながら、紅葉は携行していた荷物の中から、水筒と血止めの薬とさらしを取り出し、足の怪我を一瞥した。

「やれやれ、意外に手強かったな」

 砂のこびりついた傷口を洗い、蝦蟇の膏では無いが、山の民秘伝の膏薬を塗り重ねてからさらしを巻いて行く。

「軍師殿の言ってたあたしの仕事はひとまずこれで良いのかねぇ……っても、この山の守備を担ってんのがあいつだけとも限らねぇか」

 まだ休んでらんないね……と呟きながら腰を上げた紅葉は、拉げて使い物にならなくなった油まみれの手甲をその場に投げ捨て、痛む足を引きずりながら、狭い道を山頂に向けて歩き出した。

「もう少しで尾根が見える感じか」

 見上げた先に、これまでの崖伝いの道から見れば比較的広く緩やかな斜面に、先駆者が付けたと思しき、仙人峠の嶺を連ねた稜線へと続く一筋の道が細く見える。

 常の山ならば、人跡絶えれば半年も経たずに植物に覆われ、人の作った道など山に呑まれる物だが、皮肉と言うべきか、獣も滅多に通わず、辛うじて緑が点在している程度の過酷なこの地では、いつ付けられたかもしれぬ道も残っているという訳か。

 いかに式姫たる蜥蜴丸の力を借りているとはいえ、使われている肉体は彼自身の物、相応の疲労は当然掛かる。

 荒くなった息を整えながら、男は口中を湿す程度に水を含み、上を見上げた。

 荒涼たる山肌、鮮烈なまでに青かった空が、厚い雲にみるみる覆われていく。 

「山の天気には気を付けろと言われていたが、こりゃまた」

(あの稜線上が我々の目的地ですね、ではこの辺りで雨風を凌げる場所を探しましょう)

「そうだな、この先に行かなくて良いのは不幸中の幸いと言うべきか」

 仙人峠の最高峰は、この稜線を進んだ更なる高みの先だが、俺の仕事はこの稜線を押さえる事。

 

(おつの君か紅葉御前、どちらか一人はあの仙人峠の最高峰の山頂に至る必要がある、そして主君はあの仙人峠の稜線のどこか、安全そうな場所で待機する、状況が手に負えないと判断した際は各自逃げる事)

 それが軍師の指示。

 敵守備隊と偵察隊を一通り排除した状態で数刻様子を見て貰う、何事も起きなければ、想定内で一番楽な状況だったといえるがね。

(……その、何事かってのが起きたら、どうなんだ?)

 男の言葉に、軍師は小さく肩を竦めた。

(そこからが、本当の勝負。 という事だ)

 

 鞍馬の言葉を思い出して、男は僅かにうそ寒そうな顔を道に向けた。

「軍師殿の想定は幾つか聞かせて貰ったから、腹積もりは出来ちゃ居るんだが……あの中で最悪の場合、って奴は、正直起きて欲しくねぇな」

(はい、ただそれに備える為にも、私たちは所定の場所で待機していましょう)

「そうだな……ああ、ここから先は暫く俺の力で登るよ、蜥蜴丸は力を温存しといてくれ」

 下では暑いと感じた厚手の綿入れが心もとない程に、寒気がその身に迫る。

 高山の変わりやすい天気の運んできた雲が日差しを遮り、強い風と共に氷雨を叩きつけて来る。

 だが、この寒気はそれだけでは無い……。

(承知しました、ではお返しします)

 その言葉と共に、体が重くなり、様々な匂いや気配を運んで来てくれていた風が、単なる身を切り裂く寒風に変わる。

 鈍く凡庸なる人の……俺の体。

 その重くなった足を踏み出すと、おつのが山歩き用にと用意してくれた靴が、濡れた岩場をしっかりと捉えてくれるのを感じる。

(そうです、臍下丹田に動きの中枢を置く事を意識し、着実に一歩ずつ登って下さい)

「おう、ここですっ転んで怪我でもしたら台無しだからな」

 蜥蜴丸の力を借りれば平地の如き道かもしれないが、憑神の術は相応の負担を主と蜥蜴丸に強いる。

 今ここで力を無駄にしてはいけない。

 二人の歴戦の感覚が、心のどこかで警戒の声を上げ続けている。

 この仙人峠は、確かにどこかが常の山とは異なる……まるでそう、彼らの全てを見張る眼が何処かで常に光っているような、そんな得体の知れない不気味さを漂わせている。

 それはつまり、恐らく軍師の言う「何事か」が、まだ待っているだろうという事。

 

 静謐だった空気が、騒々しい気配の接近に揺れる。

 そろそろ来るかと思っていた彼にしてみると、不快な予想が的中したというだけではあるが、実際来られると愉快ではない。

「あの山は、仙人峠は一体どうなっておるのじゃ!」

 美しい声が焦りに掠れ、耳障りな音となって彼の耳に届く。

 やれやれ……あの万人を魅了した天上の美声も、奏でるモノが変われば、かくも醜くなるか。

「判らん、儂の『目』共が式姫に蹂躙されておる所に、お主の部下が乱入した事までは把握しておるが、その先は何も」

 ただ、あの大天狗は変わらず儂の目の追跡をしておる所を見ると、もう一人居た山姫とでも戦って居るのじゃろうがな。

「寧ろ、お主が送り込んだ妖の動静に関しては儂が聞きたい位じゃ、どうなっておる?」

「……その蝦蟇との念話が通らぬのだ」

 だから、こうして状況を聞きに。

「念話が切れたか、ならば倒されたのではないか?」

 いずれにせよ、余計な事をしてくれた。

 冷たい断定の後に、更にそう小さく付け足した男の言葉に、眼前の美しい女性が眦(まなじり)を吊り上げる。

「余計な事とは何だ、貴様の手下を助けてやろうとした蝦蟇に何という言い種じゃ!」

 金切声一歩手前の声とは対照的に、男は冷然とした声を返した。

「お主……ひいてはお主があの山に送り込んだ妖に、儂が頼んだのは山頂の死守のみよ」

 それを超える事を勝手な判断で行った挙句、尤も肝要な仕事を果たせなくなってしまったのでは、余計な事と儂が言うのも至当であろうがよ。

 違うか? と嫌味すら感じない無機質な声に、目の前の女性が黙り込む。

「さらに言えば、儂の操るモノは儂の方で管理するゆえ、全滅しようが手出し無用と伝えて置いた筈」

 儂とお主とでその辺りは綿密に協議して、この城の防備に関する計画を立てた……それが遂行できぬでは話にもならぬぞ。

「先の式姫への無用の追撃にしてもそうじゃが、儂に喚き散らす前に、部下くらいは御して貰いたい物だ」

 あれらの上に君臨する、その力は十分足りて居ろうが。

「上に立つには、力だけでどうにかなる物でも無い……蝦蟇は基本姐御肌じゃ、長い間あの地で起居を共にしておれば、カラス共にも情が湧いたのじゃろう」

 その辺りまで完璧に御そうなどとすれば、むしろ反発を生み、統御に支障を来す。

「この城の軍師だったくせに、その程度の統治者の心構えも無いのか?」

「……安っぽい三流の徳治もどきを妖が儂に説くかよ、下らぬな。 情こそがこの城を妖の手に帰し、今またこちらの失策となった元凶ではないか……あのような物は漸次人の心から消していくべきものでしかない」

 そう言い放ち、男は炎の方に目を戻した。

「待て、まだ話は」

「儂の目が、山頂に辿りついた……奴らはこちらを追い詰めたつもりかもしれんが、死地に嵌り込んだは奴らの方よ」

 そう呟く顔に凄愴の気が籠もる。

「あの山は儂が守る」

「ち、死人をこき使う力を得ただけの人風情がいい気な物だ……まぁ良いわ、お手並み拝見しようかの、『軍師殿』よ」

 そう口にして、彼女の気配が消える。

「言われぬでも、儂自身の為に式姫は排除してくれるわ」

 情持たぬ我が兵団にて、儂の正しさを天下に証立ててやる。

(お主の献策が恐らく正しい事は承知している、それでもな、私は此の地の守護として、退いてはならぬ線があるのだ)

 その策、我が一族の役儀と、それを護って来た誇りに掛けて容れられぬのだ……許せ。

 そう口にした、反吐が出るようなお綺麗な顔も、今では。

 死んでしまっては、何も残らぬ。

 骸を妖に弄ばれ、相貌の判別も付かぬ白骨となり、その辺りを彷徨う幽鬼となり果てて、何の誇りか。

 下らぬ心に捕らわれ、何もかも失った野良犬共めが。

 儂は違う。

 人であれ、式姫であれ、妖であれ、我が前に立ちふさがるなら、その全てを、あらゆる手を使って排除し。

「儂は、生きるぞ」

 そう、小さく口にして、再び意識を戦場に向けた男を、静かに中空で燃える炎が見おろしていた。

■敵軍師と嫌み言い合ってる謎の美女

謎です


 
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