No.1078461

唐柿に付いた虫 44

野良さん

式姫の庭の二次創作小説になります。

「唐柿に付いた虫」でタグ付けしておりますので、過去作に関してはそちらからご覧下さい。

2021-11-30 20:49:33 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:918   閲覧ユーザー数:910

 四方の柱に貼られた札を剥した後に、吸血姫が少し伸ばした刃の如き爪で何やらを彫り込んでいく。

 凄まじい速さで、何やら鞍馬すら見た事の無い文字と図形が刻まれる。

(やれやれ、梵字くらいまでなら心得も有るんだが、これが彼女の生まれた西方の文字と、そして術に使われる方陣か……学んでみたいものだな)

 そう思ってしまうのは、拭い難い学究の性というべきか。

 鞍馬が見守る中、四本目の木を削っていた音が止み、吸血姫が傍らの鞍馬の方を向いた。

「軍師殿、お主に頼みがある」

「無知な私に出来る事なら何なりと、お師匠」

 鞍馬の言葉に吸血姫は露骨に顔をしかめた。

「お主の師匠なんぞという胃の痛くなる立場など願い下げじゃ……頼みというは他でも無い、この柱に彫った方陣を、妾がそこのカミダナと言うたか、あれにこのメダルを置いた時に完成させてほしいのじゃ」

 ほれ、ここを見てくれ。

 そう差し招いた鞍馬に、吸血姫は何やらの文字の一点を指さした。

「ここに、この二つの縦線を繋ぐように、刻みを入れて欲しい」

 その吸血姫の示したところ、そして方陣に流れる力と気の流れを見ていた鞍馬がすぐにふむと頷いた。

「成程、この一点を繋ぐ事でこの、主として設定された方陣が完成し、それに伴い、ここに連動させた他の三本の柱に彫られた方陣も同時に動き出す……」

 つまり、この術は四つを同時に発動させる必要がある方術……そういう事か?

 鞍馬の目には、この柱に対し、他の三本の柱から繋がろうとする、その力の流れが見える。

 成程、そういえば、盗賊団は鞍馬が縛した彼を含め五人だった。 つまり一人が儀式を行い、四人がこの柱に付いて同時に何か……恐らく黒幕から渡された札を同時に貼る事で、今吸血姫が施したのと似たような術の効果を上げるのだろう。

 彼女が急拵えした、この方陣の仕掛けを瞬時に理解した様子の鞍馬を見て、吸血姫が片頬を歪めるように薄く笑った。

「それ見ろ、師匠に種明かしもさせんような弟子は嫌われるぞ」

「今後、急ぎでないときは、師匠に花を持たせるように気を付けるよ」

 そう言いって肩を竦めた鞍馬が言葉を継ぐ。

「それは置いてだ、今回のような事態に対処する為にも、西洋の言語や社会、そしてあちらで使われる魔術を学びたいというのは、あながちに冗談でも無い、私のようなのでも弟子にして貰えるなら、一考して貰えると助かるな」

 謝礼と言っても、君が入用な物と言っては、葡萄の酒くらいしか出せないがね。

 そう口にした鞍馬の顔が存外真面目なそれである事を見て、吸血姫は目を伏せた。

「軍師殿の立場なら、確かにそうじゃろうな」

 世界の広さは、すなわち未知の脅威の存在も内包する……今回のようにそれが来るまで待っていては遅い。

 先ずは知る事、相手を知る事は矛にも盾にもなり、そして手を取り合う道も開いてくれる。

 それは判るんじゃが……な。

「言葉や、西洋が如何なる世界かを教える程度は良いが、術の方の弟子は暫く取れぬ」

 その言葉の意外な程の沈鬱さに、少し鞍馬は驚いた。

 取らぬではなく、取れぬ……か。

 そういえば、今回の吸血姫の歯切れが所々悪かった事、相手の手の内を読み即応出来た事から、今回の黒幕は、彼女の知っている存在だとは思っていたが……もしかしたら。

 そこまで思い至った所で鞍馬は考えるのを止めて、軽く頭を下げた。

「……そうか、すまない」

 この明敏な軍師の事だ、自分の方の事情も何となく察しているのだろうが、その辺りは何も言わず納めてくれるか。

 すまぬな……此度の事が上手く片付いた暁には、何れ話せる時もくるのじゃろうが。

「いや、お主に悪い事など何もない……そうそう、お主は、その刻みを入れたら直ぐに館の外に出て貰いたい」

 この陣、中に異物があると上手く動かぬかも知れぬでな。

「そうか、心得た」

 自分にとっては未知の物だが、術としてはありそうな事だと鞍馬は理解し、一つ頷いた。

 鞍馬が懐から、小柄を取り出すのをちらりと見ながら、吸血姫は神棚の前に立った。

 ずっと左手に握っていた真祖の「産土」を神棚に置く。

 そして、首から下げていたメダルを外して手にし、しばし、その銀色の輝きを見つめる。

 時終わりし世界と、時未だ生まれざる地に至る鍵……こちらは未だ生まれざる時の門を開く物。

 妾がこんな物の存在をあやつに伝えたのが、あやつが狂う一因となったのだろうか。

 だとしたら、妾の好奇心が、そもそも今回の始まりになってしまったのだろうか。

 だが、あの城の家宰として、力ある道具を未知のままに放って置く事も、その道具の詳細を後継者に伝えずに去るなどという無責任な真似はできない。

 責任と言うなら、それは吸血姫から伝えられた知識を悪用した彼女が負うべき話……そんな事は判ってはいるのだが。

 知るとは、新しい事物への好奇心とは……一体妾達をどこに連れて行くのじゃろう。

「……愚かな事じゃ」

 低く、誰にも聞かれぬ程度の声音で発せられたそれは、誰に向けた呟きだったのか。

 吸血姫が、そのメダルを産土の上に静かに置く。

 それを見た鞍馬の小柄がすいと動き、柱に最後の線を刻み入れた。

 方陣に力が満ちるのを背に感じつつ、鞍馬は吸血姫の邪魔をせぬように外に出た。

 同時に四方の柱に気が通り、明らかに家自体を包む空気が変わる。

 ギシギシと、外見からもかなり堅牢に建てられている筈の家から、風や地震も無いのに、家鳴りの音が不気味に響く。

 この館は、すでにこの世と別の世界とのはざまに居る……開いたままの戸口から中を覗き込んだ鞍馬の目に、吸血姫の姿が遥か遠くに見える。

 館自体はここに見えるが、あの中に普通に踏み込むのは、さしもの鞍馬であっても、もう不可能だろう。

 館の軋みが徐々に増す。

 かなり危険で不安定な世界の中に結界を作って、何とかあの空間だけ安定させているのだろう、すぐにどうこうは無さそうだが、楽観できる状況でも無さそうだ。

 残っている建物にもここまでの負荷が掛かるという事は、ここに戻ってくる為の足場を残しつつ、異界への道を作っているという事か。

(……架け橋か)

 山は元より異界への入り口、その山の頂上付近にこの館を立てたのはその為か。

 そして、この空間が他界とこちらの世界を繋ぐ橋となる。

 だが不思議だ、鞍馬の感覚では、確かにここはこちらの世界から伸びる橋だが、「向こう岸」が見えない。

 ここを橋として存在させるためには、もう片方の世界に到達している必要がある筈。

 二つの界を繋ぎ、両側に安定した場を持つが故に、橋となる空間は安定し、成立し得る。

 逆に言えば、行きつく場を見出せぬままでは、何れ橋としての存在意義を獲得できなかったこの空間は崩壊し、どことも知れぬ世界に放り出されかねぬ。

 そう……中にいる、存在もろとも。

 そこまで思い至り、鞍馬は珍しく音高く舌打ちをした。

 してやられた。

「吸血姫め、私を口実を付けて外に出したのはそのためか!」

 失敗の際に鞍馬を巻き添えにせぬ為だろうが、ええ、私ともあろう者が、ありそうな話だと疑いもせず乗せられるとは。

 何か有った時、私が手助け出来る事もあろうに、水臭いにも程がある。

 ぶつくさと口の中で何やらを呟きながら、鞍馬は館の側に転がしていた盗賊を少し離れた所に運び横たえる。

 館に目を転じると、もう台所の入り口から覗く中の空間は闇に塗りつぶされ、鞍馬の目を以てしても、何も見通せない。

「……無事に戻ってきたまえよ、吸血姫」

 帰ったら説教だからな。

 吸血姫が古の言葉で呪を紡ぐ。

 鞍馬には言わなかったが、これから自分がやろうとしている事は、かなり無茶な事。

 自分の後事を託した彼女には、このメダルの持つ力と危険性のみを説明しただけだったが、自身の行った調査から、門の開き方までは吸血姫も把握はしていた。

 そこまでなら、自分でもこのメダルを使いこなす事は出来る。

 だが、今回は単純に門を開くだけでは足りない。

 そもそも、これは始まりの鍵。

 これが此処にある以上、あやつが使ったのは間違いなく終焉の鍵の方。

 つまり、この鍵で単純に異界への扉を開いても、奴が主殿を連れ去った世界に至る事は出来ない。

 だが、これとあれは、対を為す引き合うメダル。

 それともう一つ。

 吸血姫は、真祖の魂の行先を追ってここに、今この世界で一番あの「時を刻まぬ異界」に近い場所に至った。

 つまり、真祖の魂とその産土より作られた仮の器もまた、なぜかは知らぬがあの時の果てに居る公算が高い。

 それが何故かを考えている余裕は今は無い。

 危険な推論と期待の積み重ねの上に立っての行動ではあるが……今はこの細い糸に賭けるしかあるまい。

 そして、このメダルと真祖の産土という二つの強大な引き合う力を使えば、今の自分でも、開き方次第では始まりの鍵を使いつつ、あの終焉の世界へ道を開く事も適う筈。

 それを捜す為に、こうして無数の異界へと至る曖昧な場所の先端に立ち、その場所を見つけ……そこにこの「橋」を架ける。

 だが、それを、ここが保つ間に出来なかった場合は……。

(妾は死ぬことも出来ずに、この虚空をさまよう事となるのかの)

 ぞっとしない話だが、我が身から出た事で、真祖と主を危機に陥れている以上、自分がやるしかない

 みしみしと部屋の軋む音の中に、微かだが、木が裂けるような音が混じり出す。

 四方に設けた、この世の構成物質たる地水火風の四元素の力を持たせ、この領域を一時「世界」として成立させるための柱が、外からの圧に抗し切れずに崩壊を始めている音。

 やはり、五行の理で本来は動いているこの日の本の世界に、かなり無理やり目に彼女たちの世界の魔術の理を持ちこんだ事で、本来この四大の方陣が持っている力を出しきれていない観がある……急ごしらえの無理は否めない。

 とはいえ、このメダルを使うには、それしか無かった。

 色々と不備は有った、だが、あちらの世界に居た時より、間違いなく、真祖との血の縁を強く感じる。

 妾のやり方と目論見は……間違っていない。

(真祖、頼む、妾を導いてくれ)

 意識を凝らし、細い細い血の縁の糸を手繰り、辿っていく。

 間違いなく彼女に近づいている……その実感はある……だが。

 吸血姫を包む空間に響く、みしみしという音が、びしり、ぱきりという不穏な音に変わってきている。

 この陣が崩壊すれば、このささやかな世界は形を保つ事はできない。

(妾があちらに至るまでで良いのじゃ……)

 バキリと一際大きな音と共に、この場所が揺らぐ、その拍子に神棚の横に置かれた、大黒の木像が床に転がった、と見るや、奇妙にその身を捩らせながら、ベキベキと音を立てて裂け、砕けていく。

 異なる世界と、この世界とのせめぎあいの狭間に落ちれば、それぞれの世界の理に引き裂かれ、押しつぶされ、こうなり果てるか……。

 一刻ごとに、真祖に近付く。

 一刻ごとに、この空間が壊れていく。

 もう少し、もう少しだというに、思った以上に陣の崩壊が早い。

 覚えず、吸血姫は神棚に置いていた真祖の産土とメダルを同時に掴んでいた。

 一際高く、木が裂ける悲鳴が辺りに木霊す。

(駄目か……)

 だがその時、木の上げる破滅的な叫喚が木霊す中で、微かに吸血姫の耳に別の音が聞こえた。

 何か、意味を成す音の流れが……。

 耳だけでなく、持てる感覚の全てを研ぎ澄ます。

 その耳が、確かにその声を捉えた。

(だめー、どらちゃん、にげてー)

「真祖!」

 見つけた!

 今や、周囲の壁を喪い、ただ虚空に浮かぶ襖に、異界への門として設えられたそれに手を伸ばす。

 その背で、更に木が裂け、折れ、砕ける音が連鎖する。

 伸ばした吸血姫の指が襖の引き戸に掛かる。

 開け……異界の門。

 妾を、真祖と主と……恐らく彼女も居るだろうあの地に。

 だが、引手への指の掛かりが浅かったのか、襖を引こうとしたその手が離れた。

「いかぬ!」

 その、吸血姫の悲痛な言葉を押し包むように、ぐしゃり、と。

 そこに在った空間が、異界の狭間で押しつぶされた。


 
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