No.1059278

【雑伊】風光る +321webオンリー参加のお知らせ

こうつきさん

別離と再会と、そして――

【お知らせ】
主催さまよりwebオンリーの告知の展開をご許可いただきましたので、お伝えいたします。
開催日:2021/6/26

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2021-04-14 18:34:35 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:59   閲覧ユーザー数:59

 

 水はぬるみ、山は青白くかすむ。川では魚がきらきらと銀の飛沫(しぶき)を上げて飛び跳ね、鳥がそれを狙う。

 

「帰りました」

 うららかな陽の光が、君の顔に陰を生む。どんな表情を浮かべているのか、こちらからはうかがい知れない。

「戻って参りました、雑渡さん」

 ここはかつて、君との逢瀬に使っていたさびれた庵(いおり)。近くを清らかな川が流れ、春は薄紅色の花びらが、秋は赤や黄の木の葉が、その水面に彩りを添えていた。ここに来るたび、ふたりで見入ったものである。

「戻って来たのですよ。あなたの側に」

 ああ、うれしいなぁ。君は約束を守ってくれたのだね。半ば強引に取り付けた約束を。

 

 これからは、君と共にいられる

 

 君の豊かな黒髪に、ゆっくりと手を伸ばす。あの日の夕べを反芻(はんすう)しながら。

 

 

 

 

 

 

 海辺の背後の、青黒い山陰(やまかげ)に沈む夕陽。その光を受けて、浜辺の砂山の下に広がる青の水面に、橙の縞(しま)がゆらゆらと幾重にも浮かぶ。砂に埋もれた白い貝殻ですら、強い橙に染まる。

 その橙も、ついに見えなくなり。

 

 ちゃぷん、ちゃぷり

 

 のどかに見えた海辺が少しずつ、その本性を現す。先程まで穏やかな波音を伴って、陽の温かさを反射していたのに、陽が沈んでしばらくすれば、暗い海面がすべての光を吸い込んだかのように、辺りの空気を冷やした。

 びょう、と風が強まる。

「木戸が閉じる刻(とき)はとうに過ぎたけれど、いいの?」

 私は心配になって隣に立つ人影に、声をかける。この辺りは日暮れ前に木戸が閉じる。早朝から働く者が多いからだろうか。

 緩急、風が吹きつけ、豊かで艷やかな黒髪が大きく乱れた。時々、髪の束の後ろに見え隠れする横顔の、つんとつり上がった目尻が、変わらずにきれい。

「そんなことを気にする生活なんて、していなかったでしょ。お互いに」

 やっと返事をしてくれた。歓迎とは程遠い口調ではあったが。

 私の大切な人は、摂津から遠く離れた他領にいる。彼の下にたどり着いてから、ずっと話しかけていたのだが、ことごとく無視されていた。

 今は浜辺で釣りに励んでいた。ここは禁漁区ではないんだよね? と、尋ねるのはやめる。まだ夜は冷えるから、あまり釣れぬのではないかな。

 彼は竿(さお)に垂れるの糸の先から目を離さず、こちらを見ようともしない。けれども、竿を握る指がかすかにわなないているのを、私は見逃さなかった。

「町では『早寝の薬師(くすし)さん』ってあだ名がついているんですよ、僕」

「随分と健康的な二つ名だねぇ」

「陽が傾き出すと戸を閉め切って『家に籠もる』から。実際はそこからが仕事始めですけれどもね」

 夜通し働いて、木戸の開く前にこっそり居に戻り、そのまま薬師の仕事が始まる日もあるのだろう。まだ陽の高かった頃に見た彼の瞳は充血していたし、目の下には隈ができていた。

 私の目には、彼が憔悴(しょうすい)しているように見えた。

【安土の御仁が、動きます】

 

 ちゃぷん、ちゃぷり

 

 波と風の音に混じる、矢羽音。久しく聞かなかった彼の音に、じんわりと懐かしさを感じた。

【近々、ここでも血が流れる】

【造反か】

【ええ。安土はここの旧臣を甘い言葉で釣った模様。正面から攻めるのでは埒(らち)が明かないと、早々にしびれを切らした】

「おっと、ひいている!」

 君は身を乗り出し、竿を握り直した。

「せっかちだねぇ」

 そう呟くと、きっと睨み返し、

「わかってますよ」

 苛立ちの声を上げた。しかし、すぐに視線を竿の先へと戻す。竿を小刻みに上下させ、真に喰い付くのを待ちはじめた。

 『せっかち』とは、本当は彼のことを指した言ではなかったのだけれども、敢えて否定はしなかった。

 しばらく、無言で強い引きを待つ。

 その間私は、薄暗い世界に浮かぶ、彼の姿を見た。ずっと見ていた。

 再び風が乱流を生み出す。小袖と袴とがぴったりと彼の体に貼り付いて、体格を強調した。最後の逢瀬で見た形より、わずかに精悍(せいかん)さが増している気がした。

 その影を、隻眼に焼き付ける。

「来たっ」

 小さく呟くと、水面を見据えたまま、ぴんっと張った麻糸に指をかけ、次いで口元にまで寄せる。矢継ぎ早にその糸をくわえると、空いた手と竿を持つ手を使って器用にたぐった。

 麻糸の食い込む薄い唇が、艶かしい。

 黒い水面から勢いよく何かが引き揚げられる。弧を描き、ぼとり、砂地へと落ちた。びちびちと砂浜の上を踊るは、おそらく褐色のカサゴ。彼はとげのような胸びれや腹びれに注意を払い、カサゴの口の鉤(はり)を外した。

「これは良い。あとで汁にでもします」

 私の手のひらほどの寸法だから、ほどほどの大きさであろう。カサゴの白い身は、脂がのってうまい。よい出汁が得られるだはずだ。

 でも、発した言葉の割に、彼は釣果(ちょうか)を喜んでいないようだった。てきぱきと血抜きをするその目は、どこか昏い。

 彼はカサゴを魚籠(びく)におさめると、竿の糸の先の錘(おもり)の具合を確かめた。その手で鉤に新しい餌(え)を付ける。段取りを済ませ、彼は竿を片手にふらっと立ち上がった。竿を一度後方へ傾ければ、最後に勢いをつけ前方へと振る。

 ひゅう、とっ

 いつの間にか、風が緩んでいた。

「ここは、摂津よりはあたたかいね」

 

 ちゃぷん、ちゃぷり

 

 心地よい波の音と、潮の香り。

「いいところでしょう? ウナギもうまいんですよ」

 少しの間をおいて、彼は答えた。視線は再び、垂らした糸にやったまま。心なしか声は上擦り、まぶたが震えているような。

「ねぇ、伊作くん」

「……仕事中です」

 よその所領に潜伏している者の本名を呼ぶなど、禁則中の禁則だ。それでも、彼の名を声に出したかった。

「そろそろ、帰って来ない?」

 視線は虚無のような真っ黒な海を向いているが、彼の心はそちらにはない。

「帰ろうよ」

「どこへ、帰れと」

 彼には珍しく、地を這うような低い声音だった。

「まだあの事を怒っている?」

「許すとでも、お思いですか」

 握る竿がきしむ。

「確かに、君は私の部下どころか、タソガレドキの者ですらない。それなのに私は君に命令を――」

「とぼけるなっ!」

 私の言葉を遮りそう叫ぶと、彼は竿を足元の砂浜に叩きつけた。竹製のそれは、暗闇をわずかに跳ねる。

「そういうことを言っているのではないと、わかっているはずだっ」

 静かな海に、怒号が吸い込まれる。 

「僕もあなたと同じ道を生きる者です。自分の身くらい、自分で始末をつけられる。それなのに」

 彼の右手が夜目でもわかるほど、真っ白に固く握られる。私を見据えるその顔は、まさに鬼の形相。

「『霧山方面の動向を探る』という口実で、あなたは僕を遠ざけた。僕を危険から遠ざけるために。それが許せないのです。僕はあなたのためなら、命だって差し出せたんだ」

 内から沸き上がる怒りが、声に溢れる。

 しかし、その様子すら、いとおしく思えた。

「やっと、方が付いたんだ」

 睦言のように、ささやけば。

 彼はぎゅっと砂を踏みしめた。両のつま先が砂浜に埋もれるほど、強く。

「僕がどれだけ傷ついたか、わかりますか」

 うめくように訴える相手の瞳がじわり、潤みを増す。

「でもね、ようやく、私は君を」

「あなたのしたことは、僕が最期まで共にある資格はないと、明言したも同然なのですよ?」

 鼻にかかった音で恨み言がこぼれ出る、その唇が愛(かな)しかった。

「私は君を失いたくなかっただけだ」

 だから、私は本心をさらけ出す。

「必死だったんだ。自分が死ぬのは構わないさ。そういう稼業だからね。でも、君が傷つくことは、何が何でも避けたかった。そんなこと許せるわけがない。大切な人を守るためなら、どんな手段でも使おう」

「僕の誇りを、踏みにじっても?」

 絞り出すような声でそう問われて、

「うん。君を失うくらいなら、君からの真心を突っぱねる方を選ぶ。そして、実際にそうした」

 ありのままを告げた。

「しかし、やっと。本当に、全部終わったんだ。だから、帰っておいで」

 私の懇願に、彼は首を激しく横に振る。

「今更、ですよ。何もかも」

 髻の先の髪が、乱れるほどに。

 拒絶しないでほしかった。なぜなら、彼に伝えなくてはならない言葉があるから。聞いてほしい言葉があるから。

「これからは」

 私は、これを伝えるために、ここに来た。

「これからは、私と一緒にいてくれないか」

 ずっと告げたかった言葉。受け取ってもらえるだろうか。受け取ってほしい。

 けれども。

「なんで。なんで、今なんですか。なんで、もっと早く言ってくれなかったのですか。あなたが」

 彼はこれまで見たことのない、苦悶の表情を浮かべ、

 

「あなたが、生きているうちにっ」

 

 ちゃぷん、ちゃぷり

 

 風は凪ぎ、波の音だけが静かに響く

 すべてが終わった、というのは、そういうこと

「なぜ、生きている間に、文句のひとつも言わせてくれなかったのですかっ」

 私は、その生を終えた

「ごめんね」

「謝罪の言葉なんかいらない。謝られるくらいなら、道連れにしてほしかった」

 振り乱した髪が、君の頬をにはりつく。

 終わってから、どれほど経ったのだろうか。それほど月日は過ぎていないと思うが。それはともかく、気が付けば今日、目の前に君がいた。

 一方の君は、はじめはこちらに気付かなかったようであった。しかし、日が傾きはじめた頃、私を視認できるようになったらしかった。相手の顔など判然としない時刻にもかかわらず。『黄昏時は逢魔時』とは、よく言ったものだ。

 つい先ほどまで、知らぬふりを通されていたけれど。

「逢いたかったよ」

 手を伸ばせば、あたたかく滑らかな頬。親指で目の下の隈をひと撫ですれば、君はそのつり目を大きく見開いた。

 普段は融和な表情で隠されているが、実はその目つきが鋭いことを私は知っている。

「君が、恋しかった」

 手のひらから伝わる熱が、うれしい。半刻前までは触れられなかったから。

「一緒に、生きたかったよ」

「雑渡さんっ」

 君はたまらず声を上げた。ぼろぼろと、瞳から涙を流して。

 やだなぁ。泣かせなくはなかったのに。

「死んでも死にきれず、こうして化けて出てくるくらい」

 これ以上、泣き顔を見たくなくて、おどけてみせた。しかし、失敗だったらしい。涙が、ますます溢れ落ちる。

「それならばっ」

 君の両の手が、頬に触れる私の右手を離さぬとばかり、握りしめる。

「なぜ最期のその時まで、僕をあなたの腕の中に閉じ込めなかったっ!」

 熱い血潮を、その手から感じた。

 あな、悦ばしや

 君は生きている

 私は大切な君の命を、守り抜いたのだ

「なんで僕から、あなたと共に過ごす残りの時を奪った。なんで別れを惜しむ暇(いとま)すらくれなかった? 僕も、あなたと、最後まで生きたかったのにっ」

 そうだね。君にはひどいことをしたと思う。もっと私への憤怒を受け止めねば。

 

 ああ、でも、そろそろ

 

「ねぇ、伊作くん。帰って来てよ。今度こそ離しはしない。だから」

 ときが迫る

「いつもの場所で、待っているよ」

 口早にそう告げた。

 本当はこのまま、君と話をしていたいのだけれども

「待って。待ってください」

 君の瞳が絶望の色に染まる。

「すまない。そろそろ戻らねば」

 君は引き留めようと、私の手を必死に握り直した。

 やっぱり、うれしいなぁ

 こんなに君の熱を感じられるとは

「お願い、お願いです。行かないで」

 吐息が震える。

 そんな顔、しないでよ

「待っているよ」

 君の、柔らかな笑みが好きだった

「雑渡さんっ」

 笑ってほしいな

「いつまでも、待っているからね」

 そう思って、告げたのだけれど

 

「いやだっ、僕をおいて逝かないでっ」

 

 いとおしい君の慟哭が、聞こえぬはずの左耳にまで響いて、私は。

 

 

 

 

 

 

 太陽に雲がかかり、陽射しが和らぐ。

 伸ばした手の先には、君の険しい顔。

 あたたかな風が、遠くの鳥のさえずる節を運び、君の黒髪を優しく揺らす。それなのに私の指は、君の髪を一筋だってすくえない。

「あなたは勝手だ」

 君は吐き捨てるかのように言った。私の足元を睨んで。

「だいたい、なんですか。先日のあれは。自分は散々、言いたいことを言って。そのくせ、こっちの言葉なぞ聞いちゃくれない」

 眉間の皺をいっそう深くし、

「僕の気持ちなんて、お構いなしだ」

 何かに耐える。

 いやだよ、伊作くん。君のそんな顔は見たくない。

 笑ってほしくて、触れられぬことを承知で君を腕の中に引き寄せれば。

 はっ、と目を見開き、

「この、匂い……」

 くしゃり、唇を強く噛んだ。

 そんなに強く噛んだら、切れてしまうよ。

「記憶は嗅覚を刺激するから、ほんと邪魔だ」

 君は両手で顔を覆う。小さく肩を震わせて。

 また泣かせてしまった。確かに。思い出は、時に香りを呼び覚ますよね。

 

 ああ、これは。

 いつかの寝乱れの君の、

 

 しばらくして、君は震える両手を顔から離した。

「雑渡さん。僕はあなたを許しません。許すもんか」

 濡れた眼光は、憎悪すら滲(にじ)む。

「だからもう二度と、あなたを離したりはしない」

 ぎゅっと一度目をつむり、君は大きく息を吐く。一呼吸おいて、再び目を開けば。

 

「ずっとずっと、一緒です。雑渡さん」

 

 笑った

 笑ってくれた

 私が見たかった、笑顔

 

 それはそれは、きれいに笑って、私の足元に跪(ひざまず)く。

 きらきらと、頬を濡らしたまま。

 そうして、両手を差し伸べ、君は掻き抱く。

 床板の上に転がる、私の――

 

 

 

 

 

 

(初出:2021.4.13)

 

 

 


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