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[12] mao 17/08/21 20:41

たびたび失礼します。

何か余計に悩ませてしまったようで申し訳ありません。(>_<)
個人個人それぞれに合ったやり方があると思いますので、この方法も一例として自部なりのやり方を模索してみてください!

あと参考までに… 自分は完成というのは塗ろうと思ったところを納得して塗り終えたら完成と考えています。当たり前なんですがw なのでご自身の絵を見てみて何か足りないと感じるのは完成してないのかなと。
とりあえず描いたものは片っ端からSNSにUPされてはいかがですか? 上手く描けたのもそうでないのも。自分以外の人にみてもらいコメントなど頂けれは励みにもなりますし。ぼろくそ言われることもあるかもしれませんが、武者修行だと思って…

三十路… 結構じゃないですか! 自分も本格的に絵を描き始めたのは35のときですよ。その当時の絵よりしゅぴーれらいさんの方がよっぽど上手いです。それまでは年賀状と友人のコミケの原稿の手伝いと年に三回しか描いてませんでしたので当たり前ですがw ちなみに自分はこんな絵を描いてますがアラフォーです。堂々といきましょうw

[14] 共在けんじ 17/08/23 00:05

はじめまして、少し、お邪魔させてもらいます。

 わたしは文字書きで絵は描けないのですが、同じ創作活動をしている者として、違う創作活動からの視点も「参考になるかなぁ」と思い、コメントを書かせてもらいます。

 わたしは、創作には、感性の面と技術の面があると考えています。絵としては未熟でもすごく胸に迫ってくる絵もあれば、逆もあるわけで。その両方の面のバランスがうまく取れている作品が、完成度の高い作品だと思います。

 感性といっても、きれいとか、おもしろいとか、かっこいいとか、こんなの好きとか、ようは自分の感じるもので、それを伝えようと表現するのが創作で、それを表現するために技術が必要なのではないでしょうか。

 もちろん、自分の作品の評価は気になりますが、それは、自分が表現したものが伝わったとわかるから、気になるのだと思います。
 評価が良くても悪くても「もっと伝わるためにはどうしよう」と思った時、自分の技術不足を痛感して、そこではじめて、必要な技術を学んで習得していくのだと思います。

 ちなみに、わたしは、見てもらえるだけでも充分だと考えています。見る人により感じることは違うわけですし、描く方は、表現して伝える事しか出来ないわけですから。見てくれる人が何かを感じてくれたら、それが何かわからなくても、やはり描く者は描き続けていくべきだと思います。

 自分の伝えたいことを、見てくれる人にもっと伝えたいと思うから、技術を身につけ工夫を重ねて創作をつづけていく。

 どんな創作をしている人も、悩みは同じだと思います。

 そうやって創作をしていく先に目指す完成形があり、その過程でいろいろな評価をいただき、最後は、自分で描きながら近づいていくのだと思いますよ。

 

 

創作活動上の悩みスレッド

しゅぴーれらい 17/03/31 19:27

どうも、こんにちは。
単発の悩み相談スレッドをまとめられないだろうかと考えて、このようなスレッドを立てました。

このスレッドで、「創作活動上の悩み」というテーマでいろいろ話してもらいたいなと思っています。

一人で悩まないで、誰かに話せば、すっきり解決とはいかなくても、きっと負担が軽くなりますよ。

[13]  しゅぴーれらい  17/08/22 13:23

>>12

いえいえ。またもやお手を煩わせてしまったようで申し訳ありません。

学生時代に担当の教授から言われたことなのですが、私は全か無かの完璧主義者に見えるらしいです。
どうやら、レポート自体の出来は悪くないのに、提出状況がよくないのを見てそう思ったらしいのです。

"Done is Better than Perfect"、その言葉を胸に刻むためには、何はなくとも筆を執ることが必要です。
その次の段階として、完成とは呼べなくても、何とか思いを形にすることで経験を重ね、その結果、完成と呼べる段階までに作品を仕上げられるようになる、という青写真が今、頭の中にあります。

つまり、「まず完成させる」という目標設定は私には早すぎるのです。
「完成させられないなら、最初から手をつけないでおこう」
そう考えてしまいがちな私に必要だったのは、「まず筆を執る、描き始める」という目標設定だったのです。

描いたものを片っ端から公開するということに関しては、現状でもほぼそうしています。
例外は、法的・規約的にアウトなもの、それだけです。
その例外も、片手で数えられるくらいしかありません。

できたものをネット上に公開しさえすれば誰かが反応すると考えるのは間違いかもしれません。
道端で歌うミュージシャンなんて、誰も気に留めませんよ。
ましてや、そういう人が何人もいるような場所では特に。

そう、緊急時に助けを求めるときに、「誰か助けて」と大声で叫ぶだけでは誰も助けてくれないのと同じです。

だから、身の回りにいる人(ネット上で親しい人も含む)に直接感想を聞くのがいいのかな、とぼんやり思っています。

後で気づいたのですが、年齢のことを言ったのは無粋でした。
趣味に年齢は関係ないですよね。

どうも、ありがとうございました。

[14]  共在けんじ  17/08/23 00:05

はじめまして、少し、お邪魔させてもらいます。

 わたしは文字書きで絵は描けないのですが、同じ創作活動をしている者として、違う創作活動からの視点も「参考になるかなぁ」と思い、コメントを書かせてもらいます。

 わたしは、創作には、感性の面と技術の面があると考えています。絵としては未熟でもすごく胸に迫ってくる絵もあれば、逆もあるわけで。その両方の面のバランスがうまく取れている作品が、完成度の高い作品だと思います。

 感性といっても、きれいとか、おもしろいとか、かっこいいとか、こんなの好きとか、ようは自分の感じるもので、それを伝えようと表現するのが創作で、それを表現するために技術が必要なのではないでしょうか。

 もちろん、自分の作品の評価は気になりますが、それは、自分が表現したものが伝わったとわかるから、気になるのだと思います。
 評価が良くても悪くても「もっと伝わるためにはどうしよう」と思った時、自分の技術不足を痛感して、そこではじめて、必要な技術を学んで習得していくのだと思います。

 ちなみに、わたしは、見てもらえるだけでも充分だと考えています。見る人により感じることは違うわけですし、描く方は、表現して伝える事しか出来ないわけですから。見てくれる人が何かを感じてくれたら、それが何かわからなくても、やはり描く者は描き続けていくべきだと思います。

 自分の伝えたいことを、見てくれる人にもっと伝えたいと思うから、技術を身につけ工夫を重ねて創作をつづけていく。

 どんな創作をしている人も、悩みは同じだと思います。

 そうやって創作をしていく先に目指す完成形があり、その過程でいろいろな評価をいただき、最後は、自分で描きながら近づいていくのだと思いますよ。

 

 

[15]  しゅぴーれらい  17/08/24 12:28

>>14
どうも、ありがとうございます。

こういう話題になると頭をもたげてくるのが「そもそも、なぜ他人にそれを伝えようと思うのか?」という疑問です。
別に、伝えようとすることを否定したいわけじゃないのです。
少なからず私も伝えたいと思っていますから。
純粋に、それはなぜなのか、気になってしまうのです。

前提として、感性とかセンスというものは全ての人間に備わっているものです。
それらをまったく持ち合わせていないヒトがいたとしたら、それは人間どころか動物でもなく、肉でできた機械と呼ぶべきです。

では、一般に言われる「センスがある/ない」という言葉の正体は何か?
これは「感性が鋭い/鈍い」ということの不正確な表現であると同時に、感性が鋭い人と鈍い人の間に壁を作って分断を図る行為であるといえます。

この壁の使い方はいろいろあります。
自分の前に設置して、努力をしない言い訳に使うとか、自分の後ろに設置して優越感に浸るために使うとか、あとは根拠なしに他人をほめたりけなしたりしたいときにも使えます。

そして、感性が鋭いということはどういうことか?
私は「自分の好き嫌いや癖を知っていること」だと思っています。

そう、ここには「何かを伝えようと表現する→他者と関わる→自分と他者の間にズレが生じる→自分のことをより深く知る→感性が磨かれる→さらに的確に表現ができるようになる→(……以下繰り返し)」という正のスパイラルがあるのです。

つまり、最初に掲げた問いに対する私の答えは、「自分自身の感性を磨くため」となります。

また、技術そのものはさほど重要ではないと考えています。
重要なのは、こういうテクニックがあるから試してみようとか、以前こんなことがあったから今度はこうするとか、これはこういう形だからこう表現すればいい、といったことを可能にする知識です。

……とまあ、「感性」をキーワードにして話してきましたが、そろそろ締めくくりたいと思います。

どうも、ありがとうございました。

[16]  しゅぴーれらい  17/11/20 15:50

連投失礼。
3か月近く間が開きましたが、絵を描くことに対する私の興味は薄れています。
でも、全く消失してしまったわけではありません。

私は、この薄れてしまった興味に火をくべて、また絵を描きたいと思っているのです。

なぜかといいますと、筆を執らなかったこの数ヶ月、自分の考えが終始悪い方向へ向かってしまうと感じたからです。
私が筆を捨てて社会の歯車になろうとしても、そうは問屋が卸さないし、だいいち私自身がそんなことを望んでいないということです。

また、私は以前『自分の「好き」を掘り下げる旅に出る』と発言していましたが、実際のところ、その旅の始め方も進め方もわからなかったので、具体的なことは何もしていません。
だからこそ、その心の旅がこの問題の鍵となるという予感がしています。

そう、私は理屈や理論をこねくり回すのは得意でも、その理屈や理論が正しいかどうかを確かめようと行動に移すのは苦手なのです。
正しいかどうかわからない理論は価値のないものなのに。

ただ、私の絵に関するルーツは何だろうかと、昔のことを思い出してみたのです。
それで、小学生の頃に、家にあった百科事典に掲載されていた裸婦画をよく見ていたことを思い出しました。
流石に、それらの裸婦画のタイトルや作者名は覚えていませんが。

このことを「俺ってとんだエロガキだったんだね」と切り捨てるのは簡単ですが、このあたりに私のルーツがあると考えることもできます。

また、同じく小学生のころ、図書館から軍用機や戦車に関する書籍をよく借りていたことも思い出しました。

それに加え、恐竜などの古代生物にも興味がありました。
今でも、古代生物に関する新発見のニュースを目にするとわくわくします。

……かなり長々と書いてしまいましたので、この辺で一区切りつけます。
このようなチラシの裏にでも書けばいいことに目を通してくださって、ありがとうございます。
このスレッドも、私が私物化している感じが否めませんね。

では、今回はこのあたりで失礼します。

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