タニグチリウイチの出没!
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タニグチリウイチの出没!

日本の夏、キャラバテの夏。

人ごみ
オタクは毎週が初詣。疲れないはずがないね。

ちょっとゲンナリ気味の今日この頃。ひとつには夏の有明&幕張その他の行列イベントをフルコンプリートした関係で、突き刺さるように降り注ぐ真夏の太陽光に皮膚をやかれ、人混みでむせ返る館内の汗と吐息で淀んだ空気に呼吸器を冒された(逆に冒し返してもいるけれど)結果、夏バテなんてものに襲われ『ユンケル スーパー黄帝液』の3連発に『アリナミンEX』の丸かじりでも完全には回復しないダメージが、年相応にユルみ切った肉体と精神を蝕んでしまったことがある。

まあそれは、体力のなさを棚に上げての個人的な資質に大きくよった話だから脇においておくとして、ゲンナリ気味になったのにはもうひとつ別の理由がある。「キャラクター」と呼ばれるものがこのところあちらこちらで見せている、貪欲とも無節操とも言える“浸透”であり“拡散”だ。

見た目の可愛さでもって人の心に働きかけ、喜ばしたり癒したりするキャラクターが持つ効用を、もちろん否定するつもりはないし、キャラクターに関連したビジネスが、低迷する日本経済を浮上させる起爆剤になると訴えてきたことは否定しない。ただ、この夏の間にあちらこちらで開かれた、いわゆる「オタク系イベント」とは縁遠い場所で、キャラクターというものがそれなりの意味を持ち、それなりの役割を果たしている状況を見るにつけ、どうしてこれほどまでにキャラクターがもてはやされるんだろう? これからキャラクターはどうなってしまうんだろう? といった疑問が頭をよぎった。

哲学の偉い人とか心理学の凄い人が、「どうして人はキャラクターに萌えるのか」なんてテーマで哲学的だったり心理学的な考察を行って、あれこれ書いて本にまとめていたりする昨今。ただの“世の中ウオッチャー”が考える内容なんて薄さ浅さもここに極まれり、なんて代物だろうことは明白だろう。ただ、浅薄なりに見る幅の広さもあったりする訳で、このところの現象を切り取って見せ、哲学的心理学的な考察へとつながる、その数ミリでも構わないから糸口になれば良いと思って、あれやこれや観て感じたことを書き連ねていくことにする。

似たものどうし

実のところ、盛夏の間は夏バテの兆候こそあっても、半ば信者的に奉っていたキャラクターに対して懐疑の気持ちなんて微塵も浮かんでいなかった。それがここに来て「キャラクターって何だろう」という、どちらかといえばダウナー系の感情がわき起こったのは、9月5日から7日まで東京・有明の『東京ビッグサイト』で開催された、『ギフトショー2001秋』というイベントを見たからだ。

ギフトショー風景
アメリカンなグッズを売る店のイメージ。キャラキャラしてなくってホッとしてしまった

『ギフトショー』といっても別に、お誕生日に人にあげたくなるような贈り物を展示するイベントではなく、街の雑貨屋さんとか文房具やさんとか、一部玩具屋さんも含めた店で売るグッズ類を並べてバイヤーの人に見てもらう展示会。衣料やインテリアといったジャンルの出展もあって、あの広い『東京ビッグサイト』が全館、そういった品物で埋め尽くされる。

ただ、今やグッズとキャラクターが切っても切れない関係になっている状況で、『ギフトショー』にも、新しく開発したキャラクターを見てもらって、ライセンス展開につなげようとする目的を持った企業が数多くブースを並べるようになっている。今年に限っていえば、「キャラクターラインセンスフェア」という、そのものズバリのコーナーができていて、やれ『鉄腕なんとか』とか、『機動戦士どうした』といった人気キャラから新進気鋭のキャラクターまで、種々雑多のキャラクターがデザインされた品物が並べられて、相変わらず、というか年々激しさを増すばかりのキャラクター商戦の凄さを、会場に来た人に見せつけていた。

それはそれで結構なこと。懐かしいキャラならそれがグッズになって売れ続けることで、忘れ去られてしまうこともなくなるだろうと嬉しくなるし、新しいキャラなら登場の場面に居合わせることで、いっしょになって育てたんだという“親心”を味わうことができる。だったらどうしてゲンナリなんかするんですか? いっぱいキャラクターがあればそれだけ楽しさも増えるでしょう? という問に答えるとするなら、それはあまりにも“似たもの同士”のキャラクターが、「可愛いだろう」「欲しいだろう」といった面構えで並んでいたことがある。見つけるとか育てるとか懐かしむといった気分を味わう暇もなく、キャラクターが流行として急速に消費されていく可能性がそこに浮かび上がっているようで、いささかゲンナリしたというのがニュアンスとしては近いだろう。

追いつ追われつ

端的にいうなら、サンエックスという会社が繰り出している、可愛さだけに頼らない、どこかひねくれたキャラクター作りの手法を、どこもかしこもが取り入れているような雰囲気が会場内には漂っていた。サンエックスが『たれぱんだ』というキャラクターで注目を集めたのが数年前。以後も『ぶるぶるどっぐ』『こげぱん』『アフロ犬』といった奇天烈ながらも愛嬌のあるキャラクターを送り出しては、ものの見事にヒットに結びつけている。

単純なデザイン上の可愛さとかだけじゃなく、『たれぱんだ』だったらノンビリとした風体が感じさせる癒し的要素、『アフロ犬』だったら犬に被せられたアフロとかちょんまげといった髪型のミスマッチぶりが受けたよう。『ギフトショー2001秋』にもそうした一種の“文脈”を付与した新しいキャラクターを投入しては、次の流行を探す人たちに大いにアピールしていた。

その意図やよし。可愛さだけに頼らない、文学的だったり哲学的だったりするプラスアルファの要素で関心を集めようとする手法を『たれぱんだ』で生みだした先駆者として、行けるところまで行ってもらって構わない。ただ、他の会社からおなじようなフォルムを持ち、おなじような“文脈”を与えて歓心を買おうとしているキャラクターが幾つも出ている状況には、「なんだかなあ」という気持ちが浮かんでなかなか消えない。売れたモン勝ちなのは商売の世界だったらどこでもおなじというのは承知の上で、それでもやっぱりすこしでも違ったアプローチを、他には見せて欲しいというのが本音だ。

ギフトショー
こいつといい、ドーモといい、世界で1番金かけて宣伝しているキャラかも

だからといって、某全国放送のように国民的な番組のなかに時にはコッソリ、時にはあからさまにキャラクターをしのびこませてアピールするという手法もちょっと、やり過ぎのような気がする。メディアが生みだしたキャラクターをメディアで売り出せば売れるのはあたり前。「番組で人気」という情報に浸された視聴者が、「ふーん、流行ってるんだ」と買いに走る、その繰り返しでもってキャラクターはどんどんとメジャーになっていく。有名が有名を生む構図は、悪いものではないけれどやっかみに曇った目にはちょっと不健全に映る。談合的とも内に閉じているとも見て取れる。 >>次頁

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