タニグチリウイチの出没!
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タニグチリウイチの出没!
タニグチリウイチ

あいまいな世の中のいろいろ

「あいまいな日本の私」というタイトルで講演したのはノーベル文学賞を受賞した時の大江健三郎で、意味としてはどうやら日本が先の大戦で責任問題に決着をつけることなく来てしまったひずみが、曖昧という目には見えないけれども日本人の態度や気持に影響を与えている、といった戦後知識人を代表する大江らしいものだけど、だからといって白黒ハッキリしてしまうことが最善かというとこれが難しい。

写真1
大江健三郎の最新作は自殺した映画監督の義兄とラジカセを通して”会話”する話。小説だがエッセイのようでもありジャーナリスティックな面も持つジャンル分けの難しい、そして評価も難しい作品だ。

戦争責任も一方では賠償の問題とか、範囲の問題とかで突き詰めるとキリがなくなる心配があって、だからこそ今まで曖昧なまま棚上げされていたんじゃないかとも思える。新しいところだとアメリカ大統領選。大勢という部分ではどうやらブッシュが勝ちの可能性が高い、ような気がするけれどフロリダ州の何とかという群の1票まで確認しなければ負けは認めないと主張するゴアの巻き返しもあって間際までもつれにもつれた。

細部は曖昧なままにして、大局から当落を決していれば、潔いゴア、鷹揚なブッシュといったイメージが出来てどちらも傷つかなかったものが、最後の1票の行方を争って訴訟合戦を繰り広げた結果、執念深いゴア、地位に執着するブッシュといったネガティブなイメージがどちらにも付いてしまった。加えて1州で起こった逆転が他の州でも起こらないとはいえない、といった可能性に合衆国民を気づかせてしまって、どちらが選ばれるにしてもその正当性に永遠に疑念が残ることになった。未来永劫の禍根を残しかねない事態を見るにつけ、白黒をハッキリさせることの難しさが伝わって来る。

足りない頭でムズかしいことを書いてしまって耳の奥から煙が出てきたんで政治文学の話はこのあたりで止めるとして、戦争責任に大統領選を枕にして何が言いたかったかというと、最近の世の中、白黒ハッキリさせられないいろいろなものが出てきたような感じがする、ということ。芸術でも文化でも学問でも何でも、ジャンルなりカテゴリーをハッキリさせることで顕在化して活性化して来た。けれどもこの何年か、これは○○だ、これは××じゃない、といった具合にハッキリと区別できないものが目につく。無理矢理分けようとすると、どちらのジャンルの人からも忌避されたり、逆に取り合ったりして混乱が起こる。

だったら曖昧なままにしておいたらどうだろう、というのも1つのアイディアなんだけど、果たしてそれが適切に機能するかどうかは検証の必要がある。曖昧さは枠組みを取り払って発展を促す一方で、引きずった挙げ句ににっちもさっちもいかない袋小路へと追い込む可能性もある。そんな訳でこの何カ月か、歩き回って見て来た「あいまいな世の中のいろいろ」の、割りとアートに関連する話題を並べて、その曖昧さがプラスに働いているのか、それともマイナスに働いているのかを考える材料にしてみたい。果たして曖昧さは善か悪か。なんて2元論で断定できないのもまた曖昧さの曖昧さたる所以なんだけど。

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