TINAMIX REVIEW
TINAMIX
偽・花輪和一論(前編)

刑務所の中=永遠の修学旅行

さて、どこから花輪を語るべきか。まずは各紙の書評でもしばしば取り上げられ、多くの本屋で平積みになっている「刑務所の中」から振り返ってみよう。同書は漫画家・花輪和一の体験に基づく実録獄中記である。文学作品などではいくつかこうした試みは散見されるが、漫画としてはおそらく世界初の試みといって良いだろう。

ではなぜ作者は下獄する破目になったのか、ここで説明しておこう。実は、作者は長年来に渡るガンマニアであり、マニアぶりが高じて真性拳銃を森林で試射するなどしていた。これがバレて銃刀法違反で起訴されてしまったのである。「銃刀法違反」というとモノモノしいが、別に人を撃ち殺したわけでもないし、殺意があって所持していたわけでもない。正味な話が「微罪」である。従って、執行猶予がつくだろうというのが関係者の予想であったという。

ところが折悪しく、世はシベリアからのトカレフ拳銃密輸事件が相次いでいた時期であった。結果、「見せしめ」ということもあってか一審で有罪判決が降り、上告するも棄却。ここに有罪が確定してしまったのである。

最初に述べたとおり、花輪の作品はほとんどが江戸期または平安朝に題材を求めたフィクションだから、現代もののノンフィクションである同書は、花輪のキャリアのなかでも異色作となっている。だが、しかし。この刑務所という空間、花輪の描く平安朝の怪異譚とどっこいの、非常にシュールな空間でもあるのだ。例えば、このページをご覧頂きたい。

刑務所の中
「刑務所の中」(c)花輪和一 青林工藝舎

断っておくが、この人たち、囚人である。なぁにが「ふへへへっ」であろうか。全くうらやましいことこの上ない。

このように、「刑務所の中」の描き出す獄中生活というのは、我々の想像と大きく食い違う。端的な話、えらい楽しげなのである。ここに描かれる刑務所には、我々が「あしたのジョー」で親しんだところの「パラシュート部隊」「ネジリンボウ」もなければ、高倉健の「網走番外地」に見るような牢名主もいない。まるで「大人の修学旅行」のような、果てしない珍妙な生活。それが「刑務所の中」の描く獄中生活なのである。

ドッペルゲンガー少女

この他にもこの書物には、妙ちきりんな獄中の慣習やら意外な快楽やらがポンポン登場し、理屈抜きに面白い。だが、おそらく多くの読者が不審に思われるだろう場面もいくつか登場する。例えば、下記のような場面だ。

獄中少女
「刑務所の中」(c)花輪和一 青林工藝舎

なんぼなんでも男女共学(?)の刑務所があるわけがなく、男社会の男性用刑務所に、女囚が混じっていよう筈がない。左のコマに登場する少女は、花輪の全くの幻想なのである。また、右の少女のコマは、前後のストーリーの流れと全く無関係に挿入されている。これもまた、花輪の幻想としかいいようがない。普通に読めば、不可解極まりない場面だと言える。

ではなぜ、ノンフィクションであるはずの本編に、こうした少女のコマが突如混入してくるのだろうか。俺はこの一文を書くにあたってWEB上のテクストをいくつかあたってみたが、人によっては一種の拘禁反応ではないかといぶかる向きさえあるようだ。確かに、単調な刑務所生活の中で生じた幻覚を再現したもの、と読んでも別に差し支えはないかもしれない。だが、この「丸顔・二重・どんぐり眼」の少女は、ほとんど花輪のトレードマークといってよいキャラクターなのである。このことを踏まえると、この場面は少し違った解釈も可能になってくる。

この「丸顔・二重・どんぐり眼」の少女は、その多くが主人公として登場するが、たいていは継母や貴族階級、強欲な地主から虐げられるという役回りである。いわば花輪作品の通奏低音をなすのは、決まってこの少女に対する残虐行為なのである。

「刑務所の中」でも触れられているが、花輪は幼児に虐待を受けて育った過去があるという。少し先走って結論めいたものを記せば、この少女は花輪のいわば分身であり、この少女に加えられる残虐行為は、花輪自らが経験した虐待経験をデフォルメしたものと読むことができる。このように考えたとき、刑務所の中に突然少女が出現するこの場面は、それほど不可解な表現ではなくなる。それは姿を変えた花輪自身の姿だからだ。

ではなぜ、花輪は自分の分身を「丸顔・二重・どんぐり眼」の少女として描かなければならなかったのだろうか。このテーマを考えるためには、若干の下準備が必要とされる。次節以降では、この下準備を進めてみよう。>>次頁

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「刑務所の中」
青林工藝舎刊、1600円。ISBN4-88379-065-7。購入以来、ほとんど毎晩のように熟読している。そのくらい面白い。

刑務所の中
「刑務所の中」(c)花輪和一
青林工藝舎

「パラシュート降下」
「あしたのジョー」(朝森高雄原作・ちばてつや画・講談社刊)より。非常にダメージは酷そうである。本当にこうゆうことが行われているかどうか、俺は知らない。

パラシュート降下
「あしたのジョー」
(c)朝森高雄原作・ちばてつや画
講談社

「ネジリンボウ」
こっちはあんまり痛くなさそう……だけど、こんなの実在するのか? かなり疑問である。

ネジリンボウ
「あしたのジョー」
(c)朝森高雄原作・ちばてつや画
講談社

拘禁反応
留置場などの場所に長期間拘束された場合に起こる、急性の精神病のようなもの、らしい。幻覚や妄想を生じることもあるという。

幼児期に虐待
「朱雀門」所収の解説で、呉智英氏はこの花輪の虐待経験に触れたのち、幼児期の経験に作品を還元して語る態度を「還元主義」と名付け、戒めておられる。確かに、虐待経験を経た作家は世に少なくないだろうが、花輪的なマンガを描き得た作家は花輪しかいない。その意味で花輪マンガを幼児体験に還元するのは間違っている。ただし、作中においてこれほど幼児への虐待を繰り返し描いてきた作家もまた珍しいのであり、こうした作家を幼児体験と切り離して論じるのも難しいのではないか。生意気を承知であえて書くが、虐待経験をいかに昇華させたかという位相において、花輪は論じられ、読まれるべきである。俺はそんなふうに考えている。

幼児期に虐待
「刑務所の中」
(c)花輪和一
青林工藝舎
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