TINAMIX REVIEW
TINAMIX
めがねのままのきみがすき〜恋愛少女マンガの思想と構造(4)

・<おとな>の消失

図14
図14『太陽のカトリーヌ』(c)本村三四子
図16
図16『マリイ・ルウ』(c)西谷祥子

まずは60年代の少女マンガの「おとな/子ども」観について見る。1967年の本村三四子『太陽のカトリーヌ』[図13]では、クライマックスでボーイフレンドがこんなことを言っている。「まだまだぼくたちは子どもなんだから……これからもっともっといろんなことを勉強してだんだんおとなになっていくんだ」[図14]。1965年から連載された西谷祥子『マリイ・ルウ』[図15]のラストも、こんなセリフで締めくくられている。「ぼくたちまだまだ子どもだもの。大人になるまでにいろんなけいけんをしなきゃいけないし……それになにがまってるかしれやしない」「そうね大人になったときおたがいに尊敬できなくてはなんにもならないわ」「うん、だからこれからりっぱな大人になれるよう、たすけあっていこうね」[図16]。

つまりこれら60年代の作品では『レモンとサクランボ』と同様、最終的な目標は立派な<おとな>になることだと考えられているわけだ。こういう感覚の下では、<恋愛>はそれ自体としては目標になりえない。「りっぱな大人」になるという目標に適合する<恋愛>のみが許される。というか<恋愛>は、<子ども>が「りっぱな大人」になるための「手段」としてのみ存在意義があった。60年代における<恋愛>は、<子ども>の共同体から離脱するためのひとつの手段という位置を与えられていたわけである。だから60年代の少女マンガでは、ボーイフレンドができることはゴールとしては意識されない。ボーイフレンドは単なる<恋愛>の対象ではなく、りっぱな<おとな>になるためにお互いを高めあっていくパートナーという位置づけを持っている。

図17
図17『マリイ・ルウ』(c)西谷祥子

図18
図18『季節風にのって』
(c)大島弓子

60年代と70年代以降の<恋愛>の位置づけの違いを考える上で、『マリイ・ルウ』は大変注目される作品である。というのは、1965年の段階で、後の恋愛少女マンガが揃えるべき要件をほぼ満たしている希有な作品だからだ。たとえばマリイルウは、美人のお姉さんにコンプレックスを抱いている。美人のお姉さんはマリイルウに美人になるためのアドバイスをする。「人間ってひとりひとり個性がちがうものよ。わたしのもってる美しさはわたしだけしかもてないんだって思うようにするのよ」[図17]。これを1973年の大島弓子の眼鏡っ娘マンガのセリフと比較してみよう。「あなたがあなたであればだれだってみりょく的なのよ」[図18]。また、マリイルウはこんなことを言っている。「信じてもよい男の子がひとりぐらいいてもいいんじゃないかしら……世界じゅうの女の子のひとりひとりにひとりあてぐらいはいるべきじゃないかしら?」[図19]。田渕由美子は1977年にこんなことをキャラに言わせている。「わたしのことをわかってくれる人なんてこの世に一人いればそれで十分よ」[図20]。そしてマリイルウの彼氏となる男の子は、最後にこんなことを言う。「おっちょこちょいだし、あわてものだし、わがままだし、いじっぱりだし、およそ女の子としての欠点はぜんぶもってるんだよ。だけどその欠点をおぎなってあまりある人間らしさがぼくは好きだ」[図21]。小椋冬美は1977年の逆転眼鏡っ娘マンガでキャラにこういう会話をさせている。「だってわたし、いじっぱりで素直じゃなくて」「いいよ、それでも」[図22]。

図19
図21
↑図21『マリイ・ルウ』
(c)西谷祥子
↑図19『マリイ・ルウ』(c)西谷祥子
↓図20『ローズ・ラベンダー・ポプリ』(c)田渕由美子
図19
↓図22『海よ遠い波の歌』
(c)小椋冬美
図22

要するに、少女がマイナス・ポイントと思っているところを男が全部そのまま「個性」として承認する点では、『マリイ・ルウ』と70年代のマンガではほとんど変わりがない。だが、<おとな>の位置づけだけが違っており、ここが<恋愛>観の決定的な違いに帰結する。70年代以降のマンガでは、愛の獲得が最終目標である。男に受け入れられた少女のその後が描かれることはない。60年代においては、それは<おとな>になるための第一歩に過ぎなかった。『マリイ・ルウ』の「これからりっぱな大人になれるよう、たすけあっていこうね」というセリフは、もはや70年代以降には見ることはできない。

少女マンガの形式的変化(第1回)で指摘しておいたとおり、1969〜1970年に少女マンガ誌から<おとな>が消える。友達みたいな<おとな>(『有閑倶楽部』や『ときめきトゥナイト』)や、弱々しい<おとな>(『ホットロード』のような)、葛藤の相手としての<おとな>(『いつもポケットにショパン』のような)、揶揄の対象としての<おとな>(『ちびまるこちゃん』のような)は生き残るが、1960年代までの「目標」としての<おとな>は背後に退く。いわゆる乙女チックの田渕由美子と陸奥A子には、<おとな>がほとんど登場しないことにも注目していいだろう(逆に太刀掛秀子は親との葛藤を積極的に主題化した)。70年代、<おとな>は目標の座から転がり落ちたのだ。そしてそれに伴い、<おとな>になるための手段のひとつに過ぎなかった<恋愛>が、<おとな>の呪縛から解き放たれる。ここに<恋愛>が既製秩序から解き放たれ、自律的な展開を遂げる条件が成立する。70年代に入って少女マンガが<恋愛>を主要なテーマとしだしたのは、<恋愛>を規制していた<おとな>という権威の呪縛が消滅し、<恋愛>が自己目的化し、愛の獲得が最終目的となったからである。>>次頁

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図13
図13
『太陽のカトリーヌ』
(c)本村三四子
図15
図15
『マリイ・ルウ』
(c)西谷祥子

「あなたがあなたであればだれだってみりょく的なのよ」
大島弓子『季節風にのって』『少女コミック』1973年9月号。

「わたしのことをわかってくれる人なんてこの世に一人いればそれで十分よ」
田渕由美子『ローズ・ラベンダー・ポプリ』『りぼん』1977年8月号。ここで引用した部分は、『サブカルチャー神話解体』などでも引用されている、「乙女チック」を代表する名場面である。しかしながら、同じことを西谷祥子は10年前に言っているわけだ。

「だってわたし、いじっぱりで素直じゃなくて」「いいよ、それでも」
小椋冬美『海よ遠い波の歌』『りぼん』1977年夏休み大増刊。

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