TINAMIX REVIEW
TINAMIX
めがねのままのきみがすき
・<恋愛>は1970年以前には存在しなかった

現在、少女マンガは<恋愛>を扱うものだと一般に信じられている。萩尾望都のような天才や倉多江美などの高踏派をとりあえず棚に上げた場合、その信念は一般的に通用する。ただし、それは1970年以降に限った話である。1970年以前の少女マンガを読んだとき、そこに描かれる世界と現在われわれの目に触れる少女マンガの世界との相違に驚かざるをえない。70年以前の少女マンガは、まるで<恋愛>を扱っていないように見えるのだ。
図8
図8:ひだのぶこ
『美知と三四郎』 若木書房
それまでの大きなテーマとしては、「階級対立」が挙げられる。貧乏だけど正直なプロレタリアートの娘が、意地悪で我が儘なブルジョアジーのお嬢様に痛めつけられ、傷つけられながらも、最終的にはプロレタリアートが勝利する!という物語[図8]。このようなテーマは1970年以降も『キャンディ・キャンディ』などで持続するが、だいたい70年を過ぎて衰退しはじめると見てよい。他に1970年以前に主流だったテーマといえば、江戸川乱歩に影響を受けていると思われる怪奇ものや、手塚治虫に範を採ったと思われる冒険活劇もの、シンデレラなどを翻案した異国の王子様もの、少女と母親の葛藤ものなどである。いわゆる恋愛ものは影が薄い、というかほとんど見あたらない。60年代後半には西谷祥子や大和和紀、忠津陽子などの先駆者が学園ラブコメディをてがけはじめて70年の少女マンガの転回を準備するが、この流れが顕在化するのは1969年の激動を経てからであった。

図9
図9:もりたじゅん『ごくろうさん』『りぼん』1971年3月号

1969年に少女マンガを襲った激動とは、「ハレンチ」である。ハレンチは言うまでもなく『ハレンチ学園』の永井豪が流行させたものだが、少年誌のみならず少女誌にまでも深く影響を与えていた。いまでは想像もつかないが、『りぼん』や『なかよし』といった少女誌がハレンチ特集を組み、さかんに「ハレンチ」という単語をばらまいていたのである。
図10
図10:安藤令子『年ごろだもの』
『なかよし』1971年1月号
「オーモーレツ」という言葉も流行した。もりたじゅんは「モーレツ」と言いながら花柄のパンツを見せるナイスバディな女性のイラストを『りぼん』の表紙に描いていたし、花柄のパンツシーンは毎回登場した[図9]。藤本由香里は、少女マンガで一番はじめにベッドシーンを描いたのは1974年に『りぼん』に掲載された一条ゆかり『ラブ・ゲーム』だとしているが、1971年の『なかよし』にはかなりロコツな性描写がある[図10]。スカートめくりや更衣室のぞきは日常茶飯事だ。いずれにしても、現在の『りぼん』や『なかよし』からは想像もつかない。

興味深いのは、「ハレンチ」と同時に「ゲバゲバ」も少女誌で流行していたことである。『りぼん』でハレンチを担ったのは、後に青年誌で活躍することになる弓月光である(ちなみに『なかよし』でハレンチを担当していたのは、後に『キャンディ・キャンディ』を描くいがらしゆみこ)。『りぼん』の当代流行ファッションを扱うコーナーでゲバルト・ファッションを弓月光がイラスト化していたのは、ハレンチとゲバルトの結合として象徴的である[図11]。ヘルメットには「民青粉砕 赤軍」などと書いてあるが、大丈夫だったのだろうか。

図11
図11:『りぼん』1970年1月号

1969年といえばアメリカではウッドストックの年だ。既存の社会通念に対して若者たちが全世界で反乱の狼煙を揚げた年である。少女マンガは水野英子『ファイヤー』という記念碑的傑作を生んでいる。『りぼん』では、1969年まであった「ママといっしょ」という躾と教育のコーナーが消滅した。ちょうど「ママといっしょ」が消えた号から「ハレンチ特集・男の子をむしっちゃえ!」などとハレンチが流行しはじめているのは、方針転換の指標として明白な事例だろう。『なかよし』でも、1969年まで存在した「おかあさんのへや」が1970年に消滅している。1970年の『なかよし』では「家出・両親なんてなによ!」という特集が組まれたり『ママゴンハンター』というマンガが掲載されたりするなど、親に対する敵意がむき出しになっている。『りぼん』も1970年2月号で「天は子供の上にパパをつくらず」などと「ティーン独立宣言」なる特集を組んだ。子どもたちが大人の手を離れはじめたということだが、1969年初頭の段階ではこんな状況になるという気配すらない。学生紛争は政治的には敗北したが、既製の価値観を転回させるという点では少女マンガにまで深い影響を与えていたように見える。

こうして1970年頃に「性」が少女マンガに浮上し、<恋愛>が主要なテーマとして前面に押し出されてきた。この<恋愛>のテーマ化に伴い、それにふさわしい新しい様式と作法が編み出された。これが、現在では「コクる」などという形で残存している「告白」という作法である。「告白」という作法は、1970年頃に発明された。>>次頁

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最終的にはプロレタリアートが勝利する!という物語
ひだのぶこ『美知と三四郎』若木書房。金持ちにはめられ、500万円の壺を割った濡れ衣を着せられる貧乏人。

花柄のパンツシーンは〜
『ごくろうさん』、『りぼん』1971年3月号。みごとな半ケツ。もりたじゅんのマンガの主人公は、必ず「ボイン」だった。

少女マンガで一番はじめにベッドシーンを描いたのは〜
藤本由香里『私の居場所はどこにあるの?−少女マンガが映す心のかたち』学陽書房、1998、p.45。

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