TINAMIX REVIEW
TINAMIX
めがねのままのきみがすき 〜恋愛少女マンガの思想と構造
はいぼく

・はじめに

眼鏡をかけた少女のことを「眼鏡っ娘」という。ときどき「少女マンガでは眼鏡っ娘が眼鏡をはずすと美人になる」などと言われる。たとえば、中島梓はこう言っている。「「眼鏡をとったら君も美人」は少女マンガにとってはいまだに有効な呪文であります」。大ウソである。私は古今のマンガに描かれた眼鏡っ娘を1,041人調べたが、そのうち眼鏡を外して美人になるのは130人。率にすれば12.5%であり、およそ8人に1人が解脱していることになる。解脱とは、たとえばこんな感じである[図1]。
図1
図1:『ガリ勉恋愛学入門』1981年
解脱している眼鏡っ娘が8人に1人というと多いような感じもするが、注意を要するのは美人になったとしても最後には眼鏡をかけ直すキャラクターが多いという事実である。解脱してそのまま幸せになるというキャラクターは総数で47人しかいない。これは全体の比率でいえば4.5%にすぎない。

ではなぜ「眼鏡を外すと美人になる」などということが信じられるようになったのか、「美人になったとしても眼鏡をかけ直すキャラが多い」のはなぜか。本論ではこのあたりを中心に検討し、併せて少女マンガの構造とその歴史的展開について語ることになる。

・眼鏡っ娘の描かれかた

眼鏡っ娘というと、中島梓のように「ブスでもてない委員長」というイメージを思い浮かべる人がいるかもしれない。しかし、このような眼鏡っ娘観は1970年前後に発生した。1970年以前は、眼鏡をかけているからといって容姿が劣っているなどという観念は存在しなかったのである。

図2
図2:チャコ3ちゃん
『りぼん』
1960年10月号

そもそも遡ってみれば、明治時代には眼鏡っ娘は憧れの的であった。女子高等教育が普及し始めた明治後期には「ゴールド眼鏡のハイカラは、都の西の目白台、女子大学の女学生」という俗謡が流行った。これは眼鏡の女子学生を憧れの対象として謳ったものである。「ああ女学生女学生、髪はハイカラ、ゴールド眼鏡で、日比谷の原木の陰、自然主義かよ、青葉がくれの魔風恋風そよそよと」という歌も伝わっている。「魔風恋風」とは明治後期に流行した小杉天外著の恋愛小説のタイトルであり、保守主義者たちはこれを風紀を乱す俗悪小説として非難した。逆に言えば、眼鏡は最先端の恋愛と結びついて理解されていたということである。他に、たとえば明治35(西暦1902)年の大塚楠緒子著『離鴛鴦』では、薄紫のレンズの眼鏡をかけた瑠璃枝という登場人物が魅惑的な美貌として描かれている。昭和9(1934)年の太宰治『女生徒』になると眼鏡に対する負の描写が見られるようになるが、特に容貌に問題があるものとして描かれているものではない。

図3
図3:チャコ3ちゃん
『りぼん』1965年5月号

少女マンガの例をいくつか挙げよう。1960年頃に『りぼん』に連載された『チャコ3ちゃん』[図2]という写真小説では、主人公のチャコ3ちゃんは眼鏡をかけている。ところが、チャコ3ちゃんはおてんばでいたずら好きというキャラクターで、70年代以降の眼鏡にまつわる観念はみじんも付与されていない。1965年からは『王子ちゃん』という写真小説がはじまるが、チャコ3ちゃんはここでもヒロインとして登場する。主人公の王子ちゃんは「あの子、とっても、かわいいし」とチャコ3ちゃんに憧れ、はるばるデンマークから日本へとやってくる[図3]。 1966年の西谷祥子『レモンとサクランボ』では、主人公の姉の眼鏡っ娘に対し、才女で美人という評価が与えられている[図4]。容姿が劣るという描写は一切ない。
図4
図4:西谷祥子『レモンとサクランボ』1966
1971年に至っても、『りぼん』に連載されていた土田よしこ『きみどりみどろあおみどろ』では、眼鏡っ娘のみどろに対してなんの疑念もなく「かわいい子だね」という賛辞が送られている。みどろには「ぼくの理想にちかい女性だな」という賛辞も送られている[図5]。これは他の眼鏡っ娘にもあてはまり、勉強ができるとか委員長だなどというプラス面での描写は多少あっても、容姿が劣るというマイナスの描写を見出すことは困難である。眼鏡に負の評価を与える考え方が一般化するのは、1970年代に入ってからである。要するに明治維新以降の100年間、眼鏡に負の烙印を押すことは一般的ではなかった。
図5
図5:土田よしこ
『きみどりみどろあおみどろ』
1971
宮台真司は60年代の恋愛少女マンガについて「見かけは不美人でもメガネを取ってドレスを着ると美人だったりして−「これがわたし?」」などと描写しているが、これは60年代の眼鏡観ではなく、70年代初頭に流布したイメージである。

ただ注意を要するのは、1970年以前の少女マンガでは、眼鏡っ娘が主人公として描かれることがほとんどなかったことである。上記の例も、すべて脇役として登場した眼鏡っ娘である。1966年には『すばらしき学園』など眼鏡っ娘を主役とした先駆的なマンガが出ていたりもするし(これも眼鏡に負のイメージはない)、貸本マンガの中に埋もれて発掘できていない眼鏡っ娘マンガもあるかもしれないが、『りぼん』や『なかよし』などの少女マンガ誌では眼鏡っ娘が主役として登場することはほとんどなかった。しかし1970年以降は眼鏡っ娘が主役のマンガが増え始める。1970年以前に眼鏡っ娘が主役とならなかったことの意味は後述することにし、まずは眼鏡っ娘登場の起点となる1970年前後の少女マンガの状況を概括しておこう。>>次頁

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眼鏡をとったら〜
中島梓『タナトスの子供たち−過剰適応の生態学』筑摩書房、1998、p.226。中島ほどのディープな少女マンガ読みでさえ「少女マンガでは眼鏡を外したら美人になる」というイデオロギーに冒されているとは、「眼鏡神話」の根強さに驚かされる。

解脱
眼鏡っ娘用語で、眼鏡を外して美人になること。

こんな感じ[図1]
『ガリ勉恋愛学入門』1981年。「眼鏡をとって美人」といった場合、たいていはこんなマンガを思い浮かべているのだろう。しかし、実際にこんなマンガを見たことのある人間は、ほとんどいないはずである。数として圧倒的に少ないし、あったとしても売れていない作家しか描かず、マイナーなマンガを読まない人の目にはほとんど触れない。

ブスでもてない委員長
中島前掲書p.226。

風紀を乱す〜
そもそも明治時代は、小説などまともな人間の読むものではなかった。ちょっと前の教師や親が「マンガを読むとバカになる」と言っていたように、明治時代の人間は「小説を読むとバカになる」と言っていた。

チャコ3ちゃん
『りぼん』1960年10月号。チャコ3ちゃん役は、ライオンに噛まれた松島トモ子。ズレた眼鏡がかわいい。

はるばるデンマークから〜
『りぼん』1965年5月号。「きれいな子だろう」と王子ちゃんがチャコ3ちゃんを誉めている箇所で掲載された写真。

才女で美人という評価〜
西谷祥子『レモンとサクランボ』1966。不良学生の胸ぐらをつかんで説教するなど、毅然とした態度の眼鏡っ娘。

「ぼくの理想にちかい女性だな」
土田よしこ『きみどりみどろあおみどろ』1971。

「これがわたし?」
宮台真司『サブカルチャー神話解体』パルコ出版、1993、p.166。

『すばらしき学園』
関口みずき
若木書房 1966

すばらしき学園

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