ギャルゲー小特集
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3.『同級生3』はなぜつくられないのか

同タイトルは、その名前だけが5年以上も幽霊のように彷徨っている。

3−1.『同級生』とは何か

アダルトゲーム業界最大手のエルフから92年末にリリースされた『同級生』は、一言で言えば、先行するナンパ攻略ゲームに巧みに構成された良質のシナリオを組み込むことで、アダルトゲームに「純愛的要素」を導入した先駆性で特徴づけられる。より具体的に言うと『同級生』は、高校生活最後の夏休み、その終わりの2週間を舞台にした恋愛アドベンチャーゲームで、軽妙なナンパノリが持ち味の主人公と同級生5人(つまりヒロインは複数である)の関係を軸に女教師、人妻、OLとありふれた設定の女性を配置しつつ、「青春の一ページ」的なテンションを表現することにかなり成功した作品だ。当時としては丁寧に描き込まれた人間関係ゆえに、性欲を満たすためのアイテムという要素の強かったアダルトゲームのイメージを変える脱アダルトゲームという認知を得て、結局『同級生』は翌93年のパソコンゲーム売り上げと各パソコン誌の年間人気ソフト第一位を独占するヒット作品となる。ところが『同級生』が登場した影響はソフト単体のヒットにとどまらない。どういうことか。

それからの状況を簡単に俯瞰するとこうだ。一方で『同級生』が導入した「純愛的要素」の拡大は、恋愛ゲームと呼ばれるジャンル、具体的に言うと94年にPCエンジン版が発売された『ときめきメモリアル』によって担われ、ゲーム業界のみならずオタク文化全体を改編するような大きな運動となって進行した。いわゆる「ギャルゲーバブル」である(しかしここでその価値判断は問わない)。そして翌95年にリリースされた続編『同級生2』は、旧来のナンパ攻略色を薄め(脱プレイボーイ)ながら「純愛的要素」をシナリオレベルで洗練化(あなただけの甘く切ない青春)させることで、前作よりも恋愛部分の密度を高めることに成功した。それゆえ同タイトルは恋愛アドベンチャーの金字塔としていまでも高く評価される傑作となる。プレステ版『ときめきメモリアル』のリリースでギャルゲー市場が最高潮に過熱していた95年当時、『同級生』の名前はひとつの巨大なスタンダードだった。疑似恋愛(ありえた青春)と美麗グラフィック(美少女キャラ)両面での絶対的な支配。言葉を換えれば、二作目にしてこのシリーズは早くもかなりの完成度に到達してしまったようなのだ。実際この感慨は『同級生3』がつくられていないという端的な事実に裏打ちされる。それならば私たちはもう『同級生2』の完成度を誉めちぎるだけで満足してはいけないはずだろう。

3−1.『同級生2』の達成/限界

『同級生2』はたしかに誉められた。だが同タイトルを構成している各要素を個別に批判する声は実は以前から根強い。具体的に確認しよう。同級生シリーズが採用していたシステム「フィールド移動式ADV」はそのゲーム性の核であるのと同時に、基礎的な好感度を上げるための煩雑な「ストーキング行為」をプレイヤーに要求することになる。また前作より複雑かつ細密に描かれたシナリオは一方では「攻略難易度」を飛躍的に高め「設定原画集付攻略ガイド」なしでクリアすることを非常に難しくした。作品舞台は前作では夏休み、続編では冬休みの約2週間をゲーム期間として設定、高校生活の最も中心的なイベント(夏休み、クリスマス、正月)を網羅することに成功するが、これは「イベント特化型シナリオ」を乱立させ(『卒業旅行』『修学旅行』『同窓会』などイベント名が即タイトルとなったゲームを見よ)イベントとリンクさせなくては恋愛が始まらないような閉鎖性を残したとして、むしろ否定的にみなせる。イベント頼りではいずれ題材が尽きる。しかも単純に年齢を下げるわけにもいかない(例えば『中学生』はつくれない)。

とはいえ『同級生2』はディレクターを兼務する蛭田昌人の良質なシナリオワークが大変高く評価されていた。恋愛、推理、SF、ファンタジーと多岐に渡るジャンルを得意とする彼のシナリオは、その構成の巧みさはもちろんのこと「歩くリビドー」とすら形容されるきわめて特徴的な主人公のキャラ造形で知られている。いわゆる「蛭田キャラ」だ。ハードボイルド系ヒーローの典型に軽妙なギャグセンスをプラスすることでずらした蛭田キャラは、かっこよさとおもしろさを兼ね備えた自由奔放な人物として設定され、頼もしいと同時にそれゆえいささか都合がよい。とは言うものの、明朗快活なナンパゲームに由来する蛭田キャラはそのゲーム性、つまりシステムの要求する能動性ゆえにあきれるばかりにスケベで不遜な、無敵の男として描かれた。これはある意味で魅力的だ。したがって蛭田キャラは当時アダルトゲーム主人公の模範となる。ところが一部で蛭田キャラは露骨に敬遠された。その理由はフェミニストでなくてもわかる。私たちは蛭田キャラの性格設定をハードボイルドヒーロー以後の可能性を示す大変魅力的な要素を備えているとみなすことができるが、他方あまりに男根主義的な価値観の持ち主として――それがたとえ能動的なゲーム性に要請されているとしても――容易に否定することができるだろう。つまり蛭田キャラは時代遅れだとして。しかしここから何が言えるのか?



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