TINAMIX REPORT
TINAMIX
占領下の子ども文化<1945〜1949>展 レポート
伊藤 剛

1945年、日本は全面降伏ののち、連合国の占領下に入った。

その期間中、1945年10月から1949年10月までの間、連合軍総指令部(GHQ/SCAP)は、文書および出版物の検閲を行っていた。検閲された出版物はすべて米国に持ち帰られ、メリーランド大学で「プランゲ文庫」として保存されてきた。

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この展覧会は、そのうち、「子ども」のためのもの約600点を展示・解説したものだ。児童文学、読み物、子ども新聞、少年少女雑誌、絵本、そしてマンガ本である。この時期の子ども向けコンテンツが、ここまでまとまった形で公開される貴重な機会だ。と書くと、一部の研究者の関心や、60代以上の人のノスタルジーに応えるものと思う読者もいるかもしれない。

だがしかし、現在、浴びるほどマンガに親しんだ目でみると、これが実に面白い。たとえば、白頭巾が悪代官をこらしめ、虐げられていた村人と共に井戸普請をし、「民主主義」を標榜するという怪作『白魔は踊る』とか、すべてが氷でできた白熊の街、「しろくまぎんざ」の登場するドラッギーな『ヨットのよっちゃん』など、これまでその存在すら語られてこなかった作品、見たこともないような作品が、これでもかと約200点展示されている。

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これまで、戦後のマンガは、とかく手塚治虫中心で語られてきた。下手をすると、SF的な想像力でストーリーマンガを展開した手塚が、ひとりレヴェルの高い仕事をしていたかのように語られがちである。しかし、この展覧会は「占領下日本」において、実に豊かな、多様なマンガや、マンガ的表現が作られていたことを、まさに目の当たりにできる貴重な機会といえるだろう。近年、たとえばゲームのアンソロジーコミックなど、ストーリーを語る/読む以外のマンガの楽しみが拡大しつつあるなか、この時期の多様なマンガが作られていたという「隠された歴史」に触れることは、私たちに再度、マンガの多様な「楽しみ方」の可能性を考えさせてくれる筈だ。

今回、あえて会期中に<速報>的なレポートを掲載するのは、上記のような理由による。行ける人にはぜひ、見にいってほしいと思う。とにかく面白いのだ。

ここでまず、「占領下日本」の「検閲」という制度について若干触れておこう。

GHQによる検閲が行われたのは1945年から49年の4年間。最初の2年間はすべての出版物について事前検閲が行われ、そののち、49年10月末、検閲局が廃止されるまでは、事後検閲が基本となっていた。事前検閲が行われていた期間は、検閲なく出版物を流通させることはできなかったわけである。GHQは、軍国主義を賞揚する表現を禁止するなど、検閲の規準を設けてはいたが、実際には、現場の検閲官の判断にかなりの部分を負っていたという。

さて、今回の展示と構成に携わったうちのひとり、宮本大人さんに話をうかがうことができた。宮本さんは東京大学大学院で表象文化論を専攻する、新進のマンガ史研究者である。

「ゴードン・プランゲ博士はメリーランド大学の歴史学の教授をしていた人です。検閲のために納本された出版物を、資料性が高いと考えて持ち帰ったものです」

つまり、皮肉にも、検閲制度と、たまたまプランゲ博士が資料を保存したことで、現在の私たちはかろうじて、この時代の出版物を俯瞰できるということである。

たとえば、今回、手塚治虫作品は3点のみ展示されている。これまでの「常識」からすると、これはたいへん低い比率のように思える。しかし実際、プランゲ文庫に収蔵されているマンガの点数は約2000点。そのうち、手塚作品は15点である。今回の展示の手塚の比率は、それを反映している。

それゆえ、実に多方面に渡るマンガが展示されている。主題的にもそうだし、表現としてみてもそうである。たとえば「生活マンガ」「怪魔モノ」といったジャンルは、これまであまり顧みられてこなかった。「生活マンガ」は、やや揶揄的に「健全」「良心的」とひとくくりにされ、一方の「怪魔モノ」は「低俗」と退けられるか、「低俗」だからいいとだけ語られてきた。

しかし、そのなかにも面白いもの、すぐれたものは多数ある。

「これだけ多様な作品が作られていたということは、この時代のマンガの盛り上がりが、決して手塚治虫というひとりの突出した天才の起こしたムーヴメントではないということですね。流通も含めて、戦前からインフラがあったと考えたほうが自然ですよね。手塚以前や、手塚と同時代に、手塚以外にも面白いものはたくさんあったんですよ」

その豊かな多様性は、きわめて具体的に示される。展示ケース越しに数ページとはいえ、実際に現物が読めてしまうのだから。

たとえば「冒険モノ」というジャンルが一群、まとめて展示されている。その中心はターザンものであるが、そのなかに『冒険王子』という、ひじょうに奇妙なテイストの表紙の作品がある。

作者は吉野強亮。1948年1月の刊行のものだ。

「これなんかも、何もデータが残っていないんです。そもそも作者の名前に読みがなが振ってないもんやから、読めないという(笑)。王子様がお城を抜け出して「下町」で遊ぶうちに、そこの住民と仲良くなって、その人たちを立ち退かせて再開発しようという父王を説得して、その利権で儲けようとしていた悪い役人をやっつけるという話なんですけど、この表紙からは絶対に想像つかんでしょ」

と、宮本さんは笑う。

「今回の展示作品は、僕の『マンガソムリエ』としての命をかけて(笑)、あらゆる方向の人に楽しんでもらえるような選択をしてみたんですね。アートスクール系の、いま本秀康とか好きな人でも、劇画の好きな人も、キャラ萌えの人も、現在の目でみて楽しめるものになっていると思います」

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具体的には、今年1月、宮本さんがメリーランド大学のプランゲ文庫に赴き、セレクトをしたという。先に軽く触れた「ヨットのよっちゃん」などは、その作業を経て<発見>された作品である。

宮本さんはマンガ史研究者である。膨大な資料を繰るなかで、さまざまな発見もあった。

「こうして見ていくと、いろんなことが分かってくるんですね。

この時期、かわいい動物のキャラクターが登場するマンガはたくさんあるんですが、犬がほとんど出てこないんですよ。それは、戦前の『のらくろ』の軍国的なイメージが強いのと、主人につくす忠犬のイメージが封建的だと思われたんでしょうね。

それから、こんな話もあります。城青児という絵物語的な絵を描くマンガ家がいるんですが、以前から手塚治虫の変名ではないかという説があったんですね。それは、城青児のマンガが一作しか知られてなく、手塚自身が『自分には知られていない作品が一点だけある』といっていたのが根拠のひとつだったんですが、今回、新たに二点見つかったので、再検討の必要が出てきたんですね」

また、紙芝居や絵本、絵物語との境界的な作品もいくつか展示されている。

なかでも、たとえば『木曽の小天狗・旋風の巻』(マキイチロー・作 戸塚孝・画 1948)など、たいへんにリアルな絵で、しかも大胆なコマ割りを用いている。後に「劇画」といわれる表現とたいへんに近いものだ。「劇画」の勃興を「手塚的なるものへの対抗」としてだけ見たのでは不十分であることを示唆するものだ。

さて、そんななか、展示されている数少ない手塚作品に、『拳銃天使』(1949)がある。展示上のカテゴリーは「女の子の大活躍 「少女マンガ」以前」である。

こうして、同時代に作られた作品のワンノブゼムとして、あらためて手塚作品をみたとき、はじめて手塚の何が際立っていたのかが明確になる。ここで展示されているのは、日本マンガ史上初といわれるキスシーンだ。そして、手塚の描くキャラクターの身体は、他の作家に対して際立ってエロティックであるように見える。とりわけ、キャラクターの目を意識してかわいく、魅力的に描いたのが手塚だったといえるかもしれない。

この展覧会は、マンガ史の重要な時期を俯瞰するという意味においても、手塚治虫を相対化し、手塚の価値を正しく指し示すという意味においても、たいへん有意義なものだろう。また「解体期」に入った現在のマンガ状況をとらえなおす機会としても大きな意味を持っている。だからこそ、現在、マンガとかかわりを持つ人にはぜひ、見てもらいたいと思う。◆


占領下の子ども文化<1945〜1949>展
期 間:
2001年5月12日(土)〜5月27日(日)
時 間:
午前10時〜午後5時
会 場:
早稲田大学會津八一記念博物館 入場無料
お問い
合せ先:
〒169-8050 新宿区西早稲田1-6-1
電話 03-5286-3835
次回開催:
広島平和記念資料館 会期:2001年9月(予定)
北海道立文学館 会期:2001年10月27日(土)〜11月18日(日)
主 催:
早稲田大学 メリーランド大学 (社)日本図書館協会 (株)ニチマイ

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