TINAMIX REVIEW
TINAMIX
2000年の学術的漫画研究の動き
伊藤 剛

●「学術的まんが研究シンポジウム」

写真1

まず、5月27,28日の両日、立命館大学で行われた「学術的まんが研究シンポジウム─内と外との対話─」の様子をかいつまんで記すことにしよう。

このシンポジウムは、立命館大学国際言語文化研究所まんが研究会・京都精華大学マンガ学科の共催で行われた。大学などで漫画にかかわっている研究者、在野の漫画評論家、ライター、編集者、漫画ファンなどの人々の他、社会学者、図書館、美術館関係者、教育関係者など、およそ漫画とその研究に関係のある人々が一同に会した感があった。

具体的には、テーマに分かれたセクションごとに3人のパネラーが発表を行った後、質疑応答に答えつつ討議に入るという形式が取られ、およそ1日半の間、熱のこもった発表と討議が行われた。TINAMIX読者にもよく知られた参加者の名前を順不同であげてみると、夏目房之介氏、呉智英氏、竹宮恵子氏、米澤嘉博氏、村上知彦氏、藤本由香里氏……といった感じになる。テーマのほうも、「まんが史・まんが評論/研究史研究」から、「「自国を代表するマンガ」−−日本と欧米の位相」「少女マンガは「日本」の「少女」が求めるジャンルか?」「「マンガ表現論」をめぐって」「「まんが」と「学」」……とひじょうに幅広いものであった。

シンポジウムの具体的な内容・様子については、ここを参照
 参考URL→http://village.infoweb.ne.jp/~tsysoba/SympRep200005.html

●「内と外との対話」

さて、このシンポジウムのサブタイトル「内と外の対話」という言葉に、少々首をひねった読者もいるのではないだろうか? 「内」と「外」とは、一体どことどこのことをいっているのか?

主催者側から提示された趣旨を要約すると、漫画についてのアカデミックな場(この場合は、ほぼ「大学」と考えてよいだろう)での議論が盛んになりつつある背景を踏まえ、いかに学術的な研究を行うことができるのか、また、すでに行われている漫画評論との接続をどう行うのか、といったことを問題として提起し、そこで、漫画界の内部からの言説と、アカデミックな視点、つまり外部からの言説の対話を試みる場を設定する……ということになる。

しかし、実際にはこのシンポジウムは「学大学の主催で行われていた。会場も大学の施設である。また、シンポジウムの後半が来年度に発足する予定の「まんが学会」の運営に関する、具体的な話題に流れたこともあり、むしろ「大学の漫画研究者」が「内」であり、在野の漫画関係者が「外」であるという印象の強いものだった。

とはいえ、筆者のような在野の漫画関係者にとっては、大学の漫画研究者は「外」の人々だ。また、漫画関係者、研究者のどちらにとっても「外」の人である美術館学芸員や社会学者がパネラーとして招かれていたことからもうかがえるように、参加者の誰にとっても、「自分が属している場所」以外の人々=「外」の人々との対話を可能にするという意図が考えられていたようだ。

●漫画評論? 研究?

ここで、「学術的漫画研究」の置かれた現在の状況に関して、若干整理しておく必要があるだろう。

なによりも「学術的漫画研究」は、まだ動き出したばかりのものだ。専門学会もなく、大学で「漫画」を研究などの対象に掲げる講座もほとんどない。そこで、漫画を研究対象にしている人々は、美術美学史であるとか、表象文化研究であるとか、社会学であるとかいった、個別の分野の研究室に属して、そこで研究対象に「漫画」を選ぶというかたちを取っている。

ここにふたつの困難がある。ひとつには、個々の分野を超えた、「漫画研究」独自の方法がまだないことがある。そこで、美術や社会学などの方法で「漫画」という対象を扱うことになる。しかし、それは必ずしも上手くいくとは限らない。たとえば、美術美学史の言葉には、漫画の「コマの連続」に言及するものはない。

そして、ふたつめには、個別の分野の発表先にアクセプトされやすいように論文を書く必要が生じることがある。そこで、既存の方法にあてはめるという無理が生じやすい。つまり、制度的な困難と方法的な困難の双方があるわけだ。

しかし、そこで真剣に漫画について研究しようとする人々は、おのずと制度の外に向かって開かれた感受性と態度を持つこととなる。というよりも「そうせざるを得ない」という感じだろう。

一方、目を一般に向けてみると、漫画についての言説全体は、ひじょうに漠然ととらえられている。しかもそれは、評論家や研究者であっても同様であるようなのだ。こんどは制度や方法に由来する困難ではなく、「混沌」に由来する困難があるように思う。

漫画に限らず、表現されたものに対する言説には「レビュー」「ジャーナリズム」「批評」「研究」の四者がある。これらははっきりと分けられるものではないが、それでも別のものである。具体的には、個別の作品の書評は「レビュー」、作家のインタビューやイベント・レポートなどは「ジャーナリズム」に属する。しかし、立命館大学のシンポジウムでも、この四者の区別はあまり意識されていなかったようだ。

これは、シンポジウム参加者の問題ではなく、漫画にかかわる人々が、一般にこの四者を区別せず、漠然と「評論」と呼んでいることを反映していたのだと思う。とくに、何人かのパネラーから出された「漫画研究に対する、漫画業界の反発」という問題については、このことが強く影響をしているだろう。

「漫画研究に対する、漫画業界の反発」考えられているものは、いくつかの種類のものがあるだろう。

とくに実作者に強いといわれる「漫画を描けもしないくせに横からゴチャゴチャいうな」というものから、熱心な読者に多いとされる「自分たちは、漫画をそんなふうには読んでいない。だから間違っている」「そんな難しい理屈は誰も考えていない」といったものまで。あと、現場の編集者がいうとされる「漫画なんて文化じゃなくて商品でしかないんだから、評論家に評価されたって売れ行きにつながらなけれりゃダメ」というものもあるだろうか。

筆者の実感としては、上記のような「反発」はここ数年、ひじょうに小さくなってきているように思えるのだが、それでも、まだまだこうした「反発」は根強い。そして、それが漫画研究者や、それを志す人に対する有形無形の抑圧にもなっている。>>次頁

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