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第一部:レクチャー+ビデオショウイング
プロローグ。会場に設置された無数のディスプレイから延々と映し出されるドラッグ的なムービー、そのなかで監修者の下條信輔氏(認知学者)とタナカノリユキ氏(アーティスト)の基調対話が開始された。
そもそもハマる原因はなんだろう、重要なのは動機か意志か、それともフェティシズムか、という話の流れから、ポストモダン(1970年以降)においてフェティシズムは違う捉え方をするべきではないかという下條氏。というのも、いわゆるポストモダンと呼ばれる社会では、自意識のありかたが変わっているかもしれないからだ。「大きな物語の失効(リオタール)」「起源神話の崩壊(デリダ)」と思想家の言葉を引用しつつ、欲望を支える構造の変化を指摘するが、これはおそらく東氏につながるネタ振りだろう。
また、紹介された二種類の資料が実におもしろい。まずマウスを使った自己刺激法という実験映像。これはバーを叩くと視床(快楽中枢)に電気刺激が走るしくみを、マウスが学習し、快楽を獲得することに溺れていく実験で、1950年代にオールズが行った。おいしいエサよりも快楽の方が学習スピードが速いというのは、どこかひどく根源的だ。
それから、神経症を患った画家が描いた四枚のネコの絵が素晴らしい。同様の例としてあまりに有名なのはヴァン・ゴッホだが、これは違う意味ですごい。ネコ好きなら正視に耐えないレベルまで壊れていて、一枚目では『猫の地球儀』に登場しそうなかわいらしいネコだったのに、三枚目だとマヤ文明の絵画状態で、四枚目のネコはついに炎につつまれた邪神へと変貌する始末だ。とはいえ、病状が進行するにしたがってグロテスクに変化するネコを見て「おもしろい」と感じてしまうのは、美意識が、たんに美しいものにばかりむいていないことを端的に物語っていたと思う。
レクチャーPART1:ヒトはなぜクスリにおぼれるのか?
廣中直行氏(脳科学者)が担当。だが、これは正直いって目から鱗が落ちるくらい新鮮な話だった。理由を一言でいうと「ドラッグに溺れた状態では脳の設計図が遺伝子レベルで書き換えられている」ことに尽きる。「ハッピーになりたいなら、ドラッグを使ってドーパミンをどしどし分泌させろ!」と学んだ世代の私にはかなりの衝撃だ。たしかに「分裂病患者(ドーパミン過剰)が決してハッピーではないだろ」といわれたら納得せざるをえないし、それもこれも脳という器官の「あまりに柔軟すぎる学習能力(環境適応能力)」の結果というから泣くに泣けない。
どうにも大袈裟かもしれないが、これはコカインや覚醒剤などのセリエA級ドラッグの問題ばかりじゃないからなのだ。「遺伝子レベルの書き換え」は、専門用語でいう「渇望」が生じてしまい、つまりこれが依存の真相だと廣中氏は説く。依存といえばタバコだ。快感指数なら最低レベルのニコチンが強依存であることはよく知られているが、喫煙者は他人事じゃない。「渇望」の依存性は、感情とむすびついた記憶の問題でもあるという。だから覚醒剤の中毒患者がライターや注射器を見ると「渇望」が喚起されてしまうように、ニコチンの中毒患者=私がライターや自販機、あるいは誰かの喫煙風景を見ることにより、禁煙はどこまでも遠くなるわけだ。
しかも興味深いことに「渇望」という依存性は、快楽とは別個に考えるべきメカニズムである。後述するパネルディスカッションのなかで、下條氏が驚きをもって語ったように「快楽を遮断しても、薬にたいする依存性はなくならない」し、「快楽がなくても、渇望はある」のだ。禁煙を成功させるためには、このように書き換えられてしまった遺伝子を、どうにかして「渇望」を解消するかたちに書き換える必要があるのかもしれない(?)――ともあれ、後述する東氏のレクチャーで飛びだした「オタク系クリエイターの『オタクの遺伝子を持ってる』という言葉はある真実を伝えている」発言ともリンクするが、私たち(の脳)が遺伝子レベルでの統御を受け、しかもそれが常に変化していることを痛感させられ、勉強になった。>>次頁
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