でね、ここに紹介したのはネタTとか「萎えカル」っていうシーンだったんだけど、ほかにもオタク文化の周りに、鬼っ子みたいなクロスカルチャーが次々に出てきてるわけ。っつうか、いろんなカルチャーとオタカルチャーが接続し始めてるわけよ。伊藤剛くんが以前紹介してたナード・コアのシーンなんかもそうだろうし、ビジュアル系バンドとか、アングラ演劇とか、ゴスロリ・ファッションとかもそうだろうし。挙げ句の果てはタトゥーとか現代思想とかにも接続してるんだよな、今のオタカルチャーって。昔のオタカルチャーってぽつんと孤立したイメージあったけど、今はそうじゃないわけだ。あっちこっちに風穴が開いてて、そこを通ってどこにでも行ける。すごい自由なシーンになってきてるわけ。
俺はかつて自分がオタクだったからよく判るんだけど、オタクの外側の連中ってすぐにオタクを馬鹿にする癖に、自分は結構オタクな奴、多いんだよな。ロックばっかし聞いてて、アニソンなんかハナから馬鹿にして聞こうともしないロックおたくとか、特撮やアニメだってだけで馬鹿にして、そこにある職人芸とか判ろうともしないアートシネマ・オタクの連中とかさ。そういうの、ムカつくよな。
でもさ、だからって言って、「俺は『どオタク』の道を行くぜ!」みたいに開き直ったってさ、問題は解決しないわけじゃん。どっちも引きこもってじーっとしててもさ、それじゃ世の中変わらないし、つまんないわけよ。誰かが突破口になってぶち破んないとさ。で、そういう突破口が、こういうクロスカルチャーなわけだ。やり始めてる奴らは、既に出てきてるわけ。たくさん。
で、出口主義者の樋口としては、こういうクロスカルチャーを追っかけていこうと思ってるわけよ。絶対に出口はあるはずだし、どこにでも行ける筈だと俺は思うの。15世紀の偽哲学書であろうと、遙か古代のポリネシア文化であろうと、オタカルチャーは絶対につながってる(笑)。そのくらい懐の深い文化だと俺は思うんだよな。まぁそういう「可能性の中心」ならぬ「可能性の周縁」を追っかけようと、俺は思うわけです。なんだかすげぇデカイ話になったけど(笑)、まぁそんなことを考えてますね、現在。◆