TINAMIX REVIEW
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青少年のための少女マンガ入門(4)一条ゆかり

●正しい発狂のススメ

図4:『雨あがり』
(c)一条ゆかり

そして一条マンガのキャラクターたちは、次々と発狂する。1971年『りぼん』6月号付録の『おとうと』では、美しい弟に近親相姦的愛情を抱いた姉が、弟に近づいてきた女を罠に陥れて殺す。しかも、弟自身の手によって殺すように仕組むのである。殺人を犯してしまった弟は、発狂する。しかしヒロインは、それで満足だった。ヒロインは、発狂した弟と一緒に、幸せな毎日を過ごす。ところが、弟が正気を取り戻し、姉が卑怯な手を使って女を殺したことがバレてしまう。そして今度は姉のほうが発狂する。そして姉弟は、心中……。救いはない。

『りぼん』1971年4月号に掲載された『雨あがり』という作品も、なかなか強烈だ。主人公の男が失意の底に沈んでいたとき、彼に片思いをしていた脇役の女がベッドに誘う。しかしなんと、男は勃たなかったのである。「ああ…、使えねえ…」と頭を抱える男と、全身で脱力感を顕わにした女の姿が、これまた『りぼん』に載っていたことを思うと衝撃である[図4]。次のコマで出てくる「なんでわたしじゃダメなの」という女の悲痛な叫びも痛々しいが、当時の読者がこのセリフの正しい意味を理解していたのか、ちょっとした疑問も湧いてくる。まあ、いずれにしても、ベッドに誘われながら男が勃起しなかったなんていう場面を描写したのは、一条ゆかりが最初だろう。

最初といえば、少年愛ものの起源は萩尾望都『トーマの心臓』や竹宮惠子『風と木の詩』に求められるのが常だが、一条ゆかりもかなり早い時期、1973年『りぼん』3月号に『アミ…男ともだち』という少年愛ものを発表している。中身も精神的なレイプを扱ったものであり、発狂系に恥じない強烈さを誇っている。が、舞台設定や雰囲気が萩尾望都の『雪の子』(1971年1月)や『11月のギムナジウム』(1971年11月)に似ていることもあり、少年愛ものを語るときには無視される傾向にある。当時、24年組のファンから「盗作だ」という趣旨の手紙が送りつけられてきたこともあるらしい(『ぱふ』1983年12月号参照)。そのせいかどうかはわからないが、これ以後の一条は少年愛ものを扱うことはなく、独特の発狂系へと展開していった。




図5:『デザイナー』
(c)一条ゆかり
図6:『砂の城』
(c)一条ゆかり
図7:『愛のルール』 (c)一条ゆかり

さて、発狂系の最高峰といえば、『りぼん』1974年2月号〜12月号に連載された『デザイナー』である[図5]。物語は「これでもかっ!」とたたみかける強烈で濃密なエピソードのオンパレードで、ちょっとの心の油断も許されない。詳しいあらすじは省くが、案の定、ヒロインは死亡し、少年は発狂する。救いはない。

しかしこれ以降、発狂系は次第に影を潜めていく。ドラマにもなった『砂の城』(『りぼん』1977年7月号〜81年12月号)[図6]でも、案の定、ヒロインが発狂する。しかし残念ながら、物語の最終盤で正気を取り戻してしまう。最終的にヒロインは死亡してしまうわけだが、正気を取り戻すうえに最後に救いがあるだけ、往年の発狂系からの脱却が見られる。1981年の春からはアクション・コメディ『有閑倶楽部』の連載が開始されており、発狂に次ぐ発狂の嵐は1980年頃にひとまず収まってしまったといってよいだろう。1975年から連載された『5・愛のルール』(協力:秋吉薫)[図7]は発狂系として『デザイナー』をも凌ごうかという緊張感をみなぎらせていた作品だったが、第二部が始まらずに連載が途切れてしまい、単行本も出ていない。たいへん惜しい。華やかな広告業界に先見的に目を付けたのみならず、主人公姉妹の住むボロ・アパートにコンクリート・ブロックを積んで作った棚があるなど貧乏生活のディテール描写も非常に優れていたのだが……。「おとめちっく」が台頭しはじめた1975年の段階で発狂系を押し出すことは、もはや『りぼん』という場では不可能だったということかもしれない。つくづく残念。

図8,図9:『正しい恋愛のススメ』(c)一条ゆかり

しかし発狂系の片鱗は、それ以後の作品でも失われていない。近年の作品の中では、なんといっても親子どんぶりである。『コーラス』1995年10月号から2年間にわたって連載された『正しい恋愛のススメ』[図8]では、主役の少年は親子どんぶり(実の母と娘、両方とセックスしてしまう)状況に追いつめられる[図9]。往年の一条ゆかりの場合、少年と母と娘、このうち少なくとも一人は死んで一人は発狂しているところだが、円熟味を増して安定した90年代は落ち着いたラストを迎える。「母−娘−少年(仕事)」という三角構図に関して『正しい恋愛のススメ』と『デザイナー』の間に類似性が見られるが、展開と構成の違いが70年代と90年代の差を表している。個人的には誰かに発狂してもらいたかったところだが、いまさら70年代テイストでもないということだろう。とにかく前代未聞の親子どんぶり少女マンガに、多くの読者が肝を冷やした。未読の方にはぜひ読んで肝を冷やしてほしいし、肝を冷やしたら過去の発狂系へとぜひ遡っていただきたい。

発狂系の大家としてはもう一人、山岸凉子が存在するが、この少女マンガ界で最もやる気のない自画像を描く作家については、後に語られることになるだろう。ただ、一条も山岸も『りぼんコミック』という雑誌から独自の世界を形成してきたことは重ねて強調しておこう。

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