No.997898

小料理屋「萩」にて 第一夜 童子切 三

野良さん

式姫の庭の二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/997518

庭オフィシャルの時代設定は戦国時代ですが、ちょこちょこ江戸時代の言葉遣いや概念を入れてます(荒物屋とか陰間とか)、その辺はノリという事でご容赦下さい。

2019-07-01 20:14:49 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:673   閲覧ユーザー数:665

「博多これ、日の本の国なりや?」

 異国の言葉飛び交う猥雑な喧噪に満ちた港近くの大路の脇に建てられた、戸障子も無い掘っ立て小屋のような小さな店の隅で昼酒を舐めながら、童子切は眠る様に細めた目の下から、面白そうに行き交う人々を眺めていた。

 伊勢平氏の棟梁にして、武士ながら殿上人までなり上がった傑物、忠盛卿の保護の下、宋の国と行われている盛んな貿易は、それによってもたらされる巨万の富もあって、様々な人をこの地に集める事となっていた。

 金には興味の無い童子切ではあるが、人の集まる所には何かと情報という奴も集まる物。

 そう、彼女の探し求める友人の消息も。

 それに気になる話も聞く。

 宋の国との貿易で、日の本より持ち出される刀剣類が多々あるという噂。

 武器としてではなく工芸品として……古く美しいものほど値が付くと。

 三日月……世と己を厭い、何処かに姿を消した旧友。

 彼女の本身の美しさは、他に比肩する物が無い。

 彼女が無理に連れていかれる事を懸念しているのではない。

 寧ろ、彼女がこの国から外つ国(とつくに)に去る事を望んでしまう……。

 それを。

 

 ふ、とため息と懸念を流す様に安酒を口に運ぶ。

 考える事は大事だが、正しい材料を伴わない思考は、自分の中に不安や妄想という化け物を育てるだけの行為である事を、童子切は良く弁えていた。

 そう、自分はその材料の方を探しに、わざわざ日の本の南の端まで足を運んだのだ。

 こういうざっくばらんな、得体のしれない酒飯の店というのは、商談含め、様々な層が混ざり合う情報交換の場でもある。

 こうして隅で目立たなく酒を呑みながら、耳を澄まして居れば、色々な話が聞ける場所。

 彼女の酒のつまみは、本来なら大陸の客向けだろうか、何やらの獣肉を、葱や芹やかぶと一緒に、魚の出汁に醤油や味醂で味を調えた汁で煮た物。

 仏徒に見せたら卒倒しそうな代物ではあるが、童子切にとっては別段拘る所では無い。

 口中に残る獣脂や濃い味を、強めの安酒が溶かし流していく感触が、これはこれで悪くないと思うだけである。

 そうしている間に、彼女の耳に入ってくる人の話は実に多彩。

 次に持って来て欲しい商品、価格の交渉、作物の不作豊作の情報、妓楼の女の良し悪し、店ごとに違う相場、誰に賂(まいない)を贈れば話が通りやすいか、海の危険な場所、船旅の知恵、苦労話、酒の興に乗った上での法螺や自慢。

 真偽定かならぬ情報が、無造作にぶちまけられる場所。

 とはいえ……だ。

(私の求める話は少ないですねー)

 退屈ではないが、こう毎日塩辛声で飛び交う、煎じ詰めれば金と女の話ばかり聞いていれば、流石にうんざりする。

 成果の無いのには慣れているが、今回の旅も徒労に終わりそうな予感は愉快な物では無い。

 こうして、市で酒を舐める生活を始めて三日も経てば、門前の小僧では無いが、大体の取引傾向も見えて来る。

 日の本からは木材や金銀銅や水銀、宋の国からは医薬や書画。

 刀剣という話は、あまり聞こえない、

 当初懸念したほど、刀剣のやり取りは無いのか、それとも、このような場所に依らない商流が出来てしまっているのか。

(これ以上探るなら、河岸(かし)を変える必要がありそうですねー)

 空の瓶子の林が森になる頃合いで、童子切は席を立とうと、残る酒を土器(かわらけ、安い素焼きの器)に満たし、それをちびりと口に運びながら道に目を向けた。

 ……あら。

 白っぽく差していた日が急速に陰り、路上に、まるで浮かび上がるように黒く丸い染みが現れる。

 おやおや、これは。

 それが何であるか悟った童子切は、小さな卓を、上に乗った物さらひょいと抱えて、少し奥まった場所に席を移した。

 その背で、ざぁっという大粒の雨音、駆け出す人の足音、入り口近くに陣取っていた他の酔客が上げる怒声を聞きながら、雨が降りこまない場所に移した卓に改めて座り、彼女は瓶子を店主に向かって掲げ、指を一本立てた。

 この雨を天意と思う気も無いが、雨の中を飛び出す程に、他の思惑が在る訳でも無い。

 程なく運ばれてきた瓶子を受け取りながら、何か適当につまみも持って来てくれるよう店主に頼み、彼女は急激に暗くなって来た外に目を向けた。

(雨見酒も嫌いじゃないんですが、これはちと違いますねー)

 古刹の濡れ縁で、雨に濡れる緑と、密やかな雨音に心を遊ばせながら傾ける酒なら風流でもあろうが、半裸の水夫や人足、そして商人が、慌てふためき右往左往する、殺風景な道を眺めながらというのは、さて、何と称すべきか。

 ま、これも旅の趣という奴だろう、雨に降り籠められるのは慣れている。

 童子切は雨の匂いと、空気がしっとり重く満ちて来るのを感じながら、手にした土器を傾けた。

 童子切が静かに杯を傾ける中、道がぬかるみ、身動きが取れなくなるのを嫌い、土砂降りの中を三々五々、客たちが駆けだして行く。

 帰る場所があるなら、判断としては間違っていない。

 叩き付けるような雨音は知らぬうちに止み、静かに降る雨が厚い幕となって世界を覆う。

 昼だというのに夜の如くなってしまった店内に火が灯り、鯨油の燃える匂いが大して広くも無い店内を漂う。

 時折ぴちょりぴちょりと鳴るのは、安普請の雨漏りの音か。

 鯨油が濃く煙る、暗い火明かりの中で店内を見回すと、残っているのは童子切以外だと、酔いつぶれた老爺と、漁師らしい姿の中年の男性、多少こざっぱりした衣装に、小さな行李と茶壺を傍らに置いた商人、そして一癖ありそうな店主。

 その店主が、店内を見回してぼそりと呟く。

「雨降りの中で申し訳ねェが、客人方よ、こいつが燃え切っちまう間に帰って貰いてぇ」

 これ以上は客も来そうもねぇし、油もタダじゃねぇんでね。

「ご尤もです、ただ良ければ蓑笠と下駄を貸して頂けませんかね?」

 こいつを濡らしたら商売あがったりなんですよ。

 小さく軽そうな行李ながら、濡れる事をここまで厭う様子を見ると、中身は高貴薬か、その薬種といった所か。

 その言葉に、親爺が首を横にふる。

「貸せる余分はねぇですな、第一お客人、人に貸して返ってくる保証はありなさるかね?」

「で、では、どうでしょう、それを売って貰えませんかね?」

「売っても良うがすが……これですぜ?」

 親爺が後ろに掛かっていた蓑笠を商人に差し出すが、遠間から童子切が瞥見しただけでも判る程に、そろそろ化けそうなそれは、さほど雨滴を凌ぐ足しになるとも思えない代物であった。

 絶望の唸りを上げる商人から蓑笠を取り返して、親爺は腕組みをした。

「買うと言うなら、この店出て右に三町(300m程度)も行けば荒物屋(雑貨屋)が有りまさぁな、一走りしたらどうです?」

「こ、この荷物から離れて買いに行けと?それは困る」

 ああでもないこうでもないとごねる商人に、見るからに短気そうな親爺の機嫌が見る間に悪くなる。

「やかましい陰間(男娼)野郎、そんな事までわっしが知るかい!」

 言葉に詰まり、泣きそうな顔で席に座り込んだ商人を横目で見ながら、童子切は肩を竦めた。

「ご愁傷様」

 そう呟きながらも、童子切は特にそれ以上は反応せず、目の前の酒を口に運んだ。

 店主の言葉は、口汚いが尤もな話で、雨への備えをしていなかったとしたら、商人が甘いと言うしかない。

 そんな様子をニヤニヤ見ていた漁師が席を立って商人の隣に立った。

「ナァ大将、いっちょわしが蓑笠を仕入れて来てやろうかい?」

 ただし、ちいと酒手(さかて、手間賃の事)は弾んで欲しいが。

「あ、ああそれは有り難い、払う払う、お支払いしますよ……親爺さん、この親切な人が戻ってくるまで位はここに居てもよろしいですよね?」

「その程度なら」

 好きになせぇ。

 そうぶっきらぼうに呟いて、親爺は今一人、酔いつぶれて寝込んだ老爺の方に向かった。

 一方の漁師にしてみれば、水に濡れるなど稼業の裡である、今日の酒代の元を取って余りありそうな稼ぎの予感に気を良くしながら、尻を端折り、素足になって、一散に篠突く雨の中を駆けだした。

(……ん?)

 雨の帳の向こうに消える漁師の姿を目で追った童子切の五感が感じた、微かな違和感に、彼女の酒を呑む手が -極め付きに珍しい事にー 止まる。

 妖気とかそういう物では無いが……何かがおかしい。

 何だ、この感触は。

「おい爺さんよ、これ飲んで目ェ覚ませや」

 半ば流し込まれるように、片口で水を口に流し込まれた老爺が、暫し眼をしょぼしょぼさせてから、よろりと半身を起こし、戸口から外に目を向ける。

「何じゃいこらぁ、天の池が抜けたんかい!こんな中に、哀れな年寄りを放り出そうってのか、この人でなしが!」

「爺さんみたいな干物なら、水で戻せば活きが良くなるだろうよ、銭払ってとっととけぇんな」

 どうもこの二人は顔なじみらしい、交わす言葉は荒いがそこに本当の意味での怒りの気配は感じない。

 その親爺の言い種に、更に何か言い返そうと老爺が口を開く……それを覆い隠す様に、戸口で悲鳴に似た声が上がった。

「なな……何じゃこりゃぁ?!」

 惑乱しきった様子の、あの蓑笠を買いに、外に駆けだした漁師の声。

 雨の帳を割って、鯨油の灯りが暗く揺れる店内に戻って来た、その漁師の顔が、現実を認めきれない様子で虚脱する。

「何で……なんでじゃ、この店?」

 その手に何も持っていない事を目ざとく見つけた商人が、漁師の下に駆け寄る。

「もし、あのもし、蓑笠は?」

 その商人の言葉に、漁師が力なく首を振る。

「……店がねぇ」

「そんな馬鹿な、ここから右に三町真っ直ぐ、間違えようのないでかい看板上げてらぁ、この雨でも間違う事は!」

「違うんじゃ!」

 酒場の親父の言葉を荒々しく遮って、漁師は自分の中で抱え込めない苛立ちと当惑を吐きだす様に。

「わしはなぁ、右にずっと走っとった、そしたらまたここに戻ってきてしまったんじゃ!」

 

「ほぅ、そりゃまた面白い状況じゃな」

「実際は酷い目に遭ったんですがね、酒代になればあの時の私も浮かばれますよ……さて、今日はこの位にして、続きはまた明日にしましょうか?」

「ここで寸止めは殺生じゃな」

「私もそんなに面白い話の用意がある訳ではありませんので」

 小出し、小出しに、細く長いお付き合いを。

「ほぉ……そう来るか」

 にやりと笑った仙狸が、七輪の上の岩魚をひっくり返す。

「やれ困った、続きが気になって、これを焦がしてしまったり、燗を沸騰させてしまいそうじゃ」

 わざとらしい仙狸の呟きに、童子切は降参を示す様に軽く両手を上げた。

「それじゃ仕方ないですね、続きを話すとしましょうか」

「左様か、せがんだ様で悪いのう、では語り部の喉に潤いを差し入れるかの」

 ぬるく付けた燗が、錫の器を通して童子切の手と喉を優しく温める。

 甘露。

 あの時の酒や肴の味は忘れてしまったように、この酒の味も忘れてしまうのかもしれないが。

「ふふ……」

「ん?如何したな?」

「いえ、何にも、それで続きですが」

 ここで、彼女と語りながら酒を汲んだ事を……私は、多分忘れないだろう。


 
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