No.994506

夜摩天料理始末 63

野良さん

式姫の庭の二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/992868

2019-05-27 21:20:10 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:631   閲覧ユーザー数:625

 喉が詰まっていく。

 顔がうっ血し、視界がぼやけて来る。

 彼の手に添えていたこうめの手が、力を失ってだらりと落ちる。

 死に至る縁をゆっくり滑り落ちていく。

 玉藻の前は、こうめの絶望を絞り出すように、加減して少女の首を締め上げていた。

 この手からすれば花を手折る程度の力しか要らないが、直ぐに首をへし折っては、面白くも無い。

 この死に至る刹那こそが、人が最も醜いその本性を剥きだす、彼女がこの矮小な生き物を愛せる時間。

 だというのに。

「……貴様、何故もがかぬ?」

 生きようとして、この腕をかきむしり、蹴り上げ、身をもがき、絶望して妾を憎め。

 だが、こうめは、自分の首を絞めている相手を見つめたまま、何やら口を動かし続けていた。

 声にならない声で。

 何かを、必死に。

 

「ははぁ、呪言かや」

 この小娘は陰陽師、なれば、妾を呪っておるのじゃろう。

 目を凝らしてこうめの口元を見る。

 今にも絶えそうな息の下、震えるような唇の動きを読む。

 さぁ、妾に貴様の嘆きと絶望と呪詛を……その命の最後に、心から絞り出される、濃密で甘美なそれを捧げよ。

 

 ここに来られて。

 

 その言葉は、さやと吹く柔らかな風のように。

 

「……何?」

 読み違えたかと、慣れぬ人の目をぎろりと剥く。

 ええ、まったくこの生き物は夜目も利かぬし、何と不自由な。

 火明かりの中、こうめの可憐な唇の動きに目を凝らす。

 

 ここで、時を過ごせて。

 

 その言葉は、木々を透かして地に降り注ぐ、光のように。

 

「貴様、何を、言うて……」

 わなわなと、男の手が、玉藻の前の当惑を映して震える。

 

 何より、お主に会えて。

 

 その言葉は、地に染み入り、命を育む雨滴のように。

 

「……止めよ、止めよ」

 声がひび割れる。

 あろうことか、その声に宿っていたのは、確かに恐怖のそれ。

 だが、涙を微かに浮かべた少女の口の動きから、玉藻の前は目を離す事が出来なかった。

 

 わしは、幸せじゃったぞ。

 

 その口の動きを読み終えた、男の、いや、玉藻の前の目がぐるりと白目を剥いた。

 その意思を宿す核たる殺生石が軋む。

 それは確かに呪詛であった。

 自分の最後を悟り、今まで、この庭の皆から貰った、暖かい感情の全てを包み、この世界に置いて行こうとして紡いだ、こうめの全霊を籠めた言霊。

 こうめは意図していなかっただろうが、それは、確かに目の前の妖狐、人の憎悪や嘆きの想念を喰らい、力としてきた存在に対しての、最大にして、最悪の呪詛であった。

 

 ぎぃぃぃぃィィィィィィ。

 

 その口から、奇妙に甲高く濁った絶叫が漏れた。

 獣が、得体のしれない恐怖に怯えて上げた、哀れな叫び。

 

 タマモノマエサマ、イカガナサイマシタ?!

 尾裂の獣が、当惑の声を上げる。

 意思の一部だけとはいえ、主たる大妖が上げたとは思えぬ、動揺に満ちた悲鳴。

 主に何かがあった。

 駆け寄りたいが、自分の前には、強敵が立ちふさがっている。

 ジャマジャ、シキヒメ!

 唸りと共に目の前の式姫を罵る、それに蜥蜴丸は、更に冷ややかな視線を返した。

 彼女もまた、今すぐにでもこうめの下に駆け付けたい。

「お互い相手が邪魔なら、する事は一つ」

 時が無い。

 かくなる上は。

 蜥蜴丸は、残る気力と全ての力を込めて、刀を大上段に構えた。

 ムゥ……。

 一撃必倒。

 これを躱された場合、逆に蜥蜴丸が殺される、それを覚悟の構え。

 その輝かしいまでの蜥蜴丸の殺気を感じ、尾裂の獣はその構えを更に低くし、こちらも満身に力を込めた。

「決着を付けましょう」

 

 渇。

 玉藻の前は、突然に耐えがたい渇きを感じた。

 途方も無い飢渇感が意識を焼く。

 久々の人の世で喰らえると思っていた、人の嘆きも憎悪も喰らえず……。

 それまで辛うじて抗っていた、思兼の力が更なる圧を伴い、彼女の意思が宿る殺生石を軋ませる。

 このままでは持たない。

 そして、悟った。

 あの男と、この小娘は同じ類の人間。

 妾とは、絶対的に相容れぬ存在。

 こやつらは、その力の強弱に関係なく、排除せねばならぬ。

「小むすメ……シニヤぁ!」

 人の喉を使い、人語を操る余裕も失せたか、ひび割れ、軋るような声を上げ、こうめの首をへし折ろうと力を籠める。

 その意思が、何かに阻まれた。

 指が緩み、こうめがその手から落ちる。

「な……何故ジャぁ」

 慌てて、その手で、小娘を再度掴み上げようとする……その意思が手に、いや、体に伝わらない。

「けほっ、けほ……」

 急に解放された喉に空気が入り、こうめが咽る。

「逃……げぇ、むす……め」

 その声に、こうめは顔を上げた。

 そのこうめを見おろしていたのは、彼とは違う、だが、どこか似た所のある、ほろ苦く微笑んだ、優しい顔。

「すまんなぁ、娘、儂は……こんな」

 絞り出す様な声が途中で途切れた。

「きサマ、まだキエズに!」

「……儂はな、しぶといんじゃ!」

 人間を舐めるな、化け物が。

「ひとフゼイガぁ!」

 それは、奇妙な光景だった。

 彼の顔が、時に邪悪に、時に深い悔恨を湛えた顔に、まるで仮面芝居でもあるかのように、千変万化しながら、一人で言葉を交わす。

 こうめが、固唾をのんで見守る中、その顔が、何かに気が付いたように、はっと目を見開いた後、喜悦と恐怖と悲哀の色を同時に浮かべた。

(これは……?)

 彼の顔が、不思議な、色々な感情を綯(な)い交ぜにしながら、こうめの方を向いた。

「良かったのう、娘」

「良かった?何がじゃ……何が?」

 今、彼の中で、一体何が起きているのじゃ。

 こうめの言葉に何か答えようとした、その顔がぐるりと白目を剥き、醜悪な憎悪と恐怖の色を浮かべる。

「来るな、来ルナ……死にゾコナイがぁ!」

 その声をあざ笑うように、同じ口から呵々と大笑が上がった。

 

「あやつが、帰って来たぞ」


 
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