No.982611

青き祝祭の記録

山石裕さん

かなり昔に同人誌に載せたお話です。
文章は相棒の深井氏で、イラストを担当しています。
とても好きなお話なので、埋もれさせておくのは勿体無いと思い、公開しました。

2019-02-03 18:04:29 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:356   閲覧ユーザー数:356

 

 

 

 

 一面の青。

 最初の印象はただそれだけ。そのうち、だんだん空の青と海の蒼の区別が付いてくる。

 視界には雲一つなく、細波さえ立っていない海面のパノラマだ。照りつける陽光は強く、海面の微妙なうねりに伴って時折起きる反射が眩しい。低緯度地方の夏の日差しだ。

 私はおそらく空中に何の支えもなく浮かんでいる。どういう訳か、今の自分の立場に不自然さを感じない。全てが当たり前に、そこにあるように配置されていて、自分もその一部だと感じられるのだ。

 唐突に、海中から巨大な影が浮かび上がってくる。不思議な事に、恐ろしさは微塵も感じない。

 その影は、ゆっくりとしたペースながら、次第に海面に近づいてくる。どうやら、周囲に沢山の小魚が群れているようだ。陽光を受けて、きらきらと輝く細片がまとわりついている。

 やがて海面が割れ、影がその姿の一部を大気中に現す。周囲の魚達は、海面が近づいた事を知って瞬間的に周囲に散り、影に巻き込まれて空中に放り出されるような間抜けなものはいないようだった。

 巨大な影の空中に現れた部分の姿形は、地球の鯨にそっくりだったけれど、一つだけ違うところがあった。色が違う。鮮やかなグリーン。その他にもよくよく観察してみれば、目に相当する器官も、鯨なら背中にある筈の鼻孔も見当たらない。

 その巨体は胸ビレから水飛沫を上げ、尾ビレを見せてまた海中に姿を没する。続けて、先ほどのものとは違う個体が海面に姿を現す。先ほどの個体と比べると、大きさはほぼ同じだが微妙に色が異なっている。こちらはもっと落ち着いた深い緑だ。

 二番目に現れた個体も、水飛沫を上げてまた海中に没した。鏡のように平坦だった海面に、白い波頭を伴った大きな波紋が広がった。

 最初に現れた位置から二百メートルほどの距離を置いて、また最初の個体が海中からヒレを突き出した。続けて二番目の個体もそれに続く。

 それら、いや、彼らは明らかに楽しんでいた。生きている事の喜びを全身を使って表現していた。それはまさに、祭典と呼ぶのにふさわしい光景だった。

 彼らはきっと、雄と雌で、この行動は求愛行動なのだろう。その行動には、明らかに様式化された繰り返しのパターンが観察できた。

 私の中の生物学者の部分が、無意識のうちに観察と分析を始める。

 これほどの深度のある外洋で求愛行動を行うからには、彼らの繁殖には海底という名の浅い部分の地面は必要ないか、それとも地面のかわりに日光を必要とせずに、深海で行われるかのどちらかに違いない。

 尤も、この惑星には陸地と呼べるようなものはほとんど存在せず、表面のほぼ全体が外洋だと言えるのだが。

 やがて、二つの巨体が寄り添うように並んで浅い深度を保ったままゆったりと泳ぎ始める。いよいよだ。これから祭りは最高潮に達する。

 

 

 そこで、唐突に映像が途切れた。

 映像の最後には断末魔としか形容できないような、身も凍るような叫びが伴っていた。

 そのショックの影響で、私はしばらく呆然としていた。自分が涙を流している事にも気付かなかった。これはもう何度も繰り返されたいつもの事だったけれども。

 調査行のパートナである「D」が心配そうなニュアンスを伴ったテレパシーのメッセージを送ってくる。私は、「大丈夫」という意味も込めて端末を軽く撫でてやる。

 「D」は優しい子だ。彼の仕事の中には、今のテレパシー放送の記録も含まれているのだから、彼が受けたショックは私以上の筈だ。それなのに、私を心配してくれる。

 彼の祖先である、地球起源の海棲哺乳類であるイルカも、彼のように優しかったのだろうか。そして、先程の映像の主も。

 今現在でも、イルカの生態は映像記録で観る事ができるし、地球環境が野生生物の生存を許さなくなることが確実になる前に保存されていた、遺伝子サンプルから復元されたイルカを水族館で見学する事もできる。

 それでも、たぶん地球の海を自由に泳ぎ回っていた頃のイルカ達と、今いる「D」達の眷族は違う存在になってしまっていると私は思う。

 そこまで考えた時、私は我に返り、ハンカチで涙を拭き取って、先程観測されたデータの記録を精査し始めた。これは決められたルーチンワークだ。

 どうやら、先程の映像は、この星系の恒星、セドルカの重力圏にとらわれた欠片からのテレパシー放射だったようだ。惑星の重力圏に捉えられ、大気圏で燃え尽きるものよりは時間が長かったし、何よりも記録に残っているテレパシー放送の基点がそのことを示していた。

 つまり、私の見た映像は、これから燃え尽きて死んでしまうことが運命づけられた、あの生物が発するテレパシー放送なのだ。

 こうして実際にテレパシー放射が始まらない限り、無数に存在する微小惑星のどれにテレパシーの主がいるのかは判らない。調べれば判るだろうが、調べるための人的資源もその資金もないために、実質不可能なのだ。

 限られた野生生物調査に割り当てられた予算内で私にできるのは、こうして「D」と一緒に小型の宇宙船で惑星軌道上にとどまって、テレパシー放送が始まったらそれを記録し、後世の研究のためになるべくたくさんの記録を残しておく事。ただそれだけだ。

 この調査のための予算を獲得するのにだって、かなりの政治的苦労と事務的労力を要したのだ。

 

 

 

 

 この星系、セドルカの第二惑星は、テラフォーミングの必要のほとんどない、希有な惑星だった。惑星は既に冷えて海が形成されており、しかもまだ生命が誕生していなかった。

 つまりは、テラフォーミング専用に調整された光合成細菌をばら蒔いてさえやれば、非常な短期間で入植が可能だった。

 その頃、目立った業績を上げる事ができていなかった惑星開発公社は、大急ぎでセドルカⅡと名付けられたこの惑星にテラフォーミングを施し、入植者を募った。

 入植者が移住を開始し、都市の建設が始まり、惑星政府が独立自治を始めようかという時になって、セドルカ恒星系内に新しく超長周期の惑星が見つかった。

 それは、千百十二年の公転周期を持ち、大きさはセドルカⅡとほぼ同じ、そして公転面はセドルカⅡと垂直に交わっていて、公転軌道はセドルカⅡのそれと交差していた。さらに運の悪い事に、今回の最接近ではロシュの限界点ぎりぎりの距離まで二つの惑星が近づく事が判明した。

 恒星系を構成する全ての惑星の軌道調査を怠った惑星開発公社の責任は明らかだったが、それを追求している場合ではなかった。

 セドルカⅡ自治政府は、地球政府に対して、新たに命名された惑星、セドルカⅨの破壊を要請した。その要請は、地球政府の普段の仕事ぶりからすると驚くべき早さで受理された。費用は惑星開発公社とセドルカⅡ自治政府が分担して負担する事になった。

 セドルカⅨは氷の惑星だった。表面は完全に氷で蔽われており、クレータの数から、その地質年代は千年程度と見積もられた。

 私も所属している、恒星間生物学会は、セドルカⅨに生命が存在する可能性を示唆したが、それは事態になんの影響も与えなかった。セドルカⅨの直接調査のための予算も時間的余裕も、全く足りなかったのだ。

 

 セドルカⅡから充分に安全な距離を取り、セドルカⅨは粉砕された。

 セドルカⅨは、セドルカⅡの大気圏に突入すれば燃え尽きる大きさの無数の氷の固まりと岩石の固まりの一群と化した。

 その大半は軌道を変え、主恒星であるセドルカに捉えられ、そのまま恒星内に取り込まれるであろう事が予想された。

 

 

 

 

 最初にその幻影が確認されたのは、元はセドルカⅨの極一部であった氷の固まりが、セドルカⅡの大気圏で燃え尽きようとしていたその時だった。

 セドルカⅡの住民は、一斉に青い空と蒼い海の幻影を観て、そして断末魔の声を聞いた。それは、自分たち人類の行為を断罪する恐ろしい体験だった。

 

 セドルカⅨにはやはり生命が存在したのだ。

 

 それは、長い冬の期間を凍り付いて過ごし、近日点に近づいて海が解けると、テレパシーでパートナを探して繁殖する生命体だった。

 セドルカⅨに訪れるはずだった、千年に一度の夏の光景を、セドルカⅡの住民達は観たのだ。その後に続く断末魔さえなければ、それは素晴らしい光景だった。

 すでに粉砕されてしまった、セドルカⅨだった微小惑星を一つ一つ調べ、中に生物が存在するかどうかを確認するためには、しらみつぶし以外の手段はなかった。セドルカⅨの生命体は、ゲノムサンプルも残さずに失われてしまった。

 それからというもの、セドルカⅡの住民達は、自分達がその命脈を絶った生物の断末魔を断続的に聞かされる事になった。とはいえ、かつてセドルカⅨだったものの大半は、セドルカⅡとの衝突軌道には乗っていなかったので、全てを聞く訳ではなかったのだが。テレパシー放送の範囲は、セドルカⅨの直径の百倍程度なのだ。

 その事実を知った私は、大急ぎで予算を獲得してこの星系にやってきた。せめて、その命が燃え尽きてしまう前に放たれるテレパシー放送の記録を残すために。

 私たち人類の都合で滅びていった生命たちの長大な墓誌に、新たな記録を書き加えるために。

 それが、私たちにできる精一杯の罪滅ぼしだと信じているから。

 

 
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