No.974623

ヘイルヘイルロックンロール 燃えるおじさんのブルース

2009年に模型に出戻って、四苦八苦するおじさんの物語です

2018-11-23 23:17:52 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:301   閲覧ユーザー数:301

 
 

連載小説 ヘイルヘイルロックンロール 燃えるおじさんのブルース 第1回

 

2009年1月6日 僕は失業しました

 

なぜ正確な日付を覚えているかというと、その日は僕の39回目の誕生日からでした

 

2002年に印刷会社を首になり、少ししてから中途採用した印刷会社が「月曜日から土曜日まで朝の8時から次の日の朝の7時まで勤務で休憩が10分」というところだったので、10か月で逃げて なんとなくぶらぶらしているうちに

 

派遣バイトからそのまま長期の契約社員として2年ほど働いていた運輸会社で、荷下ろしの作業をやっていました

 

2008年ころ「リーマンショック」というのが起こりまして、なんか嫌な予感がするなと思っていた、正月明けの初勤務の日でした

 

「大元である会社の経営が傾いたので、派遣社員である君は・・・・」

 

 

うわー!と思ってパニックになったのですがこればっかりはどうしようもありません

 

一応契約社員でも失業保険が下りるららしい さらに言えば今回のケースは「会社都合」という事なので、割とすぐ貰えるとハローワークで説明を受けました

 

冬空、曇天、無職の中年 演歌でもこうはいかないと思います

 

とぼとぼと家路に向かい、なんとなく「それでも何とかなるんじゃないかな?」と思ってました

 

ちなみにこのとき、貯金という物が一切ありませんという状況で何でそう思ったのか自分でもよくわかりません

 

きっと、馬鹿だったのでしょう

 

職安通いと面接の日々は続き、気が付けば3か月が過ぎていました

 

とにかく、金が、全然ありません 同じ世代の人間は、結婚してマイホームという事なのに

 

僕は1日に使える金が、300円とか、そういう世界でした

 

ハロワ通い、面接の日々と言ってもそれがなければ本当に暇で暇でどうしようもありません

 

とにかく、金はなくてひたすら暇 そんな日々でした

 

「SF3Dというのが今度新しい製品を出すらしい」というのをネットの情報で知りました

 

多分ミクシィか何かだったと思います 

 

SF3D そういえば中学生くらいの時にひたすら作っていたなあとぼんやりと思いました

 

プラモデル 中学生の時に作っていて、高校生の半ば位まで作っていました

 

「久しぶりにプラモデル作るかあ」と思って、なんとなく町田のヨドバシカメラに行きました

 

「ファルケ」と書かれたその茶色くて大きな箱は、4000円以上する

 

自分にとってこのころの4000円はただ事ではない金でした

 

だけど、自分の中の何かがそれを買わせて、その他もろもろ 接着剤だの塗料だのを買いました

 

ほんとうに高校生の時、1989年からきっぱり模型から遠ざかっていたので「流し込み接着剤というのがある」という事も知りません

 

なんか、ほんとうにあれこれ買ってるうちにあっという間に一万くらい飛びました

 

「失業保険貰ってる状況で、俺は大丈夫なのか????」と猛烈な不安とともに、大きな茶色い箱を抱えてヨドバシカメラを後にしました

 

作り方はなんとなく中学生の時の事を思い出して作ったのですが、色はどう塗ったらいいのかわからない

 

「横山宏という人のあの独特な塗り方がわからない」という状況でした

 

ただ「こうやって塗りなさい」という塗装カードに「牛柄」がある

 

「これだったら、白と黒だけでいいじゃん!ラッキー!」と思いその色を選択

 

なんとなくいろんなことを思い出して塗ってどうにか完成

 

やった、すごい!俺天才!と思って携帯の写メで撮ってミクシィの日記にのせたりして

 

 

そんな感じで「ファルケは終わり、模型も終わり そんじゃねー」と思ってました

 

世の中にまだミクシィという物があった時代でその中のコミュに「マシーネンクリーガー」というのがある

 

そこに「こんど『fg』というのがあって、そこでコンテストがあるんで」という書き込みがありました

 

fgも知らなければ模型にコンテストなんてものがあるというのも、自分には全く縁遠いものでした

 

そのなかで「初めてマシーネン作った人」というのがあって、このレギュレーションだち、どうやら自分も対象になるらしい

 

この前作った牛柄ファルケを出せばいいじゃんと思い、fg「という物」に登録、デジカメで写真を撮ってアップしました

 

なんとなくこの辺の状況はぼんやりとしか覚えてません

 

ただ自分が作ったファルケを、やたら褒めてくれる人たちがいるという認識はありました

 

中学生の時は、模型を作ってもただ自分で見て「かっこいい!」と思って飾って、壊れて捨てる、その繰り返し

 

「人様に何か作って褒められる」という経験は、自分の人生にはありませんでした

 

猛烈に、有頂天になりました

 

僕はお調子者だったのです

 

辞めるつもりだった「マシーネンクリーガー」の「スネークアイ」というのを作ってはfgにのせ「AFS」というのを作っては載せ

 

「模型を作るのにはまっていく」というのが、自分で恐ろしいほどわかりました

 

fgにコメントをくれるひとに「とまそん」さんという方がいて、ミクシィでマイミクになってやり取りしてるうちに、住んでるところが近いから今度飲みましょうという約束になりました

 

町田の「案山子」という居酒屋で彼と「トキハマジロー」さんという人が、どうも、僕という人間に興味があるから来る、とのことでした

 

インターネットで知り合った初対面の人物と飲むことはすごくなれていたのでそういう事には抵抗がなあったのですが「オタク趣味の人」というのは、実際初めてでした

 

「まあ、変な人だったら帰ればいいか」と思って出かけました

 

そして「トキハマジロー」という人は、最初「斜めに構えたインテリっぽい人」だと思って警戒したのです

 

出かけるとき「手ぶらもまずいか」と思いなんとなくAFSを持っていきました

 

そういう「模型を作るベテラン」に聞きたいことが山ほどあって、とてつもなく期待していきました

 

実際お会いしたとまさんはとても気さくな方で、やたら僕の作品を褒めてくれる

 

そして、トキハマさんはとても物腰の柔らかい柔和な笑顔の方で、とても「斜めに構え」ては、見えませんでした

 

ひたすら恐縮しまくった宴席だったのですが、酒が進むにつれ色んな「業界の裏話」も聞けました

 

そして「今度、マシーネンの展示会があるからエッグマンさんもおいでよ!」ととまさんに強く言われました

 

とまさんは物腰は柔らかいのですが、その眼の奥に、とても「燃えた」ものを感じました

 

「展示館って・・・恥かくだけっすよ・・・」と恐縮して断ったのですが

 

「大丈夫ですって、これなら見せても評価してくれますよ!」ととまさんは言いました

 

あんまり、ひと様が「大丈夫だって!」と言って、大丈夫だった事はないんですが・・・・

 

町田で別れ帰り道「展示会展示会・・・・」という言葉が

 

 

頭の中をぐるんぐるんと 回っていいました

 

次回につづく!

 

 

 

 
 

 
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