No.966133

「ナラタージュ 下」

蓮城美月さん

ベジータ×ブルマ、未来編、シリアス長編。
ダウンロード版同人誌のサンプル(単章・全文)です。
B6判 / 194P / ¥600
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2018-09-04 22:04:30 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:853   閲覧ユーザー数:852

 

◆CONTENT◆

 

第十一章 氷雨の惨劇

第十二章 託された願い

第十三章 一縷の希望

第十四章 ひとつの結末

第十五章 サキノハカという黒い華

第十六章 拠るべき場所

第十七章 終わりの風景

第十八章 永遠の蒼

第十九章 きみの望む死に方

第二十章 終わらない明日へ

Another Heaven

 

 

第十一章 氷雨の惨劇

 

あの日から灰色の空が世界を覆う。分厚い雲が空の果てまで続き、太陽が見えない。世界に絶望を与えるために目覚めた無邪気な殺戮者。彼らがその姿を現した日から、二ヶ月が過ぎていた。

 

◇ ◇ ◇

 

手元の灰皿に、長く帯状になった灰が力なく落ちた。最初に一口吸ったきり、彼女の思考から忘れ去られたタバコはフィルターを残しただけの形となり、数分間の役割を終える。薄暗いモニタールームで彼女は頭を抱えていた。

この一ヶ月、過労を避けながら人造人間への対策を講じ、実行してきた。高圧電流、超音波など考えられるあらゆることを試したけれど、どれも彼らには効かなかった。

殺戮はだれにも止められない。すでに被害者は数十万人に達する。直接的な死者だけでなく、間接的な原因により死んだ人間を含めると、その数はもっと増えるだろう。もう自分たちになす術はないのだろうか。このまま、ただ殺される順番を待っていることしかできないのか。

今日までの間に二回、仲間たちは人造人間と交戦した。その二度とも、完膚なきまでの敗北に終わった。まだ遊びたい彼らは、とどめを刺さずにその場を去ったという。どちらの戦いでも男は超サイヤ人に変身して全力で戦ったのに、敵の力を上回ることは適わなかったらしい。

五人とも仙豆があったおかげで五体満足にいる。そうでなければ死んでいたほどの激しい戦闘だったと聞いた。この地球上で最強の男がフルパワーで挑んでも勝てないなら、他の何者にも彼らを倒すことはできない。男の強さを信じ希望を持っていた彼女には、底なし沼に足を取られたような冷たい恐怖が忍び寄っていた。このままではみんな死んでしまう。人造人間に殺される。

彼女は新しいタバコに火をつけて、モニター画面に目を向けた。そこには、先日起こった出来事が映っている。南の都が襲撃され、街の人口の三分の二が犠牲になった事件。これまで大きな都にはやって来ないだろうと安心していた人々の、安易な観測を打ちのめす結果だ。もはや地球上に安全な場所などない。どこにいても、いつ人造人間が目の前に現れるか分からないのだから。

ドクター・ゲロも、とんでもない凶器を生み出してくれたものだ。狂信に走った科学者のなれの果てが、自らが絶対的な自信を持って作り出した存在に殺されるなんて滑稽なことこの上ない。

世界的に高名な科学者の数人はキングキャッスルからの要請を受け、人造人間の分析や対抗措置を研究していると聞くが、彼女の父親であるブリーフ博士は参加していなかった。ドクター・ゲロの頭脳には及ばないと、彼らを倒す手段はないと諦めたのか、カプセルコーポレーションでの人造人間の解析からも手を引いている。父親が現在なにをやっているのか、彼女は知らなかった。

息子の面倒は見ているものの、彼女はラボとモニタールームにいることが多いため、顔を合わす機会は少ない。自分だけでも…自分だけは、最後まで諦めない。人造人間を倒すためなら、どんな手段だろうと選びはしない。彼女は白い息を吐いて、右手で机の引き出しを開けた。

普段はナンバー式ロックがかかっているそこには、大量の書類が重なっている。数々のデータ、あらゆる理論値から弾き出された構造設計、幾何学や化学式が混在する常人には解読できない書類が幾重にも。これらがどういう意味合いを持つのか、理解できるのは彼女の父親くらいだろう。

(…軽蔑、されるわね。きっと)

自分の考えているものが実現できたとして、彼女はそう思う。家族にも、仲間にも――――男からも、非難を浴びることは必至だ。人造人間を倒すために、ドクター・ゲロと同じことをすれば…。それは相当に困難なことだけれど、不可能ではないという確信がある。

だれより人造人間のことを解析し、熟知しているのは彼女だ。そこから得た情報やデータが土台として存在する。時間さえあれば、いつか彼らに匹敵するものを作り出せる。少なくとも地球上にいる人間の中では、その可能性を持つのは自分だけだと思えた。それまでにこの研究所が残存し、自身が生き残ることができたら…。感情を凍らせた瞳で、彼女は手にした書類に目を落とした。

 

「もうやめろ」

不意に背後から男の声が聞こえた。彼女は慌てて振り返る。とっさに書類を引き出しにしまう。科学者でもない人間が一見しただけで分別できるようなものではないが、精神における後ろめたさがそんな行動に走らせる。

「気配を消して人の背後に立つの、やめて」

椅子に座ったまま、男を見上げて訴えた。油断しているときに姿を現されると心臓に悪い。

「無駄なことは、もうやめろと言っている」

男は彼女の苦情などどこ吹く風で、気難しい表情を浮かべている。

「無駄なこと?」

聞き捨てならない言葉に彼女はかみついた。人造人間に対抗する措置を研究することが、無駄だというのか。そう思ったことがすべて、表情に映っている。

 

「やつらを倒すには、物理的な力以外の方法はない」

淡々とした面持ちを崩さず、男は告げた。女がどれほど優れた科学者かは理解している。現在の地球において一、二を争うほど優秀な頭脳をもってしても、人造人間の弱点や対処は見つからなかったのだ。この二ヶ月間で収集できるデータはすべて集め、情報も限りなく拾ってきた。そこから導き出される手段が効かずに終わった以上、もう女にできることはない。

「科学も万能じゃない。おまえが自分で言ったことだ」

 

彼女は大きく瞬きをする。刹那、記憶の海をダイブした。自分がいつ、そのセリフを放ったのか思い返してみる。重力室を建造する少し前に、独り言のように呟いた。どうしてこの男は、自分が憶えていないようなことを記憶しているのか。感心しながらも、彼女は思考を論点に戻す。

「まだ、他にも方法が…」

ぎこちなく自分がやろうとしていることを主張してみたが、男は歯牙にもかけなかった。

「それが無駄だと言っている。ドクター・ゲロとかいったか。そいつが十数年かけて研究して作り出したものに、付け焼刃でどうにかなると本気で考えるほど、おまえはバカじゃないだろう」

彼女は一瞬、言葉に詰まった。男は自分がなにをしようとしていたのか知っている。安直な思考回路など見抜かれていたのだろうか。それとも、戦闘経験から他人の考えを読むことに長けているからなのか。無言で反論の余地を探った。目的を悟られていた以上、下手な言い訳は無用だ。

「それでも…たとえ無理でも、なんとかしないと。黙って見ているなんてできない。人が殺されてるのよ。毎日たくさんの人が犠牲になってる。それなのに、なにもせずに手をこまねいていられるわけないじゃない!」

彼女の懸命な正論にも、男は眉ひとつ動かさない。

「あんたにとっては、どうだっていいことよね。地球人が何十万人殺されようと、関係ないことだろうけど…わたしはこんなのは嫌なの。こんなひどい世界は嫌なの。仲間が二人も殺されて、次はだれが死んでもおかしくないのに」

「死にたくないのなら、あいつらのいない宇宙にでも逃げるんだな」

冷静に告げた男に、彼女の憤りが爆発する。

「自分だけ生き残りたいわけじゃない!」

デスクチェアから立ち上がり、そこらにあった書類の束を男に叩きつけた。

「自分だけが助かって、それでどうなるの。意味ないじゃない。地球上で殺されている、たくさんの人が救われなきゃ無意味よ。宇宙に逃げたところでどこへ行くの。あてなんてない。大体、ここはわたしの生まれた星よ。みんなと出会った星よ。他に行く場所なんて、帰る場所なんてない」

何枚もの紙切れが、空を舞ってひらひらと床へ落ちていく。彼女はこの地球が好きだった。離れるなんて考えられない。この男は宇宙を駆け回っていたからひとつの星に執着はしないだろうが、彼女はそうじゃない。地球で生まれ育ち、これまで生きてきた。この星以外の場所でなど、生きていけるはずがない。ふと、どこかで聞いたことのあるフレーズが脳裏に過ぎった。

『人は地球の重力に魂を縛られて、宇宙(そら)を翔ぶことができない』

多分きっと、みんなそうなのだろう。ある意味、固定観念という名の重力に縛られている。

「地球が滅んだら、生きていたって仕方ないじゃない…」

俯きざまに彼女は呟く。言ってしまったあとでハッとした。男の顔を見るのが怖かった。この男は故郷の星を失っている。ずっと前にフリーザに滅ぼされた。それでも生きて、戦い続けてきた。彼女の感傷は男にとっては無価値であり、意味も理解できないだろう。けれど心のどこかに捨てきれない人間らしさも持ち合わせていることを、一緒にいる間に彼女は知ることとなった。

本人は決して認めようとしないけれど、自分が生まれた星に対して、心情があるのはたしかだと思う。その男の気持ちなど考えずに、軽率な言葉を発してしまった。どう取り繕えばいいのか分からず、彼女は視線を背けたまま呟く。

「わたしは逃げない。逃げたくない」

態度は逃げている姿勢で、この星からの逃避を拒んだ。今、地球から逃げるということは、この現実からも逃げるということだ。いくら先の見えない世界だからといって、それを捨て去って宇宙へなんて行けない。地球の人類すべてが殺されるのが分かっていて、自分が助かるための逃避は、彼女にはできない。プライドが許さない。

「あんたこそ…」

手のひらで顔の半分を覆いながら、言いたくない言葉が口をついて出る。

「あんたは帰ればいいじゃない。自分の意思でここに来たわけじゃないし。無理やりこんな辺境の星へ連れてこられる羽目になったんだから。宇宙に帰ればいいじゃない…」

途中から声が震えた。こんなことが言いたいわけじゃない。だけどその想いは、彼女の心に存在している感情だった。宇宙へ帰る手段はあるのだ。男が知らないだけで。今日までずっと忘れていた、宇宙船のカプセル。トランクスを産むことを決めた日、クローゼットの奥にしまいこんだ。

「……本気で言ってるのか」

低い声が問う。彼女は息を呑んだ。心臓の鼓動がうるさい。彼女は是とは言えなかった。逆に否と言うこともできなかった。

「この戦いは、あんたには関係ないでしょう。地球人じゃないんだし」

名目的な答えを盾にした。そもそも男が、なぜ当たり前のように人造人間と戦うのか。自分よりも強い存在を許さない戦闘民族サイヤ人としての誇りからか、宿敵を喪って以降、初めてまともに戦える相手とめぐりあったからなのか。地球人のためではないことだけはたしかだろう。もうひとつ思い浮かんだ考えは、彼女の頭の中で削除された。

(わたしじゃない…。わたしのためなんかじゃ、ない――――)

この男は自分などに捕まえられる男じゃない。そう考えなければ耐えられなかった。自分の存在が、男を勝ち目のない戦いへ送り出しているとは思いたくない。男にとって自分が、それほど大きな存在だと認めたくなかった。

「このままじゃ、あんただって殺されるかもしれないのに…」

かつての孫悟空がそうだったように、サイヤ人の生命力は尋常離れしている。たとえ普通の人間が死ぬようなダメージを受けても、簡単に死ぬことはない。そして深手から回復したあと、自身の強さが増すという特性を持っている。

人造人間との戦いで、二人相手なら圧倒されるとはいえ、一人を相手にしている場合には、ある程度渡り合えていたとクリリンから聞いている。この男があっさり殺されるとは思わない。だが、いつかはそんな日が来るかもしれないのだ。

男は日々人造人間を倒すため、強くなるために鍛錬しているものの、超サイヤ人になっている段階で、これ以上爆発的な進化は難しいだろう。しかも、相手は永久的にエネルギーを減らすことのない人造人間だ。サイヤ人といえども生身の人間。スタミナには限界がある。

(孫くんが生きていてくれたら…)

三年前に死んだ、昔なじみのことを思い出した。孫悟空が生きていれば、まだどうにかなったかもしれない。人造人間に力は及ばないとしても、希望はあるように思える。悟空と男が二人揃っていたとしたら、本人は嫌がるだろうけれど、二人で協力して、一人ずつなら人造人間を倒せる可能性もありえただろう。

悟空が生きてさえいれば…。たとえ死んでいても、占いババがいてくれたら、死者は一日だけこの世に帰ってこれる。それを利用して倒すことも可能だった。そのどちらもが叶わない世界が、今ここにある現実なのだ。

 

「あんなガラクタどもに負けたまま、このオレが引き下がれるか。どれほど優れた科学力で作り出されたものだろうと、所詮カラクリ人形だ。人間の力で倒せないはずはない。宇宙一のサイヤ人の誇りにかけてぶっ壊してやる」

揺るがない決意を語ると、女は俯いたまま沈黙する。なにを考えているのかは想像がついた。だから自分のために戦うのだと、己のプライドのためだと強調してみせる。心のどこかに、そういう気持ちがないとは言えない。先日、人造人間と遭遇したときのやり取りを思い出した。

 

◇ ◇ ◇

 

「ドクター・ゲロはおまえたちが殺したんだろう。それなのに、そいつの命令に従って世界を破壊するのはどうしてだ」

ピッコロの問いに、十七号という男の人造人間は愉悦を浮かべる。

「これほどの強さを持っているんだから、目的がないとつまらないだろう。ドクター・ゲロの言いなりになっているつもりはない。オレたちは、オレたちのやりたいようにやっているだけさ」

十八号という女の人造人間も、同様に冷笑する。

「わたしたちは、人を勝手に改造したドクター・ゲロなんて大嫌いだったんだ。だれが、あんなやつの命令に従うもんか」

ロボットでも、創造主に忠実なタイプではないらしい。

「そうだな。世界中の人間を殺すより前に、科学者を一掃するか。オレたちは科学者という人種が憎くてたまらないんだ。人をモルモットと思っている連中など生きる価値もない。…そういえば、おまえたちの仲間にも科学者がいたな。たしか、カプセルコーポレーションの娘だったか」

冷酷な瞳がきらめく。人造人間は女のことまで知っていた。戦士である仲間たちのことならまだしも、一般人である女のことまで。だが、やつらの目的だった孫悟空とは最も長い付き合いだ。孫悟空に関連する情報として、インプットされているのも当然だ。

 

◇ ◇ ◇

 

「ガキを連れてどこかに逃げろ。いずれはここにも人造人間がやってくる」

脳内での回顧を断ち切り、男は感情を平らにして言う。人造人間に狙われていることを知れば、逆にここから動かないこともあり得る。

「いつかはやってくるでしょうね。でも、まだここを離れる気はないわ。これだけ設備が整った研究施設は他にないもの。人造人間に対する術がゼロじゃない限り、研究はやめない。…諦めない」

男の心の内など露知らず、女は忠告を受け容れない。

「それに、西の都はまだ大丈夫よ」

「なぜそう言える?」

根拠もないことを言う女ではない。男は訝しそうに訊ねた。

「ここが世界最大の都だから。最も発展し人口も多い。彼らにとってはメインディッシュ。一番楽しめる場所じゃない。そのお楽しみを簡単に壊したりしない。まだ他の都が残ってる。ああいう幼児性のある人間は、好きなものを最後までとっておくものよ。だからまだ、ここは大丈夫」

女の論理に一理はある。だが、人造人間は気まぐれでもあるのだ。その道理が常に通用するとは限らない。けれど女の意思は固く、懐柔策は見当たらなかった。

 

 

男との会話に区切りがついた頃、悟飯とクリリンがやってきた。彼らは先日預けたレーダーを使ってドラゴンボールを捜索している。昨日と今日で一個ずつ見つけたのだと、クリリンがボールを差し出した。先週に捜し出した二個をあわせると、これで四個のボールが揃ったことになる。

「わざわざ持ってくることないのに」

「オレたちは、いつどうなるか分からないから…」

濁った表情の答えに、彼女は返す言葉がない。戦闘に出ない自分は、現時点で仲間たちより安全に近いのは事実だ。複雑な心境でドラゴンボールを受け取る。

待つことしかできない人間は、相手が無事に帰ってくるまで、不安に押し潰されそうになりながら、祈りを捧げることしかできない。一秒が長く感じて、置き去りにされる恐怖に耐えなければいけないのだ。もちろん、戦っている当事者のほうが苦しいのは分かっている。死ぬかもしれない怯えに負けないように、己とも戦いながら…。明日を生き抜くために戦うのだ。

それでも彼女はまだ、科学者として人造人間と戦うことができる。目に見えない戦力になれる。けれど戦う術を持たない者は、ただ待っているしかない。

「そういえば、悟飯くん。チチさんはどうしてるの?」

ふと、少年の母親のことを思い出した。悟飯は人造人間が現れて以降、彼らと戦ったり襲われた人々を助けたりして、クリリンたちと四方を飛び回っている。

「一人であの家にいるのは心配じゃない?」

そう言いながら、彼女の頭にはある可能性が浮かんできた。孫悟空を倒すために作られた人造人間には、仲間のデータがインプットされていた。名前から戦い方まで。ドクター・ゲロの製作したスパイロボットが、レッドリボン軍を壊滅させたあとの孫悟空の戦いを監視していたそうだ。

それなら孫悟空の自宅の場所も、もしかしてデータに入っているのでは。今さらながらそのことに気づいた彼女は、不吉な予感を覚える。

「おかあさんは、自分のことは気にしなくていいから行ってきなさいって。三年前におとうさんが死んだときは、毎日泣いてばかりだったんですけど、ボクが強くなるために修行を始めてからは、少しずつ元気になっていって…。人造人間と戦うことも、ボクが戦いたいって話す前に許してくれたんです。おとうさんが守ってきた地球を、あんなやつらに壊されちゃいけないって」

「そうか。チチさんも変わったんだな、悟空が死んでから」

クリリンは神妙な表情で呟く。息子には勉強が一番大事だと常に主張してきた教育ママが、そんなことを言うようになったなんて。悟空に先立たれたことが、それだけ影響しているのだろう。

「でも、牛魔王のところに行っていたほうが安心じゃない?」

「おとうさんのお墓を守らなきゃいけないから、家を離れるつもりはないそうです。それに、おじいちゃんがたまに様子を見に来てくれているから大丈夫ですよ」

さりげなさを装った彼女の提案に、悟飯はまっすぐな瞳で答えた。

「ブルマさんこそ、避難したほうがよくないですか」

「えっ?」

危惧するような眼差しを受け、彼女は首を傾げる。その反応に、悟飯はベジータを振り返った。

「だって――――」

クリリンが話そうとしたとき、けたたましい警報音が室内に響き渡る。

「な、なんだ。これ!」

「偵察カメラが人造人間を発見したの。その警報よ。しかもこれ…レッドアラート。場所は…!」

偵察カメラは、世界の都と他にいくつかの場所を飛行していた。人造人間の目的を知ってから、念のために気を配っていた場所が。状況や危険度に合わせて、イエロー、レッドと警報の種類を変えてある。一番危険度の高いレッドアラートが鳴っているということは…。

彼女の手が迅速にコンソールを叩いた。目の前のモニターに、世界地図と映像が表示される。地図上の赤い点に人造人間がいる。横に映った映像には二人の姿があった。それがどこであるかを認識できた途端、背筋に冷たいものが走る。

「――――悟飯くん!」

血相を変えて彼女が叫ぶと、悟飯がモニターの地図に見入った。少年の表情が凍りつく。反射的に開いたままの窓へ駆け寄った。ガラスにひびが入るほどの気を発しながら、凄まじい速度で東の空へ飛んでいく。その急変を唖然と見送っていたクリリンも、モニターに映った景色が見覚えのある場所だと気づくと、険しい顔をして悟飯のあとを追った。

「……ねえ。ここから悟飯くんの家まで、全速力でどれくらいかかるの?」

震える手をおさえながら、彼女は男に訊いた。

「あのガキなら十五分…いや、十分か」

表情を変えずに答えた男は、二人が飛び去った窓へと足をかけた。

「おまえは来るな」

一度挙動を止め、振り返らないまま釘を刺す。そしてひびの入ったガラスを数枚割るほどの勢いで、男も東へと向かった。彼女は三人が飛び去った窓から、その方向を不安な眼差しで見つめる。

お願い、どうか間に合って。祈るように両手を合わせた。モニター画面の地図には、赤い光が点灯し続けている。黒い雷雲がたちこめる、東の空は暗かった。

 

 

激しい雨が男の全身を濡らしていた。真っ暗な空からは稲光と轟音、雷鳴が轟く。人造人間が去ったあと、男は追うこともできずに佇んでいた。左腕が完全に折れている。飛ぶ力などどこにも残っていなかった。追ったところでどうしようもない。舌打ちしながら血に汚れた口元を拭う。

あちこち身体にダメージを受けて、立っているのがやっとだ。我ながら情けないと思いながら、周囲を見渡した。ピッコロが立ち上がろうとしている。クリリンは寝転んだまま懐を探っていた。仙豆を探しているのだろう。男はふらつく足取りでそちらへ近寄る。

片方の肩は脱臼し、反対側の手は踏み潰されて骨が粉々の状態のクリリン。四苦八苦してようやく掴んだ麻袋を、男は取り上げて中身を探った。「あっ」と呟く相手の口に一粒放り込み、もう一粒は自分の口に運ぶ。予想外の男の行動に驚きつつも、クリリンは仙豆を飲み込んだ。

「サンキュー、ベジータ」

回復したところで礼を言うのを聞き流し、男は無言で麻袋を返す。クリリンは意識のあるピッコロへと近づき、仙豆を手渡した。傷が治ったところで、その重い空気が晴れるわけでもない。けれど、自分たちは生きている。生きている限りは生きなければならない。ピッコロが立ち上がると、クリリンは麻袋をひっくり返す。出てきたのは一粒だけ。困った様子でピッコロを仰ぎ見た。

地面に降り注いでは弾かれるような、雨脚の強さに身体は冷たい。だが、現在の一同の心は気温よりも低い。ピッコロは倒れている仲間の一人のもとへ行き、その首筋に触れた。脈はなかった。沈痛な表情で首を横に振る。それを見たクリリンがうなだれた。

すでに天津飯は息絶えている。仙豆は意味を成さない。この場に倒れている仲間はあと二人。ピッコロとクリリンはそれぞれに駆け寄った。悟飯は気絶しているものの生きている。弟子の生存を確認してほっとするピッコロ。もう一人、戦闘中に乱入してきた戦士にクリリンは声をかけた。

「おい、ヤジロベー。大丈夫か?」

折れた剣が雨粒に濡れて光っている。仰向けの状態で動かないが呼吸はあった。だが虫の息だ。早く仙豆を食べさせないと助からない。悟飯もかなりの重傷だが、仙豆は一粒しか残ってない。どちらに食べさせるか、ピッコロとクリリンは判断に迷った。

その様子を黙って眺めていた男は、ある気配を感じて視線を空へ向ける。心の中で舌打ちした。来るなと言ったのに。しかし、そう言って素直に聞く女じゃない。今度からは、移動手段を持たさないようにしておくべきだと思った。

 

彼女がいてもたってもいられず、ジェットフライヤーでやってきたときには、すべては終わっていた。この場に人造人間の姿はなかった。立っている仲間が三人。男とピッコロとクリリン。着陸してその場に降りると、一瞬にして服が肌に貼りつく。雹混じりの雨が、暗い空から堕ちていた。例年より長い梅雨はいまだに明けない。冷たい雨が降り続いて、一向に晴れ間が見えない。

男がなにか言いたそうな顔でこちらを見ていた。でもなにを言っても無駄だと思ったのか、表情を消してそっぽを向く。三人とも仙豆で回復したのだろう。ピッコロとクリリンの傍らに、それぞれ悟飯とヤジロベーが倒れていた。向こうに天津飯の姿も見えたが、生気は感じられない。

 

「…オレは、いい。持ってる、から…それ、悟飯に……」

身体を支えているヤジロベーから途切れがちの声が聞こえる。それを聞いたクリリンは、手中の仙豆をピッコロへ投げた。受け取るとすぐさま弟子の口へ豆を放り込む。意識がない状態の人間に食べさせるのは至難だが、押し込んで食べさせた。気管を通過したあと、悟飯は目を開ける。

「悟飯。気がついたか?」

ピッコロが安堵の息をもらした。悟飯はまだ混乱しているのか、ぼんやりしている。

「おい、ヤジロベー。どこにあるんだよ」

対照的に、クリリンの声は切羽詰まっていた。血にまみれた懐を探りながら、虚ろな目のヤジロベーに問いかける。

「おまえ、仙豆持ってるんだろ。どこに入れてるんだ。早くしないと…!」

「――――…い、んだ」

必死なクリリンに向かって、余力のない声色で告げた。

「もう、仙豆…ない、だ…」

残りのすべての力を振り絞り、ヤジロベーが口を動かす。

「……え?」

「わりい、な…。オレ、むかし…バクバク、食べ、ちまって…よ。あり、が、たみ、知ら、なか…た。こん、なこと…なる、なんて……」

切れ切れの言葉を紡ぎ、ヤジロベーは苦笑いを浮かべていた。状況を察したピッコロと悟飯は、それを遠巻きに見ていることしかできなかった。

「ヤジロベー。おまえ……」

クリリンが悲痛に顔を歪める。寸刻ののち、ヤジロベーは事切れた。

 

◇ ◇ ◇

 

後日、事の経緯を説明に行ったクリリンはカリン様からすべてを聞いた。ヤジロベーの言い残したことは事実だった。仙豆はもう一粒も残っていない。あの日、ヤジロベーが持参したもので最後だったのだと。仙豆の木は一年ほど前から枯れ始め、三ヶ月前には一本残らず枯れてしまった。

それを知ったヤジロベーは、形相を変えて飛び出していったという。人造人間と戦う仲間の気を感じて、「やっぱりオレがいないと」と戦場へ向かったらしい。ずっと昔に、ヤジロベーは仙豆を食事代わりに毎日食べていたから、そのことを気に病んで責任を感じたのだろう。

「あいつ、そんな殊勝なやつだったかな…」

話を終えたクリリンは、俯いて肩を震わせた。

 

◇ ◇ ◇

 

「…おかあ、さん?」

天地を切り裂く稲妻に、悟飯は我に返る。一帯を見渡すと、そこに少年の家はなかった。破壊された瓦礫の山が鎮座しているのみ。行ってきますと挨拶をして出てきた風景はどこにもない。

先刻、この光景とその場にいた人造人間を見た瞬間、理性が途切れた。少年に戦闘中の記憶は残っていない。ただ怒りのままに暴れた感覚だけ。外壁や家具の破片が混在する中、悟飯はふわふわした足取りで進む。家の奥に大きな瓦礫の山があった。よく見ると、祖父の巨体が埋もれている。

「おじいちゃん…」

生きている気配は感じられない。彼女を含め、だれも悟飯を止められなかった。祖父のいるほうへ歩いていると、瓦礫から赤い水が流れているのに気づく。雷雨は遠ざかる気配もない。厚い雲が太陽の邪魔をしている。悟飯は足元の赤い水の流れを見下ろした。それをたどる。細い腕がこちらに手を伸ばしていた。見慣れた腕輪がその主を示している。

「……お、かあ…さん…?」

雨に流れる赤い色は、少年の母親の血の色だった。赤い血がとめどもなく、雨に打たれて流れていく。少年は崩れるように膝をついた。震える手で瓦礫をかき分ける。

こらえるように歯を食いしばる表情の先に、冷酷な現実が沈んでいた。必死で家の破片を退けていくと、まず髪の毛が見え、身体が見えてくる。深く閉ざされた瞳は、二度と開くことはない。母親の身体から、ぬくもりは消えていた。

「おかあさん…」

悟飯は母に呼びかける。優しく応えてくれた声は返ってこない。それでも、自分の名を呼ぶことのない母親を呼び続ける。繰り返し、何度も。容赦ない強雨が少年の心を打ちのめした。

気をつけるようにと言って送り出してくれた、母の姿がよみがえる。決して平気だったわけじゃないと知っていた。自分のことを気にしなくていいと、それが本音ではないことを少年は知りながら、母親の優しさに甘えた。戦う意志を削がないように支えてくれていたのだ。本当は自分を戦わせたくなどなかったのに、止めないでくれた。

「悟飯ちゃんはあの孫悟空の息子なんだから、人造人間なんてコテンパンだ」

つらいのに、不安だったのに、そうやって励ましながら見送ってくれた母。父が亡くなって、その上自分まで戦いで死んだら一人になってしまうのに、その恐怖をおくびにも出さず。

どうして自分は母を助けられなかったのだろう。自分がもっと強ければ、人造人間よりも強ければ、こんなことにはならなかったのに。大事な母親を、殺されることなんてなかったのに。

「――――――っ!!」

声にならない叫びを上げる。無情に雨を降らし続ける空に向かって。流す涙は、雨と共に頬を絶え間なく流れ落ちた。号泣する少年に、どんな慰めがあるというのだろう。だれも声をかけることもできない、身動きひとつとれずに。

 

やがて悟飯は己の拳を地面に叩きつけた。自分の非力さが許せないのだろう。何度も瓦礫混じりの大地に感情をぶつける。手の甲が赤くにじむが、それでも少年は振り上げる腕を止めない。その痛々しさに、彼女は悟飯に歩み寄る。叩きつけた拳から破片が飛び散った。そんなことなど気にも留めず、彼女は少年の腕を掴む。

「悟飯くん…」

これ以上、自分を傷つけさせてはいけない。もうこんなに傷ついているのに。悟飯は挙動を止めた。まっすぐに彼女を見つめている。不意に、大きな涙が雨で濡れた頬に流れる。

堰を切ったようにあふれ出た感情。哀しみが爆発した。その叫びが、心に痛い。彼女は時折涙にむせぶ悟飯を抱きしめて、胸に包み込んだ。そうしてあげること以外、なにもできなかった。世界を閉ざすような氷雨が、明日をも奪っていく。

 

「他所のガキの面倒を見ている場合か?」

亡くなった四人をみんなで埋葬したあと、男が無表情に言った。悟飯は母親の墓の前から一歩も動かない。ピッコロとクリリンが距離を置いて見守る。離れた場所から傍観していた男は、いつの間にか彼女の隣へやってきていた。

「トランクスのことは頼んできたわよ。一応どこかに避難して、と言ったけど」

家族を亡くした少年を目の当たりにして、自分の家族が無事なのは複雑な心境だ。だが、無事でいられるのは今日だけかもしれない。この世界の現実では、明日の確証がないのだから。それにしても、彼女は男が息子の安否を問いかけたことに驚いた。

「心配は、してくれたわけね」

「西には向かわなかったから、まだ帰る家はあるだろう」

訊いたことには答えず、人造人間が去った方向へ顔を向ける男。それを聞いてほっとした彼女だが、男が視線を向けている方角が気になった。

「…南に行ったの?」

強張った表情に、男はすぐには答えない。

「南にはなにがある?」

「……ここから南に進んだ海の上に、カメハウスが…」

冷え切った身体から血の気が引いていく。この悪い予感が外れてくれることを彼女は願った。

 

しかし、雨がやんだ頃にたどり着いたカメハウスは見る影もなく。人造人間に強襲されたあとだった。亀仙人とウミガメは波打ち際で冷たくなっていた。クリリンが師の亡骸に頭を下げる。

彼女は弟子の痛哭を見つめながら、迫ってくる危機を実感した。連続して孫悟空に関連する場所が襲われたということは、カプセルコーポレーションも時間の問題だ。人造人間のデータには、自分の情報もインプットされているはずだから。当然、ターゲットに入っている。覚悟はしておかなければならない。ひとつの決意を固めた彼女は、薄暗さに覆われた明日を見つめていた。

 

 

第十三章 一縷の希望

 

彼女が西の都を離れてから、二週間が経過していた。険しい山岳地帯に囲まれた洞窟の、内部に建てられたカプセルハウス。あの日強制的に連れ去られた彼女は、ここでの潜伏生活を余儀なくされている。男たちのように自由に空を飛べる身ではない以上、おとなしくしているしかない。

たまに外の空気を吸いに表へ出るものの、見える景色は彼女の気力を削ぐばかりだ。見渡しても深く入り組んだ山しか見えない。普通の人間が足を踏み入れれば遭難死すること確実だろう。よくも、こんな場所へ連れてきてくれたものだ。父親の頼みとはいえ、拉致の真似事をした男に腹立たしさも覚える。おかげで彼女はろくに外へも出られず、ハウス内で過ごすだけの日々だ。

限られた空間で息子の世話をするだけの毎日。しかし、代わり映えしない日々に耐えられる彼女ではない。身近にあったものをかき集め、簡易ラジオを作った。ほとんどの電波は届かないが、ひとつだけ聴取できる周波数があったため、そこから外部の情報を入手する。

ここしばらく、人造人間は目立った活動をしていないらしい。中の都であれだけ大暴れをしたから、満足したのだろう。近頃は田舎の小さな村で数件の目撃情報があった。西の都と北の都はまだ襲われていないようだ。時折、偵察カメラで状況を確認するも、ふたつの都は変わらない景色を映し出していた。

 

夕方になって、クリリンが帰ってきた。入れ替わりに悟飯が修行へ向かう。周辺の起伏の激しい地形を利用して鍛錬に励むらしい。常にどちらかは、必ずこの場にいることになっていた。それは万が一を警戒してのことと、彼女の監視も兼ねて。移動手段がないにも関わらず、男から信用されていない。目を離すと姿をくらますと思っている。彼女もその行動制限をなんとなく感じていた。

悟飯が戻ってくると夕食の時間。母親から渡されていた食糧もかなり減った。それでもカプセルの保存食があるので、今のところ食べ物の心配はいらない。トランクスには哺乳瓶のミルクを与えながら三人で食卓を囲んでいると、彼女には懐かしい記憶が浮かんでくる。

「なんだかナメック星を思い出すわね」

ナメック星に到着したとき、最初に過ごした隠れ家もこんな洞窟の中だった。カプセルハウスを建てて、あちこち飛び回る二人に置き去りにされ、彼女はずっと一人で待っていたのだ。

「そういえば。オレと悟飯とブルマさんと」

「なつかしいな。あれから何年たったのか」

彼女の言葉にクリリンと悟飯も当時を回想する。

「あのときも、わたしは一人で留守番してたのよね」

「でも今は、トランクスが一緒じゃないですか」

「そうだけど、まだ喋ることもできない赤ん坊よ」

一人きりでいるより孤独は感じないが、会話は成立しない。

「違うことといえば、もうひとつありますよ」

悟飯が思いついたように口を開いた。

「あのときは敵だったけど、今のベジータさんは味方じゃないですか」

戦闘経験の豊富さや状況判断などの面において、男の存在は二人にとって心強かった。

「ああ、そうだな」

同意してクリリンは頷く。その当の本人はといえば修行に出ていることが多く、彼女とはあまり顔を合わせない。人造人間に対抗するため、寸暇を惜しんで強くなろうと努力している。だけど、それだけではないことは察していた。意図的に二人きりになるのを避けているのが分かる。その理由も想像がついたので、彼女は心の中でため息をもらした。

 

 

「なにをしている?」

満天の星が浮かぶ漆黒の空から降り立った男は、そこにいた女に声をかける。洞窟の入り口で膝を抱え、小岩に座り込んでいた。赤ん坊はハウスの中で二人が世話をしているのだろう。

「星を見てるのよ」

戦闘服の埃を払いながら、男は不愉快そうな顔をする。あいつらは本当に能無しだ。女の行動をろくに制限できず、口止めしたことをあっさり喋り、秘匿すべきものを簡単に渡す。なんて役に立たないやつらだ。二人に対し、男は呆れを通り越した気分だった。女に対して甘すぎる。特にクリリンは付き合いの長さから下手に出るのが当然のため、彼女に逆らうことなどできない。

「人工の光が届かないところにいると、こんなに綺麗に見えるのね」

かつて暮らしていた西の都では、ここまでたくさんの星は見えなかった。大都会においては真夜中でもイルミネーションが輝いているため、小さな星の瞬きなどかき消されてしまうのだ。

「……言いたいことがあるなら、さっさと言え」

女がここにいた理由はお見通しだ。星を見るためではない。男は顔を背けた状態で話を促す。

「わたしはあんたのこと、怒ったり恨んだりしてないから。とうさんとかあさんのことは気にしなくていいわよ。とうさんは分かっていてそうしたんだし、悪いのは人造人間だから…」

それだけ言うと、彼女は立ち上がった。

「言いたかったのはそれだけよ」

男の反応も待たず、洞窟の中へと歩き出す。だが、ふと思い出したことがあって足を止めた。

「それと、悟飯くんとクリリンくんを自由にしてあげて。いつも交代で見張り役をやらせてるの、気の毒じゃない。一般人のわたしが、こんな場所から逃げ出せるはずないでしょう」

背中を向けたまま言い終えると、彼女はカプセルハウスに戻った。男は少し考えたのち、変わらない表情で歩を進める。そしていつもどおり、黙々と用意された食事にありついた。

 

 

翌日、男は朝食を食べるなりどこかへ修錬に出かけた。これほど修行に没頭する男は久しぶりに見る。それだけ、人造人間との力の差を実感しているということだろう。クリリンと悟飯は、今日の行動を話し合っている。

「わたしのことなら気にしなくていいから、二人で修行に行っていいわよ」

「でも…」

一人で修行するより相手がいたほうが効率的だ。彼女の提案に、悟飯はクリリンを仰ぎ見た。

「この退屈な生活にも大分慣れたし、トランクスがいれば一人じゃないし。あんたたちが帰ってくるまで、おとなしく家の中で待ってるから大丈夫よ」

「そ、そうですか?」

クリリンはしばし考え込んで、悟飯と顔を見合わせた。この洞窟は、上空からは発見されにくい角度にある。簡単に見つかることはない。

「それならボク、ピッコロさんの様子を見に行きたいんですが…」

ピッコロは神様と会って以降、一人で厳しい修行に励んでいる。強くなり自力で人造人間を倒せれば、神との融合を避けられる。ろくに姿を見せない師匠を、悟飯は気がかりに思っていた。

「そうか、そうだな。こっちの状況も伝えておきたいし……行くか。ええと。ブルマさん、本当に一人で平気ですか?」

「わたしにはトランクスがいるのよ。大丈夫」

彼女がトランクスを目の前に掲げながら答える。クリリンと悟飯は若干逡巡したものの、最後にはその言葉を信用し、ピッコロが修行している方向へ飛んでいった。

 

トランクスが眠りにつくと彼女は一息つく。息子以外、近くに人の気配がしない。こんな静けさは久しぶりだった。ここに避難して以降、先のことを考える余裕はなかったが、今ならじっくりと思惟に浸れそうだ。これからどうするのか、自分たちはどうすればいいのか。

まだ西の都には戻れない。人造人間の襲撃があるまでは。カプセルコーポレーションに戻ったところで、できることはなにもない。これまでに収集したデータはすべて父に預けたから、中の都の壊滅と同時に、それらはこの世から消え去ってしまっている。彼女には、人造人間に対してなす術がないのだ。たとえ、北の都にドクター・ゲロの研究所があることが分かっていても、そこになにか重要な手がかりでも残っていない限り。

「……手がかり?」

ふと自問自答に顔を上げる。そうだ、設計図。人造人間の設計図が残っていれば…。あれだけのパワーや能力なら、組織設計は容易くない。センサーやレーダーでの分析からも、複雑な構造だと推測されていた。設計図もなしに完成させられるものじゃない。それに科学者なら、自分の作品の設計図は大事に保管してあるはず。人によっては金庫にしまうこともあるほど貴重なものだ。

彼女自身は、あまり設計図を書き残していない。すべての設計図は、彼女の頭の中に記憶されている。だから盲点だった。自分の人生のすべてを賭けて作り上げた人造人間の設計図を、ドクター・ゲロが残していないはずはない。必ずどこかにある。研究所のどこかに必ずある。

そうとなれば、じっとしていられなかった。あまり時間的な猶予はない。人造人間は気まぐれでもある。研究所近辺には近づかないと思うが、それは彼らの気分次第だ。

それにラジオで気になる情報も耳にした。周辺で人造人間が目撃されていないことから、北の都は安全だというデマが飛び、逃げ込んでくる人々が増えているという。人造人間がそれを知れば、間違いなく避難民を追って北の都を襲うはずだ。

なんとしても、北の都が襲撃される前にゲロの研究所へ行きたい。現時点でその場所が破壊されていないという保障はないけれど、絶望的な世界を打破する可能性がわずかにでもあるのなら…。そして、それが今度こそ自分にできる、自分にしかできないことならば――――。

動くなら今しかない。彼女は立ち上がる。用意していた飛行機とエアカーのカプセルは、男に抜き取られている。どのみち、起伏の激しいこの場所でその二機は使えなかった。

(いざというときのことを考えておいて正解だったわね)

胸元から服に手を差し入れ、右の谷間からあるものを取り出した。こんなこともあろうかと、下着に細工をしてカプセルを隠す場所を作っておいたのだ。ここなら服の上からは分からない。あの日、部屋に戻った際に仕込んでおいた。さすがの男も意識のない女の胸を触ることはない。最中は遠慮などまるでないが、平常時にそんな真似はしない。性分なのだろう。

カプセルのボタンを固定していたストッパーを外す。振り向けば、息子は上機嫌で眠っていた。安全を優先するなら置いていくべきだが、赤ん坊を放っておくわけにもいかない。迷った挙句、彼女はトランクスを抱き上げる。人造人間に遭遇しなければ、行程に危険はない。

洞窟の出口は狭いが、フライヤーを戻すだけの空間はあった。カプセルのボタンを押し、空中へ放り投げる。大きな音が響いて、スマートなデザインのジェットフライヤーが姿を現した。速度と機能を追求したため、操縦が難しく実用化できなかったモデル。現時点では世界一の高速を誇る。北の都なら三十分で着くはずだ。人造人間に発見された場合、逃げ切れはしないけれど。

 

フライヤーに乗り込んだ彼女は、息子を膝に乗せて操縦桿を握る。浮上したあと、機首を目的地へ向けた。研究所が残っているかは賭けだが、それが最後の希望であるのは間違いない。現在この地球上で科学者と名乗れるような人間は、自分くらいしかいない。だから、これは自分がやるべきことだと思った。優秀な科学者たちが中の都と共に消滅した以上、自分にしかできない。

時間があるなら、人造人間に対しての策はなくもない。物理的な形でのデータは消え去ったとはいえ、彼女の脳には同じものが存在する。施設があれば、彼らに対抗し得るほどの物質を製造することも可能だ。突き詰めて研究すればできると言えるほどに自負は持っている。

けれど、それは同時に人の敗北を意味するのだ。彼らと同じような人造人間を作れば、人間が科学に屈したまぎれもない証明。人の可能性を捨ててしまうことには迷いがあった。その上、彼女が開発に費やす期間も犠牲が発生する。一日ごとに数え切れない人間が殺される。

今この瞬間にも起こっている殺戮を止めるために、彼女は行動を選んだ。最も有効な手段はドクター・ゲロの研究所に行き、彼らの設計図もしくは関連資料を入手すること。どうにかして人造人間を停止、破壊できる方法を探すことだ。彼女が北へ向けて、フライヤーの速度を上げる。そのとき、ラジオから人造人間情報が流れてきた。

 

ピッコロと合流した悟飯とクリリンが戻ってくると、二人の姿は忽然と消えていた。

「どこにもいないですよ、クリリンさん」

上空から確認した悟飯が、着地しながら報告する。

「移動手段は持ってないはずなのに…一体どこへ行ったんだ?」

クリリンが洞窟内を隅々まで探した。彼女にこの深い山は越えられない。それなのに、どこへ消えてしまったのだろう。人造人間の襲撃なら痕跡が残るだろうが、その気配もない。

「どうしましょう」

「これはまずいぞ」

悟飯とクリリンの動揺に、やってきたピッコロは状況が掴めない。

「おまえたち、どういうことか説明しろ」

「あの、実は…」

「ブルマさんとトランクスがいなくなっちゃったんですよ!」

しどろもどろな悟飯に、慌てふためくクリリンが代弁した。もしも、このことがベジータにばれたらどうなることか。最悪の事態を想像し冷や汗が流れる。

「――――オレにも説明してもらおうか」

不意に邪悪さが漂う低い声が降ってきた。クリリンと悟飯は身体を硬直させる。平常心を失っていたため、男の接近を察知できなかった。真上へ顔を向けると、険しい表情の男が浮いていた。

 

「べ、ベジータ…」

鋭い眼光のまま地面に降りた男は、役立たずの見張り役を一瞥する。今日は普段より近い場所で修行していたが、悟飯とクリリンが揃って動く気配を察知して、気になって戻ればこの始末。雁首揃えて言い訳を並べ立てるが、それを無視して地面を見下ろした。フライヤー特有の、上昇気流が発生した痕跡が残っている。男は苦々しく舌打ちした。

「あのバカ女、やっぱり隠してやがったな」

悟られない場所にジェットフライヤーのカプセルを隠し持っていたらしい。女との昨夜の会話が男の脳裏を過ぎる。なにが「逃げ出せるはずない」だ。どの口がそんなでたらめを抜かす。女への腹立ちは収まらないが、それどころじゃない。見つけて捕まえるほうが先だ。

「ブルマさん、どこへ行ったんだろう?」

男の視線から悟飯たちも脱出手段に気づいたけれど、行き先までは分からない。

「まさか、西の都に戻ったのか?」

クリリンが心配する隣で、悟飯はなにか思い出したようだ。

「……北の都かもしれません。あのカメラシステムで、北の都をよく見ていたんです。かなり気にしているみたいだったから」

「西の都と北の都じゃ距離があるぞ。追うにしても、どちらか絞らないと」

混乱する二人が右往左往する。それを尻目に、男は精神を集中させた。

「少し黙ってろ」

方向さえ絞れば、女の微弱な気でも捕捉は可能だ。男が一番よく知っている、当たり前のように馴染んだ気配。刹那の追跡を経て、女よりも先に息子の気配が引っかかった。まだ生後九ヶ月ほどの赤ん坊だが、泣いたときや暴れたときは強い気を発している。サイヤ人の血を色濃く継いでいるらしい。トランクスがいるなら、女も同じ場所にいるということだ。

「こっちか」

男は呟いたと同時に、その方向へ飛び立つ。まったく手のかかる女だ。内心でぼやいていると、もうひとつの気配が感知された。多数の人間が殺されている。人造人間が街を襲っているのだ。女はまさに、そこへ接近している。どこまでバカな女なんだ、あれは。後ろからやってくるクリリンたちに一言もなく金色のオーラをまとうと、男は一気に西の方向へ急いだ。

 

 

彼女がたどり着いたとき、見慣れた街はどこにもなかった。生まれ育った西の都は変わり果てた景色になっていた。世界最大の都として栄えていた姿は見る影もない。あらゆる建物は破壊されて瓦礫の山と化し、あちこちで人が倒れている。エンジンに引火した車からは黒い煙が上がり、灰色の空へ溶けた。上空から一巡して被害を確認すると、彼女は自宅へと操縦桿を動かす。

人造人間はもうここから去ったのだろうか。新しく建物が壊される音はしない。周囲を警戒しながら、庭にフライヤーを着陸させた。カプセルコーポレーションの半円形の建物には、巨大な穴が開いている。おそらく施設のほとんどは破壊された。瓦礫やガラスの破片が散らばっている。

彼女はトランクスを抱いて建物へ歩み寄った。針路を西に変えた途端、激しく泣き暴れた息子は現在沈黙している。かつての自宅を鋭い瞳で凝視した。これだけ壊されれば主電源は落ちている。すべての電気回路は通じない。エントランスのドアも開かないだろう。どうしたものかと、その場で考え込んだ。家の中の様子は確認しておきたい。埃っぽい空気が漂っている。

ふと、家の中から物音がした。彼女が顔を上げると同時に外壁が吹き飛ぶ。粉塵が一帯の視界を覆い、崩れた壁の向こうから二人の人間が姿を見せた。現れた相手に、彼女は全身が冷たくなっていくのを感じる。造作は完全に記憶していた。ずっとモニター越しに観察していた顔だ。

――――人造人間。この二人が、世界を破壊している殺戮者。

彼女はトランクスを抱きしめた。状況に反比例して平穏な自分の精神状態を怪訝に思う。これがとんでもない危機だと認識できないのか、それとも死は覚悟の諦念か。人造人間は男が十七号、女が十八号という名称を付けられている。二人は彼女の存在に気づき、氷のような瞳を向けた。

「わざわざ殺されに戻ってきたのか」

十七号が口を開く。彼らとの距離は十メートル以上あるが、今さら逃げられない。逃げても逃げ切れる相手ではないことは、彼女が一番知っていた。それまでに見てきた彼らの行動から。

「おとなしくどこかに隠れていたら、死なずに済んだのにね」

十八号が髪を耳にかけながら、冷ややかな笑みを浮かべる。

「おまえがカプセルコーポレーションの娘だな。孫悟空の仲間の」

やはり彼女の情報もインプットされていたらしい。他にだれもいない、自分たちの生命は風前の灯だというのに、恐怖は湧いてこなかった。目の前の二人が仲間を、両親を殺したのかと漠然と感じ、絶対的な悪は甘美であるという、いつか読んだ小説のフレーズを思い出していた。

「そうよ。ここはわたしの家。よくも好き勝手に暴れてくれたわね」

「オレたちは科学者をこの世から抹殺すると決めてるんだ。おまえも科学者の端くれだろう。……ああ、そうか。あの偵察カメラを作ったのはおまえだな。科学者どもを一掃したのにまだ稼動していたから、おかしいと思っていたんだ」

 

彼女が怯む様子を一切感じさせないことに、十七号は愉悦を覚える。自分たちを見ればだれもが逃げ出すのに、この女は強い瞳で反抗の意思を示しているのだ。孫悟空の仲間とあって、並みの女ではないということか。だが科学者と名のつく者は殺す。この地球上から一人残らず。

「無駄な労力を費やして、ご苦労なことだ」

女が有能な科学者だとしても、自分たちを脅かすことはない。完璧な人造人間として作られた己には、弱点も欠陥もありはしない。そして女をここで殺せば、すべて無駄に終わる。

「安心しろ。ガキと一緒に殺してやるさ」

 

殺気を露にした十七号に対し、彼女は立ち尽くしたまま動かない。動けない。腕の中のトランクスが、代わりに抵抗するように声を上げた。うなり声を発しながら、眼光鋭く彼らを睨んでいる。まだ赤ん坊の息子にも、相手が危害を与えるものだと分かっているのだ。

「なんだ、それ。アクセサリー?」

十八号がトランクスを指差して首を傾げる。十七号と彼女が視線を向けた。トランクスから、茶色いシッポが垂れている。いつ生えたのだろう。抱きかかえたときには気づかなかった。

「そうか。そのガキ、サイヤ人の血を引いているのか」

まずいことを知られてしまったかもしれない。猛然とした危機感が彼女に迫る。

「孫悟空のやつは三年前に死んだはずだ。ということは…そのガキは、ベジータのガキか」

理性的な判断から、十七号は事実を言い当てた。

「それなら、おまえとガキを殺して血祭りに挙げれば、ベジータも激昂して、少しは手応えを見せてくれるかもしれないな」

「……そんなこと」

自分と息子の死体を目の当たりにして、怒りを見せる男なんて想像できない。あの男が戦う理由は本人の中だけにある。他人のことで左右されるなんてない。精一杯の虚勢で否定すると、十七号は彼女へ向け手のひらを広げた。

「まあ、試してみる価値はあるか」

 

ゆっくりと、エネルギー弾が向かってくる。彼らにしてみれば最低限の速度なのだろう。逃げられるものなら逃げてみろ、と言わんばかりの。これまでにかき集めた映像データで何度も見てきた光景。それが今、彼女に向けて放たれている。

スローモーションのように、ゆるやかに時間が流れた。目の前に迫ってくる弱い攻撃。それでも彼女を死に至らしめるには充分だ。身体が動かない。足が石になったように動いてくれなかった。このままだと死ぬ。トランクスも一緒に死んでしまう。

他人事のようにこの現実を傍観していた彼女に、恐怖は最後まで感じられず。ただ、一歳にも満たない息子が死んでしまうのは不憫に思えた。光の弾丸がまっすぐ自分たちに襲いかかってくる。目を見開いて硬直していた。

彼女に確固たる死が迫った刹那、真横から別の弾道が飛んでくる。十七号が放ったものと同等の威力を持つ高速の弾丸は、それとぶつかって弾きあう。息を呑む彼女の直前で、エネルギー波が衝突した。ほぼ同時に、なにかに突き飛ばされる感覚を受け、数メートル後退して尻餅をつく。激突した光の弾丸はお互いを食い潰すように侵蝕し合い、大きく膨れて爆発した。

直径三メートル近くまで広がったクラッシュの影響波。あのままだと、彼女は間違いなく巻き込まれていた。そして背後の瓦礫の山に吹き飛ばされていただろう。

なにかに押されたおかげで自分は助かった。あんなに強い衝撃で飛ばされていたら、無事では済まないはずだ。身体のすぐそばから力を感じた。彼女は胸に抱いた息子へ視線を落とす。

「……トランクス、あんたなの?」

考えられるのはそれしかない。自身と母親を守ったのだ。そして、最初に弾丸を弾いたエネルギー波がやってきた方向を見上げた。肩で息をするほど呼吸を乱した男が、怒りの面持ちでこちらを見下ろす。彼女が男のそういう表情を目の当たりにするのは初めてだった。

男は無言のまま、二人の人造人間と対峙する。どちらもすぐには動かない。相手も状況を伺っているらしい。遅れて悟飯とクリリン、そしてピッコロがこの場に駆けつけた。

「ブルマさん!」

「大丈夫ですか?」

クリリンたちは彼女の傍らへ回り込んで、身の安全を確保する。

「おまえらは、邪魔なそいつらを連れて行け」

眼差しは敵に注ぐ中、男はクリリンと悟飯に告げる。一触即発、張りつめた空気が漂っていた。

「あ、はい」

「立てますか、ブルマさん」

有無を言わせぬ男の指示に悟飯は頷き、クリリンは手を差し伸べる。彼女はトランクスをしっかり抱きながら、その手を借りて立ち上がった。

「心配しましたよ」

「ごめんね、二人とも」

彼女に単独行動をさせてしまったのは、二人の軽率さも一因だ。なにかあったとき、責任を負わされる立場だった。そこまで考えず行動に出た彼女は、悟飯とクリリンに謝罪する。

「戻ったら姿が見えないから、びっくりしました」

「てっきり北の都へ行ったと思ったら、西の都に戻ってるなんて…」

「――――――!」

その地名が出てきて息を呑んだ。クリリンの声は人造人間にも聞こえている。平静を装って彼らの様子を伺えば、十七号が意味深に笑って彼女を見た。声には出さないけれど、口元が「なるほどな」と動く。彼女にとっての切り札は、人造人間に露見してしまった。

「今日はもういい。逃がしてやる」

戦闘体勢を解かない男とピッコロに十七号は言い捨てる。

「これだけ派手に暴れたから充分だ。今日は飽きた。また退屈になったら遊んでやるよ」

不審そうな相手に見下した口調で説明するが、納得しないのは敵だけでもない。

「なに勝手に決めてるのさ、十七号。わたしはもっとやりたいよ」

「どうせ今戦っても、代わり映えしないんだろう。だったら時間の猶予をやろうじゃないか。オレたちの力に近づいてくれないと、戦っても面白くないからな。それに…用を思い出したんだ」

反論する十八号に、十七号は宥めるように説き伏せた。

「用って?」

「たいしたことじゃない。だが、放ってもおけない。オレたちの存在を脅かすものなど、あってはならないからな」

十七号の抽象的な話に、十八号は渋々といった雰囲気で承知する。人造人間はこちらの動向などまるで気にも留めず、ふわりと浮き上がった。空中から見下ろす構図は現在の力関係と同じ。

「次に会うときまでに、せめてもう少しくらいは強くなっていてくれ」

十七号が腕組みして男たちに語る背後を、十八号は横目で眺めている。

「それから、なにを企もうが徒労に終わるぞ。オレたちに死角はない。――――女。おまえは必ず殺してやる。せいぜい世界中を逃げ回っていろ。探し出して殺すのも一興だからな」

冷徹に通告すると彼らは去っていった。追いつけないほどの速度で。おそらく北の都を襲撃するだろう。その近くの山にあるドクター・ゲロの研究所も。研究所だけを襲うとイレギュラーな行動として分析されるから、北の都のついでに周辺も破壊したと思わせたいのだ。

彼女は自分に残された最後の手立てがまもなく失われることを実感しながら、ここまで追ってきた男を見つめる。助けてくれなかったら間違いなく死んでいた。男は人造人間を追うと思ったけれど、この場から動かない。去った敵を追尾していた視線がこちらに向く。

彼女の全身が震えた。本気で怒っている瞳だった。男の怒りは当然だ。けれど彼女は素直に謝れない。自分を大切になんてできない。だって、あんただって同じじゃない。

 

怯えをひた隠しながら、女は口を真一文字に結んでいた。うしろめたい気持ちは重々に負っているらしいが、それで許せるほど寛大でもない。

「た、助かったのか?」

「そう、みたいですね」

どうして人造人間たちが急にこの場を立ち去ったのか、事態をよく呑み込めていないクリリンと悟飯が怪訝な顔をしている。それを歯牙にかけず、男はゆっくりとそちらへ歩み寄った。間合いの一歩外まで来ると立ち止まり、フライヤーを顎で指し示す。

「どこに隠してやがった?」

ここを出る際、男のチェックをすり抜けたもの。このカプセルはどこに隠し持っていたのか。どうやって自分の目を逃れたのか、疑問を率直に質した。

「意識のない女を相手には、あんたが絶対触れないところ」

あっさり白状すると、女は襟元を下に引っ張って胸の谷間を露にする。

「ここよ」

自分以外には、トランクスが障害物となって見えないだろう。しかし、恥ずかしげもなく胸元をさらした女に男は慌てた。なんて下品な女だと密かに呟く。なんともいえない空気に、悟飯とクリリンは見ないふりを貫き、事の次第が理解できないピッコロは気難しい表情で佇んでいた。

 

家の内部を確認するため、人造人間が壊した外壁から邸内へ入った。彼女の前方を、男とクリリンが周囲に気を配りながら歩いていく。建物全体としては、基礎がしっかりしているので崩壊することはないが、三階を中心に大きな穴が開いているため、ここで生活するのは無理だろう。

彼女は室内庭園に足を踏み入れた。比較的荒らされていない。動物たちはいないが、木々の緑はそのままだ。かつて、ここは父のお気に入りの場所だった。たくさんの動物と触れあい、母の運んできたティーセットでお茶をする。そんな平和な風景があったのに、それは二度と戻らない。

感傷に浸っていると、地面から地響きがした。センサーが反応した機械音のあと、なにかが駆動するモーター音。主電源は動力が落ちているはすだが、非常用電源が作動しているらしい。

「な、なんだ?」

突然の異変にクリリンが慌てふためく。噴水がある広場、その地面の一部に亀裂が入った。駆け寄ってみると、それは一定の空間を開くと止まり、割れた地面からは地下へと続く階段が現れる。

「これって…」

彼女が唖然と見下ろす横で、男は平然とした顔で口を開いた。

「おまえの父親が言っていた地下施設だな。シェルターだったか。格納庫としてのスペースを改造して、生活できるようにしたらしい。外壁は人造人間の攻撃にも耐えられるようだ」

「……とうさん」

先の先を見据えた周到さ。父親の賢明さに、彼女は頭が下がる思いだった。自分が人造人間と戦う術に没頭していた期間、父は生き残るための術を考えていた。

たしかに一度襲撃に遭った街は、そのあとしばらくの期間襲われることはない。そしてこの施設は優れたセキュリティシステムが管理している。地盤の振動を感知し、一定度を越える衝撃を受ければ自動的にシェルターが閉鎖。安全を確認するまで開かれることはない。

今回稼動したのも、彼女の存在をシステムが承認したためである。瞳の虹彩で本人識別をし、この地下へ導くようにプログラムされていた。つまり登録された人物ではない限り、地下への扉は開かない。登録されていた人間は彼女と息子、それと男のデータも入っていた。

 

 

今日の行動に至った経緯を、彼女は簡潔に話した。一縷の希望に望みを賭け、北の都を目指したものの、西の都の襲撃情報を耳にして、どうしてもここへ来てしまった。自分だけではなく、トランクスまで死ぬところだったことを改めて思い知って、己の突発的な行動を仲間たちに詫びる。

クリリンと悟飯は「二人とも無事だったんだから」と拘泥しないでくれたが、男だけは無言のまま何の反応もない。その怒りはもっともなだけに、彼女は一切の抗弁をすることはなかった。

話が終わると今後について話し合う。彼女は父親の遺志を尊重し、地下施設へ移ることにした。生活に必要な居住スペースは充分にある。簡単な研究施設なら整えられそうな空間も。ピッコロとクリリンと悟飯は、しばらくあの隠れ家で過ごすという。

その日の夜、北の都とその一帯が壊滅した。周辺の山脈は地形が変わってしまったらしい。分かっていたものの、彼女は落胆せずにはいられない。人造人間を止められる可能性を持った唯一の術が、希望の糸が途切れた。彼女がたったひとつ、彼らと戦える手段であった切り札を失った。

 

 

半月後、彼女はトランクスを連れてドラゴンボールを捜索していた。研究施設を破壊されては、科学者として彼女にできることはない。だがそれでも、絶望して諦めるにはまだ早い。なにかせずにはいられない。まだ神様が生きているうちに、ボールを集めて神龍に願おう。

人造人間の動きはラジオから流れる情報でチェックしている。今日は地球の正反対にいるらしいから、彼女はフライヤーで捜索にやってきた。先日クリリンと悟飯にも手伝ってもらい、ふたつを手に入れている。彼女が探しているのが残りひとつ。七個目のドラゴンボールだ。

湖畔の草原を探し回った結果、草むらの中から目的の珠を発見した。四星球(スーシンチュウ)。すべてのはじまりのボール。彼女と孫悟空を、そして仲間たちを結びつけた特別な珠だ。腕に抱かれたトランクスが、興味津々にボールへ手を伸ばす。おもちゃじゃないのよと言いながら、息子にそれを手渡した。四個の星を抱いたボールが小さな手に収まる。

だが次の瞬間、輝いていた珠は突如として色を失った。あっという間に光は途切れて、ずしりと重い石へと変わっていく。彼女にはなにが起こったのか分かったが、理解したくなかった。神様が死んだか、ピッコロが人造人間に殺されたのだ。

あとでクリリンから聞いた話によると、カリン塔と神の城が人造人間に強襲されたという。駆けつけたピッコロたちは神の城で戦うものの圧倒的に劣勢。戦闘の最中、大きく負傷した悟飯に十七号が迫った。瞬間的に身を挺して弟子を守ったピッコロが戦死し、同時に神様も消える。

目の前で再び尊敬する師が自分をかばって死に至ったのを目撃した悟飯は、悲しみと怒りに理性が途切れ、超サイヤ人に覚醒した。暴走しながら真の力をみせ奮戦するも、彼らにダメージを与えることは叶わず終わる。

ピッコロ、神様、ミスター・ポポ、カリン様が死亡。悟飯とクリリンは満身創痍、男もかなりのダメージを負って戻ってきた。長年、人々の夢や願いを叶えてきた奇跡のボールは、永久に輝きを失う。ドラゴンボールというひとつの希望は、こうして潰えて消えた。

 

 

 
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