プロローグ
「おめでとう」
夕日と同じ髪を持つ少年が言った。
フェンス越しに向けられた視線は、愚直に俺を見つめている。
「あんたは大人になるんだ」
そう結び、彼は背面から空へ散った。
思い出が、針に刺された風船のように弾けだす。
3
「『かみさま』って知ってるかい?」
「んだよ、突然」
放課後の教室。
まだ色も覚えている。ごく最近の出来事だ。
ーー窓際から俺に問いかける少年。
個性的な耳つき帽子に厚手の黒いパーカー。カーキ色のカーゴパンツ。
今の季節には、よく合っている。
決して褒め言葉などではなく、違和感がないというだけだが。
それにしても奇妙なことを言いだすもんだ。
「それは、俺が寺の娘だからって馬鹿にしてんのか?」
「あぁ、そうじゃなくてさ」
彼は気まぐれに足を組み直す。
「宗教うんぬんの問題じゃない。オレが言いたいのは、世界に奇跡と不条理と知らしめるもっと漠然とした存在だよ」
天候共々曇天。俺の片眉は不自然に上下したことだろう。
彼は語る。
「良くも悪くもオレたちを振り回す何か。その表現しようのない現象を肩代わりしてくれる、残酷な苦労人さ」
「で? それがどうしたっていうんだよ」
俺は乾いた空気に鼻を鳴らす。
張り詰めた冷気が壁からひしひしと染みていた。
「・・・・・・ほら、もうすぐで卒業だろ?」
彼は目を細めていた。
温度など感じないはずなのに、寒そうだ。
黒板横の幼稚な日めくりカレンダーは、2月20日を示している。
卒業まで一か月を切った。
だが、俺には友達も夢も何もない。
味気ない小学校生活が、味気ないままで終わるだけだ。
あるとすればこいつだが、こいつはーー
「変わらねぇよ」
「いや、変えよう」
チャイムが鳴った。彼の主張を誇張するように。
それは不気味なほどタイミングがよく、柄にもなく鳥肌が立ってしまった。
「見せてやるよ、『かみさま』」
2
「オレが死んだ理由?」
ぼんやりと滲む面影。
これはいつの記憶だったろう。
俺は保健室にいた。先生は出払っている最中だ。
彼は俺の遠慮ない質問に珍しく目を見開き、戸惑いを露わにしていた。
本当に生きているみたいに。
スピーカーからは巷で流行りの曲が繰り返され、懸命に気怠い掃除を生徒に促している。
「・・・・・・成仏できない霊ってのは、必ず未練や後悔があるから還れずにいる」
「そりゃそうだ」
俺は至って真剣に言い聞かせるものの、彼はヘラヘラとかわした。
「アオイも女の子だけど『俺』っていうだろ? いろんなヤツがいるってことさ」
「はぐらかすんじゃねぇ」
そのとき、ばたばたと外から笑い声と駆け足が響いた。
俺は無意識に振り返って扉を警戒していた。
ーー傍からみれば、俺は一人で話している。異様な様子だ。それでなくとも浮いているのに。
目に見えて焦った俺に、あいつは吹きだす。
俺は能天気な幽霊を無言で睨みつけた。
「・・・・・・空が綺麗だったんだ。溶け込みたいほどに」
「は?」
「要はさ、この学校の屋上から飛び降りたってこと」
息をのむ。
窓に広がる空は遥か高く、群青に澄んでいた。
そうだ、この頃は秋だった。
「まぁ、こんなこと誰も覚えちゃいない。誰一人損もしなかった。これからだってーー」
「嘘つけ」
彼がぱたりと発言を止める。
俺の声色を、彼は窺っていた。
「そんな理由で跳べてたまるか」
彼の笑みが深みを増す。
「・・・・・・やっぱり、アオイは良い子だな」
彼は横を向いた。
正面から俺と向き合うのを拒んだ。
「アオイがいれば、こうはならなかったのかもな」
昼休みの終わりを告げるチャイム。
俺は、彼の神妙な横顔を見守ることしかできなかった。
彼の発言の真意を、この先も知ることはきっとない。
1
「あんた、いつも一人だな」
静寂に包まれた早朝の廊下。
最終学年の新学期を迎え、俺はいつも以上に憂鬱だった。
そんな心中、幽霊と目が合ってしまった。
見たところ同年代の少年だ、見たところは。
体質上、霊なんて腐るほど目の当たりにしてきたが、直接話しかけてきた奴は11年間の内で数える程しかいない。
こういう類は、人が弱っているのを見抜いてつけこもうとする。
気を許す素振りなど見せてはならない。
余談だが、俺の人間不信はその信条に繋がっているのだろう。
避けられている理由などとうに把握していた。
「死人の分際で口を聞くんじゃねぇ、失せろ」
ところが亡霊は、瞬く間に輝かしい笑顔を浮かべた。
「あんた、オレが視えるんだな」
と、思えば、涙を零す。
俺はその姿に呆然とした。
「オレ、ジュンヤ。ーーあんたは?」
そう、この時わかってしまったんだ。
こいつは、俺と同じーー
「・・・・・・べつに。幽霊なんて見慣れてる」
立ち止まってしまった、認めてしまった。
こいつはここに居ないのに。
「・・・・・・
後悔すらできなくなるなんて露知らず。
ーー彼は、ジュンヤは、俺の初めての『友達』となった。
エピローグ
夢から醒めて、引き戻される。
逃げ場のない宵の檻、一人ぼっちの屋上。
「俺は、どうしてこんな・・・・・・」
状況を理解できないまま、涙が頬を伝っていく。
「・・・・・・ジュンヤ・・・・・・」
身に覚えのない誰かを呼んだ。
ずっと呼びたくて、結局呼べずに閉じ込めてしまった名を。今更懐古できる固有名詞を。
冷めない温度がその愛しさを証明してしまっていた。
宛てのない喪失感に胸を押さえ呻く。
「かみさまのばかやろう」
夕はとっくに暮れていた。
Tweet |
|
|
0
|
0
|
追加するフォルダを選択
臆病な幽霊と不器用な霊力者の走馬灯。