No.956351

真・恋姫†無双 ~夏氏春秋伝~ 最終話

ムカミさん

大変お待たせいたしました。

遂に、遂に!
最終話の投稿になります。

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2018-06-14 02:27:01 投稿 / 全11ページ    総閲覧数:4178   閲覧ユーザー数:3376

 

「ぅ…………ここ、は……?」

 

沈んでいた意識がぼんやりと覚醒する。

 

まだ視界と頭ははっきりしない。

 

それでも状況を認識しようと軽く頭を振って周囲を見渡した。

 

その視界に飛び込んでくる五つの顔。春蘭、秋蘭、恋、菖蒲、零。

 

彼女たちは一刀の顔を覗き込むような態勢で固まっていた。

 

「か……一刀ーーーっっ!!」

 

春蘭が瞳から涙を零しつつ抱き着いてくる。

 

事態が理解出来ないまま抱き留め、背中を撫でてやりながら、まだ鈍い頭をどうにか動かす。

 

少し視線を巡らせれば、ここが簡易な陣地であると分かった。何故天幕でなく陣地で寝ているのか。それを考え、そして。

 

「っ!?そ、そうだ!戦は?!結果はどうなったっ?!」

 

ガバリと上半身を起こし、周囲の状況の確認に掛かる。

 

「安心しろ、一刀。我等の勝ちだ」

 

秋蘭が落ち着いた声でそう答えてくれた。そこには戦中の緊張感も、敗戦の悲観も、どちらも感じられなかった。

 

自身が敗北したことを思い出した。しかし、魏が勝利を収めたと聞いたことで心底安堵する。

 

「そ、そうか。良かった……

 

 ありが――――すまない。心配掛けたな。恋、菖蒲、零にも」

 

秋蘭の方に振り向き礼を述べようとしたが、その目尻に浮かぶ涙を見つけ、謝罪の言葉へと切り替えた。

 

見れば、他の面々の瞳も涙で濡れている。

 

それもそうだろう。一刀は孫堅にバッサリとやられた。

 

いくら華佗がいようと、決着までに時間が掛かればかろうじて生きているだけの人間には死が訪れるはずだ。

 

「一刀が無事ならば、私たちはそれで良い。

 

 こちらこそ、すまなかった。私たちが弱いばかりに、一刀には無理をさせてしまった」

 

「……ん」

 

「全く……!心配掛けさせるんじゃ無いわよ!」

 

「本当に、ご無事で何よりです……」

 

秋蘭が、恋が、零が、菖蒲が。それぞれの表現で一刀の無事を言祝ぐ。

 

一刀は謝罪と感謝の言葉を、再び口の中で小さく繰り返した。

 

 

 

「そう言えば……恋。すまない。結局、迷惑を掛けてしまったようだな」

 

「……?何のこと?」

 

意識が闇に沈む前の状況を思い出したことで、一刀はそれから現在までの経緯を想像した。

 

どう考えても恋には一刀の尻拭いを押し付けた形にしか考えつかない。だからこその謝罪だったのだが、恋が首を傾げたことで一刀も困惑する。

 

「いや、えっと……孫堅のこと。俺が負けた後、恋が当たって打ち負かしてくれたんじゃ無いのか?

 

 もしかして、春蘭か秋蘭が?」

 

「……?」

 

一刀の認識では、恋は馬騰に勝っていたが、一刀は孫堅に負けている。

 

必然、残った両者が最後にぶつかったもの、と考えていた。

 

故に、皆の認識とズレが生じていた。

 

「一刀。あなたは孫堅に引き分けたのよ。

 

 恋は馬騰に勝っていた。だから、あなたが倒れはしたけれど、あの時点で連合には勝ち目が無くなり、すぐ降伏となったのよ」

 

「俺が、引き分けた……?いや、それは無い……だって、俺の刀は孫堅には届いていなかったはずだ」

 

「何だい。あんた、自分がやった事も分かって無いのかい?」

 

一刀の疑問には予想外に過ぎる応答が返ってきた。

 

慌てて声の方を見れば、一刀からほんの少し離れたところで同じように上半身を起こした孫堅がいて、こちらを見ていた。

 

孫策もその隣で寝かされており、彼女達の周囲には程普、太史慈、周瑜といった呉の重鎮が集っている。

 

何故異なる国の怪我人同士がこれほど近いところに配置されているのかにも疑問は湧くが、今はそれ以上に孫堅の言葉の内容が気になった。

 

「俺のした事?俺はただ、自分が昔、一番慣れ親しんだ技に全てを賭け、そして結局貴女に届かなかっただけだと思うのですが……」

 

「そうかい。ってことは無意識か。それでも、恐ろしい奴だよ」

 

「??」

 

孫堅は全てを分かっているようだが、一刀には何も分からない。ただ、自分が何かをしたらしい、ということだけは分かった。

 

周囲の他の者たちも同様に疑問符を浮かべている様子を見て、孫堅は説明に移る。

 

「あんたの攻撃は、確かに私に届いていたんだよ。ただし、あんたの剣じゃなくて氣が、ね」

 

「氣が……?いや、確かに俺はあの時、氣を腕に集中はさせたが、それは一時的に膂力を得るためであって――――」

 

「なら、期せずして溢れた氣を剣が纏ったんだろう。

 

 少し形は違うが、私はそんなぶっ飛んだ技を一つだけ知っている。それは――――」

 

「”光剣”。そうじゃな、孫文台?」

 

孫堅の最後の言葉は接近していた少女の言葉に取って代わられた。

 

少女を先頭に、大勢の人物が陣内へと入って来る。

 

少女のすぐ後ろには、少女によく似た、しかし少女よりも背の高い少女。少し離れた後ろに華琳が桂花、季衣、流琉を伴って。

 

華琳たちの更に後ろには大集団。それは文武問わず魏、呉、蜀の主要な将のほとんどであった。

 

先頭の少女が立ち止まるのを待ってから孫堅は口を開く。

 

「その通りでございます、陛下」

 

先頭で入って来たのは、劉協だった。

 

孫堅はすでに起き上がり、拝手の礼を取っていた。

 

「そのままで良い。他の者も、楽にして良い。ここは宮中では無いでな。堅苦しいのは嫌じゃ」

 

だが、協はそれを拒否した。

 

孫堅は謝意を述べ、しかし相好を崩さない。

 

訝し気に彼女を見つめる協に、孫堅は請う。

 

「陛下。恐れながら申し上げておきたき儀がございます」

 

「ふむ。申してみよ」

 

「はっ。陛下が魏に移られてより此度までの呉が起こした戦、全てはこの孫文台が煽動したものに御座います。

 

 孫伯符以下呉の諸将、諸兵は我が口車に乗せられただけのこと。

 

 つきましては此度の呉の所業、我が頸を以て手打ちとしていただきたい。もちろん、我が頸は如何様に扱っていただいても構いません。

 

 誠に身勝手な願いではありますことは重々承知しておりますが、どうかご一考いただきたく……」

 

孫堅は平に伏して請う。

 

この様子に他国はおろか、呉からも誰も言葉を発する者はいなかった。

 

否。一人だけ存在した。

 

「おっと、ならあたいは蜀の方だ。

 

 劉備を始めとして西涼を追われたあたいが魏への仕返し目的に色々と吹き込んだんでね。

 

 こいつらは真実を何も知りゃあしない。蜀の連中の不敬についちゃあ、あたいの頸で容赦願いたい」

 

馬騰がそんな事を言い出した。

 

言葉使いを変えないのは何か考えがあってのことか。

 

ともあれ、目的は孫堅と同じく、事態の収拾を図るものだった。

 

「そんなっ……碧さ――――むぐぅっ!」

 

「桃香様。今は何も仰いますな……」

 

劉備が慌てて馬騰に言い募ろうとするも、即座に趙雲によって口を押さえられる。

 

それでも暴れようとする劉備の目的は、孫堅と同じように蜀側の責任を全て一身に引き受けようとしてのかも知れない。

 

二人の英傑が跪き命を差し出してきている。そんな光景を協は眺め、たっぷりと三十秒も経ったろうか。口を開き、急ぎ過ぎず遅過ぎずな早さで言葉を紡ぐ。

 

「孫文台。そして、馬寿成よ。主らは何ゆえ、かように戦を続けたのじゃ?

 

 建前はいらぬ。時間の無駄じゃ。その心の裡、包み隠さず申してみよ」

 

「はっ、私は先々代の皇帝、霊帝様と漢王朝への忠義、それも私自身が信ずるところの忠義に基づき、魏の者らが漢王朝を継ぐに足る者なのかを見極めんとし、戦を起こしておりました」

 

「あたいも――――私も同様に御座います。付け加えるならば、西涼の地を新たに守り抜くことが出来るほど、武を高めた者がいるか、という点も検証しておりました」

 

孫堅も馬騰も、さすがにこの場面で偽りを口にすることは無かった。

 

協は腕を組んで目を瞑り、考え込む。

 

暫しの後、眼を開け再び問いかける。

 

「もう一点問おう。主らが起こした一連の戦、民草の犠牲者は如何ほど出ておるのじゃ?或いは出してはおらぬのか?」

 

この問いには馬騰が少し気を緩めたように答えようとする。

 

「はい、その通りで――――」

 

「民草に犠牲を出していない、とは口が裂けても言えませぬ」

 

馬騰の回答は途中で孫堅に遮られた。この内容に馬騰は少し訝し気にするも、孫堅の考えを尊重したか、黙り込む。

 

一方、協の方は孫堅の回答に驚いていた。

 

それは魏で自ら調べ、そして聞いていた話とは異なっていたからである。

 

「ふむ。じゃが、朕の知る限り、邑の一つも戦には巻き込まれてはおらぬはずじゃが?」

 

「将や親衛隊の一部の兵を除き、一般兵もまた、民草です。

 

 私は己の我が儘を貫かんがため、彼らに犠牲を強いたのです。

 

 従いまして、一連の戦での民草への被害は、これ即ち一連の戦での死傷者数に相当致します」

 

「なるほど、のぅ……」

 

協は再び考え込――――もうとして、沈みかけた顔を上げた。

 

きょろきょろと辺りを見回し、おもむろに目的の人物――――弁と一刀を手招きで呼んだ。

 

弁はともかくとして、一刀は何故自分が呼ばれたのだろうか、と疑問を抱えながら協の下へ集う。

 

そして三人で顔を突き合わせて小声での緊急会議が始まった。

 

「姉上、兄上。私は二人を許しても良いと考えています」

 

「白、それは――」

 

「いいえ、ダメよ、白。あなたはまだ皇帝なの。ここで信賞必罰を疎かにしてしまうと、あなたから大陸を引き継ぐ形となる魏の国にもケチが付いてしまうわ。

 

 月蓮さん、碧さんには申し訳ないのだけれど、何らかの罰は科さなければいけないのよ」

 

一刀が言葉を紡ぎきるより早く、弁が怒涛の捲し立てを行った。

 

しかし、協はそれでは納得が出来ない。だからこそ、自論をもって反論する。

 

「け、けれど!私は、今のこの大陸は生まれ変わる時期が来ているのだと考えています。

 

 漢王朝ほど大きな国が生まれ変わるともなると、そこには大きな痛みが生まれて当然です。

 

 月蓮さん、碧さんが起こしたこの戦こそ、最後にして最大の痛みであり、決して避けては通れなかったものでは無いでしょうか?」

 

協は譲らない。その根底には、かつて”自分には何をする力も無かった”と無力感に打ちひしがれた過去があるのだろう。

 

自らがそんな状態にある中、孫堅と馬騰は彼女たちなりに漢王朝にとって利となる事をやり遂げた。

 

例えそれが褒められた方法では無いのだとしても、協にとっては、そうやって行動を起こし、成し遂げられることそのものが眩しく映っているのかも知れない。

 

弁はどうするべきか、と悩まし気に一刀に視線を送って来る。どうにか出来ないか、とその視線は語っていた。

 

弁の真意がどっちかは分からない。が、一刀にとってそれは僥倖だった。

 

一刀は膝を折り、協に視線を合わせると力強くその肩に手を置く。そして、協と一刀にとって得となる代案のヒントを語った。

 

「協。何も二人を打ち首にしなければならない、ってわけじゃあ無いんだ。

 

 要は、漢王朝の臣たる二人にとってきつい罰を与えて場を整えてやれば、対外的にも問題は無くなる。言っている意味が分かるか?」

 

「臣にとってきつい罰……………………あ!そ、そういうことですか!さすがは兄上です!ありがとうございます!!」

 

一刀の言葉を聞き、暫しの黙考、そして協は一刀の語った代案の中身を悟った。

 

瞳をキラキラさせて一刀に謝辞を述べ、協は未だ拝手を解かない二人に向き合う。

 

その背後で、立派に役目を果たそうとする協の背中を見守りつつ、一刀は弁に謝罪していた。

 

「ごめん、朱。厳格な対応とは違った方向に誘導させてもらった」

 

弁が望むなら、一刀は如何なる罰でも受ける、と瞳で語る。しかし、弁はフルフルと首を軽く左右に振った。

 

「いいえ。むしろ、ありがとうございました、一刀さん。

 

 皇族という立場ではあの手の提案は出せないものですので……」

 

「そうか……いや、役に立てたのなら良かったよ」

 

愛おしそうに協を見つめる弁の姿に、言葉に偽りは無いと確信する。

 

ならば、後は協の宣言だけで目下の大きな障害は取り除かれることになるだろう。

 

その後の流れについては、この戦の前に散々シミュレートを行って来た。

 

後は想定通りに事が運ぶことを祈るのみだった。

 

 

 

「孫文台!馬寿成!主らに与える罰を告げる!」

 

協が声を張り上げる。

 

呉陣営、蜀陣営双方で緊張が高まるのを肌で感じる。

 

さすがに無いだろうが、何かあったとしても即座に動けるよう、一刀は気を張りつめつつ協を見つめる。

 

「今この時を以て漢王朝より孫文台、馬寿成の二名に与えていた官位を全て剥奪とする!

 

 主らを漢王朝より切り離す。これを主らへの罰とする!」

 

特に呉の陣営の方から鋭く息を呑む音が聞こえる。

 

”英傑”である以前に”漢の忠臣”だと謳われた二人を切り捨てることはそれだけ大きな事だという事だ。

 

ただ、当の本人たちはそのような態度は微塵も見せない。それは協の言葉への即座の応えで示された。

 

『ははぁっ!』

 

「そして……」

 

しかし、協の言葉は終わりでは無かった。そのことに、孫堅も馬騰も驚いた雰囲気を醸す。

 

眼前の困惑の気配は一切気にせず、協は言葉を続ける。

 

「これは二人へ向けた朕からの…………いいえ、私からの最初で最後のお願いです。

 

 どうか、これからは魏に助力し、この大陸とそこに住まう民に平穏を授けてあげてください……」

 

「陛下……ははっ!この孫文台、残りの身命を賭して陛下の願いに応えることを誓いましょう!」

 

「右に同じく。我等の多大なる過ちを些細な罰で赦免してくださった陛下に、最大級の御恩を……」

 

孫堅と馬騰が一層深く頭を垂れる。

 

協は満足そうに頷いた。その瞬間、各陣営に張りつめていた空気が弛緩する。

 

誰もが逆らいようのない死罪に問われることは無かったという、一種の奇跡が生じたように感じられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと待って、母さん」

 

協が一刀たちのところまで戻り、孫堅と馬騰も頭を上げた時、一つの声が緩んだ空気を引き裂いた。

 

声の主は孫策である。

 

孫策は主に一刀を睨みながら不満気を隠そうともせずに語り出す。

 

「母さんたちはそれでいいのかも知れないけど、私はすぐに魏に協力なんて、心情的に出来ないわよ。

 

 どっかの誰かが明命に何かしてくれたみたいだし、祭の件もある。

 

 いくら戦の中でのこととは言え、戦が終わってすぐに何もなかったかのようには振る舞えないわ。

 

 それに何より、明命が何かされてたんだとしたら……蓮華の身にも何かあったんだと考えるのが普通でしょ?

 

 なら、余計に魏には従えないわね」

 

孫策の言うことは尤もだろう。通常、取り込まれた敗戦国の者の心情とはそういうもののはずだ。戦というものは大なり小なり、関わった者全員の何等かの大切なものを奪っていくものなのだから。

 

孫堅と馬騰は現皇帝という強力な切り札があったからこそ、スムーズに事が運んだだけ。

 

それが証拠に、蜀の側からも声が上がり始める。

 

「……周泰さん以外に、杏ちゃんにも何かしたのではないですか?

 

 それに、雛里ちゃんを…………」

 

「待ちなさい、朱里。それ以上は私達が言ってはならない事よ。

 

 私たちが為すべき事を為せなかった、その報いというだけのことなのだから」

 

諸葛亮が声を上げようとしたのだが、それは徐庶に止められた。

 

ただ、徐庶自身も決して納得しているわけでは無いのだろう。理屈の上で自身を戒めているだけのようだ。

 

そんな二国の将達の様子を見て、一刀は今ここがベストのタイミングか、と考えた。

 

少々離れた位置に見えた兵――――黒衣隊の隊員だ――――にアイコンタクトで三人を連れて来い、と告げる。

 

兵が理解して去って行くのを見送った後、一刀は蜀、呉の将達に向けて口を開いた。

 

「俺の方からいくつか説明をしておいた方がいいことがあるみたいだな。

 

 呉の周泰、それと蜀の姜維、周倉。この三人について、か」

 

途端、孫策、太史慈、甘寧、関羽、黄忠、諸葛亮の睨む視線が刺さる。

 

この反応は当然予想されたもの。むしろ、睨む視線の数が予想よりも少なすぎたほどだ。

 

故に、一刀は一切怯むことなく言葉を続ける。

 

「まず、蜀の皆さんには申し訳ないことだが、周倉と姜維、この二人は俺が蜀に送り込んだ間者だ」

 

この宣言に蜀の大半の者は驚愕で口が塞がらなくなる。

 

そんな中、驚愕に見舞われつつもどうにか頭を働かせた諸葛亮が抗議の声を上げる。

 

「い、いえ、待ってください!周倉さんは元々、蜀の領内で賊――いえ、義賊をやっていたはずです!それがどうして――――」

 

「そもそも、周倉は最初、黄巾党の将の一人として魏領内の街を攻めて来た。

 

 その際に捕らえ、能力を見込んで引き込み、間諜としていくつかの訓練を施して蜀領内に送り込んだ。

 

 義賊として接触させたのは、蜀に入ったばかりの劉備の下に士官させるのは不自然に思われる可能性があったからだ」

 

「そ、そんな……」

 

「やはり、そうだったのか、周倉……」

 

諸葛亮は言葉も出ない。一方、この話を聞いて強烈に周倉を睨みつけて言葉を発したのが関羽だった。

 

彼女は目の前で周倉と杏が裏切る様を見ている。そして何より、周倉は彼女直属の部下だった。それだけに後悔や憤懣などが溢れて止まないのだろう。

 

「悪いな、関羽将軍。だが一つだけ言わせてもらうが、魏意外の連中と戦った時には本気で対処していたんだぜ?」

 

「ふん!それも怪しいものだな!」

 

「いや、言っては何だが、それが俺の指示だった。魏と対立しない限り、蜀の任務には全力で取り組め、と。

 

 それが最も民のためとなるはずだったからな。

 

 どうだったかな?周倉の働きが逆に蜀に被害を齎したことはあったかな?」

 

一刀は諸葛亮、徐庶の方に視線を送り、尋ねる。これに答えたのは徐庶だった。

 

「愛紗さん、残念ながら北郷さんの言っていることは間違っていません。

 

 愛紗さんが出陣し、周倉の部隊が手掛けた案件で蜀に不利益となった件はまずありません。

 

 むしろ、最大限かそれに準ずる利を齎しています。

 

 それに…………杏の方も、より規模を大きくした上で同じ状況だと言ってしまえるのですが……?」

 

徐庶の回答の内容に関羽は言葉を失ってしまう。

 

その一方で、徐庶の最後の言葉は困惑を含んだ確認となっていた。確認先の相手は、言わずもがな、一刀。

 

「ああ、杏にも同様の指示を出した。

 

 特に、文官としての能力は惜しまず発揮し、蜀の国内安定に貢献しろ、と命を出していた」

 

「どうしてそのような……?」

 

「杏に託した任務は、怪しまれない範囲で周倉と接触して蜀中枢の情報を流すこと、それとこの最後の戦における保険の役割。

 

 中枢に食い込むには能力を示す必要がある。そのついでに蜀領内の民に平穏を与えられるならそこに否やは無い。

 

 杏への命に対する俺の意図としてはそんなところかな」

 

「…………全く、気付けませんでした……」

 

徐庶は呆然とそれだけを発する。

 

諸葛亮とこの徐庶は、両者とも杏を頼もしい後輩として手塩に掛けて育てていたという事だから、ショックは他に比べて数倍に至るのだろう。

 

「い、今の話……本当、なの……?杏ちゃん……」

 

呆然としながらも、どうにか言葉を絞り出して問うたのは劉備だった。

 

この場の誰よりも仲間を信じていたであろう彼女には少々ショックが大きすぎた感もあるが、それでも思考を手放さないのは君主として成長してきたからかも知れない。

 

そんな劉備に対し、杏は心底申し訳なさそうな表情と声音で事実を告げた。

 

「はい、本当のことです。かつて、まだ劉表様が蜀の地を治めていた頃、私は北郷様のお考えに賛同し、その配下となることを望んだのです」

 

「そんな……」

 

「確かに、劉備様の理想も魅力的なものではありました。

 

 ですが、現実的な考えに則すると、結局は北郷様の、いえ、魏の考え方が最も大陸に平穏を齎すことが出来ると考えたのです」

 

「あ、あはは…………そっか。そうなんだ……」

 

蜀で軍師として収まっていた杏の、つまり劉備の側にいた頭の良い者が自身の考えを否定する。

 

それは劉備に、強かに頭を打たれたような幻痛を錯覚させるほどだった。

 

この一連で蜀の皆々が沈黙に閉ざされた。それは遂に心までも真に敗北を認めたという事だ。

 

その心持ちを代表して述べるように、趙雲が言葉を発す。

 

「ふむ……いや、まったく。見事としか言い様がありませんな。

 

 我々の完敗ですよ」

 

「光栄の至り、とでも言っておこうかな?」

 

答え、最後にこうも付け加える。

 

「やはり、蜀では趙雲さんが一番厄介だったか。

 

 杏を使っても、結局最後の最後で華琳の近くまで迫られてしまった。

 

 あの時引き入れられていればどれだけ楽だったかと、今更ながらに後悔するよ」

 

「いえいえ、北郷殿に比べれば私などはまだまだ。

 

 風のように人の心理を読み取る力をもっと鍛えて置けば良かったと、こちらも後悔しているところですよ」

 

趙雲はそれだけ答えて下がった。

 

その言葉がどこまで本気であるかは分からない。

 

ただ、”後悔”という部分だけは真に迫ったものを感じられたくらいだった。

 

さて、と一刀は呉の将たちの方へ向き直る。

 

「次は周泰についてだが――――簡潔に言えば、こちらは脅させてもらった」

 

「脅し?けれど、そんな程度のことで明命が寝返ったりは――――」

 

しない、と言い切ろうとする孫策の言葉を一刀は遮る。そんなことは周泰を知る者からすれば当たり前のことだからだ。

 

「確かに、彼女自身の生死を握って脅したところで寝返りはしないだろう。周泰にはそれだけ、間諜としての高い自負があった。

 

 だが、もしもこちらが握ったものが、そんな周泰の大元だったとしたら?」

 

「お、大元?一体どういう意味よ?」

 

孫策は困惑気味に返す。周泰が何か言ってくるかとも思ったが、居た堪れなさが強すぎるのか、呉勢から離れたところで小さくなっていており、会話に入って来る様子は無かった。

 

それはそれで仕方無いか、と、一刀は一から説明をしようと決めた。

 

「簡単なことだ。周泰が協力を拒むのならば、今日の戦、開戦と同時に大砲を数十発でも連射し、呉の王族と将を根絶やしにする、と伝えただけさ。

 

 ああ、大砲って言うのは赤壁の二日目、開幕で打ち込んだあれのことだ」

 

「なっ?!」

 

一刀の説明を聞いて孫策は絶句してしまう。

 

彼女自身、赤壁での二日目は前線には出ていない。が、戦場を見ていなかったと言うわけでは無い。

 

しっかりと見ていたからこそ、大砲の破壊力も知っている。

 

その脅しは、きっと孫策相手でも効く。あの為す術も無い暴力の渦に、愛する家族も親友も部下も、誰一人として晒したくは無いのだから。

 

「まあ、脅しだけだと最悪散り散りに逃げられれば厄介だ。

 

 だから、周泰にとって最も大事なものも、脅しの道具にさせてもらった」

 

「っ!まさか……!」

 

孫策は気付いたようで一刀を睨む。僅かに遅れて太史慈、周瑜。やや開けて陸遜や呂蒙、甘寧も気付く。

 

「そう。そのまさか。避難させた、と説明させたと思うが、実際のところは魏で人質になっていたっていうことだよ。孫権は」

 

「…………蓮華は……蓮華は無事なんでしょうねっ?!」

 

孫策は冷静に問い詰めようとし、しかし失敗してしまう。

 

「それについてはすぐに分かる事だから一旦横に置かせてもらおう」

 

「ちょ、ちょっと!それは――――」

 

「ここからが本題だ」

 

一刀が少し強めに発言する。

 

思わず気圧され、孫策の言葉は途切れた。

 

「さて。蜀の皆さんと呉の皆さん。

 

 改めて、俺からも一つだけ、貴女達にお願いしたいことがある。

 

 これからの魏の大陸統治に全霊の協力を願いたい」

 

「ちょっ、あんたねぇっ!!」 「なっ、何を……っ!!」

 

さすがにこれには言葉を失っていた孫策と、そして諸葛亮も、思わずといった様子で声を上げかける。が、一刀はそれを、今度は片手を上げることで制した。

 

「勿論、見返りは用意している。

 

 貴女方が一度は諦め、手放してしまった、何よりも大事な”モノ”。

 

 それぞれにお返ししよう」

 

「は?あんた、何を言って――――」

 

孫策が突っかかって来ようとするも、再び一刀の片手が持ち上げられる。但し、今度は手を開いているのではなく、握り拳に人差し指を立てた状態。

 

何を指し示しているのか、と孫策はその指先を追う。そして言葉を失った。

 

それは周囲の者も同様。皆が皆、言葉を、身体の動きを奪われたかの様。

 

何事が起こったのか。

 

端的に言えば、先ほど去った兵士が三人の人物を連れて来た。それだけだ。

 

呉の者も蜀の者も、その三人の姿を目にして、脳の処理が追いつかずに固まっているのだ。

 

否、全員では無い。たった二人、戦の途中からこの展開を予測していた人物がいた。

 

その内の一人が三人の内の一人に向かって声を掛ける。

 

「よぉ、無事だったのかい。あんたもつくづく、悪運が強い奴だね」

 

「はっ、随分な言われ様じゃな。儂も少々残念に思っておるよ。これでまた、堅殿の無茶苦茶に振り回される日々に戻るのだと思うとのぅ」

 

声を掛けられた人物――黄蓋が軽口に応じ、軽口を返す。

 

それがその場の者たちの麻痺を解く切っ掛けとなった。

 

「ひ、ひ……雛里ちゃんっっ!!」

 

「雛里……よかった……無事で、本当に良かった……っ!」

 

最初に動いたのは諸葛亮と徐庶。

 

水鏡塾より長年連れ添った親友の死に最も嘆き悲しんだのが彼女たちなら、その生還に最も心振るわせるのもまた彼女たちだ。

 

二人に触発されて劉備を先頭に蜀の者たちが龐統の下へ駆け寄る。

 

このようにわちゃわちゃとなった蜀とは異なり、呉の方では逆に動きがほとんど無い。

 

「生きていたのね、祭。何だか良く分からないけれど、とにかく、良かったわ。

 

 それと……蓮華。やっぱり捕まっていたのね……。大丈夫?何もされなかった?」

 

重苦しい沈黙が暫く続いた後、孫策がそう言葉を発した。

 

皆、何を言うべきか迷っていた。触れても良い話題、まずい話題。その選別が難しかったのだ。

 

「ご迷惑をお掛けしました……

 

 私は大丈夫です。最初こそ縛られて天幕に放り込まれはしましたが、魏の者は予想外に丁寧に接してくれましたので……」

 

孫権は何とも言えない微妙な表情をその面に貼り付けていた。

 

まあ、こういった時に人質であった者がどういう顔をすればいいのかは非常に難しいところだろう。

 

その孫権の前に、今まで端で小さくなっていた周泰が飛び込んでくるなり、あたかも土下座のような、頓首の形を取る。

 

「申し訳ありません、蓮華様っ!!

 

 何も、言い訳などありません……如何様な罰も、甘んじて受け入れます!」

 

呉の者たちの会話の地雷が自ら動いたことで一同に緊張が走る。全ては次の孫権の一言で決まる。

 

皆の視線が孫権に集まる。

 

意外なことに、彼女の表情は穏やかだった。

 

「顔を上げてちょうだい、明命。

 

 私は貴女を罰したりはしないわ」

 

その声にも繕ったところは無い。だが、さすがに周泰は顔を上げることが出来なかった。

 

それもそうだろう、と孫策は話を進めるべく助け船を出す。

 

「蓮華、どういうことかしら?説明してくれない?」

 

「はい、姉様。

 

 私は魏に囚われている間にある者から色々と話を聞かされました。

 

 それらの内容と、そして北郷が明命に掛けた脅しの内容を聞き、この結末が呉にとっては良かったのだろうと思うようになったのです」

 

「ふむ、そうじゃのう。主家には申し訳ないが、儂もそう思うぞ?

 

 尤も、堅殿は既に悟っておったようじゃが、の」

 

孫権のみならず、共に捕らえられていた黄蓋までもが魏を肯定するような発言をしたことに、孫策を始めとする多くの者が驚愕に目を見開いていた。

 

そんな中、かろうじて孫策が母親に視線を向ける。

 

孫堅は一度軽く溜め息を吐いてから皆の疑問に答えるべく口を開いた。

 

「奴らの今回の戦での策とその結果、祭や向こうに龐統が生きていたこと、それと今までの奴らの行動指針なんかを考えれば、答えは出ると思うんだがねぇ。

 

 つまり、奴らは赤壁で決着は着いた、って考えているんだよ。これは冥琳たちにもほぼ異論は無いだろう?

 

 それで、今回の戦では勝利とは違うものを狙って来た。それをなんて表現すればいいのかねぇ?ま、言うなれば、大陸を統べるだけの器を認めさせに来た、ってとこかね。

 

 これは私や碧が掛けた問いでもあって、それに対して奴らが出した答え。それが今回の結果だったってわけだ。

 

 実を言えば私も碧も赤壁までで認めてやっても良かったんだけどね、ちょいと我が儘で引っ張っちまった。

 

 その結果がこれってんだから、十分過ぎるほどだねぇ」

 

「結果……私たちが、連合を組んでまでも為す術もなくやられた、ってこと?」

 

孫策が聞き返すが、孫堅はチッチッと指を振る。

 

「そんなもんじゃ無いよ。

 

 冥琳。今回の被害、どんなもんだい?」

 

「は、被害ですか?それでしたら、死傷者数が五千弱といったところのようです」

 

「その中で死者はどのくらいだい?」

 

「死者は……あ……百人もいない、ようです」

 

孫策は驚きの内容に義姉妹の顔を思わず見つめる。しかし、返ってきたのは困惑したような表情での首肯一つだけだった。

 

「ま、そういう事だ。更に言うなら、呉も蜀も、もちろん魏も、将に至っては死者の一人もいやしない。

 

 蓮華が何を聞いたのかは知らないが、察するにこの辺りの結果が北郷、或いは魏の連中の狙いだってことなんだろう?」

 

「はい、その通りです。

 

 北郷はこの戦、可能な限り短時間で決着を付け、互いの兵の死者数を最低限に抑えようとしていたそうです。

 

 母様や馬騰殿に単騎で挑むなど、そんな馬鹿げた目的でも無い限りは実行しようとも思わないでしょう。

 

 しかし、奴らはこれを実行に移し、あまつさえ勝利を収めてしまった。

 

 何故そんな馬鹿げた策を立て、実行にまで移したのだと思います?

 

 『国が国であるためには民が必要だから、敵味方問わず一人でも多くの兵に生き残ってもらいたい』、だそうです。

 

 私は、完全に負けた、と思いました……」

 

シン、と静まった場に、孫権の声はよく通った。

 

誰も言い返すことは出来ない。それは事実であれど、戦という非日常の空間においては二の次となりがちなモノだからだった。

 

「け、けど!それは結果論でしょ?

 

 そもそも、本当に明命が脅された内容は起こり得た事なの?!」

 

最早、孫策は意地になっている様子。

 

ただ、その玉砕のような破れかぶれの問い掛けにも、孫権が答えた。

 

「私に話を聞かせた者が言うには、北郷がこう言ったことを聞いたことがあるそうです。

 

 『周泰がいる限り、呉の連中相手に中途半端な対処は絶対に出来ない。徹底的に潰すか、完全に引き込まなければ』。

 

 北郷は情報の重要性を誰よりも知っている者でした。信じられないことですが、それを母様より知っており、そして徹底的でした。

 

 武力で戦をする前に情報で戦をする。そんな考え方を魏に持ち込み、ずっと勝利を齎して来たのが北郷です。

 

 そんな北郷だからこそ、明命を擁する我らが呉を過剰なまでに警戒していた、と。

 

 …………もしも、明命が北郷に屈して私を魏の陣に連れて行かなければ、きっと今頃、呉の将兵のほとんどは死に絶えていたのでしょうね……」

 

「そんっ…………くぅっ……!」

 

遂に孫策の意地も切れる。がっくりと落とされた孫策の肩には、両側から周瑜と太史慈が支えるように手を添えていた。

 

少なくとも、孫策の心が完全に折れてしまうことは無さそうだ、と考え、呉の方はこれで決着が付いたと一刀は判断した。

 

さて、となれば後は蜀の方。

 

そちらへと目を向けると、いつの間にやら蜀の者たちも孫権の話に聞き入っていたようだった。

 

故に、一刀が目を向け、声を掛けるよりも早く、劉備がこう問う。

 

「ねえ、雛里ちゃん?さっきの孫権さんのお話って本当、なの?」

 

龐統はびくりと肩を震わせる。

 

どう答えるべきか、様々考えていたようだが、結局答えは一つしか無かった。

 

「はい、事実、です。

 

 それに、もう聞いたのでしょうか?杏ちゃんと周倉さんのことを……?

 

 あのお二人についても、魏からの間者ではありましたが、蜀国内の安定には全力を尽くさせていたのは間違いないようです。

 

 実際、杏ちゃんの策がとても民の皆さんの支持を得ていることは私も確認しています」

 

蜀の者たちの視線が一度徐庶へと動き、再び龐統へと戻って来る。

 

龐統の発言内容が先ほどの徐庶と重なったからだ。もう、疑いようも無い。

 

これ以上、何を確認することがあろうか。

 

蜀は戦の間中ずっと内部から散々引っ掻き回され、にも関わらず呉同様に外傷者は多くとも死者は少ない。

 

軍師達を含めて何も言えなくなってしまった面々を一度ぐるりと眺め、それから一度頷く。

 

前を向くと、劉備は足を動かした。向かう先は、この陣に入ってから沈黙を保っている華琳の下。

 

季衣と流琉が華琳を庇う位置に出ようとするが、華琳はそれを手で制した。

 

劉備は自身が佩く剣のリーチより優に二倍はある距離で止まる。そして、華琳に向けて口を開いた。

 

「曹操さん。一つだけ、答えてもらいたいことがあります」

 

「あら、何かしら?」

 

一体劉備が何を言うのか。華琳は興味をそそられた。

 

「蜀の民を、それから呉の民を、曹操さんはどうされるおつもりなんですか?」

 

「別にどうもしないわ。

 

 今までに魏の庇護下にした民たちと同じく、魏の領土内にて暮らす者には支援を与える。

 

 但し、叛意を抱くようであれば容赦はしない。魏はずっとそうやって来たの。何も変わらないわ」

 

「……蜀の民だったから、呉の民だったから、と、略奪したりはしない、ってことですよね?」

 

「愚問ね。同じ大陸に住まう者から何かを奪うなど、目先の利益しか見えていない愚者のすることよ。

 

 悪意、叛意を持って殴りかかってきた軍隊からは、返り討ちにした後で頂くこともあろうけれど、他国といえど民から奪うことはしないし、させないわ」

 

「……それを聞いて、安心しました」

 

劉備はそれだけを呟き、そして突然拝手の姿勢を取った。

 

「曹操さん。蜀は今この瞬間より、正式に魏に降ります。

 

 ですので、どうかお願いします。民にだけは、酷いことをなさらないでください……」

 

この劉備の行動は、関羽や張飛を心底驚かせた。

 

しかし、その他の大半の者は大なり小なりこの展開を薄々感じていたために、そこまで驚きは大きく無い様子だった。

 

ただ、諸葛亮を始めとする蜀の軍師陣はゴクリと生唾を呑む。

 

この後の華琳の言葉で全てが決まる。

 

これまでの話の流れから、華琳がこの話を蹴るはずが無い。問題は、蜀が支払うことになるだろう敗戦の対価だ。

 

軍師達は声に出さず誓いあう。劉備の命と自由だけは何があろうと死守するのだ、と。

 

「ならば、貴女の蜀、この私が貰い受けるわ。

 

 さて、それじゃあ劉備――――」

 

蜀の軍師の緊張が俄かに上昇する。次の一言を聞き逃さず、全力で頭を回して最適解を最速で導き出す。そんな意気込みで睨み付けるが如く両者を見つめていると。

 

「楽にしていいわ。少し待ちなさい。

 

 先に片付けておく案件が残っているの」

 

華琳の言葉で肩透かしを食らった気分となった。

 

しかし、気を抜くことは出来ない。

 

華琳の言う”案件”とは十中八九、呉の降伏についてなのだ。

 

これが済んだら、今度こそ本当に先ほどの真の続きが語られる。そこまで引き延ばされただけなのだから。

 

「孫堅。貴女はどうかしら?劉備はこう言っているのだけれど?」

 

華琳の言葉が向けられたのは、呉の国主たる孫堅。

 

ただ、華琳の言葉には既に決まっていることを聞くかのような響きが含まれていた。それもそのはずで――

 

「私も、劉備と同じだよ。呉はあんたの好きにしたらいい。ただし、民が苦しむようなら、私はすぐに剣を取るよ?」

 

「ええ、そうね。その位の気概でいてもらわなくちゃ。

 

 私が間違った道を歩んでいると思えば、遠慮なく止めに来なさい」

 

「言ってくれる……雪蓮、蓮華。あんた達もそれでいいね?」

 

問われた両名は黙したまま頷く。既に孫策とて何も言うことは無くなっていたのだった。

 

「というわけだ。将に兵、いろんな奴らがいるが、皆優秀だ。私が保証しよう。

 

 好きに使ってやってくれ」

 

あまりにもあっさりと、呉の恭順は為った。それはもう、周囲の者たちが驚きで声も出せないほど、あっさりだった。

 

「ふふ。物分かりが良くて助かるわ。

 

 では、劉備、孫堅。貴女たちに最初の命を下すわ」

 

華琳の言葉に、蜀の軍師達に加えて呉の軍師達も固唾を飲む。

 

その言葉には引っ掛かるところがあった。華琳は確かに”命令”と言った。”処罰”やその類では無かった。

 

ただ、その点に明確な疑問を抱く前に、華琳の続く言葉が発せられる。

 

「蜀、呉それぞれの現在の領土について、当面はそのまま統治なさい」

 

「…………え?……ええええぇぇぇぇっっ?!」

 

「……ほぅ?」

 

劉備は瞬間的にフリーズ、その後頭の処理が追いつかずに叫ぶしか出来なかった。

 

孫堅の方も瞬時に反応することは出来なかった。ただ、何かを察した様子で、小さく首肯してはいる。

 

「えっと、その、その……っ!そ、それはつまり、蜀はそのまま残してくれる、ってことですか?!」

 

「形の上では、ね。ただし、先ほども言ったけれど、”当面は”、よ?

 

 貴女達がそれぞれ民にとって良い政治をしていることは知っているの。

 

 いくらこの戦で私達が勝ったからと言って、すぐに全てを魏の様式に変更したところで、まず上手く行きはしないわ。

 

 だから、当面は今の形を維持。ただし、すぐに魏から人員を出して徐々に魏の様式を取り入れ、いずれは作り変えるわよ。

 

 ただ、これには少なくとも数年、手間取れば十年以上は掛かる大事業となるでしょう。

 

 それまでは、『新たに州の上に”内国”を設置に、その太守として劉備、孫堅を任命する』、とまあ、そういうことよ」

 

華琳は事もなげに言ってのける。

 

当たり前のことを話しているだけ。そんな雰囲気の華琳を目にし、孫堅は呵々大笑した。

 

「あっはっはっは!やっぱりあんた、面白い考えしてるねぇ!

 

 いや、これも北郷の――――そうでも無いらしいな。ってことは、あんた独自の考えなのかい?」

 

孫堅が目を向けた先の一刀は、大仰では無いものの驚きを示していた。

 

一刀が戦の前に華琳達を集めて話した策は、単純に蜀と呉の将兵を可能な限り残し、魏の労働力とする、ということだけだ。

 

孫堅の言う通り、”内国”制度の導入は華琳独自の考えなのであった。

 

「私も最初は貴女達を服従させて完全に魏に取り込んでしまおうと考えていたのだけれどね。

 

 一刀の話を聞いていて、私が覇道を目指したその根幹にあった想いの一つを思い出したのよ」

 

「……なるほど。

 

 分かった。いや、承知致しました、曹孟徳殿。呉”内国”太守の任、謹んで拝名させていただきます」

 

「あ!わ、私もです!蜀”内国”太守、謹んでお受けします!」

 

孫堅は優雅に拝手を取って答える。呆け気味だった劉備も慌ててこれに倣う。

 

「ふふ。よろしく。

 

 ああ、それと貴女達の部下だけれど、そのまま起用を継続して構わないわ。

 

 それと、大丈夫だとは思っているのだけれど、念のために警告しておくわね。

 

 謀反を企てようものなら、大砲の斉射が目じゃないくらいの兵器で蹂躙してあげるわ。覚悟しておくことね」

 

一応の警告も完了。これにてようやく――――

 

「それじゃあ、改めて宣言しておこうかしらね。

 

 黄巾より続いてしまった大陸の覇権を巡る争いは、今をもって終結とする!

 

 各々、これよりはより一層民の平穏をに考えて行動せよ!」

 

華琳の宣言に、即座に魏の者が拝手を取る。

 

僅かに遅れて劉備、孫堅を除く蜀や呉の将たちも。

 

皆が華琳の命を排した。

 

名実ともに全ての戦争が終わり、大陸が新たな一歩を踏み出す。それを象徴する光景であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「華琳。終わったのなら少し時間を貰ってもいいか?」

 

終戦の余韻冷めやらぬ中、一刀が華琳に問う。華琳はただ一言、構わないわ、とだけ答えた。

 

ありがとう、と応じてから、一刀は協と、それから孫堅に目を向ける。

 

「白。それから孫堅さん。お二人に尋ねたいことがある。

 

 先ほど少しだけ話していた、『光剣』について教えて欲しい」

 

一刀がそう口にした途端、周囲が静まり返る。

 

誰もが多かれ少なかれ、それを知りたがっていたのだった。

 

「ふむ……私もそこまで詳しいわけじゃない。

 

 というより、あれについて詳しい奴なんてこの世にはいないんじゃないかねぇ?

 

 実際、碧を知ってる私でさえ、あれは眉唾もんだと思ってたんでね」

 

存在を知っていながら、詳細は何も知らないと言い切る孫堅。

 

そのことに一刀はより一層困惑の表情を深くした。

 

当然、周囲の者たちも意味が分からないとばかりに首を傾げている。

 

そこへ、情報を補足するべく協が口を開いた。

 

「兄上。『光剣』とは漢王朝に代々言い伝えられている伝説の技のことなのです。

 

 その昔、高祖様をそのお傍でお守りし、共に漢王朝を築いたと言われている、伝説の”剣姫様”。

 

 そのお方が扱われたという、無双の技こそが『光剣』です。

 

 ただ、具体的なことは何も分からないのです。『光剣』に関する口伝は本当に短いもので……

 

 曰く、『剣姫が扱うは光り輝く剣。其は幻影にして実体。鉄の刃折れようとも主が敵を打ち砕くまで輝きを失わぬ誠の忠義の剣なり』。

 

 ただ、それだけなのです。

 

 ほんの一節だけ。だから、過去の皇帝たちはこう考えていました。これは剣姫様を讃えるべく誇張された口伝なのだろう、と。

 

 いつしか、『光剣』と呼ばれるようになり、相国の地位と同じように何人も手にすることの出来ない至高の忠義の剣としてこれを知る者たちの間で崇められるようになったのです」

 

協はここで言葉を切る。その視線は孫堅を向いていた。

 

「兄上の闘い、私も拝見させて頂きました。

 

 確かに最後の技、あれは聞き及ぶ『光剣』の御姿そのものであったと感じました。

 

 私だけでなく、姉上も、そして孫堅さんも。だからきっと、あれは伝説の『光剣』なのです。

 

 だからこそ、こう考える事が出来ます。

 

 曹操さんは、かつての高祖様と同じく、真に天に味方されたお方なのだ、と。

 

 真の天の御業を扱いし遣いが、次なる大陸の覇者に味方する。漢王朝の興りに起こった伝説が今、再び為されたのだ、と」

 

「あんたも言っていたが、確かにあんたの剣自体は私に掠りもしなかったよ。

 

 だけど、その件が纏っていた光に触れた途端、確かに私は斬られたんだ。もう疑う気も無いさね。

 

 偶然かは知らんが、あんたは『光剣』を使った。

 

 漢王朝に属した身としちゃあ、これを認めるってのはあんたを真に”天の御遣い”だと認めるってことだよ、北郷」

 

孫堅が保証する。

 

未だ、自分がそんな大それた技を使用した――使用出来たとは信じられない。

 

ただ一つ、一刀にも出来る可能性はあった。

 

というのも――――かつて一刀が『神童』座から堕ちた原因にして、古くから北郷家にまことしやかに言い伝えられてきた一つの技。

 

北郷流のキバ。それは漢字で書くと”気刃”となる。間合いの外の敵を切り捨てる、などと言う、世迷言のような技だった。

 

当たり前のことだが、この世界に来て自らの剣術の腕を向上させ、更には氣を会得してからでさえも、気刃の習得などには手を出さなかった。

 

幼い時分にその技を追い求める心は粉々に砕かれてしまっていたからだ。

 

だが、二人にここまで言い切られては納得するより他無いのだった。

 

傍から見れば奇妙な顔をしていただろう。だが、気付けばそれとはまた別の意味で孫堅が一刀をじっくりと眺めていて――

 

「ただ、まぁ、ちと気になる点があるとすりゃあ――――」

 

「一刀っ!起きたと聞いたぞっ!!」

 

孫堅が何かを言おうとした時、新たに陣内へと入って来る人影が一つ。

 

よく響く大声を上げて一刀に近づいてくるのは、この世界で最高峰の医者にして一刀の親友となっている、華佗、その人だった。

 

華佗は真っ直ぐに一刀の目の前までやってくると、一刀を上から下まで観察してから口を開いた。

 

「一刀、お前……今度は一体どんな無茶をしでかしたんだ?

 

 今のお前からは全く氣が感じられないぞ?

 

 まるで生きていないみたいじゃないか!

 

 ほら、一刀!まだお前は絶対安静だ!」

 

有無を言わさず華佗の手によって横にされる一刀。

 

チラと見やれば、孫堅は納得したような表情をしていた。

 

察するに、『光剣』はそれほど莫大な氣を浪費したのだろう。

 

「ああ、そうだ。あたいから北郷に一つ、言っときたいことがあったんだった」

 

突然馬騰が声を上げる。

 

ただ、その瞳には別にマイナスな感情は無く、ただただ興味に光っていた。

 

「最後の戦、あんだけ前線に投入してきておいて後方の首尾も兵数が万全、ってのはちとおかしいと思ってたんだ。

 

 だが、魏に華佗がいたっ聞いて、納得したよ。

 

 ただねぇ……あんた、どうやって華佗を引き入れたんだい?

 

 そいつは非常に有能――いや、有能なんて枠に収まりゃあしないね。そんな奴だから、あたいも囲いたかったんだが、すげなく断られちまったよ。参考までに聞いときたいね」

 

「ん~、何て言えばいいのかな……簡単に言えば、華佗に投資して、少しだけ協力してもらった、ってとこだ。

 

 具体的には、華佗は街から街へ、或いは邑へ、移動を続けながら人々を治療して周っている。だが、その割に治療費は全然高くない。

 

 そんなんじゃあ、いずれ路銀が尽きるのは明白だった。

 

 だから、華佗の路銀と、加えて華佗の身の安全を魏国で保証した。代わりに、この最後の闘いにだけは従軍医師として参加してもらうことを条件とした。それだけだ」

 

「ふむ、なるほ――――いや、ちょいと待ちな!

 

 それだけだったら、あたいの時と同じく華佗は断りそうなんだが?

 

 いやいや、それ以前に、だ。たった一回の従軍にその条件ってんじゃあ、魏に益は少ないんじゃないのかい?」

 

納得しかけるも、すぐに反論が口を突いた馬騰。これに対し、一刀は少々罰が悪そうな顔で頬を掻きながら答えた。

 

「いや……華佗とな、約束したんだ。互いの信ずる方法で大陸に平和を、民に平穏を齎そうって。

 

 で、互いの活動に協力出来るんなら協力しようか、と。

 

 確かに、馬騰さんの言った通り、単純に見れば魏にとって益は少ないかも知れない。

 

 だけど、そこだけが重要ってわけじゃ無いんだ。俺はただ、個人的に華佗を応援したかった。だから華琳に無理を通させてもらった。

 

 ただそれだけの、単純かつ馬鹿なことだ」

 

馬騰は暫し目を丸くする。その後大きく噴き出した。

 

「はっ……はははははっ!!なるほどねぇ。国の頭の一人ともあろうもんが利益度外視かい。

 

 そりゃ、あたいには華佗を引き留められんわけだ!」

 

何が愉快なのか、馬騰の笑い声は収まらない。

 

華佗は二人が話している間に孫堅、孫策と状態を観察して一言二言注意し、そして今、馬騰の前までやって来ていた。

 

「ほら、次は馬騰殿だ。

 

 ん~、んん?…………ああ、そう言えば馬騰殿は氣を扱えるんだったか?」

 

「どの程度の話をしているのかは知らんが、そこの北郷や楽進のようには出来んよ。

 

 だが、あんたらみたいな氣が使える連中が口にする、”氣を整える”って程度のことなら出来るよ」

 

「なるほど、納得だ。

 

 傷周りの氣も乱れが無いから、馬騰殿の傷はすぐにでも治るだろう」

 

淡々と”視診”を終え、結果を伝える華佗の様子は、政治には一切興味が無いと物語っていた。

 

今、彼は各国の兵達の治療を行っている最中。重傷だった間者が起きたと言うから少し様子を診に来ただけなのであった。

 

「うん、皆ひとまずは大丈夫そうだな。

 

 もう一度言うが、一刀だけはまだ安静にしていること!

 

 お前はあまり考えたことも無いかも知れないが、体内に氣が一切無い状態ってのはかなり危険なことなんだからな!」

 

天幕を出て行く直前、一同に対してそう言った。そのまま少しだけ待ってから、華佗は陣から出て行く。兵たちの治療に戻って行ったのであった。

 

 

 

「ふふ。ああも言われてしまっては仕方ないわね、一刀?

 

 貴方は暫くここで大人しくしていなさい。

 

 春蘭、秋蘭、恋、菖蒲、零は一刀の看病をなさい」

 

華琳は軽く笑って指示を出す。春蘭たちは口々に御意と謝意を示した。

 

それから、華琳は周囲の者たちを改めて見回す。

 

ここまでずっと共に闘って来た魏の将たち。

 

長きに渡って争って来た蜀や呉の将たち。

 

今はまだ、互いの間に溝があるかも知れない。が、これからは共に大陸の平穏を保っていく仲間となるのだ。

 

なればこそ、早い段階で溝を取っ払っておく努力をしておかねばならない。

 

そして、それは全員が揃っている今こそ好機でもあるのだ。

 

華琳は桂花に視線を送る。桂花はそれだけで華琳の問いたいことを察し、頷いた。桂花から流琉へ視線が飛び、流琉が頷いて小走りに陣を去る。

 

動きに淀みは無い。準備は既に大方が出来ている。最後の仕上げも、これなら間に合うだろう。ならば、後は命令し、”そこ”へ連れて行けば良い。そうすれば後はなるようになるだろう。

 

「劉備、孫堅、そして蜀呉の将たちよ!

 

 今から命を下す!貴女達に実際に行動してもらう初めての命よ」

 

何人もがゴクリと唾を飲む。何を命令されるのか、皆目見当も付かない。

 

下手をすれば、魏の将基準で無茶な命令が飛んでくる可能性もあるのだ。

 

再び緊張で張り詰めた空気が流れ出すが、華琳は一切気にしなかった。

 

「華佗の治療が終わり次第、行軍を開始せよ!

 

 向かう先は赤壁の砦!そこで何をしてもらうかは、着けば分かるわ」

 

『は、はっ!』

 

戸惑いは感じられるものの、しっかりと揃えられた返答だった。この辺り、蜀も呉もやはり、しっかりと統率の取れた良い軍なのである。

 

「貴女たちも準備なさい。

 

 一刀たちは後からの出発で構わないわ。やることは分かっているでしょう?」

 

「ああ、そうだな。ここまで来れば、もう俺は必要無いだろう。

 

 ゆっくりと向かわせてもらうとするよ」

 

「ええ。

 

 お疲れ様、一刀」

 

最後に労いの言葉を掛け、華琳が陣を出て行く。

 

その後に魏の将もぞろぞろと続いて行った。勿論、皆口々に一刀に言葉を掛けながら。

 

魏の面々が全員出て行くと、蜀や呉も動き出す。

 

「皆、私たちも準備しよう!

 

 朱里ちゃん、雛里ちゃん、雫ちゃん、あ――――あ、いや、えっと……さ、三人に指揮をお願い出来るかな?」

 

「はい、お任せください。雛里ちゃんは大丈夫?」

 

「わ、私は大丈夫です!」

 

「お任せください、桃香様。迅速に準備致します」

 

蜀はやはり中核の軍師三人が中心となって動くことになった。

 

対して、呉はと言えば。

 

「さて。あんたら、聞いた通りだ!

 

 曹操の奴に遅いと溜め息吐かれたく無けりゃあ、各自ちゃっちゃと準備しちまいな!

 

 分からんことがあれば冥琳か穏に聞いて手早く済ませ!」

 

『はっ!』

 

細かい動きの無い内容であれば、個々で勝手に連携を取って動くことが出来る。呉はそれだけ将同士・部隊同士の関係性が密接なのだ。

 

ちなみに、魏は蜀と同じように基本的に桂花と零が指揮を執って準備を進めるタイプの軍だ。

 

では、何故呉だけがこのような形を取れるのかと言うと、単純な話で新規参入武将が少ないため、将同士が互いをよく知り尽くしている状態だからだった。

 

そんな二国二様に陣を出て行く様子を眺め、一刀は思う。

 

行動一つ取ってもここまで二国は異なっているのだ。当然、その支配態勢も随分と違ったものとなっているだろう。

 

華琳も言っていたことだが、今後、それらを魏のものに徐々に統一していかねばならない。

 

随分としんどい仕事になりそうで、そんな仕事を残してしまうことを心苦しく思う。

 

一刀はこっそりと拳を握って掌に爪を立ててみてから、周囲の五人に気付かれないよう小さく溜め息を吐くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何が待ち構えているのか分からないまま、蜀呉の者たちは行軍を続ける。

 

向かうは、かつて逃げ棄てた赤壁の砦。

 

前方には無防備に背を向けた魏軍の姿が見える。

 

ほんの数刻前までは想像の欠片すら出来なかった光景が今、目の前に広がっていた。

 

一般の兵達はあの陣内であった詳細など知りようも無い。

 

ただ、各々直轄の将に集められ、告げられただけだ。連合は敗北し、魏に降ったのだ、と。

 

告げた将の顔に、苦々し気な様子はあれども悲壮感は無かった。

 

だからなのか、多くの者は目的も分からずに行軍させられていても大して文句も不安も持っていない。

 

しかし、行軍しながら涙を流す者もいた。敗けて捕らえられた自分たちは、処刑されるために歩かされているのだ、と信じ込んでしまっている者たちだ。

 

周囲の兵はそんな彼らを慰める。精々、これから魏のために何かさせられる程度だろう、と。

 

行軍速度自体はそこまで速くは無い。身体の怪我は華佗によって治っていても、精神的疲労を考えての実にゆっくりとしたペースでの行軍となっていた。

 

そうこうしながら行軍すること一日半。ようやく赤壁の砦の壁面が見えてきた。

 

さて、一体何を要求されるのか。この一日半の間、漠然と降り積もって来た不安が蜀呉の兵達の緊張感を底上げする。

 

と、その時、蜀呉のそれぞれの弓兵隊の中でも特に目の良い者たちが城壁上を指さした。

 

「おい、あそこ、壁の上!人がいるぞ!手に何かを持っている!だが……三人だけ?」

 

「な、なんだ?何なんだ、あの服……?」

 

「…………あ……!ああっ?!」

 

じっくりと目を細めて眺めていた内の一人が、突然驚きに染まった大声を上げる。

 

壁上の三人の正体を知っているのか、とその者に注目が上がる。

 

「あれはまさか……まさか、本当に……?!」

 

おい、一体あれは誰なんだ!――――誰かがそう問い質そうとしたのは事実だろう。だが、その声は別の声に押し流される。

 

「は~い、皆~!おっ疲れ様~~っ!!

 

 今日はお疲れな皆のために、と・く・べ・つ・に!来舞をやっちゃいま~すっ!!」

 

『ほわっ!ほわあああぁぁぁっっ~~~~!!』

 

城壁までの距離も近づいたことで、多少なり目の良い者は今の不可解な事象を理解出来た。否、”不可解な事象だと”理解出来た。

 

どうしてか城壁上の人物の声が平野全体にまで響いたのだ。

 

そして、その声が聞こえた瞬間、前方、魏の兵たちから奇声が発せられた。それは大地を震わさんばかりの大音声。

 

鬨の声よりも気合が入っているのでは無いかと思うほどのド迫力に、思わず蜀呉の兵達はブルリと身震いする。

 

「ほらほら、皆~?疲れててもまだまだ声出せるでしょ~!!

 

 さあさあ!ちぃの掛け声に合わせて!せ~のっ!」

 

『ほわっ!!ほわぁぁあぁあぁあああぁぁぁっっっ~~~~!!!!』

 

先程以上の奇声。今度こそ、声の振動によって遂に大地が震える。

 

先程の兵に向かって説明しろと迫る視線が集中する。

 

それに答えたのか、それともただ口を突いただけなのか、兵は三人の正体を明かす。

 

「あれは数え役萬姉妹だっ!時には辺境の邑にまでやってきてはああやって来舞で歌って民の心を癒してくれる、俺たち庶民の憧れの存在だっっ!!」

 

「し、しすた……?らい、ぶ……?いや、とにかく、あの三人は旅芸人ということなんだな?」

 

「彼女達はそんな枠に収まらないっ!!

 

 彼女達は……『あいどる』なんだっっ!!」

 

熱く語る兵に周囲は若干引き気味になっている。

 

しかし、仕方も無いだろう。実はこの兵士、今でこそ蜀の正規兵だが、その前は黄巾党に属していた。

 

そこで張三姉妹を知って心酔し、黄巾の乱の終わりには大粒の涙を流し、そしてつい最近になって三姉妹が工作活動で少しだけ蜀や呉に入った際に再びその存在を知ったのだ。

 

三人が生きていると知った時のその兵の喜びようは、それはもう大変であった。

 

近く行われた戦で部隊長を押しのけて最大の戦功を挙げたほどだ。

 

それと同時、彼はいつか、間近でその来舞を見たいとも考えていた。

 

それがまさに今、叶おうとしている。興奮を抑えられなくとも仕方の無い話だと言えよう。

 

見れば、蜀呉の兵達の各地で同じような状況になりつつある。

 

すると、それを待っていたかのように人和がマイクを通して声を張り上げた。

 

「魏の皆さ~ん。もうちょっと前へ詰めてあげてくださ~い。

 

 さあ、蜀の皆さんも呉の皆さんも、もっと前へおいでください。

 

 今日は皆で楽しんで、やっと戦の終わった平和な大陸を祝いましょう!」

 

それはとても大きな火種だった。

 

その火種が太い導火線――――蜀呉各地の元黄巾たちや工作活動時に彼女たちを知った者たちに届く。

 

すると、当然のことのように。

 

「前っ!前へ行かないとっ!!」

 

蜀呉の兵の多くが足を止めている中、散発的に前へ出ようとして人混みを描き分ける者たちが現れる。

 

その数が多くなってくると、次第に人の集団心理が働いてくる。

 

多くの者がやっているのだから自分もやっておこう。そんな心理に導かれるように、徐々に蜀呉の兵も前へ前へと詰めて来た。

 

やがて完成する、間違いなく過去最大級の三姉妹野外ステージ。

 

異常とも言える超大人数に三姉妹はニンマリと笑みを作った。

 

「さあ、皆~!準備は出来たかな~~?

 

 それじゃあ、行っくよ~~!」

 

天和の掛け声で遂に一曲目が、張三姉妹の来舞が始まったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、なんですか、あれ……?」

 

理解不能な事態に呆け気味に問うのは劉備だ。

 

魏呉蜀の将たちは既に砦へと固まって入っている。

 

外で張三姉妹の来舞を楽しんでいるのは三国の一般兵だけだった。

 

「あれは魏で人気だった兵の慰安よ。

 

 不可解なことに美味な糧食を振る舞うことよりも士気が上がるのよ、あれ」

 

半ば溜め息を吐きながら答えたのは華琳だ。

 

確かに三人は見込んだ通り有能だった。だったのだが。

 

どうしてあそこまで効果があるのか、華琳には理解出来ない。一刀や沙和に説明されても、何故、という想いの方が強いのだ。

 

故に、ため息交じり。

 

華琳にとってはそんな対象の三人でも、興味を惹かれる者は惹かれるのだろう。

 

そんな視線を引き剥がすように、華琳は大きく手を打ち鳴らす。

 

「流琉!準備は出来ているかしら?」

 

「は~い、華琳様!先ほど出来たところです!

 

 ささ、皆さん、どうぞこちらへ!」

 

華琳の呼び掛けに応じて奥にある扉から出て来たのは流琉だ。

 

彼女は小走りに三国の将達の前までやってくると、くるりと向きを変えて先導するように歩き出した。

 

その後を、魏の者たちは期待に笑み崩して、蜀呉の者たちは訝し気に、続いていく。

 

そうして扉を潜ると――――

 

「わぁぁ!美味しそう……!」

 

真っ先に劉備が声を挙げる。

 

疑問の声にしろ感嘆の声にしろ、素直に口に出せるのが劉備の良いところでもあり、王としては直すべきところでもあろう。

 

ただ、こればかりは無理も無いかも知れない。何せ、所狭しと並べられたテーブルの上にこれでもかと色鮮やかな料理の数々が並んでいるのだから。

 

そして、初めての試みを行うこの場において彼女のその一言は良い流れの呼び水となった。

 

「はい!皆さんのために腕によりを掛けて作りました!

 

 兄様直伝の天の国の料理も沢山作ってありますよ!」

 

流琉が満面の笑みで答える。皆の目の前にある料理たちを示し、自信たっぷりだ。

 

ここまで来れば、最早、これがどのような場か、誰にも間違い様が無い。

 

それでも、敢えて華琳は声に出して宣言した。それを合図とせよ、とばかりに。

 

「さあ、宴よ!明日より訪れる大陸の平和を祝し、我らの間の蟠りは全てこの場で吐き出して今日と言う日に置いて行ってしまいましょう!」

 

歓声が、魏の者たちから挙がる。

 

さあ、どうしよう、という雰囲気が蜀呉の間で流れる。

 

そんな流れをばっさりと切り裂く勇者は、なんと即座に現れた。

 

「典韋殿にお伺いする。天の国の料理とやらに、メンマを利用した美味極まる料理はありますかな?」

 

言葉を発したのは趙雲だった。

 

その言葉が意味するところは明白。彼女はこの宴を楽しもうとしているのだ。

 

これがまず蜀の者たちに広まっていく。

 

張飛が満面の笑みで食事に喰らい付き始め、関羽や劉備が苦笑を浮かべながら合流し――――蜀のトップが宴に参加し始めればその下の者たちが参加する敷居は取っ払われたも同然だった。

 

流琉はこの流れを作った趙雲に対し、満面の笑みでこう答えた。

 

「メンマ丼なんてどうでしょう?一見単純ですが、振り掛けた独自の調味料によって別個に食べるより一段も二段も美味しく仕上がっていますよ!」

 

「ほぅ!それはそれは、是非とも頂きたいものですな!」

 

こうして蜀は宴の渦に取り込まれる。

 

さて、では呉はどうするのか。

 

真っ先に動いていたのは意外な人物だった。

 

「ほれ、策殿。こいつでもやったらどうじゃ?」

 

いつの間に取りに行ったのか、黄蓋が酒瓶と盃を手に孫策に向けて差し出していた。

 

「……これは?」

 

「曹孟徳が仕込んだ酒だそうじゃ」

 

「ふ~ん」

 

孫策は無造作に差し出された酒を手にし、呷る。と。

 

「っ!」

 

軽く目を開いた孫策を見て黄蓋はにやりと笑んだ。

 

「どうじゃ?美味いじゃろう?」

 

「ちょっと、祭。なんであなたがこれを知っているのよ?」

 

「いやなに、捕まっておる時に権殿に出されておったのをちょびっとだけ」

 

孫権に目をやれば、確かに頷いている。多少呆れ気味なのはこの際放っておくことにする。

 

「どれどれ……ほう、こいつもいけるねぇ!

 

 ちと甘味が強いのが気にはなるが、酒精が強いのが良い!」

 

突如後ろからにゅっと手が伸び、孫策の手にあった酒が掻っ攫われる。

 

掻っ攫ったのは孫堅で、酒を一口含むなり絶賛していた。

 

ただ、気になるのはそこでは無い。孫堅のもう一方の手には既に別の酒瓶が握られていたのだ。

 

黄蓋のみならず、この人物もいつの間にか動いていたということだった。

 

孫策以下、若い将たちが驚きをもって、並ぶ黄蓋と孫堅を見ていると、徐に孫堅が口を開いた。

 

「あんたら、何て顔をしてんだい。

 

 国同士の意地の張り合いはもう終わったんだよ。

 

 祭や粋怜を見習いな?」

 

そう言って孫堅が立てた親指で背越しに指した先では、なんと既に程普が大いに酒を呷っていた。

 

しかも、共に呑んでいるのはなんと霞であるのだから、呉の若将たちの驚きは深まるばかり。

 

「全く……曹操の奴も言ってたろ?まだ澱が残ってるってんなら、こいつで自分の底から巻き上げて言葉にして吐いちまいな!

 

 それに、これが最初で最後の機会かも知れないよ?」

 

「最初で最後?ちょっと、母さん、どういう事よ?」

 

「見て気付かないかい?ここにゃあどこにも明確な席が用意されちゃあいない。

 

 玉座も何もあったもんじゃない。上座を作ってないんだ。ってことは、そういう事なんだろうさ」

 

「……曹操でも北郷でも、本音をぶつけたい相手にぶつけに行っても、今日に限っては問題無い、と?

 

 ですが、月蓮様、魏の宴がいつもこのような場であり、我々が上座に気付いていないだけということもあるのでは?」

 

周瑜としては、今後の元・呉の者たちの処遇を冷たいものにさせまいとする配慮から出た言葉だったはず。

 

だが、孫堅にとっては溜め息を吐いて面倒くさそうに答える案件にしか感じられなかったらしい。

 

「冥琳、そんなややこしいことをするくらいなら、最初からこの宴に呉や蜀の連中を呼びはしないよ」

 

続いてグルリと将達を一瞥。一段声を張って孫堅は続ける。

 

「それにね、あんたら。宴なんて場で自分らの立ち位置だの振る舞い方だの、そんな細かいことで悩んでるもんじゃ無いよ。

 

 ま、さすがにやり過ぎって言葉はあるだろうが……な~に、いざともなれば私が対処してやるよ。

 

 だから、あんたらはつまらない事は何も考えず、明日以降をすっきりした気持ちで迎えるためにやりたいことをやって来な!」

 

孫堅はそう、きっぱりと言い切った。

 

――――この時、気付いた者は少ないが、離れたところでこの会話を聞いていた華琳が目を瞑り薄く微笑んでいたという。

 

――――何でも、孫権がこの言葉を発した瞬間、この日の宴は成功を確信したのだとか。

 

さて、直接孫堅の言葉を受け取った呉の将達はと言えば。

 

「……雪蓮。悪いが、私は少し席を外させてもらうぞ。

 

 折角の機会だ、荀彧には色々と聞いておきたいことがある」

 

「あ、でしたら~、私は程昱さんに色々聞いてみたいですね~」

 

周瑜と陸遜が歩き出す。それが切っ掛けとなった。

 

呉の者たちも各々が各々、行きたい場所へと散り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏口から赤壁へ向かう数騎の集団があった。言うまでも無く一刀達だ。

 

その中には三国の兵たちの処置を終えた後、一刀に付き添った華佗の姿もあった。

 

華佗はアルの背に一刀と共に乗っている。一刀は退屈紛れに、と華佗に語り掛けた。

 

「悪いな、華佗。というか、良かったのか?赤壁ではもう宴を始めてると思うが……

 

 というか、華佗もその事は知ってたよな?」

 

「確かに、知ってはいたが、俺は別に戦に参加していたわけでは無かったからな。

 

 何より、病人を後回しにして興に耽るなんて、俺には出来ない相談だな!」

 

相変わらず、華佗はストイックなようだ。その頭は病人を診て救うことしか無いのだろう。

 

となると、一つ疑問が出て来る。

 

「なあ、華佗。お前はこれからどうするんだ?」

 

「ん?そうだなぁ……どことは決めてないが、すぐにでもまた旅を再開するつもりだ。

 

 戦は終わっても大陸に病人は尽きないからな」

 

「そうか。なら、せめて今日の宴は大いに楽しんで行ってくれ。

 

 三国の中にはお前が命を救った将も何人かいただろ?

 

 場合によっては今後の活動も多少楽になるかも知れないしな」

 

「う~ん……俺は魏が支援してくれている分だけで十分以上に満足出来てるんだがなぁ。

 

 だがまあ、宴にはありがたく参加させてもらおう!折角だしな!

 

 ただ、一刀。お前はまだあんまり羽目を外し過ぎるなよ?まだお前の氣は――――」

 

「華佗」

 

一刀は華佗の言葉を敢えて遮るようにして友の名を呼ぶ。

 

その声質は先ほどまでとは異なるもの。

 

華佗には見えないが、一刀の表情には真剣味が増しているだろう。

 

「どうした、一刀?」

 

「お前はこの大陸で出来た、唯一と言っていい親友だ。

 

 だから、お前には先に話しておこうと思う。実は――――」

 

そこで一刀の語った内容は、華佗にはほとんど理解出来なかった。

 

ただそれでも一つ、言えること、否、言いたい事があった。

 

「もしそれが本当なのなら……一刀は見事に目的を成し遂げた、ってことになるんじゃないのか?

 

 だから、俺はこうとだけ言わせてもらおう。

 

 おめでとう、一刀」

 

「華佗…………ああ、ありがとう」

 

その会話から赤壁到着までは数刻。

 

二人は一度仕切り直し、空気を重くするその話題はもう口には出さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お~、盛大にやっているな」

 

赤壁の砦に到着し、城壁に前に広がる光景に発された華佗の言葉。

 

その眼に映るのは、そこかしこで三国の兵が区別無く入り混じって酒を呷り料理をかっ込んでいる光景だった。

 

「張三姉妹が上手くやってくれたみたいだな」

 

「あの元気な三人娘か!夏口に行く前もそうだったが、兵達のあの熱狂振りは凄いものがあった。

 

 一部の者たちなんか氣が昂っていて――――ん?待てよ、もしかして…………だったら、上手くやれば治療にも利用出来るんじゃあ……?

 

 なあ、一刀!」

 

「その辺りは専門外の俺にはちょっと意見しかねるが……だが、三姉妹も今は中の宴の方にいるはずだ。一度相談してみてはどうだ?」

 

「ああ、そうだな!ではそうさせてもらうとしよう!」

 

新たな治療の可能性。それに目を輝かせて華佗は宴の会場へと駆けこんで行く。

 

その華佗と入れ替わるようにして五つの足音が近づいて来た。

 

一刀の看病として夏口に残り、共に騎馬で疾走してきた五人。春蘭、秋蘭、恋、菖蒲、零、だ。

 

「やあ、皆。お疲れ様。

 

 ごめんな?付き合ってもらった結果、宴にこれだけ遅れちゃうことになってしまった」

 

「何を言う。皆、自らの意思でお前と共にいることを選んだのだ。文句などあるまいよ」

 

五人を代表して答えるのは秋蘭だ。他の四人は大なり小なり笑んで首肯している。

 

その様子は一刀も自然と微笑ませるものだった。

 

けど、と一刀は言葉を返す。

 

「他の皆も待ってるはずだ。

 

 今からでも宴に出た方が良いよ。

 

 っと。ほら、噂をすれば――――」

 

「春蘭様~っ!あっ!兄ちゃんも!

 

 ね、ね!流琉が美味しいものた~っくさん作ってくれてるんだよっ!」

 

丁度、宴の会場から季衣が飛び出して来て興奮気味に語る。

 

季衣の頭越しに見える会場内の様子に、一刀は思わず目を細めて笑んでしまう。

 

魏だけじゃない。蜀が、そして呉が。将が入り混じって呑み、喰っている。

 

まだぎこちなさの残る部分はあろう。が、これならば、時間の問題だ。

 

「ほう、流琉が?ならば、すぐに行かんとな!

 

 一刀!」

 

「うん。行っといで、春蘭。

 

 っと、そうだ。その前に……」

 

春蘭は季衣と共に駆け出そうとするが、一刀の言葉に足を止めた。

 

一刀は五人を改めて見つめ直す。

 

一人一人としっかりと視線を交わらせてから、恐らく最後となるであろうお願いを口にした。

 

「皆……後で、少しだけ時間をくれないかな?

 

 皆には……皆にだけは、話しておきたいことがある、から」

 

春蘭や恋は首を傾げている。だが、否とは答えない。素直に諾を返す。

 

菖蒲は不思議そうな表情を浮かべているも、やはり諾。

 

ただ、秋蘭と零は――――表情が渋かった。否、渋いとはまた少し違う。まるで、痛みを堪えているかのような表情。

 

二人は返答を口に出来ない。ただ、首を一度、縦に振ることしか出来なかった。

 

「もう話は終わりか?

 

 ならば、一刀!行こうではないか!」

 

春蘭が元気よく手を差し出して来る。

 

そんな彼女に、一刀は申し訳なさそうに眉尻を下げるしか無かった。

 

「ごめん、春蘭。華佗にさ、止められてるんだ。

 

 だから、今日は安静にしとくよ」

 

「むぅ、そうか。

 

 分かった!だったら、一刀!無理はするなよ!」

 

それだけ言い残し、今度こそ春蘭は季衣と駆けて行く。

 

一刀は残る四人の背中も押すべく、声を掛ける。

 

「ほらほら、皆も。

 

 ここでぼうっと突っ立てるだけじゃ、華琳が折角開いてくれた宴の意味が無いぞ?」

 

「……うむ、そうだな。

 

 では、我らも行くとしようか。

 

 ……一刀。また後で、な」

 

「……月のとこ、行ってくる。

 

 ……また」

 

「私も、一先ず桂花のところへ顔を出しに行くわ。

 

 菖蒲も行くかしら?」

 

「あ、はい。そうですね。

 

 では、一刀さん。また後ほど」

 

四人もそれぞれ、宴の最中へと散って行く。

 

自ら選択した事とは言え、五人とも去った後では一抹の寂しさを感じずにはいられなかった。

 

「ふぅ……取り敢えず、あれだけは取って来ておくか……」

 

周囲に誰もいなくなり、繕う必要は無くなった。

 

一刀は重さを感じる身体に鞭を入れ、輜重隊に預けていた自らの荷物の下へと足を向ける。

 

ずっと用意しておいた”土産”を取りに……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宴はより一層盛り上がっている。もう少しもすれば、たけなわといったところだろう。

 

宴会場から離れ、四阿に腰かけた一刀は、見えもしない宴の様子を想う。

 

果たして蜀や呉の将たちとの確執は全て水に流せたのだろうか。

 

いや、やはり今日一日だけでは難しいだろう。

 

だが、これからは時間ならたっぷりとある。彼女たちならばやり遂げてくれるだろう。

 

「あら、一刀。こんなところにいたのね」

 

そう。こうして何も言わずとも気付き、宴から離れたところまでやってくるほど視野の広い王と、その愛すべき部下たちならば。

 

「やあ、華琳。宴の方はいいのかい?」

 

「あら。その言葉、そっくりお返しするわよ?」

 

「あ~。はは……」

 

この話題は分が悪い。とあればすぐに話題を変えるに限る。

 

「ところで、どうかしたのか?」

 

「露骨ね。ま、いいけれど」

 

華琳には溜め息を吐かれてしまったが、それでいい。

 

華琳も本題に入ることに否やは無かった。

 

「貴方には改めてお礼を言っておこうと思って、ね」

 

「お礼、ね。華琳を立てて魏で大陸を制することで大陸に平穏が訪れる。

 

 それが一番だと思ったから協力した。ただそれだけなんだけどな」

 

そう。一刀の目的と華琳の目指すところが一致していた。ただそれだけのことだ。

 

「けれど、それは建前でしょう?

 

 それに、私がお礼を言いたいのはもう少し別のことよ」

 

「……」

 

一刀が語った理由を、建前だろうと一蹴した。ずっと公言していた理由にも関わらず、だ。

 

見破られていた。その事に少なからず一刀は動揺する。それは沈黙となって表れた。

 

しかし、華琳は敢えてそれを気にしない。

 

「私がお礼を言いたいのは、貴方が夏候家の力になってくれたことに対して、よ。

 

 それが間接的に私の覇道の助けにもなってくれた。

 

 それと……何より、春蘭と秋蘭の命を救ってくれたこと。それが嬉しいのよ」

 

「はは……すごいな、華琳。全てお見通しだったってことか」

 

「やっぱり、否定しないのね。まあ、気付けたのは偶然よ。

 

 貴方が私の前に現れてからの全ての行動を思い返して分析すれば自然と、ね」

 

華琳は微笑む。

 

そこには覇者としての姿は無く、ただ一人の少女としての姿があった。

 

無礼講にした宴の影響だろうか。それとも別の……

 

いずれにせよ、そんな華琳の姿はとても眩しいものだった。

 

「ねえ、一刀?

 

 私はこれから、魏をかつての漢王朝にも負けない程大きく、そして強固にしていくわ。

 

 その中に、旗揚げからの腹心が皆揃っているというのは、私にとっては望外の喜びなのよ?」

 

「ああ……そうだろうな。

 

 本当の華琳は、誰よりも優しくて、誰よりも愛が深い子だもんな」

 

「ふふ。私のことをそう評価するのは、貴方以外にはいないわよ、きっと……」

 

互いに微笑み合い、僅かな沈黙が降りる。

 

嫌な沈黙というわけでは無い。むしろ、心地よいものだった。

 

それも暫くもすると、宴会場の方から複数の気配が近づいて来る。

 

そのタイミングで華琳は腰を上げた。そして、そろそろ戻るわ、と一刀に背を向ける。

 

華琳の用事とはこれだけだったのだろうか。そう思い始めた時、不意に華琳が顔を少し俯かせた。

 

「ねえ、一刀。

 

 貴方が以前、私にしたことを覚えているかしら?」

 

「えっと……すまない、華琳。それだけではちょっと……」

 

「……今なら」

 

華琳の声はか細いと言えるほどに小さい。

 

だが、未だ静寂に包まれたこの場では、はっきりと一刀の耳に届いた。

 

「今なら……口説かれてあげても、いいわよ?」

 

「あ……」

 

一刀も思い出した。

 

かつて、ちょっとした冗談で華琳に迫るようにしてみた事。そして、余裕であしらわれ、やはり華琳には敵わないと思い知ったあの時のことを。

 

華琳の言葉が示す意味。それはとても嬉しいものだ。

 

()()()()()、一刀は困ったような、泣き笑うような表情しか作れなかった。

 

「ありがとう、華琳。そう言ってもらえて、俺もうれしいよ。

 

 けど、ごめん。それは今日じゃなくて、次の機会に……」

 

「次の、ね……

 

 ねえ、一刀。言質は取ったわよ?

 

 …………必ず、次の機会を作りなさいよ。例え、何があろうとも……」

 

それ以上、華琳からの言葉は無かった。

 

ただ、その物言いはまるで……

 

(華琳……君は全てを察した上で、今ここに来てくれたのか……

 

 すまない……そして、ありがとう……)

 

心中でもう一度、華琳に対して感謝する。

 

それから深呼吸を一つ。

 

心を落ち着け、直にやってくる五人を待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すまない、一刀。待たせたか?」

 

五人が四阿に入って来て、秋蘭が声を掛けてくれる。

 

一刀は笑みを浮かべてこれに応える。

 

「いや、全く。宴の方はまだ終わってないんじゃないか?」

 

上手く微笑めているだろうか。そんな些細なことが気に掛かる。

 

「宴の方は直に終わるからな……

 

 それよりも、一刀。話、とは?」

 

秋蘭の声。言われないと気付かないほどだが、微かに震えている。

 

彼女だけでは無い。残る四人もそれぞれに……

 

春蘭と菖蒲は俯き、肩を震わせている。

 

恋と零は一刀を見つめてはいるが、その瞳は不安が色濃い。

 

事前に察した様子であったのは秋蘭と零。

 

彼女達が皆に推測を話したのだろうか。

 

その事が幸か不幸かで言えば、ぎりぎり幸寄りだろう。

 

「……実を言えば、話ってほどでも無いんだ。

 

 ただちょっと、皆と改めて顔を合わせておきたくて――――」

 

一刀が静かに語り掛ける。

 

「これが”最後”になっちゃったから、な」

 

その言葉を聞いた瞬間、春蘭と菖蒲の肩が跳ねた。

 

恋と零の表情が悲しみに歪んだ。

 

秋蘭は……やはり、と言いたげな表情を繕ってくれているが、その肩は春蘭同様、震えていた。

 

一刀は次の言葉を紡ぐ前に、顔を上向ける。

 

「いやあ、ほんと、参っちゃうよ。

 

 ちょっと前から、少しずつ身体が変になってきててな。

 

 貂蝉って奴に掛けてもらったこの世界に留まるための”おまじない”とやらが切れ掛かってるのか、それともそれでは抑え切れなくなってきてたのか……」

 

「……最近、まさか、と思うことは度々あった。

 

 そして、それは孫堅との一騎討ちを見て確信した。

 

 …………一刀。お前、痛みを感じていないのだろう?」

 

秋蘭の問いに、一刀は微笑むだけ。

 

沈黙は肯定、だった。

 

一刀が痛みを感じていない意味。それは秋蘭には分からない。

 

だが、人が生まれ持った感覚の一部を失うということが、看過できるような軽事であるはずが無い。

 

それは”終わり”を意味するには十分な出来事で――――

 

「いつから、なんだ?」

 

秋蘭は俯いてしまうのを堪え切れず、一言を絞り出すのにも苦労した。

 

「この大戦の始まる少し前。そうだな……丁度、蜀や呉との小競り合いが多くなってきた辺りから、だったかな?

 

 ……元々さ、どうやらこの世界は俺を排除したがっていたらしい。

 

 俺を消そうとする世界に対し、俺は無意識に抵抗する。すると、それが俺の身体に痛みとなって表れていた。

 

 定軍山の時、それが遂に許容を超えて、一度俺は消え掛けたんだよ。

 

 そして……この世界よりも”高い”場所で、世界の『管理者』――――さっき言った貂蝉って奴だが、それに出会い、今のことを教えてもらった。

 

 その時、世界の害意から俺の身を守る”おまじない”を掛けてもらったんだが……

 

 どうやら、”おまじない”の力を遥かに超えて、世界は俺を消したいらしい。はは、ほんと、嫌われたものだよな」

 

「…………何故だ」

 

秋蘭がポツリと言葉を漏らす。

 

それが呼び水となり、秋蘭の喉を詰まらせていた数々の言葉が溢れ出した。

 

「何故一刀が消えねばならないのだっ!!

 

 一刀は魏のために……民のために……大陸のために!世界とやらのためにずっと戦って来たではないか!

 

 それなのに、何故…………」

 

思い溢れて尚喉を詰まらせる秋蘭を、一刀は感謝の気持ちと共に抱きしめる。

 

既に秋蘭の涙腺は決壊していた。

 

一刀の背に両の手を回し、その胸の中で秋蘭は咽び泣く。

 

「大陸のためではあったけど、世界のためにはなってなかった。それだけの事だよ。

 

 世界には、それ自体が望む”歴史”って奴があった。けど、それを俺がその筋書きを悉く書き換えていったものだから、世界が怒ったんだろうね」

 

「ちょ、ちょっと、一刀?

 

 世界の筋書きを書き換えるなんて……そんな大それたこと、いつやらかしていたって言うのよ?」

 

声も出せなくなった秋蘭に代わり、今度は零が聞いてくる。

 

これに、一刀はどう答えようか、瞬間だけ迷った。だが、ありのまま全てを語った方が良いと考えた。

 

「……張角、張梁、張宝は、黄巾の乱で死ぬはずだった」

 

「……え?一刀、何を……?」

 

突然の語り出し、そしてその内容に、零はきょとんとしてしまう。

 

しかし、一刀はそれには答えず、”本来の事実”を並べ立てる。

 

「董卓は反董卓連合の折に洛陽を追われ、逃げ伸びた先の長安で呂布に騙し討ちを喰らって死ぬ。

 

 その呂布も、陳宮、高順と共に各地で戦いを繰り広げ、最後には曹操により捕らえられ、処刑される。

 

 夏候惇は高順との一騎討ちに勝利したが、逃げ出した高順を追う段で左目を射抜かれ、失う。

 

 夏侯淵は定軍山を拠点に劉備軍と長年の戦を繰り広げ、最後には力尽きて黄忠に討たれる。

 

 徐晃に関しては諸説あるが、孟達との戦で戦死したとされている。

 

 司馬懿が活躍するのはもう少し後の時代で、曹操の息子に仕えた後、司馬家で魏を乗っ取って晋を興す。

 

 その他にも、本来孫堅はもっと早い時期に黄祖の軍と相対していた時に落石に巻き込まれて死亡するし、周瑜は赤壁の戦いの時点では病気がかなり重くなっていたはずだ。

 

 …………そして、何よりも……本来、魏は赤壁の戦いで大敗北を喫するはずだった。

 

 この大敗北とその後のゴタゴタを経て、魏の勢力は大きく削られてしまい、蜀と呉と魏は三竦みのような状態に陥る。

 

 結局、曹操の代ではこれを解消出来ず、志半ばにして病に倒れる、というのが俺の知る”歴史”、そして世界が望む”歴史”だ」

 

長々と語られた内容。それを五人は呆然と聞いていた。

 

内容を中々咀嚼し切れない。むしろ、理解したくない。

 

だが、誰かが言葉にしなければならない。

 

「ちょっと、待ちなさいよ……

 

 それじゃあ、何?天和たちが生きていて、月が生きていて、恋も生きていて……

 

 春蘭の両目は無事で、秋蘭も菖蒲も命を拾っていて、そして私が今の時代に活躍出来ていて……そして、赤壁で勝利して……

 

 その諸々が、あなたを消す原因だと、そう言うの、一刀?!」

 

零が悲鳴のように詰問する。

 

その響きには、嘘だと言って欲しいという願望がありありと浮かんでいた。

 

その希望通りに答えて上げられたら、どれだけいいことか。

 

「ああ……その通りだ」

 

だが、現実は甘くなど無い。零が言ったことは全て、事実なのだ。

 

春蘭、恋は俯いたまま拳を堅く握り締める。菖蒲もまた、堪え切れずに俯く。胸の中の秋蘭は身を堅くする。そして、零は今にも泣き出しそうなほどに顔を歪める。

 

五人を悲しませる、そんな事実。たしかに、”事実”、だが。

 

「けれど、勘違いしないで欲しい」

 

一刀は、持てる限りの優しさを言葉に篭め、皆に語り掛ける。

 

「これは全て、俺自身が望んで行ったことなんだ。

 

 これからの大陸をより平和にするためには、強大で澄んだ力を有する華琳の魏を筆頭に、蜀や呉の優秀な将をも取り込んで、一丸となって平和を守るべき。そう考え、そうなってくれるよう動いていたんだから」

 

「………………何故、だ?」

 

今までずっと黙り込むことしか出来なかった春蘭が、か細く問う。

 

「何故、お前はそこまで…………」

 

「……それが、華琳の望むところだったから。

 

 引いては――――春蘭、秋蘭。二人が何よりも望むところだったから」

 

「かず、とぉ……かずとぉぉぉっっ!!」

 

春蘭は最早、溢れる涙を止めることは出来なかった。

 

拭うことも忘れ、秋蘭の隣、一刀の胸に縋り付き、姉妹揃って咽ぶ。

 

春蘭の憚らぬ泣き声は一刀の胸に鋭い痛みを与えた。

 

けれど、一刀にはもう、困ったような、けれどどうにか笑顔を見せるしかない。

 

「ごめんな、二人とも。

 

 あと赤壁くらいなら、と思ったんだけど、やっぱり世界にとってはちょっと、大きすぎたみたいなんだ……」

 

もう、夏候姉妹は何も言葉を発することが出来ない。

 

零も菖蒲も、発すべき言葉が見つからない。

 

「…………一刀。ほんとに行っちゃう、の?」

 

恋が、ゆっくりと顔を上げ、問う。

 

つい先ほどまで肩を震わせていたとは思えぬほど、今の恋は表情を感じさせない。

 

何を考えているのだろうか。心を通わせてからは感じていなかった壁を感じ、少し寂しく思う。

 

「ごめんな、恋……けど、もうすぐ、俺は消えるんだと思う。

 

 推測でしかないけど、最後の戦いで氣を使い果たしたから、かも知れないなぁ。

 

 あれは、俺が強くなるために利用出来るものでもあったけど、それ以上に俺をこの世界に留める繋ぎみたいな役割があったのかも……

 

 それが証拠に、あの戦が終わってから、どんどん力が抜けて行くようで……氣もまだ、一切回復していないんだからな……」

 

「…………そう……」

 

たった一言。恋は発し、僅かに俯く。が、すぐに顔は上げられ―――― 一刀をまっすぐに見つめる恋の瞳には、確かな決意が見えた。

 

まさか。一刀の頭を一瞬、嫌な予感が過ぎる。もし”そんな事”を言い出しても、恋を傷付ける返答しか出来ない。出来ることなら、それだけは口に出さないでくれ。そんな嘆願を――

 

しかし、恋の言葉は止まらなかった。

 

「……一刀。約束する。

 

 ……月、恋が守る。華琳も、恋が守る。

 

 ……恋が、大陸の平穏を守る。

 

 ……だから、一刀。安心、して?」

 

――愚かだった。心底、自身を罵りたい、そんな衝動に駆られた。

 

恋は、精神的にもとても成長していた。

 

恋の言葉は、一見冷たくも映るかもしれない。が、その目尻に溜まった、今にも表面張力を破りそうな滴を見れば、正反対の見方へと変わる。

 

恋は一刀との別れを受け入れ、悲しませないように振る舞おうとしてくれていたのだった。

 

「……ありがとう、恋」

 

言葉に詰まり、それだけしか出て来ない。

 

「……ん」

 

けれど、恋には伝わってくれたらしい。しっかりと、恋は頷いた。

 

 

 

暫しの沈黙。

 

それぞれが別離を惜しみ、噛み締める、そんな時間が流れていたが、いよいよ”その時”が近いことを一刀は直感的に悟った。

 

未だ胸に縋り付く姉妹の肩に手を添え、優しく引き剥がす。

 

そして、改めて五人を見つめた。

 

それぞれがそれぞれの想いを存分に篭めて見つめ返してくる。

 

最後に、と一刀は一人一人と視線を合わせ、そして言葉を交わす。

 

「零。まずはこれを……」

 

「……これは?」

 

零に、一冊の書簡を手渡す。それは、一刀の”置き土産”であった。

 

「その中には、大陸に平穏を齎した後に献策しようとしていた諸々を書き記してある。

 

 輪栽式農業や学校制度、職業安定所、芝居小屋……民の生活を豊かにし、民の中から有能な者を見つけ出し、民に仕事を行き渡らせ、娯楽を提供する。

 

 平和な世の中であればどんどん発展していってくれるだろう内容だが、この大陸に合わせた内容に出来ているかは、自信が無い。だから――」

 

「なら、そこは桂花辺りと相談させてもらうわ。

 

 何人かで擦り合わせれば、丁度いい案も出ると思うから」

 

「うん、お願い。

 

 それと、真桜への発明依頼品目。農具について、分かる限りで色々と図面を書いておいた。

 

 それから、気球。これは諸葛亮が開発しようとしたとの言質を取っている。なら、そっちと協力すれば、既に作成も可能かも知れない。

 

 生産性向上と娯楽の供出。それに役立つかと思う。問題無さそうなら、真桜に開発の依頼を出してやってくれ」

 

「分かったわ」

 

一呼吸置き、零はきゅっと唇を引き結んで一刀と視線を合わせる。

 

「零。

 

 もう改めて言うまでも無いことだが、君はとても優秀な軍師であり、文官だ。

 

 君がいて、そして桂花がいれば、内政で大きく失敗することはまず無いと言っていいだろう。

 

 華琳が大陸を制した今、君たち文官の仕事は今まで以上に過酷なものとなるだろうが、君なら最後までやり遂げられると信じている。

 

 だから……この世界で俺が好きになった零という人物の真の力で、俺が支えたかった国を導いてやってくれ!」

 

「えぇ……ええ!任せなさい、一刀!

 

 この私の才に掛かれば、大陸全土なんてまだまだ狭いのだと思い知らせてあげるわよ!」

 

力強く応じた零。

 

口を閉じ、視線を合わせ、互いに一歩近づき――――抱擁、最後の接吻を交わし、離れる。

 

続いて視線を向けたのは菖蒲。

 

「菖蒲。

 

 君は武官としてとても優秀だ。戦場の最前線で頭を使うことの出来る将。その価値は大陸内が平和な世になってなお、計り知れないだろう。

 

 そしてなおかつ、君は文官としても十分な能力も持っている。

 

 菖蒲のような人材は、これからの魏にとって無くてはならない存在となっていくだろう。

 

 華々しい功績も挙げる一方で、縁の下の力持ちのような存在感も持つ。それはとても魅力的な人物像だ。

 

 俺が好きなった菖蒲という将は、これからの魏を表から陰から俺の代わりに支えてやってくれ!」

 

「は、い……分かり、ました!

 

 将として、そして文官としても……まさに一刀さんが為されていたこと……私の全力を賭し、必ずや一刀さんのご期待に応えて見せます!」

 

涙を拭いつつ、はっきりと宣言してくれた菖蒲。

 

彼女に微笑み掛け、抱擁と接吻を交わす。離れる際に、睫毛で揺れる涙を指先でそっと拭ってやることも忘れずに。

 

次の対象は恋。

 

「恋。

 

 君は誰よりも強い。馬騰にも打ち勝った今、恐らく孫堅にも打ち勝てるはずだ。つまり、名実共に大陸で最強の将だ。

 

 その名声は、それだけで無駄な争いを引き起こさせない効果を持つ。大陸の平和の維持にこれ以上無い貢献をしてくれるだろう。

 

 だから、これからもその比類なき武で華琳を、そして魏を助けてやって欲しい。

 

 俺がどこに行ってしまっても、俺が好いた恋という子は、真に最強だったのだと自慢させてくれ!」

 

「……ん。任せて。

 

 ……恋、約束は守る」

 

つい先ほど交わしたばかりの約束。

 

これを貫くのだと、絶対の意志を篭めた瞳で頷いてくれた。

 

恋は一瞬の間も惜しいとばかりに飛びついて来て、最後の接吻。一刀もふわりと受け止めてこれに応じた。

 

唇を離し、戻っていく恋はとても満足そうだった。

 

そして――――最後に目を向けるは、春蘭と秋蘭、寄り添う夏侯姉妹だ。

 

「春蘭、それに秋蘭。

 

 ふたりには……あ~……

 

 ……ごめん。言いたいことが多すぎて、何を言えばいいのか分からないよ……

 

 ただ……俺は二人と、そして夏候家のおかげでこの世界で生きて行くことが出来た。

 

 言うまでもなく、二人は華琳にとって無くてはならない存在だ。

 

 ずっと支えてきたこれまでのように……これからも、支えてやってくれ。

 

 …………愛しているよ。春蘭。秋蘭」

 

「一刀……ああ、任せろ」

 

「うむ……私もだ、一刀」

 

三人とも、色んな感情が溢れ出してしまい、言葉も満足に紡げなかった。

 

春蘭と、それから秋蘭と。紡げない言葉は気持ちに込めて、最後の接吻を交わす。

 

もう、本当に最後なのだと。

 

そう思うと、遂に一刀も涙を堪え切れなかった。

 

だが、春蘭、秋蘭が一刀から離れて一歩下がるとほぼ同時、一刀の身体を小さな光の粒が包み出す。

 

「……どうやら、ここまでのようだね。

 

 皆、本当にごめん……

 

 そして――――」

 

ありがとう。その言葉は空気を震わせることは無かった。

 

だが、皆、確かにその声を聞いた。

 

思わず、春蘭が手を伸ばす。

 

「かず――――っ?!」

 

ビュゥっと強い風が吹き抜ける。

 

思わず五人が目を瞑り、再び開くと――――眼前に広がるのは空っぽの四阿だけ、だった。

 

「一刀…………一刀ぉ…………

 

 うっ……うぁ……ああああぁぁぁぁぁああぁぁぁ…………」

 

まるで最初からいなかったかのように、掻き消えた一刀。

 

彼が直前までいた場所で、しかしその痕跡を全く感じることも出来ず、泣き崩れる春蘭。

 

春蘭の泣き声に共鳴するように、異なる四名の啜り泣く声が、いつまでもいつまでも四阿に響いているのであった…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつか見た白一色の空間。

 

右も左も、上も下も、時間や距離までも、何もが判然としないその空間を1人の人物が漂っている。

 

空間に満ちる不思議な光に照らされて輝く白き衣を身に纏う、一刀だ。

 

四肢は力なく投げ出され、瞼も閉じられている。

 

意識があるのかも定かでは無い。

 

フワフワと漂い、何処かへと流れていく。

 

 

 

――――――――此度の外史、目的は遂げられたかしら?

 

 

 

不意に響く声。

 

どこか懐かしく感じる気もするその声に、ボンヤリとながら僅かに残る意識が応答する。

 

 

 

(やれることはやったさ……目的も遂げられた。これからも続けられるかは……皆次第、だな)

 

 

 

全身の感覚は極端に薄く、身体に力は入らない。目も開かず、口も開けない。

 

ただ脳裏に返答を思い浮かべるのみ。

 

 

 

――――――――そう……ならば、今しばらくは、ゆっくり休みなさい

 

 

 

会話が成り立つことを不思議に思うほど、思考力も保てない。

 

 

 

(ああ……そう、だな。そうさせてもらおうかな……)

 

 

 

途切れ途切れに脳裏で応じ、再び意識が閉ざされる。

 

一刀の体は漂い続け、その先でとある欠片にぶつかると……

 

欠片から溢れ出た白い光に包まれ始めた。

 

 

 

――――――――お疲れ様、ご主人様。また会う日まで、ご機嫌よう……

 

 

 

懐かしいような初めてのような不思議な声も、もう一刀の耳には届かない。

 

光は一刀を完全に包むと、一際強く発光し……

 

光が収まった後には、静寂なる空間が広がっているだけであった。

 

 

 

――――――――随分と堅く、大きい欠片になったのね……さすが、ご主人様。これほどの欠片だったら、きっと……

 

 

 

不意に空間に響いていた声も止む。

 

姿の見えなかった何者かも去ってしまったのか。

 

最早その空間には如何なる気配の存在しない状態となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大陸から大きな戦が無くなり、一年半が経過している。

 

あれから、魏を中心に大陸全体が発展していた。

 

それは真桜や零に依るところが大きい。

 

真桜の新たな発明と零の画期的な農法が魏のみに留まらず大陸全土の生産力を底上げした。

 

さらに零が主導して一から築き上げた学校制度によって、既に次代の有能な人材も育ち始めている。

 

かつての三国が互いに篤く手を取り合った今、五胡の襲撃すら殊更に心配する事項では無くなっていた。

 

実に安定した平和。それが華琳の統治の下、確かに大陸に根付き始めていた。

 

 

 

 

 

 

コトン、と軽い音を立てて筆が置かれる。

 

それまで熱心に書き込んでいた華琳が顔を上げ、傍らに立つ2人に向かって尋ねた。

 

「ふぅ。こんなところでどうかしら、春蘭、秋蘭?」

 

「少し失礼します…………はい、抜けは無いように思われます」

 

「むぅ……これではあいつのあの武が伝わりにくくはないですか?」

 

「春蘭、あなた忘れたの?元々私は”あまり詳しくは書かないで欲しい”と言われていたのよ。それなのに、貴女達が”出来る限りその勇姿を思い描けるよう、詳しく”、と言って来たのでしょうに。

 

 矛盾を孕む要望を叶えるにはこれが限界なのよ。彼の意を汲むことも大事でしょう?」

 

「そうだぞ、姉者。それにだ。我等が記憶に詳細に残していれば、書では必要最低限でも構わないではないか」

 

「ん……そうだな。すいません、華琳様。出過ぎた真似を」

 

「いいのよ、春蘭。これくらいのこと、気にするようなことではないのだから。

 

 あら、もうこんな時間なの?書の方もようやく完成したことだし、お昼でも食べに行きましょうか、2人共?」

 

「はい、喜んで!」

 

「御意に」

 

輝くような笑顔を湛えた3人は会話を弾ませながら部屋を出て行った。

 

 

 

 

 

 

開かれた窓から人が去った部屋に僅かに風が吹き込んでくる。

 

微風が撫でる風の中で、一冊の真新しい本が開かれたページを揺らす。

 

生命の活気溢れる”夏”の一字を姓に冠し、”春”のように賑やかな少女と”秋”のように穏やかな少女が織り成した、大陸の覇者の最側近の物語。

 

覇者たる華琳が自ら編纂し、とある者の政策によって教養を得た多くの民に親しまれるようになった将達の物語の、始まりの一冊。

 

だが、庶民は知らない。その書の至る所に散見される”冬”の字が真に意味するところを。

 

それは華琳も含めた魏の者達の、運命に対する微かな抵抗。

 

記録に名を残すなと告げた彼の、”冬”の厳しさを連想させる”北”の一字をその身に宿した彼との、確かな繋がりを残すための抵抗。

 

しかし、読む者が読めばはっきりとその姿が瞼の裏に蘇る。

 

いつの間にか大陸に現れ、様々な形で多大なる影響を残し、突如として消えてしまった彼の姿が。

 

 

 

その功績を最早讃えることが出来ないが故に、せめても、としたためられた書。

 

最も初めに編纂され、しかし最も時間が掛けられたその本。

 

表向きは魏の立ち上げ時よりの忠臣たる姉妹”2人”を讃えに讃えた本。だが。

 

その実、伝えたかったのは、とある一人の人物の奇跡と軌跡。

 

かつて地方の小さな官に過ぎなかった家に拾われ、その恩とそこで結んだ友誼を、育んだ愛を軸に、魏を覇国にまで押し上げた功績を有するその人物を。

 

名を後世に伝えてはならぬと言われながらも、せめてもの抵抗で書き上げた一冊の本。

 

その書の表紙に、達筆な字で題されたそれの名は。

 

 

 

『夏氏春秋伝』

 

 

 

運命に導かれ、翻弄され、それでもなお敢然と戦った”3人”の物語、なのであった。

 

 

 

 

 


 
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