No.955595

今も空の下で~霧島医院の夜

(2001年11月23日執筆:サークル:不玉山 寄稿作品)

2018-06-08 19:30:05 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:859   閲覧ユーザー数:859

今も空の下で~霧島医院の夜

 

 何時だったか。覚えていない。私が眠っていたのは確かだった。その眠りは、激しく扉をたたく音によって打ち破られる。

「霧島先生、お願いします、霧島先生ー」

 扉を開けるとそこには、子供を抱いた男の姿があった。

「涼子が…この子が、苦しんで、熱がすごいんです──」

 3、4歳くらいか。触ってみると、確かに高熱だった。

「…。」

 気づくと、傍らに国崎往人が立っていた。彼も起きてきてしまったようだ。

「…とりあえず、解熱剤だな。」

 誰に言うでもなく、そう口に出していた。だが、そう言いながら私は、心の中では別のことを考えていた。おそらく、ここで解熱剤を授与しても意味はないだろうと。解熱剤が効かないほどの症状かどうかはわからない。ただ、これだけの熱を下げるための解熱剤を一気に投与すると、却ってそれが子供の命を奪う結果にもなりかねない。小さな子供は、大人と同じように扱うわけには行かないのだ。かと言って、時間をおいて少しづつ投与していく余裕は無さそうだった。

「集中治療室でもあればよいのだが・もちろん、部屋だけ合っても駄目で、それを運用するスタッフが欠かせないのは言うまでもないのだが。何にしろ、ここにはそのどちらもない。

「…。」

 私の中で、一つの結論が出た。少女に幾量かの解熱剤を投与した後、私は電話機に向かった。

「──夜分恐れ入ります、私、霧島診療所のものなのですが──」

 電話の相手、それは、隣町の総合病院。あまりかけたくない相手ではあったが、人の命と個人の感情を輝にかけることなどできない。私は半ば頭を下げるように、患者の受け入れを頼み込んでいた。

 

 二人で、走り去る救急車を見送っていた。横に立つ国崎往人が、呟くように言う。

「…これで、よかったのか?」

 

「何がだ。」

 

「隣町の病院に送ったりして。」

 

「私の判断が間違いだと。」

 

「いや、間違ってるとは言わない。でも、あんたはどうなんだ。隣町の病院などに送らず、自分の手で治したかったんじゃないか?」

 

「馬鹿を言うな。つまらないプライドのために命を軽んじるような真似が、許されると思うのか。」

 

 国崎往人は黙ってしまう。少しきつく言ってしまったようだ。

「ま、とは言え。本心を言えば、余計な仕事をしなくて済んだと、清々しているところだ。」

「そうか。」

 

 彼はそれ以上、何も言わなかった。ただ、彼がその言葉に納得していないことは、私が診療所の中に入ろうとしても尚、外に居続けたことでわかった。

「入らないのか?」

「…ああ。」

 

「…国崎君。医者というのは、因果な職業なんだよ。周りにはどう見えているのか知らんが、やっている身として言わせて貰えば、これほど卑劣な職業は無い」

「…。」

 

 その言葉にも彼は、納得しなかったようだ。結果私は、待合室で座ることになる。住乃も起きてきてはいない。

 わずかな時間ではあったが、緊張に満たされた濃密な時間。それが終わった時、ずっとつながっていた意識にできる僅かばかりの隙間。そこから見えるのは、普段は覆い隠されている、過去の記憶の断片だった。

「…。」

 久々に垣間見るその記憶の映像に、私は次第に意識を委ねていった──。

 

 漆黒の闇の中、赤い光がまばらに見える風景。病院の窓から見える、都会の夜の光景。これが都心であれば外はもっと光に満ち、逆に田舎であれば、それは全くの色の無い世界になっているのだろう。生まれ育った町がそうだった、光も音もない、真なる夜の世界。人という種族の大半が眠りにつく世界。

「佳乃はもう、寝ただろうか…」

 遠く離れた故郷を思い、長く会っていない妹を案じる。

 そんな感傷的な気分を振り払わせる、断片的な光と連続した音。音は止まり、光は残る。窓から辛うじて見える救急用の入り口に担架が吸い込まれてゆく。

「──行くか。」

 当直医。それが今日の私の仕事だ。本来の営業時間否診療時間外であり、本来患者のいないこの時間、それでも今のような緊急の患者がやってくることがある。それに備えるために、私のような若い医者が交代で詰めているのだ。経験も専門知識も無い、ひよっこの医者が。

 無論、必ずしも適切な処置をしてもらえるとは限らないわけだ。

「だから夜中に倒れたりしてはいかんのだよ…」

 テーブルに脱ぎ捨てていた白衣を羽織りながら、誰に向かってでもなく吐き捨てる。そしてインターホンが鳴る。

「霧島さん、救急外来です。」

 その声と呼び方で、藤屋だとわかる。私と同じ年だが、現場の経験は私より5年ほど長い、看護婦。

「──子供の患者さんです。」

 その言葉に、思わず舌打ちをしたくなる。元々、救急外来というのは、事故でなければ子供か老人の発作と相場が決まっている。子供が来たからと言って、決して運が悪いというわけではない。とは言え、私が小児科の専門というわけではない事もまた事実。しかも子供の救急救命率というのは、極めて低いのだ。子供は大人とは違う。単なる小さな大人ではない。体のつくりも未発達、生命の危急に耐えられるだけの体力も精神力もないのだから。

「霧島さん?」

 藤屋の呼ぶ声。その声に、手短に答える。

 

「わかった、すぐ行く。」

 心の中のことはいっさい口には出さず、インターホンの受話器を置いた。

部屋を出る。弱く青白い光だけが、廊下を照らしていた。

「三人殺して一人前、か…」

 いつだったか聞いた言葉。医者という職業が背負う宿命のようなものだ。その言葉を岐きながら、私は救命室へと向かっていった。

 

 

 

 両親は、取り乱していた。症状や経過を訳いても要領を得ず、ただ助けてくれと懇願するばかり。

「(助けて欲しいのはこっちの方だよ…)」

 口には出さず、心の中でそう言い放っていた。

「なんとか、しますから…」

 そう言うのが精一杯だった。両親を藤屋に押しつけるようにして、処置室に戻っていった。

 患者は10歳の男児。息の音から察するに、小児職息の類か。ただ、これまで発症歴はない。両親は風邪だと思って、一週間ほど寝かせていたらしい。

 辛うじてわかっていることを頭の中で並べ立て、今必要な処置をたぐり寄せていく。医学部六年間を費やして学んだことも、今ここで取り出せなければ何の意味もない。そして、私の今知る、為し得る限りは全て行った。これで、良いはずなのだ。だが、頭の中から不安は離れない。

 そしてふと頭をよぎる事実、小児救急の救命率の低さ、その数字。多くの子供が、夜の病院で死んでゆく現実。逆に言えばそれは、今ここで私がこの子を助けられなくても、誰も私を非難したりしないということ。何故ならそれはあまりに日常的なことで、咎め立てする筋合いのものではないのだから。

 

 心が、振れてゆく。

 

 

 そのとき。私の耳に、かすかな声が聞こえた。

「くらい…こわい…たすけて…おかあさん…」

 それははっきりした言葉ですらない、絶え絶えの息の中で吐き出される言葉の断片に過ぎなかった。ただ、それを私が自分の中で勝手に解釈しただけだった。

 そして解釈は広がる。私の中で広がる、彼の今日までの一週間。風邪だということで、一人で寝かされていた夜。初めはすぐ治ると信じていた。でも、日が経つにつれ悪くなるばかり。体は悪くなっていく。そして、心は不安になってゆく。暗い部屋。たった一人。苦しい。助けて欲しい。誰も来ない。苦しい。一人。暗い部屋。言葉が、重なる。今遠い空の下にいる、彼女の言葉と。

 

 私は、そっと彼の手を取った。

「大丈夫だ…私が、助けてやる…」

 助けられる保証など、どこにもなかった。それはあまりにも安請け合い過ぎる言葉だった。それでも私は、再びこう言った。

「…助けてやる…」

 

 扉が開く。封筒を手にした藤屋がそこにいた。

「霧島さん。レントゲン写真、出来たわよ。」

 

「…わかった、行こう。」

 少年の状態は、先刻と何ら変わってはいなかった。私は彼を置いて、隣の部屋に移った。

 

 

 

 光にかざされたレントゲン写真、それを見ながら私は、これから自分が何をすべきかを、為し得る限り的確に判断していった。医療的なことも、精神的なことも、全部含めて。余計な迷い気の重みは既にどこかに行っていた。

「竹本先生は、呼んだら来てくれるかな。」

「…そこまで、手に負えない状況なの?」

「いや…ただこの子を死なせたくないだけさ」

 

 今は、彼を助けるために──。

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん?」

 

 目を開けるとそこには、祀さ込む住乃の姿があった。外から入り込む光がはっきり見える。

「ああ、もう朝なのか。」

「お姉ちゃん全然起きないから、死んじゃったかと思ったよお」

「私がそんな簡単に死ぬか。」

「だろうな。あんたは放射線に当たっても死にそうにない。」

 佳乃の後ろから聞こえる、国崎往人の言葉。その言葉に反応して、私は懐に手を入れる。と、彼の手に一通の葉書があるのに気づいた。

 

「国崎君。なんだ、それは?」

「ああ、なんか今来た。あんた宛だ。」

 葉書を受け取り、差出人を確認する。あの、少年からだった。

「なんだ、ずいぶんご都合主義な展開じゃないか…」

 

「何がだ?」

 

 

「いや…こちらの話だ。」

 内容は自分の部屋で見ることにして、私は葉書をポケットにしまった。

 

「お姉ちゃん。…誰から?」

 佳乃が覗き込むようにして訳いてくる。

「そうだな…」

 

 私は、佳乃に葉書を奪われないよう防御しながら答えた。

「佳乃と、同じ男の子だよ…」

 

 

「…え?どういう意味?」

 きよとんとする佳乃。そして国崎往人。この二人を置いて、私は部屋へと戻っていった。

 

 久々に感じる、自分の中の感傷を感じながら。

 

 

 

 

 

 


 
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