No.954809

世界大戦異聞録「とりとめなきこと」

陸奥長門さん

 連合艦隊司令部に着任した秋月・宗継少佐は、慌ただしい1日の終わりに、これからの居住区へと案内される。
 しかし、秋月少佐の波乱はまだまだ続くのであった・・・。

2018-06-03 03:19:38 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:588   閲覧ユーザー数:580

 早見一曹の運転する軍用自動車―――一民間自動車に対小銃の装甲板や防弾ガラスを着ける等の改造が施されたもの―――は、夜の帳が降りた道を走行していた。

 呉鎮守府へ戻った後も、自席の整理や翌日の打合せなどを行っていたら、日が暮れていた。

 本来なら徒歩でも通える道程ながら、私物を運ばなければならないのと、初日から軍艦の視察をした事もあって、海軍の公用車を使用させてもらえることが出来たのである。

 等間隔でガス灯が灯され、夜になっても懐中電灯でもあれば十分徒歩で移動できそうだ、と宗継は思う。

 このガス灯も今となっては珍しく、何れ主流の電燈になるのだろう。懐古主義に浸る気はないが、一抹の寂しさがある。

 

 呉鎮守府から走ること10分、宗継を乗せた公用車は宿舎と思しき建築物の門前で停車した。

 自動車2台が余裕ですれ違える程の広さがあり、下士官が3名立哨している。

 その内の一人――最先任だろうか――が、運転席側へ近寄ると、窓ガラスをノックした。

 早見一曹は慣れているとばかりの流れるような仕草で身分証を提示する。 それを一瞥した衛兵は、後部座席に座っている宗継に視線を向け、怪訝な表情を浮かべた。

「早見一等軍曹、彼は?」

「はっ本日から当宿舎へ入所される秋月少佐です」

「な‥‥?そ、そうか。秋月少佐?」

「はい。曹長。 身分証は大尉のままですが、本日付で少佐となりました。確認を」

「はい。いいえ、秋月少佐。この宿舎は‥・」

 衛兵である曹長が困惑気味に言葉を濁す。

「何か‥・問題でも?」

 衛兵の態度に疑問をもった宗継は、問いかけた。

「ご存知ないようですが、この宿舎は女性しか居ないのです」

「え?!」

 衛兵の言葉に驚いた宗継は、運転席に座る早見一曹へと顔を向ける。

 宗継の視線を感じたのか、早見一曹は振り返り、気持ちのいいほどの笑顔を浮かべた。

「問題ありません、少佐。 山本閣下より秋月少佐はこの呉鎮守府第一宿舎で生活させよと仰せつかっています。男子が最低限生活できるように宿舎の改装は済ませてある、との事です」

「それで、ここ2、3日、工務店の出入りがあったのか」

 衛兵は名簿を繰りながら、納得したように頷く。

「いや、そこは納得するところじやないから! 女子専用の宿舎に入るなんて聞いてない。男子専用の宿舎はないのか?」

 宗継が慌てて身を乗り出すと、

「少佐、ここは最前線の鎮守府です。将兵は女性で占められており、言葉が悪いですが少佐の存在そのものが異質なのです」

「そ、それでは別に宿を手配して‥・!」

「少佐、日中戦争後の公費削減のなか別宅を借り上げるような贅沢は容認されません。それに防諜上の問題もありますから、出自の怪しい場所を借りるわけにもまいりません。それは少佐ご自身が自前で宿を借りる場合にも適用されます。軍部の用意した宿舎に入居して頂くことが最善なのです」

「それは‥・確かに貴官の言う通りだが‥・」

「ご理解いただけたなら、入居の手続きを済ませましょう。 最初は戸惑うこともありましょうが、要は”慣れ”です。軍人なればこそ、それが肝要なのでは?」

 そう言われてしまえば、宗継に反論の余地はないが‥・しかしそれで本当に良いのか? と疑問に思わずにはいられない。

 別に新たに宿舎を作れとはいわない。なんともなれば、鎮守府に付属する建屋に空き室の一つもあるだろうから、それでも構わないのではないか?食事や風呂などは公共の物を使えば問題はないし、要は雨露を凌げる場所程度でよいのならば、何処でもよいのだ。

 しかし、その論法でいけば、女子ばかりの宿舎でもよい、という選択肢も生まれるわけだが、それはそれで問題ありだろうと思う。それともそれは宗継の認識のズレなのか?

 想像だにしていなかった事態に困惑している宗継を余所に、二人の下士官の意識のすり合わせは終わったのだろう、

「入所を許可する」

 立哨の曹長の言葉と共に鉄扉が開き、宗継を乗せた自動車は宿舎内へと入っていく。

(本人が納得していないのに、事態が進んでいく‥・!)

 嫌な感じの汗が背筋を流れるのを感じる。 このままでは、たった一人で女性の中に単身突撃する羽目になる。

 日中戦争時には、銃剣突撃で突破口を開いた、などの勇ましい話しを聞いた事はあるが、同じ皇軍相手にそれも単身で突撃を敢行するなど参謀将校としては絶対にやってはいけない愚策だ。

 更に悪いことに援軍はない。仲間が居ないというものはこれほどまでに心細いものなのか。

「到着しました、少佐」

 どことなく露悪的な微笑みを浮かべながら早見一曹が後部座席のドアを開ける。

「ありがとう、早見一曹」

 ドアを開けられてしまっては、自動車から降りないわけにはいかない。 女性の中に男一人が閑人するのだ。女子の評判はよくないだろう。「変態」とか「色情魔」などのような噂が広がるのも時間の問題だと思われる。

 だが軍の命令は一部の例外を除けば絶対だ。一度決まった事を覆すのは難しい。 宗継は覚悟を決めた。

 後部トランクから宗継の私物を収めた行李を取り出す早見一曹に、自分が持つからと言った宗継であるが、早見一曹は

「これも従兵の仕事ですから」

 と一蹴されてしまう。一参謀将校に従兵が附くのは珍しい。通常は戦闘単位の野戦将校に副官として配置される役職である。

 女性で構成される前線であることから、女性世界の慣習に宗継が迷わないよう、軍令部あたりが手配してくれたのだろう。

 宗継は早見一曹に先導される形で宿舎へ入る。 簡素な扉を潜ると、濃厚な蜜のような甘い匂いが鼻腔をくすぐる。 正に女性の花園-といった感じだ。

(これは‥・なんというか、一種の拷問なような‥・)

 眩彙すら覚える香りの中で、宗継はある種の興奮を覚えている。 軍人であるが、それ以前に男である。このような濃密な女を意識するような空気の中で性的な部分を刺激させるな、という方が無理な話しだろう。

 これが前線であれば、男女の構いなく鉄や油の匂いで異性を意識する暇もないのだが、女性だけの生活空間に放り出されるのとはワケが違う。

(おいおい、本当に、本当にこれでいいのか?)

「少佐、どうかされましたか? そんな所で立ち止まれては他の者が迷惑してしまいますよ。 お部屋に案内しますので、早く来てください」

 早見一曹に急かされる始末だ。

 ついに宗継は半ばやけくそになって、宿舎の中へ入った。

「こちらです」

 早見一曹が先に立って歩き始める。

 いざ覚悟を決めた宗継であるが、やはり不安は拭えない。何事かないかと視線を彷徨わせてしまう。

 宿舎の中は簡素なものだった。玄関から檜張りの床の廊下が10メートル程伸び突き当りで左右に分かれる。突き当りは談話室や食堂があるようだった。

 左右には上階に続く階段があり、どちらを使っても問題はないように見受けられた。宗継は早見一曹の後について左方へ曲がった途端、思わず息を飲んだ。兵士と思しき2人の女性が浴衣を着崩した状態でこちらへ歩いて来ていたからだ。

 健康的に日焼けした肌も露わな女性が二人、談笑しながら此方へと向かって来る。

 宗継は顔が熱くなるのを感じて、顔を反らす。健全な男子としては当然の反応であろう。

「あれ、早見、その男性は?」

 浴衣姿の片方が早見一曹へ話しかける。

「本目付でGF司令部の作戦参謀になられた秋月少佐です」

 蔑むような視線を向けていた2人の顔色がみるみる変わる。

「これは失礼しました! わたしは呉海兵団第2分隊助教の大橋・薫一等軍曹です!」

「同じく第5分隊助教を拝命しております、南・加奈一等軍曹です!」

 瞬時に一流石は叩き上げの兵曹と言うべきか一浴衣の乱れを直すと、2人の下士官は敬礼をする。

「突然で申し訳ない。GF司令部よりこの宿舎を使うよう指示された、秋月・宗継少佐です。迷惑かと思うが、どうか勘弁してくれるとありかたい」

 宗継が答礼し、僅かに視線をずらしながら言うと、

「とんでもございません。 大歓迎であります!」

「は?」

 予想とは真逆の反応をされて戸惑う宗継の脇腹に早見一曹の肘が入る。

「ぬっ‥・! は、早見一曹?」

「お立場を考えください、少佐。 鼻の下が伸びていますよ、みっともない」

 つっけんどんな態度でそう言われはしたものの、宗継にはいい迷惑だ。好き好んでこの宿舎を選んだわけではないのだから。

「早見、少佐にその態度は失礼であろう」

 大橋一曹が咎めると、早見一曹はどこか自慢げに

「小官は少佐の従兵を拝命しております。少佐に関することは小官を通してください」

「早見一曹、それは横柄というものだろう。少佐は海軍軍人であるのだから、我々とも接点があるべきだ。なにより‥・共有財産だろう?」

(んん?)

 南一曹が此方に熱い視線を向けつつ、不穏な事を言ったような‥‥、気のせいか?

「そのように不埓な考えはどうかと思いますが? 南一曹」

 永のように冷たい声で早見一曹が反問する。 やはり先程の言は聞き間違いではなかったようだ。

「貴官こそ、独り占め出来て内心嬉しいのではないか?」

 大橋一曹が早見一曹へ詰め寄る。

「そのような考えが、不和を呼び、戦争へと発展するのです。 軍人であるならば、そのような事を軽々に口にしてよいものではないと考えます」

 早見一曹も負けじと声を張る。

(うーん。 コレが19世紀以降の戦争の勃発の主要因かあ)

 宗継は考える。

 美女が自分を取り合っている(ように見える)のは、なんとなくだが気分がいい。 だがその為に争いの渦中に置かれるのは御免である。よってここは宗継が治めるのが賢明な判断だと云えるだろう。

「あー、ごほんツ」

 どうにも態とらしいな、と思いつつ宗継は咳払いをする。

 効果は観面であった。

 あれ程口論を交わしていた早見・大橋両名が直立し、頭を下げたのだ。

「醜態を晒し、恥じ入るばかりです!」

 顔を真っ赤にして早見一曹が言うと、

「小官もつい悪乗りをしてしまいました!」

 大橋一曹も顔を赤らめている。

「ああ、いや、別に怒っているわけではないんだ。 自分のような男が居ると、居心地が悪いのだろう?もう一度GF司令部へ掛け合って別の所に宿泊できるよう願ってみるよ。別に市内でなくともよいのだ男だけの宿舎ぐらい県内に幾らでもあるだろうから」

 現に軍令部時代には男性寮に入居していたのだから。 あとは交通手段の確保だが、広島は帝都並みに路面電車が走っている。県内ならばなんとかなるだろう。

「「そんなことはありません」」

 早見一曹どころか、いつの間にか集まっていた女性達が合唱の如く反論した。

「う、うお?!」

 その迫力に宗継はたじろいでしまう。 というか、何時の間に集まった?

「むしろ少佐に肩身の狭い思いをさせてしまったのなら、我々の不徳と致すところです」

 そう言って頭を下げたのは、艶やかな黒髪を下した美女であった。目じりの泣き黒子が印象的な知的美人である。

(何処かで会ったことが‥・?)

 宗継が首を傾げていると、何処からか舌打ちが聞こえてきた。

「特務が出しゃばりやがって‥・」

 というものだった。

(特務?)

 宗継は聞き覚えのある単語と、目の前の女性兵士を結びつける。

(そういえば‥・、新造艦のドックを警護していた士官だったな。 最先任なのだろう。あの山本長官の前でも落ち着いた態度で接していたな)

 その特務士官は周囲の非難などどこ吹く風で――そうでなければ特務は務まらないだろう――一歩宗継の前へ進み出て右手を差し出した。

「わたしは井上・清純大佐です。 秋月少佐の入所を歓迎します」

 にっこり笑って、そう言う。

 職務中の顔とは別の、女として妖艶な笑顔であった。

(大佐‥・! 階級的には呉鎮の特務の実働部隊のトップか‥‥!)

 特務で大佐となれば、権限は少将並みにあるはずだ。ここは知遇を得ておくのも悪くはない、と宗継は算盤をはじいた。

 そんな宗継の想いを知ってか知らずか、井上特務大佐は宗継に近づくと、その端正な顔を耳元に寄せ、

「・‥少佐、わたしは男爵家の継嗣だ。貴官がわたしの元へ婿入りすれば、君が男爵だ」

 そんな蠱惑的な言葉を囁いた。

(男爵?!)

 維新後、四民平等政策により「大名」や「侍」は廃止されたが、有力大名は爵位を与えられ幕藩体制さながらの権威をふるっている。 その意味では真の四民平等は成されていないが、国家運営を回すにはある程度の権力構造が必要であるのも、事実だった。

 昨今では自由民権運動等の階級制度の廃止を求める気運が高まり、10年程前から20歳以上の成年男女に選挙権を与え、選挙によって選ばれた者が国政に関わるようになったが、依然として旧支配者階級の特権は失われていない。

「どうだ‥‥少佐?」

 まるで脳を溶かすような声音を舌にのせ、井上特務大佐は宗継を誘惑(?)する。

 誘蛾灯に吸い寄せられる昆虫か、或いは蜘蛛の糸に絡まれた獲物のように、宗継の精神が誘惑に囚われようとした時――

「失礼ですが井上大佐。それはあまりにも私的なことではないでしょうか? いかに職務時間外とは云え、節度は守るべきかと愚行しますが」

 早見一曹が語気を強めて井上特務大佐に詰め寄った。

「早見一曹、君は耳がいいな。 しかしそれを言うなら貴官とて職務時間外であっても上官に対する適切な態度ではないと思うが、どうか?」

「それは‥‥」

 早見一曹は言葉に詰まった。

 そうだろう。早見一曹の言う通り平時でも規律を重んじるというのならば、彼女の井上特務大佐に対する言葉は、上官批判ととらえられてもおかしくはない。

「ふふ。貴官は真面目だな。 常在戦場、大いに結構。だが、まあ此処は我らが家も同然。つまりこの宿舎に居る者は姉妹も同じ。過ぎた馴れ合いはよろしくないが、姉妹でいがみ合っても仕方なかろう。もう少し肩の力を抜いても良いと思うぞ? ほらほら、お姉ちゃんつて言ってごらん」

 井上特務大佐は、ぱっと身を翻すと早見一曹に後ろから抱きつく。背の高い井上特務大佐がおんぶされるような格好になる。

「っちょッ‥・ふざけないで下さい、井上大佐っ」

「冷たいなー。 おねーちゃん悲しいなー、寂しいなー‥・。 おや、早見くんのココは立派だね?」

 井上特務大佐は下から持上げるようにして早見一曹の胸を揉む。

「ひああ??! な、何をしてるんですか大佐! 秋月少佐も見ないでください!」

 顔を朱に染めながら、早見一曹は身悶える。

 大井特務大佐の手の動きに合わせて、軍服が押し上げられると、そのスリムな体型に不釣り合いな程の胸の大きさが強調された。これには宗継の自制心を軽く砕くような効果があった。

「おやおや、早見一曹。貴官は胸当てではなくさらしを巻いているようだね。 胸の大きさにコンプレックスを感じているのかな? しかし折角立派な胸なのだから、隠す必要性を感じないのだが」

「・‥ツこん‥なっモノは訓練の邪魔に‥・んツなるだけ‥・です! 別に誇らしくありません!」

 早見一曹の言葉に艶が含まれてきた。 宗継としては興味津々である。

「これ程の胸が誇らしくない、とは‥‥。 一部の者には聞き捨てならない言葉だよ」

 確かに早見一曹の言葉に対して剣呑な表情をしている者もいる。

 まあ、自分も大きいのは好みだが。と宗継が思った時、里見一曹に向けられていた冷たい視線が自分に刺さるような感覚に襲われる。それも物理的な圧をもって、だ。 ・‥・うん、改めて思ったけど女性っで㈲いよね。

 などと寂寥感に浸っている場合ではないのだが、いかんせん宗継にはこの手の騒動を収める知識がない。

 井上特務大佐の悪乗りもエスカレートし、いよいよ収集がつかない状況になりつつあると思われた時―――

「はいはい。悪ふざけはそれくらいにして。秋月少佐も困っているだろう」

 掌を打ち鳴らす音と共に現れたのは、山本五十鈴連合艦隊司令長官であった。

「長官?!」

 驚きの声をあげたのは宗継一人ではなかった。

 その場の全員から奇異の視線を向けられつつも、山本司令長官ばどこ吹く風”で、

「みな、驚かせて申し訳ない。 わたしも今日からこの宿舎へ入ることにしたのだよ」

 と涼しい顔で言ってのけた。

 此処は海軍の宿舎で、彼女以上の上官は居ないため、こう言われてしまっては反論する者は居ない。

 一種の職権乱用であるが、こうでもしなければこの手の騒ぎは頻発するだろうことは容易に予想できるのだから、宗継にとっては大きな助け舟を出されたことになる。

 先ほどまでの混乱は何であったのか、静まり返った廊下に山本大将の言葉が響く。

「早見一等軍曹」

「はっ」

 山本大将は凛とした声で誰何し、早見一曹は直立不動で返答した。

「貴官は秋月少佐の副官であろう。 秋月少佐は昨晩から大車輪でな、顔には出さないが疲れているだろう。早く少佐を居室へ案内したまえ」

「了解であります」

 早見一曹は敬礼をしつつ、声を張る。そして彼女は宗継へ向き直ると、

「お待たせしました、少佐。 居室へ案内いたします」

「あ、ああ。 よろしく頼む」

 先ほどまでの喧噪が嘘のように静まり返っている。流石は連合艦隊司令長官。他の将兵を圧倒する雰囲気を纏っている。

 ‥‥GFの長官? GF司令長官ともなれば、それなりの邸宅が提供されるはずだ。それが何故、こんな下士官兵が居住する宿舎に‥・?

 そんな事を考えていたものだから、宗継の歩みは遅い。業を煮やした早見一曹は、そんな彼を後ろからぐいぐいと押されてしまう。なんとも情けない状態だ。

 

 宗継の居室は最上階にあった。 元は屋根裏部屋兼物置場であったらしく、宗継の赴任が決定しで慌てて人が住めるよう改装した跡がある。

 しかし特に不快感はない。少し天井が低いくらいで、通常生活には支障はないし、床面積だけみれば10畳以上はあるのではないか。窓は小さいが、採光はよさそうだ。元々の私物が少ないので、据付けられている机と食卓だけでは随分と寂しい。

(元が屋根裏部屋ってことは、夏は暑いし、冬も厳しいだろうなあ)

 少佐という身分としては、隅に追いやられた感がして寂しいが、逆に言えば出入口は屋根裏へと続く一本道しかない。これは逆に考えれば、女性達の要らぬ干渉を受けないで済むのでいいことではないだろうか?

 とは言え、布団1枚だけでは寂しいので、明日にでも本棚等の家具を購入しよう、と考えた。今は初春だが、その内扇風機も要るかもしれない。

 荷物を置いて早見一曹が立ち去ったのを確認すると、宗継は軍服を脱いだ。手荷物から和装を探し出すとそれに着替える。一気に体が軽くなるのを実感した。軍服は機能的に造られているものの、参謀職ともなると徽章など装飾品も多く、これが意外と重く感じるのである。徽章は名誉章であるから、ぞんざいに扱うわけにもいかず、知らず知らずに内に傷を付けたりしないよう、無理な体勢をとることも多いのだ。よって変な所に力が入り、凝りの原因になる。

 そして思えば3日近くも軍服を纏っていたのだ。一人になった解放感も、この心情に一役買っているのかもしれない。

 そう思うと、無性に風呂が恋しくなった。日本人ほどの風呂好きは古代ギリシア人くらいなものだろう。

 駐独海軍附武官でドイツに派遣された時など、毎日のようにシャワーを浴びる――当然ながらドイツに日本式の風呂はない――を見て、現地の知己に不思議がられた位である。 ドイツ入も潔癖な人種であるから、入浴は欠かさないだろう、というのは宗継の一方的な思い込みだったようだ。

 宗継は更に荷物を漁り、手ぬぐいと、それよりも一回り大きいタオルケットを探し出した。 風呂は共用ということだから、石鹸などは備付けがあるのだろう。ちらと腕時計を見る。時間は23時近くだった。

(確か、男子の入浴は21時からだったか)

 居室へ向かう途中に早見一曹から聞かされた、この宿舎の取り決め事項を思い出していた。

(21時以降なら良いのだろうな。なにせ今は23時前だし、問題はないだろう)

 そう思い始めたら居ても立っても居られないのが日本人の性と云うものか。愛用の浴衣を引っ張り出すと、その足で浴場へと向かっていた。

 宿舎は4階建てであるのだが、宗継の部屋は屋根裏部屋改装だから、実質5階と数えてもよいだろう。

 中央玄関の前を通り、大食堂を過ぎた先が浴場だ。 流石に23時ともなると静かなもので、照明も最小限度である。自分の足音にびっくりする事もあり、宗継は自分もまだまだ半人前だと思う。

 怪談の類は好きではないが、それが平気になったからと言って一人前という考えには納得しかねるが。万事に厳しい姉の影響もあるのかもしれない。

 

 廊下の突き当たりが浴場の入り口らしい。

「おや?」

 と思わず声を出してしまったのは、暖簾があり、其々に「男湯」「女湯」と書いてあったからだ。入り口も分けられている。

 これならば、わざわざ入浴時間制限もなく、男も自由に風呂に入れるのではないか?どこか釈然としない思いを抱きつつ「男湯」の扉をあけた。

 一歩中に入って感じたのは、脱衣所の広さだった。 おや、と思ってよく見てみると、それは一つの部屋であった。

 つまり入り口は「男湯」「女湯」と分けられているが、中身は一緒なのだ。これでは混浴と同じであり、なるほど時間制限が必要なはずだ。

 さすがの海軍でも、男一人の為に浴場を作る余裕などないということか。

 宗継は一瞬頭を抱えてしまうが、明確に時間割がしてある以上、それに従っていれば問題はなかろうと、思考を切替えた。というか切替えないとやっていけない。

 宗継は全裸になると、手ぬぐい片手に風呂場へと入り込んだ。

「おお」           

 寒気を忘れ宗継は嘆息していた。 其処は露天風呂となっていて、吐く息が白くなるのも忘れてしまう程の絶景であうた。

 深夜である。 街の灯りは少なく、満月の明かりに照らされた天球が見渡せる。帝都では霞む天の川も、ここでははっきりと見て取れた。

「そんな所に突っ立ってると風邪をひくぞ」

 ため息交じりの、聞き覚えのある声が聞こえてきた。当然女性である。

 我に返った宗継が声のした方向を向くと、湯につかった見覚えのある人物が手酌で酒を呑んでいた。

「や、やややや山本長官??!!」

「驚きすぎだ、ばかもん」

 呆れた表情を隠そうともせず、山本GF司令長官は杯の酒をぐいと飲みほした。

「もも、もも」

「桃?」

 怪府な表情をする山本大将。

「申し訳ありません! まさか長官が入浴されているとは思わず‥・」

「何を謝る必要がある。 21時以降は男子専用なのだろう? むしろこんな時間に入っていたわたしが謝るべきだろう」

 山本大将は鷹揚に言うと、また杯を空けた。

 どこを隠そうともしない山本大将の胸元から上が丸見えである。 夜であるにもかかわらず、湯の透明度が高い為豊かな胸も見えてしまっている。

「秋月少佐、貴官は本当に風邪をひいてしまうぞ」

「し、失礼しました! 自分はすぐに出ますので!」

「なにを言っているのだ、貴官は。 決まりを破ったのはわたしの方なのだから、貴官が出ていく必要はないだろう」

「いや、しかし‥・」

 山本大将は大きくため息をつき、

「では命令だ。 秋月少佐は引き続き入浴をせよ」

「? !」

 軍人にとって上官の命令は絶対である(状況と内容によるが)。しかも連合艦隊のトップの命令である。とても逆らえるものではなかった。

(横暴な!)

 とも思ったが、考えようによっては眼福だ。それ程に薄闇の中であっても山本大将の体形は肉感的で轟惑的であった。

「了解しました」

 恥ずかしさで頬が熱をもつが、最低限のマナーとして下半身を清める。清めようとするのだが、宗継の分身は硬度をもち始め、それもままならない。

「どうしたのだ‥・? は、はん」

 一瞬怪厨そうな表情をした山本大将だが、宗継の状態を察した途端悪童のような笑みを浮かべたと思うや湯船から立ち上がった。

 まだまだ冷たい外気温によって、朦気が立ち山本・五十鈴の身体の全貌を知る事は出来ないが、出る所は出、引き締まるところは絞られた魅力的な体つきであるのは十分解る。

「うわっ何してるんですか、長官??!」

「ナニをするも何も、貴様、それでは落ち着かんだろう」

 口の端を吊り上げながら、山本・五十鈴は湯船を歩く。 湯の散る音と共に五十鈴を覆っていた湯気も散り、その蠱惑的な身体が露わになってゆく。

(・‥‥! 何を考えていらっしやるのだ、長官は???)

 最早宗継は錯乱状態だ。思考が廻らないものだから、体がいう事を利かず、棒立ちのままだ。

―――まあ、裸の男女がするコトといったら、そんなにも種類はないが―――

 宗継が唖然として何もできずにいると、もう目の前には山本・五十鈴連合艦隊司令長官が右腕を腰にあて、立っていた。左手は濡れた長髪を後ろに掻きあげている。

 あまりにも堂々としているので、エロティックよりも、練達のモデルの撮影会のようである。

 しかし、その身体は素晴らしいの一言に尽きる。

 端正な顔は女優顔負けの美貌で、身長は宗継よりも10センチばかり低いながらも、小さく整っているので、等身は高くファッションモデルのようである。その肌は白く透き通り、湯の玉が浮いたその様は倒錯的な美しさを誇る。海で潮焼けをしているかと思ったが、彼女のそれは磨き抜かれた大理石のように美しい。

 男であれば、魅了されそうなその身体だが、一般の女性とは少し「違って」いた。

 まず目立つのは左足に残る裂傷の痕だ。太ももの半ばから足首近くまで傷痕が残っている。相当な怪我である事が分かる。現在の治療技術でも手術は困難をきわめそうだが、どう見ても古傷である。彼女の年齢を考えるなら、切断されてもおかしくない程の大怪我だ。

 そして左手の人差し指と中指が欠損していた。 軍務中は白の手袋を着用していて分かり辛いが、こうして曝してみると、痛ましい程だ。

 宗継の視線を感じたのだろう、五十鈴は、

「この傷が気になるか? これはわたしが少尉候補生時代に日露戦争が勃発してな。乗組んでいた装甲巡洋艦が被弾した際に受けた傷だ。医務室で目覚めた時には、生きているのが不思議だと言われたよ」

 自らの左手を見せっけるように、五十鈴は笑った。

「左足は切断せずに済んだのだが、左手の指は吹き飛んでしまったよ。流石に指は見つからなかった。ひょっとしたら魚の餌になってしまったのかもな」

「なんで、そんなに笑っていられるのですか?」

 思わず宗継は口走っていた。

「コレが戦場の現実だからだ。わたしは運良く今まで生き残れたが、日清・日露、欧州大戦やハワイ独立戦争で戦死した同期も沢山いる。わたしよりも有能な人材も、な」

 そう言われると、宗継には言葉はなかった。 軍人である以上、死という現実から逃れられない。殊に最前線で戦う将兵にとっては日常茶飯事であろう。史実には上級司令部が逆襲を受けて高級将校が皆殺しにされた例もある。

「確かにこの傷はわたしから自由を奪うこともある。だが、それを疎ましいと思ったことはない。この傷を否定することは、わたし自信を否定することになるからだ」

 凛とした声が夜気を震わせた。

 いや、本人は気づいていないかもしれないが宗継も震えていた。寒さに、ではない。今日の前に居る高潔な軍人に対する畏敬の念からだ。

 そんな宗継を見て、ふっと五十鈴の表情が緩んだ。

「話が過ぎた。 ここは露天だから体が冷えただろう。 どれ、わたしが背中をながしてやろう」

―――美女に背中を流してもらえる―――

 それはなんとも贅沢な話しではないか! しかし、宗継は逡巡した。当然だろう、相手は上官なのだ。

「そ、」

「そ?」

「そのような事、司令長官にお願いできませんツ」

「はっはっは。 秋月少佐は真面目だなあ。 お互い裸だ、階級章もないのに階級など関係あるものか」

「しかし――」

 なおを言い募ろうとした宗継の身体はくるりと180度回転させられた。 柔術の一種だろうか、宗継には抵抗する隙は与えられなかった。

 そのまますとんと椅子に座らされ、かけ湯された。 冷えた体には熱く感じたが、肩に置かれた五十鈴の手で、体の反動を抑えられてしまう。

「ふふ、動けんか? わたしは古武術もやっていてな‥・。怪我の療養と力を養う為に始めたのだが、わたしが修めた流派ば小を以て大を制する”を突き詰めた術理でな。これが非力な女が男を手玉にとるのだから、なかなか可笑しいだろう?」

 五十鈴の言葉は嘘ではなかった。ただ肩に手を置いてあるようなのに、その手を払うどころか、指一本動かす事もできない。

「抵抗するな。 力の作用点を抑えているので、動かそうにも動かせんだろう。このまま痛点も突く事も出来るのだから、大人しくしている方が賢明だぞ。痛点を責められると、体中に痛みがはしり、銃で撃たれるよりも辛いぞ?」

 なんとも想像できないが、この人ならやるだろうと直感した宗継は降参して力を抜いた。

「んふふ。それでよい。 男なら据え膳喰わねば恥だと云うだろ」

「それとこれとは、違うような‥・」

 据え膳どころか無理矢理ではないか? と思った途端湯を頭から彼らされた。

「ぶは?!」

「まずは洗髪からだな」

「いや、それは自分でやれますから」

「いやいや、これは馬鹿にしたものではないぞ。 貴様も理髪店で店員に頭を洗われた時は気持ちいいと感じるだろう?」

 確かにそうだ。ついでに耳かきもな。なんでだろうか?

 そう思索を巡らせていると、背中に柔らかいモノが当たるのを感じた。

「ちょ、長官??」

 頭を洗うのに身体を密着させる必要はないはずだ。

「今日は中々冷える。 こうしていると温かいだろう?」

(いやいやいや、これはもうサービスの域を超えているだろう?!)

 宗継の頭の中はぐるぐると廻って、もうワケが分からない。心臓は早鐘を打ち、ややもすれば頭から蒸気が出るのではないかと思った程だ。

 が、それよりも非常に拙い状態に陥っている。 欲情に下半身が譲ってしまったのだ。

(これは仕方がないだろう! 山本長官のような美女に抱きつかれてこうならない方がおかしい。俺だって吐欲はあるんだ。これは、そう!不可抗力だ、不可抗力!)

 自分自身に対して必死に言い訳をする宗継であった。 と、

「おやおや、ココも洗って欲しいのか?」

「うひっ」

 下半身の譲りをそっと握られ、思わず宗継は悲鳴をあげてしまった。

「どうした?生娘みたいな声をあげて。 まさか童貞ではあるまいに」

 新しい玩具を手に入れた幼子の様にくつくつと喉を鳴らしながら、五十鈴は宗継の譲りをゆっくりと扱き始める。

「ちょっ‥・止めてください、長官ツこれはもう洒落じゃ済まないですよっ」

「不敬だと思うのなら、今からわたしの事を五十鈴と呼べばよい。 さすればただの男と女だ」

 甘美な響きが脳髄を揺する。宗継の心臓が早鐘を打ち、耳の奥からどくどくと鼓動が響くようだ。

「それとも‥・、こんな傷だらけの女は趣味ではないか?」

「そツそんなことはありません! 長官はその‥・、お‥お綺麗です‥・」

 流石に気恥ずかしく、語尾は小さくなり、それこそ顔が触れる程近づかなければ聞き取れない。

 それを利用してか、GF長官は更に宗継に密着し、その豊かな乳房がつきたての餅のように形を変える。

「い・す・ずと呼べと言ったろう? 貴官は堅いな。硬いのは『コレ』だけにしろ」

 五十鈴はそう言いながら、宗継の漆りを握る力を強め、更に激しく扱きあげる。

「うああ?! そ、そんなにされたらツ」

「ふふ‥・、気持ちいいだろう? 男の悦ぶ貌は何時見ても良いものだな‥・」

 五十鈴は宗継の耳を甘噛みしながら、更に手の動きを増していく。最初は片手であったものが両手になり、上下運動に輪を描くような動作が加えられた。

「あう‥・ツ くうう」

 下半身の譲りに加えられる甘美な刺激に宗継は身悶えする。女は初めてではないが、五十鈴のソレは接客の玄人を軽く凌ぐ手技だった。みるみる欲望の高まりが昇ってくる。

「ぬるぬる‥・ぴくぴくしてきたな。 くっふふ。そろそろ出したくなってきたか?」

 耳孔に舌を押しこみながら五十鈴が含み笑う。

 下半身どころか脳内へ直撃するような刺激を受け、宗継は体を強張らせる。

 熱いマグマのようなモノが出口を求めて急激に譲りを昇ってきた。我慢しようにも、とても我慢しきれるものではなかった。

「あうう!」

 宗継は琳をひくつかせながら、吐精した。夥しい量の白濁液が噴水のように譲りから放出される。

「~~~!」

 快楽が脳天を突き抜けるような感覚に、声の出ない宗継。そんな宗継を目を弓にして見つめながら、五十鈴は手を止めない。

「ほらほら、まだ残っているだろう? 全部出してすっきりしたまえ」

 言いながら五十鈴は宗継の首筋に舌を這わす。

「ツ」

 それが引き金になって、宗継は2度目の絶頂を迎えた。

「ふふふ‥‥」

 朦朦とした意識のなか、五十鈴の妖艶な笑みが聞こえた気がした。

「いや、悪かった秋月少佐。わたしも調子にのりすぎた」

 湯船に二人で浸かりながら一一もうこの辺りについては宗継は諦めた一一GF長官が顔前で両手を合わせ、謝罪の言葉を口にする。

 その横には盆に乗った徳利があるのだから、あまり説得力はない。

「もういいです。 長官の人となりが分かりましたから」

 ぶっきら棒に返す宗継だが、それ以上にGF長官を直視できない。ついと目をやれば肌理の細かい柔肌と豊満な胸が見えてしまうからだ。アルコールが入っている為か、仄かに朱色を乗せた肌と潤んだ瞳は、劣情をもよおすには十分だった。

「はあ」

 手酌で清酒を一杯呑むと、ため息ともとれる息を吐き、山本・五十鈴は天を見る。呉の街から離れているからか、他に光源もなく、初春の夜空を堪能できる。百万、いや幾億もの星が帯状に広がる天の川が、ここでははっきりと見える。工業化の進んだ帝都では、休む間もなく工場が稼働し、お世辞にも空気が綺麗とは言えない。煤煙は夜空を黒く塗りつぶしてしまう、というのはいささか過ぎた表現ではあるが、星をはっきりと見るには余程郊外へ出向くしかない位だ。

 つられて天を見上げた宗継も、思わず見入ってしまう程だった。

「こうして見ると、我々とはいかに小さき存在か、思い知らされるな」

 五十鈴の言葉に、宗継も無意識に頷いていた。

「こんな果てのない宇宙の小さな星で、我々は今も争いを続けている。 もしも神というものが居るとするのなら、何故それを止めようとしないのだろうか? それともこれが基督教のいう人類の試練というやつか?」

「人間というものの業、なのかもしれません。他の動物と人間の決定的な違いは、主義の違いで同じ人間を殺してしまえるという点でしょう。 餓えれば獣も共食いはするでしょうが、人間は感情に因って他人を殺してしまうのです」

「人間は弱い。何かにすがらないと生きていけない。それが異性や親兄弟であったり、宗教・思想だったりする。そして得た自分の居場所を護る為には人殺しを犯してしまうこともある。だから国家という居場所を護る為に我ら軍人が存在する、というワケだな」

「本来なら軍人は無駄飯ぐらいな方がよいのでしょう」

 宗継の言葉に五十鈴は両腕を湯から出し、大きく上へ伸ばした。「万歳」をしているかのように。

 左手の傷を殊更見せつける様に。

「いつの時も軍人が表に立って戦ってよかった時代はない。古代ローマしかり、ナポレオンしかりだ。 軍人は人を殺す職業だ。これが歪でないと言い切れる人間がいると思うかね? 国民を守る為?それは論弁だ。国を守る為に他国の人間を殺す。戦争とは、政治の一形態に過ぎない。政治家が真に望めば、平和な時代は自ずと訪れるものなのだよ」

「であれば真に高潔な人間が政治を行うべきでは?」

 宗継がそう言うと、口の端を歪めた。

「真に高潔な人間ならば、人との繋がりを絶つであろうよ。 1%の高潔な人間は99%の不純な人間との関わりに堪えられない。高潔であるが故にな。 だが時としてそんな中でも高潔な人間は現れる。君の姉君のようにな」

「姉と‥・面識がおありなのですか?」

 宗継が驚きを隠せない表情で問うと、

「面識もなにも、わたしがこの程度で助かったのは、秋月先輩のお蔭なのだぞ。先輩の応急処置が良かったために、わたしは左足を失わずに済んだのだから」

「では、自分をGF司令部に移籍させたのは‥‥」

「先輩の話しで貴官が海軍に入隊しているのは知っていた。 しかし、縁近故に貴官をGFへ呼んだのではない。貴官がGF司令部に配属になったのは、ひとえに貴官の努力の賜物である。 なにせ、航空科は近年開設されたばかりで知見のある者が少ないうえに士官ともなれば航空を傍流とみなして行きたがる者もいない。 その点貴官は少尉任官時から航空科へ属し、自らも操縦悍を握るという。わたしはこれからの戦争の主役は航空機と、その技術を応用したロケットのような物になると思っている。だから戦術だけでなく、戦略面から航空を知る君を是非ともGFに欲しかったのだ」

 五十鈴は真摯な瞳で宗継に語りかけた。恩人の弟を、何の実績もなく採用したのではないと、必死に訴えていた。

 それは宗継にも理解できた。自分の技量を信じて参謀へ抜擢された事について、素直に喜びが湧き上がってきた、が―――

「と云うワケで、それもう1杯」

 杯をよこすGF長官。

「湯に浸かりながらの深酒は体に毒です。いい加減にしませんか‥・」

「何を言う。上官の酒が呑めんというのか一一ッ」

 上官の酒癖の悪さだけには閉口するのだった。

 

(つづく)


 
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