No.947058

夜摩天料理始末 37

野良さん

式姫の庭の二次創作小説になります。

前話:http://www.tinami.com/view/946932

2018-03-30 21:06:36 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:802   閲覧ユーザー数:797

「……そんな」

 いつも背中に感じて居た。

 この状況下でも、ほのかに感じて居た。

 あの、温かい力が。

 彼との繋がりが。

 

 寒い。

 

 寒気を感じて、鞍馬が急に膝を突いた。

「どうした、鞍馬!?」

 急に真っ青な顔で、膝を突いて細かく震える鞍馬の顔を、熊野が慌ててのぞき込んだ。

「そうか、君は彼の式姫では無かったな」

 一瞬の自失から何とか立ち直りながら、鞍馬は自分を呪った。

 あの妖狐が、この地でしぶとく粘っていたのは、この瞬間を待っていたのか。

 という事は、奴は冥府にまで、その手を……。

「熊野」

「どうした?」

 聞くまでも無い。

 熊野にも判ってはいた。

 だが、信じたくないという思いが、彼女にその言葉を返させた。

「主君(あるじくん)が……主君の魂が」

 

 滅んだ。

 

 虚ろな声。

 こんな弱々しい友人の姿は、熊野は初めて見たかもしれない。

「……そうか」

 熊野には、そうとしか言えなかった。

 鞍馬の顔に、涙は無かった。

 心が、一瞬で空にされた時、人は涙も流せない。

 それを熊野は知っていた。

 今は……せめて今だけは、何か他の事に気を向けさせないといけない。

「鞍馬!対策を言え」

「……対策?そうか、そうだな」

 一見すると平静そうな声で、鞍馬は暫しの沈黙の後、熊野に力ない目を向けた。

「最前説明した通り、西の門で待機していてくれ、仕掛けの作動に関しての判断は君に任せる」

「判った」

 駆け出そうとする熊野に、鞍馬は声を掛けた。

「……熊野、君はこの庭で死ぬ義理は無い、危なくなったら逃げてくれ」

 その鞍馬の言葉に、熊野の足が止まった。

「逃げろ?」

「そうだ、ここから先は、単なる防衛戦では済まない」

 彼が滅んだ以上、この庭の結界は、もうあいつの侵入を防げるだけの力は無い。

 奴はそれに早晩気が付くだろう。

 屋敷外に式姫を展開してしまった彼女の策故に、あの妖狐の侵入を防ぐ手立ては、今や薄い。

「ここは……危険だ」

 鞍馬の言葉に、熊野は足を止め、鞍馬の元に歩み寄った。

 鋭い視線が、彼女を射貫く。

「私はね、友がその身命を賭して守る場所を見捨てて逃げる所まで、落ちぶれた覚えは無い」

「熊野……」

「しゃんとしろ、君はこの庭の……彼の軍師だろう!」

 そう言いながら、強く、その肩を掴んだ。

 希望を失うな。

 何度も、私は、人の生死を見て来た。

 だから言える。

 人を最後にこの世界に繋ぎ止めるのは、ただ、その人自身の持つ、生への渇仰だけなのだ。

 だから、それを見失うな。

「だが熊野、君も知っているだろう、私たち主を持つ式姫は、その生死を」

「……知ってるさ」

 あの、背骨が抜けるような喪失感。

 あんな物、二度と味わいたい物では無い。

 だけど、それでも。

「鞍馬、最後まで君の主を信じ、その知略を以て、彼の肉体を守ってみせろ……彼は帰ってくる」

 鞍馬の肩を掴む、熊野の手に、痛いほどの力が籠もる。

「……何故だ、熊野」

 何故、君はそこまで。

「彼の肉体はまだ生きて居るからだ」

 肉体と魂は別ちがたい物。

「だから、物わかり良く諦めるんじゃ無い、泣くのも絶望するのも、彼の肉体も魂も、そのどちらも滅んでしまってからでも、出来るんだ」

 そう言って、熊野は、俯く鞍馬の顔を覗き込んだ。

「私は、患者がまだ生きている以上、それを見捨てたりはしない、全力で生かしてみせる……君はどうなんだ!」

 負け戦だと……戦う前に決めつけてしまうのか?

 それでも、君は天才と常勝を謳われた軍師か?

 

「答えろ、鞍馬!」

 

「……全く、君という奴は」

 鞍馬の目に、僅かだが、それでも光が灯る。

「医者という奴は、中々簡単に人を死なせてくれない物なんだな」

「当たり前だ、彼を生かせと、私をこんな戦場まで引っ張って来たくせに、今更無責任な事を言うな」

 熊野は静かに笑って、鞍馬の肩を離した。

「裏門は任せろ、医術に捧げた身だが、これでも神軍の先触れを務めたる眷属の一人だ」

 そう言って走り出した熊野の背を見送って、鞍馬は正門に向かって歩き出した。

「そう……そうだな」

 彼が戻ってこないにしても。

「鞍馬!」

 こちらに駆け寄ってくる、かやのひめの顔が、夜目にも判る位に蒼い。

「かやのひめか、来てくれて助かった。外堀と塀での防衛線を放棄し、邸内での攪乱型の防衛に切り替える、飯綱君達にその事を伝達してくれ」

「判ったわ」

 そう言って、走り出そうとしたかやのひめが、脚を止める。

「……ねぇ、この庭、守り切れる?」

「約束は出来ないがね、守り切りたいとは思っているよ」

 そう口にした鞍馬の顔を見て、かやのひめは力ない物だが、いつも機嫌悪げな顔に、微笑みを浮かべた。

「どうしたんだい?」

「何でもないわよ、ただ、そういう言い種があの男に似て来たと思っただけよ」

 べ、別に、それでほっとしたわけじゃ無いんだからね。

 そう言いながら、慌てて後ろを向いたかやのひめが第二の持ち場に走っていく。

「……それは光栄だ」

 彼ならば……例え夢破れるとしても、その最後の時まで、こうして、戦おうとするはず。

 そして、彼の式姫達も……まだ絶望はしていない。

 ほんの時折呼吸をする。

 静かに眠り続ける、その彼の枕元に、目を閉じて座していた、蜥蜴丸の目が開いた。

 傍らで、泣きぬれた目をしたまま、じっと彼の枕元に座し、時折その額を拭いているこうめをちらりと見て、蜥蜴丸は痛ましそうにその目を反らした。

「……こうめ殿」

「何じゃ?」

「心平らかに、お聞きください」

 廊下をパタパタと走ってくる足音が聞こえる。

 ……彼女たちも気が付いたか。

「こうめ様っ!」

 珍しく、本当に珍しく、小烏丸が、いきなり障子を乱暴にあけ放ち、部屋に入って来た、その眼前で。

 

「こうめ殿、今、ご主人様の魂が……消えました」

 

 蜥蜴丸の言葉に、こうめの顔が強張る。

 こうめの視線が、蜥蜴丸に、そして、障子を開けた所で止まってしまった小烏丸と、真っ赤な目をした白兎へと動き。

「そうか」

 思いの他静かに、こうめはそう口にして、手にした布で、再び男の額を拭いた。

「軍師殿が防戦に当たりましょうが、あの妖狐がこの館に侵入するのも時間の問題……こうめ殿はお逃げください、小烏丸さんと白兎さんが供に付けば、逃げ延びる事も叶いましょう」

「……彼は連れて行けぬのじゃな」

「魂なきご主人様の肉体は、今、あの大樹の力によって、辛うじて生きているような物……ここから動かせば」

 どのみち、死、あるのみ。

「では断る」

「こうめ殿!」

「わしはここに居る」

「貴女が居ても!」

「押し問答をしておる時間などあるまい……わしは物わかりが悪いのじゃ、それにな、蜥蜴丸」

「何でしょう?」

「……彼はまだ、こうして生きておるではないか」

 飲まされた毒のせいだろうか、熱っぽい大きな手を冷やすように、こうめは小さな手でそれを包んだ。

 手首から、ほんのかすかに、とくり、とくりと、命の拍動が伝わってくる。

 まだ……生きてくれている。

「それは……」

 肉体だけ生きていても、それは。

「蜥蜴丸、小烏丸、白兎」

「はい、こうめ様」

「お主らの言いたい事も、今起きている事も、承知しておる……じゃがな」

 初めて、その目に涙が浮かんだ。

「最後まであきらめずに居てくれぬか?」

「こうめ殿」

「わしには……どうしても彼が死んだとは、思えぬのじゃ」

 まだ何か……この人と繋がる、細い細い一筋の縁が感じられる。

 それは願いが見せた、幻かもしれない。

 だが、例え、ここで死すこととなっても。

 それは、賭けてみるに足る、思いだと。

「頼む」

 

 主に殉ずるは刀の務め。

 なれど、今から行う戦いは。

 

「ご主人様」

 白兎が、その手を取って、にっこり笑いかける。

「早く帰ってきてね、私、ずーっと信じてるよ」

 それだけ言って、ひょいと庭に出たかと思うと、その姿が藪の中に消えた。

 

 主の死に殉じるのではなく。

 

 小烏丸が、じっと主の顔を見て、一つ、大きく頷いた。

「地獄の底までお付き合いすると決めた我が身です……」

 なれば、この身が折れるまで。

「私は、貴方様が願いを託した方の、その意思に従いましょう」

 そう呟いて、小烏丸は、穏やかな顔で縁側に出た。

 

 主の願いを、この世界で生かし続ける、その為の戦い。

 

「蜥蜴丸」

「……心得ました」

 及ばぬかもしれませぬが、練磨したるこの一剣もて、お守りしましょう。

 その、遺志を。

 貴方様が残そうとした、願いを守る、最後の砦。

 この庭を。


 
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