No.942449

孤剣 七

野良さん

式姫プロジェクトの二次創作小説です。
童子切の昔語り。

2018-02-21 20:44:25 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:524   閲覧ユーザー数:517

 小夜を担ぎ上げた猿神が森に駆け込む。

 それを見た童子切に、一瞬の逡巡が生まれた。

 

 どうする。

 

 あの少女を助けるか。

 それとも、見捨ててこの場を去るか。

 

 今から彼女を追ったとしよう。

 その道の果てを、熟練の戦士である童子切の理性は二つしか指し示さない。

 一つ、彼女の救出は間に合わず、封を解かれた青行灯と戦う。

 一つ、救出は間に合うが、彼女を庇って、青行灯と戦う。

 

 つまり、どの道、あの少女の命は絶望的。

 そんな絶望的な代物に賭けて、己が滅ぶ事はないではないか。 

 彼女は、己の存在を賭けてまで、守らねばならぬ存在なのか?

 何の得が有ると言うのだ。

 

 自分は刀。

 冷徹にして犀利なる、戦場を生きるための道具。

 その本質が囁く。

 生き残れ。

 己で己を守れぬ者は……結局、死ぬしかないのだ。

 

「そうですよね」

 それが……恐らく正しいのだろう。

 耳元で風がびゅうと唸る。

 枝を蹴る音、葉が擦れる音。

 小夜の頬や腕を時折、鞭のように枝が、ぴしりと叩く。

 痛い。

 だけど、小夜は悲鳴を上げたりせず、ぐっと声を飲み込んだ。

 さっき、生まれて初めて、死を間近にする程の、怖い思いをして判った事が一つある。

 声を出すと、悲鳴を上げると、その分力が抜ける。

 怖いを飲み込め。

 目を閉じると、闇の中で恐怖は余計増すだけ。

 どれ程怖くても、目を開いて、今起きている事を見ろ。

 

 そして。

 

 視界が急に開けた。

 高い木の上から、猿神がひょうと飛ぶ。

 淡い月明かりの中に、しらと輝く、白木の社。

 村人が……私が。

 あの女に、青行灯という妖怪に騙されていた、それは証。

 怒りが心の中で滾(たぎ)るのを、小夜は感じ……少し笑った。

 少なくとも……自分はまだ、あの妖怪に囚われてはいない。

 その社の前に立つ、青白い炎を纏って奴は居た。

 こちらを見上げてにんまりと笑う。

 その顔を、小夜は睨みつけた。

 

 絶対に、諦めない。

 

 地に下りた猿神が、思ったより丁重に小夜を降ろした。

 その前に、奴が立つ。

「お早いお帰りじゃったな、小夜姫、次の旦那は少しは生娘に優しくするように言い含めて置いたで、ゆるりと楽しまれるが良いぞ」

「一つ聞かせなさい」

 青行灯の淫猥な軽口に乗らず、昂然と顔を上げて、小夜は逆に質問を返した。

 その、怖気ぬ様子を不興気に、だが若干の興をそそられた様子で、青行灯は笑った。

「何じゃな?」

「父上は……貴女は父上を一体どうしたのです?」

「ああ、あれ……」

 興味も無さげに。

 人では無く、物、それもがらくたを扱うような声で。

「妾からは何もしておらぬ」

「嘘!」

「嘘では無い、あれは、自分で物語に囚われ、自分で魂を失っただけ」

「物語?」

「そう、物語」

 昔は良かったと。

 自分は本当なら、こんな所には居ない筈だと。

 こんな、痩せこけた土地で、しなびた大根を齧って終わる人間では無いと。

「あの男が、今を認められずに紡ぎあげた夢物語、その夢を愛し、現実を拒絶し……」

 にたりと青行灯が笑う。

「その夢の為に、娘を人身御供に差し出したのよ……畜生の妻としてねぇ」

 ほほほと笑う青行灯の声を聞く、小夜の目に、涙が一筋伝った。

「……父上」

 

 小夜には判った。

 この言葉には、少なくとも嘘は無い。

 この妖怪が現れる前から、父は、この山里を嫌っていた。

 そして、そこで生まれた小夜も。

 じいに教わって、こっそりと、この小さな手を泥で汚して、育て、初めて生った野菜で、食事を作った時。

 それを投げ捨て、踏みにじった、あの、憎悪に満ちた父の顔が。

「おう……おう、我が娘が……爪の間に泥を残して、手に豆を作って、大根なぞ」

 悲しや……侘しや……惨めな……惨めな。

 慟哭する父の背を見て、小夜はその時、泣く事も出来なかった。

 

 美味しく出来たのに。

 喜んでくれると……思ったのに。

 頑張ったなと、褒めてくれると。

 

 そして、判った。

 小夜がこうして、手ずから膳を差し出すまで、この人は、私の手に泥が残っていた事も、マメを作っていた事も、そう、彼女の事を、何も見ては居なかったのだと。

 ただ、小夜が舞を覚え、和歌を諳んじ、作法を完璧にこなして見せた時。

 小夜では無い、彼女の背後に映る都の雅の幻で、己を慰める為だけの、道具だったのだと。

 

 だからこそ、小夜が差し出した大根飯は、その幻想を、彼の夢を、完膚なきまで打ち砕き、彼に現実を突きつけたのだ。

 お前は、今やその辺の農夫と選ぶところは無い、草深い山里に逼塞(ひっそく)する、ただの人だと。

 故に、父はあのような憎悪の目を私に向けた。

 その、幼さに似ない、怜悧な頭脳故に……不幸にも、小夜には、そこまで父の憎悪が理解できてしまった。

 

 『お方様』を見出し、生活も服も食べる物も良くなって来て、小夜にも笑み掛ける事の増えて来た父だったが、その目の奥には、常に氷塊の如き冷たさが有った。

 判っていた。

 気が付いていた。

 だけど、私も結局……現実を見る事は、出来なかった。

「まぁ、そなたの父には感謝はしておりますよ、益体も無き夢ながら、あれほど一人で語れる男も居らなんだでな」

 九十九の夢語り。

 都の姿を影絵に映す、あの行灯の灯りの中で。

 その尽きぬ怨嗟と憧憬を、雅な知識と言葉に練り込んで。

「妾にささげた物語を、喰らわせて貰った」

 語るその言葉と共に、その夢の中で発酵し、蕩けた魂を喰らって。

「真、美味であった……が」

 妾が、完全にこの世界に戻るには、あの男の魂一つでは、まだ足りなんだ。

 あと一夜分。

「故に、そなたの嘆きと絶望を喰らいたくてね」

「何故?」

 何故、私や父上を……弄ぶの。

「恨むなら、この妾を、この社に閉じ込めた、そなたの祖父を恨むのね」

「おじい様が、あなたを閉じ込めた?」

 何も知らぬげな小夜に、青行灯は蔑んだような目を向けた。

「妾は力を失い、あの行灯の中で眠っておった……まだ京が盛んであった時代に、陰陽師と、忌々しき式姫どもに敗北してね。その行灯を、代々受け継いで封じて来たお主の一族の務めとして、あやつは、この寂びれた神社に妾を封じた」

 そういう事。

 私の家は、この妖怪にとって、代々宿敵……ならば、彼女の恨みも判らぬでも無い。

 それは得心が行った……だが、小夜には、それより気になる言葉が有った。

「式姫」

 それは、この妖怪が、あのお侍さまを呼んでいた言葉。

「そなたも見たであろうよ、あの女」

「あの……お侍さま?」

「侍?」

 馬鹿な事を。

 そう青行灯は鼻で笑った。

「人の身、しかも女性(にょしょう)で、猿神三体を斬って、息も乱さぬ者など、いかな豪傑と言えど、居るものかや」

「それは……」

「あれこそが式姫」

 優美な外見に相違して、その身に鬼神の強さ纏う。

「嘘……」

「あの女も、人では無い」

 

 やめて。

 

(相も変らぬ悪趣味ですね)

(お久しぶりですね、ねぇ青行灯)

 

 何故、あのお侍さまが、この妖を知って……いや、旧知のような言葉を発したのか。

 小夜が心の裡で、うち消そうとして、どうしても消せなかった。

 彼女に聞けなかった疑問の答え。

 

「妾と同じ」

 

 聞きたくない。

 

「化け物じゃ」


 
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