No.941957

孤剣 六

野良さん

式姫プロジェクトの二次創作小説です。
童子切の昔語り。

2018-02-17 20:56:21 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:574   閲覧ユーザー数:564

 一瞬で数匹の仲間を斬られたのを目の当たりにし、猿神達がきぃきぃと哀れっぽい泣き声を上げて、社の中に逃げ込む。

 その社の戸口に立ち、青行灯は、童子切を睨んだ。

「式姫!」

「あら怖い、これが母親の情愛って奴ですかねー」

「ええい、戯れるな!」

 何やら術でも使おうと言うのか、彼女の身を照らす青白い炎が燃え盛るのを見て、童子切は刀の束から手を離した。

「おっと、私はおサルは兎も角、貴女と事を構える気は無いですよー」

 見逃してくれません?

 へらりとそう言ってのけた童子切に、青行灯は殺意に満ちた視線を向けた。

「妾の可愛い使いを斬っておいて、何を今更!」

 炎が更に猛り、手にした行灯の中で燃え盛る。

「嫌ですね、もう少しこう、久しぶりに京人(みやこびと)同士が出会ったんですよ、雅やかに久闊を叙して、腹黒い嫌味を言い合う程度はやりませんかー?」

「黙れ!」

 それは、女性の声では無かった。

 がぱりと口を開けた行灯から洩れた、しわがれた声。

 その口の上にぎょろりと開いた一つ目が、童子切を睨む。

「やれやれ、こっちは刀から手を離してるというのに、おサルに傅(かしず)かれている間に、すっかり山の暮らしが板についてしまったようですねー……」

 嘆かわしそうに、童子切が手を上げる。

「戦に雅も糸瓜もあるか、死ねい、式姫!」

「嫌ですよー」

 炎が、行灯の口の中で膨れ上がる。

 今にも童子切に向かってそれが放たれようとする、その青行灯の視界が、淡い緑に覆われた。

「な!」

 何だ、と口にするより先に、その緑色に放とうとした炎が燃え移り、そのまま青行灯と後ろに隠れた数匹の猿神を包んだ。

 童子切の纏っていた外套。

 投げつけられたそれが、青行灯に絡みつく。

 火のついた重く丈夫な布を、彼女は慌てて引き毟った。

「……おのれぇ……逃げたか」

 階の下には、既に、童子切も小夜姫の姿も無かった。

 毛に火が燃え移った猿神の何体かがきーきーと社を駆けまわり、火の手がそこかしこに上がりだす。

「狼狽えるな!火の付いた者は池に飛び込め、他は社の火を消せ」

 ぴしりと鞭を鳴らすような声に、猿たちの狂騒が一瞬で収まり、それぞれが指示通りに動き出す。

 それを満足そうに見て、青行灯は聞く者ない空に向け口を開いた。

「今は逃がしてやろう、だが、式姫よ……忘れるなぁ」

 月を睨んで、青行灯は、二つの声で、おどろに叫んだ。

「その姫は、妾の百話目の贄なのじゃという事をなぁ!」

「三十六計最上策は」

 小夜と呼ばれた少女を小脇に抱えて、童子切は途方も無い速さで駆けていた。

 腰に回した手の感触と、掛かる重みが、童子切をたじろがせる程に、細く軽い。

「逃げる事と見つけたり」

 猿神の死体と祠を横目で見ながら、藪を一気に駆け抜け、街道に出る。

 生臭く淀んでいた空気が、一気にまともな物になったように童子切には感じられて、すうと大きく息を吸った。

「奴の結界を抜ければ、一先ずは安心でしょう。立てますか?」

「……はい」

 すっと童子切に降ろされ、自分で立った少女は、童子切を真っ直ぐ見上げて。

「お侍さま、ありがとうございました」

 そう言って、深く、その誇り高い首を下げた。

「そして、ご無礼の数々、お許しください」

「いえいえ、あんまり気にしないで下さいねー」

「いえ、本来私のような恩知らずな小娘など、見捨てられて当然だった身」

「まぁ、正直そうしようかとも思ったんですけどねー」

 少女を促して歩き出しながら、童子切は辺りに油断なく目を配った。

「では、何故」

「……気まぐれですよ」

 そう、貴女が、最後に見せた覚悟故の……私の気まぐれ。

 貴女が、懐剣を引き抜き、最後に抵抗せんとしなければ……。

 私は、貴女の生き死にを考えずに、あの場で青行灯と戦うか、それとも、見なかったことにして去っていたでしょう。

 

 かつて、対峙した経験から言えば青行灯は強い。

 いかに童子切であれ、あの少女を庇ったまま勝てる相手ではない。

 この少女を生かしたいと思ったが故に、あの場は一時逃亡を選んだ。

「……そうですか」

 少女は、何を思うのか、悲しげな眼を前に向けて、僅かに脚を速めた。

「これから、どうするのです?」

「村に戻ります、戻り、お方様……いえ、あの女の事を、皆に話します」

「ふぅん」

 鍛えられた武士や術者なら兎も角、村人が対抗できるような甘い相手ではないが……その事は敢えて言わず、童子切は他の事を口にした。

「所で、あの妖、青行灯と言いますが……あれは本来、都などの人の多い所に現れる妖なのですけど」

 人が集まり、百の怪異を語り終えた時に、現れると言う妖怪、青行灯。

 怪異譚を重ねるという事は、すなわち式姫で言う召喚の陣を張る行為に相当する。

 その空間の、この世とあの世の境界を曖昧にする

 そして、そこで沸き起こる、人の恐怖などの、さまざまな感情は、それを好んで喰らう青行灯を呼ぶ、餌となるのだ……と。

 童子切は、旧主からそんな事を聞いた覚えがある。

 逆に言えば、それなりに怪異を語れる知識と、何より暇の持ち合わせがある存在が複数居るような、そんな場所にしか出ない筈の妖。

 それが、何故このような山中に現れたのか?

「思い当たる事は、何かありませんかね?」

 その童子切の問いに、少女は僅かにピクリと肩を震わせたが、そのまま無言で、硬い顔を前に向けていた。

(ふむ)

 何となく判った。

 知らないのではなく、語りにくい話なのだと。

 

「……あの行灯に、見覚えがありますよね?」

「っ……」

「話してくれませんか?」

 だが、少女は無言。

 童子切もそれ以上は促さず、ふぅ、と軽く息をついてから、水を口にした。

 軽く喉を湿して、水を入れた竹筒を傍らの少女に差し出す。

「どうぞ」

「……頂戴します」

 こくり……こくり、こくり。

 水を口にして、改めて自分の喉がいかに渇いていたのか気が付いたのだろう。

 可愛らしく喉を鳴らす音が暫し響く。

「……美味しい」

「そう感じるなら、何よりですよー」

 そのまま、二人は無言で峠を歩いた。

 一歩、二歩。

「あれは、おじい様が都から持ち出せた、数少ない道具です」

 前触れも無く、小夜がぽつりと呟いた。

「そうですか」

 やはり。

「我が家の家名を口にするのは……その、ご容赦願いたいのですが」

「構いませんよ、旅の剣客が聞いても、意味のない事ですから」

「忝のうございます」

 捲土重来を期して雌伏しているのか、名門の家の没落を恥じているのか。

 名を伏せたい事情は色々あろうが、童子切としては、その辺りはどうでも良い。

 家名と家の存続の価値とは、その名流の知見と力を、責任を持って子の世代に継いでいく間にのみ生じる価値であって、その名自体には、彼女は大した価値を見出してはいなかった。

 

「何れ都に戻る事を考え、一族郎党を連れ、財貨も持てるだけ持ち出した……そう聞いております」

 だが……。

 その後はよくある話だった。

 この戦乱の中では、身を落ち着ける場所があろう筈も無く……。

 流離う内に財貨は消え、人も減り。

「野盗や地方豪族の影に怯え、郎党の裏切りに疲れ果てた一行が、最後に辿り付いた、心休まる場所が、この山里だったそうです」

 私は、その後、この山里で産まれたのです。

 そう、口にした時の小夜の顔には、その産まれを忌む風は無かった。

 寧ろ……どこか嬉しそうな響きすら。

 

「なるほど……所で、あの行灯はその後、どうなったんですか?」

「あの行灯は、祖父が、さっきの社が建つ前に有った祠に納めました」

「あの場所は、やはりもともと、神社か何かだったのですね」

「はい、小さな物でしたが」

 やはり……ね。

 あの鳥居の礎石、道と森の配置を見て、童子切が見て取った通り。

 つまり、彼女の祖父は、恐らくあれが何か知っていたのだ。

 妖しの力秘めた、魔性の道具だと。

 知って、社に収めた……いや。

 

 封じた。

 

 ある程度得心が行った所で、童子切は一番聞きたかった事を口にした。

「では、あの、『お方様』とやらは、いつから、誰が連れて来たのです?」

「お方……あの女は」

 口にするのも嫌だと言わんばかりに言い換えて、小夜は重い口を開いた。

「父上が……」

「……ほぉ」

「あの女は、あの社から出た事はありません……父上が、村の主だった者を連れ、いつもあの社に出向いておりました」

「あの社から出た事が無い?」

「私の知る限りは……ですが」

「そうですか」

 先を促す様な、童子切の視線を受け、小夜は重い口を開いた。

「あの女の元に行く度に、皆は、財貨や、珍しい食べ物を手にして村に戻ってきました」

 その財貨で、下の村と交易し、衣や道具を得た。

 侘しかった山村の生活は、間違いなく良くなっていった。

 彼女の父と、『お方様』は、この小さな山村で、絶対的な存在となって行った。

「そして、お返しに、古くなった社や鳥居を建て替えました」

「それが始まったのは、祖父君が亡くなった後……ですね」

 質問では無く、確認するような童子切の言葉に、小夜の肩がピクリと震える。

「何故……それを」

「何となくですよー」

 全体の、絵が見えて来た。

 

「父は、祖父が居なくなってから、頻繁にあの社に脚を運ぶようになりました」

 あの行灯に火を入れれば、映る影に、都の風情が浮かぶと。

 その光の中で、夜毎、昔を知る者を集め……彼女の父は、良く昔語りをしていた。

 昔は良かったと。

 惨めな今が嫌だと。

 

「お侍さま」

「何です?」

「お侍さまは、都育ちだとか」

「まぁ……一応は」

 随分と昔の話になってしまいますけどねー。

「都とは、それ程に良い所なのですか?」

「……難しい質問ですねー」

「私は、姫などと呼ばれ、作法や振る舞いは、都の姫に劣らぬ程度には学んではいるそうです……ですが、ここ以外の場所を知らないのです」

「なるほど……知らぬでは、実感も出来ますまいね」

 都の空気という奴は、良し悪しで語れる事なんだろうか。

 旅の空に生きて、もう数百年になるが、彼女自身は都を懐かしむことは有るし、単純に人が多い場所は酒も入手しやすい事もあり、いい思い出はそれなりにある。

 その意味では身を置く利を感じる場所だが、帰りたいと思う事は余りなかった。

 思い出すのは、帰りたいのは、場所では無く、共に生きた人の傍らだけ。

 だけど、都に身を置き、人を見ていて、一つ言える事もある。

「良し悪しでは無いですが、確かに何らかの魔性はあるようですね」

「魔性?」

 特に、権力の近くに居たなら、猶更。

「あの場所に居ないといけない、そんな風に思わせる」

「魔性、そうなのですね……」

 小夜の目が悲しげに伏せられた。

「この山里の暮らしなどでは、人は満足できぬのでしょうか?」

「貴女のお父上はそうだった、という事でしょうね」

「父上は……いえ、私たちは、あの女に騙されていたのでしょうか」

「まぁ、そういう事でしょう」

「そうですか」

 悔しい、というように俯いた小夜だったが、気持ちを切り替えるように、顔を前に向けた。

「いずれにせよ、そろそろ村です。今宵の事を告げれば、父上はじめ、皆も考えを改めてくれるでしょう」

「……ええ」

 言葉少なに、童子切が答える。

 一度良い思いをしてしまった人は、その夢からは覚めたがらない。

 現実が間違っていると……。

 目を覚まさせた人を、逆に恨む。

 そうならないと、良いのですが。

 とはいえ、童子切にはこれ以上の事は、してやれない。

 後出来る事は、青行灯を倒す位。

 

 青行灯にしてみれば、人など脅威にもならない。

 であれば、今は童子切の動向しか気にしてはいないだろうし、身辺を固めるべく、猿神共も周囲に侍らせている筈。

 村に彼女を帰せば、当面の安全は計れよう。

 

 それにしても……だ。

 彼女の話から見えた、青行灯の迂遠な行動の意図が今一つ飲み込めない。

 彼女たちを騙す事に、退屈しのぎ以上の意味があるのか。

 女性としては飛び抜けた長身の童子切からすると、頭二つちょっと程低い位置にある、少女の頭に視線を落とす。

 一体、このような少女を嬲り者にして、殺す意味が……。

 

 そこまで考えて、童子切の脚が覚えず止まった。

「お侍さま?」

「……いえ、何でもありません」

 

 意味は……あった。

 

(あの女は、あの社から出た事はありません……父上が、村の主だった者を連れ、いつもあの社に出向いておりました)

 

 青行灯は、今でもあの場に、その身を縛られているのだ。

 恐らく、その力の多くも封じられて。

 故に、それを破ろうと、奴は動いている。

 そのあふれ出す妖気で、猿を狂わせ、妖しのモノと変えて従え。

 神社の鎮守の森にあの猿共を住まわせ。

 あの近辺の山道で、旅人を襲わせた。

 そうして得た金品で村人を籠絡し、新たに、何の力も無い鳥居を立てさせ、社を作り直させた。

 全ては、彼女の身を縛る結界を弱めるために。

 あの少女は最後の贄。

 彼女を封じた一族の血に連なる乙女を、嬲り者にして殺す事で神域を完膚なきまでに汚し、結界を破壊する。

 そんな、物語を積み上げて。

 

 そして、今宵、悪趣味極まる百物語の完成を以て、青行灯は再びこの世界に現れ出でる。

「父上」

 少女の声が弾み、たったっと駆け出す足音が聞こえる。

 その声に、考えに沈んでいた童子切の意識が覚醒した。

「いけません!」

 走り出そうとする、童子切の傍らで、森が唸った。

 一瞬、森が襲い掛かって来たかと錯覚するような、石礫の嵐。

 まともには遣り合えない事を、最前嫌という程見せつけられた故か、無数の礫が童子切に降り注ぎ、その合間を縫うように、刀を振りかざして猿神が襲い掛かってくる。

「小賢しい!」

 間合いに来た猿を、殆ど反射的に斬り伏せながら、童子切は珍しく焦った顔を道の先に向けた。

「小夜、逃げなさい!」

「お侍さま?」

 異変を感じ、童子切に駆け寄ろうとした小夜の腕が掴まれた。

「小夜、駄目では無いか」

「……ちち……うえ?」

「猿神様のややを授かるのが、お前の役目だよ」

 その声は平板で。

「そのややの力で、われらは都に戻るのではないか……そう、私と約束したな、小夜よ」

「父上、それは、それはあの女の嘘で!」

「お方様が間違っているわけが無いではないか」

 その目は、声以上に虚ろで。

 顔を上げた小夜が、ヒッと声を上げた。

 その虚ろな目の中で、あの時見た、行灯の中で燃えていた炎と同じ色がちろちろと燃えていた。

「さぁお小夜、花婿様が、あれにお待ちだ……」

 ぐいとその腕を引かれて、小夜はつんのめった。

 転びそうになる体が、支えられる。

 太い指、白い毛に覆われた腕……そして赤い顔。

 あの最初に現れた三匹ほどではないが、巨大な猿神。

「きゃ!」

 叫ぼうとした小夜の、小柄な体が、抱え上げられた。

「父上、父上お助け下さい!」

 だが、娘の悲鳴にも、その顔は筋ひとつ動かす事も無く。

「では猿神様、娘を何卒よろしくお願いしますぞ」

「父上!」

 走り去り森に駆け込む猿を、出来損ないの顔が、薄笑いを浮かべて、見送っていた。


 
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