No.941761

祈りのスターヒル(前編)

アイオロスとサガがそれぞれの人生を歩もうとするお話の前半です。ロスサガですがカノサガも強くあります。神官についての描写はすべて想像です。

2018-02-16 15:51:38 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1122   閲覧ユーザー数:1114

「アイオロスのヤツ、結婚するんだってさ。」

 

フォークが床に落ちて派手な音を立てた。サガは黙って拾うと、キッチンへ行き新しいものを持ってテーブルに戻ってきた。

 

「……へえ……いつ?」

 

「それはわからんが、起きたらアフロディーテからメールが来てた。あいつはそういう噂話が好きだからな。よく変なニュース仕入れては送ってくるんだよ。」

 

話しながらトーストをかじるカノンを、サガはフォークを持ったまま黙って見つめていた。自分にはそんなメールは届いていない。

 

「真夜中にふざけた写真とか動画とかさ。十二宮の特殊通信をあんなふうに使っていいのかと俺ですら思うよ。シオンにバレたら双魚宮吹っ飛ばされるだろうな。」

 

送られてきた画像の数々を思い出したのかカノンは笑っている。サガは相変わらず無表情のままだ。アイオロスが結婚する……その言葉だけが頭の中をくるくる回っていた。

 

「相手は誰なんだろう。」

 

「さあな。でもあいつは黄金聖闘士だし、次期教皇でもあるし。追々正式に発表があるだろう。俺、そろそろ行くわ。ごちそうさま。」

 

皿に残っていたスクランブルエッグをパンに乗せ口に押し込むと、カノンは急いで席を立った。

 

「ああ……いってらっしゃい。」

 

カノンが出て行くと部屋の中が急に寂しく感じられた。食事をしていた手を止め、皿の淵にフォークを置く。両手に包んだマグカップから静かに湯気が上がっている。その様子をサガはしばらく眺めていた。

 

 

 

「シオン教皇、サガ様がお見えになっています。」

 

従者の言葉にシオンは書類に向けていた視線を上げた。

 

「サガ? 彼は今日非番のはずだが。」

 

「教皇にお話があるそうです。ぜひお取り次ぎをとおっしゃっています。」

 

「急ぎの話か……わかった、こちらへ通しなさい。」

 

従者と入れ替わるようにしてサガが入ってきた。今日はカノンが聖衣を使っているため、サガは別の正装でシオンの前に現れた。彼のトレードマークでもあるライラック色の艶やかなヒマティオンをまとっている。彼はシオンの前へ来ると片膝をついた。

 

「人払いはしてある。立ちなさい。黄金同士、遠慮は無用だ。」

 

「シオン教皇。以前頂いたお話、ぜひお受け致したくここへ参りました。」

 

サガの申し出にシオンは驚いて紫色の瞳を丸くした。

 

「ニケ神殿の神官職の話か? 本当に?」

 

「はい。このサガでよろしければ、喜んで。」

 

急な話にシオンは少し口ごもった。

 

聖戦が終結してまもなくの事だった。女神アテナの眷属である「勝利の女神ニケ」は古代より崇拝され、ギリシャ各地に多くの神殿を持っている。その中でサモトラケ島にある神殿の神官から、友好関係にあるシオンに内々の打診があった。「自身も老齢だし、なかなか神職に着いてくれる若者がいないため、ぜひ聖域から相応しい人物をこちらへ迎え入れたい。」との話だった。任務地は遠く離れることになるが、聖闘士としての資格を失うわけではない。アテナの眷属神ニケの神殿を守ることも聖域の聖闘士として大切な任務の一つである。その白羽の矢をシオンはサガに向けた。現在、双子座の黄金聖闘士は二人とも健在だ。実力は均等だが、神官としての素質を考えると険のあるカノンよりもサガの方が合うだろう。ただ聖闘士というだけでなく、それが黄金聖闘士となれば崇拝者たちの間でも人気は絶大だ。特にサガのように知性も容姿も優れた者が神官になれば、島がどれだけのお祭り騒ぎになるか目に見えるようである。さらに彼ほどの実力があればギリシャ北方の監視役としても強力な存在となる…

ただ、シオンはサガに対してまだ勅令を出していなかった。一度話をしただけでサガに強く依頼していたわけではなかったのだ。それが今日になっていきなりサガの方から申し出があると思わず、シオンは自分から言い出した事とはいえ思わず戸惑ってしまった。

 

「神官になっても黄金聖闘士である事は変わらない。ただ、ここでの生活とは全く異なる故、いろいろと不便な事があるだろう。」

 

「もちろん承知しております。これも聖域のため。女神のため。私は喜んで…」

 

「仲間たちにはもう話したのか? 弟は何と言っておる?」

 

「誰にも話しておりません。私自身が決めた事です。」

 

「危険だな……」

 

最後の言葉はわざと小さくつぶやいたので、サガの耳には届かなかったようだ。シオンはしばらく窓の外を眺めていたが、何度か頷くと笑顔でくるりと振り返った。

 

「…わかった。お前の返事を先方へ伝えておこう。追ってまた連絡する。」

 

「ありがとうございます。出来るだけ早くお話を進めて頂けるようお願いします。」

 

サガもまた笑顔を浮かべた。シオンはその笑顔をいつか見たような気がした。どこか不可解な、何かを秘めている笑顔……そうだ…13年前アイオロスを教皇に指名した時の、あの時のサガの顔だ。哀しみや苦しみを心の底に隠した彼独特の不思議な笑顔……そんなシオンの心配をよそに、サガはぱっと立ち上がると早々に部屋を出て行こうとした。

 

「ああ、待ちなさいサガ。」

 

「何でしょうか?」

 

「アイオロスの事はもう知っているか?」

 

途端にサガの顔から表情が消えた。宝石のように潤んでいたエメラルドの瞳が、まるで何も映さないように一瞬で暗い影を落としている。

 

「先週、彼を連れてトラキアに偵察に行った時、その地を統括している長がアイオロスを気に入ってしまってな。自分の娘をぜひ娶ってほしいと強くお願いされたのだ。」

 

「……そうですか。」

 

「お前も知っての通り、アイオロスは次期教皇でもある。私は独り身だが、神官と違って聖域の教皇職は特に独身である事を条件としているわけではない。おそらくこのまま話が進むだろう。」

 

「彼に会ったらお祝いの言葉を贈ろうと思います。」

 

話題を断ち切るようにシオンに一礼すると、サガは足早に部屋を後にした。

 

十二宮の長い階段をサガは一つ一つゆっくりと降りていく。任務で外出しているか、もしくは休日で守護者はプライベートルームにいるせいで、どの宮も静かだった。現在の聖域は平和そのものである。澄み切った青い空を鳥の群れが飛んでいく。聖域を取り巻く白い岩肌も、遥か彼方に見えるアテネ市街もエーゲ海の輝きも、すべてがいつもと同じ風景だ。ただ一つ……この心の中だけがぼんやりと霧がかかったように白く濁っている。人馬宮を通り抜ける時も、サガは立ち止まることなく静かに歩みを進めていった。

 

 

その日の夜、仕事から帰ったカノンは聖衣箱を下ろしながら疲れた様子で口を開いた。

 

「明日俺も出勤になった。聖衣は俺が使うから、明日兄さんは教皇の間で書類作成の仕事だそうだ。」

 

「何の任務なんだ?」

 

「アスガルドの視察だ。神闘士たちと合同で行うらしい。白銀の連中を何人か連れて行くから、まあ研修みたいなものだな。あ、それから俺は明日向こう泊まりだから。」

 

カノンは一息にそこまで言うと、クローゼットからタオルと着替えを取り出し浴室に向かった。サガと同居するようになってからカノンもすっかり風呂好きになり、仕事の日は夕食の前に必ず入るようになっていた。シオンが何も話さなかったのか、カノンは神官職の話をしなかった。サガも言うタイミングを少し外したせいで、カノンから明日の予定を聞いて軽く返事をしただけで、特にその話題を持ち出さなかった。そのまま黙っていようとしたが、サガの様子を不審に思ったカノンが急に振り返って言った。

 

「お前変だな。何かあったのか?」

 

「いいや、別に。」

 

「兄さんは素直だからすぐ顔に出るんだよな。まあ、病気じゃないならいいよ。」

 

「スープを温めるから早く入ってこい。」

 

弟と目を合わせず黙々と食器の準備をするサガに、カノンはニヤリとした。

 

「留守中誰か呼んでもいいけど俺のベッドは貸すなよ。お前ので対応しろ。」

 

「別に呼ぶ気はない。変な言い方をするな。」

 

「貸すなよ。絶対に。」

 

「だから誰も来ないって。なんで二回も言うんだ?」

 

ムッと頬を膨らめたサガの顔を見て、カノンは笑いながらバスルームに向かった。

 

 

翌朝、サガとカノンは一緒に双児宮を出た。一度シオン教皇に謁見した後、カノンは予定通り白銀聖闘士を連れて聖域を後にした。今日はアイオロスも来ている。アフロディーテの特殊通信のおかげで、聖域はアイオロスの結婚話で持ちきりだった。まさに今、結婚式が行われているかのようなお祝いムードである。

 

「おめでとうアイオロス!」

 

「相手はどんな女性?」

 

「式はいつになるんだ?」

 

大勢の取り巻きが彼を囲み質問攻めにしていたので、サガはあえて彼に近づかなかった。任務でここへ来ている限り、サガはいつもと変わらない凛とした態度で接しなければならない。幸いサガは精神操作の術に長けている。それは自身への作用も同じで、当のアイオロスと顔を合わせてもまったく動じない………はずだった。自分以外にもアイオロスや他の数名が教皇の間内での任務だったため、サガは今日ほど時間が早く過ぎてほしいと思った事がなかった。無意識に彼と距離を取りたがる自分がいる。彼の声を聞かないようにしようとする自分がいる。とても黄金聖闘士と思えない動揺ぶりに、サガは自分の胸を撃ち抜きそうなくらいの恥辱を覚えていた。

夕刻を迎えようやくこの苦痛から解放されたサガは、終日仲間に囲まれ続けたアイオロスに結局お祝いの言葉も言えず、挨拶もそこそこに自宮目指して階段を駆け下りていった。

 

気づいたらいつもより1時間多く入浴していた。脱水寸前で風呂場から出てきたサガは冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、額に冷たいボトルを当てたままぐったりとソファに座った。湯の熱さと心に広がる虚無感で立ち上がる気力もない。カノンがいないせいで食事を作る気も起こらない。というか、そもそも食欲がない。

 

「あーあ、疲れた……本当に疲れた……聖闘士…辞めちゃおうかな……」

 

誰もいないのでついに本音が出てしまった。カノンがたまに冗談で漏らす言葉をついに自分が言う時が来るとは……大きなため息をつき、サガはバスローブ姿で白く長い足をそろえてソファに横たわった。身体が熱い。でも心の中はこんなにも冷えきっている。胸の奥底からこみ上がってくる感情をうまくコントロールできない。涙も……出ない。しばらくすると、考える事に疲れたサガの唇からすう〜っと静かな寝息が漏れ始めた。

 

何か温かいものが肩にふれ軽く揺すられる。カノン、帰ってきたのか?…弟以外ここへ来る者はいない。目をつぶったままサガは「お帰りカノン」とムニャムニャつぶやいた。

 

「起きろサガ。ちゃんと拭かないとダメじゃないか。」

 

声が違う。これはカノンじゃない。そう思った途端、サガは目をばっちり開いて飛び起きた。目の前に立つ人物を見てサガは絶叫した。室内に響くあまりの大声にアイオロスは耳をふさいだ。

 

「静かに、静かにしろって。落ち着けサガ!」

 

「な、な、なんでお前がここにいるんだ??!!どうやって入ってきた!??」

 

「お前、思い切り鍵開いてたぞ。これじゃ秘密の扉の意味がないじゃないか。ノックしようとしたらドアが開いてこっちがびっくりしたよ。何かあったのかと思って。」

 

「ああ……そう…すまなかった……」

 

サガは自分の格好がバスローブのままである事を思い出して思わず胸元を合わせた。洗いたての長い髪が彼の身体を覆うように流れている。部屋の明かりに反射して青真珠のような瞬きを放つ髪色の美しさに、アイオロスは思わず感嘆して笑みを浮かべた。素足をちょこんとソファに乗せて座っている姿は驚くほど可愛いらしい。

 

「バスローブ湿ってるぞ。着替えた方がいい。服をもってきてあげるよ。」

 

「いい……!自分でやるから!」

 

「遠慮するな。そこで待っていろ。」

 

サガは真っ赤になって手を伸ばしたが、アイオロスはまるで頓着ない様子でサガの寝室に入っていった。しばらくすると、椅子にかけてあったルームガウンを手にして戻ってきた。

 

「普段着がどこかわからなかった。これでいいか?」

 

「ありがとう……」

 

サッとガウンを受け取ったものの、サガがまごまごしている様子にアイオロスはようやく察したようですぐに後ろを向いた。バサバサと音がしてサガはあっという間にバスローブを脱ぎ、ルームガウンに着替えた。サガは裾の長い衣装が本当によく似合う。シルクのガウン姿もまた色っぽくて、アイオロスは失礼とは思いつつもサガの全身を上から下まで眺めてしまった。

 

「お前ライラック色好きだな。それもすごく似合うよ。」

 

「それより、何か用か?!……」

 

途端にアイオロスは頭をボリボリかいて照れくさそうにした。適当に椅子に座ると、立ったまま焦りの表情を浮かべるサガと視線を合わせた。

 

「聞いたよ、シオン教皇に。ニケの神官になるんだってな。」

 

アイオロスの言葉に部屋の空気が一瞬にして変わる。今までの騒動が嘘のような静けさだ。サガは一呼吸おいてから小さく答えた。

 

「……ああ。そのつもりだ。」

 

「子供の頃に一度行った事がある。あの高い山のてっぺんにある面倒な神殿だろ?」

 

「十二宮とそれほど変わらないだろう。」

 

「トロイア方面の島なんて本当遠いし、神域だからテレポーテーション使えないし。第一なぜお前が行かなきゃならないんだ?」

 

「以前からシオン教皇に打診されていたんだ。いい経験になるし、黄金聖闘士として重役を任される事にもなる。」

 

「仕事熱心なお前らしいな。」

 

アイオロスは前に組んだ自分の手を見つめながらクスリと笑った。それ以上の言葉が返って来なかったので、逆にサガは昼間言えなかったあの一言を伝えた。

 

「………おめでとうアイオロス。結婚するって聞いて驚いたよ。」

 

「ハハッその話か。やっぱり驚いたか?」

 

アイオロスは困ったような笑みを浮かべてまたポリポリ頭をかいた。照れくささの中に心弾む様子が伺える。サガは胸にチクリと痛みを感じた。

 

「随分急な話だな。相手にはもう会ったのか?」

 

「いや、まだだ。まだ何も進んでない。先方の父親の強い希望で話が大きくなってるが、今は何も決まってないよ。」

 

「そう……じゃあこれからなんだ。でも良かった。お前が幸せになるなら私は嬉しいよ。」

 

「本当に?」

 

「仲間はたくさんいても、一番長く知っているのはお前だけだから。それに…お前には特に幸せになってほしい。本当におめでとう。」

 

「…………ありがとうサガ。」

 

お礼を言いながらもアイオロスは自分の手を見つめたままだ。サガはわざと吹っ切れた様子で言った。

 

「お互い新しい人生が始まるな。」

 

自分から口にした言葉だったが、心の中にはひとかけらの希望も感じない。新しい人生の幕開けのはずなのに、本当はこれっぽっちの未来も見えない。目の前にあるこの笑顔がもうすぐ一人の女性のものになる。生涯彼に愛され、彼の子を産み、教皇夫人として女神や仲間たちに守られ、温かな日々をこの聖域で過ごすのだろう。サガは思わず息をつめた。しかしアイオロスはサガの葛藤などまるで気づいてないようで、いつもの優しい笑みを浮かべている。

 

「島へは一人でいくのか?」

 

「サモトラケから迎えの船が来る予定だ。アテネの港から出航する。」

 

「そうか……」

 

「安心しろ、お前の結婚式には出るよ。祝いの使者として。贈り物もたくさん用意するよ。」

 

アイオロスは黙って笑顔のまま何度も頷いた。彼はふと部屋の中を見回した。

 

「あれ?そういえばカノンは?」

 

「北欧出張だ。泊まりで今夜はいない。」

 

「あ、そうだったな。今朝シオン教皇が言ってたっけ。」

 

アイオロスの視線が寝室の方へ動く。自然にそちらを見たのはわかっていたが、途端にサガの身体を電流のようなものが駆け巡った。これ以上一緒の空間にいるのは危険だ。余計な事を口走ったり取り返しのつかない雰囲気を作ってしまう前に、彼には帰ってもらわなければ……

 

「さて、私はこれからやらねばならない事がある。起こしてくれてありがとう。また明日会おう。」

 

動揺を読まれたくない一心で思わず口から出任せが飛び出した。

 

「そんなに忙しいのかい?」

 

「い、忙しいよ…!?貯蔵用のパンを焼かなきゃならないし、繕い物もあるし…」

 

「ハハハ、主婦みたいだな。」

 

「うちは二人分だから大変なんだ。カノンは私の倍近く食べるし。」

 

暗に“出ていってほしい”気持ちを察したアイオロスは、ひとり頷きながらゆっくりと椅子から立ち上がった。サガはその一挙一動にいちいち小さく反応している。帰り際、アイオロスは右手を差し出した。

 

「神官、頑張れよ。私もいい教皇になれるよう努める。これからも良き友でいよう。私からも必ず会いに行くよ。」

 

サガは黙って自分の手を差し出した。サガの手が上がりきる前にアイオロスは力強くサガの手を取った。温かい……彼の性格そのものを表しているような柔らかさと優しさに溢れた感触。握られた手からアイオロスの方へ視線を向けると、彼の澄んだオリーブ色の瞳と合った。そのまま彼の胸元へ引き寄せられそうな錯覚に陥り、サガは軽く振り払うように手を離した。

 

「……お休み……アイオロス。」

 

「じゃあ、また明日。」

 

アイオロスはいつもの笑顔を浮かべて手を上げ、部屋から出ていった。

 

 

 

 

 

(後半へつづく)

 

 

 

 

 


 
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