No.933847

義輝記 別伝 その九 中編 その参

いたさん

義輝記 別伝の続編です。

2017-12-19 21:52:41 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:910   閲覧ユーザー数:883

【 一服 の件 】

 

〖 日ノ本 畿内 飯盛山城 

 

城下町の茶屋 にて 〗

 

 

松永久秀の案内で入った茶屋は、太守である三好長慶を案内するには、あまりにも粗末な草庵だった。 

 

付近の民家と代わり映えしない丸太、竹、土壁などで建築された建物。 内部も床の間や入り口部分を省けば、二畳半しかない窮屈な部屋。 

 

明かり取りである窓も二ヶ所だけ。 しかも、障子ではなく下地窓(土壁の土を張り付けずに骨だけ見せている窓)をわざわざ造成し、窓としている。

 

戦国有数の大々名である長慶にとって、ここは正に荒ら屋(あばらや)と言っていいほど、地味で飾りっ気のない普通の一軒家だった。

 

ーー

 

「ほう………これが、そうなのか?」

 

「はい、我が茶の湯の師であります『武野紹鷗』の弟子が、試行錯誤の末に編み出した茶室です」 

 

「なるほど、確かに華美では茶の湯独特の雰囲気も、茶の味わいも堪能する事はできないな」

 

ーー

 

感嘆する長慶を室内に招き入れた久秀。

 

長慶が席に座るのを見届けると、実に優雅な作法で茶を点て、静かに待つ長慶の前へ茶碗をそっと差し出し、茶をすすめた。

 

ーー

 

「………どうぞ」

 

「───頂こう」

 

ーー

 

目の前に置かれた茶碗を取った長慶は、左手に乗せると軽く押し頂き、持った茶碗を時計回りに数度、正面の模様より外れるように回して、そっと口を付けた。

 

ーー

 

「お服加減はいかがでしょうか、長慶様?」

 

「………ああ、相変わらず見事な腕前だな。 何時にも増して濃厚で美味しい茶だったぞ」

 

「ふふふ……お褒めに預かり、光栄です」

 

ーー

 

下地窓から日が射し、暖かな微風が外より草花の薫りを運び入れる中、二人は互いに顔を見合い、にこやかに笑う。

 

実に平和で、穏やかな空気に包まれた室内のやり取り。

 

ーー

 

「ところで、長慶様………」

 

「───ん、何だ?」

 

「此度の颯馬殿との勝負。 長慶様、貴女は………どちらの味方をされているのですか?」

 

「………………」

 

ーー

 

刹那的な緊迫感が小部屋に張り巡られる。

 

久秀の笑顔に秘めた鋭い敵意が、長慶に針の如く突き刺さるのだが、長慶の表情は変わらない。 

 

いや、能面の様な無表情な顔で、久秀をじっと見つめるまま。 まるで、久秀の心の内を……奥まで見透そうとしているかのように。

 

だが、そんな沈黙な間も、あっさりと長慶から崩れた。

 

ーー

 

「ふむ、三好家としては一存が颯馬を応援し、私が久秀を援護している。 そう言えば───久秀は満足か?」

 

「はっ、御無礼と承知で申し上げました。 久秀が見るところ、長慶様の御尊顔、久秀と対応する時と颯馬殿と話をなされる時と、些か違う……そう思われましたので」

 

ーー

 

少し怒気を含む長慶の言葉が返り、久秀は直ぐに平伏し自分の無礼を詫びつつも、感じた違和感を伝える。 

 

長慶は少し考えると、屈託ない笑顔で久秀に再度答えた。

 

ーー

 

「確かに私は……『三好家当主』として、久秀を股肱之臣と理解し尊重もしている」

 

「………はい」

 

「だが……私は『十河一存の姉』でもある。 一存と肝胆相照らす颯馬殿を歓迎せず何とするべきか。 丁重に接し、日頃の感謝を表すのは、姉として当然だろう」

 

「…………」

 

「だが、あの兵法を紙上談兵、机上の空論と嫌う一存が、他家の軍師と仲良くなるなど………ふふふふ」

 

ーー

 

長慶はそう言うと、一存と颯馬の関係を改めて思い出し、少し頬を染めながら微笑んだ。

 

★☆★

 

ここで一つ断っておくが、三好長慶の実弟は、ただ一人。

 

三好家の武の象徴、『鬼』の名を冠する鬼十河こと十河一存。 屋敷の中で籠るより、外で暴れる方を好む快男児だ。

 

名字が十河家なのは、養子で十河家に入り家を継ぎ、十河を名乗った故。 これは、他家でもあり、毛利家の三姉妹が毛利、吉川、小早川の名字になるのも同じ理由である。

 

だが、名字は違えど姉弟の絆は強く、二人は数々の危機を乗り越えた為、三好家が興盛したのも当然の事であった。

 

☆★☆

 

「────ん、んんっ、ごほん! ま、まあ……久秀の懸念、もっともだった。 勝負事の最中に無意識とはいえ、その様な態度をとったこと謝ろう」

 

「…………こちらこそ、失礼の程を。 長慶様の言葉により、久秀の疑念も漸く(ようやく)晴れました」

 

ーー

 

この言葉を聞き、久秀は更に平伏して長慶に礼を述べて、この話を強制的に幕引きした。 

 

それで話は終わり、長慶は久秀に部屋にある茶道具の話を振り、その説明を求める。 勿論、久秀は長慶に茶道具の由来、意味等を詳しく教え、大層喜ばれた。

 

ーー

 

「むう………この茶碗は高麗物か?」

 

「流石は長慶様、お目が高い。 これは井戸茶碗でして、幾つかある高麗物の中でも最高級の茶碗になるかと」

 

「なるほど、高麗物は高台があって手に取りやすいな」

 

「その高台は『竹の節高台』と申しまして───」

 

ーー

 

だが、久秀は…………長慶の返事を信じていない。 

 

何故なら、久秀は長慶と颯馬が話をするさまを見ていた。 

 

 

──颯馬に向けられる女らしい仕草。 

 

──臣下に見せる事はない慈しむ柔らかい笑顔。

 

──颯馬が悩むたびに見せる憂いを帯びた眼差し。 

 

 

颯馬に話かける長慶の仕草が、心の奥に秘める物を見つけ、正解に理解していたのだ。

 

 

『(長慶も颯馬に惹かれているようね。 だけど、駄目。 颯馬は久秀の玩具だと、既に決まっているんだもの)』

 

 

井戸茶碗を熱心に観賞する長慶を見ながら、久秀の顔は不機嫌とばかりに表情を歪め、心の中で密かに心情を謳う。  

 

 

『(颯馬を弄る事を出来るのは、久秀だけ)』 

 

 

『(玩具として自分の物にできるのも、久秀だけなの)』 

 

『(颯馬をどう扱い、どう壊すのか。 それを決めれるの………当然ながら、久秀だけ、なんだから!)』

 

 

暗き瞳で久秀は、観賞を続ける長慶を見つめ続けた。

 

その目は、敬愛する主君を見つめる優しき眼差しではなく、まるで家畜を見るような侮蔑する目付きで、だ。

 

────そんな折りである。

 

外で控えていた店主が、大慌てで久秀に急を告げたのは。 

 

店主が持つのは一枚の書状。 店に残した番頭が急いで書いたと思われる走り書きの文章。

 

その書状を見た久秀は、満面の笑みを深めた。

 

 

 《 告、天城颯馬、壺を金子にて購入、今、向かい候 》

 

 

そこには、颯馬が『壺を金で買った』と、しっかり記載しているのであった。

 

 

 

◆◇◆

 

【 騒動 の件 】

 

〖 飯盛山城 城下町 街道 にて 〗

 

 

「颯馬、重たくはないですか? 私で良ければ手伝いますので、直ぐに申し出てくださいね?」

 

「大丈夫ですよ、信廉殿。 これくらい、幾ら、ぐ、軍師と言えど、おお、俺だって───」

 

「颯馬様、その時は是非、わたくしに!! 颯馬様の為なら、お早うからお休みまの時まで、犬馬之労を問わずお仕え致しますわ!!」

 

「ははは、お、俺みたいな奴に、順慶殿のような有能な方を……小姓みたいなお役目などに、ぜぇぜぇ、う、請け負わせたく、ありませんよ……」

 

ーー

 

あの店での乱闘の最中、俺は壺を『盗むことに成功』した。

 

実に我ながら鮮やかなものであり、現に荷車へ壺を括り付けて、牛歩の歩みで約束の地へ向かっているところだ。 

 

ーー

 

「さすが、颯馬ですね。 あれだけ松永からの制約の縛りがある中、こうも容易く実行を移すなんて……」

 

「ああ、そうだな。 偶然とはいえ、私達も一役加われたのは僥倖だった。 これも毘沙門天のお導き……いや、橋渡しをされたのか? ふっ、毘沙門天も粋な計らいをされる」

 

「何やら巫山戯た考えをしているようですが、私も一緒だった事を忘れないで貰いたいですね。 それに、景虎の考えでは、私達も含まれている事になりますよ?」

 

「な、なん……だと!?」

 

ーー

 

俺の後ろでは、信玄殿と謙信殿が……何やら毘沙門天の話をしているようだが、今の俺に二人の話に関わる余裕は……ない。

 

何故なら、思いの外に荷車の荷が重く、先に進むのに力を入れているからだ。 先程から信廉殿が心配そうに見ているが、これは俺の仕事。 手伝わさせる訳にはいかない。

 

最初、持ち上げて動かした時は、それほど重くはなかったのだが、道中の半分も来ていないのに、荷が増えたように重い。 

 

まるで、誰かが乗っているような………

 

ーー

 

「うむ、うむ。 やはり、自分の足で歩くより、青二才に乗せてもらった方が楽ができる。 是非も無し」

 

「─────」ガクッ

 

ーー

 

あまりの重さに、まさかとは思いながら後ろを振り返って見れば、後ろに腰を降ろして悠然としている信長を見つけ、俺の身体全体の力が、一気に抜け歩みが止まってしまった。

 

急に荷車が止まって、不服そうな目で俺を睨んだ信長は、不満を視線だけではなく、実際に口に出して文句を述べる。

 

ーー

 

「むっ……颯馬よ、歩が止まっぞ? これでは、流れる景色が堪能できないではないか。 この信長の機嫌を損ねる前に、早く動かした方が賢明だぞ?」

 

「おい、何を勝手に腰を降ろしているんだっ!? 自分の足があるのなら、自分で歩け!」

 

「何を言い出すと思えば……ふっ、私は颯馬の策に加担したからこそ、お前の策が成功したと過言でないだろう。 ならば、私に感謝こそあれ、叱咤される理由は無い筈だぞ?」

 

「それを言うなら、皆の気を引いてくれた順慶殿、信長達の攻撃を受けた謙信殿や信玄殿、俺の代わりに目利きをしてくれた信廉殿の方も、同じくらい感謝しているじゃないか!」

 

ーー

 

そういうと、信長は人差し指を自分の顔に出して、チチチッと舌を鳴らしながら左右に振る。 

 

多分、信長の事だ。 南蛮の宣教師辺りより仕入れた知識だと思うが、意味は判らないのに何故か物凄く腹立たしい。

 

ーー

 

「────だが、現に役立った。 颯馬が考えていた以上に、安心かつ確実に実行できたと思うのだが。 どうだ、相違なかろうに?」

 

「……………………」

 

「ならば、策の援助を成し遂げた者に、無形の感謝より有形の現物での褒美が欲しくなるのは、当然であろう?」

 

「まだ、久秀殿との勝負は始まったばかりじゃないか……」

 

「ふふん、空手形では人など動きはせん。 だから、先に利息分だけ貰ったまでの事よ」

 

「言っておくが……勝っても何も貰えないし、信長のように南蛮との付き合いなんかないから、大した物なんか渡せないぞ?」

 

「構わぬさ。 もし、欲しい物があれば奪う、買う、誘うと決めておる。 私が颯馬に求めるのは……それ以外の事よ!」

 

「─────!?」

 

「ちょっ───颯馬様に、何をっ!?」

 

ーー

 

そう言って信長は悪戯っぽく笑い、急に俺の耳へと艶やかな唇を寄せた。 後ろから俺の名を叫ぶ順慶殿の声が響く。

 

あまりの事で思わずドキリとすると、俺にしか聞こえない小声で信長が呟く。

 

ーー

 

『( 大陸に向かう義輝公一行に、私を加えてくれ。 私は役に立つし、文句なぞ言わせん。 これが私への褒美だ )』

 

「──────!?」

 

ーー

 

俺は驚き、素早く信長より距離を置くと、彼女の顔をじっと睨み付ける。 

 

───情報の漏洩

 

今の話を聞き、真っ先に俺の頭へ浮かんだ言葉だ。 

 

師より聞かされた兵法に関係する事柄であり、特に重要だと念を押された事だった。

 

ーー

ーー

 

【 回想 】

 

『いいですかー? 情報の漏洩と言うのはですねぇ、螻蟻潰堤と同義なんですよー』

 

『螻蟻潰堤って言いますと、蟻の巣穴から堤防が崩れるって意味の?』

 

『その通りですー。 例えば、巨大な城を造って完成しても、その土台の柱を虫に喰われれば、あ~っと言う間に崩れてしまい、元の順慶さんになっちゃうんですねー』

 

『そこ違いますよ。 元の木阿弥ですし、身代わりになったのは順慶殿の父上である順昭殿です』

 

『あぁー、そうでしたか………ガフッ!?』ハァ~イ

 

『は、半兵衛殿!? 半兵衛殿ぉぉぉぉぉ!!』

 

ーー

ーー

 

まあ、最後はアレだったけど、俺に軍略を教えてくれた竹中半兵衛殿は、その理論の応用を名城と名高い稲葉山城相手に使い、僅か十六名で城を奪った方だ。 

 

言いたい事は、よく理解したけど。

 

ーー

 

「─────どうして、それを!? 将軍と側近のみしか知らない秘事を、誰に!?」

 

「ふふふ………ただで答える私だと思うか、青二才」 

 

ーー

 

俺を見下すよう眺めた信長は、目をギラつけせて嘲笑う。 

 

信長が語った願いは、義輝様が大陸に向かうと前提で頼んだ願望。 しかも、同行者である俺や光秀の名も掴んでいる。

 

俺は覚悟を定め佩刀した刀に手をやり、返答次第によっては何時でも鞘から抜刀できるようにと準備し機会を窺う。 

 

ーー

 

「言わなければ………実力行使で!!」

 

「力で言い聞かせると言うのは、確かに一つの方法だ。 しかし、そのような生温い覚悟で、愛しき者を護れると思っておったのか? 目出度い奴め!」

 

「そのような事どうして言える!」

 

「未だに斬ろうとする気配がないのが、その証拠よ! 義輝なら、私を相手に鯉口を切り威圧するぐらい朝飯前ぞ!!」

 

ーー

 

さすが『第六天魔王』などと称される女傑だけあり、俺の剣など、怖くも何ともないらしい。

 

それと、今……義輝様を呼び捨てにしなかったか?

 

いや、そんな些細な事はいい! 

 

俺は───

 

ーー

 

「───そこまでです! 双方、引きなさいっ!」

 

「へっ? あっ────」

 

「邪魔をしないで貰うか。 これは、私と颯馬の問題、他家の者が首を突っ込む話では無い!」

 

ーー

 

俺と信長の対峙を止めた声が、信玄殿だった事に気が付いた。 しかし、信長は獰猛な笑みを浮かべ、信玄殿の停戦調停を無視して、俺と対峙する事を選んだ。

 

だが、それを読んでいたのか信玄殿が手を挙げると、謙信殿と信廉殿が俺の前に立ち塞がり、信長と対峙していた。

 

ーー

 

「古来より魔と対峙するは、天の御遣いの役目。 ならば、颯馬殿の代わりに……毘沙門天を信奉する私が相手をしよう」

 

「武田家の恩人に対して、これ以上の黙認はできません。 もし、続けるのならば……その喉笛を噛みきるまで!」

 

「昇龍と伏虎か、何時か対峙する時があろうと思っていたが……こうも早くとは! 面白い、ならば私も──!?」

 

ーー

 

そして───信長が動き出そうとしたその時、  

 

信長の後ろへ……濃厚な黒い気を垂れ流した、邪悪な笑顔が眩しい白い天魔が降りたのを、俺は目撃した。

 

 

◆◇◆

 

【 大騒動 の件 】

 

〖 飯盛山城 城下町 街道 にて 〗

 

 

信長の後ろに降りたった天魔は、いつも俺に向けるような輝かんばかりの笑顔を信長に向けて、冷たい雰囲気を纏いつつ静かに問い掛けた。

 

ーー

 

「誰に向かい……誰へ刃を向けようとするつもりですの?」

 

「ふっ、当然、天城颯馬よ。 だが、主のような将では私を止めれないぞ、筒井順───」

 

「南蛮に伝わる美しき彫像のような颯馬様に、そのような穢れた刃を振りかざし、どんな酷い事をしようとなさいますの? あの白磁のような肌、水精(水晶)の如く煌めく眼、男らしくも凛々しい唇、神仏に愛された体躯、天より導かれし神算鬼謀の数々を紡ぎあげる知識。 そんな颯馬様を相手に元はうつけなどと称された貴女が立ち向かうなど恥を知りなさい。 いえ、颯馬様が本気を出せば、片手でも倒せると思われますが、まだ、貴女が倒れていたないのは、颯馬様が怪我をさせたくないと望まれたのですね。 そんなところが、また素敵です颯馬様。 だから、わたくしが颯馬様の為だけに力を振るい、この世から消してあげますわ!」

 

「──慶…………か?」

 

「「「 …………………… 」」」

 

ーー

 

いつの間にか信長の背後には、順慶殿が薄暗い笑顔で信長の首に短刀を当てている。 信長の動作を一挙一動、目を皿のようにして確認していたのに、全く気付かなかった。

 

一緒に順慶殿が呟く南蛮の神へ祈るような言葉が、俺の耳に暗示のように入って来るが、聞こえない絶対に聞こえない。

 

俺には聞こえてこないし、聞きたくもない!

 

ーー

 

「まあ、颯馬様が不快そうに此方を見られておいでですわね。 颯馬様、少しお待ち下さい。 颯馬様を蔑んだ魔王を颯馬様を愛するわたくしが、直ぐに始末してみせますわ」

 

「………………………」

 

ーー

 

順慶殿は硝子細工の人形のような微笑みを俺に見せた後、持っていた短刀を横に引こうと、腕に力を込めた。

 

 

『───それは、駄目だ!』

 

 

その様子を直視した俺の頭へ紫電の如く、衝撃が走る!

 

『早く止めさせないと! 他国の当主を勝手に殺せば、また直ぐに───戦乱の世が始まるっ!!』

 

ーー

 

「や、止めてくれっ! 順慶!!」

 

「────!?」

 

ーー

 

俺の言葉に驚いた為か、順慶殿の動きが一瞬止まった。 

 

常人の俺では、到底隙とは言えない刹那の間だったが、この魔王の決断と行動力は、そんな刹那の時間を超えて実行に起こしたのだ。 

 

ーー

  

「ふん!」 

 

「……………えっ? わたくしが、つ、捕まえられ………」 

 

ーー

 

信長は自分の首を切断しようとする順慶殿の細腕を、素早く片手で掴み取る。

 

そして───

 

ーー

 

「やれやれ、私もぉ、甘くなったものだ──なっ!!」

 

「きゃぁぁぁっ!!!」

 

「じゅ、順け───あ、あぁぁぁっ!?」

 

ーー

 

信長は薄ら寒い微笑みを顔に出すと、順慶殿の短刀を持つ手を掴み、背負い投げで前方へと投げ出───

 

───へっ? 

 

お、俺の……目の前ぇぇぇっ!?

 

ーー

 

「颯馬殿!」

 

「颯馬!!」

 

「───うわぁぁぁぁぁっ!?!?」

 

ーー

 

順慶殿の身体が俺の方へ投げ出され、俺は唖然とする。

 

だが、謙信殿、信廉殿が、俺を後方に引っ張りつつ自分達も待避。 投げられた順慶殿も空中で蜻蛉を切り(宙回転)、音もなく着地してのけた。

 

ーー

 

「松永如きに負けた敗将と見ていたが………世に流布される見識、改めねばならんな。 颯馬が居なければ足利の天下布武、危うく阻まれていたところだった、か」 

 

「わたくしを相手にして、生き残った貴女も大したものですわ。 本来ならば、既に八万地獄の彼方へと、即刻葬って差し上げましたものを………」

 

「確かに、颯馬の声で腕を引く力が弱らなければ…………くくくくっ、是非も無し!!」

 

「うふ、颯馬様が……順慶って、順慶ってぇ───わたくしを呼び捨てに! 呼び捨てで呼んでくれましたわぁ!!」

 

ーー

 

信長と順慶殿は、二人して何か納得したらしく笑い始め、この物騒な出来事が終わった。 

 

信玄殿は俺の身体を心配し、二人の争いが収まると急いで俺に近付き、異常が無いか確認。 無事だと判ったとき、謙信殿と信廉殿と共に、顔を見合わせて盛大に溜め息を吐いた。

 

俺も……まさか、ここまで神経を擦り減らされるとは思わず、何も問えないし問いたくもない。 

 

大小の戦を乗り越え、俺も歴戦の士と言われても可笑しくない程だが、あれだけ生死を往復する命懸けの戦は、ハッキリ言うが、まったくないからだ。

 

ーー

 

「やれやれ、この話は後にした方がよさそうだな。 性急過ぎると、周りの者達より手痛い反撃を更に喰いそうだ」

 

「それよりも情報元を教えてくれ! 俺が文句を言って、二度と同じ真似をさせないように叱りつけてやる!」

 

ーー

 

信長の言葉に、俺は反応して荒々しく捲し立てた。

 

義輝様の大陸渡海の志を邪魔立てし、尚且つ俺の予定をも壊しかねない横槍を入れられたのだ。 

 

この苛立ちを言えず、どうすればいいんだぁぁぁ!!

 

ーー

 

「ふっ、颯馬に叱れる相手かの? まあ、あやつも戦々恐々としておるだろうが……」

 

「??」

 

ーー

 

信長の漏らした言葉に、俺が首を傾げる。 

 

俺が叱れない人物なのに、その人物は俺を恐れる? 

 

ん………となると、光秀か。

 

いや、光秀が秘事を教えるとは思えない。

 

光秀は真面目だから、幾ら信長の頼みでも言わないと思うし、じゃあ他を考えるとすれば───

 

細川父子? 

 

いやいやいや

 

まさかの………義昭様!? 

 

いやいやいやいや

 

そうすると………俺!?!?

 

いやいやいやいやいやいや

 

ーー

 

「あ、あの………颯馬? 何がいやいやいや……ですか?」

 

「────っ!? の、のぶ、信廉殿っ!? いったい何でしょうっ!?!?」

 

「は、はい。 そろそろ……刻限が迫っていると……思いまして………」

 

「─────っ!?」

 

ーー

 

俺が馬鹿な事をしている間に、信廉殿が焦りつつも申し訳なさそうな顔で、重大な知らせを俺に告げる。

 

今、俺が行っている───大事な『知恵比べ』!!  

 

慌てて空の日を見れば、かなり移動しているのが目に付いた。 だいたいの時刻でしか判らないが、四半刻も残っていないと見てとれる。 

 

このままの状態だと───負け確定だ。 

 

つまり────急がなければ!!

 

俺は直ぐに荷車に戻り、荷車の持ち手へと戻った。

 

ーー

 

「みんな、もうすぐ刻限だっ! 直ぐに出発しなければなら─────!?」

 

 

 

 

「信廉、荷物の具合及び荷車の状態は?」

 

「包装の破損、縄の緩み、それと……荷の現状も大丈夫です! 車輪、軸棒においても破損箇所、一切ありません、姉上!」

 

 

「松永達が居る場所、こちらで間違いないな?」

 

「無論だ。 雪深く山谷が多い越後と比べ、ここは判りやすい土地。 それに、信玄達と寄った事のある店の付近だ。 そんな場所で、目的地を見失う事などないと断言しよう」

 

「そうか、是非も無し!」

 

 

 

「颯馬様ぁ! 準備が出来ておりますわ! お疲れな颯馬様は、どうぞ荷車の後ろへ! わたくしも御一緒いたし──」

 

「順慶殿! 貴女は前ですよ! 後ろに座るのは颯馬と病弱な姉上だけです! 謙信殿と私は横に付きますので、貴女は信長殿と共に荷車を引き、目的地まで向かって下さい!!」

 

「え、ええぇっ! だ、だけど……原因は──」

 

「順慶殿、貴女は駄々をこねて……到着を刻限から遅らせて、颯馬殿を……負けさせたいと、そう仰りたいのですか?」

 

「し、仕方がありませんわね。 颯馬様に御迷惑お掛けしたのは……わたくし達が原因ですもの」

 

「ほれ、順慶よ! 早く来んか! 主が来なければ移動ができぬではないかっ!! 早く私の横に来て、持ち手を持てっ!!」

 

「今、行きますわよっ!! 颯馬様! この順慶、必ず御期待に添えてみせます! そして、颯馬様に勝利を!!」

 

 

 

 

「…………………これ、は?」

 

ーー

 

この状況が、よく理解できない。 

 

先ほどまで険悪な雰囲気だったのに、何故か和気あいあいと荷車の準備が終わり、すでに出発できるという。 

 

しかも、俺は信玄殿と一緒に荷物扱いって?

 

ーー

 

「颯馬の仕事は知恵を絞り、松永に勝つ算段を立てる事。 ですが、今回は……その、私達の都合で、遅れてしまいましたので……私達の実行できる事をしようかと………」

 

「それに……私達は、颯馬殿に助けられてばかりいるからな。 たまには、私達に頼って欲しいのだよ。 護られてばかりの……乙女ではないのだから」

 

「………………」

 

ーー

 

そう横に座り憔悴する信玄殿、俺の傍で俯き恥ずかしそうに語る謙信殿が、そう事情を説明してくれた。

 

つまり、『迷惑掛けたから、久秀殿のところまで休むなさい』と言う意味だと理解する。 確かに、精神的にも体力的にも疲れ果てていたので、ありがたく休ませて貰った。

 

 

俺の策は実行され、こうして結果が出た。

 

後は、俺の言葉に久秀殿が納得するかどうか、だ。

 

 

それとは別に、信長が除いた皆が内容を知りたがった。

 

だが、この情報は扱いを間違うと、足利家に泥を塗る行為だと理解して、何も聞かず押し黙ってくれたのは、本当に本当に……助かった。 

 

ただ、足利家に戻り次第、義輝様と光秀に相談しなきゃいけない火急の件が出来てしまったのは、予想外だ。

 

全く誰だ、信長なんかに洩らした奴は!?

 

 

ーーー

ーーー

 

「───くちゅん!」

 

「義輝様、お風邪ですか?」

 

「心配するな、光秀。 わらわは毎日剣術の修行を行っている身ぞ。 風邪なぞ、引く前に叩き斬ってくれるわ」

 

「あの………よろしかったのでしょうか」

 

「────ん、信長に伝えたことか?」

 

「はい、義輝様が嬉しそうに自慢していたので、私も止めずに黙っていましたが………」

 

「言うな………わらわも真に後悔しておる。 いくら酒の席とはいえ、いい気になって自慢話をしてしまうとは。 しかも、あの信長に……だぞ?」

 

「ええ、信長様のことですからね。 今頃、颯馬に話をして大陸へ連れて行くよう、頼み込んでいると思いますが」

 

「颯馬が帰って来たら、一騒動じゃのぉ…………」

 

 

ーーー

ーーー

 

 

あれから急ぎに急ぎ、俺達は刻限に間に合わせようと、長慶殿、久秀殿達が待っているという茶屋へ向かった。 

 

示された場所は、一存とよく呑みに行く酒屋の近辺だったので、謙信殿達が知らなくても判った。

 

だから、迷うことなく到着できたのだが───まだ、刻限ではない筈なのに、茶屋の前に待ち人達が並んでいる。

 

ーー

 

「……………………颯馬殿」

 

「成る程、ふふふ……颯馬殿は品物を確かにお持ちのようですわねぇ、長慶様。 ですが、果たして久秀の謎掛け通り、行動できたのか…………非常に楽しみです」

 

「さて、どんな言い訳してくれるか、楽しみですなぁ! ぐふふふふ」

 

ーー

 

 

具体的には、長慶殿を先頭に久秀殿、茶道具店の店主の三人、外に出て俺の到着を待っていたのだ。

 

俺は皆に礼を言うと、一人歩いて長慶殿の所へ向かう。 

 

久秀の出した問題の答えを告げる為に───

 

 


 
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