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真・恋姫†無双 ~夏氏春秋伝~ 第百三十七話

ムカミさん

第百三十七話の投稿です。


赤壁に向けてちゃっちゃか進めていきませう。

2017-04-25 02:54:50 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:2242   閲覧ユーザー数:1846

 

大陸の覇権を争う大戦の一戦目が終わって数日。

 

あれから連合軍はいくつかの砦を渡り歩いて赤壁の地へと着々と歩を進めていた。

 

その間、周泰の部隊は全力で魏軍の情報を収集している。

 

周瑜と諸葛亮を中心とした両国の軍師たちは、周泰の情報を待ちつつも可能な限りで策の修正を行っていた。

 

連合軍にとって一番のイレギュラーは、やはり厳顔の戦線離脱。

 

彼女は赤壁の地での戦において多大な役目を担ってもらう予定であった。

 

それは周瑜の策でも諸葛亮の策でも同じ。

 

それだけ、遠距離かつ破壊力のある攻撃手段を持つ厳顔は船上戦において優秀な戦力であったということだった。

 

彼女を失う以上、攻撃の中心に据えるのは黄忠と黄蓋の部隊となる。

 

スタンダードな弓部隊ではあるが、練度はかなりのもの。

 

それは大陸中を見回しても一、二を争うほどのレベルである。

 

この戦力をして代替策だというのだから、連合軍の人材の豊富さが窺い知れるというものだった。

 

 

 

幾日もの修正を重ね、いよいよ細部の調整が必要という段になって、タイミングよく周泰が帰還する。

 

その情報は全武将に知らせるべきと判断され、蜀の将も呉の将も全てが集められた。

 

そして、全将が集まったとなれば、その場を仕切るのは当然この人となってくる。

 

「よし、全員そろったな。ならば、明命。調べてきた情報を話しな」

 

呉の王・孫堅である。

 

話を振られ、周泰が前に出る。

 

そして、彼女の報告から連合軍の軍議は始まった。

 

「まず初めに話しておかなければならないことがあります。

 

 この度、私の部隊の全力を以て事に当たりましたが、魏本陣の詳細な情報を得ることは叶いませんでした。

 

 正確に言えば、本陣に潜り込ませた部下は皆捕殺されてしまったようです」

 

周泰の初めの言葉に、多くの将の間に動揺が広がる。

 

動揺を示さなかったのはほとんど両軍の軍師たちばかりであった。

 

「許昌を出ても情報の護りは堅い、ですか。

 

 どの方が指揮を執られているのかわかりませんが、素直に驚かされますね……」

 

諸葛亮の感想はその他の軍師達の代弁でもあった。

 

幾人かは同意するように頷き、別の幾人かは認めがたいとばかりに目を瞑っている。

 

質問は飛んでこないと分かり、周泰は続きを口にする。

 

「ですので、本陣に関する情報は遠目に見たものになりますが、ご容赦ください」

 

「あんたが潜り込むことは出来なかったのかい、明命?」

 

孫堅から指摘が入る。もっとやりようがあったのではないのか、ということだ。

 

最も上の人物からの叱咤にも近い言葉に、周泰はやや体を強張らせて回答を告げる。

 

「初めはそれも考えたのですが、敵本陣に北郷の姿が確認できました。

 

 奴には以前、許昌での潜伏を見抜かれた事実もありますので、私自身でも潜入は危険と考え、断念しました」

 

「また北郷、か。

 

 ふむ……どうにも、ここ最近は奴に振り回されている気がしてならないね」

 

周泰に対して苦言を呈するでもなく、孫堅は顎に指を当てて考え込む。

 

その様子を見てすかさず口を挟んだのは、彼女の盟友とも言える馬騰であった。

 

「おいおい、月蓮。あんた一人で考え込んだところであたい達にゃあなんも分かんないんだぞ?」

 

「そうは言うがね……まあ、つまらない事さね。

 

 悪かった、明命。続けな」

 

結局、叱責が無かったことに周泰は内心で胸を撫で下ろすと本命の情報を語り出す。

 

「まず敵方の将ですが、主だった将は皆その姿を確認しております。

 

 曹操と北郷の姿もあり、文字通り総力戦で臨む覚悟が見えました。

 

 進軍速度は速くも無く、特別遅くも無く。やや遅いぐらいです」

 

「進軍速度がやや遅いだと?

 

 あれだけの将で追撃まで仕掛けてきた割には随分とのんびりしたものだな」

 

周瑜が魏軍の対応に疑問を抱いたようで、そのように口を開く。

 

すると、周泰がその言葉に反応を示した。

 

「それが、冥琳様、実は魏軍の進軍速度が遅いことにも理由があったことが判明しております」

 

ここで周泰が一呼吸開ける。

 

その間が場の空気をより緊張感漂うものへと変貌させた。

 

「先の戦における魏軍は、まだ全容を見せてはおりませんでした。

 

 あの後、我等が監視している間にも続々と援軍が集まって来たのです。

 

 いえ、援軍ではなく、元々それらを全て合わせて魏軍だったのだと思われます」

 

その言葉にはさしもの連合軍の将達もざわめく。

 

以前の戦時点で既にして魏軍の兵数は連合軍全軍を上回っていてもおかしくない陣容だったのだ。

 

それがまだまだ膨れ上がる前だったとなれば……

 

「それで、明命。

 

 いったい曹操の奴はどんだけの兵を集めたんだい?」

 

だれかが喉を鳴らした音が聞こえる。

 

それだけ、その場を支配した一瞬の静寂と緊張は大きなものであった。

 

「全容を目に出来たわけではありませんので、各人の報告から合算した目測ですが。

 

 魏軍の兵数……およそ三十万」

 

「さっ、三十万っ!?」

 

誰のものとも知れぬ驚声が響く。

 

しかし、それは場を乱すものでは無かった。

 

ただの、皆の心の声の代弁でしか無かったのだ。

 

「しゅ、周泰さんっ!その数は、その……ほ、本当なんですかっ!?

 

 三十万と言えば我々蜀と貴女方呉の全兵力を挙げた連合軍十五万の二倍相当なんですよ?!」

 

龐統が思わず取り乱しながら周泰に確認する。

 

嘘であって欲しい、間違いや冗談であって欲しい。そんな切実な願いも込められたその言葉は、しかし残酷な答えによって砕かれる。

 

「事実です。むしろ、少なめに見積もったくらいの数だと思っていただけると……」

 

「そ、そんな……」

 

「雛里ちゃん?確かに二倍は厳しいけど、周瑜さんと策を練れば――」

 

「朱里ちゃんは見てないから簡単に言えるんだよ……

 

 魏の軍師を相手にして、それも二倍の兵力を持ってて……将まで精強を越える傑物揃いだなんて……」

 

龐統が弱音と共に首を垂れる。

 

これには蜀のほとんどの者が驚きの表情を隠せなかった。中には声まで出た者もいたほどである。

 

「…………雛里の言うことも分からないでもないわ。

 

 朱里。二倍の兵力差があると判明した以上、この戦は余りにも困難であることを認識しておかなければならないわよ」

 

徐庶までもが、声はいつも通りながらも龐統に同意する言葉を並べた。

 

その事実が事態の深刻さを蜀の者たちに余すことなく伝えきったのであった。

 

そして。龐統と徐庶がこれほどまで言うとなれば、呉の者たちの認識も必然、変わらざるを得ない。

 

二人とも自軍の頭脳筆頭たる周瑜と並び称される諸葛亮と肩を並べる存在であることは有名だ。

 

況してや、その二人が自身の目で見て直に体験してきたことから導き出した結論なのだから。

 

「ふむ…………やはり、ここは……」

 

ぽつりと声が聞こえる。

 

普段ならば周りの声にかき消される程度のそれが周囲のものにまで聞こえたのは、その場を重苦しい沈黙が覆い尽そうとしていたからだった。

 

「どうしたんだい、祭?」

 

話を前に進めるべく、孫堅がその声の主、黄蓋に問い掛ける。

 

黄蓋は問われたものの、すぐには答えずに、一度目を瞑り黙考する。

 

そして、少しの間を空けて開かれた黄蓋の目には、一種の決意が見て取れた。

 

「堅殿。僭越ながら諫言させていただく。

 

 儂は、曹操と北郷は既に十分力を示したと思うておる。

 

 皇帝陛下の信を得、こうして儂らの連合軍を越えるほどの兵力を一国で揃えてきおった。

 

 しかも、明命からの報告では魏領内は平穏そのものという話じゃ。

 

 堅殿の当初の目的を考えれば、ここで退くは恥ではなかろうて」

 

「ちょっと、祭~?あなたそれ、本気で言ってるのかしら?」

 

場がざわめくよりも早く、孫策が優し気な声を掛ける。

 

それはどう聞いても攻撃的ではないはずなのに、周囲でその声を聞いた者は思わず身震いしてしまうほどの”何か”が込められたものだった。

 

しかし、それを正面からぶつけられたはずの当の黄蓋は、平然としたまま。

 

まるで何事も無かったかのように口を開いた。

 

「策殿。今、儂は堅殿に問うておるのじゃ。

 

 いくら策殿とてそこに割り込むことはまかりならん」

 

「祭っ!!」

 

さすがに見過ごせない、とばかりに程普が黄蓋を叱り飛ばす。

 

それでも黄蓋は止まらなかった。

 

「堅殿。これ以上は徒に民を巻き込んで苦しませるだけになりますぞ。

 

 元よりこの戦、そのような形にならぬように、と初めに指示を出したのは堅殿だったはず。忘れたとは言わせませんぞ」

 

「はんっ!随分と好き勝手言ってくれるねぇ、祭……」

 

周囲がどうにか抑え込もうとしても止まらなかった黄蓋の言葉が、遂に孫堅を動かす。

 

呉の将たちは、一体どうなってしまうのか、と心配を顔いっぱいに広げて成り行きを見守る態勢に。

 

つい先ほど、怖気の奔るような笑みを浮かべていた孫策でさえも、今は容易に口を挟めなくなっていた。

 

一方で蜀の面々は突然の、そして怒涛の展開に目を白黒させて呆気に取られるのみだった。

 

「たしかに、奴らは力を示したろうさ。暴”力”と権”力”は誰もが分かりやすいもんだからねぇ。

 

 けど、私が確かめなきゃあならんのは、もっと深いところにある”力”さね。

 

 それは、実際に奴らとぶつかって確かめにゃあならん。

 

 なに、民草に迷惑が掛かるような下手な戦にはならないようにするさ」

 

「堅殿……珍しく察しが悪いのですな……

 

 儂は、既に民を巻き込み、迷惑を掛けている状況になっとるといったつもりなんじゃが?」

 

「祭っ!あんた、一体どうしたって言うのっ!?ちょっと――――」

 

「粋怜は黙っておれぃ!!」

 

黄蓋が一喝する。この声は空気をビリビリと震わせ、如何に力が込められていたかが瞬時に分かるほど。

 

程普も予想外の事態と言葉の攻撃によって動きを止めてしまった。

 

平然としているのは当の本人たちのみ。

 

「…………祭。本音を言ってみな?」

 

「突然何を……」

 

「建前の言葉ばっかり並べたところで、凡人は動かせてもこの私は動かせないよ?」

 

「……」

 

孫堅が間を空けて静かに放ったその言葉が、遂に黄蓋の動きを止める一言となる。

 

それが意味することは、黄蓋は口にしたものとは異なる理由で降伏を進めたということだ。

 

蜀の者も呉の者も、皆一様に黄蓋の言葉を固唾を飲んで待つ。

 

待つこと暫し、ようやく黄蓋が口を開いた。

 

「儂は、あ奴らの力を間近で見た。

 

 その結果、今の連合ではまず間違いなく負ける、と結論が出たんじゃ」

 

爆弾発言。それに違いは無い。

 

しかし、余りにも唐突で、しかも呉の宿将の口からそれが出たともなると――――

 

黄蓋の発言を諌める声、叱る声は無く、ただただどよめきだけが場を満たす。

 

「言うまでも無く、将も兵も精強。

 

 奴らの軍師が操る策は儂らの軍師の策を破り、翻弄しおった。

 

 こちらの元々の目的がちと特殊なものじゃったことを差し引いても、奴らの力は想定の上を行っておったわ」

 

「…………それで?

 

 祭、もうこの際だ。はっきり言っちまいな。

 

 あんたは何を思ってこんなことを言い出したんだい?」

 

「……孫家の血を残すため」

 

先程までとは打って変わり、シンと静まり返る。

 

それは二種類の沈黙によって構成されていた。

 

黄蓋の考えを理解し、更にその先を考えて戸惑う者。

 

黄蓋の考えを理解出来ず、続きを待つ者。

 

前者は主に軍師、後者は主に武将だった。

 

「祭殿。それはつまり、月蓮様に――いや、それだけでは無く、雪蓮にも蓮華様にも、果ては小蓮様にまで、泥をすすれ、と?」

 

「そう言うておる」

 

「なっ?!」

 

周瑜と黄蓋のやり取りに驚声を漏らしたのは甘寧だった。

 

「祭殿、正気かっ?!

 

 いくら祭殿とて冗談では済まされませぬぞ!」

 

「ならば思春よ。このまま魏と戦ってみよ。

 

 儂らはみじめに敗北を喫し、堅殿も策殿も権殿も、皆殺しにされよう。

 

 彼我の戦力差はそれだけ大きいのじゃ。最早船上戦に引き摺りこむだの策がどうのと言うとれる状況では無くなっておる。

 

 なればこそ、ここで潔く降伏するべきじゃと言うておるのじゃ。

 

 奴らも大戦を覚悟して出て来ておるはずじゃ。そこを突けば、堅殿たちの助命も通せようて」

 

「彼我の戦力差があることは元より分かっていたことでしょう!

 

 それを覆すための策を連合軍として練り、準備し、ここまでやってきたのです!

 

 魏の情報にしても明命が素早く入手し、冥琳様がそれを以て策を選定して対処してこられた!

 

 そもそも、既に戦端は開かれ、実際に互いに被害を出し合っているのですっ!

 

 ここで降伏を宣言したとて、こちらの一番の要求がすんなり通るはずが無いっ!

 

 今更になってそのようなことを言い出すとは、祭殿は臆されたとしか考えられないっ!」

 

「思春っ!あなたも言い過ぎ――――」

 

「黄蓋さんは何も間違ったことは仰っていないと思います!」

 

熱くなった甘寧を孫権が諌めようとし、しかしその声は遮られる。

 

孫権の声を遮ったのは、意外や意外、蜀側の者。それも龐統その人であった。

 

その両隣では諸葛亮と徐庶がこれ以上なく驚いた表情で絶句している。

 

突然に過ぎる横槍に誰もが止まる中、龐統は己の考えを話し始めた。

 

「元々、朱里ちゃんと雫ちゃんと私、そして呉の周瑜さんと陸遜さんで戦の流れを掌握し、多少の想定違いが起ころうとも魏を連合優位の戦場に引きずり込むことでこの戦の勝算は立てられていました。

 

 ですが、緒戦から既に、偶然によって生かされたような結果となってしまっています。

 

 敵の兵力と策の内容は余りにもこちらの想定以上でした。現在までで想定範囲に収まっているのは、個々の将の力くらいです。

 

 このままでは例え長江に敵をおびき寄せられたとしても、敗北します。

 

 この規模の兵力において倍の差では、覆しようがありません。それほどに絶望的なのです」

 

「……雛里よ。つまりお前は、黄蓋殿と同じ意見ということなのか?」

 

「はい」

 

「それはつまり、桃香様にも泥を啜れ、と?」

 

「その通りです。それが我々蜀という国が生き残る唯一の道でしょう。

 

 いくら桃香様でもここを生き残る力など持っておりません」

 

「っっ!!雛里、貴様っ!!」

 

「鎮まれ、愛紗っ!!」

 

龐統の横槍を起点に、一瞬の内に蜀陣営が急速な動きを見せた。

 

彼女の説明を聞いた関羽がその意を問い、返答に対して激昂。

 

しかし、会話の途中からそれを予期していた趙雲によって関羽は即座に抑え込まれた。

 

関羽のその血走った瞳から、趙雲が動かなければ龐統がどうなってしまっていたか大凡想像出来てしまうだろう。

 

そして、話題が蜀側に移ったとは言え、呉の方でも黄蓋に数多の視線が突き刺さっている状況は変わらない。

 

関羽と趙雲の動きによって、場が大きく動き出す。

 

思うところのある者がどんどん発言を止めず、すぐに喧々囂々たる様相を呈し始めた。

 

その間も黄蓋には程普が、龐統には諸葛亮と徐庶が、最も近しい者としてどうにか考えを変えさせようとしていた。

 

そうして、まるで無法地帯のように陥り始めたその時のことだった。

 

騒がしいその場においても、誰の耳にも届く、甲高く澄んだ金属音が鳴り響く。

 

馬騰が己の得物を力いっぱい床に打ち付けた音であった。

 

気を引くだけにしてはあまりにもな轟音に、誰もが口を噤んで沈黙が降りる。

 

それを待ってから馬騰が口を開いた。

 

「お前ら、ちっと黙りな。

 

 あんまり騒がしいと月蓮の裁定が聞こえないだろ?」

 

静かで落ち着いた声のはずなのに、どこかゾクリと背筋が震えそうになる。

 

思わず身震いした者もいたほどだった。

 

「あたいも月蓮も、昔はずっと前線に出張ってたもんだ。

 

 そんなあたいから言わせれば、最前線で肌で感じ取った情報こそが最も重要で信じるべきもんだ。

 

 それが智者の意見だってんなら余計に、だね。

 

 だが、んなことは月蓮も知っている。後はそれを踏まえてあんたがどう決めるかだけだ。

 

 そうだろ、月蓮?」

 

「ああ、全くその通りだね。

 

 すまないね、碧。うちの馬鹿どもが手間を掛けさせた」

 

「なに、こっちの陣営にもいたんだ、気にするな」

 

孫堅は馬騰と軽く言葉を交わしてから少し考え込むように顎に手を当てる。

 

それはその場に待つ者にとっては非常に長い時間に感じられた。誰しも、胸中に様々な想いや思考を含んで、”その時”を待つ。

 

やがて、孫堅が顎から手を離すと、場の空気がピリッと締まった。

 

「祭。最後にあんたに確認だ。

 

 あんたの発言は、それにあんたが今考えているのは、真に呉のためを思ってかい?

 

 それとも、孫家の今後を思ってかい?」

 

「どちらもじゃ、堅殿。

 

 儂が今考えておるのはどうすれば孫家のために、呉のためになるかだけじゃ」

 

孫堅は真剣さを以て黄蓋の瞳を睨む。

 

黄蓋もまた一歩も退かずにこれを睨み返す。

 

孫堅のその人を射殺せそうな眼光は、並の人間であれば疚しいことがなくとも目を逸らしたくなるだろう。

 

たっぷり十数秒、孫堅は自身の中で結論を出したようだった。

 

が、それを口には出さず、続いて龐統へと視線を向けた。

 

「それと、あんた。龐統とか言ったね。

 

 あんたが考えていること、何を思っての発言だったのか、それを口にしてみな」

 

「わ、私はっ――――私は、桃香様のお役に立つことを第一に考えています。

 

 それが一時的に桃香様に不遇を強制するものだとしても、将来において大きな益へと繋がるのだと信じて」

 

こちらもまた、孫堅が視線を固定する。

 

龐統は周囲の予想に反してこれを正面から受け止めていた。

 

ただ、よく見れば龐統の身体はプルプルと震えている。

 

抑え切れない恐怖を、それでも気力で抑え込んで、こうして相対しているのだ。

 

そうして孫堅は満足したように一つ頷く。

 

それから全体を見回し、裁定を告げるべく口を開いた。

 

「皆もたった今見ただろう?

 

 こいつらの覚悟は本物だ。どうやら保身だとか臆しただとか、そういったことじゃ無いらしい。

 

 つまり、こいつらの意見には一考の価値は十分にあるってこった」

 

途端に場がざわめく。

 

孫堅の言葉をそのまま受け止めるならば、ここでの降伏も十分にあると言ったことになるのだから。

 

「だがね、思春の言ったことも尤もだ。

 

 こっちから吹っかけたこの戦、戦端を開いちまった今、降伏を宣言したところで、体裁を整える意味でも私らの命が保証されるとは限らないだろうさ」

 

再びどよめきが起こる。

 

今度は話の行き先が分からなくなってきたが故の混乱に起因するどよめきだ。

 

孫堅が見ているこの戦の先の光景は、一体どのようなものであるのか。

 

それは次の一言に表されていた。

 

「とまあ、祭たちの話からだけで判断するってんなら、ここらで皆に問い掛けるとこなんだがね。

 

 悪いね、祭。それに龐統。私はまだ、曹操と北郷を見切ったとは思っていないんだよ」

 

それはつまり、戦を続行すると同義の言葉。

 

これには黄蓋と龐統が、一瞬ではあったが確かに瞳に失望の色を滲ませた。

 

孫堅はそれに気付いていながら、敢えてスルーする。

 

「奴らは確かに、私の想定を超えるだけの力を見せつけてきた。それは認めよう。

 

 このままやり合えば連合軍に勝ち目は薄い。それも認めよう。

 

 だがね、私はどうしても奴らについて見ておきたいものがあるのさ。

 

 それは、同格以上の敵を相手にした時の魏の対処。それと強大な個を如何にして相手取るのか、という点。

 

 奴らの力がどこに向かうか、だとかはどうしようも無いさね。

 

 権力を持っちまった途端に善の力を悪に変える奴らなんざいくらでもいる。

 

 せいぜい、奴らがそんな俗物では無いことを祈る程度さ」

 

「では、堅殿。堅殿は奴らを測るために自ら死地に赴くと言うのか?」

 

「祭、あんたも年を取ったねぇ……

 

 私が敗北覚悟で戦に臨むような奴だとでも?

 

 はっ!んな覚悟なんざ糞くらえだね!

 

 こっちにあって奴らに無いもの。強大な個の酷使で戦局を一転させるような策。

 

 私や碧を最大限に利用した策を、粋怜が立てることで、勝ちの目はまだまだ作れるんだよ」

 

孫堅の言葉は虚言の類では無い。少なくとも、本人にはそれが出来るという確信がある。

 

黄蓋は無言のまま首を横に振った。

 

「どうやら、始めから儂の一人相撲だったようじゃな。

 

 じゃが、堅殿にいくら腹案があろうと、儂は立場と意見を変えんぞ?」

 

それがこの場での最後の行動となった。

 

「祭、あんたの忠誠を疑うつもりは無いよ。

 

 だがね、これからの戦で余計なことをされないためにも、ちょっとばかり自由を奪わせてもらう。

 

 長年仕えてくれている誼だ、罰は後程、体裁程度に軽いものを与えるとしよう。

 

 明命!祭を縛って天幕に放り込んどきな!それと、思春!天幕の見張りはあんたに任せるよ!」

 

『はっ!』

 

「ふむ、当然の処置じゃな。

 

 ……すまんかったのう、龐統。巻き込んでしまっただけのようじゃな」

 

黄蓋はその場を離れる直前、龐統に視線を向けた。

 

その口から出たのは謝罪の言葉。

 

しかし、龐統はこれを受け取らなかった。

 

「いえ、私は飽くまで降伏を訴えます。黄蓋さんには切っ掛けを頂いただけに過ぎません」

 

どうしてここまで頑ななのか、と諸葛亮はその瞳に涙すら溜めている始末だった。

 

孫堅としては余計な軋轢を避けるためにも龐統の対処は蜀に任せてしまいたいところ。

 

それを口にすべきか悩んだ一瞬の間に、徐庶が孫堅に言葉を投げかけていた。

 

「孫堅殿、我等蜀は一度この場を退かせていただきます。

 

 ご承知の通り、内々で処理しておきたい案件が出来ましたので」

 

「ああ、そうだね。私らはここで待ってたらいいのかい?」

 

「もし、よろしければ。

 

 こちらのすぐに戻って参ります」

 

当然、龐統の処理をどうするかを話し合うためであるが、徐庶を先頭に蜀の面々は場を離れて行った。

 

その顔には困惑と焦燥が貼り付いたものばかり。

 

連合の先行きが不安になるような一幕であった。

 

 

 

たっぷり四半刻後、呉の面々が待つ場に戻って来た者の中に、龐統の姿は無かった。

 


 
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