No.895287

include_spiral( ); Vol.3 「親心兄心」

扇寿堂さん

艶が〜る二次小説。沖田さん主眼です。他サイトからのログ。

2017-02-28 10:51:35 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:278   閲覧ユーザー数:278

藍屋からの帰り道をどうやって歩いたのかわからないほど、思考のおおよそはあの衝撃で埋め尽くされていた。

後になって考えてみると、ちゃんと帰って来られたのが不思議なくらいだ。それはもう頭の中をのっとられたみたいに強烈で、私はただ彼女の放ったあの語彙だけを反芻する。

 

(妊娠…)

 

いつからこうしていたのかも定かではなく、畳の上に正座をし、もの言わぬ壁と対面しながらどのくらいの刻を浪費したんだろう。

気づけば自分は濃い闇にとり残されていた。

かろうじて行灯がついているけれど、外廊下に戸が立てられているせいで室内は暗く、ひんやりとしていて冷たい。

火鉢の炭は、燃やす力を失いとっくに消えていた。

 

「莫迦だな。」

 

何もないところから声がしてぴくりと眉を動かすと、短く音を洩らすだけのような笑いが暗がりを伝いながら迫ってくる。

その声に慥かな憶えがあったとしても、正体を見極めるまでは安心できなかった。

闇にうっすらと影のゆらぐその方向を注意深く窺っていると、部屋の隅から現れたのは薄く笑みを浮かべる土方さんだった。

その現れ方が、なんだか芝居がかっていて本当に不気味だった。

 

「なっ、なんですか急に。」

 

思わず後ずさりをすると同時に、驚きで声がひっくり返ってしまう。

そんなこちらの動揺を見透かしたように、土方さんはさらに笑みを深くしていった。言うまでもなくそれは意地悪そうな笑みで、私は何かを言われる前からすでに自分が後ろめたいことでもした気分に陥ってしまった。

 

「急も何もあるかよ。俺はずっとこの部屋にいたぜ。」

 

(ずっと…?)

 

この部屋に彼が入ってきたことも、留まり続けていたことも、私はまったく気づいていなかったらしい。

土方さんの気配に気づかなかったなんて、私はすっかりおかしくなってしまったんだろうか。

焦りにも似た羞恥のような感情が、一瞬で熱を呼び全身を駆け巡る。それでも私は、冷静なふりを押し通すことにした。

 

「ずいぶんとお暇なようですね。」

「暇なもんかよ。油がもったいねえってんで、見にきたまでさ。」

「それならもう寝ます。ちょっと考え事をしていただけですよ。」

 

行灯が足もとから室内を照らし、私と土方さんの影を浮き上がらせた。それは立ち上がると不気味なほどに伸び上がり、平安絵巻にたびたび出てくるようなもののけの姿を天井まで目いっぱい勾配をつけて映し出していた。いや、もののけというよりも、やっぱり鬼かもしれない。もののけも鬼もさほど変わりはないのかもしれないけれど、私と土方さんの影だからこその鬼に見えた。

 

「何があった。」

 

蒲団を出そうとして押し入れに手をかけた私に、土方さんは背後に忍び寄りぼそっと口にする。余計な言い回しなどせず要点のみに絞るというのは相変わらず彼らしいけれど、今の私にいたってはまさしく不都合極まりないといった状況だ。

 

「もうこんなに遅いし、お引き取り願えませんか。」

「何があったと訊いている。」

 

答えを貰うまでは引き退がらないという意味だろう。

放っておいてほしいときに限って、まったく面倒な人だ。

 

「なにも。ちょっと遊びに出ていただけですよ。」

「なにがちょっとだ。藍屋さんに呼びつけられたそうじゃねぇか。どうせまたヘマをやらかしたんだろう?」

 

貶すようなものの言い方に、さすがの私もむっとして口をへの字に曲げるけれど、なぜか土方さんにそう言われて胸がもやもやと落ち着かない。

もしかすると、自分でも気がつかないうちに罪悪感に苛まれてしまったのだろうか。

彼女をとりもどしたことで、ここ最近の私は喜びの絶頂だったと言えるだろう。その絶頂の波に押し流されるように、彼女のすべてをほしがってしまい、早くも絶頂のその先を見てしまったのはちょっと欲が過ぎたのかもしれない。

 

(ほしがらないって、あれほど頑なに言い聞かせてたこともあったのにな)

 

以前の私だったら、欲に負けてしまいそうな自分にどうにかブレーキをかけただろう。

一度欲に負けてしまうと、人間というのはおそろしいくらいに次々と誘惑に負けてしまうものだ。

でも——

 

(二度と彼女の手を離さないと誓った)

 

今度こそ彼女と生き抜いてみせる。そのために自分はここにいるのだから。

ゆくゆくは彼女と結婚式を挙げ、所帯を持ち、子どもをつくりながら幸せな家庭を目指したい。

 

(そういう未来の計画が早まっただけのことじゃないか)

(たしかに、計画の順番が前後しているかもしれないけれど…)

 

結果的には喜ばしいことにちがいない。

必ず実現する未来ならば、計画が前後しようがたいして問題ではないはずだ。

 

(少し整理する時間が必要かもしれないけれど、きっと星さんも受け入れてくれるにちがいない…!)

 

ふいに彼女の濡れた瞳を思い出して、私の胸はきゅうっと切なくなった。

昼間見た彼女の涙には、明らかに不安と恐怖が混じり合っていた。だけど、それが彼女にとっての容認しがたい事実を表しているとは思わない。同時に、私たち二人の未来に対する否定を孕んでいるとも思えなかった。

なぜなら、すでに彼女は庇うよう何度も自分のおなかを撫でていたから。その動作が無意識だとしても、本能的にはもう母親なんだろうと思った。

ただ子どもを迎えるための準備が整っていなかったというだけで、星さんならいずれこの状況を受け入れてくれるに違いないのだ。医者の見立てが間違っていないのならば、ちいさな命は着々と育ち始めているのだから。

だったら私も肚を決め、父親としての自覚と心構えを持とうではないか。

<pr>

「ヘマなんかじゃありません。断じてそれはない。」

「だったら、わざわざ呼び出す意味がわからねぇな。何を隠してやがる。」

 

疑り深いのはいつものことだとはいえ、近頃の土方さんはそれに輪をかけて執拗だ。

疑いをかけられるのはやっぱり気分のいいものではないけれど、土方さんをこんなふうにしてしまったのは少なからず私にも原因があるから仕方がないと思えた。

おそらく私という存在は、彼の頭の中で一、二を争うほど頭痛の種になっているはずだから。

 

「土方さんが考えているような権謀術数ではありませんので、あしからず。当てが外れて残念でしたね。」

「それで誤摩化しているつもりかよ。困ってるんだろう?」

 

そう言われて初めて、自分の中にくすぶっている違和感の正体に気がついた。

 

(困っている?)

 

頭ではなくて、心がつま先立ちをするみたいに不安定になっていく。

傾いたり揺れたりする自分の心を、さっきからおかしいとは思っていたのだけれど、それはきっと動揺のせいだろうと片づけてあまり相手にしていなかったのだ。

 

(もしかして彼の言うように、私は困ってるんだろうか?)

 

「はて」と首をかしげてみても、彼の言う意味合いが果たして合っているのかどうかも自分ではわからない。

驚き、戸惑い、不安、恐怖——そのどれをとってみても、今の自分の感情を言い表しているようでそうではないような気もするし、完全には当てはまらずに的を得ていないような気がするのだ。

それでずっと変な感じが続いていて、考えすぎた挙げ句に先刻まで頭の中が空っぽになってしまったらしいのだ。

 

「私は、困ってるんですかねぇ?」

 

他人事のように困った顔をすると、

 

「阿呆。質問を質問で返す奴があるか。」

 

とにかく冷静な土方さんは、淡々とそんなことを言う。

 

「すみません。自分でもよくわからなくて。」

 

本当に言葉どおりだった。こんなことは初めてで、どうしていいのかよくわからない。

自分の立たされている状況が理屈ではわかっていても、どうしてか実感が伴わないのだ。

決断に迷ったときの葛藤ならわかりやすくていいのだが、それらしい貢献がないにも関わらずご褒美を貰ってしまったみたいに心が落ち着かずにずっと揺れている。もっともらしく言い表すとしたら、そんなところだろうか。

 

「総司。しっかりしろよ。困ってるんなら力を貸そう。俺なら何とかしてやれるかもしれねぇし。もちろん、できねぇこともあるけどな。だがしかし、努力はしよう。言ってみろ。」

 

珍しく土方さんは頼もしいことを言ってくれるけれど、素直に頼ったところで何か状況が好転するのだろうかという疑問が生じる。かと言って、自分ひとりだけでこの事態を乗り切れるかというとあまり自信もなかった。

 

「うぅ…」

 

答えに窮して思わず唸ると、土方さんはいつになく逸るように距離をつめてくる。

 

「やはり何かあるんだな? よし。聞いてやる。言ってみろ。」

 

こうなれば白状するより他にない。素直に吐き出しさえすれば、相手が誰であれ意外とすっきりするものだ。

それに、相手が土方さんだったら漏洩することもないだろう。

 

「誰にも言わない、って約束してくれますか?」

 

鼻頭をこすりながら恥ずかしそうに言うと、土方さんはちょっとだけ驚いたように目をぱちりとした後で頷いた。

 

「お前は約束ばかりにこだわるな。まぁいい。約束しよう。」

 

言い終えてふたたび頷いたのを見届けると、私は矢も楯もたまらずに語り始めたのだった。

<pr>

藍屋でとり交わされた会話の一部始終を伝えると、土方さんは打ち明ける前よりもずっと難しい顔つきになってしまった。

それを見て私は憶えなくてもいい不安をふたたび胸に抱くはめになり、唇を噛みしめることで不安を一蹴しようとした。

けれど、いったん不安を憶えると、それが連鎖のように次々と不安を呼び込むのだからたまらない。

予定外に子どもができたことを悔やむ気持ちなどこれっぽっちもなかった。ただひとつわだかまりに思っていることは、その子が生まれるちょうどその頃に、世の中の情勢がずっと悪くなっているということ。たぶん土方さんもそれを気にしてるんだと思う。

言わずと知れた薩長の天下が、すぐそこまで迫っているからだ。

新選組もその頃には軋轢が生じ、全盛期のような結束力もあまり望めなくなるだろう。故郷や人となりも知らない人間が、いっきに増えてしまったせいだ。

 

「身請けの金が要るな。」

 

鋭い語調で告げた第一声が金策とは、土方さんらしいなと思う。

お金の算段となると、決まっておそろしい顔つきになるのだ。百戦錬磨の土方さんでも、醵出は一番手間がかかり厄介だからだろう。

金銭が絡む事案の場合は、その問題に自分たちが関わることを幹部たちが厭がり、誰しもがそっぽを向くなかで唯一果敢に挑むのは土方さんくらいのものだった。むしろ、自分が担わなくて誰がその責任を負うのだといわんばかり。その点に関してのみ言えば、土方さんはありがたいと思われている。だから、率先して金銭問題を引き受けるのだろう。

でも、今回はそういうところに頭を悩ませなくて済むから安心だ。

 

「その心配なら要らないみたいです。ケイキさんお預かりということになっているらしいので、あの方に了承をとれば済む話らしいですよ。」

「そうか。それなら行き詰まる心配もなさそうだな。あとは休息所か。」

 

思案顔の土方さんには、さして難しい問題でもなさそうなのだけど、私にとっては馴染みのない言葉だったから少し緊張した。それもそのはずで、私の場合は京で屯所以外の住処をまるで知らなかったからだ。

物心つく頃には私の周囲は男だらけで、女性と住まいを共にするなんてことは頭の片隅にさえなかったことだ。それに、一緒に暮らしたいと思える女性とも出会えたためしがない。

 

(休息所を用意しなければならない日がくるなんて…)

 

近藤さんや土方さんはもちろんのこと、わかっているだけで永倉さんが休息所を設けていた。彼らはそこにお気に入りの女性を住まわせ、寝食を共にしながら朝五つの頃には屯所へ出勤してくるのだ。休息所といえばまだ聞こえはいいけれど、外部の人間からすれば立派な妾宅だった。

 

(立派じゃなくてもいいから、せめて妾宅と思われないようなこじんまりした家がいいんだけどな)

 

近藤さんが持っている屋敷みたいに権威を誇示させたいわけじゃなくて、本当にささやかでいいから私たち二人が静かに暮らすためだけのこじんまりとした家がいいなと思った。ただ穏やかに暮らせるだけでいいのだ。贅沢なんかほしくない。(ひかり)さんがいてくれさえすれば、私はもうそれだけで幸せなのだから。

 

(星さんにも相談してみよう)

 

彼女だってきっとこのまま置屋に居続けて、藍屋さんのところで出産する気なんてないだろうから。これから私たち二人の住処になるのなら、自分の考えだけじゃなくて彼女の意見もとり入れるべきだろう。生活の拠点、子育てをする環境ともなれば、女性の意見の方がはるかに重要だ。

それに、守らなければいけない対象が星さんだけではなく子どもにまで及ぶとなると、事の進め方も慎重にならざるをえない。

 

「待ってください土方さん。そんなにトントン拍子に事を進めていいんでしょうか?」

「何言ってやがる。こうしている間も稚児は成長するんだ。お前がうじうじと悩んでいることなんざ、そいつには関係のない話さ。待っちゃくれねえよ。だろう?」

「はい。確かに。」

「父親になる奴がそんな弱気でどうする。」

 

父親という単語を突きつけられるたびに、頭では違うことを連想して別の錯覚を起こし、未だ追いつかない理解に私はすっかり弱り果てていた。

いつかは自分も父親になるのだろうとぼんやり考えてはいたものの、こんなに早く実現するなんて誰が想像しただろう。たぶん、自分が一番驚いてるんじゃないかと思う。

 

「私が父親に…なんだか実感が湧かないな。」

「まったく暢気なもんだよ。しかし、妙だな。俺たちを出し抜いて、さっさと稚児をこさえるとはな。総司はそういうのにまったく縁がないと思っていたがな。」

 

独身の身軽さなのか、土方さんは余裕綽々といったようにからかい調子に笑んでいた。

そんな土方さんを見て、逆に自分だけがひとつ飛び抜けたところにいるような気がして、なんだかこそばゆい感じだ。

 

「いやだな。やめてくださいよ。今はもう手も足も出ないんですから。自分に子どもができたっていう事実に、ただただ圧倒されてるだけなんです。」

 

身近にあるのはいつも、あっという間に散ってしまう儚い命だった。それは敵も味方もなく、みな等しく厳かで凛然と散っていく。まるで、自らの使命を全うしたかのように、烈々とした耀きを残して——。

そうして消える命もあれば、育む命もあるのだということを彼女の妊娠を通じてしみじみと教えられた気がする。

 

「今のうち存分に照れておけよ。生まれたら、悠長にしていられねえだろうからな。」

「もー土方さんは。おどかさないでくださいよ。」

「おどかすなんて冗談じゃねえ。事実を言ったまでさ。」

 

まるで知ったような口を利く土方さんはいつになく饒舌でよく笑い、このときとばかりに愉しんでいるのだった。

<pr>

新選組の幹部たちは、それぞれが休息所という私宅を持っている。私にもそれが用意される予定だったけれど、星さんが江戸時代の庶民の暮らしにまだ馴染めないだろうからと、近藤さんに無理を承知で頼み込み、醒ケ井の休息所を一部借りることにしたのだった。

 

「わがままを言ってすみませんでした。私がいない間、どうしても彼女のことが心配なので。」

 

近藤さんがお座敷で一目惚れしたという女性が、この醒ケ井の休息所を守り暮らしていた。名前を於雪さんという。聞くところによると、冬の時節には郷里に雪が相当降るらしく、そうして名付けられたのだと近藤さんは得意げに話していた。

 

「かましまへんよって。うちもな、旦那はんがいてへんいうときはどうにも心細いんどす。星はんがいてくれはったら、おしゃべりの相手もできてうれしいわ。」

 

彼女もまた遊里出身だけれど、そういう境遇に染まりすぎていない清らかさのようなものが残っていて、私としても話しやすく、いざというときに頼み事をするのにも気兼ねの必要がないのがいいと思った。

ただし、彼女がいくら気のいい人だからといって、一から十まで甘えられるわけではない。あくまで娑婆に慣れるまでという条件つきで、星さんを預かってもらうことにしたのだ。

 

「於雪さん。すみませんが、最後にひとつだけ。これは近藤先生も知らないことなんですが…」

「旦那はんも?」

「はい。実は、おなかにやや子がいるんです。」

 

いくら必要なこととは言え、女の人に向かって子どもができたと打ち明けるのには、それ相応の勇気が必要だった。

そんな心の内を知るはずもない於雪さんは、ぱあっと明るい貌になり祝福の言葉をかけてくれる。

 

「まぁ、おめでとうさん。でも、なんで内緒なん?」

「彼女の故郷の風習では、四月を過ぎるまではやや子を授かったことを男子に言ってはならないそうです。そうすることで、ややはよく育つんだそうですよ。」

「そんなん初めて聞いた。ほんなら、気ィつけてよくよく面倒見さしてもらいますよって。」

「本当に何から何までご面倒をおかけします。どうかよろしくお願い致します。」

 

こんな面倒な話をすぐさま快諾してくれたことに感謝をしつつ、私はその気持ちを込めて深くお辞儀をした。

 

「へえ。お引き受け致しました。」

 

於雪さんもまた、几帳面にお辞儀を返してくれる。この人に預けるのなら、星さんもきっと穏やかで平和に暮らせるのだろう。

待たせてあった駕籠に乗り、私は後ろ髪を引かれる思いで屯所へと引き返していったのだった。

<pr>

壬生に到着すると、見張りの平隊士がいるはずの長屋門に、どういう風の吹き回しなのか永倉さんと原田さんが立っているのが見えた。見映えのいい二人が肩を並べて立っていると、それだけで悪目立ちしてしまうものだ。

隠れ長人がいようものなら、一突きにぶすり——なんてことにはならないだろうけど、今が絶好の狙い目であることには変わりがない。

近頃は風の便りで、長州の高杉晋作が国許で挙兵したなんて話を耳にする。そのうち京もまた戦になるだろう。

 

「おかえんなさい。」と迎えてくれた永倉さんに、

「ただいま戻りました。」と明るく返答する私。

 

こんなふうにやりとりをするのは久々で、思えば試衛館以来かもしれないなと思い懐かしくなる。

すかさず「首尾は上々かえ?」と尋ねられたので、少し面映い顔をしながら私は答えた。

 

「ええ。まぁそれなりに。それより永倉さん。どうしてそんなだらしない顔をしているんですか?」

 

さっきからニヤニヤとまるでしまりのない顔をしている。一体どんないいことがあったというのだろう。

 

「失敬な。だらしねえってこたぁねえだろうが。なぁ、左之さんよ。」

 

そう問われ、じっくりと顔を覗き込んだ原田さんが、少し考えた末にあっさりと私の言い分に加担する。

 

「ん…確かにだらしねえ…ふははっ!」

「言ったな! ンにゃろう!」

 

じゃれ合いを始めた二人を眺めつつ、私はさっきから思っていた疑問を口にした。

 

「あはは。それで、こんなところに揃いも揃ってどうしたっていうんです?」

「おいおい。そりゃあ愚問ってやつよ。お前さんを待っていたに決まってらァ。さあさ、中へ入るぞ。」

 

突然肩を組まれたかと思えば、永倉さんは後ろに回りながら私を軽く突き飛ばしていく。

 

「え? ちょっと…」

 

たたらを踏みそうになって体勢を整えると、張り手のような永倉さんの押しによって、庭の奥へとぐいぐい押し込まれていく。

首だけで後ろを振り返ると、これまたニヤニヤした原田さんが一緒になってついてくる。一体、何が始まるのやら。

 

「あのう…ふつうに歩けますから。」

「いいからいいから!」

 

(よくない)

 

この歩きづらさはいつまで続くのだろう。

そう思っているうちに、肩を掴まれて強引に連れてこられたのは、日頃近藤さんが使っている局長室だった。

「入ェるよ」と軽妙に伝え置いてから、永倉さんは気後れすることなく襖を開く。足を踏み入れた先には、この部屋の主が謹慎を申し付けられているかのような態で、しょぼくれた顔をして背を丸めていた。その隣では、不機嫌そうに腕組みをする土方さんの姿がある。まるで監視役だ。

そして、私を両側に挟みながらニヤニヤするご両人と、なぜ呼ばれたかは知らないけれど、久々になんだかおもしろいことが起こりそうだと目を輝かせている他三名。これだけの状況が揃えば、いくら鈍感な私でもだいたい察しがつく。

<pr>

「土方さん。」

 

自分は悪くないという顔でどっしりと構える土方さんに向かい、私は批難の意味も込めて思いきり睨んだ。

すると、土方さんはいかにも開き直ったように、ふてぶてしい顔で応戦をする。

 

「なんだよ。」

「約束は?」

 

謝罪の言葉を要求するみたいにずいっと迫ると、何故か恐縮しっぱなしの近藤さんが土方さんの身代わりとなって情けない声を上げた。

 

「ごめんなさいぃ!!」

 

次の瞬間、みんなが一斉に近藤さんを見た。誰も彼もが呆気にとられている。普段は肩をそびやかして威厳たっぷりの近藤さんがこれじゃあ、さすがの私も開いた口が塞がらない。

 

(なるほど…これでだいたい合点がいく)

 

自分なりに解釈しながら、ふたたび土方さんを見おろした。彼は組んだ腕すらゆるめずに押し黙ったままだ。

外野が好奇の目を注ぐなか、ややあってからその堅い口はようやく開かれた。

 

「こういうことは、いずれ露呈するもんなんだよ。」

 

つまり、真相はこういうことだろう。

醒ケ井の休息所を間借りしたかった私は、近藤さんに許可をいただくため相談をしにいったが、事情を知る土方さんが相談を後押しするために同席することになった。星さんを貰い受ける旨を伝えると、近藤さんは快く許可を出してくれたけど、私が退席した後で少々腑に落ちない点が見つかったため、土方さんからもっと詳しい経緯を聞き出したのだろう。土方さんは私との約束があったのにも関わらず、相手が近藤さんだからと素直に口を割ってしまったのだ。

 

(そして、近藤さんが黙ってられなかったということかな?)

 

たとえ星さんと私が公認の仲だったとしても、吉野の名跡を継いだ太夫であることには変わりがない。その吉野太夫が妊娠したとなれば、京雀たちは黙っていないだろう。情報はどこから洩れるかわからないから、私情を打ち明ける人間をなるべく選別しておきたかったのだけれど、こんな大勢の組織の一員だとそれも難しいのかもしれない。

そう考えると、近藤さんに黙っていたのは結果的によくなかったんだと思う。妊娠が周知されることに差し障りがあったとしても、身内にだけは先に告げておくべきだったんだ。

近藤さんにいたっては、9つからお世話になっている人なのに、秘密にされてさぞ悲しんでいるかと思いきや——

 

「俺ァもううれしくてよ。」

 

まったく根に持っていないばかりか、誰よりも飛び抜けてうれしそうなのだ。

切れ長の目を潤ませながら感激の思いを口にする近藤さんは、自分がうっかりして秘密を漏らしてしまったんだと教えてくれた。

 

「要するに、親心が黙ってられなかったんだろう?」

 

こともなげに言う土方さんは、みんながいる場所での態度が相変わらず素っ気ない。自分が騒動の発端であるという自覚も足りないようだ。

 

「すみませんが、そろそろ我々にも種明かしをしてもらえないでしょうか?」

 

遠慮がちに挙手をした平助は、まだ何があったのかを知らされていないらしい。

源さんはどうだか知らないけれど、斎藤さんも事情は知らないんだろう。置いてけぼりを食ったみたいに、目がきょとんとしている。

 

「総司にややができたんだとよ! めでてぇじゃねえの。なぁ?」

 

すでにお酒が入っているみたいに頬を紅潮させている永倉さんは、まるで我が子の誕生に立ち会ったみたいに盛大なはしゃぎっぷりだった。

 

(これはまずい)

(今夜は間違いなくつき合わされるな)

 

星さんが懐妊したというニュースは、こうして身内に知られることとなり、私の予想通りその晩は遅くまで酒宴が続いたのだった。

 


 
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