No.863962

みかんとオレンジ~NEXT PHASE~ちかほの生誕祭

高海千歌 & 高坂穂乃果 生誕祭2016 & 新田恵海神戸公演記念

登場人物:
高坂穂乃果
高海千歌

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2016-08-16 22:39:54 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:427   閲覧ユーザー数:427

   高海千歌 & 高坂穂乃果 生誕祭2016

 

   みかんとオレンジ ~NEXT PHASE~

 

 守りたい場所があった。

 

 憧れていた輝きがあった。

 

 叶えたい夢ができた。

 

 大切な仲間ができた。

 

 想いは力になる。

 

 歌声は道になる。

 

 光は一つになって。

 

 輝く光に向かって。

 

 前に。

 

 前に。

 

   side. F

 

「うひゃぁっ!」

 がつん。

 思い切り床に頭をぶつけた。

 ベッドから落っこちたみたい。

「いったぁぁい!」

 カーパットの上でごろごろ転がって、悲鳴をあげる。

 ごん。

 今度はすねをテーブルでぶつける。

「も〜なんなの! いたいよ雪穂ぉ!」

 たしかにわたしは寝相がわるいけど、ここまで派手に落っこちるのは久々かも。

「……雪穂、来てくれないし……」

 だいたいこんなことになれば「大丈夫?」とか「うるさいよ!」とか言いに来るのに。

「ってなんだぁ。まだ朝早いんじゃん。もっかい寝なおそうっと」

 カーテンの隙間は、まだ薄暗い。ほんの少しだけ明るいけど、夏の強い日差しは感じられない。

 ベッドによじ登って、まくらを一度抱きしめてから頭に敷いて、タオルケットをふわり。

「ふふん♪」

 こういうの、そんなに嫌いじゃないんだよね。練習で疲れてると、寝て目が覚めたらもう朝!? ってことが多いから、ぜんぜん寝た気がしないんだよね。

 学校で寝ると海未ちゃんに怒られちゃうから、少しでもとくしたような気持ちになっておきたいんだ。

 あ、でもいまは夏休みだ。

 それにほら、明日は……じゃなくて今日は、なにか大事なことがあったような。

 なんだっけ。

 ええっと。

「わたしの誕生日!?」

 そうだった!

「ど、どうしよう誕生日だよ。ことりちゃんはきっとおいしいお菓子をくれるでしょ? それに海未ちゃんはなんだかんだ言ってわたしが喜ぶものくれるだろうし……」

 どうしよ。嬉しくなってきて、目がばっちり覚めちゃったよ。

 しょうがない。どうせ夏休みだし、もう起きちゃおうかな。走って汗かいてシャワー浴びてすっきりしてから、みんなにお祝いしてもらおうかな。

 時計が見当たらないけど、まあいっか。わたしの目がこれだけ覚めたってことは、朝は朝だよね。

 ぱっと着替えて、雪穂を起こさないように階段をそっと降りる。

 お店の方にも、誰もいない。

「あれ? お父さん仕込みしてないんだ……」

 今日はお休みじゃないよね。

 ああでも、いつもお誕生日の日は、早くお店を閉めてくれるんだよね。

 だからできる限り、海未ちゃんことりちゃんにお祝いして貰うのは昼間にするの。これも夏休みだからできるんだよ。

「ま、まさかわたしのためにお休みにっ!?」

 ごちそうに期待してもいいのかな。

 まあ、お父さんもわたしのお父さんだし、お寝坊さんなのかもしれないね。

 帰ってきてまだ起きてなかったら、起こしてあげようかな。

 外に出る。

 ここもそっと、音を立てないように。

「あれ、すごい霧」

 白いもやもやでいっぱい。

 これはちょっと、あぶないかな?

「うーん。でも雨ってわけでもないし、車がこないところなら平気だよね?」

 まっしろで少し先も見えない中へ、進んでいく。

 見えないけど、わたしの足はどこへ進めばいいかわかってる。

 不思議な感覚。

 ひょっとしたら、目を閉じていても走って行けるような気さえする。

「……こんな感じ?」

 目を閉じてみる。

 うん。いつもお買い物をしてくれるおばあちゃんのお家があって、その先のお家の軒先には綺麗なお花が咲いてるの。ときどきお父さんと一緒に行くおそば屋さんに、ことりちゃん海未ちゃんとたくさん遊んだ公園。

 雨の日も、風の日も、めったに降らないけど雪の日だって変わらない、わたしの知ってる景色。

 たとえどこに行ったとしても、こうして目を閉じればきっと思い出せる。

 そんなわたしの、あたりまえ。

「十七歳、かぁ……」

 なあんて考えながら、目を開く。

「あ、あれ?」

 うん?

 ちょっと止まろうかな。

「……海」

 海未ちゃんがいれば「海未は私ですが」とか、言ってくれるのになあ。

 うん。落ち着こうかな。

 目をもう一度閉じて、ごしごしして、開く。

「海だ……」

 海未ちゃんじゃないよ。たしかにちょっと前は海の日で、さんざん海未ちゃんの日だとか言って遊んでたらおこられちゃったからね。

 それはいいんだけどさ。

「海、だよねぇ……」

 わたしの目の前には、見渡す限りの海が広がっていた。

 ちょっと遠くにこんもりした緑色の島があって、それにもっともっと遠くに見えるあれは、

「富士山……だよね?」

 いや、富士山くらいはわかるよ。

 わかるんだけど、さすがにね?

 さすがに穂むらから少し走ったくらいじゃ、こんなにはっきり見える場所には来れないよ。高いところに上がったら、ほんのちょこっとだけ見えて、それだけでみんなでわぁわぁ騒いで喜ぶくらいなのに。

 いま見てるのは、でっかいんだよね。

 富士山こんなに近くで見たの、はじめてかも。

 ええっと、まあ感動はそれくらいにして。

「……ひょっとして、迷子?」

 十七歳で、かぁ。

 

   side.S

 

「ふふふ……」

 わたしはそんな風に笑って、ベッドから体を起こした。

「ふふふ。ついに、眠れなかったよ」

 カーテンの隙間から少しだけ光が入ってきたあたりで、あきらめたよ。

「誕生日に興奮して寝られない……はっ、まさかこれが大人の階段の第一歩っ!?」

 そう。

 そうなんだよ!

 わたしもついに十七歳!

 うん。しょーじきなところ、だからなにって思うし、どうなるってわけでもないんだけどね。

 でもほら、えっと、なにかちがう気がするんだ。

 可愛い後輩ちゃんたちをもっと可愛がれるような気がするし。

 それにそれにね。この半年くらいの間だけは、果南ちゃんと一緒の歳になれる大事な時間なんだよ。

 あの、お姉ちゃん〜って感じの果南ちゃんと。

 曜ちゃんは四月にお誕生日だったからもう十七歳なんだけどね。うーん。だから助けてもらってばっかりなのかな?

 でももうおんなじ歳だもんね。

 これからは、おねいさんなわたしがばっちりがんばるびぃしちゃうもんね。

 やあやあ、とりあえず海でも見に行こうかな。

 おねいさんなわたしは、早起きして自主練をしちゃう、まじめでカッコイイわたしなのだ。

 五秒くらいでぱっと着替えて、準備おっけー。

 表から外に出ようとして、手を止める。……おねいさんなわたしは、きちんと裏から出るべきな気がする。

「まあいっか、面倒くさいし」

 がらり。

「うわぁ、なにこれ〜」

 外がもやもやだよ。

 霧がすごくてなんにも見えない。

 霧はまあ、海が近いからないこともないんだけど、空がやけに明るいんだよなぁ。太陽の形がわかるくらいに晴れてるのに、こんなに霧がかかってるのは、めずらしいかも。

 そこまで早起きなんてしないんだけどね。果南ちゃんなら詳しそうだけど。

 これだとみぞとかに落っこちそうだし、落っこちたらまた梨子ちゃんにあきれられちゃうかもだし、やめとこうかな。

「って、あれ?」

 うそ。

「しいたけがいない」

 夜は外のおうちで寝てるはずなのに、空っぽだ。

 真夏のこの時期に美渡ねえが湯たんぽがわりにするわけないし。

「もう、あんにゃろ〜」

 外に出ちゃったのかな。

 帰って来れないなんてことはないだろうけど、道路はちょっと危ないかもだよね。

 よし。

 理由ができれば迷う必要なんてないよ。

「れっつごー!」

 わたしが走っていれば、きっとしいたけもにおいでわかるよね。

 まちがって梨子ちゃんのところに行ったりしないといいんだけど。本気で泣いちゃうときあるからなぁ。そこも可愛いんだけどね。

 

   side.F

 

「うっみうっみうー。うっみうっみうー」

 とか言ってたら、海未ちゃんが助けに来てくれたりしないかな。こうなったらもう、怒っててもいいよ。

 景色はすごく綺麗。

 潮の香りがする風に、いつもより美味しく思える空気。

 どこまでもまっすぐに続いている青空と海。それに反対側には山もある。

 海沿いの町って、気持ちがいいなぁ。

「ちゅんちゅん♪」

 手をぱたぱたさせて、ことりさんの真似。どこにでも飛んでいけそうな、そんな気がする。

「……ちゅんちゅん」

 でも。

 でもね。

「なんで誰もいないのかなぁ」

 ひとりじゃ、イヤだよ。

 どんなに綺麗な景色でも、どんなに素敵な場所でも、あんまり楽しくないの。あんまり嬉しくないんだよ。

 みんなと一緒だから、楽しさも、嬉しさも何倍にもなるんだよ。

「誰も、いない……」

 さっきから海沿いの道を歩いているんだけど、どこにも人がいない。車も走ってない。

 まるで。

「ううん。そ、そんなことないよね……」

 まるで、わたししかしないみたいな、

「っ、わぁぁぁっ!」

 お腹から声を出して、走り出す。

 そんなことない。

 ガードレールを飛び越えて、砂浜に飛び降りる。

 ざくって地面に足がつく。

 大丈夫。

 走っていれば、前に進んでいれば、きっと誰かに会える。

 いつだってわたしはそうしてきたから。これからだって、そうしていくから。

「ことりちゃん! 海未ちゃん! 真姫ちゃん! 凛ちゃん! 花陽ちゃん! にこちゃん! 希ちゃん! 絵里ちゃん! だれかぁ〜!」

 だれか。

 誰か、助けてよ……。

 ざくざく音がする砂浜は、やっぱり走りづらい。すぐに疲れちゃって、足が止まる。

 それに、

「……おなかすいた」

 花陽ちゃんみたいなこと考えちゃったからかなぁ。

 携帯もないし。

 お金もないし。

 あれ。よく考えたらかなりマズイんじゃないかな……。

 このまま誰にも会えなかったら、どうなっちゃうんだろう。

「……おなかすいた! のどかわいた! つかれた! もう歩けないよ〜!」

 泣くよ?

 十七歳になっていきなり、泣いちゃうよ?

 さあ、それがイヤならまずは海未ちゃんことりちゃん、出て来てよ。「そんなこと言っていないで歩きなさい」「もうちょっとがんばろう。ね♪」みたいなこと言って、いつもみたいに一緒にいてよ。

「……うぅ」

 じわり。

 目の前がぼやける。

 あ、これは泣く。泣いちゃう。

 砂浜はずっと続いてるのに、誰もー

「……あれ?」

 ぱちってまばたきすると、ひと粒だけ涙が落ちて、目の前がきれいになる。

 誰か、いる。

 まだちっちゃくしか見えないけど、遠くの砂浜に誰か座ってる。

「おお〜いっ!」

 立ち上がる。

 走る。

 ごめんね海未ちゃん。まだわたしは走れたよ。でもこれだって、誰かがいるからなんだよ、きっと。

 しばらく走ってたどりついたけど、周りは変わらない砂浜。

「はぁ、はぁ……」

 小学生、かな。

 女の子だ。

 長い紺色の髪が、砂浜に落ちちゃってる。先のほうで二つにわけられた、たっぷりした長い髪。

 その子は海に向かって三角座りをしていて、だけど海は見ないで本を読んでいた。

 本に夢中なのか、わたしに気がついていないみたい。

「あ、あのう……」

 驚かせないように、横から声をかける。

「おはようございます」

 ぱたん、って小さな本を閉じて、女の子はそう言った。

 うわぁ、可愛い子だなぁ。

 とろんとした目元に、くりくりした大きな目。ふっくらした白いほっぺは、思わずつついてみたくなるような、

「あ、えっと、おはようございます……」

 遅れて、わたしもあいさつする。

 礼儀正しい子なんだね。

「え〜っと、となり、座ってもいいかな?」

「どうぞ」

 むむ。礼儀正しいんだけど、ちょっと元気が足りないかな。ちっちゃい頃の海未ちゃんの泣き虫で人見知りよりはいいと思うけどね。

「このあたりに住んでるの?」

「たまに来ます」

 なんだか頭の良さそうな子だよ……。じゅ、十七歳のわたし、頑張れ。

「なんだか、嬉しそうですね」

 静かな口調で、女の子は言う。

「え? そう? だとしたら、あなたに会えたからかな」

「……そうですか」

 その横顔は、あまり明るくない。

 笑顔と笑顔で仲良くなりたいのになぁ。

 まあ素直じゃない子ほど、仲良くなったときが嬉しいんだよね。

 最近は真姫ちゃんの笑った顔を見れると嬉しくて嬉しくて……。

「お姉さんの、お名前は?」

「へ?」

「名前、です」

 ようやく顔をわたしのほうに向けてくれた。

 でもその顔はあんまり子供らしくなくて、すごく真剣に見えた。

 なにか焦ってる、ような。

「あ、うん。ごめんね。わたしは高坂ー」

 ……。

 ……あれ?

「高坂……」

 あれ?

 あれれ?

「無理はしないでください。コーサカさん」

「む、無理なんてしてないよ!」

「ほかの誰かの名前はどうですか?」

「わかるよ。ことりちゃん海未ちゃん。真姫ちゃん凛ちゃん花陽ちゃん。にこちゃんに希ちゃん。絵里ちゃん!」

 どうだ。って、わたしの名前が出てこないのは変わらないんだけど……。

「……っ」

 そこで、女の子の表情が少しだけ変わった。

「どうかしたの?」

「いえ。その人たちはみんな、コーサカさんの友達ですか?」

「うん! 大事な大事な友達! みぃんな大好きな、大切な友達!」

「そうですか」

「あ! 妹の名前は雪穂だよ! わたしにもおんなじ字が入ってた! うん。それはまちがいないよ」

 地面に落ちてた木の棒で、砂浜に『穂』を書く。

「なるほど。のぎへんに恵み……」

「高坂穂!」

「ではコーサカホさん」

「まってごめん! それすごくカッコわるい!」

 いくらなんでも語呂が悪すぎるよ……。

「あとちょっとだから、もうちょっとで思い出せるから! ……う〜ん。う〜ん」

「無理はしない方がいいです。ここではなんのきっかけもなしにそう簡単にはー」

「の!」

「……」

 女の子は、また少しだけ驚いたような顔をする。

「わたし、高坂穂乃!」

「ではコーサカホノさんー」

「うわぁんまだなんかちがうよ! コー・サカホノって聞こえるよ!」

 お笑い芸人さんみたいだよ。

「落ち着いてください。たぶんそれを探さなければいけないんです」

「……ふぇ?」

「ここはそういうところなんです」

「名前を思い出せないと帰れないってこと?」

「まあ、そんなところです」

「あなたは、ずっとここにいるの?」

 また、少し驚いた顔。

「いいえ。居心地がいいので、たまに来るんです。ときどきコーサカホノさんのようなー」

「それはやめて!?」

「……コーサカさんのような人が来るので、お話する練習をさせてもらっているんです」

 話しながら、女の子は前を向く。

 どこか自分を責めているような、そんな横顔に、胸が締め付けられる。

「……あなたも一緒に行く?」

「いえ。私は大丈夫。もしもー」

 女の子は、わたしを見る。

「もしもコーサカさんが帰れずに、一人でさびしいのなら、私はここにいますから」

「ダメだよ!」

「え?」

「あなたはここにいちゃダメ。ずっと一人でなんていちゃダメ。あなたは可愛いんだから、ちゃんと誰かの隣で笑わないと、ダメだよ」

「コーサカさん……」

「ずっとひとりきりでなんて、いられないんだよ。そんなのつまらないよ。笑えなくなっちゃうよ。困ってるなら助けてあげるから」

 わたしは女の子の手を握る。

「はい。ありがとうございます」

「うんっ!」

 やった!

 笑顔が見れたよ。おおきな瞳を細くして、にっこり笑う。

 困ったような笑顔だけど、この子も笑えるんだ。

 わたしも名前なんて、忘れてる場合じゃないよね。

「……さっきの、コーサカさんのお友達。その人たちはみんな、笑えていますか?」

「? うん。みんないつだって楽しそうに笑ってるよ。いまはちょっと練習が暑くて大変だけど、そんなの吹き飛ばしちゃうくらいの、もっと熱い……えっと、夏色えがおだよっ!」

 今度こそ、女の子はくすくす声を出して笑った。

 これだよ。これが見たかったんだ。

「それじゃ、頑張ってください。私は帰ります。……帰って、頑張ってみます」

「うんっ! ファイトだよっ!」

 わんっ!

「わっ!? びっくりした……」

 どこかから、犬の鳴き声がー

「あれ?」

 女の子が、いなくなっちゃった。

 元気を出してくれたのは嬉しいけど、いくらなんでも張り切り過ぎじゃないかなぁ。

「って、あの子の名前聞いてないし!」

 まあ、きっとまた、どこかで出逢えるよね?

 そのときはきちんとわたしの名前、呼んでもらわないと。

 さあ、わたしも頑張るぞ!

 

   side.S

 

「へぇ。こりゃたいへんだよ」

 淡島も全然見えないや。

 どこからが海かもわかりづらいくらいだよ。

「こんな霧じゃ、マリーちゃんが船でこっちに渡ってこれないかもしんないじゃん」

 お誕生日をお祝いしてくれる人は、多いからほうがいいに決まってるからね。

 あ、曜ちゃんのお父さんの船もそうだよね。

 もう。内浦のけーざいが回んなくなっちゃうからやめて欲しいなぁ。

 もうちょいしたら晴れるよね、きっと。

「しいたけやーい」

 わたしの声はひびくわけでもなく、どこかに消えていく。

 しいたけどころか、誰もいないなぁ。

 石の階段を降りて、砂浜へ。

 海に近づく。

 知ってる海のにおい。

 知ってる砂の音。

 でも、

「……? なんだか……」

 なんだか、うさんくさい。

 らしくない、っていうか……。

 って、なんだそりゃ。

「はいってみればわかるかな」

 はい、いつもどおり、靴も靴下もぽいっ。裸足になる。

 ざくざく。

 砂の感触はいつもと一緒。

 さてさて、海の中はどうかな。

 ぱしゃり。

 うーん。

「……すこし、つめたいかな?」

 それは朝だから?

 それとも、

「……」

 ぱしゃぱしゃ。

 何歩か、前に進んでみる。

 霧で、先が見えない。

 いつもだったらどこまでも続いているような、どこまでだって行けるような気持ちになるのに、それがない。

 それどころか、この先にはなにもないんじゃないかって、そんな不安になるような、

「……そんなことっ」

 そんなこと、ない。

 わたしは、わたしたちは、やっと輝きはじめた。輝けるかもって思えるように、信じられるようになったんだ。

 ざぶ。

 一歩。

 ざぶざぶ。

 また一歩。

 つめたい。足が重い。ううん。きのせいだよ。わたしの大好きな海が、内浦の海がこんなにつめたいはず、

「やめておきなさい」

「へ?」

 誰かの声で、足がとまった。

「その向こうは、あなたのような者が進むべき道ではないわ」

 振り向くと、

「……善子ちゃん?」

 黒い、本当にどこまでも黒い、喪服のような、ドレスのような不思議な衣装の、善子ちゃんが立っていた。

「ヨハネよ」

「え、あ、うん」

 落ち着いた感じで言われちゃうと、ちょっと調子くるうなぁ。

「戻ってきなさい。その先には、何もないから」

「? うん。わかった」

 善子ちゃんを置いてく気もないけどね。

「……っていうか善子ちゃん、背ちぢんでない?」

 近くまで来てわかったけど、なんだかいつもよりも背が低いような。

「ああ、気にしないで。一番力のあった頃の姿を使っているだけだから。それとヨハネよ」

 善子ちゃんはわたしが知らないいろんなものたくさん持ってるからなぁ。背をちっちゃく見せるものだってあるのかもしれない。

「いや、やっぱりおかしいよね!? 絶対ちっちゃくなってるよね!? いくらわたしでもそんな簡単にはだまされないよ!?」

 さてはおバカだと思ってるな!

 善子ちゃん(?)は小さくため息をついて、指をあごにあてて考えてから、

「……なら、私は津島ヨハネ。あの子の親戚、という事にしておいて頂戴」

「あ、そうなんだ。はじめましてヨハネちゃん」

「ええ。初めまして」

 もう、善子ちゃんったら。ちゃんとモデルにしてる子がいたんだね。

 キラキラネームってやつだ。キラキラ……輝いてるなんてうらやましい……。

 シャイニーネームかな?

「ヨハネちゃんも可愛いね。スクールアイドルやらないの? あ、中学生かな?」

「そうよ。この器は、中学二年生の時のものだから」

「へぇ~。ウチの学校に来たら、絶対スクールアイドルやってね。お願いだよ」

「……その時が来たら、あなたはもう卒業しているのではないかしら?」

 くくく、って笑うヨハネちゃん。

「あ、そっか。でも善子ちゃんと一緒になら出来るんじゃない?」

「……あの子はもう、私がいなくても大丈夫よ」

「?」

 どういう意味だろう。善子ちゃんって結構甘えんぼさんだから、ヨハネちゃんに甘えてたのかな。ヨハネちゃんがいないと眠れない、とか。

「って、わたしのこと知ってるの?」

 あんまりにも善子ちゃんそっくりだから普通に話しちゃってたけど、はじめましてしたばっかりだよ。

「ええ。よく知っているわ。いつもあの子を通して……聞いているもの」

「あ、そなんだ。恥ずかしいなぁ。善子ちゃんわたしのこと、なんて言ってるの? 可愛い先輩だとか、優しい先輩だとか、頼れる先輩だとか?」

 綺麗だとか、おしとやかだとかは言われないとしても、これくらいは、ねぇ?

「そうね。いつだってあの子は、あなたに感謝をしてる。強がりなところは変わらないから、はっきりとは言わないだろうけれど」

「なぁんだ。じゃあわたしと同じだ」

「?」

 中学生なのにどこか大人っぽい雰囲気のヨハネちゃんが、目をぱちぱちと見開いた。

 かわいい。

「わたしもいつだって善子ちゃんに、ありがとうって思ってるよ。でもそれを毎日言ってたらヘンだもんね。Aqoursに入ってくれてありがとう。一緒にいてくれてありがとう。これからもずっと、ありがとうって」

「あなたは……」

 驚いた顔をしてから、くくく、ってちょっとヘンな笑い方をするヨハネちゃん。

「あらためて言うけれど、ここはあなたが来るような所ではないの。早く帰った方がいいわ」

 霧が出てるから危ないよ、って言いたいのかな?

「え~? しいたけ探してるんだけど、見なかった?」

「しい……ああ、使い魔の事ね。そう、ちょっと待っていて」

 そう言って、ヨハネちゃんは黒いドレスの後ろから棒を(杖、かな?)取り出した。

 それを使って、地面になにかを書き始める。

 大きな丸を書いて、ヘンな文字をすらすらと。

「……なにしてるの?」

「索敵用の陣を形成しているの。ここか、あるいはここに近いどこかで侵入者があれば、何か反応が得られるはず。……この小石が私とあなた。そしてー」

 ちがう小石をいくつか拾って、ヨハネちゃんはらくがきみたいなそれの上に放り投げる。

 丸の中に石が散らばる。

「……? これはあの子だとして、近くにもう一つ大きな反応……? べつに小さいものが一つ……こっちがきっと、使い魔ね。それにしても大きい……これって……」

「ヨハネちゃん、だいじょぶ?」

 なにかぶつぶつ言ってるなぁ。花丸ちゃんだったらすぐ止めてくれるかもなんだけど。

「……ところであなた、自分の名前、覚えているかしら?」

「あ、ごめんごめん。はじめましてなのに、わたしは名乗ってなかったね」

 ついうっかり。

「わたしはー」

 そう。わたしの名前は、

「わたしは高海千歌。浦の星女学院でスクールアイドルAqoursをやってる、十七歳の、十七歳の! 高校二年生ですっ!」

 それっぽくポーズを決めるけど、やっぱり一人じゃ格好つかないかなぁ。

「……ええ。良く知っているわ」

 くくく、ってヨハネちゃんに笑われちゃったよ。

「え!? ヘンだった? なにかヘンだった?」

「いいえ。やっぱりあなたは、ここに迷い込んできた訳ではないのね。きっとこの反応……大きな力を持つ誰かと近い何かがあったから、呼ばれてきた……。Aqours……呼び水、とでも言うのかしらね」

「ん~? ほいで、しいたけは?」

「いるわ。おそらく放って置いても戻ってくるでしょうけれど、あなたがここに呼ばれた意味があるというのなら、あなたは会った方がいいのかも知れない。ただ……」

 ヨハネちゃんが、なにか考え込んじゃった。

 ざざ、って波の音だけが響いてる。

 しばらくして、

「例えば」

 はってちょっとびっくりする。

 あぶないあぶない。気持ちよくなってきちゃってたよ。ヨハネちゃんと会えたから安心しちゃってたのかも。

「ここであったことを忘れてしまうとして、それをあなたは無駄ではないと思えるかしら?」

 なんの話だろう。たとえばって言ってたし、なにかの難しいお話かなぁ。

「無駄なことなんて、ないんじゃないかな?」

「……」

 ヨハネちゃんは口をきゅっと閉じてる。

「忘れないとは思うけど、もしも忘れちゃったとしても、それがあったことだっていうのは変わらないでしょ? でも、なにもしなかったらなにもないんだよ。わたしが忘れちゃっても、ヨハネちゃんが覚えてくれていれば、また思い出させてくれればいいんだよ。でしょ?」

「少なくとも『無』ではない、という事ね。それもまた、堕天使らしいといえばそうなのかも知れないけれど」

 くくく、ってヨハネちゃんは笑って、

「わかった。けれど、あちらへの影響も考えて、あなたには魔法をかけなければいけない。……それはとても悲しい魔法。あなたをあなたでなくしてしまうかも知れない。それでもいい?」

「よくわかんないけど、痛くなければいいよ?」

 ときどき善子ちゃんがやってるような、儀式的なあれだよね。おまじないみたいなヤツ。

「そう。肉体的な痛みは伴わないわ。……肉体的には、ね」

「そいういうの、善子ちゃんに教えてあげたのはヨハネちゃんなの?」

「そうね。でももう、きっとあの子には必要ない。魔法も、私も……」

 ふってヨハネちゃんは目を細くして笑う。

 ううん。いまのはきっと、笑ってない。

「……それって、わたしのせい?」

「? どうして?」

「わたしにはよくわかんないけど、魔法とかそういうのから離れちゃったから、ヨハネちゃんと善子ちゃんが離れちゃったのなら、Aqoursに入ってからってことでしょ? だったら、わたしたちがじゃまをしちゃったの?」

 もしもそうなら、悲しい。

 ヨハネちゃんが笑えない理由をわたしが作ってしまったのなら、それはなんとかしなくちゃいけないんだ。

「ありがとう」

 ヨハネちゃんは、笑った。

 もうなんだか天使みたいな笑顔で。

「あの子が望んだから私は生まれた。あの子が望んだから私は傍にいた。あの子が信じてくれたから、私は私でいまもこうしていられる。けれど」

 笑顔のまま、ヨハネちゃんは涙を一つだけ、こぼした。

「私がいたら、あの子は前に進めない。あの子はあの子の足で、あの子の言葉で前に進まなければいけないの。私の魔法は、あの子を他人から遠ざけて、守るためのものでしかないから。一人のあの子を守るための、さびしくて悲しい魔法だったから」

「そんなの知らない!」

 よくわかんないよ。

 よくわかんないけどさ、

「それでヨハネちゃんが泣いちゃうんなら、わたしは嫌だよ。だったらヨハネちゃんの言葉を聞かせてよ。……ヨハネちゃんは、どうしたいの?」

「私は……」

 眉を曲げて、苦しそうにヨハネちゃんは黒いドレスの胸元をつかむ。

「私はあの子が幸せになるのなら、消えてしまっても構わない……」

 わたしは首を横に振る。

「ダメだよ。ヨハネちゃんがいないと、善子ちゃんは幸せになんてなれない。いまの善子ちゃんは、ヨハネちゃんが頑張ったからいまの善子ちゃんになれたんでしょ? だからー」

 胸が不安でいっぱいなら。

 自分の気持ちがわからないのなら。

 わたしの気持ちをわけてあげるよ。

「ありがとう。ヨハネちゃん」

 少し低いところにあるヨハネちゃんの頭を、抱きしめる。

「あなたは……」

「ずっと一緒にいればいいんだよ。ヨハネちゃんも、わたしたちも。あったことは変わらない。なくなることなんてない」

「千歌さん……」

 わたしの胸の中で、ヨハネちゃんの肩が小さく揺れる。

「私、消えたくない」

「消えないよ。わたしも覚えてるもん」

「私、あの子と一緒にいたい」

「一緒だよ。善子ちゃんがAqoursに入ったのだって、ちょっと普通と違ってたからだもん。ヨハネちゃんのおかげだよ」

「私、私は……」

「うん。よしよし」

 頭を撫でてあげる。

「ありがとう。そして……ごめんなさい」

「ほぇ?」

 こつん。

 痛くはないけど、頭の後ろのほうになにかがぶつかった。

「……ありゃ?」

 意識が遠くなる。

「忘却の魔法」

 ヨハネちゃんの声が、遠くに聞こえる。

「あなたから一時的に真名を奪った。これでこれから会う誰かがたとえ違うところから来ていたとしても大丈夫よ。堕天使らしい狡猾なやりかたで、ごめんさい。……本当に、ありがとう」

「ヨハ……」

 抱き留められた腕の中が温かくて、安心しちゃって、意識がどんどん遠くなる。

 いやだ。このままじゃ、ヨハネちゃんは一人になっちゃう。

「わすれ……ない、から」

「ええ」

 ぎゅ、って腕に力がこもる。

 ああ、ダメだ。眠いよ。

 

 

「これでよかったの?」

「マイコゥ……見ていたの?」

「僕は君のご主人のお友達だからね」

「生け贄の間違いでしょ? まあ、貴方から教えてもらった忘却の魔法のおかげで、助かったのだけれど」

「君はどうするの?」

「どうもしないわ。どうもしないけれど、千歌さんが覚えていてくれると言うのなら、きっと消えることだけはないのでしょうね」

 

   side.F

 

「よし、まつたけちゃん! この棒だよ! 取ってくるんだよ!? オッケー?」

 わんっ!

「よーし、いっくぞー!」

 ぽーいっ。

 わんわんっ!

「おお! すごいすごい早い早い! やるねまつたけちゃん!」

 もの凄い勢いで走って棒を拾ってきたワンちゃんの頭を、お腹を撫でてあげる。

 わんわん。

「そっかそっか。気持ちいいんだねぇ。お利口さんだねぇ」

 首輪にあったキノコの印象が強くて、ついまつたけちゃんって呼んでるけど、これはきっと合ってるよ。自信があるよ。

「んー。あの子は大丈夫そうかな。戻ってこないほうが、きっといいんだろうけどね」

 あの女の子が消えるようにいなくなってから、しばらく経った。すぐにこのワンちゃんが来てくれたからさびしくもないし楽しかったけど、もう平気かな。

 お名前は結局聞けなかったなぁ。

「じゃ、どこか行こっか。あなたの飼い主さんのところに連れてってくれると助かるかもだけど……」

 わんっ!

 ワンちゃんは力強く吠えて、ぐるりと回る。

「おぉ、頼もしい!」

 わんわんっ!

 で、そのままワンちゃんは走り出した。

「……え? ちょ、ちょっとまつたけちゃん!? お、おいてかないでよぉ!?」

 浜辺で走るのは慣れてないんだよ。こんなの喜ぶのは海未ちゃんくらいだよ。

 ざざーん!

「ひぃっ!?」

 やけに強い波が、一度だけ押し寄せてきて、はねた海水が顔にちょっとかかった。

 まさか海未ちゃんが怒ってるとか?

「ま、まさかねぇ……?」

 とか言ってる間にも、ワンちゃんはすんごい速度で走ってる。

「うわーん! だから待ってってばぁ!」

 走る走る。

 前に前に。

 だけど、

「ちょ、見えなくなっちゃう!? んもう、こうなったらぁ……」

 砂浜を靴で走るのは大変だよ。足が埋まって、踏み込むときの力が取られちゃうから。

 だったら、

「脱ぐ!」

 靴と、靴下を脱ぐ。

 あ、でもなくなったら困るから拾っておかないと。

 そして、波打ち際の濡れているところを走る。

 そうすれば、一歩が思い切り踏み出せる。

 裸足でかけると気持ちがいい。

 なんにも考えずに。

 感じるままに。

 進めばきっと、

「あははっ」

 なんだか、なんとかなるような気がしてきたよ。

 わんわん!

 あ、ワンちゃんが止まってくれてる。

 よかったぁ。気持ちはまだまだ大丈夫なんだけど、勢いだけで全力疾走し続けるのは無理だよ……。

「? って、誰かいる」

 いるっていうか、倒れてる?

 わんわん!

「待ってて! すぐに行くから!」

 腕をまくり上げて、ラストスパート。

「はぁ……疲れた……」

 到着っと。

 わんっ!

「うん。ごめんねぇ遅くなって。この子……」

 ワンちゃんがきちんとお座りしてる隣に、女の子が倒れていた。

 オレンジっぽい茶色のショートカットに、耳の隣のちっちゃい三つ編みが可愛い。ランニングの途中だったのか、練習着っぽい服を着てる。

 いまのわたしと同じで裸足だけど。

 たぶん歳も同じくらいの、女の子。

「この子があなたの、飼い主さんなの?」

 くぅーん。

 ぺろり。ワンちゃんが女の子のほっぺたをなめて答えた。

「っていうか、このまま寝てたら暑いよね? 結構たいへんなことになるよね?」

 わん。

「……まつたけちゃんに、わたしの言葉が通じてるような気がするのは気のせい?」

 わんわん。

「ん。まあいっか。ごめんね、ちょっと移動しようね」

 オレンジ髪の女の子の背中と太ももの下に、手を入れる。

「……よいしょっ、と」

 練習のおかげか、思ったよりも大丈夫。海未ちゃんに感謝だね。

 この子も、見た目よりもずっと引き締まった体をしてるみたい。練習着っぽいし、わたしとおんなじでいっぱい練習してるのかな。

 わたしと同じ、

「同じ……なんだっけ?」

 大事なこと、だったような気がする。

 わたしはみんなと一緒に、どうして練習してたんだっけ?

 なんのために?

 暑いのに、寒気がした。

 ううん、暑いから? 熱中症ってやつかな……。

「だ、大丈夫……。大事なことならすぐに思い出すよ、たぶん……」

 オレンジ髪の女の子の重みが、いまは心地良いくらい。どこかに繋ぎ止めておかないと、わたしの体は流されていってしまいそうで、ちょっとこわい。

 わんっ!

「うん。ありがと、まつたけちゃんも一緒だもんね」

 砂浜に引き上げられている小さい船の陰に、女の子を運ぶ。

 ゆっくりおろしてあげると、

「ぅ……ん」

 苦しそうに、女の子が声を出した。

 うーん。そりゃあそうだよね。ざらざらだし、せめて枕くらいはね。

 ワンちゃんはもふもふ過ぎて余計に暑いだろうし。

「あ、なぁんだ」

 ひざ枕してあげよう。わたしもときどき、ことりちゃんにしてもらうんだ。ふわふわで気持ちいいんだよね。

 ーの練習のときに。

「……大丈夫。大丈夫」

 わたしも船にもたれて休憩する。女の子の頭をそっとひざ枕してあげると、ワンちゃんが近くによってきた。

「飼い主さん……ううん。家族が、心配なんだね?」

 くぅーん。

 ワンちゃんは大きな体を丸めて、小さくなる。

「大丈夫。わたしが見ててあげるから。ゆっくり休みなよ」

 ふるふる。

 ワンちゃんが耳を揺さぶって首をふる。

「わたし? わたしは平気だよ。十七歳のお姉さんなんだから……」

 オレンジ髪の女の子の寝息がとても穏やかで、それにつられるように眠気がやってくる。

「あはは……ごめん。ちょっと寝ちゃうかも」

 わん。

 大丈夫。

 そんなことを言ってくれてるような気がして、なんだか安心しちゃって、そのまま重たいまぶたを閉じる。

 

side.S

 

「ん……」

 涼しくて気持ちいい。

 ふわふわで気持ちいい。

 やさしいかおりが、安心する。

 なんだかとっても気持ちいいから、目が覚めたけど目を開けるのがもったいない。

 っていうか、なんで寝てるんだっけ?

「……ん?」

 なんだか暑くなってきた。

 ふわふわもふもふ。

 知ってるにおい。暑苦しい。

 もう我慢できないくらいに、寝苦しい。

「ってこれ、しいたけでしょ!」

 ばちって目を開くと、目の前で舌を出して体を寄せてくる、しいたけがいた。

「あついあついあつい! 自分がどれだけもふもふなのか考えてよ〜! だから梨子ちゃんに逃げられちゃうんだよっ!」

 すんすん。

「あ、ごめんごめん。言い過ぎたね。だいじょーぶだよ、たぶん。ほら、いやよいやよも好きのうちっちーって言うじゃん?」

 わんっ!

「そうそう。どうにかして冬までに仲良くなって、梨子ちゃんにゆたんぽにしてもらおうね。どっちが先か競争だよっ」

 わんわんっ!

「で? どこいってたのさ、しいたけは」

 心配させてくれちゃってさ。

 わん。

 ぺろぺろ。

「こら! わたしのまくらをなめないでよ。ちょうどよくふわふわで気持ちいいんだから」

 まったくもう。

 すべすべでふわふわの、わたしの大事な枕ー

「んん?」

 なんかちがうよね。

 たぶんだけど、これは誰かの太ももだよね。

 こんなことしてくれるのは曜ちゃんか果南ちゃん、っていうのが相場なんだけど、最近じゃあ梨子ちゃんだってやってくれるかもだよね。一年生ちゃんたちもなんだかんだでわたしのこと大好きだろうから、おかしくはないよね。ダイヤちゃん……はたぶんないかな。あったら嬉しいかもだけど。マリーちゃんはもっとむにむにしてそうだし。

 しいたけが大人しいってことは、梨子ちゃんじゃない!

 すごいぞわたし、名推理だよ。

 曜ちゃんと果南ちゃんの太ももは、二人とも水泳をやってるから似てるんだよね。だけど伝わってくるなんとも言えないこの包容力。これはきっと、

「果南ちゃんだっ!」

 ぐりん、って首を回して、答え合わせ。

「……だあれ?」

 知らない女の子が、気持ちよさそうに眠ってた。

 みかん色っぽいミドルヘア。頭の横で結われたリボンが可愛い。

 半分開いた唇から、すぅすぅって寝息が聞こえてくる。

 どくん。

「……あれ?」

 どくん。どくん。

「あれ? なんだろ?」

 胸が鳴ってる。

 どきどきがおさまらない。

「……あ」

 この子の顔を見ていると、たまらなく切ない気持ちになる。

(まさか、これが恋っ!?)

 まあなんかちがうっぽいかなぁ。

 そんなジョーダンではなくて。

「……わたしはあなたに、会いたかったの?」

 わからない。

 わからないままで、手を伸ばす。

 柔らかそうなほっぺたに。

 手が届きそうになる。

 ああ、やっと。

 やっと。

「ピーマンマンッ!?」

 ばちん、ってみかん色の女の子の目が開かれて、わたしは思い切りぐるんって吹き飛ばされた。

「ぅきゃぁっ!」

 わんっ!

 そのまま、しいたけの体に乗っかる。

「ピーマンは許してぇ。……ん? あれ? ここどこ?」

「あいたた……」

 わたしはしいたけの上で頭を振って、みかん色の子はきょろきょろあたりを見回してる。

「「あ……」」

 目が合う。

 まっすぐな瞳に、吸い込まれそうになる。

 きらきらしてる、綺麗な目。

 胸の鼓動はまだ、おさまらない。

「あ、えっと、その……」

 言葉が出ない。

 どうしてだろう。人見知りってほどでもないのに。むしろ旅館の手伝いとかしてるし、愛想はいいほうだと思ってるんだけどな。

 この子を前にすると、わたしはちょっと、おかしくなっちゃうの?

「うぅ……」

 みかん色の子はくちをへの形にして、

「うわぁぁあん! やっと普通っぽい子に会えたよぅ!」

「わわっ」

 泣きながら、わたしの腰にしがみついてきた。

「ちっちゃい希ちゃんみたいな子は帰ってこないし、ワンちゃんとはきちんとお話しできないし、やっと女の子を見つけたと思ったら寝ちゃってるし……。よかったよぅ」

 わんわん泣いてる姿も可愛い。

 う、うわーい。喜んでもらえたけど、普通って言われるのはちょっと悲しい気もする……。

「あ、あのう」

「あ、ごめんなさい! わたし、迷子になっちゃったみたいで」

 えへへ。ってほっぺたをひっかきながら、笑う。さっきまで泣いちゃってたのになあ。

 かわいいな。思ってることぜんぶを、体で表現してるって感じ。

「迷子? ……ええっと、観光なのかな……?」

 どうみても、この人はランニングでもしていたような格好をしてるよね。

 ほ。

 ってひらがなで書いてあるTシャツは、ちょっとくたびれてきてるみたいだし。

「だったらよかったんだけどねぇ。ステキなところだし!」

 ぱって両手を広げて、くるりって回る。

 どくん。どくん。

 わたしはその姿にでさえ、まばたきもできないくらいに目をうばわれちゃってた。

「わたし、えっと……コーサカ! よろしくね」

 どくん。

「こー、さか、さん……」

「なんと今日で十七歳なの! あ! べ、べつにプレゼントが欲しいとかじゃないよ?」

 どくん。どくん。

「あははっ……」

 わからない。

 わからないのに、涙がでてきたよ。

「ど、どど、どうしたの!? だいじょぶ? わたしが運んだときどこかにぶつけちゃった?」

 心配そうに慌てる声が。

 おろおろしながら、ころころ変わる表情が。

 その姿が。

 わたしはどうしようもないくらいに嬉しくて、泣いてしまっていた。

「だいじょぶ……」

 ダメだよ。だいじょぶなんかじゃないよ。

 嬉しくて泣いちゃうことがあるのなんて、そんなの知ってる。

 だけど、だからこそ、いまは泣いちゃいけない気がする。

 この人の前でだけは。

 笑顔で。

 笑顔と笑顔で。

 笑顔と笑顔で始めないと、いけないんだ。

「はじめまして、コーサカさん」

 笑う。

 本当に、嬉しいから。

 わからないけど、嬉しいから。

「わたしは、高海千……」

 あれ?

「タカミチ……。へえ、カッコイイ名前だね」

「ち、ちがうの!? あれ? なんで? 高海が名字なんです! 名前、名前が……」

 わからない。

 自分の気持ちだけじゃなくて、名前までわからなくなっちゃったの?

「あー。あなたもなんだ。わたしもなんだ。よくわからないけど、名前を見つけないといけないんだって。おっかしいよね」

「へ?」

「わたしもね、途中までは思い出せるんだけど、その先がどうしても思い出せないの」

 コーサカさんは、困ったように笑う。

 ううん。困ってるんだ。

「わ、わたしが一緒に、探しましょうか!?」

「うん。ありがと、タカミさん。一緒に見つけよっか」

「あ、そっか。わたしもなんだ……」

 役に立てるかもって思ったら、なんだか興奮しちゃって。

「あははっ。タカミさん、面白いね」

「あと、わたしも誕生日なんです。十七歳の」

「そうなの!? すごいすごい。偶然だねぇ。あ、だったら友達ことばにしようよ。おんなじ十七歳だもんね」

 コーサカさんはくるくる回ってから、ぴたりととまってわたしの手を握る。

「は、はいっ」

「そうじゃなくてぇ……」

 すねたみたいに目を細くして、わたしの目を見る。

 やっぱりわたし、ヘンかも。すんごい緊張するよ。

「う、うんっ! よろしくね、コーサカさん」

「こちらこそだよ、タカミさんっ」

 わんっ!

「あ、しいたけもよろしくだって!」

 

side.F

 

「う、うん。しいたけちゃん、ね。うんうん。いいお名前だねぇ」

 あぶなかったぁ。あれかな? ひょっとして首輪のキノコってしいたけなのかな? あやうく名前呼んで恥かいちゃうところだったよ。

 松茸食べたいだけだと思われちゃうよ。食べたいけどさ。

「おなかへったなぁ」

「あ、そういえばわたしも」

 二人してお腹に手をあてる。

「「あははっ」」

 よかった。なんだか仲良くなれそう。

 なんていうか、わたしの名前を(名字だけどね)聞いたときくらいから、すごくおかしな感じがしてたの。

 たとえばだけど、わたしが、

「もしもツバサさんに会ったら、あんな感じかな?」

「ツバサさん? って、あの綺羅ツバサ?」

「あ、うん」

 つい声に出しちゃってたみたい。さっきまで一人だったから、独り言に慣れちゃってたのかも。

「すごいよね、ツバサさん。わたし、あんな風になりたくてー」

 なりたくて、なんだっけ?

 ああ、もう。イヤだなこの感じ。もどかしくて、気持ち悪い。

「コーサカさんもスクールアイドルなの!?」

「え?」

 すくーる、アイドル。

 スクールアイドル。

「そうだ……。わたしは、スクールアイドルになったんだ。ツバサさんに憧れて……。あんな風になれば、きっと守れるって思って」

「守れる?」

「うん。守りたいの。わたしたちの大好きな、学校を」

 そう。そうだよ。

「ありがとうタカミさん! あなたのおかげで、忘れちゃいけないこと、思い出せそう!」

「え? えぇ?」

 手をぎゅうって握ると、タカミさんはびっくりした顔をする。

「スクールアイドルだよ! わたしはみんなとスクールアイドルで、学校を守るんだ! だからー」

 ……だから、帰らなきゃ。

 そう思ったけど、言葉にはできなかった。

 目をぱちぱちさせるタカミさん。きっとこの子と会わなかったら、わたしはずっと迷子のままだったかも知れない。

 もっともっと大事なことまで忘れてしまって、わたしがわたしでなくなっていたかも。

 だからすぐに帰るだなんて、言えないよ。

 もっともっとあなたのこと、知りたいもん。

「ってことは、タカミさんもスクールアイドルなの?」

「うんっ。わたしは……わたしはほら、すっごく普通だから。みんなみたいに熱中できるなにかってなくて、そんなときー」

 微笑みながら話していたタカミさんの表情が、固まる。

「そんなとき、わたしは出逢ったの。出逢ったのに……なんで」

 タカミさんは、泣いてしまいそうな顔で、だけど涙はこぼさなかった。

 とてもとても悔しそうに、歯を食いしばって、それでも我慢してる。

 きっとわたしだったら、泣いちゃってると思う。

「なんで、思い出せないの……? わたしの真ん中に、あながあいちゃったみたいだよ……」

「……探そうよ。一緒に」

 こくこく。

 タカミさんがうなずくたびに、耳元の三つ編みが揺れる。

「その人たちのおかげで、わたしもスクールアイドルをはじめたの。大切な仲間と一緒に」

「そっかぁ。楽しいよね。スクールアイドルって……」

「うん。毎日がきらきらして、わくわくして……」

 うんうん。みんなそうなんだ。頑張ってるんだ。

 だけど、

「えっと、ちょっと聞いてもいいかな?」

「わたしもちょっと、聞きたいことが……」

 わたしとタカミさんは目を見合わせてから、

「「スクールアイドルってなにするんだっけ?」」

 あ、やっぱり?

「……黙って聞いていれば、まったくあなた達は……見ていられませんわっ!」

「「?」」

 誰かの声がした。

 怒ってるように、震える声。

 わたしとタカミさんはきょろきょろその辺りを見回すけど、はっはって舌を出してるしいたけちゃんの他には、誰もいない。

 まさかいまの、しいたけちゃんが?

「それでもスクールアイドルですの!?」

「「ひゃぁっ!」」

 もちろんそんなはずなくて、その人はわたしたちが日陰に使ってた船の上に現れた。

 風に流されるまっすぐで長い髪。腰に手をあてて、胸をグイって張ってるようなシルエット。

 見覚えのない、灰色っぽい制服。

「だれ?」

「ダ、ダイヤちゃん!?」

 あ、よかった。タカミさんのお友達っぽい。

「お黙らっしゃい! 高海さん、あなたという人はこんなチャンス……こほん。ではなくて、スクールアイドルの何たるかを忘れてしまうなど、言語道断ですわ!」

「そ、そんなこと言われても。よくわかんなくなっちゃったんだよぅ」

 タカミさんが、くちをとがらせながらつぶやく。

 ざ、ってダイアさん(?)は船から飛び降りる。

「と、とと」

 ふらって着地にちょっと失敗してから、それでも胸をぐいって張って、

「ふんっ。大方、あのこじらせた駄天使に何かをされたのでしょうけれど、そのような些細な事は関係ありませんわ!」

 うわぁ。なんだかこわい人なのかな。タカミさんがなんにも言えずに固まっちゃってるよ。

「あなたにとってのスクールアイドルとは、忘れてしまう程度のものでしかなかった、という事ですわっ!」

 びしっ。ダイヤさんは、タカミさんを指さす。

 いまのはちょっと、ヒドイよ。そんなことー

「そんなことないっ!」

 タカミさん?

「そんなことないもんっ! わたしは、わたしはスクールアイドルになって……スクールアイドルとして……」

 じわり。

 タカミさんの目に涙が浮かぶ。

 言葉が出てこないんだ。それが苦しくて、悲しくて、なによりも、悔しいんだ。

「なって、何がしたいんですの?」

「スクールアイドルになって……」

「何を成したいのです?」

「あの人たちみたいに……」

 そこでダイヤさんは、ふって笑った。

「何を、したいのです?」

「……うぅ。わかんないよ」

「そう、ですの……」

 それでもダイヤさんは、微笑んだ。

 タカミさんはチって大きく書いてる(カッコいい!)シャツの裾を伸ばしながら、

「わかんないよ。すごく苦しいの。わたし、わたし……」

「まったく、あなたが無理をしたところで良い方向に転がる事などありませんわ」

 ダイヤさんはため息混じりにタカミさんに歩み寄って、頭にぽんって手を乗せる。

「あなたはいつだってマイペースに、まっすぐで、やかましく、迷惑も気にせずに……」

「ほめてないよぉ」

 タカミさんがダイヤさんの胸に飛び込んだ。

「……本当に、世話のやける」

 優しい笑顔で、ダイヤさんはタカミさんの頭を撫でる。

 そして、

「?」

 とても。とてもむずかしい表情で、わたしのことを見た。

 説明がむずかしい。

 嬉しそうなのに。

 笑顔なのに。

 悲しそうで。

 泣いてしまいそうで。

 その目はわたしを見ているの?

 それともー

「って、ダイヤちゃんなんでここにいるの? もしかしてダイヤちゃんも自分探ししてるの?」

「それだと人聞きが悪いですわね……。どちらかというと、駄天使と同じ立場ですわ。もはやここに潜む理由もないのですけれど」

「あ、そうだよ! ヨハネちゃんどうしたのかな!?」

「そうですわ。あの子は、少し離れたところで、あれを食べていますわ。あなたの大好きな、あれを」

「あれ?」

「ご自分の好きなものすら忘れてしまったんですの? ……ちょうどいいですわ。わたくし、喉が乾いてしまいましたの。ちょっと行って貰ってきて下さいまし」

「ああ、あれってあれのこと? えぇ〜。なら自分で行ってくればいいじゃん」

「この方にも、わたくし達の自慢のあれを、食べて頂きたいとは思いませんの?」

 あれってなんだろ。

 食べ物みたいだけど、もしそうだったらすごく嬉しいなぁ。

 走ったり泣いちゃったり笑ったり寝ちゃったり泣いちゃったり笑ったり驚いたりしたもんね。

 十七歳っていそがしいなぁ。

 なんて考えてると、タカミさんがじっとわたしの顔を見ていた。

「うん! コーサカさんにも、わたしの大好きなあれを食べてもらいたい! よぉ〜し、待っててね! いくぞしいたけ! 善子ちゃんっぽいにおいなら、知ってるでしょ?」

 わんわんっ!

「え、ちょ、タカミさん!?」

「待っててねぇ!」

 って言いながら、跳ねるようにタカミさんは走り出す。

 わぁ。すごい楽しそう。

「さて」

 こほん。せきをして、ダイヤさんはわたしをじっと見る。

「あ、はい。えっと、ダイヤ……さん?」

 年上の人っぽいよね。

「そうかしこまらないで下さいまし。確かにわたくしは三年生で、生徒会長で、黒澤家の長女ですけれど」

「は、はぁ」

 黒澤ダイヤさん、ってことかな。

「……冗談ですわ。さて、ようやくゆっくりとお話をさせて頂けるのですね」

「お、お説教でしたら間に合ってるんでまた今度に……」

「わたくしを何だと思っていらっしゃいますの!? ああ、もう。こうしていると、本当に、どこかの誰かと話しているようですわ。あなたはもっと、堂々としているべきですのに」

「? わたしのこと、知ってるんですか?」

「どうか。……どうか、わたくしに敬語など使わないで。そう、あの子と同じように接して頂けると嬉しいのですが」

「先輩禁止、ってことですか……あぁじゃなくて。先輩禁止ってこと? ダイヤちゃん」

 ダイヤさ……ちゃんのこめかみがぴくって動いて、白い顔がちょっとピンク色になる。

「え、ええ。そう。そうですわ」

「でもダイヤちゃんは敬語みたいだけど……」

「わたくしは育ちのようなものですからお気になさらず! そう、園田海未さんと似たようなものですわ。あ、いえ、恐れ多いのでなんでもありませんわ……」

 おお? なあんだ。海未ちゃんの知り合いさんだったんだ。海未ちゃんちって有名みたいだしね。

「ダイヤちゃんも和風な美人さんだし」

「い、いま……なんと……?」

 ダイヤちゃんは目をいっぱいに開いて、肩で息を整えてる。

 疲れちゃったのかな?

「えっと、ダイヤちゃんも美人さんだよね、って……」

「くっ、なんというっ! 耐えるのです黒澤ダイヤ。まだ、まだ終われませんわっ」

「……だいじょぶ?」

 お熱がないといいんだけど。

「ええ。わたくしは今、とても幸せですわ……」

「ならいいんだけど」

 顔赤いしなぁ。

「ちょっとごめんね」

 ぴた。

 綺麗な黒髪を指でよけて、白くてまあるいオデコに触れる。

 あれ、これ熱があるような気が、

「……ぴぎぃっ!」

 ぼん。って音がしたかと思うくらいに、いっきにダイヤちゃんの顔が真っ赤になる。

「だ、だいじょぶ?」

「だ、だいやっほー……ですわ」

 ついにダイヤちゃんはヒザをついて、胸をぎゅって押さえつけてる。

 もうこれ、病院に行ったほうがいいような……。

「ノープロブレム、ですわ。……これ以上は心が保ちません。本題に入りましょう」

「本題?」

「ええ。正直に申し上げましょう。わたくしは、あなたのお名前を知っています」

「うん。なんとなくそんな気はしてたけど……」

 ダイヤちゃんは腕を組んで、にやりって笑う。

「さすが、というべきですわね」

「ど、どうも」

「しかし、それは教えて差し上げられません。その役目は……大変遺憾ではありますが、あの子に任せる事にいたします」

「タカミさんに?」

「始めに言いましたでしょう? 見ていられませんの。あなたがこんなつまらない所で右往左往しているのを見るのも。あの子が、らしくもなくうつむいていつもは底抜けに明るい笑顔を曇らせているのを見るのも」

 ああ、この人。

 強いんだ。

「しかしあなたには、ご自分のお名前の他に、思い出して頂かなければならない事があるでしょう?」

「ほかに?」

 ダイヤちゃんは強い眼差しのままで、言う。その瞳は、揺るがない。

「南ことり」

 優しくて、

「園田海未」

 強くて、

「西木野真姫」

 まっすぐで、

「星空凛」

 ひたむきで、

「小泉花陽」

 あったかくて、

「矢澤にこ」

 本物で、

「東條希」

 見守ってくれて、

「エリーチカ」

「ふぇ?」

「もとい、絢瀬絵里」

 うーんと、なんだか可愛いなぁ。

「さあ、ここで問題ですわ。以上の八名と、さらにもう一人。その計九名にて構成された、スクールアイドルグループといえば?」

「……それは」

 みんな、わたしのともだちだ。

 わたしはそのグループを、誰よりも知ってる。

「ミ……」

「っ……!」

 ダイヤちゃんの目が大きくなって、

「……ッドナイトキャッツ?」

 まぶたをぴたりと閉じて、がっくり肩を落とすダイヤちゃん。

「まあ、たしかにあのお二人も激しい競争を渡り歩いてきた猛者である事には違いありませんけれど……」

 そうなんだ。ランキングで名前を見た覚えがあったんだけど、いまどのあたりなんだろう。

 ランキング?

 うん。そう。スクールアイドルのランキング。

 わたしたちが、登録?

 そのときに決めた、名前は?

「うーん。ここまで、ここまで出かかってるの! なんかこう、手を洗いたくなるような感じ!」

「……そこまで出ていて思い出せないのなら、どうしようもないような気がしますわね……」

「えぇ! み、見捨てないでぇ」

「み、見捨てませんわっ! いつだってわたくしは、あなた達を見ていましたもの」

「?」

 また。

 またダイヤちゃんは、いろんな気持ちがこもった表情でわたしを見てる。

「……ぶっぶー、ですわっ!」

 腰に手を当てながら、ダイヤちゃんはおっきな声で言った。

「時間切れ、ですわね。とにかくそのグループには、感謝していますの。彼女達がいたからこそ、今のわたくしがいると言えますわ」

「そ、そんなに?」

 ダイヤちゃんはお祈りをするみたいに両手を組んで、目を閉じる。

「……恋い焦がれるような気持ちで彼女達を目指し、一度は諦めたその道……。それを再び目指す事を決めたのもまた、彼女達あってのものでした。ですからわたしくは、何度でも言いましょう」

 ゆっくりと目を開いて、ダイヤちゃんは微笑む。

 とても、とても優しい笑顔で。

「ありがとう、と」

「ダイヤちゃん……」

「……さて、あの子はどうしているのかしら」

 

   side.S

 

 その人は、防波堤のところに座ってた。

 しいたけはまっすぐにその人の所へかけていって、わたしは息を切らしながらそれを追いかけた。

「って、しいたけぇ。わたしは善子ちゃんっぽいにおいを追っかけてって言ったのにぃ」

 膝に手をついて、汗が流れるあごをぬぐう。

 ふぅ、暑い暑い。

「あらら、見つかっちゃった?」

 背中ごしに声が飛んできた。

 女の人の声。なんだかふしぎな、大人っぽい声。

 帽子の中に髪の毛が押し込まれてるのか、長さがよくわからない。

 パンツルックの脚を海のほうへ投げ出して、ぷらぷらさせてるみたい。

「えっと……」

 気づかれてるみたいだけど……。

 どうしようかな、ってちょっと考えていると、

「おっと」

 ぴょこん。

 女の人の声がして、その体の横から、ちっちゃいなにかが飛び出してきた。

「わ、わたちゃん?」

 わたあめちゃんだ。

 首輪がわりに風呂敷を巻いた、ちっちゃくてかわいいわんちゃん。

 あの松月で暮らしてる、しいたけのお友達。

「あちゃぁ。しいたけってばわたちゃんのにおいを追っかけてきちゃったの? ってー」

 ぴゃ、ってわたちゃんがわたしの隣を走り抜けていって、そうなるともちろん、

「し、しいたけ待って待ちなさいってばぁ!」

 しいたけはそれを追いかけて、すごい勢いで走っていっちゃった。

「あらら……」

 これ、わたしも走って追いかけるのかなぁ。

「あはは。行っちゃったね」

 視線を防波堤のほうへ戻すと、女の人がぺたんってあお向けに、大の字で寝転がりながら、逆さまの顔でこっちを見てた。

「こんにちわ。元気?」

「こ、こんにちわ。えっと、元気……」

 ぐぅってお腹が鳴った。

 ついでに言えば、のどもからから。

「じゃないかもです」

「そ。じゃああなたもここで休んだら? 隣空いてるよ?」

「えっと、でもしいたけ……あのおっきなほうの犬を追いかけないと……」

「今年の夏も暑いから、きちんと休まないとダメだよ。それより私、あなたとお話をしてみたいな」

 逆さまの顔で、女の人は笑う。

 人懐こい笑顔。

「そうですね。わたしもちょっと、疲れちゃったかも」

「そうそう。慌てない慌てない、ってね」

 ごろん。女の人は体を横に転がしてから起こして、隣のところを手でぱっぱってはらう。

 わたしのところを掃除してくれてるみたい。

「じゃあ、ちょっとだけ」

 えへへ。ってわたしはお隣に座る。

 っていうか、裸足のままきちゃったよ。

 でも、そのまま防波堤の外へ足を投げ出すのは気持ちいい。

 青空。

 太陽。

 つい、笑顔になっちゃう。

 そういえば、寝ちゃう前はすごい霧だったのに、すっかり晴れてるんだ。コーサカさんとのおしゃべりに夢中で、あんまり気にしてなかったよ。

「あ、わたし……高海って言います。えっと、お姉さんはー」

「うん。ちょっとお誕生日のお祝いでね」

 あれ? それならひょっとして、

「……コーサカさんのですか?」

「そうだよ」

 お姉さんは、あははって笑いながら答えてくれた。

「毎年お祝いしてるんだ。いつもありがとう。これからもよろしくね。十七歳おめでとう、って」

 親戚の人なのかな。優しそうなお姉さん。

「あなたも、スクールアイドルなんだね」

「あ、はい。そうみたいです」

 って、なんかヘンだよね。よくわからないままだけど、スクールアイドルなのは間違いないだなんて。

「? あ、そっか。そうそう。いやぁ、私も自分の名前が思い出せなくってねぇ。大変大変。ああ、どうしよう!」

 頭を傾けてお姉さんのほうを見ると、頭を抱えるようにしてる。

 なんだかウソっぽいけど、ここにいるのならそうなのかな? っていうかここどこなんだろ。内浦なのに内浦じゃない。だけどどこか懐かしい。

 まるで、

「私ね、音楽をやってるんだ」

 お姉さんは手のひらを、空に向けて開く。

「おん……がく」

 なんだろ、いま、なにか。

「うん。音楽。タカミさんは、音楽好き?」

「すき、です」

 音楽。そうだよ。わたしたちも音楽をやっていたんじゃなかったっけ?

「私らしい音楽。良い音楽。笑顔になれる音楽。そんな音楽ができればいいなって思いながらやってるの」

「……笑顔に?」

「そう。音楽って、聴いてくれる人がいるからできるんだよね。今、私が思っていることを、言葉より強く伝えるために。想いよ届けって願いながら、たくさんの気持ちを探しながら」

「……っ」

 お姉さんの瞳が、わたしを映してる。

 それならわたしの瞳には、お姉さんが映ってるのかな。

「たとえ雨の日だって、胸が苦しくなるような切ないときだって、音楽で誰かと繋がりを感じられたら、素敵だよね」

「はいっ」

 お姉さんの手のひらが、ぐって握られる。

「でも、一人じゃダメなんだ。やっぱり音楽は誰かに聴いてもらうためのものだから」

 まるで空を、つかむように。

「私が見たきらめきが、みんなが見てる日常と繋がって、もっともっと前へ前へって進みたくなるように……。たとえどんなときでも一人じゃないよって、そんなエールを送れるような音楽をしていきたい。これからも、ずっとずっと」

 握ったその手を、また開く。

 わたしも同じように、手を空へ。

 一緒に、手を握る。

「そう。繋がった?」

「つながった……」

 音楽で、繋がる。

「さあ、ここで問題です」

 ちょっと雰囲気が変わって、お姉さんはいたずらっぽく笑う。

「音を楽しむって書いて、おんがく。私がさっき言ったことをうまく伝えるためにする、ひらがななら二文字。漢字なら一文字。さあ、なぁんだ?」

 にこにこしながら、お姉さんはえくぼをつくって笑う。

 ちっちっち、って時間を告げる音までつけて。

 わたしもつられて、笑顔になる。

 笑顔と。

 笑顔。

「……うた?」

「うん?」

「歌……っ!」

「……うん」

「わたしもー」

 胸の奥にあったもやもやが、消えていく。

「歌を、歌うんです! スクールアイドルとしてせいいっぱい、聴いてくれる大好きな人たちのために、まだ会ったことのない、大好きになる人たちのために! たくさん、たくさん歌うんです!」

 そう。

 そうだよ。

「わたしの名前は、たくさんの歌……千に歌で、千歌だから! わたしは高海千歌! スクールアイドルの、高海千歌です!」

 歌いたい。

 声を出して、汗をかいて、踊りながら。

「わぁ、すごいね千歌ちゃん。名前思い出せたんだ!」

 お姉さんは、ぱちぱちって手を叩いてくれる。

「ありがとうございます、お姉さん! お姉さんのおかげです」

「いえいえ。若い子を見ると、応援してあげたくなるんだよねぇ」

 ふふ、ってお姉さんは笑う。

「えっと、なにかお礼をしたいんですけど……ああ、なんにもない。どうしよ……あれもないし」

「あれ?」

「あ、はい。本当はそれを取りにお友達を探してたんです。うちの地元といえばー」

 わんわん。

 わん。

「あ、わんちゃんたちが戻ってきたみたいだよ」

「?」

 最初のときのお姉さんみたいに、わたしも頭を上に向けて見る。

 あ、しいたけだ。走ってる。

 そのしいたけが、どんどん大きくなって、

「ちょ、しいたけストップ!」

 寸前でしいたけは止まって、顔のもふもふがおでこにちょこちょこ触れる。

 その股の間から、わたちゃんがとことこ走ってくる。

「ん?」

 かおり。

 わたしの知ってる、甘酸っぱいかおり。

「わたちゃん、それって……」

 わたちゃんの首に巻かれてるはずの風呂敷がなくて、ちっちゃい背中に巻き付けられたそれは、ちょっと膨らんでる。

「ひょっとして!」

 ぐるんって体を回して起こす。

 わたちゃんの頭を撫でながら、風呂敷を外させてもらって確認すると、

「やったぁ!」

 みかんが入ってた。

 そこに一緒に、黒い紙が入っていた。

「……?」

 お手紙かな?

 

 ヨハネはこの『果実』が好きではないの。

 

 だって。

「ヨハネちゃん? 善子ちゃん? これだとどっちかわからないけど、まあいっか。もらっちゃおう」

「んん? なになに?」

 お姉さんも体を起こして、楽しそうにのぞき込んでくる。

「みかんです! わたしの住んでる内浦のみかん! もらいものでわるいんですけど、食べて下さい!」

「うわ~い、ありがとっ! それじゃ早速……」

 手渡したみかんを、お姉さんはすぐにむいてぱくり。

 白いとことか気にしないんだ。よかったぁ。

「ん~……っ。甘くて、ちょっと酸っぱくて、おいしいっ!」

 目を閉じながらそう言うお姉さんを見て、わたしもごくりってのどが鳴る。

「わ、わたしも……」

「こらこら。千歌ちゃんはそれを、渡したい人がいるんでしょ?」

「う、うぅ。そうでした」

 これはコーサカさんへのお土産だから。

 つらいけど、我慢しよう。

「……私もちょっと、お願いしてもいい?」

「はい?」

「私がさっき言ったこと、覚えている限りでいいから、あの子にも伝えて欲しいんだ」

 お姉さんは、柔らかく微笑みながら、そう言った。

「? 自分で言わないんですか?」

「んー。ちょっと顔を合わせづらいというか、なんというか……。ダメ?」

 うーん。ちょっと困ってるみたいだけど、

「いやです」

「意外ときっぱりだねっ!?」

 がくって肩を落とすお姉さん。

「だってそれじゃ、お姉さんの言葉じゃないですよ。こんなに近くにいて、伝えたい言葉があって、そんなのもったいないです」

「うー。おっしゃる通りで……でもなぁ」

 もじもじするお姉さん。

 かわいい。

「大好きだったら大丈夫、ですっ!」

 わたしが言うと、お姉さんはきょとんとした顔をして、

「あはっ。そうだね!」

 一緒になって笑う。

「それじゃ、私はここでこのみかんをゆっくりいただいてから行くから。千歌ちゃんはそれを、あの子に早く届けてあげて」

「はい。そうします。じつは我慢してますけど、わたしもすんごい食べたいんです……」

 しいたけみたいによだれが出ちゃいそう。

 お姉さんは笑顔のままで、

「それじゃ、またね。千歌ちゃん♪」

「はい。また!」

 ちょっとだけ名残惜しいけど、わたしは立ち上がって走り出す。

 大好きなみかんを、あの人に届けるために。

 

   side.F

 

「だからエリちゃんはね、わたしたちのことをずっと助けてくれてたんだ。ちょっとだけ、素直になれなかっただけで」

「生徒会長という立場がそうさせていたのですわね。絵里さんのその気持ち、痛いほど良く分かりますわ……」

 タカミさんが戻ってくるまで、船の影でお喋り。

 ダイヤちゃんにエリちゃんのかわいいところを話してあげると、とても楽しそうに笑ってくれた。

「とても貴重なお話でしたわ! ああ、どうにかしてわたくしに伝えて……ではなくて、大変申し訳ないのですが、わたくしこれから妹のところへ向かわなければなりませんの」

「え!? ……そう、なんだ」

 またちょっとの間、ひとりかも。

 そう思ったら、なんだか不安になってきちゃった。

「ど、どうかそのような顔をしないで下さいまし。あの二人に顔向けできませんわ」

 二人?

「……大丈夫ですわ。ほら、けたたましい声が、聞こえませんか?」

 わんわんっ!

 ……まぁてぇ! しぃたけぇ……!

「あはは。タカミさんの声だ」

「ええ。姿が見えなくとも分かります。取り戻したようですわね」

「……名前を?」

「ええ。さて、あの子を驚かせてあげるといたしましょうか」

 そう言って、ダイヤちゃんは転がってた棒を拾う。

 お習字をするみたいに棒を持って、正座まで。

「……」

 制服のスカートから出てる太ももが、つるんとしてて、やわらかそう。

「……なにか?」

「ううん。なんでもないよ」

 ひざまくら……。

 とにかくダイヤちゃんは、さっきまでとちょっと変わって、とても真剣な表情。

 弓を持ったときの海未ちゃんと似てるかも。

 そして、ダイヤちゃんはすらすらと砂浜に文字を書いていく。

「千に歌と書いて、高海千歌。これがあの子の名前ですわ」

 うわぁ、うまいなぁ……ん?

「へ? ……うぇぇっ!? き、聞いちゃっていいの?」

「もちろんですわ。ですから、どうかあの子をそう呼んであげて下さい。……それが何よりも、千歌さんへの贈り物となるでしょうから」

「贈り物……? あ、そっかお誕生日だ!」

「ええ。いつも貰ってばかりのわたくしからの、これ以上ない贈り物ですわ」

「? でもでもっ。わたしが名前なんて呼んでもー」

「どうか!」

 わたしの言葉をさえぎるように、ダイヤちゃんは大きな声で言った。

「……どうか今だけは、ご自分に自信を持って、そうして頂きたく……」

 ダイヤちゃんは正座のまま、頭を深く下げようとする。

「ちょ、ちょっとダイヤちゃん!? それはダメだよ!? わかったから! わかったからぁ!」

「では、よろしくお願いいたしますわ」

 あぁ、びっくりした。

 三つ指をつくってやつだよ。

「それではまた、どこかでお会いいたしましょう」

 ささって地面を撫でてきれいにする。

 す、って静かにダイヤちゃんは立ち上がって、今度は軽く頭を下げる。

「うん。またね!」

「……ええ」

 ふわりと笑って、ダイヤちゃんは反対を向いて、歩き出す。

 歩き方も綺麗。

 海未ちゃんの日舞の足運びに似てるかも。

 エリちゃんとも会いたがってたみたいだから、またどこかで会えるといいなぁ。

 

「あれ? ダイヤちゃんどしたの? 帰っちゃうの?」

「ええ。あなたは……もう大丈夫のようですし。ルビィが、待っていますから」

「そっか。んじゃこれどーぞ。わたしは高坂さんとお喋りしながら食べる〜」

「あなた……。ええ、ありがとう。また、いつもの場所で」

「うん!」

 

 そんなお話し声が、風に乗って聞こえてくる。

 やった。なにか食べ物持ってきてくれたんだ。

 夢中になってお喋りしてたから忘れそうになってたけど、お腹ペコペコだよ。

「と〜うっ!」

 ざ、って高海さんが、船の上から飛び降りて登場する。

「おかえり!」

「……うん! ただいま!」

 一緒に笑う。

 高海さんの笑顔は、なんだか安心する。

 あ、そうだ。名前を呼んであげないとだった。……早速のがしちゃったかな? いやいや、きっともっといいタイミングがあるはず。

 でもでも、初対面でいきなりなんて……って、ダイヤちゃんは最初からダイヤちゃんだったばっかりだよ。

 うーん。はじめに名字で呼んじゃうと、なんだかくすぐったいなぁ。

「高坂さん、どうかしたの?」

「う、ううん。なんでもないよ」

「ふふふ。じゃぁん! こんなものしかあげられないけど、プレゼントです!」

 こ、これは!

「みかんだぁ! うわ~い、ありがとっ! それじゃ早速……」

 もらったみかんを、すぐにむいてぱくり。

 白いとことなんて気にしないよ。

「ん~……っ。甘くて、ちょっと酸っぱくて、おいしいっ!」

 じゅわってはじけて、口いっぱいに広がる。

 のどもかわいてたから、本当に助かっちゃった。

 くすくす。

「?」

 高海さんが、我慢するみたいに笑ってる。

 なんだろ。なにかヘンだったかな?

「ううん。なんでもないよ。さっき会ったお姉さんが、おんなじこと言ってたなって」

「? お姉さん?」

「うん。あのね、そのお姉さんのおかげでわたしー」

「わあぁぁ!」

 って、叫ぶ。

 名前を呼んであげなくちゃなんだってば! いまのそれっぽかったよね?

「!? え? え? なに?」

「な、なんでもない……」

 ごまかせたかな……?

「なんでもなくなくない?」

「なんでもなくなくなくない!」

「なくなくなくない?」

「なくなく……ない?」

 ヨクワカンナイ!

「「……ぷっ」」

 あはは。

 二人で顔を近づけて、笑う。

 そして。

「……お誕生日、おめでとう。千歌ちゃん」

「ほぇ?」

 高海さんは……ううん。千歌ちゃんは、目をまんまるにしてぽかん。

 動かないでいると、みかんみたいかも。

「……あ、ありがとうございます! な、なま、名前? なんで? え? えぇ?」

「えっと、こんなのでも嬉しい?」

「う、うれしいです! だって、だって……っ」

 千歌ちゃんは唇を震わせて、ぐってそれを噛んでくちを閉じた。

「こんなの……うれしいです……」

 はらはら。そんな風に、自然と千歌ちゃんの瞳から涙が流れていく。

「高海千歌……うん。素敵な名前だね。高い空に、広い海! この綺麗な景色とぴったり! こんなに気持ちがいいと、歌いたくなってきちゃうよね」

 こくこく、って千歌ちゃんがうなずく。

「……はいっ。でも、本当はもっともっと綺麗なんです。わたしたちの海は、どこまでだって続いているみたいに……!」

 ああ、よかった。

 千歌ちゃんももう、戻れるんだ。

 だから、泣いちゃってるのかな。

「そっか。見てみたいなぁ。本物」

「き、来てください! わたしなんかで良ければ、案内しますから!」

 ぐいって涙を拭って、千歌ちゃんは笑う。でもその瞳は、わたしの顔を見て、またすぐに涙でいっぱいになる。

「ち、ちがうんです。あれ? へんなの、なんでかな……」

 強がる姿が可愛くて、だけどちょっと、可愛そうでもあって。

「……えいっ」

 って、わたしはもらったみかんをひと切れ、千歌ちゃんの口に放り込む。

「むぐっ!?」

 びっくりする千歌ちゃんを、そのまま思い切り抱きしめる。

「美味しいね、みかん。一緒になにかを食べて美味しいって笑えるのは、とっても嬉しくて、楽しいよね」

 ぎゅって、もっと強く抱きしめる。

「はいっ……」

 こんなことしかできないけど、しないよりはずっといいよね。

「……いいんじゃないかな。泣いちゃっても」

「……っ」

 千歌ちゃんの息がふって聞こえる。

「ほら、みかんが酸っぱくて泣いちゃってもいいんだからさ」

「高坂さん……わたし……あなたにっ……」

 千歌ちゃんの肩が震える。

 おそるおそる上げられた手が、わたしの背中に回されて、わたしと同じくらいに強く、力がはいる。

「わたし……わたし……」

 言葉にならないけど、千歌ちゃんの胸の熱さが伝わってくる。

 うん。そうだね。

 

 きっとそろそろ、お別れなんだ。

 

   side...

 

 そのとき。

 歌が聞こえてきた。

 どこかで聴いたことのある歌声。

 わたしたちはもう、帰らなきゃいけない。いつもの場所で、みんなが待っているから。

 それを祝福してくれるような歌。

 喜びを。

 期待を。

 感謝を。

 そんな素敵な気持ちを歌詞に乗せた歌。

 歌っているのは。

 あの人。

 強く強く、歌声は胸に響いてくる。

「千歌ちゃん、わたしもね。名前、思い出したんだ」

「っ……」

「みかんもらったときに、ぴんときちゃった」

「くだもの」

 果物。

「うん。思い出したら、色々わかることもあったりして、だけどいま大事だなって思ったのは、あなたともっとお話したいって気持ちだった」

「そんな……」

 首をふる。

 二人して。

「千歌ちゃんが、わたしになにを見てるのかまではわかんない。でもね、わたしとおんなじで、お話したいことがあるんだなっていうのはわかるの」

「でも、もう時間が……っ」

「だね。だからさ、歌おうよ」

 歌声は続いてる。

 不安も。

 後悔も。

 涙だって。

 そういうのを全部ひっくるめて、歌は気持ちを届けることができるはずだから。

「わたしはっ! こんなに普通なわたしでも……憧れた人たちみたいに輝けるんだって、みんなに伝えたい! ただ助けてもらうんじゃなくって、あったかいみんなに助けてもらいながら、わたしたちの歌で……っ!」

「わたしは……学校を守りたいんだ。お母さんやおばあちゃんが大好きだった、わたしたちも大好きで、その先の子たちもきっと大好きになる学校を。わたしたちの想いを乗せた歌で……。後悔はしたくないからっ!」

 こつん。

 目を閉じて、おでことおでこを触れ合わせる。

 熱い。

 心も。

 体も。

「いまはまだダメかもしれない。けどっ」

「想って願うだけは、もうおしまい」

 目を開く。

「ねぇ千歌ちゃん。わたしの名前、呼んでくれる?」

「~……っ。……穂乃果ちゃ……んっ!」

「うん。ありがとう、千歌ちゃん」

 一歩。

 一歩一歩。

 そうやって前に、進んで行くんだ。

「「かなえ……」」

 わたしたちは、とっても素敵な笑顔で笑えてる。

「「わたしたちのっ……!」」

 

   side.S

 

「ふふふ……」

 わたしはそんな風に笑って、ベッドから体を起こした。

「ふふふ。……あ~! いい夢だったぁ!」

 今日はわたしの十七歳のお誕生日。

 そんな日の朝に、まさかあんなに素敵な夢が見られるなんて!

「えっと……ほら、あれだよ。……おぉ? ちょ、ちょっと待った! 逃げるなわたしの記憶!」

 なんだっけ?

 わかんない。

 わかんなくなっちゃった。

 でも。

 胸のどきどきがまだ、続いてる。

 それくらい嬉しい気持ちがまだ残ってるのに、だんだんそれが薄れていくのがわかる。

 ちょっとだけ悲しいけど、それ以上にもう胸が幸せでいっぱいで、いまはその気持ちだけで笑顔になれちゃう。

 障子から漏れてくる光。

「シャイニーっ! なんちゃって」

 すぱん、って障子を開く。

「わぁ、びっくり。あら千歌ちゃん、おはよう」

「志満ねぇ? うん! おはよう!」

 志満ねぇがにこにこ笑ってた。

「みんな来てるわよ。起きたら外に来てだって」

「外に?」

 なんだろ?

「また後でお祝いはするけれど、お誕生日おめでとう」

「今日で千歌も十七歳だよっ!」

「ええ。お姉ちゃんも嬉しくなっちゃって、プレゼントとはまたべつなんだけれど、これ」

 がさり。

 志満ねぇが後ろに隠してた袋を持ち上げる。

「ん? なあに?」

「東京のお土産よ」

 受け取って中をのぞき込むと、

「あぁ! ほむまんだ! 穂むらの!」

 あの穂乃果ちゃんが食べて育ったっていう、おまんじゅう。

「貰ってもいい? みんなと食べるから!」

「ええ、もちろん。お茶も用意しておくから、後でみんな呼んでいらっしゃい」

「ありがと、志満ねぇ! 美渡ねぇ食べちゃダメだからねっ!」

 っておっきい声で言ってみると、

「うっさいバカチカ! 誕生日だけは見逃してやるよ!」

 美渡ねぇの返事。

「だけってなに!? 千歌のケーキも勝手に食べちゃダメだからねっ!」

「いいから行ってこいうるさいな! みんな外で待ってるぞ。腐ってもリーダーなんだろ?」

「腐ってないし! もうっ!」

 大急ぎで外に出る。

 今日くらいは裏からきちんと出ようかな。

 はやる足を落ち着かせながら、海へ。

「みんなお待たせ……って」

 空と海はいつもどおり。

 いつもどおり、すごく綺麗で、どこまでも続いているような、どこまでだって行けるような。

 ちょっとだけちがうのは、砂浜。

 そこには文字が書いてあった。

 

 HAPPY BIRTHDAY CHIKA

 

「わぁ……! ありがとう、みんなっ!」

 

   side.F

 

「うひゃぁっ!」

 がつん。

 思い切り床に頭をぶつけた。

 ベッドから落っこちたみたい。

「いったぁぁい!」

 カーペットの上でごろごろ転がって、悲鳴をあげる。

 ごん。

 今度はすねをテーブルでぶつける。

「も~なんなの! いたいよ雪穂ぉ!」

「うるさいよ! お姉ちゃんってばいま何時だと思ってるの!」

 バタン! って乱暴にわたしの部屋の扉を開いて、雪穂が言った。

「うぇぇん雪穂ぉ! 痛いよぅ! なぐさめてぇ!」

 あおむけになったまま雪穂のほうへ近づくと、目を細くして嫌な顔をされちゃった。

「きもちわるっ! もう、十七歳になる人がなに甘えたこと言ってるの!」

「ほぇ? あれ? そうだっけ?」

 誕生日?

 今日だっけ?

 そういえばそうだったような気がする。

「寝ぼけてるの? っていうか、やっと起きたんだね。もうみんな待ちくたびれてるよ」

「みんな?」

「そう。残念だったねお姉ちゃん。みんなからのプレゼントは、『いくら寝坊しても今日だけは寝かせておいてあげる』って優しさだってさ」

「それはあんまりだよ!?」

 う、海未ちゃんだったらやりかねないかも……。

「ケ、ケーキは!? いまのお姉ちゃんなら、ろうそく十七本どころか百七十本くらいは一息で吹き消せる自信があるよ!」

「もぉ~。ちゃんと用意してるってば。っていうか、みんながケーキ用意してきちゃっていっぱいなんだけど。お父さんも今日だけはとか言って、和菓子じゃなくてケーキ作っちゃってたし」

 ケーキがたくさん!?

 もうそれだけで十分だよ!

「食べる! ぜんぶ食べるからだいじょぶ!」

「いやダメだよ! ぜぇっっったい太る! わたしも手伝うけど巻き込まれるのはイヤ!」

「って、こんなことしてる場合じゃないよ! 待っててケーキ! じゃなくってみんな! いま行くよっ! ……っと、雪穂もありがとねっ」

「わぁ! ちょっとお姉ちゃんってば! ……もうっ」

 雪穂のほっぺたにちゅってして、階段を大あわてで降りようとして、

「んん? ちょっと待った! 雪穂からなにか甘くて美味しそうなにおいが……」

 振り返ると雪穂がほっぺに手をあてて照れた顔をしてる。かわいい妹。大好きな雪穂。

「あー。えっと、いいのいいの。これはなんでもないから」

 雪穂は目をそらしながら、口を隠す。

 甘いよ雪穂。お姉ちゃんはそんなんじゃ騙されないよ!

「なんでもなくなくない! 美味しそうなにおいしたもん! 甘酸っぱいにおい! 言わないともっとちゅっちゅするよ!」

 唇をとんがらせて近づくと、

「ひぃっ、恥ずかしいからやめて! ……えっとね。わたしが用意したやつなんだけど、みんなのケーキみてたらやっぱり普通で地味だから恥ずかしいし、ひとりで全部食べちゃおうかなって……」

「……」

「いや、だってさ。見た目が綺麗じゃないと格好悪いじゃん? 見た目って大事だと思ったよー。ほら、なんでもそうだよね?」

「……そんなことない」

「お姉……ちゃん?」

「っていうかお姉ちゃんのために用意したんならそれはもうお姉ちゃんのですぅ! だからひとりじめなんてダメだよ!」

「やっぱりただ食べたいだけじゃん!?」

「美味しいんでしょ!?」

「う、うん。美味しいよ……」

「それは、どんな感じで?」

「みかんが入ったパウンドケーキなんだけどね、見た目は普通なんだけど、ふんわりみかんの味が口の中に広がって、すっきりした甘みで、つい笑顔になっちゃうような……!」

 いつもはおとなぶってる雪穂が、とろんとした笑顔で話してるのを見てると、ついよだれが出そうに……じゃなくって、嬉しくなる。

「やっぱり美味しかったからひとりじめしようとしてたんじゃん! おとなしく出しなさい!」

「わ、わかったよぉ」

 そうそう。

 見た目も大事かもしれないけど、それだけじゃダメだよね。

 ちゃんと中身がしっかりしてて、それを知った人がみんな笑顔になれるのが一番だよ。

 雪穂と二人で階段をおりる。

 そして、みんなが待っているところへ。

 ぱん!

 ぱんぱんぱん!

 そこで待っていたのは、たくさんのクラッカーの音と、大好きなみんなの笑顔。

「あはっ。ありがと、みんなっ!」

 

   みかんとオレンジ ~NEXT PHASE~ 了


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