No.850374

自己増殖性ラビュリントス 08「不敵」

「もし、深秘録参戦者以外がオカルトボールを手にしたら」というifをもとに描いた、東方深秘録のアフターストーリー的連作二次創作SS(SyouSetu)です。
鈴仙の深秘録参戦が発表されたりしましたが、このおはなしはフィクションのif世界なのでこのまま突っ走ります。

!注意!
このSSは一部の幻想住人にとってアレルゲンとなる捏造設定や二次創作要素がふくまれている可能性があります。

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2016-05-30 00:21:24 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:917   閲覧ユーザー数:915

08 不敵 -Dauntless-

 

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 ――それは極めて微細な異変。否、異変とすら表現できぬ、事象未満の違和感のたぐいであった。それがかえって、彼女には看過できぬものであった。

 

 空間を満たす静寂。何人たりともが土足で踏まぬ泡沫(うたかた)(そら)。ここには全てがなく、何もかもがある。冷え切った空気のなかで、研ぎ澄まされた感覚。この空間、この世界すべてが彼女の柔肌であり、たとえ羽虫1匹のおこす羽ばたきの風でさえ、それの(もたら)す微細な原子の振動その一ツひとつに至るまでを正確無比に観測し得るだろう。天才的な空間管理者(アドミニストレイター)は僅か1名にして、その探知力はラプラスの悪魔さえも凌駕し、その防衛力は百万の軍勢にすら相当する。

 第四槐安(かいあん)通路、通称"アポロ経絡(けいらく)"。ドレミー・スイートが根城にする"夢の世界"の一部にして、幻想郷と月都を直接連絡する数少ない抜け穴のひとつでもある。それゆえ常に一定以上の索敵網が張られるこの経絡であるが、現在は少しばかり事情が異なる。都市伝説(オカルト)大戦の勃発、並びに"賢者達"の行動開始をうけ、ドレミーは自らのアドミニストレイター権限においてアポロ経絡を完全封鎖。同時に経絡内部の索敵感度を平時の5倍程度にまで引き上げた。これは戦時における作戦行動中に相当する。

 彼女がこれほどまでに月面への接触を遮断する理由は唯の一ツにすぎない。即ち、盟友稀神サグメとの絶対不可侵協定である。ドレミー・スイートは都市伝説大戦の詳細などは露ほども知らぬ。稀神サグメの関与、その有無さえ一切を知らぬ。知らぬからこそ、決して知らせぬ。探らせぬ。これは矜持である。おのれを夢の支配者と見定めて疑わず、おのれの位階において、相応とすべき行為のみをただ遂行する。そこに善悪はなく、私情もなく、あるのは絶対の使命のみだ。

 

 その異常ともいえる警戒網にかかった、違和感とすら言えるかも危うい極小の反応。それは極度の緊張状態にあったドレミー・スイートの逆鱗をざわわと優しくひと撫でし、たとえようのない不快感と、拭いようのない嫌悪感をもたらした。

 ――誘っている。何者かが、極めて微細な影響力で、この世界を揺さぶっている。ドレミー・スイートはこれを宣戦布告と看做し、誰もいない眼前へスペルカードを掲げた。

「夢符『刈安色の錯綜迷夢』――いいでしょう、どこの誰とも知らない遊び人(プレイヤー)さん。なるべく早く、貴女の顔を見に行くわ」

 

 

 ● ● ●

 

 

 ――まず前提としての知識を共有しよう。世界はすべてが必然である。世界に偶然という概念はそも、存在しない。偶然に思える事象があるとすれば、それは錯覚にすぎない。観測の可能/不能という差こそあれど、すべての事象は決定論的にあつかわれるべきなのだ。さいころの出目は乱数(ランダム)だろうか?否。さいころを投擲したさいの力加減、手を離したさいの角度、卓に当って跳ねるさいの入射角・卓/さいころの持つ弾性・摩擦・重力加速度・空気抵抗・付着した手汗手垢その他の微細物質がもたらす追加質量・ほか多数。これらすべての力学的パラメータを複合した結果として、正六面体に近い形状をもつ個体が、六面のうち一面を下につけて静止状態となる。投擲された瞬間から、あるいは投擲されるより前に、さいころの出目は完全に確定している。ただその正確な観測ができないために、予想外の出目が上をむいて見えるというわけだ。観測者は完全な観測ができないために、それを想定外の事態として、偶然であるものと錯覚する。あるいは、偶然であるとして扱う。偶然は、不完全な観測がうみ出した見かけの力である。向心力に対する遠心力と同じように、必然に対する偶然とは、観測するのにつごうのよい概念をでっちあげているにすぎない。いま我々が何をしているかを説明するために、まずはこの概念を理解してもらう必要がある。

 

 さいころの出目は必然である。必然であるとは、即ち元凶となる乱数のシードが存在しているということだ。それはさいころを振る力加減であったり、その力加減を制御する自律神経であったり、その自律神経を左右する環境であったりだ。これはあらゆる事象に対して共通である。先刻発動したスペル、『ジェネレイト・ランダマイザ』はこれを対象にとり、特定事象のシードとしてふるまい得る諸要素をごく僅かに変異させ続ける。たとえばほんの少しだけ、風力計に感知されないレベルの風を吹かせる。または、ほんの少しだけ弾性を変化させる。そうしたごくごく微細な変化を空間全体に対して、継続的に加えていく。これにより、その世界で"偶然とされる事象"の傾向が、僅かばかり変調してゆく。そうして、全く別の運命ができあがる。

 これを観測するのが全くの愚者であり、偶然という事象が実在していると妄信しているような感覚主義者であったならば、なんら影響をあたえることができないはずだ。だが我々は確信している。敵は、ドレミー・スイートは愚者などでは決してない。

 

 我々夢幻姉妹はいま、ドレミー・スイートの根城とする第四槐安通路との境界が幻想郷内で最も薄いポイントに陣地をつくり、これを攻略せんとこころみている。これはいわゆるセキュリティ・ホールのたぐいではない。ドレミー・スイートほどの傑物――余り認めたくはないが、空間操作という一点において比較した場合、奴の能力は我が才気をわずかばかりに上回るだろう――が、明白なほどのセキュリティ・ホールを放置するはずもない。今回はそれがある一側面においては災いし、だが別の一側面においては幸いとなった。第四槐安通路と幻想郷との接点は、いわば均等な厚さをもつ装甲だ。もし装甲のうち、特定の部位が薄いのであれば、そこを重点的に警戒すればよい。攻める側にとって、こちらが有効打を与えうる位置を知られることはうまくない。だがドレミー・スイートの用意した装甲は理論上、均一だ。

 均一であるといってもそれは理論上のことである。何がしかの作用が積み重なり、ごくごく微細な厚みの差異というのは生じるものである。それゆえ予測が困難だ。事実、こんなにも変哲一ツ感じられない雑多で不変的な森の一角がその場所だったのだ。夢幻世界の内側から丹念に走査したのであるから、ここで相違はないはずだ。やろうと思えば当然内側からの観測は可能だろうが、攻め込むものがこれを観測し、ここに攻め手を絞るという好事家(ギーク)まがいの行為をする可能性は――当事者である我々がこう表現するのも少々憚られるが――極めて低いといえるだろう。そんな可能性にすがって警備を偏らせるような愚行はよもや犯すまいし、もし仮に我々の行動をすべて先読みして備えてくるのであれば、それならばかえって光栄というものだ。そうまでして最も薄い場所を狙うものだという信頼をうけているということになる。ならば全力で応えるのが攻め手の礼儀といえよう。何れにせよ、均一強固な装甲のお陰で、攻めたい場所に警戒を集中される懸念がないのはありがたいものだ。

 

 我々がいま何をしているのか?先の問いに対しここで明確な解答を述べよう。我々は智慧くらべをしているのだ。どこまで相手の世界を侵し、あるいは、侵される前に尻尾を踏むかの智慧くらべをおこなっているのだ。

 弾幕ごっこにしろ何にしろ、世の勝負ごとは突き詰めれば頭のよいほうが勝つ。それは懸命なる我が好敵手、ドレミー・スイートも重々承知しているはずだ。今にも結界を突き破って殴りかからんとする愚姉をなだめて、この私が最前線に立つ以上、このたたかいは机上論ですら完結し得るゼロサム・ゲームにしかなり得まい。完全に理想化されたゲーム盤の上に、私と奴の(タッタ)二人、互いの手の内をすべてあばき出し、すべてがやがて零に収束する利と害との奪い合い。私は恐々と卓につき、賢者の仮面で顔を隠した匿名希望(ポーカーフェイス)祈り手(プレイヤー)。弱者の祈りはかくも儚く、やがて私が零を押し付けられゲームは幕を閉じるだろう。それが私と奴のあいだに横たわる、絶対不変の必然である。

  

「姉さん、里の動きは」

「まず一戦、引き分け。豊聡耳神子(逆モヒカン)十六夜咲夜(リアルメイド)に逃げられた」

「存外早いね、好都合。さて、こっちも少々攻めていこうかしら」

 

 その運命(アルゴリズム)を根底から崩す。『ジェネレイト・ランダマイザ』は文字の通りにその布石だ。必然を偶然に変えるのではなく、必然を、別の必然へと掠め取る。そのための智慧くらべを、我々はいま、おこなっているのだ。

 

 

 ● ● ●

 

 

「オイオイオイ、何だァこれは……」

 里近くの崖までたどり着いたマミゾウと鈴仙が見たのは、紅色のシロップを満遍なく被せた氷菓子じみた、里の上部を覆い尽くす霧のかたまりであった。さしずめ氷菓子のカップにあたる外壁にこんもりと盛られ、この時期にはいかにも清涼感があって快適そうであるが、実際の最中はそうでない事は近寄らずとも明白であった。鈴仙は目を見開き、双眼鏡越しに霧を分析する。

「マミゾウさん、ちょっとこれヤバいですよ……一体何が」

「これで何が、ってえのはズレた疑問じゃねえかのう。何であれ、こいつァ日陰者のやる事にしちゃチト度が過ぎてるぜ……なァ嬢ちゃんよ、肝冷やしの牛の首(ごっこ)とはワケが違うぞ。下手を打てば洒落で済ません実害が出る……イヤ、ひょっとするともう出てるんじゃあねえのかこれは……?どうじゃ優曇華院、毒性はどの程度になるか」

「致死性の効果があるふうには観測できません。少なくとも、人体に有害ではあります。ただ直接命を奪うタイプの毒じゃあない……おおかた原液じみた高濃度魔力のカタマリに、大雑把に甘ったるい香料でも混ぜ込んだような、かなり雑なしろものでしょう。そりゃあ常人がそんな魔力をとりこめば、身体機能に変調をきたすにきまっている。でもそれはこの毒だから、とかの問題じゃあない。酒でも薬でも、水でも空気でも放射線でも恩讐怨嗟でも同じです。人体に何かしら影響があるモノをふだん以上にとりこめば、何だって毒になる。逆に我々のような形而上の利害でうごく人外のたぐいには、最初から毒としてさえ機能しない。形而上の害意がないからです。完全に人間のみをターゲットに、吐き気でも眩暈でも何でもいいから体調不良を付与するためだけの、極めて原始的かつ簡素な"劇物"です。

 ただ……あんまりにも、ええ。これでも私は薬剤師の端くれですけれど、医学薬学を多少なりかじった者からすれば、これはかえってゾッとする"劇物"ですよ。いっぱしの薬剤師が持ちうる良心――イイエ恐怖心じゃあ、とうてい調剤できるモノじゃあない。何せ何一ツ、この劇物には定まった目的がないんですよ。人体っていうのは複雑怪奇ですから、一個の目的を定めてさえ、副作用が山ほど出てくるわけです。こんな無軌道なものを不特定多数にバラ撒いて、不足の事態が起きないなんてそれこそ奇跡か陰謀だ。ただでさえ最近は都市伝説騒動のながれで魔力のカタマリが里を頻繁にウヨついてましたから、いちど濃い魔力に浸った人間がアナフィラキシー・ショックのような症状を引きおこす可能性だって充分ある。マトモな恐怖心が作用しているやつが生みだせるしろものじゃあ断じてないですよ」

「なる程。要するにタガの外れた莫迦者(ばかもの)か、タガを外した婆娑羅者(ばさらもの)か……、まあ後者だろう。あの嬢ちゃんは婆娑羅じゃあるが莫迦じゃあねえというのが儂の見立てであるからな。つまり余程の事態……まァ多少なりの予測はつくがよ、ちゅう事はだ。どっちに転んでもクソ面倒だということだ」

 マミゾウは忌々しげに舌打ちする。その横顔に、いつもの飄々とした余裕は感じられない。ただ怒りとも違う、悔しさを含んだような、如何ともし難い案件に臨まねばならぬ覚悟のようなものが感じられたので、鈴仙は何が何ともわからぬままに、己の知らぬ領分における事態が極めて切迫していることを推察した。"嬢ちゃん"とは十中八九、紅魔の主であるだろう。マミゾウは既に、あれらと同等の域にまで達しているのだ。鈴仙は底なしの井戸を覗いたような恐怖を覚えたが、すぐに現状の切迫を思い出し、忘れることにした。

 

 紅魔王の暴挙。奴は博麗に真向から喧嘩を売るような莫迦ではない。特にここ最近の人里は博麗と妖怪にとって火薬庫といっていい。ここに手を出す事態が如何なることを意味するか、マミゾウにはおおかた予想がついていた。用もなく火薬庫のまわりで大騒ぎをする莫迦はいまい。ならば、得られる回答は至極明快だ。

 ――火薬庫のそばで火がついたのだ。奴は火消しに慌てふためいておるのだ。妖怪の覇権争いではない。妖怪でないものが、里の覇権に手を出そうとしているのだ。なる程それならば話に筋が一本通る。用もなく火薬庫で騒ぐ者はまさしく莫迦だといえるだろうが、火のついた火薬庫をみて騒がぬ者はもっと莫迦だというだけだ。

 どうも事態は思った以上に深刻だ。奴が火消しをしくじろうと、盛大に火消しを成功させようと、どちらにしたって大爆発は避け難い。博麗がどう動くかも重大な懸念だ。どうにか始末をつけねば、里は妖怪変化の食い扶持だ。可及的速やかに目的を洗い出すと共に、被害を最小限に抑えねばならない。

 

 ――そこまで思い至ったところで、ガツンと後頭部を一撃ぶたれるように大きな悲鳴が、マミゾウと鈴仙の鼓膜を叩いた。

「オーイ!大変だ大変だーッ!……って、は!?何だこれ!?ウワッ!ギャーッ!」

 空中でいかにもブレーキ音まで聞こえてきそうな大仰なドリフトをかけ、マミゾウらの背後上空より斜め45度の急降下軌道から右脚で地面を削るように着地したその白黒の人間は、どうも慣性を殺し損なったのだろうか、石もないのに蹴躓(けつまず)いて箒から投げ出され、ちょうどマミゾウの足下へ、顔面からベタンと地面に突っ込んだ。

「……って、魔理沙さん!?」

「おーい、お前さん何しちょるんじゃ。生きとるかー?」

 急降下爆撃のごとく着弾した霧雨魔理沙は数秒ばかしピクリとも動かなかったが、ふいにガバリと飛び起きて、周囲をキョロキョロ見渡したと思えば、すぐにマミゾウらを発見し、涙声になりながら慌てふためいて飛びついた。

「たたた大変なんだ!霊夢が!霊夢が倒れて動かなくなっちまったんだ!」

「――はあァ!?」

 

 

 ● ● ●

 

 

 それはマミゾウと鈴仙が、結託してナズーリンを下したのとほぼ同時刻であった!

 

 太陽も真上を過ぎ、小腹のすいた折。いつものように博麗神社にお茶とお茶菓子をたかりにきた霧雨魔理沙がフンワリと着地すると、いつものように縁側でお茶を飲んでいる博麗霊夢の気だるい声が――しない。がらんと誰もいない縁側はシンと静まりかえり、ちょうどこの時間帯の太陽光を本殿が大きく遮るかたちであるので、じめじめした軒下の冷めた空気と日陰のつくる寒色系の風景とが混ざりあって、どうにも不気味さがある。ふだんであれば紅白の暖色が、お茶の熱気とあわさってちょうど中和されているため、良いつりあいになっていたのだ。陰陽の均衡を欠き、陰にのまれた風景が、なんだか厭な不安感をあおりたてていた。なる程、夏の怪談のたぐいとは、こうした心象からうまれるのだろう。魔理沙はすこしゾオッとしながら、それでも自宅よりなじみのある博麗神社であるわけなので、すぐに気をとり直して薄暗い屋内へ上がりこんだ。

 完全な静寂はすぐさま、ピイピイと甲高いわめき声によって破られた。一瞬妖怪よけのモスキート音発生装置でも河童につくらして、人里相手のひと儲けをしかけた所に仙人から介入されるいつものパターンかとも考えたのだが、違った。あんまり内容が要領を得ないもので理解に数秒を要したが、それはよく聞くと人語であったし、発声者は足下の小人だった。

「魔理沙!魔理沙大変だよ魔理沙ー!霊夢が!霊夢が霊夢が!とにかく大変なんだ!寝て!寝たまま!寝てて!アー!」

「落ち着け、何言ってるのかマジにわからん」

「とっとにかくこっちだよ!早く来て早く!」

 少名針妙丸があんまり慌てようなので、魔理沙は慌てふためく彼女にリボン飾りつきくつ下のリボンひも部分を引っ張られるまま(踏まないようにすごく気を遣ったために妙な筋肉を痛めた)奥の部屋へと駆け込んだ。

 

 霊夢は青ざめた顔で、敷きっぱなしの布団にバッタリと突っ伏していた。最初はどうせ昨晩に呑み過ぎたのだろうとか、せいぜい悪くした夏風邪のたぐいかと思ったものだが、よくよく観察するとどうにも様子が尋常ではない。果たして呼吸がいっとう弱まっているのか、それとも本当に息が止まっているのか、遠目では肺まわりや口元に動きが観測できない。慌てて飛びついてみたが、霊夢の身体はまるで氷か死体のように冷たく、魔理沙の心臓のほうが思わずショックで止まってしまいそうであった。胃がひっくり返って嘔吐といっしょに飛び出しそうなのをどうにかして堪え、冷たい霊夢の身体を仰向けにして左胸に耳を押し当てた。極めて弱いが、ごくごく奥のほうに、幽かに命の鼓動が聞こえる。

「おおおおい霊夢!霊夢ぅ!しっかりしてくれよぉ!何があったんだよぉ!」

「わからない……ついお昼まで寝ちゃって、それで起きてみたら神社がなんだかシンとしていて……それで、もうその時には……あああ、どうしよう魔理沙……私、昨日の夜は酔っちゃって、気づいたらスッカリ寝てしまっていたものだから、挨拶も何もしていないよ……こんな、とつぜんすぎるよお……」

「よ、よせよ……そんな深刻な、もう手おくれみたいな言い方……き、きっと大丈夫だよ!第一おかしいぜ、こんな病気は聞いたことがない……何か呪術的な原因があるにちがいない。それをどうにかしちまえば、きっとスッカリ元気に……ああもう!こんな時だッてのに紫は何してるんだよ!いつも要らない時にばかりちょっかい出してくるくせに!」

「そ、そうだよ魔理沙!誰か呼んできてよ!私じゃあんまり遠くに行けないけど、魔理沙なら行けるでしょ!お医者様とか除零師とか……」

 

「――無駄ですよ、そいつの異常はそんなチンケな対症療法で治せるようなものじゃあない」

 不意に、背後から声がしたのだ。魔理沙と針妙丸以外、なんの音もなかった静寂の世界に、そいつはずかずかと入り込んできたのだった。黒と赤と白、祭りと葬式がいっぺんに来たような縁起の良くも悪くもある3色を身にまとい、不気味な舌をずるりと引っ込めて、そいつは魔理沙らを見下ろした。

「お、お前!」

「せ……正邪!あ、貴女いったい何でここに!?っていうか、何か知ってるの!?」

「知ってる……ンー、どうでしょうねェ……これは知ってるというのかな?まァ、私は飽くまで天邪鬼ですから、無責任にも"知っている"と称してしまっても、いっこうに構わないのかも知れませんけどねェ……ま、信じるか信じないかは任せますわ」

 鬼人正邪は声ではヘラヘラと笑いながら、だが、おぞましく冷め切った目と低く落ち着いた声で厭世的に言い放った。針妙丸はごくりと唾を飲む。魔理沙は警戒を緩めない。

「針妙丸!こいつの言う事は信頼できるのか!?天邪鬼だぞ!」

「ヘエヘエ、ですから、信じる信じねェはおたくらに任せますよ。ただ、別に私にだって目的もあれば野望もあるんでね……前の異変の時とはワケが違うんで、なるたけ多く、こっちの都合の良いふうに動いてもらわんと困るんですよ。ま、そん中でいちいち、私の言い分が逆だッてのを逆算して貰える言葉を選ぶのは正直しんどいんですわ。逆の事言いたくて仕様がないのはありますけれど、今回はガマンして本当の事を言ってやるつもりですよ。それでも信じらんねェ、何も情報なぞ要らねェ、ってンなら、話は"困難(カンタン)"なものだ。私はもちっと手早く利用できる奴を探すだけです。別に博麗にゃ恩義も義理も"山ほど有る(何んにもない)"ンでね」

「……とりあえず、言えよ。それから判断するぜ」

 魔理沙は正邪を睨みつけながら、霊夢の壁になるように構えた。針妙丸はその肩でジッと見つめる。正邪は鼻を鳴らし、肩をすくめた。

 

「アー、さて、どこからどこまで説明したものか……。人里で妙な野郎が暴れてンのを知ってるか。暴れてるといっても、人をとって喰うとかじゃあねえ。寧ろ逆だが、それが問題なのだ……そいつは"博麗太郎"を名乗ってる。悪巫山戯(フザケ)の過ぎた名だが……恐らくは何らかの都市伝説で、博麗太郎を名乗り得るチカラを持った都市伝説使い(オカルティスト)だろう。ここまで言えば何が問題だか、解るな」

「……里の覇権を、人に連なる者が握る」

「そうだ。ひっじょーうにマズい。どれ程マズいかといえば、この私がなんのウソ偽りもなくマズいと断言する程度のマズさだ。トートロジーというのは逆もクソもないのだからな。あれがマズいのは絶対不変よ。それも博麗だ。マズさにマズさをかけて正真にクソヤバだよ。いい加減にして欲しいね、全く……。生憎私は最強(クソザコ)のでな。日陰者らしくお強い皆様を煽り立てて、木陰で涼んで見物させてもらうしかないという次第だ。

 さて言葉を濁せば怪しまれるし、どうせ間違ってたって天邪鬼のウソ八百なのだからいっそ断言しよう。そいつの、博麗霊夢の異常はこの異変とかなり関与している。直接的ではないが、マア、ここは話がややこしくなるので放っておこう……これの信憑性についてはそうだな、八雲紫がここにいない事に疑念を抱いていたようだな?あれは別で動いているだろうよ。尤も、あれがどう動いているかなぞ知ったことではないがね……こっちに関しては憶測の推論だ。細部はあまりアテにしてくれるな。とかく、だ。我々はあのクソ野郎をどうにかしたい。お前らは博麗をどうにかしたい。で、私の見立てじゃこの目的はどっちも同じところにたどり着く。

 博麗霊夢の異常はおそらく、直接的に命を奪うたぐいのものじゃあない……"博麗を殺す"ことのメリットがデメリットに勝ることはまずないからな、この世界では。だが動きを止めるとなれば話は別だ……異変解決者、そして異端の破壊者としての"博麗"の機能は、ご存知のとおりだ。何よりその容態を見ろ。それで生きてンだから、殺しちまうよりよっぽど手間のかかるやり方だ。要するに足止め、時間稼ぎだよ。後先どうなっても構わねェという無茶の時間を稼ぐ為のな……。そンならせっかく稼いでもらった時間に甘えて、そいつの悲願を叶えて(ツブして)やるのが人情というものじゃあないかね――どうだい?推論ばかりの与太話だが、信憑性にしても悪くない話だろう」

 正邪の目は明らかに笑っていない。つねに他者を嘲笑いつづけるこの女にして、それだけで異常な光景だ。異常であるがゆえに、魔理沙は真に信頼すべきか計りかねていた。とかく今解るのは、霊夢が大変なこと、人里が大変なこと、そして、それ以外はなにも解っていないことだ。

「信用はしない。だが信頼はしてやる。お前に都合の良いふうとは、一体どうすりゃあいい。私が何をどうするかは適宜決める」

「人里へ行け。このクソ案件が、相応にヤバい形で動き出している。行けば解るよ、お前が異変解決の"素人(プロ)"だってンならな」

「――針妙丸。お前は残って、霊夢を見てやっておいてくれ」

 針妙丸は強く頷いた。気圧されそうなこの空気の中で、自分にできることがあるのが何よりうれしかった。

「正邪。お前はそうだな、妖怪寺へ行け。白蓮のやつを神社に呼んで来い。そのあとは自由だ。ただし神社からは出ろ。いいか境内の外だぞ。先も言ったがお前は信頼こそしてやるが、信用だけはならん。その点、白蓮なら信用に足る。それにあいつは人が良いからな、ツマハジキ者のお前でも、協力を仰げば聞いてくれるだろう」

「"Fuck You(それでいい)"ッ!いい判断だぞ霧雨魔理沙。きみの英断をたたえ、我々も協力を惜しまず――」

「能書きはいいのだ。サッサと行け、お前が見えなくなってから私も行く」

「アー、ハイハイ。大信用をして頂いて嬉しい限りですよ――まァ、言われずともにサッサと行くさ。我々には、可及的速やかに成し遂げねばならん理想があるのだ……」

 正邪は背をぐにゃりと曲げて鎌首をもたげ、呪い殺すような視線をばら撒きながら、ずかずかと敷居を踏みつけながらその場を去った。ジメジメとした、陰鬱な空気だけが残った。針妙丸はぐいと歯を噛み、魔理沙はしばらく警戒していたが、それもおさまり、立ち上がった。

 

 真実であろうと虚言であろうと関係ない。いつもと同じだ。とにかくまっすぐ突っ走っていけばいいのだ。

 

 

 ● ● ●

 

 

「――という経緯なんだ。やつは信用ならんが、私の持ってる手がかりの中じゃあいちばん有力だ。それで里まで一直線に来てみれば、思った以上にとんでもない有り様じゃあないか……これじゃまるでイチゴ味のカキ氷だぜ。一体何がどうなってるんだ?」

「知らんよ……儂のが訊きてェわい。あの天邪鬼、何をたばかってやがるンだ……まァしかしだ。今はこっちをどうにかするのが先だろうな。優曇華院、歩けるか」

「ええ、足のほうはもう大丈夫です」

「お前さん、里じゃ一応薬売りの人間ッてことになっとるからな。儂とは距離をとったほうがええじゃろう。かといって人のすがたに化けた儂が霧ン中で歩いても、そりゃそれで面妖なものだ」

 マミゾウは鈴仙を背から降ろし、先んじてずかずかと門を(くぐ)った。鈴仙は編み笠で突貫の変装を施し、すこし後方からマミゾウを追う。ヒンヤリとした、不快感の少ない肌触りが顔を覆う。甘ったるい臭気。感じ取れない害意。それがかえって不気味であった。

「魔理沙さん、大丈夫ですか?体調に変化は」

「あー、こいつはキツいな。気分最悪だぜ……こういうのには強い自信があるのだが、それでも回転椅子に座ってグルンと3周、回ったようなひどい心持ちだ。慣れればどうにかなりそうだが……暫くかかりそうだ」

「了解です。無理はしないで」

 

 里の内部は既に、紅い霧で満たされていた。龍神像、蕎麦屋の軒先、町外れの川……どれも見慣れた光景だが、そこに人影がない。シインと静まった紅い町並みの奥から、時折、遠方から激しい剣戟と着弾の音が聞こえる。何者かが里で争っているのだ。鈴仙は耳を澄ました。

「妖精……ですね、この波長は。何者かが、妖精の編隊と争っています。どうやら歩哨妖精が里じゅうにいるようです……これだけ魔力が満ち満ちた空間ですから、たとえ粉みじんに消し飛ばしても数分で蘇生復帰(コンティニュー)しますよ。本来妖精は無軌道ですけど、今回は相手が相手ですから、統率がとれている可能性が高い。非常に厄介な相手です。極力交戦は避けましょう。幸い、目下交戦中の対象に注意が向いているようです」

「戦闘中、か……誰だろうな……?」

 塀の内側に沿って進む一行は、すこし大きめの通りと交差した丁字路にさしかかったところで一度、立ち止まった。大通りの中央に2名、道をふさぐように並び、前後を警戒する人影を発見したのだ。外見こそ女中(メイド)めいたエプロンを着た幼い少女といったふうだが、身長は人間の半分以下で、半透明の翅を生やしている。手には魔力を帯びたナイフ。妖精だ。

 

「なんだか、東側CP(指令所)方面が騒がしいな」

「里の中央あたりで戦いがはじまっているようだぞ。なんでも、あの剣の聖人が攻めてきたそうだ。東の貸本屋に結界のようなものをつくって、そこを拠点にしているらしい」

「ヒエー、恐ろしいなあ。あの剣、メイド長のナイフよりすごく長いぞ」

「今日ばかりは、下っ端の低ランク妖精でよかったよ。こんな何もない隅っこで、たまに見かける人間をチョチョイと長屋に閉じ込めているだけでいいんだ。連中、ずいぶん弱ってるからな。剣の聖人なんかとやりあうよりもずっとラクチンだ」

「マッタクだよ。サッサと北のHQ(本部)まで上がってもらいたいものだ。あっちにはなんたってレミ……何者だッ!」

「CP、こちらウーフー7。異音を確認した」

『CP了解。速やかに確認せよ』

 暢気にも世間話に興じていた武装妖精2名は、曲がり角の物音に反応し即座に臨戦態勢をとった。恐らくは中距離への射撃機能もそなわった魔力ナイフを逆手に持ち、1名が中腰姿勢で接近。もう1名――ウーフー7の暗号名(コードネーム)を名乗った者は持ち場にとどまり、なんらかの無線通信システムで異音確認を同部隊所属の武装妖精へと伝達。付近の妖精も警戒態勢に入ったのだろう、周囲が殺気だって来る。曲がり角に達した妖精はぐるりと物陰を確認し、足下を見て悲鳴をあげた。

「ギャーッ!」

「オーイ!何があった、ウーフー4!報告しろ!」

「CPへ伝達!こちらウーフー4!虫です!なんだか見たことがない虫がウネウネしています!すごく気持ち悪い!」

『……こちらCP。鷲木菟(ウーフー)隊のうち非戦闘中の各位、警戒解除。持ち場に戻れ。ウーフー4、速やかにその虫を排除しなさい。あと、真面目にやれ』

「あ、はい。了解!シッシッ、あっちいけ!……こちらウーフー4。脅威を排除した。持ち場に戻る」

「オイ、おどかすなよマッタク」

 ウーフー4はばつが悪そうにテクテクと歩いて持ち場へ戻り、大欠伸(あくび)をして頭を掻いた。ウーフー7はあきれた様子で、再び大通りの観測へと戻った。

 

 

 鷲木菟(ウーフー)隊の武装妖精が反対を向いているあいだ、素早く大通りを横切って警戒網を脱した鈴仙ら3名は、再びマミゾウを先行させるかたちで隊列を組んだ。

「なあマミゾウ……さっきの気持ち悪いやつって何なんだぜ。あれもお前の都市伝説か?」

「ああ、なんと言ったかな。確か、"顔抱き虫"とかいう外来の虫じゃ。ホンモノは顔をひっ掴んでタマゴを産んだりするそうじゃが、まあ、儂のそいつは所詮こけおどしよ。そこまでの機能は付与して無ェのでな、ただの変な虫と思うて良いぞい」

「そ、そうか……なんというか、独特だな」

「ああ、有難(ありがと)よ」

 マミゾウは得体の知れない怪生物(エイリアン)の入ったカプセルを手で弄び、こちらに見せた。魔理沙は極力見ないようにした。新オカルトボールについてはざっと聞いたが、こうして実際に見ると、以前の異変の時よりはるかに不気味さを増している。あの時よりも、オカルトボールそのものが数段強化されているのだろう。幻想郷全体が、なにかとてつもない、邪悪な状態になりつつあるようだった。

 

 

 先の妖精からは、中々に有用な情報が獲得できた。里人は妖精らが監禁している。敵の本拠地は人里北部。東部にも指令所あり。交戦者は豊聡耳神子。そして――。

「とかく、第一目標は鈴奈庵だ。鈴仙、敵影はどうだ」

「ここから先、明らかに数が増えてます。恐らく、交戦中の警戒区域に入るのでしょうね。慎重に行きましょう」

「ああ、コソ泥のマネゴトなら大得意だぜ……!」

 

【09につづく】

 


 
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