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混沌王は異界の力を求める 27

布津さん

第27話 拒絶と救済

2016-04-19 21:51:55 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:3627   閲覧ユーザー数:3539

「その名はかつての名だ。今の私はバアル・アバターではないよ」

 

苦笑い気味に藤羽―――元バアル・アバターが言った。その手にはいつの間にか蟲の仮面ではなくコーヒーの入ったティーカップが握られている。

 

「では何と呼ぶ? 千晶とでも呼ぶかおい?」

 

余裕のない人修羅の声に、僅かに殺気が混ざる。だが予め『エストマ』を使用しているのか、周囲の通行人や喫茶店の客の誰もが、それに気付いた様子は無い。

 

(千晶……?)

 

何の脈絡も無く人修羅から出たその名に、なのはは眉を寄せて人修羅を見た。しかし普段の人修羅が見せる余裕そうな態度はそこにはなく、眼前の藤羽を睨むように見ている。なのはの視線に気付いている様子は無い。対する藤羽は人修羅の態度に眼を伏せて嘆息すると静かに言葉を紡いだ。

 

「自虐は止めろ混沌王。今は女王、或いはバアル・ゼブルで通っている。ゼブルと呼んでくれ」

 

「ゼブルだと?」

 

その単語に今度は人修羅が眉根を寄せた。だが人修羅がそれについて言及する前に、藤羽―――ゼブルはカップを持っていない手で人修羅の言葉を制した。

 

「まあ待て混沌王。どうやら、互いに予期せぬ同行者が居るようだけど?」

 

「……ああ」

 

先手を取られた人修羅が、前のめりになっていた身を引き背もたれに身を預ける。それと同時にゼブルと名乗った悪魔はなのはに興味の視線を向けた。

 

「初めまして……で良いかな? 先日出会ったときはまともに顔も会わせていないからね、高町なのは殿。機動六課のスターズ分隊の長にして、時空管理局でも有数の実力を持った魔導師だと聞いている」

 

「よく調べたもんだな」

 

「彼女は有名人だからね、造作もないよ本当に。一つ世界を跨げば貴方や私の方が名が知れているだろうけど、この世界では我々四名の中では彼女が頭二つ程、知名度が抜けている」

 

「……初めまして高町なのはです、貴女は?」

 

警戒心を解かぬままなのはは問う。その視線は時偶、正面で紅茶で唇を湿らせるアリスに向く。

 

「私の名は魔王バアル・ゼブル、今の見てくれでは分かりづらいだろうが、これでも悪魔だ。普段ならば貴女とは敵対する立場にあるが、今このときだけは矛を収めてほしい。私と混と……人修羅には必要な事なのだ……彼女の紹介は必要かな?」

 

ゼブルの指先がアリスを示した。小さく微笑むアリスの碧瞳が、まるで本当に水を内包したかのように揺らめく。

 

「要らないよね? お兄ちゃんもお姉ちゃんにも、ね?」

 

「だ、そうだけれど?」

 

「要らんよ、お前も大丈夫だな?」

 

「う、うん」

 

なのはが人修羅にそう返したとき、彼は既にゼブルへと視線を向けていた。

 

「が、何故アリスがここに居るのか、までは聞きたいんだがなバアル・ゼブル? 如何に知性のある悪魔とはいえ、そのアリスは紛れも無く魔人だ。ベリアルとネビロス(くさり)の拘束がない状態で市街に放っていい存在じゃない。全力で暴れられれば、お前一人で抑えられるような存在じゃあないだろう?」

 

「あらあら、いくらお兄ちゃんでもそれは失礼よ?」

 

アリスの言葉に軽い含み笑いをしたゼブルは人修羅に返した。

 

「そのために君が居るんだよ」

 

「おい……!」

 

「冗談だ、そう眼を三角にしないでくれ。彼女の瞳を見れば、今日この場においては問題無い事は分かるだろう?」

 

人修羅とゼブルの両者が、同時にアリスの碧の瞳を見る。ただ唯一事情を知らぬなのはだけは、剣呑な気配を漂わせる両者を不安そうに見守るだけだ。

 

「ああ、それでも何故この場に居る? 危険が無いとはいえイレギュラー要素であることには変わらないだろうが」

 

「一々アリスに突っ掛かるね人修羅、君も魔人だろうし、元とはいえ私も魔人なのだがな、妬けるぞ……だから怒るな、彼女をこの場に連れて来たのは私の意思じゃない。君の連れと同じだよ」

 

ゼブルの指先がなのはを示した。虚を突かれたなのはは僅かに仰け反るが、人修羅はその姿を見て合点がいった。

 

「で、結局なんのために来たんだ、お前は」

 

「あらやっと私に聞いてくれたのね。回りくどいことしないで、最初からアリスに尋ねてくれたらよかったのに。アリスのしたい事なんて、決まってるわ」

 

言葉を紡ぎながら死の少女は、品のある動作で椅子から降りると、そのままの足で正面に座っていたなのはの元へと歩み寄った。

 

「お姉ちゃんとお話がしたいのよ」

 

「え?」

 

ぎょっとしたなのはが驚愕の瞳でアリスを見た。自分と話がしたいというアリスの目的は、どう考えてもあり得ない。本来であればここに来るのは人修羅単騎であり、なのはが来る事をゼブルもアリスも知らないはずだからだ。

 

「……発信器か何か仕込んでんのか? それとも子飼いでも忍ばせてるとかか?」

 

「邪推はよしてくれ人修羅、そのどちらでもない。無論、私が未来視の能力を持っているわけでもない。強いて言うならそうだな……」

 

「女の勘ってやつかしらね?」

 

含み笑いをしながらゼブルの言葉を引き継ぎアリスは言う。

 

「何となくお姉ちゃんが来る気がしたのよ。だから無理を言って『女王』に着いて来たのよ? お兄ちゃんとはもう言葉を交わす必要なんてないものね」

 

「………」

 

「じゃ行きましょお姉ちゃん。ここに居たらお茶会の邪魔になっちゃうわ」

 

そう言ってアリスはなのはを連れて行こうと彼女の手を引いた。まだ完全に状況の飲み込めていないなのはに代わって、その行為を声で制したのは無論、人修羅だった。

 

「どこに行く気だアリス?」

 

「不粋なことを言わないでよお兄ちゃん。お兄ちゃんだって彼女に居られちゃ困るでしょ?」

 

アリスを見る人修羅の視線に僅かに殺意が宿る。対しアリスは視線に好意を乗せてそれに答えた。人修羅はアリスの言葉に、適切な回答を返す事が出来なかった。確かに今からゼブルと交わす内容は、なのはに聞かせたくはないものだ。そうなる可能性が高い。だがかといってなのはとアリスを二人きりにさせて良いかと言えばそれも否だ。今は抑えているとはいえ、アリスは魔人。それも上位に入る魔人だ。もし殺意を抑えられなくなったとき、自分が近くに居ないのは非常に拙い、だが。

 

「………」

 

「………」

 

二人の魔人は数秒の間、視線を交差させた。だが不意に人修羅がアリスの碧瞳を指差すと、一言簡潔に告げた。

 

「誓え」

 

主語も装飾語もない修羅の言葉だが、少女は笑みを濃くし、自らも自分の碧瞳を指差し返す。

 

「応諾―――じゃ行きましょお姉ちゃん」

 

 

「ちょ、ちょっとアリスちゃ……人修羅さん!」

 

アリスに手を引かれ無理矢理立たされた。しかしその力も魔人の膂力ではなく、見た目に相違ない少女のものでしかなかった事が余計に頭を混乱させる。自分は魔導師とはいえ軍属だ、その程度の力ならば拒むことも出来る。しかしどうしても眼の前の少女が、先日都市を壊滅状態に追い込んだ魔人と同じものだとは到底思えない。

 

(それに……)

 

なにより気になるのはこの瞳の色だ。魔人の瞳は総じて黄色。しかし今のアリスはその瞳が碧いのだ。あの不気味に濁った黄色ではなく、澄んだ碧色。それが魔人である筈のアリスの印象総てを変えてしまっている。人修羅ならば知っているだろう。この瞳を最初に指摘したのは人修羅なのだし、なにより悪魔に関しては人修羅以外に情報を手に入れる術が無い。

 

(心配すんな)

 

(え?)

 

手を引かれながらも人修羅に振り向き彼を見たときに、返って来たのは念話だった。

 

(“今”のそいつなら、問題無いよ。ちょっと付き合ってやってくれ。今朝は俺が折れたんだから、今度はお前が折れてくれよ。それに……)

 

こちらを見ていない人修羅の口の端が歪んだ。そしてその瞳が血の様な赤色を湛えている。

 

(お前に携わる余裕は無さそうだ)

 

(!?)

 

そうだ、よく考えれば人修羅のあの赤色もおかしいのだ。人修羅自身が自らの言葉と相違して見せている。

 

「?」

 

足を止めたこちらを不審層にアリスが見上げているのが気配で分かる、だがそれよりも、人修羅に対する疑問が脳の中で膨れ上がった。

 

(そもそも彼の目的は何? 倒したい敵が居るから力が欲しい、それは聞いただけどあれ程に強い彼が勝てないと思っている相手って? それに何故彼はわたし達に協力してくれてるの? はやてちゃんと契約して無限図書の使用権限を得たからって、それにしては度が過ぎている。時空管理局の持つ悪魔の情報は総て人修羅さんから明けられたもの。でも人修羅さんの情報だって彼自身が今違うものを見せている。そもそもあのバアル・ゼブルって名乗った悪魔は? 人修羅さんと曰く有り気なのは会話の調子から分かる。でも―――)

 

「………!」

 

念話を通してこちらの感情が伝わったのか、彼は一瞬だけ眼を潜めると瞳の色を元の黄色に戻した。

 

「頼むよ」

 

「ね? 行きましょお姉ちゃん!」

 

 

「さてと混沌王」

 

遠ざかっていく金と橙の髪を見送りつつ、仕切り直すように眼前のゼブルが姿勢を正した。

 

「私は君に聞きたいことが幾つもある。そして君もまた私に聞きたいことがあるだろう?」

 

「聞くまでもないだろうが。そうでなければ態々お前の招待に乗ってやる必要などない」

 

「違いない」

 

ゼブルがニヒル気味な笑みを見せるが、こちらは笑う気になどなれない。

 

「私から君に尋ねたい事は二つ」

 

「なら都合が良い。俺もお前に聞きたい事が二つある……招待したのはお前だ、お前から言え」

 

「有り難い」

 

ゼブルが異形の左手を促すように動かした。

 

「さて聞きたいのだが人修羅。第一の問いだ、メガーヌ・アルピーノという名に、聞き覚えはあるか?」

 

ゼブルの口から告げられた言葉を脳内検索にかけるが、すぐに回答無しの結果を弾き出す。

 

「そうか……」

 

それを聞いたゼブルはあからさまに落胆した顔を見せた。

 

「そのメガーヌとかいう奴は誰なんだ?」

 

「ああ、私の召喚主だ。と言っても顔を見たことはないのだがね」

 

「は?」

 

「そのままの意味だよ、この世界に呼ばれたにも関わらず召喚主が居なかったのだよ。どういう理屈で召喚を機能させていたのかは知らないが、私は代替としてメガーヌの娘の元に飛ばされた」

 

「ああ、あいつか。確かルーテシアとか言ってたな」

 

「そう、ルーテシア・アルピーノだ。がその時点ではあの娘はまだ幼過ぎて、私を扱える程の十分なマガツヒを作り出すことが出来なかった。八年前の彼女はまだ齢一つだったから。だから私は本当に最近まで彼女を害さぬよう封印されていた。後から聞いて知ったことなのだが、メガーヌは私を呼んだ直後に彼女の所属していた小隊ごと失踪しているのだ。唯一見つかったのは生ける死体で見つかったゼスト・グランガイツのみ。そして彼もメガーヌも他の隊員の行方も知らなかった」

 

ゼストというのは恐らくピクシーが語っていた槍使いだろうと当たりをつけつつ、ゼブルに言葉を返す。

 

「それでそのメガーヌ以外の隊員とやらの名は?」

 

「他の隊員の名は名称不明の隊員が一人と、そしてもう一人クイント・ナカジマという」

 

「ナカジマ?」

 

メガーヌの名は一切の心当たりは無かったが、ナカジマという単語はすぐさまヒットした。

 

「そう、君や高町一等空尉と行動を共にしているスバル・ナカジマとギンガ・ナカジマの母親だ。彼女も八年前に行方不明となっている、管理局の手で捜査が徹底的に行われたらしいが、三名とも見つからなかったと聞く。先導したのは彼女の夫だったとも聞くな」

 

「ふむ……」

 

一度だけ顔を合わせたゲンヤ・ナカジマの顔を思い出しつつ、スバルやギンガが母の話をしていたことがあっただろうかと記憶を探る。

 

「スカリエッティは何かを知っているらしいが、今の私では訳あって彼に強く出ることができない。この八年で出せる手は出し尽くした。私があと考えられる方法は管理局本部にある無限書庫に頼るしかないだろうな」

 

「俺も触り程度しか探ってはいないが、あの書庫のガードはそれなりに固いぞ?」

 

「私や君にとっては紙一枚程度の違いでしかないだろう?」

 

「それはそうだ」

 

苦笑するゼブルにこちらも同じく口調で返す。

 

「ではこちらからも聞く、第一の問だが何故お前が生きている? 俺はあのとき、無尽光(カグツチ)の世界でお前からタカラを奪い。蹂躙し尽くした筈だ」

 

ヨスガ、ムスビ、シジマ。あのとき世界の覇権を巡って己に破れ、死屍となった者達のことを思い出す。死に様こそ確認してはいないものの、もはやどう足掻こうと致命の損傷を与えたという手応えは今でもありありと思い出せる。そう問うと、ゼブルは一瞬だけ、おや? と眉を動かしたが、すぐさま予感していたかの様に、言葉を考える間もなくすぐさま回答を口にした。

 

「見ての通り、守護から悪魔へと転生し、生き長らえたのだよ。守護は神程ではないが死から遠い存在だからね。私はあのときバラバラで死にかけではあったが、死体ではなかったから」

 

「しかし種族転生は並大抵のことじゃ出来ない。何をした?」

 

「守護の司る概念は創造。ならば、特大のそれに触れる機会があるでしょう?」

 

「……創世か」

 

「そう、カグツチを滅ぼしたのはあなたでしょう? その様子だと創世はせずに力を奪ったようだけど、それでもカグツチの総てを余さず奪えたわけじゃない。その一部はボルテクス界に流れ、辛うじて生き長らえていた私はそれに触れ悪魔に転生した」

 

「だがそれでも出力不足だ。ガキやコダマならともかく、お前が転生したのは魔王。しかもマーラやルキフグスに並ぶ最上級のベルゼブブ。転生の際は前世が何であれゼロからのスタートだ。俺だって例外じゃなかった、それこそそれ専用の機関でも無ければ力を保ったまま転生するなど不可能だ」

 

ああそれかとゼブルが異形の腕を撫でながら言った。

 

「あなたがあのときの戦いで、ベルゼブブを使用してくれたおかげだよ、バアル・アバターとしての型を失った私は、咄嗟にあのときの戦いで飛び散っていたベルゼブブの因子を取り込み、残った私のマガツヒを修復しこの姿を得た。言わば転生ではなく、新生と言った方が正しい」

 

言われ、記憶を探れば確かあのときバアル・アバターと殺し合った際、共に戦った仲魔はベルゼブブとオンギョウキ、そして赤いコートの魔人だったはずだ。

 

「私がバアル・アバターだから。否、だったから、かな? ベルゼブブだけではない、ベルフェゴールにベルベリト。それらの根源である始原のバアル、その化身であり、無数に枝分かれしていったバアルの眷属達の大本の写し身、それが私だ。だが以前にベル神の争奪戦とやらがあったらしく、殆どのバアルの因子は一つになったらしいが、まあそれでもバアルの眷属総てが一つになったわけではない。そのときに誕生したベルの魔王とは別に、私のように独自の変化を遂げたバアルの眷属はいるだろう」

 

だがそこでゼブルが初めて眉根を潜めた。

 

「が、そこで私にも予想していなかった事態が発生した」

 

不快というよりか、己自身を悔いるような表情でゼブルは言葉を続ける。

 

「千晶だ」

 

大きく息を吐き、異形の腕を震わせながらゼブル言う。

 

「ベルゼブブの型を得たことで、私の生命力は回復した。が、その時点で私は守護としての神威を殆ど失い、守護から悪魔へと転生した。そして人間の身に降りられるのは自我の薄い守護のみ、故に悪魔になった私と千晶はその瞬間に元の二つに分たれた。そのときだった、弱肉強食のコトワリを宿した彼女だからだろうな、生きようとする意思が上位悪魔である私すらも上回った。その結果、私に残っていた力の殆どを彼女に持って行かれた」

 

「戦法が守護だった頃と様変わりしていたのはそのせいか。それで千晶は―――」

 

と言葉を紡ごうとしたその瞬間、ゼブルの掌が眼前に突き出された。

 

「その先は第二の問いだろう人修羅? ここからは私の番だ」

 

「……ああ」

 

我に返り乗り出しかけていた身を背もたれに預ける。想像以上に熱くなっていた自分に驚きつつもゼブルからの問いを待った。眼前、ゼブルは何故か少々緊張した面持ちでこう切り出して来た。

 

「第二の問いだが……人修羅、あなたは何故この世界に来た?」

 

「というと?」

 

質問の意図が分からず、疑問に疑問を返す。

 

「そのままの問いだ。無尽光(カグツチ)を初めとし、胎星(ホシガミ)北極星(ポラリス)そして創造主(YHVH)。あなたが無限に等しいアマラ宇宙を渡り歩き、各世界の神々を喰らい、その力を奪い”大いなる意思“との闘いに備えていることは、風の噂で私も聞いている」

 

しかし

 

「ならば何故このミッドチルダに降り立った? この世界は未だ安定期。ボルテクス化や大破壊もなく、悪魔もスカリエッティが放ったものだけ、あなたが蹂躙すべき神など影すらも見当たらぬ。無論、あなたの知らぬ力がミッドチルダにあることも事実だろう、しかしそれも仲魔が訪れれば良いだけのこと、事実この世界で力と情報の蒐集を担当しているのはあなたではなく配下の仲魔だ。あなた自ら来訪する必要などない」

 

だから問おう。

 

「あなたがミッドチルダに来た理由が知りたいのだ」

 

「……ん」

 

緋色の両眼に強く問われ、ミッドチルダへ訪れることとなった理由を思い出す。

 

「確か……ベルゼブブを、ああお前じゃなくてな、俺の所のベルゼブブがミッドチルダからレリックを持って帰って来たのが始まりだ」

 

「ではベルゼブブは何故ここに?」

 

「あ?」

 

ゼブルの視線と声に警戒の色が混ざった。隠そうともしないそれに若干の違和感を覚えたが、しかし声には出さずにゼブルの疑問に答える。

 

「そう、ああルシファーだ。初めに俺へミッドチルダの情報を持って来たのは奴だった筈だ」

 

「ルシファーだと?」

 

大魔王の名を聞いた瞬間に、ゼブルの声が警戒の色を強くし眉を寄せた。

 

「……何故大魔王はあなたにミッドの情報を?」

 

「さあ? そこまでは知らん」

 

「……ふむ」

 

ゼブルは不愉快そうな表情のまま、何かを思案するように口の中で空気を噛むように動かしながら落ち着き無く眼を泳がせた。

 

「……まあいい、納得はできないが把握はしたよ。それで、だ、人修羅」

 

「ああ」

 

「あなたの最後の質問だが……」

 

「察しが良くて助かる」

 

「流石にね。初めの質問が違ったことに若干驚いたくらいだよ」

 

「では聞く」

 

バアル・ゼブルを睨むように見、一言一句を宣言するように口にする。

 

「千晶は何処だ?」

 

 

「ねえねえねえ! お姉ちゃんあれは何?」

 

「ア、アリスちゃん落ち着いて……!」

 

なのははアリスに振り回されていた。舞うようにステップを刻む死の少女に手を引かれ、その度になのはの橙のサイドテールが尾のように揺れる。その気になれば周囲一帯を浄土にすることも容易い魔人が、まるで年相応の少女のように天真爛漫に飛び回っている。

 

人間であれば遊び盛りの年頃であるアリスは、我慢せず魔人の膂力に任せたまま己の衝動に従っている。そしていくら軍属であるとはいえ、なのはがそれに着いてゆくのは体力の限界がある。結局なのはが先に折れ、公園のベンチで休むことになった。

 

「……アリスちゃんお金持ってたんだね」

 

「お兄ちゃんだって持ってたでしょ? それと同じ。マッカだったらもっとたくさん持ってるのだけれどね」

 

足が疲れて動けなくなったなのはの元に、両手でジュースカップを持ったアリスが小走りで戻って来た。

 

「ごめんねお姉ちゃん。連れ出したのはアリスなのに、アリス一人ではしゃいじゃって」

 

アリスはなのはの隣に跳ねるようにして座り、申し訳無さそうな笑みを見せた。なのはの座っていたベンチは大人向けに作られており、背丈の足りていないアリスは両の脚を遊ばせて座っている。

 

「アリスが外に出られるのってとっても少なくて、つい遊んじゃった。ごめんね?」

 

「………」

 

ただでさえアリスは他の悪魔と比べても、その姿は人間に近い。今までもオキクムシやヨモツシコメ等、人間の特徴を持つ悪魔との戦闘は何度も行われた、だがそれ等の悪魔はどれも肉体の一部が異形であり、アリスを除けば最も人間に近い人修羅でさえ、入れ墨と角の二つがある。アリスはその魔人の殺意さえ無ければ完全に、普通の少女なのだ。先日ヴィヴィオを引き取ったこともあってか、なのはは笑みを見せるアリスと先日の殺意が重ならず、普段の調子を失っていた。

 

 

「アリス、ちゃん」

 

硬直した声帯を無理矢理動かし、隣に座るアリスへと声を向ける。

 

「なぁに?」

 

太陽に眼を向け、光に金髪を透かせていたアリスはこちらの声にゆっくりとした調子で応じた。

 

「ねえアリスちゃん。アリスちゃんは覚えてるかな、わたし達が初めてあったとき」

 

「それは前のアリスのこと? それだったらごめんなさい。アリスはあのときにお兄ちゃんに殺されちゃったから、よく覚えてないの。あのときのアリスの魂は私の中に居るけれど、何をしていたかは大まかには分かっても、詳しいことは分からないの」

 

「じゃあ、あのときわたし達が何を話したかも?」

 

「ええ」

 

手元のカップを弄びながら申し訳無さそうにアリスは微笑んだ。

 

「そっか……」

 

少女の言葉に若干の寂しさを覚えた。先日に人修羅から軽く説明されてはいたのだ。アリスは魔人の内でも特異な存在であり、アグスタで出会ったアリスと都市を壊滅させたアリスは同じ存在だが、厳密には異なっており、一部の記憶が欠落している可能性があると。頭の中で情報を整理し、眼前のアリスは以前とは違う存在なのだと脳に言い聞かせる。

 

「それでアリスちゃん、私と話したいことがあるって……」

 

問うたその瞬間、アリスは前触れ無く悪戯っぽくチェシャ猫の様に笑った。

 

「ああ、あれは嘘よ」

 

「え!?」

 

予想の範疇外から言われたアリスの言葉に、思わず驚愕の声を上げてしまった。

 

「嘘って?」

 

「えーと、全部が全部嘘なわけではないのだけれどね。アリスもお話したいのは本当なのだけれど、それよりもお話ししたいのはアリスじゃなくてお姉ちゃんでしょ?」

 

「………!」

 

前ぶれ無く心臓を鷲掴みされたような錯覚に陥った。

 

「今だって、お姉ちゃんはアリスが何か言う前に言葉を紡いだわ。アリスとお話がしたいっていうのも勿論あるんでしょうけれど、お姉ちゃんは知りたがってる、関わりたがってる。こちら側に」

 

「………」

 

関わりたがっている。図星を突かれたその言葉に何も返すことが出来ず、完全にアリスに呑まれてしまった。

 

「頭の良いお姉ちゃんならもう気付いてるでしょうけれど。お姉ちゃん達がジェイル・スカリエッティ事件って呼んでいる今回の物語りに時空管理局(おねえちゃんたち)は必要とされていない」

 

アリスの金髪が日光を透かし、黄金色の滝の様に煌めく。

 

「博士からは体のいい実験対象くらいには思われているだろうし、人修羅(おにいちゃん)からも契約者として見られているだろうけれど、どっちから見ても居なければそれで良いくらいにしか思われていない。ちょうどそこにあったから利用しようくらいの立場ね」

 

アリスの言葉には心当たりがあった。スカリエッティが悪魔を放ち始めてからもう一年になる。その間にガジェットシリーズや悪魔による散発的被害は何度もあった。だが状況が加速し出したのは人修羅がミッドチルダにやって来てからだ。ホテル・アグスタに出現したヘカトンケイルの様に強大な悪魔が複数現れ始め、管理局はそれに対抗する為に人修羅から情報を得、何とか拮抗状態になっているというのが現状だ。そう、人修羅がやってこなければ管理局は詰んでいたのだ。フェイトやはやては気付いているだろうが、始めはスカリエッティと機動六課のものだった事件は、異界からの来訪者の影響でスカリエッティと人修羅達との戦闘と言ってもよい程に変化している。

 

「お兄ちゃんは仲魔以外の総てを信頼していない。だからきっと今回のことも一人で終わらせようとする」

 

絶対無理なのにね、と呟くように付け足したその言葉に違和感を覚えたが、それに付いて問う前にアリスが言葉を続ける。

 

「だからきっとお兄ちゃんは何も教えてくれてないでしょ? 一見すれば協力してくれてるように見えても、お兄ちゃんは肝心な所をはぐらかすからね。さっきあの場所でアリスとお姉ちゃんが語らいを始めたとしても、きっとお兄ちゃんは割り込んでくる。だったらお姉ちゃんが来た意味が無いじゃない」

 

だからね。

 

「アリスがお姉ちゃんを手伝ってあげるの、今日だけね」

 

「……どうして?」

 

「何がかしら?」

 

「どうしてアリスちゃんがそんなことをわたしに教えてくれるの?」

 

敵同士なのに、と喉まで出かけた言葉を飲み込む。視線の先、アリスは不機嫌そうに脚をぶらつかせ答えを口にした。

 

「だってアリスは主演女優じゃないんだもの。助演でもない、どちらかというと端役だものね。だったら端役らしく舞台を楽しくしたいじゃない?」

 

「主演……?」

 

「うんそうよ。さっきも言ったけれど今回の主演はお兄ちゃんとあの人。お姉ちゃんと同じくアリスも必要とはされていないのよ。でも最終章を知ってるアリスは最後まで関わるつもりなの」

 

途中で死ななければね、と自分の死さえも対して気にしていないようにアリスは呟き、そして次の瞬間には、突如口を歪め凶悪な笑みを見せた。

 

「それにお姉ちゃん達はアリスが死なせてあげたいもの。なのはお姉ちゃんだけじゃなくてフェイトお姉ちゃんもはやてお姉ちゃんも、みーんな。途中退場なんてされたら詰まらないわ」

 

年端もいかぬ少女では決して浮かべることの出来ない、殺意に満ちたその笑みは血管に氷塊を叩き込まれたかのような錯覚を引き起こさせた。

 

「あら? お姉ちゃんどうしたの? アリスの言葉が以外だったかしら?」

 

表情に出ていたか、笑みを浮かべたままのアリスが覗き込むようにして見上げて来た。放つ言葉とは相反するその笑顔に、思わず思いの丈が言葉となって溢れた。

 

「……アリスちゃん。アリスちゃんは覚えないって言ったけどね、わたし達が初めてアグスタで出会ったとき、アリスちゃんは友達が欲しいって言ってたんだよ。一人は寂しいから、一緒に居てくれる友達が欲しいって」

 

それなのに。

 

「どうしてそこまで死にこだわるの? わたしはアリスちゃんと友達になっても良い……ううん、なりたいのに何で―――」

 

そのときにアリスの顔を見た瞬間、喉元にあった言葉が凍り付き、障害となって声を塞き止めた。いつの間にかアリスは笑みを消し、落胆と憐憫とが混ざり合った、侮蔑にも似た表情を造り出していた。

 

「お兄ちゃんや死僧と長い間一緒に居るのに、まだ魔人について何も分かってないのね。それだけお兄ちゃんの支配が強いってこと?」

 

自らへ疑問するようにアリスが言葉を口にする。心無しか、ワントーンアリスの声が低く感じられる。

 

「It is only with the heart that one can see rightly,what is essential is invisible to the eye.大事なものは眼に見えない、ね? お姉ちゃんが見ているものは嘘ではないけれど、本質ではないのよ」

 

そうね、とアリスは間を取ると何かを思案するように口元に手を当てた。先程一瞬だけ見せた侮蔑の表情は、いつの間にか影も形も無く消滅しており。そして代わりに現れていたのは不安と憂い、それと僅かな焦燥だった。

 

「今のお姉ちゃんのままじゃ本当に途中退場しちゃいそう……何でなのかなあ?」

 

数秒の間アリスは考え込みながら左右にゆらゆらと揺れていたが、突如として動きを止め、ああそうかと呟いた。

 

「分かったよ。多分お兄ちゃんも分かってないお姉ちゃんの違和感」

 

「………?」

 

「お姉ちゃんは人間としかお話ししてないんだ」

 

「え……どういう、意味?」

 

だがアリスはこちらの問いには答えず、歌うように言葉を吐き出した。

 

「死の安らぎは等しく訪れる、人でなくても悪魔でなくてもね。魔人だってなんの理由も無しに殺す訳じゃないのよ。そうしたいからそうする、なんて言うこともできるけれど、そこにだって理由はあるの。人間だって生き物を殺すのに理由があるでしょ? 食べたいから、気持ち悪いから、殺さなきゃ死ぬとか、あと単純に気分とか。魔人だって同じなのよ。魔人は死の権現。だけど死そのものではないの、それじゃただの概念だわ。個々に居る意味が無い。アリス達にも理由があるのよ」

 

「理由……? アリスちゃんに?」

 

「ええ……アリスはずっと一緒に居てくれるお友達が欲しい。でもどんな友達だっていつかはアリスより先に死んじゃう。死が二人を分かつまで。それは逆に言っちゃえば、どんな絆も友情も死には逆らえないということなのよ」

 

「………」

 

「死によって分かたれるというなら、始めから死んでいるお友達ならずっと一緒に居られるの」

 

だからね。

 

「“独りになりたくない”それがアリスが死を行う理由なのよ」

 

「―――」

 

絶句しているというのが自分でもよく分かった。自分にとって、死とは別離のイメージそのものだ。だがアリスにとって死とは自身と真逆の意味を持つ概念なのだ。

 

『彼女達と私達では、生き死には価値観的に相容れません。分かっていた事でしょう?』

 

『そうだな、失念していた。我々は悪魔と人間だったのだった』

 

かつてセトとオーディンの語った言葉の意味が、今更ながら理解出来た。

 

「ねえお姉ちゃん」

 

虚を突くアリスの声が響いた。

 

「お姉ちゃんは今でもアリスとお友達になってくれる?」

 

「………」

 

無言になったこちらを見て、アリスが寂しそうに小さく微笑んだ。

 

「アリスは元々人間だったけれど、その頃のことは何も覚えていない。それでもお姉ちゃんが何を考えたのかくらいは分かってるつもりよ」

 

そして透き通るような声で小さく歌い始めた。

 

「Humpty Dumpty sat on a wall♪ Humpty Dumpty had a great fall♪」

 

「All the king's horses and all the king's men♪ couldn't put Humpty together again♪」

 

アリスが歌うたび、彼女の持つジュースカップが内部で沸騰と凍結を連続して繰り返し、軋るような奇妙な音を鳴らす。

 

「一度墜ちた“モノ”は、二度と元のところにはもどせないの。王様にも家来にも、お医者にも職人さんにも、誰にだって元には戻せないの、人間じゃ戻らないのよ。救えないものは救えない、手が届きそうでも届かない。世界はそんなふうに出来てるの。お姉ちゃんだって分かってるよね?」

 

柔らかい碧色の瞳が、瞬だけ黄の色を見せ、なのはの瞳と心を貫く。そのときなのはの心情に浮かぶのはかつての事、救えなかった者達の記憶だ。娘を喪い、総てを失ったと思い込み、差し伸べられた手を払いのけて時空の裂け目に消えていった大魔導師。プログラムの暴走という呪いをその身の芯に刻み込まれ、仲間のため己の抱える闇のために消滅する事を望んだ闇の書の騎士。

 

「それから外れていられるものは、同じく外れている人だけ。お兄ちゃんや……アリスみたいな」

 

浮かんだ記憶にその言葉を投じられ、なのはは思考を転じさせた。かつてのあの時あの場所に、人修羅やアリスの存在があればどうなっていたかを。彼等ならば力ずくで時空の裂け目を閉じることも出来ただろうし、死者の復活すら可能だろう。暴走したプログラムを一から作り出すことも出来たかもしれないし、騎士と闇を強引に引き離すことも不可能ではない筈だ。

 

「お姉ちゃん、それはIFだよ。救えなかったものは救えないし、救えないものは救えない」

 

こちらの思考を読んだのかように、アリスが心の隙間に声を挟んで来た。

 

「でもお姉ちゃんは認めちゃった。外れた事が出来るのは、外れた人だけだって、そしてお姉ちゃんはそうじゃない。お姉ちゃんは人間だよ、アリスやお兄ちゃんから見たら羨ましくなるくらいに、まぶしくでまっすぐで、でも人間なんだよ」

 

「ッ―――!」

 

「アリス達は人で有り人に非ず、悪魔で有り悪魔に非ず、その境界へ落ちた者。綺麗なお姉ちゃんじゃ隣の人と手を繋げても、汚泥の中に手は届かない」

 

でも。

 

「それでも、お姉ちゃんはアリスを救えるの?」

 

「………」

 

「ね?」

 

アリスは小さな指先で、なのはの胸を軽く押した。魔人とは思えぬ軽い力ではあったが、アリスの放ったどの攻撃よりも己の芯に響いた。

 

「死んでくれる? とは言わないよ、今日はね。でも次に会ったとき、アリスは必ずそう言う。アリスはきっと我慢出来ないし、我慢しようとも思えない」

 

「ッ! なんで……!」

 

「なんで? あははっ分かんないの? 可っ笑しいんだお姉ちゃん、まだ分かってないの? アリスがそうしたいからよ」

 

上品に笑いながら、アリスは断言した。

 

「アリスも、死僧も、闘牛士も暴走族も四騎士もバイオリン弾きもラッパ吹きもバビロン・マグダレーナも、そしてお兄ちゃんも、皆、みんな、それぞれ理由は違うけど、殺したいから殺すの自分の為に。他に理由は何もないのよ。そうしたいからそうするの」

 

だって。

 

「この世に存在するありとあらゆる総てを抛ってでも、殺したいと渇望した者が魔人なんだから」

 

アリスと自身との間に冷たい風が吹いた。

 

「戻ろ? 風も冷たくなって来たし、それにそろそろお兄ちゃん達のお話も終わったと思うよ」

 

アリスが無表情に近い笑みでそう言うと、ベンチから勢いよく降り立った。

 

 

「分からない」

 

「は?」

 

「分からないのだよ人修羅」

 

ゼブルが異形の腕で顔を多い、天を仰ぐように仰け反った。

 

「私がこの世界に召喚されたとき、僅かだがまだ繋がりのあった千晶もこの世界に来たことは確かだ。だがそこまでだ。召喚途中に繋がりは消失し、召喚先に千晶は居なかった。私が彼女について分かっていることと言えば、生きているということだけだ」

 

「……生きて、いる、のか?」

 

「それだけは間違いない。千晶が持っていった力の大半は私のものだ。千晶がどこかで死んでしまったのなら、それは私が感知できる。それが無いということは、生きているか、或いはそれすら感知出来ぬ程に私が弱体化したか、そのどちらかだろう……

後者だとは思いたくないがな」

 

ゼブルが苦々しそうに肩を竦めた。

 

「だから千晶がどこにいるか分からない。この世界で何も起こっていないところを見ると、未だに眠っているか封印されているか……覚醒していないことだけは確かだが」

 

「……そうか」

 

脱力し背もたれに全身を任せる。

 

「なあ、人修羅」

 

そのとき神妙な面持ちでゼブルが切り出して来た。

 

「興味本位で聞きたいのだが……ああいや、これは質問ではないから答えなくても良いんだが……」

 

「何だ?」

 

言いにくそうに口籠るゼブルを促す。

 

「……仮に君の前に千晶が再び現れたとして、そのとき君はどうするつもりだ?」

 

僅かに低い声でぜブルは言葉を作った。

 

「どうするか、か」

 

その問いに、頭の中で思考を巡らせる。ゼブルが求める答えは、何を話すかだとかどう対処するかなど、そんな小さなものではないだろう、即ち。

 

(殺すか、殺さないか)

 

かつて千晶は幼馴染だった。橘千晶と新田勇、そして自分は物心つく前からの付き合いで、何をするにも一緒だった。だが既に自分達の道は別たれた後だ。眼前のゼブルやアリスのように、都合さえ会えば語り合える中立の仲には既にない。

 

「どうするか、か」

 

思わず言葉がリピートした。ゼブルはしばらくの間、窺うように視線を向けていたがこちらが何も言葉を発しないことを察すると、息を吐きながら首を振り席を立った。

 

「彼女等も丁度戻って来たようだ」

 

ゼブルの言葉に背後を見てみれば、軽い足取りのアリスと、その反対に思い歩みのなのはがこちらに戻ってくる姿が眼に入った。

 

「そっちもお話はおわったのかしら?」

 

「滞り無くな、貴女達も?」

 

「ええ問題なくね」

 

踊るように回りながらアリスは言う。

 

「ならば往くぞ。そろそろ『エストマ』も切れる頃合いだ」

 

しかしゼブルがそう言うにもかかわらず、アリスはゼブルに背を向けると素早い動きでこちらのそばへ近づいて来た。

 

「あ?」

 

眉を潜めたこちらを無視して、アリスは文字通り眼と鼻の先まで接近すると、笑みの表情で囁いた。

 

「悔いの無い選択を、ね。再会は歓迎するもので悲しむものじゃないでしょう?」

 

「………」

 

「じゃあねお兄ちゃん、お姉ちゃんも、また会いましょうね。今度は楽しい遊び場でね」

 

ゼブルは無言で、アリスは手を振りながら、まるで霞のようにその場で消え去った。

 

 

アリスとゼブルと名乗った悪魔が居なくなっても、人修羅は頬杖を突いたまま席も立たず動かずに居た。そこに何やら近寄りがたい空気を感じ、声もかけられずに居ると、当の人修羅が視線を向けずに声だけを放って来た。

 

「怪物と闘う者は、自らが怪物とならぬよう心せよ。汝が深淵を覗くとき、深淵もまた汝を覗いているのだ」

 

人修羅が唐突に何の前触れもなくそう言った。

 

「……ニーチェですか?」

 

「ああ、この世界にもニーチェは伝わってんのか。伝わってなきゃ俺の名言にしてやろうかと思ってたんだが」

 

「誤摩化さないで下さい、何が言いたいんです?」

 

「そのままだよ。お前がアリスと何を話してたか大方予想がつく。頼むから、お前はそのままで居てく……いや悪い妙なことを口走った」

 

「……?」

 

そのとき人修羅の言葉の端に、奇妙なものを感じた。彼の言動が不規則なのは普段通りだが、しかしいつもの人修羅は、言動の隅から隅まで自信に満ちており、弱気な面を見せた事など一度も無かった。だが、今の言葉の中になのはは人修羅の“弱さ”を感じた。こちらの疑惑の視線に気付いたか、人修羅が慌てたように次の言葉を繰り出して来た。

 

「なあ話は変わるんだが、お前メガーヌ・アルピーノという名に心当たりはあるか?」

 

「メガーヌ?」

 

「ああメガーヌ・アルピーノだ。八年前に行方不明になった魔導師らしいんだが……」

 

「えっと……ごめん、八年前はわたし一年間意識が無かったから……」

 

「ああそうか、襲撃を受けたときだったか」

 

八年前は自分が任務の帰還中に、謎の龍悪魔の襲撃を受け一年のリハビリを必要とした時期で、当時は自分の事にのみ集中していたため、外界で何が起こっていたかなどは後で触りを聞いた程度の知識しか無い。人修羅が言うメガーヌと言う人物にも心当たりは無かった。

 

「その人がどうしたの?」

 

「いや、何でも無い。知らないならそれで良い……帰るか」

 

と言って席を立った人修羅は再び口を閉ざした。そして六課の宿舎へ帰る間も、人修羅は一言も話そうとはしなかった。しかし今までも彼が沈黙を宿すことは幾度もあったが、翌日には普段の調子に戻るのが常だ。

 

(明日になったらあのゼブルっていう悪魔のことを聞こう)

 

そう思い、その日は人修羅に宛てがわれた部屋の前で別れた。だが。

 

「人修羅さんが居なくなりました」

 

翌日、フェイトが早朝一番にそう言ったのだ。


 
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