No.836658

外史の果てに 第二章 天に遣える者として(四)

あさぎさん

お久しぶりです。
たまにモチベが昂まると書ける。

2016-03-10 23:48:41 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:3441   閲覧ユーザー数:2727

 

 

「なぜ、私なんです?他にも目に付く生徒は居たでしょうに」

 

表情一つ変えず、目の前の徐庶と名乗った少女は落ち着いた声音で一刀に問いを投げかけた。

 

目の前で会話をしていた両者だったが、ここで初めて一刀は彼女の瞳を覗くことができた。

 

蒼穹を思わせるガラス玉のように透き通った二つの瞳は、

綺麗だと感じさせる一方でなぜか言い知れぬ不安を生じさせた。

 

この感覚は以前に味わったことがある。

 

初めて仲達と言葉を交わしたとき。

 

次に曹操と言葉を交わしたときだ。

 

恐らく一挙手一投足、こちらの話す言葉の隅から隅までを見極めた上で相手の思惑を量っているのだろう。

 

「突拍子もない話になってしまうんだけど、どうか最後まで聞いて欲しい」

 

眉を顰めながらも小さく頷いてくれた彼女に、一刀は自分の経歴を全て吐き出した。

 

自分には曹操や仲達のように雄弁に語る舌はない。

 

であるならば、正直に全てを話した上で判断して貰う方がずっとマシだろう。

 

「という訳なんだけども……」

「にわかには信じがたいですね」

「やっぱり?」

「と、言いたいところなのですが、司馬懿様が貴方に仕えたという事と、

曹操様が男を側に置いているという事実を踏まえると信用することも吝かではありません」

 

深く溜め息を吐いた徐庶は、張り詰めた空気を解すように表情を和らげてくれた。

 

「それに貴方の話す姿を見るに、嘘をついてる様子も見えませんでした」

「へぇー……ちなみにどういうところで嘘じゃないって分かるもんなの?」

「口で説明するとなると難しいのですが……では一つ。北郷様、実は私…今下着を履いておりません」

「えっ、うっそマジで!!?」

 

思わず視線が上下するが、直後に恥ずかしくなり逸らした。

 

「そういうところです」

 

袖で口元を隠し、くすくすと笑う徐庶は「冗談ですよ」と言いながら一刀に説明を始めた。

 

「嘘を吐くのが上手い人は、嘘を見抜くことが上手い人です。

北郷様はどちらも不得手な様子。それに貴方は私から決して目を逸らしませんでしたから」

 

首を傾げた一刀に徐庶は続けて分かり易い注釈を加えた。

 

「目は時として口よりも多くのことを語るものです」

 

なるほど、確かに目は口ほどに物を言う。

 

剣道の試合でも相手の竹刀ではなく、目を見ていた方が動きを読めていた。

 

「それに北郷様の話の中では北郷様が知り得ない言葉が出てきましたからね」

「俺、なんて言ってた?」

「伏龍、鳳雛ですね。その二つの名を知っているのは先生と私と当人の4人だけですから」

 

恐るべき、徐元直。流石は後世に名を遺した軍師である。

 

「そういえば、その諸葛亮さんと鳳統さんはここにいるの?」

「いえ、今はいません。つい先日にここを発ってしまいました」

「そっかぁ…それは残念だ」

 

三国志でもかなり有名な軍師だ。

 

仲間として引き入れられなかったとしても、一目会ってみたいと思っていたのだが運悪く擦れ違ってしまったらしい。

 

「やはり北郷様もあの二人を目当てにしていらっしゃったのですか?」

「いや、二人がここの門下生ってことは確かに知っていたけど、別にそんなことはないよ」

「しかし、私などよりも優れた二人に会いたかったとは思いませんか?」

「……徐庶?」

 

なんだろう、妙に食い下がってくる彼女に一刀は少々違和感を覚えた。

 

どこか必死というか、会って間もない仲だが感情を押し出す徐庶は何というか”らしくない”ような気がした。

 

そんな一刀の考えを察したのだろう。

 

徐庶は寂しげな笑みを浮かべながらその心中を語ってくれた。

 

「北郷様のような人は、実はこの学院には度々訪れるのです。名高い水鏡学院ですからね。

優秀な軍師を、と各地から有力者が訪ねて来ることは珍しくありません」

 

彼女の説明を受けて一刀は初めてそのことに気が付いた。

 

確かに自分がここにいるということは、他の者たちも噂を聞きつけてやって来ているということだ。

 

しかし、ではどうして優秀な二人は誰にも仕えずここを出て行き、徐庶はここに残っているのか?

 

「ただ、そういった有力者のほとんどが求めるのは諸葛亮とホウ統の二人だけ…他の学生には一切目を向けないのです。

よしんば声を掛けられたとしても、それは軍師としてではなく女として目に留まったにすぎません」

「でも、それなら自分から士官するという選択もあるだろう?」

 

一刀の言葉に徐庶は諦めたようにゆっくりと首を横に振った。

 

「私にはそこまでして誰かに仕えたいという気持ちがなかったのです。

知識を蓄えることは楽しかった……でも、それを奮う為の動機が私には無い」

 

手元の本の背中を白い指先がそっと滑り落ちた。

まるで我が子を慈しむような表情の中には、ふと疲れ切ったというような顔が覗いていた。

 

「二人には乱世を太平へ導く、皆を笑顔にしたいという尊い理想がありました。

しかし、私にはその理想は眩しすぎた……」

 

「---では、貴女はこのままここで燻り続けるのですね?」

 

聞き慣れた言葉に振り返ると、そこにはやはり仲達がいた。

 

「兵士はその手で人を殺し、軍師は頭脳によって人を殺める。そこにどんな崇高な理想があろうとも、この事実だけは絶対に変わりません。

徐庶よ、動機がないなんて言葉で自分を誤魔化すのはお止めなさい。知識を得た者が次に考えることはたった一つ。

その得た知識を自らの手で実践したい、ただそれだけです」

 

「しかし、それでは私は……私は……」

 

「だからこそ人はその事実をさまざまな理由で覆い、折り合いを付けるのです。

愛する者の為、理想の国を作る為、己が生き残る為に、と」

 

「では仲達様、貴女は何の為にその頭脳によって人を殺めるのか」

 

「私は一刀様と共に在りたい…その為ならば、例え万民の犠牲を払うことになっても決して躊躇いはしないでしょう」

 

同じ知に携わる者として、徐庶は司馬懿に戦慄した。

 

どんな犠牲も厭わないという強い言葉と、それを言い放った彼女の表情。

 

どこまでも冷たく深い水底を思わせる瞳は、北郷一刀と数多の人間が天秤に掛けられたとしても微塵も揺らぐことなく彼以外の人間を切り捨てるのだろう。

 

はたとして見ると、いつの間にか徐庶は自分の身体を腕で抱き締めていた。

 

かたかたと震える身体。

 

しかし恐怖から来た震えではない。

 

この胸中渦巻く感情を表すのならば……そう、高揚。

 

見てみたいと思った。

 

この二人の行く末を。

 

それが、徐元直が軍師となる理由であった。

 

 

 

 

 
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