No.834354

自己増殖性ラビュリントス 05「遍在する狩人」

「もし、深秘録参戦者以外がオカルトボールを手にしたら」というifをもとに描いた、東方深秘録のアフターストーリー的連作二次創作SS(SyouSetu)です。

!注意!
このSSは一部の幻想住人にとってアレルゲンとなる捏造設定や二次創作要素がふくまれている可能性があります。
読書中に気分が悪くなったら直ちに摂取を停止し、正しい原作設定できれいに洗い流しましょう。

続きを表示

2016-02-29 22:31:31 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:858   閲覧ユーザー数:858

05 遍在する狩人 -Volksjäger-

 

------------------

 

 湖畔に(そび)える、場違いな悪魔の館。天下を(あまね)く照らす陽光のいっさいを忌み嫌う伏魔殿は、夏の晴天の下にありながら、あたかも地の底を思わせる異様な雰囲気を纏っていた。その正門にひとり、天使と見紛う純白の大翼を背負った幻魔の姿あり。背格好は小さく少女然としているが、このおそるべき館の防空網を今しがた抜けてきたはずである彼女の歩みにいっさいの澱みはなく、彼女の平穏それ自体が異常の象徴にみえた。熾烈な空戦の残滓が、薄い煙の層になって鼻をつく。

「よう門番。クソガキいるかい」

 彼女が声をかけると、門の脇で居眠りしていた門番はばちりとその双眸(そうぼう)を開き、背を預けた塀から、腹筋の力のみでぐいと身体を起こした。

「アー、事前にアポ取ってくれれば通しますよ?要撃妖精(インターセプター)の霊力消費もばかにならないんで」

「ま、運動運動。たまに戦わないとナマるでしょ。今日の弾幕も悪くなかったよ。75点ぐらいかな?」

「アイ、アイ。お嬢様なら相変わらず引篭もってますんで、どうぞ」

 洋館からも原風景からもひときわ浮いた大陸風の装束を纏った門番は、気だるそうに道を譲った。

「たまにはどーお?あんたも一戦やらない?」

「遠慮しときます。契約以上の労働はしない主義なんで」

「あ、そ」

 幻魔は知ってますよ、と言わんばかりのそっけない態度でぷいと正門へ向き、大欠伸(あくび)をしながら歩き出した。門番もまた、眠そうな顔つきで持ち場に戻り、煉瓦の塀に腰を預けて居眠りを再開した。

 

 

「幻月様。お飲み物は何に致しますか?」

「あ、アイスティーで!すっごい甘いやつね!」

「ハイ、存じております。既にご用意したものがこちらに」

 銀髪のメイド長は完璧な所作でお辞儀し、手品のような手際の良さで主と賓客の前へグラスを並べた。沈殿の一切ない透き通った紅茶のなかで、完璧な直方体の氷がカラカラと清涼感のある音を響かせている。

「咲夜ちゃんったら相変わらず気がきくー!やっぱリアルメイドは違うわー!ねえ今度うちにも来てよー」

「ええ、お嬢様が向かう先なら何処へでも行きますわ」

「あらら、じゃ来れないわね。残念」

 館の主、魔王レミリアは咲夜をぐいと引き寄せ、愛おしそうに腰に手を這わせる。幻月はわざとらしく落胆したふうな顔をつくり、グラスを掴んでがぶがぶとアイスティーを渇いた喉へ流し込んだあと、がりがりと音を立てて氷をかみ砕いた。咲夜は幻月の品のない飲み方に眉をひそめた主を見てクスクスと笑い、腰を45度曲げた最敬礼を残して部屋を後にした。

 

「で、どうよ。別に咲夜の茶だけ飲みに来た訳じゃあないんでしょ」

 レミリアはグラスを揺らし、露の屈折越しに幻月を眺めながら問う。

「それもあるが、フランちゃんの匂いがしみ付いた空間でお花を摘みたかったのも大きい。なので今朝フランちゃんが使ったトイレをあとで教えてくれ」

「その羽根と頭全部バリカンで刈るぞお前」

「ヘイ、ジョーク。イッツジョーク。私は夢月一筋です。ひとの(おんな)に手を出すようなふらち者ではない」

 幻月は両掌を前に突き出し、なだめるポーズをとる。

「そうか。ならその床に落ちたフランの毛髪と思しき金の抜け毛をおそらくカーペットごとむしり拾ったであろうポケットの中身を出しなさい。そして両手を挙げて後ろを向きなさい。余計に苦しまないよう確実に介錯してあげよう」

「ヘイ、ヘイ。すまない。ついちょっとした出来心だったんだ。赦してくれなんて言わない。この罪は必ず生きてつぐなうと誓おう」

 幻月は両手を挙げ、全面降伏のサインを示した。

「よく正直に白状しましたね。罪を認めた勇敢な貴女には真実を教えましょう。それは昨日室内で散歩させてたチュパカブラのツパイくんの背中に生えてるなんかトゲみたいなやつが抜けて干からびたやつです」

「クッソァ!だましやがったな悪魔め!」

 幻月は掲げた右手の中身を床にたたきつけた。

 

「……とかいう与太話は今はおいといて、だ。結局のところ何用よ。例の件がらみだろ、どうせ」

 レミリアはグラスをくいと傾け、アイスティーをひと口、喉へ流し込んだ。その眼光はぎらりと鋭く、直に幻月を見据えている。

「まあね。あんたもあれ以降、何もしてねェわけじゃないでしょ。私もそうだし」

 幻月はそう言うと、ポケットから小さなチャック袋を取り出し、机に放った。中には、焼け焦げた雑草らしき植物片が数本。レミリアはそれを人差し指と中指でひょいとつまみ、燭台の灯かりに透かして上目で眺めた。

「昨日の夜、人里近くの林で採取した」

「分析は?」

「夢月がやってくれた」

「四大比率は?」

「風4火6。典型的な雷電熱による燃焼。恐らく、まだ1日も経過してない」

「ここ数日、人里周辺は概ね晴天だったわね。残留魔霊比は?」

「魔力2の霊力が8、ただ魔力は電磁誘導で生じた可能性が高いって」

「純霊術か……いまどき珍しい。霊力系統は?」

「たぶんだけど、思念系。呪殺系にも若干寄ってると思う」

 

「――なる程。龍魚や付喪神のものじゃあないね。となると、あの大祀廟の怨霊(スケベダイコン)かな」

「おそらくね。この焦げ跡をつくれるのは、あいつぐらいのもんでしょう」

「まあ、あいつである事はさしたる問題じゃないよね。もっと大きな問題は」

「そう。『あいつぐらいしかいない』のが最大の問題」

 幻月はぐいとアイスティーの液体部分を飲み干し、がりがりと氷を砕いた。

「相手がいない。あいつ以外の痕跡がない。――あいつ、誰と戦っていたんだ」

「痕跡を残さないのなら手段はある。たとえば霊夢。あいつの夢想封印系スペルは霊的痕跡がかなり早期に蒸発する。空中の敵に直撃させれば痕跡はほぼ残らない。では相手は霊夢?」

「ノー。霊夢はもっと物理痕跡を残す。あいつの主武装は御札と針。とくに最近、腕のいい鍛冶屋とパイプを作ったようで、針による攻撃頻度が上がっている。それがゼロとは考えにくい」

「でもイエスでもある、でしょ?」

 レミリアがくいと指を立てる。それに畏怖するように、蝋燭の灯がひときわ大きく揺れ、部屋の空気が一気に質量を増した。

 

「博麗はひとりじゃあ、ない。つまり、そういうことでしょ?」

「然り。奴の術は霊夢のそれに近しい性質だった。まあ当然よね、仮にも博麗を名乗るんだから。対して物理攻撃は大幣(おおぬさ)による打撃一辺倒。わたしらが探るタイプの痕跡はまず残らない」

 幻月は乱暴に、グラスに残った氷をかみ砕いた。

「野郎、ずいぶんと手口が派手になってきている。博麗を名乗る怪異に、人里近くで暴れられちゃあ、里の秩序が保てない。たとえそれが怪異の必要刑であっても、度を過ぎた執行は恐怖を生む。恐怖はヒトの心にいとも容易く巣食い、猜疑をともなって自己増殖を始める。恐怖と猜疑はもっともプリミティヴな害意の迷宮。牛の首(ミノタウロス)の増殖は事実を伴わない」

「それは困るね。早急に潰さないと」

 レミリアの静かな声に、殺気が篭もる。魔王、レミリア・スカーレットは夜を統べる最強の妖怪である。彼女にとってそれは自己の存在意義に等しい絶対の定義であり、何人たりとも侵すことを赦されぬ究極の真実である。故に彼女は秩序の破壊を許容しない。幻想郷に存在する不文律の秩序はすべからく彼女の隷下にあり、かの大異変と語られる吸血異変以来、命名決闘法(スペルカードルール)によって薄氷一枚の上に浮かぶ愛すべき刹那の芸術である。故に彼女は、魔王レミリアの手に依らない秩序の破壊を最も憎悪する。この博麗大結界の内側において、混沌とは彼女のみを指す。何故なら外界に混沌はいまだ存在しており、自己の意志で越境した己のみが、幻想郷において唯一、混沌たりえるからだ。それこそが魔王レミリアの信仰であった。

「わかった。博麗太郎については私が動こう。あいつを徹底的に潰す理由ができた。咲夜なら里方面にも顔がきく。湖から里までは紅魔の領域。そこで、だ。ゲンゲ。あんたには、あんたの領域で探って欲しい」

 幻月がほおばっていた氷をごくりと呑み込んだ。しんと静かな一瞬に、喉の音が響いた。

「……ドレミーか」

「話が早くて助かるわ」

 夢の管理者、ドレミー・スイート。先の『会談』に呼ばれた大妖怪のひとりにして、そのうち唯一、稀神サグメと明確に接点をもつ。先の『会談』において月面にまで異変の元凶を追及しないことは、いわば、彼女自身の堂々たる出席、そして明確な沈黙によって暗黙の了解として成り立っていたきらいがあった。ドレミーにとってサグメは看過できぬ相手だ。彼女の出席と全面協力はそれ自体が潔白の証明であり、出席者全員に対する最大の圧力であった。恐らくは豊聡耳神子を含む、鬼人正邪を除いた全員が、彼女の顔を確認した時点で稀神サグメ、ドレミー・スイート両名の存在を絶対不可侵領域(サンクチュアリ)として定義した。だが鬼人正邪が禁足を土足で踏み砕いた今、その聖域にも僅かばかりの風穴が生じた。故に、そこを突く価値は十二分にある。

 ドレミー・スイートが夢世界のセキュリティレベル引き上げ――事実上の第四槐安(かいあん)通路"アポロ経絡(けいらく)"封鎖――を敢行した今、およそ尋常の方法では、同経絡を根城とする彼女の隙を探ることは不可能であった。ただ一人、夢幻世界の全定義を自身の頭脳のみで構築し、今なお夢世界を侵食せんと知識を蓄え続ける怪物を除いては。

 夢幻世界は夢世界に準ずるかたちで付随する異空間であり、空間そのものの定義がいわばドレミー・スイートの二次的、三次的な管理下にある。即ち現状で唯一、ドレミー・スイートの懐の内でありながら直接的な干渉を受けない獅子心中(セキュリティホール)に潜む害蟲(バグ)。幻魔悪魔の長大な天寿を尺度としてすら稀代といえる絶後の天才。レミリアは幻月に『取引』を持ちかけた。即ち己は貴様の宿敵を、己が全存在意義を賭して必ず潰す。故に貴様は、貴様の存在意義(いもうと)を私の為に動かせ。

「――承諾すれば、どうなる」

「話が早いわね。悪いようにはしないわ。ただし、悪魔は手段と過程を何より選ぶ。最善最適最大効果の手段のみを選好みして完遂し、必ず総て一片たりとも余さず残さず完璧完全に、唯お前と私の求める結果だけを引き摺り出す。その手段がお前とは限らないし、私自身とも解らない。だが博麗太郎は必ず潰す。悪魔の契約とはそういうものだ」

「往古来今東西南北、悪魔と契って破滅しなかったものはいるまい」

「主観と客観の違いよ。世界(だれか)はそれを破滅と呼ぶし、契約者(おまえ)はそれを成就と呼ぶだけ」

 幻月は半分溶けた氷の溜まったグラスを宙ぶらりんにつまみ、視線を真直ぐ動かさず、じとりと悪魔を睨んだ。そして大口をあけ、氷をすべて放り込み、乱暴に噛み砕いたのち、グラスをテーブルへだんと叩き置いた。

「上等だクソガキ。乗ってやるよ」

 

 

 ● ● ●

 

 

 目が醒めると、畳敷きの大部屋だった。奇妙な頭痛が、状況認識を阻害する。すわ、酒にでも酔って帰路の記憶を失くしたか、とも思ったが、どうにもそうした経緯とはちがったふうな違和感がある。まず異常を報じたのは嗅覚だった。誰しもの生活圏に臭気というのは常々あるものだが、多くの場合、自宅の臭気は意識できない。嗅覚が慣れて麻痺しているからだ。異人がその空間を訪れてはじめて、生活圏の臭気はその異人の鼻から知覚される。覚束ない意識のなかで鼻をついた臭気は、明らかに、ここが自室でない事を告げていた。次に異常を報じたのは、ごわごわと触りなれぬ質感をした布団をはぐった掌だった。

 私は私自身の臭気が居心地悪そうに縮こまる真新しい布団――おそらく来客用なのだろう――のなかで半身を起こし、着衣を確認した。寝巻ものりが利いた和装で、おおよそ自分の私物ではなく、こちらも急な来客用なのだろう、押入の木の臭いが染み付いていて、どこか着心地が悪い。つまるところ、何かしらの経緯でもって私はこの邸宅に、来客として宿泊したということか。ならば私服もどこかしらにあるはずだ。私はいつも布団の左脇に畳んで置いている。目やにをこすり、大あくびを一ツしたあと、左を向いてぎょっとした。

「ん、おお……フニャ」

「……は?」

 まるで時間が止まったような感覚だった。いや、時間を止める術者とは何度か手を合わせたことがあるし、そも、時間を止められたばあいの知覚などできはしなかったので、そのような感覚など本来存在し得ないというのは判っていたのだが、便宜上そう形容するほかなかったのだ。ああ、どうしてこうなった。その記憶がうまく引き出せないのが憎らしい。自分は外泊許可はとったのだろうか?無断外泊に加えてこうなると、いよいよもってどう申し開きをすれば……というか、自分はどう後始末をつければ……。と思考を巡らしたところでどうにもならないので、少し落ち着いて現在の状況を客観的に整理しよう。

 

 同じ布団で半裸の女性が寝ていた。

 

 半裸、といっても一般的な幻想郷の寝巻から大きく逸脱したものではなく、要するに、肌の上に直接、余裕のある寝巻を羽織っていたものが、寝相によって多少はだけている状態になる。上半身にかんして言えば所謂大事なところは隠れているので多分、大丈夫だと思うのだが、下半身は確認する勇気がない……と、ここまで実況したうえでこう言うのもなんだが、イヤイヤイヤ。ダメだ。これはダメだ。着衣をはだけた女性を同じ床の中で眺め回すというのは色々とあれだ、よろしくない。一旦布団を出よう。出たら出たで、自分の寝巻や私服に何か変な染みとかついていたら色々と言い逃れができない気がするが、流石に記憶がトんでいるからといってそこまで私は無節操ではないだろうと信じて、女性を起こさないよう慎重に、もぞもぞと布団から這い出したところで、目の前のふすまがバタンと開いた。

「あら鈴仙さん。おはようございます」

「ギャッ!」

 ……思わすモノスゴイ声が出てしまった気がするが、兎はビックリすると死んでしまうので、ギリギリ生きてただけでも良しとしよう。そうでないと自我が保てない。ふすまの向こうに立っていた女性は長身で大柄、腰ほどもある艶やかな長髪は魔性の魅力を纏った神秘的なグラデーションカラーで、しっかりと肉付きのよい肢体と柔和な笑顔が、強い包容力を感じさせた。――という所まで頭で考えたあとでやっと気付いたのだが、命蓮寺の聖住職である。ようやっと頭の回転が戻ってきた。

「え、あ、その、これは……」

「ごめんなさいね。今ちょうどお布団を里の洗濯屋に出していて、急な来客だったもので……一応二人用の大布団ではあるのですが、窮屈ではありませんでしたか?」

「あーあー、あー……あはは、大丈夫です。こちらこそ、ご迷惑を……」

 ああ、ああ。そうか。そういう経緯か。うん、そうか。全く思い出せないがつまり不可抗力であって特に何があったとか、そういったあやまちが生じたわけではないのだな。脳はふたつの両立し得る要素のうち一方が満たされる場合、もう一方の要素はないものと錯覚する作用があるというが、たぶんこれはそういう作用ではなく本当に何もなかったのだろう。そう思おう。気をしっかり持て鈴仙・優曇華院・イナバ。お前はやればできる子だ。イヤ、このばあいヤったりデキたりしてはマズいのだが、うん。まだ混乱してやがるな。とりあえず落ち着こう、な?

 冷静になって後ろを振り返ってみると、だらしなく寝巻を着崩して大いびきをかいている茶髪獣耳の女性、女性っていうか二ッ岩のおばあちゃんじゃあないか。ハハン、サテは昨日、宴会か何かで酔いつぶれて、おそらく酒がずいぶん強いとみえる彼女に介抱され、寺に一泊、ご厄介になったというところだな。そうであろう。そうにきまっておる。自分で言うのもなんだが、外回りで使い走られた経験がこうじて、こういう時の外交スキルは存外にあるのだ。接客業というのは人ぎらいでも務まるものである。つまるところ仮面(ペルソナ)でだけ会話すればよいのだから、友人知人同僚上司と仲良くするよりはるかにラクだ。相手をヒトと思わなければ、己を己と思わなければ問題ないのだ。

「すみません、突然ご迷惑をお掛けしてしまって。お陰で助かりました。命蓮寺の皆さんには――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――う、どうじゃ。気ィついたか?」

「え、は!?」

 照りつける陽光!やかましいミンミンゼミの合唱!間違いない、ここは外だ!背には木造の建造物、おそらく倉!そして、目の前にいるのは……二ッ岩マミゾウ!聖住職じゃない!

 頭が混乱してきた。確か先ほどまで目の前にいたと思われた、聖住職は法衣やドレスではなく寝巻のような恰好をしていた。仏教徒の一日にさほど詳しくはないが、朝が早いというのが一般的な認識だ。生真面目な聖住職のことであるし、恐らくあの時点では早朝という程度の時刻であったのだろう。だが今はどうだ。太陽は真上、ほとんど真昼ではないか。しかも、そもそも、畳敷きの部屋はどこへ行ったのだ?

 何もわからず硬直する私をよそに、マミゾウはどんと壁に手をつき、顔を寄せた。

「え、え!?な、何を――」

「悪ィな。ちと消さして貰ったぞ。お前さんの記憶」

「え……?」

 どきりと、厭な気分が胸を打った。記憶。そう、記憶だ。昨晩の記憶もない。そして、今朝から今までの記憶も。

「安心せい。悪いふうにはせん。じゃがちと、算段が変わってな。――主は覚えておらんだろうが、儂は主と昨晩、同盟関係を結んだ。信じる信じぬは主に任す。じゃが最低限、聞け。主ァ波長が視得るじゃろ」

「ええ、はい……視得るというか、何というか。観測は可能です」

 マミゾウにふだんの飄々とした余裕はなく、いつになく真剣な表情。こころなしか小声で早口、まるで誰かに聞かれぬようにとすら感じる。この、何処ともわからぬ――恐らく命蓮寺からそう遠くないか、或いは敷地内であろうが――場所もそのためか。

「実際どう思う。主の忌憚の無ェ意見が欲しい。……何か違和感は、無ェか」

 違和感。そう言われてはじめて、まとわりつく妙な感覚を自覚した。その不自然さは不自然ながらもあまりに自然であるので、じっくりと観測しなければわからないものだった。生きものは皆、何らかの波長を持っている。たとえば騒ぎたてるミンミンゼミや、目の前のマミゾウからも、それぞれ波長が出ている。それは似たものこそあれど千差万別、まず一ツとして同じものはない。だが。

「……おかしい。気配があるのに波長が無い。それも、至る所に……『無い』が、『在る』」

「そうか。やはり、妙か。儂は感覚頼りだからよ、そういう小難しい分類はわからねえ。だが、間違いなくきな臭ェものがある。それはわかる」

「ええ……なんと言うか。同じ波長が、あらゆるところに存在していて、それが互いに干渉し合って、同じ波長であるがゆえに、打ち消しあっている。そんなふうな感じです。でも、同じ波長なんて存在しないはず。ごく似た波長だとしても、こんなにたくさん同時にだなんて……」

「なる程。なんとなく理解した。儂の感覚とも合致する」

 

 曰く、マミゾウが昨晩――といっても、今すぐには記憶にないが――私に同盟関係を持ちかけたのは、他ならぬ『この違和感』が元凶であったという。発端は数日前。マミゾウがオカルトボールを手にしたころから、彼女は奇妙な視線に曝されていた。それはすぐに判ったし、彼女はおおかた、別の都市伝説使い(オカルティスト)だろうとたかをくくっていた。いずれ手を出してくる、その時勝てれば勝てば良し、負ければ負けたでそれも良し。だが、視線は一度の手出しもせず、じとりと、常に纏わりつくようにマミゾウを捉え続けてきた。彼女ほどの大妖怪であってすら、その陰湿な不快感は恐怖すらもを一瞬、感じさせた。この異変に関して彼女は既に、複数の妖怪から接触を受けている。それらとの協力はすべて蹴ってきた。反りの合う合わぬも多分にあるだろうが、何よりも、この奇怪な視線の主とつながりがないという確証が持てなかったからだ。それはマミゾウにとって不利益でしかない。

 そこで目をつけたのが私だったという。理由はまず特定の集団組織に一応は属しながら、猜疑心が強く、単独行動を好む妖怪であること。こうした手合は、犯人とのつながりがある可能性が低い。また私が犯人であったならば、それもまた、己から主導権を握ったうえで接近すれば、敵側からアプローチされるよりも、遥かにやり易い。そこに加えて、彼女の守備範囲外からアプローチ可能な高い索敵能力。これらを兼ね備えた者として、順当に私を指名し、視線の恐らく及ばぬであろう竹林まで尾行し、少々の脅しと遊びを加えた上で――覚えていないが、たぶん碌なことはされていまい――同盟関係を結んだ。

 だが、ここで彼女に誤算が生じた。私が同盟関係を結び、監視の目を強化すべく命蓮寺に向かったところで変化があった。これまではじっとりと、遠巻きに眺めているだけのようだった視線が、明らかに、敵愾心(てきがいしん)をもって向けられ始めたのだ。その圧力はこれまでの比ではなく、明らかに、私の存在を警戒するふうなものだった。

「――で、悪いがお前さんの記憶を飛ばさせて貰った。たまたま呑み屋で会って、儂がうっかり酔い潰してしもうたと偽ってな」

 そう言うと、マミゾウはペンライトのような銀色の小型機器を懐から取り出し、こっそりと見せた。恐らくは、これが彼女の都市伝説(オカルト)か。

「主が儂を味方と認識せぬのなら、敵が味方と認識もできぬ道理よ。主ァ筋の入った人ぎらいで通っておるからな」

「大方は理解しました。で、今明かしたのはつまり」

「おう。視線が近ェ。今までのいつよりも、昨夜よりも遥かにな。ちと早ェかとも思うたがよ。こういうのは、機を逃せば後手後手よ」

 そう言うとマミゾウは壁から手を離し、私と同じく壁を背にした。

 

 

 命蓮寺が管理する、寺から少し離れた倉のある見通しのよい丘。同盟関係を結んだ二ッ岩マミゾウと鈴仙・優曇華院・イナバは互いに隣り合い、倉に背をつけ周囲を警戒した。周囲の気配はさらに異様さを増す。それはマミゾウ曰く、周囲をとり囲むようにどこからでも、己を見ている感覚。同時に存在し得ない同一波長が同時に複数存在している、とは鈴仙の分析。正体に皆目検討はつかぬが、どこかにいる。故に、どこにでもいるのと同じである。遍在、その表現がもっとも的確だった。

 戦時中、洋上において最高の打撃力と防御能力を誇る軍艦であった戦艦が、もっとも危険視したのは航空母艦による超望遠攻撃と、潜水艦による不意討ちであった。潜水艦の強さはその遍在性にある。たとえば闇夜の洋上において、海底で出力を停止して待ち構える潜水艦を洋上から発見することは、強力なアクティヴ・ソナーを用いた入念な対潜警戒をおこなう必要があった。洋上にいる限り、どこにでも敵潜水艦がいる前提で臨戦態勢を維持せねばならなかったのだ。仮に敵国がいっさい潜水艦を出撃させていまいと同じである。闇に遍在する狩人の存在は、その可能性だけで兵の体力を損耗させる。それが潜水艦のもつ強大かつ特異な優位性であった。

 鈴仙は感覚器官をフル活用し、周囲の地形の把握につとめていた。マミゾウもまた、握りこぶし大のカプセルを手につかみ、何らかの攻撃行為を行おうとしていた。だが、迂闊に手が出せぬ。倉の周囲、丘の頂こそ見通しはよいが、射面を少し下れば草むらの背は高く、いくらか細々とした木々もあり、所々に小さな崖もある。隠れるにも、迎え撃つにもうってつけ。双方にとって有利であるがゆえに、かえって膠着状態が長引いてしまっていた。

「どうする優曇華院。下手に打って出るのァ悪手か」

「ええ。ですが、キリがないですね……こういうのは篭城側が不利です。少し、揺さぶってみましょう。 *六三式回転六連弾倉白幻影敷設擲弾筒(Type-03プリズムマルチグレネーダー -ミラージュ-)*」

 鈴仙は携行擲弾筒(グレネードランチャー)を構え、丘の下、ちょうど小さな崖になっているあたりに銃口を向け、引鉄(ひきがね)を引いた。スポン!小気味良い音と共に、不可視の擲弾が山なりに飛んで、崖下に落ちたようだった。尤も、ここからでは射面が死角をつくり、崖の上すらほとんど見えない位置であるため、憶測ではあるのだが。擲弾はとくに炸裂したふうな音もなく、敵の反応もない。

「……不発か?」

「いいんです、そういう都市伝説なので」

 そう言うと鈴仙は銃口を、崖近くから生えた細い木に向け、スポン、スポン、スポン!と、微妙に角度をズラしながら3発放った。1発は木の枝に当たり、もう2発は根のちかくに落ちたようだった。その後、丘の頂のちょうど両端あたりの草むらに、左右1発ずつ放った。計6発、チャンバーの全弾を打ち尽くしたかたちだ。いずれも、炸裂音はなし。鈴仙は携行擲弾筒を不可視化した。直後、手品めいて彼女の右手には拳銃が握られていた。擲弾筒は既に影もかたちもなかった。

 マミゾウはいぶかしんで、メガネをくいと上げて擲弾の当たった枝を注視した。そこで彼女は妙なものを見た気がした。一見すると何もないように見えた枝の上に、何か、白くて曲がりくねった、小さな影があるように見えたのだ。その影はくねくねと、不気味で奇妙な動きをしている。あれは、一体――。

「あまり見ないほうがいいですよ。狂いますから」

 鈴仙の忠告で、はたとマミゾウは我に返って目を逸らした。鈴仙は逆に、着弾点の影を、狂気の紅い瞳で睨みつけた。どくん。鈴仙の瞳から、真紅の波動が流出した。それは真直ぐに白い影を射抜いた。鈴仙はブツブツと何かつぶやきながら拳銃を握り込み、壁に背をつけ、いつでも不意の打撃に備えられる姿勢だ。マミゾウも何かを察し、煙管(きせる)を構えて接近戦闘の構えをとった。膠着状態が再び訪れた。――かに思われた、その直後!

「取ったッ!喪心『喪心創痍(ディスカーダー)』ッ!」

 鈴仙が双眸を見開いたと同時、ドスン、と大きな音がした。何かの落下だ。敵に被弾させたか!?しんと静まり返る丘の上。マミゾウは構えをとったまま訊いた。

「なあ、おい。どうなった。やったのか」

「いえ。今のは敵を倒せる攻撃ではないので。牽制です」

 

「だろうね。恐れ入る」

 突如、静寂を破る第三者の声。鈴仙らのあいだに緊張が走った!誰だ、何処にいる!鈴仙は拳銃をしかと構え、いよいよ迎撃体勢をとった。その直後だった。それまで何もなかったはずの丘の上、鈴仙のすぐ目の前5間ほど先に、そいつが現れたのは。

「!!?」

「何じゃ!?」

「何だとは失礼だな。私だよ」

 それはまったくの一瞬だった。否、一瞬という形容すらもスパンが長過ぎるほどだ。目を離した隙にあらわれたとか、瞬いたうちに出現痕跡を見逃したとか、そういったたぐいではない。完全に、そいつが『存在しない時間』と『存在する時間』が、映像データのコマ送りのように突如、切り替わったのだ。土ぼこりもなければ音もなく、確かにそこに誰もいなかった須臾(フェムト)の、次の須臾には既にいた。そう形容するほかない状況であった。突如出現したそいつは、挑発的に鈴仙らを眺めながら、小柄な体格に似合わぬ悠然とした態度で立っていた。全身グレー一色の身形に、長い尻尾と円い耳。両手それぞれに握った、L字型のロッド。

「誰かと思えば、寅丸んとこの鼠かァ……!手前かよ、儂らァつけ狙っとったんは」

「そうだ。悪いね、私も故あってオカルトボールを蒐集しているのだ。本来は穏便に、盗み取ってやろうとも思っていたのだがね。カンの鋭いやつだ。そちらもやる気ならば、仕様がない。2対1というのは些か不服だが、まあいいだろう。しかし、なかなか良い初手だね。よもや、札破壊(ハンデス)ときたか……牽制札を1枚、ここ一番使ってやろうと思っていた隠し玉の切り札を1枚、喰われたかたちだ。フム、盲点。よく思いついたな、面白いスペルだ。さて、カード・アドバンテージは1ひく2で1枚の損だ。どうするか……」

「……なぜ、姿を見せた。一方的に攻撃することもできただろう。お前の、矜持か何かか?」

 灰色の鼠妖怪、ナズーリンは鈴仙の問いに、軽く鼻を鳴らして応じた。

「ああ、できたさ。むろん、薄汚い毒腐鼠(ドブネズミ)に矜持もクソもありはしない。だがね、君たちはそれで倒せるほどの三下じゃあないだろ。君の都市伝説と似たようなものさ。それなりの準備を経てこそ、発揮される力があるのだ。私の場合はね、君たちの認識が重要なのだ……君たちがこの私、ナズーリンと戦闘しているという認識がね」

 そう言うとナズーリンは両手のダウジングロッドを交差させ、ここに現れてはじめて、明確な臨戦態勢をとった。

「おっと、与太話はここまでだ。私のこれにも謎が多かろうが、精々悩んでくれ給え。無理くりの理由づけもまた、都市伝説のだいごみだろう。――なァに、安心しろ。物陰木陰で狙撃銃を構えている仲間がいるわけではない。私という鼠(ナズーリン)は、世界でたったひとりだよ」

 

 

 ナズーリンは再び、ぱたりと消えうせた。それは現れたときと同じく、須臾と須臾とのあいだに消えたとしか形容できないものだった。

 

【06につづく】


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
0
0

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択