No.792811

真・恋姫†無双 ~夏氏春秋伝~ 第八十一話

ムカミさん

お待たせしました、第八十一話の投稿です。



久々の拠点回、ほのぼのしていきましょう。

2015-07-29 01:55:04 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:4221   閲覧ユーザー数:3277

とある朝。

 

一刀は不意に目が覚めた。

 

まだ早朝も早朝、この日は珍しく休日である一刀が起きるにはまだ早いのだが、理由は起きてみればすぐに分かった。

 

誰かが一刀の部屋に向かって、大きな足音を隠そうともせずに駆けてくるのが分かる。

 

暫しの後、その誰かは壊さんばかりの勢いで扉を押し開くと、部屋に入るなり元気よく声を上げた。

 

「一刀っ!出掛けよう!!」

 

「姉者、少し落ち着け。おはよう、一刀。それと、こんな時間にすまない。

 

 だが、現に外はいい天気だ。お前さえ良ければ、どうだ?」

 

「おはよう、春蘭、秋蘭。

 

 お出かけか。うん、いいな。すぐに準備するから、少し待っててくれないか?」

 

「おお!」 「うむ」

 

二つ返事で一刀は了承。

 

こうして慌ただしく一刀の休日の幕が上がる。

 

 

 

 

 

さっと着替えると一刀は春蘭、秋蘭と連れだって城外へと繰り出す。

 

大通りを歩きながら一刀は秋蘭に問い掛けた。

 

「出掛けると言っても、どうするんだ?遠乗りか?」

 

「いや、一刀も少し前まで遠征に行っていたんだ、馬は別にいいだろう?

 

 今日は許昌の街の中を色々と回ろうと思っている」

 

「許昌を、か。だが、以前にも回らなかったか?」

 

「確かにそうだが、あの時よりも随分と変わったところもあるぞ?

 

 何より、露天商の区画が凄い。どうやら彼らの間でここは評判になっているそうだ」

 

「へぇ。そう言えば最近は何かと忙しかったから、しばらくあの辺は見てないな」

 

「ふふ、そうだと思っていた。丁度今、珍しいものも出ているらしい。

 

 きっと一刀も気に入るだろう」

 

恐らくこの外出を企画したのは春蘭だろう。

 

事前連絡無しの突発性はいかにも彼女らしい。

 

一方でルート取りは秋蘭が全て決めたようだ。

 

細かなところに気を配ってくれるそのやり方は、まさに秋蘭らしさが詰まっているものだった。

 

「お~い!遅いぞ、一刀、秋蘭!!」

 

「すまない、姉者、すぐ行く!」

 

「はは。悪い、急ぐ!」

 

スタコラと前に出ていた春蘭が振り返って声を掛けてくる。

 

そんな春蘭の様子は傍から見てもテンションが高かった。

 

一刀も秋蘭も、そんな彼女に微笑みを漏らしながら足を速める。

 

向かう先は予定通り露天商区画。

 

久々に訪れるそこ。今やかつてと関係が変化した二人との行動ということもあって、一刀も楽しい気持ちが膨らんできていた。

 

 

 

 

 

暫く足を進めて辿り着いた区画を目にし、一刀は思わず感嘆の声を上げた。

 

「おぉ……賑わってるなぁ。大陸の外からの交易品も結構あるみたいだ」

 

「うむ。多い時には場所の申請後、空き待ちが出来るほどらしい。

 

 稟が嘆いていたよ。賑わうのはいいが、忙しすぎるとな」

 

以前から既に活気はあり、人気のスポットであったこの区画。

 

そこが今や人気という一言では済まないほどに人で溢れかえっていた。

 

その大半は珍しいもの見たさで冷やかし程度のようだが、中にはちゃんと商品を購入していく者も多い。

 

それもこれも、魏の関税を撤廃したことが時間を掛けて効いてきたことで、露店の物価が非常に手頃なものとなってきたからである。

 

「おぉ?!これは何だ?!一刀、秋蘭!珍しい果実があるぞ!」

 

「へぇ、バナナじゃないか。これはまた、随分南方の方まで足を延ばしたのでは無いですか?」

 

「これは、御遣い様!えっと、申し訳ないのですが、こちらは香蕉と呼ばれる品物でして……」

 

「あ、すまない。天の国では香蕉のことをバナナと呼んでいたんだ。

 

 ついその言葉を使ってしまった。物は同じなようだからな」

 

「然様でしたか。それにしてもさすがは御遣い様、ご存知でしたか。

 

 こちらの入荷には多少無理を押しはしましたが、好評いただけておりまして。

 

 よろしければお一ついかがですか?」

 

一刀の衣とその姿形は魏の民は勿論、魏に出入りする商人の間でも既に有名なもの。

 

当然のように春蘭が興味を示した露天の店主も一刀に気付く。

 

大陸の者にとってはほとんど初めて目にするだろうバナナですら知っていた一刀の知識に感嘆を示しつつ、店主はその一つを一刀に差し出す。

 

が、一刀はそれをそのままは受け取らなかった。

 

懐に手を入れ、財布となっている巾着を取り出す。

 

そこから一房分の代金を取り出すと店主に差し出してこう言った。

 

「貴方には初めて言うのだったかな?

 

 いくら為政者の側にいるからといって、商品をただでは貰えないよ。

 

 一房、買わせてもらおう」

 

「へっ、へい!毎度あり!!」

 

魏ではもはや当たり前の光景。

 

しかし、初めて直面した商人は皆驚く。

 

現代育ちの一刀としては、商人が税を納めている時点で、と考えての当たり前の行動なのだが。

 

ともあれ、バナナを購入した一刀は2本千切るとそれを春蘭と秋蘭に手渡す。

 

「ほら、皮を剝いて食べてみな?美味いぞ」

 

「そうなのか?ならば早速!」

 

「ほう?それは是非ともいただくとしよう」

 

一刀に促され、二人は嬉々としてバナナを頬張る。

 

一口二口と噛み、すぐに驚きに目を見張った。

 

「おぉ!確かに美味い!これはいいな!」

 

「うむ、今まで食べたことの無い味だ。

 

 だが、変な癖も無いし、食べやすいものだな」

 

「だろ?良かったよ、二人が気に入ってくれて」

 

 

 

他愛無い会話を交わし、何かを見つけては談笑する。

 

ゆったりと過ぎる時間。

 

大陸の情勢は油断できないものなれど、時にはこういった息抜きも必要であることは明白。

 

何より、折角春蘭と秋蘭が誘ってきてくれたのだ、今日くらいは仕事のことは忘れて、存分に楽しもうと一刀は決めていた。

 

 

 

ちょこちょこ露店を覗き込みながら区画を歩いていると、ふとどこかで聞き覚えのある喋り方が耳に飛び込んでくる。

 

「ヘ~イ、ちょっとそこのオジョーサン、ワターシの商品、見て行ってチョーダイネ!

 

 あの天竺から遥々持ってきたスパイスの数々!他の商人、誰も持ってな~い。とって~もプレシャスよ?」

 

典型的な外国人喋り。時折混ざる英語。

 

かつて真桜と互いに一歩も退かぬ交渉劇を繰り広げていた、あの商人である。

 

「む?なんだ、あの珍妙な言葉使いは?」

 

「ふむ……確か、大秦の言葉だったか?

 

 さすがに詳しい意味までは分からんが、何やら良さそうなものを置いているようだな」

 

「ああ。どうやら天竺の香辛料、それも結構貴重なものを取り扱っているらしい。

 

 ちょっと覗いてみるか?」

 

春蘭の疑問に秋蘭が答え、その補足を一刀が行った形。

 

が、一刀が補足したその内容に二人は目を丸くしていた。

 

「一刀っ!あやつの言葉が分かるのか?!」

 

「私もさすがに驚いたぞ……一刀に知らぬことなど無いかのようだな」

 

心からの感嘆を示す二人に対し、一刀は苦笑をもって応じる。

 

「いや、偶々知っていただけだよ。それも、多くは分からない。

 

 だから会話なんて持っての他だ。ただ、あの程度に混ざる程度ならほぼ問題は無い」

 

「それでも十分凄いことだぞ、一刀?

 

 まあ、いい。ならば折角だ、少し覗いてみようか、姉者」

 

「ああ、そうだな!」

 

同意を得て、三人は進路を少々変えて件の露店へ。

 

近づいてくる三人に気付いた店主は今度はそちらに笑顔を向けて呼び込みを始めた。

 

「ヘイ、オニーサン、オネーサン!ちょっとワターシの商品――――Oh!ユーはいつかのガイじゃありませんか!!」

 

「どうも、ご無沙汰しています。何でも、今日はスパイスを持ってきたとか?」

 

「Yes!天竺にあったスパイス、いっぱいいっぱい持ってきたネ!

 

 どうぞ見て行ってチョーダイ!」

 

バッと広げた手の下には、確かに言った通りに香辛料が多々並んでいる。

 

「ほぅ……私も胡椒くらいならば分かるのだが、他にもたくさんあるようだな。

 

 香辛料にこれだけの種類があるとは、知らなかったよ」

 

並んでいる、のだが……

 

(おいおいおい……これって……)

 

興味深げに色々と眺めている秋蘭の隣で、一刀は商品群を見て暫し固まっていた。

 

さすがに一刀にも一目でどれがどれだと区別がつくわけでは無い。

 

だが、そこにはいつかテレビで見たような、興味を持ってネットで調べて見たような、そんな香辛料が並んでいた。

 

天竺-インド-の香辛料として古代から有名な胡椒に始まり、シナモンやクローブ、更にはローリエ……

 

聞いてみればきっとクミンやカルダモン等、名前だけしか知らないものも揃っているのだろう。

 

否、揃っている。そう不思議と確信してしまった。

 

(さっきのバナナもそうだけど、結構食物事情に関してはいい加減だよなぁ、外史って……)

 

恐らく、これも”イメージが為す”力故なのだろうと一刀は推測する。

 

インドの香辛料やそれから作るもの、と言われて現代の日本人が思い出すのは、基本的にガラムマサラになるだろう。

 

だからこそ、交易商がこれらを持ってきても、”外史としては”不思議は無いと言えるのだった。

 

「しかし……これだけ揃ってるんだったら、流琉に頼めばカレーが食べられるかも……?」

 

思わずポツリと一刀が漏らした言葉。

 

それを耳聡く春蘭が聞きつけてしまった。

 

「むむ?!一刀、そのかれぇとやら、流琉に頼むということは食べ物ではないのか?!」

 

「ぅおっと?!あ、ああ、そうだ。

 

 天の国では大抵の人が好きな料理でな。

 

 俺も食べられるのなら久しぶりに食べてみたいものだ」

 

「ならば流琉に頼んでみればよいのではないか?

 

 聞くに、これらが必要なのだろう?折角なんだ、少々値が張っても試してみるといい」

 

グイッと大きく身を乗り出して尋ねてきた春蘭に、仰け反りながら一刀が答える。

 

そこに秋蘭が後押しをする形となった。

 

そうは言っても、やはり香辛料は高い物、それも数を買わねばならないとなると、失敗のリスクも考慮して手は伸ばしづらい。

 

だったのだが。

 

恐らく秋蘭にとっては無意識で、しかし一刀には止めとなる一言が若干の間を置いて秋蘭の口から発せられた。

 

「それに…………一刀の郷の料理を、私も食べてみたいしな」

 

秋蘭が自らの希望を第一とする、要は我が儘を言うことは珍しい。

 

その上、内容がこれで、更に少し照れ気味にそんなことを言われた日には、掛かる費用の心配など二の次どころか彼方まで吹っ飛んで行ってしまった。

 

「……店主。スパイス全種類、買おう」

 

「オーケイ!さすがはガイね!マイドッ!」

 

「ところで店主、ガラムマサラのレシピは分かるか?」

 

「What's?ガラム……?ソーリー、知らないネ。

 

 それ、天竺のフード?ワターシ、あっちにはスパイス仕入れに行っただけヨ」

 

一刀としては極々普通に店主と会話をしているだけのこと。

 

しかし、春蘭と秋蘭にとっては理解出来ない単語が多々混ざる会話で、若干ならず置いてけぼりのような状態であった。

 

「そうか。ならそっちは自分で何とかするとしよう。

 

 ありがとう、いい買い物が出来た」

 

「こちらこーそネ。またよろしくヨー!

 

 3回目はうんとサービスするヨー!」

 

相も変わらず商魂逞しい商人に別れを告げる。

 

と、春蘭と秋蘭もすぐに一刀に追随して動き出した。

 

「むむ……一刀が何を喋っているのか、全く分からなかった……」

 

「うむ。大秦の言葉も学んだ方が良いのだろうか……?」

 

春蘭は純粋に驚き、秋蘭は真剣に悩んでいる。

 

取り敢えず、と一刀は城へと足を進めながら二人に振り返った。

 

「そうそう使う場面は無いだろうし、何より学習のやり用があんまり無いから、別にいらないだろう。

 

 それよりも、早いところ城に帰って、流琉に頼もう。俺も久しぶりとあって、俄然楽しみになってきた」

 

「おう!」 「うむ!」

 

三人の足取りは、朝から今もなおずっと軽いまま。

 

ウキウキした気分を隠そうともせず、楽し気に三人並んで城を目指す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わぁっ!!凄いです、兄様!珍しい香辛料がこんなに!!」

 

城内で見つけた流琉と共に食堂の厨房に入り、一刀が目の前に広げて見せた香辛料。

 

それを見た途端、流琉はキラキラと瞳を輝かせて歓喜の声を上げていた。

 

流石は料理人、未知なる食材には果てしない興味があるようである。

 

「色々と試したそうなところ悪いが、実は流琉に頼みたいことがあるんだ」

 

「頼みたいこと、ですか?はい、構いませんが、一体何でしょうか、兄様?」

 

拒否など端から頭には無いようで、流琉は内容を問い返す。

 

そして一刀の答えに複数の意味で目を丸くすることとなった。

 

「これらの香辛料を使って作ることが出来る、天の料理を作ってもらいたい。

 

 大凡のレシピ――あ~……、調理法、か――それは分かるんだが、詳しい配分等は不明なんだが……やってみては――」

 

「やります!いえ、やらせてくださいっ!!」

 

一刀が最後まで依頼の言葉を発する前に、流琉は被せるようにして受けていた。

 

「そうか。ありがとう、流琉。

 

 それじゃあ――――」

 

そこから一刀は思い出せる限りのレシピを思い出しながら、流琉と共にカレーの製作にとりかかった。

 

ちなみに春蘭と秋蘭は食堂にて待機である。主に暴走対策の為に。

 

 

 

「これとこれを砕いて混ぜて――――」

 

「あっ、辛いっ!?でも……美味しいです!」

 

 

 

「炒ってから粉砕ってのも――――」

 

「さっきのものよりはまろやかですね」

 

 

 

試行錯誤しながら肝となるガラムマサラの調合に励む二人。

 

それ以外のところでも一刀が材料を思い出し、流琉に伝えて、流琉がそこから大陸の食事情に合ったアレンジを加えていく。

 

数種類調合して作ったガラムマサラを試し、或いは味を調え、或いは没にし……

 

そうこうしながら暫しの時が経過した。

 

やがて厨房には香り高いスパイスの香りが充満し、それが食堂にも流れて行き――

 

「…………これでどうでしょうか、兄様?」

 

「んっ…………おぉ……これなら、ほとんどカレーだ。いや、もうこれはカレーだ……」

 

「と言うことは……?」

 

「ああ……」

 

一瞬の間。そして。

 

『完成だ~!』

 

声をそろえて歓声を上げた。

 

「よし!後はご飯をよそって、そこにこれをかけたら全ての準備は完了だ!」

 

「はい!ではすぐに!」

 

二人はすぐに動き出す。

 

ルーの作成と並行して流琉の手によって手際よく炊き上げられたホカホカのご飯が4枚のさらに盛られる。

 

そこに完成したばかりの熱々のルーをかけ。

 

「春蘭、秋蘭、お待たせ。ようやく完成したぞ」

 

ずっと待ってくれていた二人の下へと運んで行った。

 

「おぉ!待ちくたびれたぞ!!」

 

「ほぅ……これはまた、随分と香しい……

 

 だが、見た目は……その、あまり良くは無いのだな?」

 

「まぁ、中華料理に比べるとそこは、ね。

 

 でも、味はとても良い。病みつきになると言ってもいいくらいだ。

 

 たまに三食カレーでも大丈夫だと豪語する人もいたくらいだからな。

 

 子供から大人まで、広く俺の国で親しまれていた食べ物だけに、外れということは無い。是非とも食ってみてくれ」

 

カレーが完成してテンションが上がっている一刀の口からは、いつになく一つのものを褒めちぎる言葉がポンポンと出てきていた。

 

それを聞いて遂に待ちきれなくなった春蘭が声を上げる。

 

「話は後でもいいだろう!早く食べよう!!」

 

言うが早いか、春蘭がカレーにがっつく。

 

「美味いっ!!これはいいなっ!!」

 

そのまま瞬間的にカレーの虜となっていた。

 

「ふむ。では私も頂くとしよう」

 

姉に続き、秋蘭もカレーに手を伸ばす。

 

レンゲで掬ったそれを口に含み、咀嚼し、飲み込むと。

 

「うむ、確かに美味だ。香辛料も良く効いている。

 

 だが、だからといって味に棘があるわけでは無いのだな。

 

 それだけに、惜しいな……」

 

「あ、それは私も思いました。そういう意味では兄様を少し恨みます……」

 

「ん?どうしてだ?」

 

秋蘭が最後に付け足した一言に流琉が同意を示す。

 

その理由が分からず、一刀は首を傾げた。

 

そんな一刀に、秋蘭と流琉は息を合わせて答える。

 

「調理には参加していないとは言え、材料は私も知っているのだ」

 

「あれだけ高価で希少な香辛料を使う料理は、さすがにそう出すことは出来ません」

 

「偶に、と言うのであれば可能かも知れんが……」

 

「そもそも香辛料が手に入るかどうか、それが分かりませんので……」

 

「なるほど……それは確かに」

 

ここ最近は見に行っていなかったとは言え、行商人がカレーを作れるだけのスパイスを取り揃えて来たのは初めてだった。

 

つまり、値段よりもむしろ、ものがあるかどうかの方が問題となる。

 

二人に指摘されるまではすっかりと失念していた一刀であった。

 

「ま、そこはまた機会があれば、ってことでいいんじゃないか?

 

 極偶にしか食べられないからこそ、より美味しく感じられることもあるだろう」

 

そうとしか言えないだけに、秋蘭と流琉もそれには同意を示すことになる。

 

それで僅かなりとも盛り下がる話題は切り上げ、4人でカレーに舌鼓を打つことにしたのだった。

 

が、一刀はもう一つ、失念していることがあった。それはカレーに付きもののとある問題事項。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その声が食堂に聞こえたのは春蘭が二杯目を、他の三人が一杯目のカレーを平らげようとしていた時だった。

 

「あら?何やら香しいわね。それも、私が今まで嗅いだことの無い匂い……

 

 流琉?いるかしら?」

 

声を掛けながら、食堂に華琳が現れたのだ。

 

時代の新旧問わず、カレーの匂いは良くも悪くも広がり、留まる。

 

それは大陸の者にとって未知の香りであり、食堂に引き寄せるに十分な威力を持っていたのだった。

 

流琉は華琳の登場に即座に反応して立ち上がっていた。

 

「はいっ!何でしょうか、華琳様!」

 

「この匂い、その元は何かしら?教えてもらえる?」

 

「はい!こちらです!」

 

いずれも残りわずかとなっている皿に盛られたカレーを示す流琉。

 

華琳はそれを目にし、若干眉を顰める。

 

「……これ、何かしら?

 

 食べ物のようだけれど、随分と変わったものね……」

 

「はい。兄様に教えて頂いた、天の国の”かれぇ”と称されるものだそうです。

 

 とても美味しいですよ!!」

 

「へぇ、一刀の……それは興味があるわね。

 

 流琉、私にももらえるかしら?」

 

「はい、もちろんです!少々お待ちください!」

 

流琉は慌てて厨房へと引っ込むとすぐさま新たな皿にカレーを盛ってくる。

 

それをその間に席についていた華琳の前へと静かに置いた。

 

「やっぱり、見た目はアレね。でも、天の料理の見た目に関しては前例もあることだし……

 

 取り敢えず、頂くわ」

 

見た目への素直な感想を一言発してから、華琳がカレーを口に含む。

 

ゆっくりと、味わうように咀嚼。そして嚥下。

 

と、そこで華琳の動きが止まる。

 

目を瞑り、何事かを考えているのか。

 

感想が思い浮かばないのか、と一刀がやや不安になり始めた時、ようやく華琳が口を開いた。

 

「へ、へぇ~……確かにこれ、美味しいわね……

 

 こう、ピリッとしてて、いい具合に香辛料が効いているわね」

 

「はい!何でも天竺の珍しい香辛料を複数調合して作るものだそうでして。

 

 兄様と一緒に私たち独自のものを作ってみました!」

 

「な、なるほどね……すごいわね、流琉」

 

「はい!」

 

満面の笑みで答える流琉とは異なり、華琳の評価や受け答えはどこか精彩を欠いているように一刀には感じられる。

 

その理由は何だろうか、と考えていると、唐突にとある事柄を思い出した。

 

それはかつての現代での生活のこと。

 

まだ生意気盛りだった頃の妹が始めて麻婆豆腐を食べた時の反応。それが今の華琳と酷似している。となれば。

 

「悪い、華琳。これ借りてくぞ。ちょっと待っててくれ」

 

「へ?ちょ、ちょっと、一刀!?」

 

華琳の制止も聞かず、一刀は華琳の皿を持ち上げるとそのまま厨房へと入る。

 

そこで目当ての物を見つけ、さっと華琳のカレーに一手間を加えた。

 

「お待たせ。華琳、もう一回食べてみてくれ」

 

「もう一回?さっきとはまた違うとでも言うのかしら?」

 

「ああ。きっと違う感想が得られると思っている」

 

「……分かったわ」

 

訝し気な華琳とは対照的に、一刀は自信を持って新たなカレーを華琳に薦める。

 

一刀がそこまで言うのであれば、と華琳は再び、しかし今度は若干怖々とカレーを口に運んだ。

 

その後の反応は誰が見ても一目瞭然で異なったものであった。

 

「あ、美味しい…………なるほど……

 

 数種類の香辛料を使って味と香りに深みを出しているわね。刺激は強いけれど、素材の味も生かしている。

 

 このようなものは食べたことが無いわね。とても美味よ、一刀」

 

「だろう?華琳ならそう言ってくれると思ったよ」

 

先程とは打って変わった解説と褒め言葉が華琳の口から飛び出す。

 

それを機に春蘭達も再びカレーを食しにかかった。

 

「一刀!華琳様にお出しした”かれぇ”に何をしたのだ?

 

 私も欲しいぞ!」

 

「ああ、そうだな。流琉、カレーを皿によそった後、それぞれルーの部分に卵を割り入れてやってくれ」

 

「は、はい!分かりました!」

 

流琉が一刀の指示通りに作ったカレーを新たに3皿運んでくると、3人はそちらに舌鼓を打つ。

 

その間に華琳は一刀にそっと尋ねた。

 

「ちょっと聞きたいのだけれど。一刀、どうして卵を?」

 

「あ~、それなんだが……意外だったんだが、華琳、お前って辛いものが苦手なんだな?」

 

「っ!?」

 

一刀の思わぬ指摘に華琳の頬がカアァッと赤く染まった。

 

「に、苦手というわけでは無いわ!ただ……そう!辛いものは味覚が壊れる可能性があるでしょう?

 

 だから避けるようにしているのよ!ただそれだけのことよ、ええ!」

 

焦った言葉は言い訳にしか聞こえない。

 

一刀としては隠すほどの事でも無いとは思うのだが、それを置いておいて一先ずはさっきの華琳の問いに答えることにした。

 

「なぜ卵を、ってことだけど、卵の、特に黄身の部分をルーに入れて混ぜれば、まろやかになって辛さが抑えられるんだ。

 

 天の国では割とよくやる食べ方だからな。ちょっと辛さが強いと思ったら、よくこうする人がいたのさ」

 

「なるほど、そうだったのね。

 

 それにしてもこの、”かれぇ”だったかしら?確かに美味しいのだけれど……

 

 材料を聞いた限りではそう易々とは作れないわね」

 

「それは仕方ないな。また、何かしら特別な時に上手く材料が手に入ったら、その時に気まぐれに作ればいい。

 

 というよりも、それしか無いだろう」

 

「そうね。それでも、今日はいいものを知ることが出来たわ。

 

 ありがとう、一刀」

 

綺麗な笑みを湛えて華琳が一刀に礼を述べる。

 

一刀もまた、己の好きな食べ物の一つを褒めてもらえた喜びから笑顔で首肯した。

 

「あぁ、それと」

 

まだ何かあるのか、と一刀が首を傾げる。

 

それに対する華琳の答えと、一刀が状況を理解する音が発せられたのは同時だった。

 

「かれぇの追加、作った方がいいわね。材料はまだあるのかしら?」

 

「流琉~!!何か食べ物のいい匂いがするよ!!」

 

「……美味しそうな匂い」

 

「おお~!なんか美味そうな匂いがプンプンしてんな~!

 

 アニキ~!これ何なんだ~?」

 

季衣、恋、猪々子。

 

魏の誇る(?)大食い三戦士、ここに推参。

 

「…………ちょっと露店で買い占めてくる」

 

「……ご愁傷様」

 

食堂の片隅では、引き攣った一刀の笑みと同情の籠った華琳の苦笑が交叉していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

売られている香辛料を見てみたいと言う流琉を連れて香辛料を買い占めに行ってきた一刀は、戻ってきて目にした食堂の光景に驚かされることとなった。

 

まだ僅かに残っていた最初のカレーの匂いが引き寄せたのか、現在許昌にいる魏の将官クラスのほとんど全員が集っていたのである。

 

そして、その中には”あの”人物達も。

 

「兄上!何やら美味なものを作られたとかで。是非私にもお願いします!」

 

「一刀さん、よろしければ私達もご相伴に預かれませんでしょうか?」

 

「ああ、勿論構わない。その為に材料を買い足しに行ってきたんだ。

 

 今から作るから、もうちょっとだけ待っててくれ、(ましろ)(あかり)――っと、これは呼ばない方が良かったか?」

 

食堂へと戻ってきた一刀の姿を認め、声を掛けて来たのは、先日より許昌にて生活をすることとなった協と弁であった。

 

受け答えた一刀は最後に、しまったとでも言いたげな表情を浮かべる。

 

が、協も弁もそこを気にすることは無かった。

 

「いえ、構いません。私達には最早、そこに執拗に拘る理由も必要もありませんので」

 

「はい、姉様の言う通りです。むしろ、兄上には呼んでいただきたいくらいです」

 

「そうか。なら、よかった。取り敢えず、まだ時間が掛かるから、もう少しだけ待っててくれ」

 

言って一刀は流琉と共に厨房へと消えていった。

 

さて。一刀と協、弁のこの関係性の変化、その原因はつい先日のことにある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――

―――――

 

協と弁を許昌の迎えた日の夜。

 

一刀は二人に呼ばれ、早速その部屋へと出向いていた。

 

「お呼び立てしてしまいすみません、一刀さん」

 

「いや、それは別に構わないよ。

 

 それで?どんな用かな?また天の国の話が聞きたい?」

 

「それも聞きたいところなんだけど、今日の用件は別のことなの」

 

そう切り出す協の顔は、何かを決意した様子。

 

協が一度チラと姉の顔を窺うと、弁は背中を押すように一つ頷いていた。

 

「一刀には――いいえ、一刀にだけは、私達の……真名を、預けたいと思ってるの」

 

「真名を…………ふむ……そう言えばまだそれらしいものを話の端ですら聞いていなかったな。

 

 互いを呼ぶ時でも使っていないのには理由が?」

 

思い返してみれば、一刀は協も弁も互いをずっとそう呼んでいることに気付いた。

 

公的な場でのみならばいざ知らず、二人とはプライベートな時間もいくらか共に過ごしたことがある。

 

にも関わらずこうであるということは、今までの経験上少々珍しいことであった。

 

「理由というほどのものでもないのですが……

 

 皇帝の一族には、代々暗黙の了解のようなものがありまして」

 

「暗黙の了解?」

 

「真名ってとても大切なものでしょう?皇帝とそれに連なる者のそれともなれば、それは格別のもの。

 

 だから、親類縁者以外には許す許さないを問わず、知られることもあってはならない。そんな風習があったの」

 

弁が、協が、皇帝一族の内情を話してくれる。

 

その内容に、なるほど、と納得を示すも、ふと疑問も覚えていた。

 

「そういうことだったら、俺に”だけ”教えるというのはどういうことなんだ?

 

 華琳たちには教えないのは、まだ立場上皇帝であるから、ということなんだろう?」

 

「うん、そうなんだけどね……?」

 

「本来でしたら、華琳さん達にも真名を預けたいところではあるのですけれどね。それだけのことをして頂いているのですから。

 

 ですが、まだ皇帝の立場が一応とはいえ続くのであれば、それは少し躊躇してしまいます。

 

 けれど、一刀さんは別と言えます。少々強引な理屈――いえ、屁理屈ですけれどね」

 

「屁理屈?」

 

弁の話に対し、そこにだけは首を傾げる一刀。

 

それへの返答もすぐになされた。

 

「一刀は”天の御遣い”。皇帝は”天”そのもの。それに、協は一刀さんを”兄”と慕っています。

 

 だったら、私達は縁ある者同士。そう取れるでしょう?」

 

「なるほど。そう解釈すれば、確かにそうだな。

 

 何にせよ、分かった。俺には拒否する理由なんて無い。ありがたく頂いておくとするよ。

 

 あ、もう分かってるとは思うけど、一応念のため。

 

 俺の真名は正確に言えば無いんだけど、敢えて言うなら”一刀”がそれに当たる。

 

 無論、二人には好きに呼んでもらって構わない――って、もしからしたら洛陽でも話したかも知れないな。

 

 何にせよ、改めてよろしく、二人とも」

 

一刀の言葉に協も弁も笑みを見せた。

 

そして視線で譲り合った結果、協から切り出すことになる。

 

「ありがとう、一刀。それじゃあ……

 

 私の真名は九龍(くーろん)、そして白です。私の方こそよろしく、一刀」

 

「それでは私の方も。

 

 私の真名は雲龍(ゆんろん)、それと朱になります。

 

 真名で呼ぶ時は是非、朱の方でお呼びください」

 

「あ、私は白の方でお願い、一刀」

 

「えっと……あ、ああ……」

 

二人から教えられた真名、その内容に一刀は驚きを禁じ得ない。

 

結果、言葉に詰まってしまうこととなった。

 

弁はその様子を予想済みだったのだろう、すぐに補足説明を加えてくれる。

 

「真名が二つあること、驚かれますよね?」

 

「……ああ、そうだな。申し訳ないが」

 

「いえ、いいのです。簡単に説明しますと……

 

 皇族は代々、二つの真名を持つ風習があるのです」

 

「そこには意味が?」

 

「はい、勿論です。

 

 真名とはとても神聖なもの。それは個々人の精神と結びつき、力を与えるとも言われます。

 

 そこで、皇族は一つ目の真名に皇帝の象徴たる龍の字を冠したものを。

 

 そしてもう一つは従来通り、その人そのものを表す真名を。

 

 そのように決まっているのです」

 

「ちなみに、皇帝の位を継承する時には龍の真名を用いるの。

 

 そうすることで、真名から皇帝たるに相応しい力を得ようとしているんだって」

 

「いつ頃から存在する風習かは分かりません。

 

 ですが、だからと言って片方の真名を勝手に排することは出来ません。

 

 ですので、皇帝で無くなったとて、私たちの真名は二つです。

 

 気恥ずかしい限りですが……」

 

「いや、そんなことは無いよ。

 

 九龍と雲龍、それに白と朱か。うん、いい真名だ。

 

 ありがとう、そんな大事な真名を俺に教えてくれて」

 

「一刀さん……いえ、こちらこそありがとうございます」

 

慰めでは無い、一刀の本心からの言葉。

 

最後の説明が自虐気味になってしまった弁には、それが暖かく心に染みる。

 

「ということで。これからもよろしくね、一刀」

 

そして協の明るい声がその場を締めくくるのだった。

 

 

 

今はまだ、以前の立場の問題が色濃く残っている。

 

だが、いつかは、この二人も普通の女の子としての生を謳歌出来るようになってもらいたい。

 

そう一刀に思わせる、そんなやり取り。

 

―――――

―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなことがあり、協と弁は一刀とのみ真名の交換を済ませていたのである。

 

ちなみに、協が一刀を『兄上』と呼称するのはまた別の理由から。

 

その原因は、新たに出来上がった第二陣カレーに舌鼓を打つ一同の中でも特に騒々しい一角、季衣と流琉にあった。

 

二人が一刀を”兄”として慕い、そう呼ぶのを目の当たりした協は、自身も一刀をそのように呼びたいと思ったらしい。

 

しかし、呼び方が被ってしまうことは色々と避けておきたい。

 

結果、協が選択したのが”兄上”という呼び方であった。

 

初めは一刀も驚いていたが、協が望むならば、と快諾、今に至る。

 

 

 

二人が許昌に来てからまだ数日。

 

さすがにたったそれだけの期間では、まだまだどこか魏の面々と協たち、互いにぎこちない部分が見え隠れしている。

 

だが、それもすぐになくなっていくだろう。

 

華琳が、一刀が、好んで集めて来た魏のメンバー。

 

それが無駄な拘りに執着し、空気を読まず壊したりすることはまずない。

 

そんな気のいい者たちに囲まれていれば、きっと傷ついてしまった二人の心も、いずれ癒えていくだろう。

 

そう一刀は思うのだった。

 

 

 

「賑やかだな、一刀」

 

「秋蘭。ああ、そうだな」

 

ある意味心地よい喧噪。

 

それを背景に、秋蘭と一刀は静かに笑みを湛えて並んでいる。

 

ふと、思い出したように秋蘭が声を掛けた。

 

「当初の予定とは随分と異なってしまったが、こういうのもいいものだな」

 

「だなぁ…………この光景、ずっと守っていかないとな。もっと大勢を加えて……」

 

「あぁ……」

 

かつての立場が様々な者達が、入り乱れて、されど剣呑な雰囲気など一切無く。

 

この輪を広げ、守りたい。

 

そう、心に改めて決めた一日となったのだった。

 


 
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