No.778916

司馬日記52

hujisaiさん

遅くなってしまいましたが、その後の、とある文官の日記です。
皆様の御笑覧、コメントを本当に励みにしております。
いつも有難う御座います。

2015-05-22 19:46:46 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:10088   閲覧ユーザー数:6488

8月3日

西羌への輿入れ辞退工作が不調に終わったことが三国会議で報告された。

公達様によれば「そりゃそうよだって一刀様ってそもそもガチ虐めって出来ないじゃない、基本弄る程度で終わった後なんか超甘いし。けど一刀様のあの陵辱『プレイ』の中にほんのり混じる本気って言うか、『こいつを悦ばす為にやるけど悟らせないぞ』的な台詞の中にちょっとだけ混じってる雄の本能みたいなの?あれがびっちょんびっちょんに感じるのよねぇ」

との事だ 。個人的な嗜好につい ては別に伺ってはいなかったが、要は一刀様は御優しい為西羌を翻意させるに至らなかったということらしい。

すると士季が良策が御座いますと発言し、どのような策かと皆に問われた所個人の御名誉に関わりますので公表は避けさせて頂き上司に献策致しますと言い、上司である趙雲殿に耳打ちをした。すると趙雲殿は何とも言えないにやりとした笑みを浮かべ、士季の策は上策と思われるので任せて頂きたいと述べられ散会となった。

 

8月5日

趙雲殿から改修工事施行伺い書の稟議が回送されてきた、馬超殿の専用浴場に例の李典工場長が開発された「まじっくみらー」の取り付けと、それに隣接した小部屋を作る工事という内容であった。三国総務費からの支出になっていることにも疑問はあったが既に詠様が決裁されていたのでそれはよいとして、警備部に出向いて趙雲殿にこの浴場は馬超殿名義の個人資産であるのだが馬超殿は御承知なのだろうかと伺ってみた。すると決裁欄に蜀の丞相印と王印が押された書類を見せられ、これは蜀としての判断であり責任は持つので心配御無用であると回答された。

 

総務室に戻って件の改修設計図を確認したが意味不明な小部屋であったので詠様にこれが何か知っているかと聞くと、

「ああ、例の件ね…翠もかわいそうね。親には潼関で敗れ、子には風呂場で例のプレイ公開のお膳立て食らうとはね」

と遠い目をされ、隣席で聞いていた元直は

「あそこの下の子じゃ喜んでやっちゃいますからここは翠しかいないんですよ。いいじゃないですか結局寝床で勝てば、翠なんか勝ち組な方ですよ」

とこれも生暖かい目をし、結局よく分からなかった。

 

8月7日

三国巡幸の最終工程案が魏の総務部にも回覧された。一刀様の御移送警護事務が王都側から本国側に移る事については予算移管については事前協議があったので特段の問題は無いが、事前協議では呂布殿と文遠殿だけは御移送を担当することになっていたはずだが全て本国側が所掌すると変更されていたので総務部の窓口をされていた公達様に御事情をうかがった所

「本国側が死ぬ気で土木(工事)やりきって、経路全部例の真桜の車両で行けるようになっちゃったからね。呉は車両がそのまま入れる船開発しちゃうし、蜀も剣閣通らない経路開発したらしいしね。霞だけは自分が(一刀様)運んだ方が経費が安くて早いやろって最後まで抵抗したらしいけど、各国側の意向を受けた一刀様が霞跨らせて軽くぐりぐりっと『説得』して結局こうなったって聞いてるわ」

とのことだった。単純な旅程経費と期間であれば文遠殿の言う通りではと重ねて聞くと

「何言ってんのよ、馬上じゃ女抱けないけど車中ならいっくらでもとっかえひっかえ出来るから女の回転効率はいいでしょ?あんたいまだに御巡幸の意味分かってなかったのね、これって要は地方の女の不満解消行事なの、一刀様は女の裸を視察するのが仕事なの!産業だの治安だのはそこの女共がどうとでもするわよ」

と呆れられてしまった。

 

8月8日

一時期御健康を損なわれていた月様がお元気そうでありまた御機嫌も麗しい。

詠様によると「納得いく仕事が出来てるからね」とのことだ。

 

8月9日

互いに残業が多くあまり一緒に夕食を摂れていなかった士載と夕食を共にした。

先の御巡幸の話を思い出し、街道整備の業務について聞いたところ大変な業務であるがやりがいがあり、また最近は需要過多のため軍内に土木専門の部隊を創設する動きがあるという。

また今回の御巡幸には王都側の協力者として行程の一部で御伽も担当する事になったと恥ずかしげに付け加えた。

 

…決して羨ましくは無い。

 

8月11日

元気の無い白蓮殿に飲みに誘われ、三国一で一席を設けた。

曰く、事務標準化担当部長を解任されたとの事だ。自分では任に堪えなかったのかと意気消沈しており、大分酒を過ごしてしまわれたが帰りがけに迎えに来られた一刀様が連れて行かれた。

私は一刀様に特に御連絡は差し上げていなかったので、おそらくは気を落としているであろう白蓮殿を察されていらして下さったのだろう。

一刀様のお心のなんと深いことであろうか、またそれ程に愛されている白蓮殿も仕事に多少の不調があろうともお幸せだろう。

 

8月12日

詠様に白蓮殿が担当部長を解任された経緯を伺ったところ、

 

「それがねえ…意外と白蓮何やらせても結構出来るのよ、ちょっと『だれでも』の基準にするには厳しいくらい。それで業務要求水準を各国で見直すことになっちゃったから一旦この件は沙汰止みになっちゃったのよ」

との事であった。

 

…白蓮殿には解任経緯は伝えられていなかったのだろうか。

 

8月14日

許攸が一刀様の昼食の給仕を行い壁際で待機中していたが、お心遣いの濃やかな一刀様が一緒に食べないかとお誘いになり私共々御相伴に預かる事となった。(私も人の事を言えた義理ではないが)許攸は暫く無愛想な態度であったが、やおら口を開くと

「ねえ一刀様。一刀様って皇帝の割りに結構しょぼいもん食べてんのね」と暴言を吐いた為、即座に短戟で許攸のメイド服の袖ごと卓にに縫いつけ『口を慎め』と叱咤した。併せて臣民の為華美を避け、寵姫の方々の為健康に配慮された御食事をなさっている一刀様の御心根を説こうとしたところで御寛仁なる一刀様が御取り成しになったので短戟を引き抜いたが、特に御呼びはしていなかった顔良殿が笑顔で入室してこられ『私言いましたよね許攸さん?じゃ、行きましょうか』と彼女を引っ張っていこうとされた。

彼女らは旧知の間柄と聞いており、私以外からも指導はあった方がよいと思い引きずられて行くのを黙って見ていたが一刀様が顔色を変えて彼女らの後を追って出て行かれてしまった。

 

止むを得ず一刀様のお食事は残し、自分達の分だけを下げようとしたところで様子を見に来たらしい逢紀が来室したので許攸の無礼について話し、指導を十分に行うように指示をしておいた。すると承知しましたがその許攸はどこかと聞かれたので斯く斯く云々で顔良殿が連れて行ったと話すと「ああ…そうですか、椿(審配)がもう一人出来上がっちゃったのね…まあいっかぁ…」等 と何か諦めたような様子で帰って行った。

許攸については余りに不遜な態度が改まらない場合は月様もしくは詠様へ雇い止めを御提案しなくてはなるまい。

 

8月15日

一刀様の御執務に一息入れて頂いていた間にお話し相手を務めさせて頂いた。

曰く、天の国では人を笑わせることを生業とする芸人がいたと言われ、そういった者は大層人気であったそうだ。

一刀様も天の国に居られた時分に彼らの出演を御覧になっており、その『お笑い』というものにはある程度定型的な『お約束』と呼ばれる展開や『ボケ』と『ツッコミ』と呼ばれる役割分担があるとのことだ。

残念ながら私はそういった方法で一刀様の心をお慰めする才能にはとことん欠けており、せいぜい忠勤に励む他には色気も足りぬこの体でお慰めする位のことしか出来ない。

…先日口戯の鍛錬に励んでいた叔達は感心な娘であるのかも知れぬ、私もいま少し女として一刀様に御奉仕する術を磨かなくては。

 

8月17日

上機嫌な白蓮殿に再び飲みに誘われ、今日は白蓮殿の私室で飲んだ。

曰く、先日の後一刀様より白蓮殿の能力が求められていたものよりも高過ぎた為であると聞かされたという。

直接は語られなかったが親しく御寵愛も賜ったようで喜ばしい事だ。

 

8月18日

先日の無礼の後に改善が見られるか、許攸の一刀様への接し方をそれとなく監視したところ未だに言葉遣い等は突慳貪な所があるが、前回よりは幾分ましなものになっていた。多少具合が悪いのか頬が赤く、お茶をお出しする為の一刀様の御様子の伺い方もちらちら見ては視線を逸らすなど若干挙動不審気味ではあるが多少の進歩は見られたので今日は特に指導は行わなかった。

それもこれも一刀様の御人徳と御指導の賜物であり一刀様へ御礼を申し上げたところ、「間一髪だった…」と呟かれながら溜息を吐かれた。

 

8月20日

西羌の使いと名乗る美女が突然総務室を訪問して来た。

用件を察した詠様と元直が応対したが、沈鬱な表情で使いが言うことには

『自分は今回の輿入れ予定の者であるが辞退させて欲しい、また西羌は西涼馬家とは元々親交があり世話になっているが馬家の長女が蜀王も公認であのような辱めを受けているのは不憫に耐えず、金なら幾らでも積むので西羌で彼女を身受けさせて欲しい』というものであった。蜀で馬超殿が特に孤立しているとも侮られているとも聞いたことが無かったが、詠様と元直はそろって口元を震わせ『も…ボク駄目』『あたしも限界』等と言いながら馬超殿を呼ばせた。

しばらく使者と馬超殿のみで会議室で話されていたが、突如顔を真っ赤にされた馬超殿が『星はどこ行ったぁー!?』と叫びながら出て行かれてしまい、その直後に何故か詠様と元直が噴出ししばらく笑い転げていた。

 

8月22日

事務通達で、呉が軍事行動にて山越の頭目であった費桟を放逐し呉の息のかかった何某という頭目を立てたという報告があった。

費桟はかつて親交の為の上京時に一刀様を指して『女とやるだけの能無しだ』と陰口を叩いたとされ、呉のみならず魏蜀からも友軍を派遣していた。

最後まで出兵に御反対された一刀様の命により軍による示威行動と交渉のみの結果ではあったが、やはり孫尚香様、凌統殿、顔良殿らが主張されたように放逐のみでなく殺害した方が一刀様の威を保つ意味では良かったのではないだろうか。

 

8月23日

司馬徽殿が荊州の女学院の院長を退き、上京され三国塾の塾長になったという。

門下であったはずの元直に聞くと「ついに来やがったわねあの妖怪色ボケババァ」と言いながら笑顔で通達文を握り潰してしまった。

いつか諸葛亮殿は尊敬しているような口振りで話されていたが、師弟仲が余り宜しくないのだろうか。

 

8月24日

三国塾の教科に教養及び精神衛生向上の為として音楽の授業が始まり、役満☆姉妹の楽曲が教科書に載る事となった。大衆娯楽と見做されてきたこのような分野も自由選択とは言え学習すべきこととなってきた事に時代の移り変わり、ひいては一刀様の御善政の表れを感じる。

会議において私は一刀様を讃える歌がよいと意見を述べさせて頂いたが、一刀様が『極力政治色は薄く、なるべく個人名も無く未来に向かって希望の持てるような歌を』と御意見され今回の曲となった。一刀様の御謙譲、奥ゆかしさには感じ入るばかりだ。

 

8月25日

一刀様に御寵愛を賜った。

ふしだらな癖に意気地が無く正直にお情けを乞えない私を思いやって下さり、予め三国一の宿泊室予約を指示されていた。

事前には陳琳殿の小説等を見て、御食事の後はこのように御召し物を脱いで頂いて、などと考えていたが一刀様の暖かくも力強い腕に抱き寄せられた後は全てが吹っ飛んでしまい、気づけば素裸にされていて抱かれる悦びに泣き喚いた後だった。

一刀様に満たして頂ける自身の欲望に溺れるばかりで一向に御奉仕が成らない自分が情けなく、先程とは違う涙が流れてお詫びを申し上げたが御優しく抱き寄せられそのような私が愛おしいと仰られる一刀様にまた涙した。

一刀様のお近くに侍らせて頂いてからというもの、一刀様に、一刀様のお心に触れる度に童女のように涙が溢れる自分には呆れなくもない。

今回の唯一の成果と言えば伏して口戯での御奉仕をお願いし、熱い玉露を賜ったことだ。忘れ難い、離れ難いこの味は蜀の鄧芝殿が言うように、思い出すだけでも遣る瀬無い溜息が出てしまう。

 

…私は、淫乱だ。

 

8月27日

休憩時間中に詠様に一刀様の仰っておられたお笑いと言うものを御存知でしょうかと伺ったところ、知ってるけどと言われた。

そこへ元直があんた才能あると思うからやってみたらと言われたが、私は生来機知も朗らかさも乏しい面白味の無い人間だ。誤りを指摘するだけで良ければそう難しくは無いのだろうと思い、

「ボケは出来ませんがツッコミであれば」と答えたところ二人から「あんた本物の天才ね」と真顔で言われ、脇で見られていた子丹御嬢様がくすくすと笑われていた。

 

8月29日

三国塾に通学している恵達(六女)と雅達(七女)が珍しく私の出勤前に登校しようとしておりどうしたのかと聞いたところ本日は一刀様の視察がある為だと言い、下着が見えかねない程に裾の丈を詰めた上にいつの間に購入したのか胸あてを外した変形学生服を着用していた。

一刀様の前で司馬家の品を疑われるような服装は慎むように注意したが、二人が野暮なものを見る目つきで指差した方向を見ると

「あら仲達、早いのね。今日は三国塾に講師に出てくるから遅くなるわね」と笑顔で言いながら、明らかに胸元が開きすぎた上着にぴっちりと貼り付いていながら何故か下着の線が一切見当たらないスカートでいそいそと出勤される伯達姉様が居た。

 

先達は後進が見て学ぶ手本であると思うのだが…。


 
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